学校

2016年7月22日 (金)

支援学級を選ぶか、普通学級を選ぶか

 発達障害に関する本を買って読みました。
 発達障害がある子どもたちの治療に携わるドクターとして著名な杉山登志郎先生の「発達障害の子どもたち」(講談社現代新書)です。

 私がこの手の本を積極的に買って読み、昇平の子育ての参考にしてきたのは、彼が中学校に上がるあたりまでのことでした。その後、現実生活のトラブル対処のほうが大変になって、本をじっくり読み込んで勉強する余裕がなくなってしまい、高校に上がってからは自立や就労にテーマがシフトしていったので、本当に久しぶりで、純粋な「発達障害の子ども」に関する本を読んだなぁ、という気がしました。

 著者の杉山先生が、長年にわたって患者の子どもたちに関わり、幼児から小学校、中学校、高校、人によっては専門学校や大学、社会人の年齢になるまで、その発達をずっと観察してきた経験を、総括的にまとめてあるので、とても興味深く読みました。
 本の帯には「発達障害にまつわる誤解と偏見を解く」と書かれていて、「そうそう、そうです! そうなんです!」と深くうなずいてしまう箇所も多々。

 この本自体は、2007年に出版されたものなので、すでに読んでご存知の方も少なくないのだろうと思います。
 でも、まだ読んでいなくて、発達障害がある子どもたちに「何が必要なのか」「どうしてそれが必要なのか」を学びたいと思っている方には、参考になることがたくさんあると思うので、ぜひ読んでいただきたいと思います。
 昇平が保育園や小学校に通っている時期に、もしこの本が出ていたら、きっと私はすり切れるまで繰り返し読んで、子育ての指針にしたことでしょう。

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 さて、この本では、発達障害の「実態に合わせた」理解の啓発、対応のヒントや実際の子どもたちの成長や変化の事例、学校の意義や現状の課題、社会的な課題、子どものニーズから見た家庭や親の意味合い、虐待を受けてきた子どもたちが発達障害とよく似た症状(発達障害症候群)を発症すること……などなど、様々な方面について詳しく、でも、できるだけわかりやすいように語ってくれているのですが、それを全部取り上げて感想を書くのは困難なので、終わりに近い第九章「どのクラスで学ぶか――特別支援教育を考える――」を読んで考えたことをピックアップして書きたいと思います。

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 親の会に長く所属していると、月例会で見学に来た親御さんや新しく会員になったお母さんの相談にのる機会が増えるのですが、その中で時々聞くのが、「うちの子は今度小学校に入学するんですが、特別支援学級(または特別支援学校)のほうがいいんではないかと言われました。家庭の中でずいぶん考えましたが、判断がつかないので、会の他の方たちはどうやって学校を選んだのか、話を聞かせていただきたいと思って来ました」という話。

 この質問をされると、会のメンバーはそれぞれ自分の子どもたちがどの学校・学級を選んだのか、それは何故だったのか、その後どうだったのか、という話を、経験に基づいてします。そして、一通り話した後で、この結論に落ち着きます。
 「一口に発達障害と言ったって、子どもの状態はひとりずつ全然違うから、その子に一番良い学級(学校)はそれぞれ違う。子どもに合わせた学級(学校)を選ばなくちゃいけない」

 杉山先生の本に書かれていることも、結局はこれとまったく同じことなのですが、もっと明確に書かれています。つまり、「学校の選択に当たって最も大事な原則は(中略)授業に参加できるかどうかということである」と。
 そんなの当たり前だ? はい、当たり前だと思います。
 だけど、当たり前のはずなのに、それが当たり前に判断されていない現状もあるのですよね。

 我が子に普通学級に入ってほしい、と思う親はとても多いし、そこに祖父母や親類、地域の人たちに対する外聞などが絡んでくると、さらに感情的な問題は複雑になってきます。本にも書かれていますが、支援学級や支援学校に子どもを上げるのはかわいそうだとか、一度そちらに行ってしまうと普通学級に戻れなくなる、などという偏見や誤解、普通学級で普通の子どもたちから良い刺激を受けることで、我が子も良く発達するに違いない、という普通最上主義に基づく親の期待。そんなこんなで、「できれば支援学級(支援学校)には行かせたくない。だけど……」という迷いが生まれるから、実際に学校を選択してきた先輩たちの事例を聞きたくなるんでしょう。

 でも、ちょっと偉そうにこんなことを書いている私も、実は昇平が小学校に上がる前の年まで、「彼を地域の中で育てたいから、地元の小学校の普通学級に上げるつもりです。ただ、教室の中で落ち着いて授業を受けるのは大変だと思うから、私が学校についていって、一緒に教室にいようと思っています」などと考えていたし、実際にどこかにそう書いたこともあります。
 そのときには本気でそう考えていました。地域の人、つまりはご近所さんに、「うちの子はこんな子です。でも、親子でがんばっているので、どうか理解と協力をお願いします」と言いたい気持ちもありました。
 地元の小学校に特別支援学級がなくて、特別支援教育を求めようとしたら、学区が別の隣の小学校へ行かなくてはならなかったことも、大きな理由でした。長男は地元の小学校に通っていましたし。
 今思えば、隣の小学校でも、同じ自治体、同じ町内だったので、中学校になれば全部の小学校が一緒になったし、昇平の行動範囲が広がるから、どっちの学区だって結局は「地元」で、あそこまで地域にこだわる必要はなかったんだけどな、と思います。あの当時は私もまだまだ若いお母さんでした(笑)

 では、「昇平を普通学級に入れて、私が毎日付き添おう」と思っていたはずなのに、なぜ昇平を隣の学校の特別支援学級に行かせることにしたか?
 それは、地元小学校で行われた就学前検診のときに、入学した後の昇平の姿を垣間見てしまったから。

 小学校に入学する前の年に、子どもたちは自分の学区の小学校で健康診断を受け、知能検査を受けます。その結果を基に、教育委員会ではその子どもが普通学級・特別支援学級・特別支援学校(=養護学校)のどれが適当かを判断して、支援学級や支援学校を勧めるお子さんの家庭には、その旨の通知を出します。
 その検査の間、親たちは別室で、学校関係者から入学準備のための説明を受けていました。親子別室になるのですが、その当時すでに昇平のことは教育委員会にも伝わっていたので、昇平には特別にボランティアの方もついてくださっていました。
 ところが、私が入学準備の説明を聞いていたら、廊下を昇平の声が近づいてきます。「お母さーん、お母さん、どこですかー!?」
 ボランティアさんが昇平に、お母さんは別なお部屋でお話を聞いているんだよ、後で会えるから大丈夫だよ、と説明してくれている声も聞こえました。
 他のお子さんたちは、教室で検査のためのテストを受けている時間です。他にお母さんを探して検査会場を抜け出してくる子どもなんていません。あ、これは……と思いました。

 次に、健康診断の場面で。
 こっそり保護者の部屋を抜け出して昇平の様子を見に行きました。
 体重や身長を測定するために、子どもたちが自分の番号の篭に服を脱いで下着姿になっていきます。
 ところが、昇平だけはうろうろ。やるべきことはわかっていたのですが、自分の篭が見つけられなかったのです。
 他の子たちが自分の篭に服を脱いだので、空いている篭は昇平の篭ひとつしか残っていないのに、それでも昇平には自分の篭がわからない。
 その部屋の担当になっている先生に、自分の篭はどれか聞いている様子が見えました。先生が、「あれだよ」というように篭を指さします。だけど、それでも昇平には自分の篭がわかりません。
 当時、昇平は離れたものを指さされても、それがどれか見分けることができませんでした。認知できる範囲がとても狭くて、指先と示されたものを同時に認識することができなかったのでしょうね。
 その後、彼は指の示す方向を指に沿って歩いていって、「これ?」と対象物を見つけるようになり、それを繰り返すうちに、離れたものを示されても認識できるようになりました。というのは余談ですが。

 とにかく、昇平は指さされた篭を見つけることができませんでした。
 先生が篭に触れて「これだよ」と言ってくれればわかったのですが、私が、はっとしたのは、「そういう丁寧な対応ができない場面が、実際の教育現場では多々ある」ということ。
 授業をしながら、あるいは体育の時間や休み時間、遠足など、いろんな場面で先生は子どもたちに指示を出します。「あれをしてね」「これをしましょう」「あっちにいきます」「ここをこうしましょう」
 他に20人も30人も子どもたちがいる中で、昇平ひとりにいちいち「ここですよ」と事細かに丁寧に教えることは、どう考えても困難です。
 授業中に、あるいはテスト中に、「おかあさーん!」と昇平が教室を抜け出してしまったら? それを連れ戻しに行くのに、担任は他の子たちを残して教室を出ていくようになります。それが頻繁に起きたら? 毎日起きたら?
 普通学級の担任には、とても対処しきれません。
 私がついていけばなんとかなるレベルじゃないし、もし私がいけば、私が先生の代わりに一から十まで昇平に教えなくちゃいけなくなる。
 それじゃ学校に行く意味なんてないのでは――?

 そう考えたとき、自然と私の考えは変わっていました。
 「昇平がもっと楽に学べる場所に行かせよう。私が毎日1校時目から放課後まで付き添っていなくても、ちゃんと対応してもらえて、本人も自分の力で学んでいけるような、そういう学校に行かせよう」
 帰宅してから主人にそう伝えたら、主人も地元の小学校に行かせたいと思っていたので、「おっ」という反応をしましたが、その日の様子を詳しく伝えたら、納得してもらえました。

 今ならば、加配制度と言って、普通学級や支援学級の中でニーズのあるお子さんに、専属で支援員が配置される制度があります。
 当時にその制度が充実していたら、加配をお願いして普通学級を選択したかもしれませんが、あの頃はその選択肢はありませんでした。ただ、入学後、加配の先生に付き添われながら普通学級に通級した様子などを思い出すと、やっぱり普通学級は昇平には無理だっただろうと思います。

 就学時健診の後、私は隣の学区の特別支援学級を見学に行きました。
 そして、森村先生という素晴らしい担任の下で、環境もカリキュラムもきちんと考えられた授業が行われているのを知って、喜んでそちらへ行かせることにしたわけですが、その後の経過については、「てくてく日記」のバックナンバーに譲ります。
 ただ、一言でまとめて言えば、「あのときの判断は正しかった」のです。
 少人数で、昇平に合わせて行われる授業を受けることで、昇平は本当に成長しました。学力もついたし、集中力も、集団に参加する力も、あれもこれも本当に伸びました。
 学校の選択は本当に大切なことだし、本人のニーズに合わせた学校選びはなにより大事だろうと思います。

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 おまけの話をすれば、理想的だった小学校時代とは裏腹に、昇平の中学校時代は、杉山先生の同じ第九章に出てくる、「特別支援教育の混乱」という項に書かれている状態と、まったく同じでした。こちらは支援学級が全然支援できない場になっている事例です。
 昇平の中学時代は本当にこのパターンで、3年生になってやっと個に応じた配慮がなされるようになりましたが、ときすでに遅しで、本人は著しくセルフエスティーム(=自己評価)を落として抑鬱状態になってしまったし、不登校はぎりぎりで免れたものの、社会や家族以外の他人に対する不安を長く引きずるようになって、そこから脱出するのに何年もかかってしまいました。

 結局、そこを本当に脱出したのは、今の就労移行支援事業所に通い始めてからです。
 自分にできないことや足りないことがあることは自覚していて、そのためのトラブルも中学校時代に山ほど経験してきて、「自分は駄目かもしれない」「社会はぼくを受け入れてくれないかもしれない」と不安いっぱいでいたのですが、実際に事業所に通い始めてみたら、スタッフは丁寧に仕事の内容やビジネスマナーを教えてくれるし、できれば誉めてくれるし、仕事もできるようになるし、しかもその対価として工賃というお給料までもらえるようになって、彼の不安はぐんと軽くなりました。「こんな自分でも、がんばればけっこうなんとかなるかもしれない」と思い始めているのが、端から見ていて、はっきりわかります。
 だからこそ、毎日休むこともなく、元気に「それじゃ今日もがんばってきます!」と言って出かけていくのでしょう。

 繰り返しになりますが、学校選びは本当に大切です。
 無理を承知で普通学級に行かせて、途中からやっぱりついていけなくなって支援学級に移ったけれど、そのときにはもう勉強にもその他のことにもすっかり自信をなくしていて、先生からいくら励まされても取り組むことができなかったお子さんも知っています。
 普通学級に入れてみて駄目だったら特別支援学級に――という考え方は、やっぱり駄目みたいです。
 こうして振り返ってみて、改めて痛感しています。
 

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