2018年12月 7日 (金)

情報ナビたいむコラム「てくてく日記」(6)

 昨日12月6日の福島民報新聞に折り込まれた情報紙「情報ナビTime~たいむ~」に、私が書いたコラム「てくてく日記」の6回目が載りました。今回でコラムは最終回です。
 情報紙で直接読めない方のために、記事の写真を載せておきます。(クリックすると拡大します.。スマホで記事の画像が見にくい場合は、パソコンモードでご覧ください)

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 今回のタイトルは「将来の夢~家事覚え一歩ずつ前へ~」
 以下は今回の記事の補足です。

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 今回のコラムの冒頭に、同居の義母が亡くなったのを機会にアパート暮らしを始めたと書きました。
 義母がいなくなってからというもの、義父の認知症が急激に進み、体も不自由になってきて、施設に入所するしかなくなったからです。

 思いがけない形での独立でしたが、どうせコンパクトな暮らしになるのなら、昇平に生活のしかたを覚えてもらおう、と考えました。昇平のほうでも、いつかは自分ひとりの暮らしになるようだと考えて、家事見習いに前向きになりました。
 そのための工夫や実際の様子については、ここの過去記事でご紹介しています。

 よく言われることですが、障害者のための対応は障害のない人にも快適な結果になります。
 昇平にわかりやすいように、作業しやすいように、と考えながら工夫したら、それはそのまま、私や主人にとっても非常に暮らしやすい空間になりました。
 やりやすいから家事をするのもあまり苦にならない。
 今では食事の後の食器を拭いてしまうのは昇平の役目だし、その後に明日の朝食のための米をといで仕掛けるのも昇平です。最近我が家ではもち麦と雑穀の入ったごはんがお気に入りなのですが、その配合もばっちりです。というか、最近は昇平が米を仕掛けることが多いので、私より上手にご飯を炊きます。
 毎朝、洗濯の前に風呂場を掃除するのも昇平の役目。自分の部屋を整えてコロコロでカーペットを綺麗にしていくのも、毎朝の日課になりました。
 昔は部屋中、足の踏み場もないほど散らかしていたのに、今は彼の部屋に入るといつでもすっきりさっぱり。「変われば変わるものだなぁ」とつくづく感心しています。

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 ところで、昇平は将来、「結婚するつもりはない」と言いました。
 私たち家族が彼に「結婚は無理だ」とか「結婚しないほうがいい」と話したことはありません。逆に「なにがなんでも結婚しろ」とも言いませんでした。それは本人の自由意志だし、最終的には「ご縁」だと思うからです。
 けれども、昇平は自分から「自分は結婚は無理だと思う」と言いだしました。高校を卒業する頃のことだと思います。
 いわく、
「ぼくは自分のことで手一杯だから、結婚しても相手の女の人のことまで考えてあげることができないし、子どもが生まれても、そのお世話をすることは絶対無理だと思う。だから、ぼくは結婚しない方がいいと思うんだ。その代わり、世の中の結婚して子育てしている人たちのことは、心から応援したいと思うよ。それでいいかな?」
 子どもは自分が結婚しないことで親が悲しむと思っているのでしょうか。伺うように私の顔を見ました。

「いいんじゃない? 障害があるなしにかかわらず、世の中には結婚しない若い人は大勢いるからね。いい人に巡り会って、その人も君と結婚したいと言ってくれたら、そのときに考えるといいよ」と答えたら、昇平は苦笑いになって「でも、やっぱり結婚はしないと思うよ」と言いました。
 いつの間にか自分のことをずいぶん理解していたんだなぁ、と感心しました。

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 今回のコラム連載の間に、施設にいた義父の容態が急変して、あっという間に義母の元へ行ってしまいました。
 直前まで穏やかに過ごし、さほど苦しむこともなく旅立ったことが、残された家族にとって大きな慰めになりました。
 昇平は昨年に続いて、今度は祖父を亡くしたことになります。

 昨年は祖母の葬儀に参列して、告別式では立派に別れの挨拶を言ったのですが、火葬場で骨を拾うことは怖くてできなくて、うしろのほうに控えていました。「おばあちゃん、ごめんなさい」とつぶやいていたのが聞こえました。
 今年、昇平は葬儀に参列しただけでなく、祖父のお骨を拾うこともできました。格段の進歩です。
 でも、葬儀が終わってから、私たちに言いました。
「お父さんもお母さんも、体に気をつけて長生きしてよね。絶対に気をつけてよね」
 緊張してがんばってくれていたけれど、やっぱり不安だったのですよね。

「大丈夫。お母さんたちはまだまだ死なないから。まだ当分君と一緒にいて、君がひとりでも生きていけるようになるまでそばにいてあげるから。……そしてね、お母さんたちが年をとって死ぬ頃には、君はもう充分大人になっているから、そのことにも耐えられるようになっているんだよ。今のお父さんやお母さんたちみたいにね」
 本当にそうなのかな? と昇平はまだ少し不安顔でしたが、それでも「そういうものかもしれない」と思ったようで、その話題はそれきりになりました。

 私たちは親なので、彼が彼なりの幸せを感じながら生きられるようになるまで、見守り導く責任があります。
 先のことは誰にもわからないのですが、それでも、その責任を果たすために、人一倍健康に気をつけなくては、と思っています。
 とりあえず、今年の健康診断は受けました。来年も忘れずに受けようと思っています。

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 以上で、6回にわたった情報ナビ「たいむ」でのコラム連載と、その補足記事は終了です。
 元々私はかなりの長文書きなので、補足もつい長くなってしまいました。
 毎回長文にお付き合いいただき、ありがとうございました。
 
 このブログはこれからも不定期に更新していきますので、よろしかったら、時々のぞいて昇平の近況を確認してやって下さい。
 彼は自分なりのやり方で、地に足つけながら生きていこうとするのだと思います。
 これからも見守って応援していただけたら幸いです。

 また、私が所属している親の会『福島とーます!』の支部例会を見学希望の方は、こちらの公式ブログからお問い合わせください。よろしくお願いします。
   ↓
http://f-tohmas.cocolog-nifty.com/blog/

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2018年12月 3日 (月)

情報ナビたいむコラム「てくてく日記」(5)

 先週11月29日の福島民報新聞に折り込まれた情報紙「情報ナビTime~たいむ~」に、私が書いたコラム「てくてく日記」の5回目が載りました。
 情報紙で直接読めない方のために、記事の写真を載せておきます。(クリックすると拡大します.。スマホで記事の画像が見にくい場合は、パソコンモードでご覧ください)


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 今回のタイトルは「就労支援事業所~具体的な働き方を訓練~」
 以下は今回の記事の補足です。

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 コラムでは紙面の関係で省略しましたが、障害者の就労支援事業所には現在いくつかの種類があります。

 まず「就労移行支援事業所」。就労を目ざす障害者は、最初に「就労移行支援」という福祉制度を利用して、移行支援事業所で訓練を受けることになります。訓練期間は最大2年間。その間の利用料は、保護者がよほどの高額所得者でなければ、だいたい無料になります。(給食費などは自己負担)
 
 この就労移行支援期間に就労できなかった利用者は、「就労継続支援」という制度を利用して、引き続き就労を目ざすことができます。この制度を行う施設を「就労継続支援事業所」といって、A型とB型の2つのタイプがあります。

 A型は利用者と雇用契約を結ぶ事業所で、利用者はその地域での最低賃金が保障されます。現在の福島県だと、時間額772円でしょうか。一般に近いレベルできちんと働けると見なされた利用者がA型になるのですが、昨今の法改正でA型に対する達成基準が厳しくなり、全国的にA型事業所が次々撤退する状況になりました。福島県でもずいぶんA型事業所が閉鎖しました。
 その背景はひとことで説明できるようなものではないので割愛しますが、以前ならば「B型で研修を積んでA型になり、A型でもらえる給料と自分の障害年金で暮らしていく」というのが、障害者の理想のモデルパターンだったのに、それがかなり困難になったようです。

 一方B型はと言うと、こちらはあくまでも研修であって、事業所と雇用契約は結んでいません。賃金が入るような仕事をこなすと工賃がもらえますが、一般的に大きな額ではありません。
 その代わり、出勤について自分の体調や精神状態に合わせた配慮が受けやすいし、課せられる業務内容も本人に合わせて配慮されます。
 今はこのB型事業所が就労支援を行う事業所の大半になっています。

 昔はこれら就労継続支援事業所を「授産所」「作業所」と言ってきたし、そこを一生の職場にする人も多かったのですが、時代が移り変わり、障害者の自立に対する考え方も変化してきたので、事業所の形態もずいぶん変わってきているように感じます。
 障害者であっても、働く能力と意欲がある人には一般企業への就労を目ざしてもらう。その際に障害者枠での就労をすると、障害特性に合った配慮と支援を職場で受けられる。また、障害者雇用促進法という法律があるので、障害者を雇用した企業も人数に応じて報奨金をもらうことができる……という方向に進んできています。とはいえ、理解はまだ十分に進んでいないし、改善の余地もまだまだあるのが現状ですが。

 また、就労を目ざす障害者はまず「移行支援」から始めると書きましたが、例外があります。
 それは支援学校(旧称:養護学校)高等部の卒業生です。
 彼らは学校ですでに就労に向けた実習を積んできているので、在学中に就労移行支援事業所に体験に行き「アセスメント」という適性チェックを受けたら、卒業と同時に就労継続支援事業所B型の利用者になれます。
 直接B型の利用者になれるので、「直B(ちょくビー)」と呼ばれる特例制度です。

 支援学校は生徒の自立と就労を目ざしたカリキュラムが充実しているので、最近では一般中学校の支援学級から、支援学校の高等部に入学を希望する人も増えていると聞きます。が、支援学校は全国的に満杯に近い状況なので、希望しても入れない、ということが多いようです。
 支援学校の高等部に入学を希望する場合は、その学校の状況や入学条件を早めに確認しておいたほうが良いだろうと思います。

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 以上が、大まかですが、障害者の就労に就労支援事業所や支援学校を利用する際の情報です。
 支援学校の保護者は、こういう内容を学校から教えられるので、よくご存知なのですが、我が家のように支援学校に行かなかった場合、こういう情報はほとんどわかりませんでした。
 「うちの子の事業所はB型よ」「あそこの事業所はA型だって」と聞かされても、なんのことやらちんぷんかんぷんで、「C型はないの? それとも血液型の話かしら?」なんて思っていたくらいです。
 なので、少々長くなりましたが、説明を書いてみました。

 これ以外の障害者の就労支援機関としては、公的な障害者職業センターや障害者の訓練所などがあります。
 それらの情報は、コラムにも書いたとおり、行政の社会福祉課に行くと教えてもらえます。

 また、こういう福祉サービスを利用するための計画を立ててくれる「計画相談支援」を行う事業所もあります。
 高齢者が福祉サービスを受けるときのケアプランのようなものを立ててくれる場所なのですが、残念ながら、まだどこの自治体にもあるというわけではありません。あっても数が足りなくて、利用者本人が利用計画を立てる自治体もあります。
 私たちがいる伊達市では、ちょうど昇平が高校を卒業した年から、必ずこの計画相談支援を受けることになったので、最初から相談にのってもらえて、計画もその後のモニタリングもしっかり行ってもらっているのですが。
 支援事業所や福祉制度はけっこう複雑なので、早くこの制度が充実して、すべての利用者と家族がサポートしてもらえるといいのに、と思います。

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 制度についての堅い話が続いたので、最後に、昇平が就労支援事業所でどんな訓練をしてきたかを書きましょう。
 その事業所によってカリキュラムは違うので、「昇平の場合はこうだった」ということですが。

 まず最初は、事業所の中で社会に出てからのルールを学ぶために、ビジネスマナー講習などを受け、パソコンの練習や簡単な作業を通じて、働くことの基礎を身につけていきました。
 決められた日数を出勤する、というのも大きな目標になっていました。昇平の場合は高校時代から登校が安定していたので、問題はなかったのですが、中には体調や精神状態の影響で、どうしても勤怠が安定しない人がいるので、支援員さんたちがこまめに声をかけたり、体調管理を手助けしたり、イベントを行って事業所に通いやすい雰囲気を作ったりと、いろいろ工夫していました。

 やがて、少しずつ通うことに慣れてきたので、タウン新聞をポストに配達して回るポスティング業務を、グループで行うようになりました。
 昇平はみんなと一緒に行動するのがあまり得意ではなかったので、大丈夫かな? と心配しましたが、「いろんなポストがあって面白い」「賑やかな街の中を配達するのが楽しい」と喜んでやっていました。心配していた全体行動も、支援員さんのサポートのおかげもあって、まったく問題ありませんでした。
 店に配る場合は、入るとき、手渡すとき、店を出るときの挨拶をしっかり教えられたので、態度がものすごく丁寧になりました。ポスティングが終了した今でも、彼はとても礼儀正しいです。

 次に彼が体験したのは、大量の人参の皮をむいて野菜加工業者に卸す、という皮むき作業。
 これもグループで行っていましたが、真面目に作業をするし、力もあるので、最終的には人一倍たくさん皮をむいて、重い人参を車に積み込んで納品に行く、ということもできるようになりました。
 周囲を見て、手間取っている仲間がいたら手伝う、なんてこともできるようになったし、行き帰りの車の中では和気あいあいと、楽しい会話で話が弾んだりもしたそうです。

 その次に体験したのは、廃品回収の助手。リサイクル業者の下請けです。
 市内各地の小さな事業所や店舗をワゴン車で回って、プラスチックや段ボールなどを回収して回りました。
 力がいる作業ですが、これも嫌がることなく真面目に行っていたようです。
 あるとき、その仕事について「大変じゃない?」と昇平に聞いてみたら、「もう慣れたし、ぼくは運ぶのが得意だから」と答えました。
 運ぶのが得意――これは、震災直後、重い水のバケツやゴミ袋を運んで家族を助けたときに自覚した、自分の能力です。なにしろ身長は175キロ、体重も65キロといういい体格なので、力もあります。
 大変だった震災が、いろんな意味で彼の自信に繋がったんだなぁ、と改めて思いました。

 その後、今度はホームセンターの仕分け工場へ。
 週に2回、チームで行って、ベルトコンベアを流れてくる商品を店舗ごとのコンテナに入れ、さらにそれを方面別のカートに載せるという作業。これもコンテナを運ぶには力がいりますが、がんばっているようです。
 途中で移行支援期間が終了しましたが、昇平が行っている事業所にはB型もあるので、引き続き同じ作業の研修を続けています。
 ずいぶん慣れてきたので、そろそろ本当の就労につながってくれるといいな、などと親は考えています。

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 以上で、今回の補足記事は終了です。
 長文におつきあいありがとうございました。

 コラム「てくてく日記」は次回12月8日号で最終回になります。


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2018年11月30日 (金)

情報ナビたいむコラム「てくてく日記」(4)

 先週11月22日の福島民報新聞に折り込まれた情報紙「情報ナビTime~たいむ~」に、私が書いたコラム「てくてく日記」の4回目が載りました。
 身内の不幸があったため遅くなってしまいましたが、情報紙で直接読めない方のために、記事の写真を載せておきます。(クリックすると拡大します.。スマホで記事の画像が見にくい場合は、パソコンモードでご覧ください)


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 今回のタイトルは「進学の道~普通高校こだわらない~」
 以下は今回の記事の補足です。

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 そのお子さんによりますが、義務教育卒業後の進路を普通高校にこだわると、親子そろって大変悩むことがよくあります。普通高校に入れそうにないというので、人生が終わってしまうような不安に襲われる方たちもいらっしゃいます。
 でも、普通高校にこだわらずに選択肢を広くすると、案外進路はたくさんあって、自分に合った場所や方法で高校卒業の資格を取れるようになります。

 だから、早々と「普通高校は無理だからもうダメだ」なんて決めつけずに、いろいろ探してみてほしいな、と思います。
 最近は不登校のためのお子さんの学校が増えているし、不登校の陰に発達障害の問題が隠れている場合も多いので、不登校専門の学校が発達障害の対応にも慣れていたりします。
 ただ、これは本当に地域によって状況が違うし、お子さんによってその学校が合う合わないが違うので、地域の情報を集めて、実際に見学にも行って、先生方と話したり、学校の雰囲気を確かめたりしてほしいと思います。

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 昇平は、福島市内の単位制・通信制というシステムを取っている高校に入学しました。
 この高校を決めるに当たって、どんなところを決めてにしたのか、ちょっとお話ししますね。

 学校を見学に行ったのは、まだ震災が起きる前の2010年のこと。
 その日は平日だったので、私だけが見学を申し込んで、校内を案内してもらいました。
 その学校は以前は予備校に使われていた、かなり古い建物でした。
 でも、校舎の立派さより、学生の対応をしてくれる先生方のほうが絶対に重要と思って、案内してくださった先生の話を一生懸命聞きました。
 優しい語り口にちょっとユーモアを交えた話し方の、とても良い雰囲気の先生でした。

 ひととおり教室を案内してもらいながら、授業中の様子を廊下から見せてもらったり、授業のシステムを教えていただいたり。
 「我が校ではこういう対応をしています!」というような派手なPRはありませんでしたが、落ち着いていて悪くない雰囲気だな、と思いました。
 授業のカリキュラムを自分のペースで組めるところも、昇平に合っていていいな、と思いました。なにしろ中学時代にかなり自信をなくしていたので、ゆっくり学んで少しずつ自信を回復してほしかったからです。

 1階まで降りると、玄関脇に職員室があって、職員室前の水槽を熱心にのぞいている女性がいました。
 学生にしてはちょっと大人っぽくて、ヒールの高い靴にパーマをかけたロングヘア、化粧もばっちりです。一瞬、「保護者かしら? かなり派手な人だな」と思ったのですが、実は彼女も学生で、案内してくださった先生が担任でした。通信制の高校は、学生の年齢層も幅広いのでした。

 彼女は水槽を見ながら「メダカ、かわいいよ」と先生に話しかけ、先生のほうでも「餌をやると寄ってくるぞ」なんて応えていて、とても暖かい、いい雰囲気の会話がかわされました。
 そこで私もちょっとだけその中に混ぜてもらったのですが、話してみたら、派手に見えたのは外見だけ。中身はものすごく素直で気持ちの優しい女の子でした。一瞬でも外見で判断したことを、とても恥ずかしく思いました。

 職員室の中を見ると、金髪にピアスの男の子が、別の先生の横にいました。
「あの先生は数学の先生です。彼も最初はなかなか授業に出て来なかったんだけれど、最近やっとああして、わからないところを先生に聞きに来れるようになったんですよ」と、案内の先生に教えられて、私はまた、目からウロコが落ちる気がしました。
 そうなんですよね。外見がどうであれ、学校に来ているということは、学ぶ意思がある、ということです。
 この学校に来ているからには、たぶん何かしらの背景を抱えているのだろうけれど、それを乗り越えて、ここで学んで高校を卒業しようとしている。そして、先生方はその気持ちに応えて指導してくれている。
 ああ、いいなぁ、とすごく思いました。
 校舎が古くたって、自前の体育館がなくて離れた公共の体育館まで行かなくちゃいけなくたって、ここには生徒たちに一番大切で必要なものがある。そう直感しました。
 もちろん、その時点で昇平をここに通わせる気持ちが固まっていました。

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 ただ、本当に通うのは昇平自身なので、願書を提出に行ったときに親子で学校説明会に参加しました。
 私を案内したのとは別の先生が、昇平の持っていたゲームの本を見つけて、「おっ、〇〇を遊んでるんだ?」なんて気軽に話しかけてくれて、昇平のほうも大喜びでゲームの話をして、すっかりこの学校が気に入ってしまいました。
 担任はまた別の女の先生でしたが、この先生も優しくて親身になってくれる、すごくいい先生でした。
 昇平は授業中につい居眠りをしていた時期があるのですが、怒鳴ったり叱ったりするのではなく、「寝ていて授業を半分聞いていなかったから、出席時間2時間のところを半分の1時間にするからね」と、きちんと筋を通して注意してくれ、さらに保護者にもちゃんとその旨の連絡をくれました。
 昇平は大いに反省して、その後、授業中に寝ることはなくなりました。

 生徒の話をきちんと聞いてくれる先生がいる学校。
 生徒が何に困り、何を必要としているのかを、寄り添って一緒に考えてくれる先生がいる学校。
 昇平にとって、この高校は最高の学校でした。

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 ちなみに、昇平が卒業した後、この学校は近くに大きな素晴らしい校舎を新設しました。今度は自前の体育館もあります。
 以前は普通高校を中退して入ってきた生徒さんが多かったようですが、最近は中学校から直接入学してくるお子さんが増えているとも聞きました。
 子どもに合った学校を、普通高校にこだわらずに選ぶ家族が増えてきているのだろうと思います。

 昇平が卒業してからもう3年以上が経ちましたが、彼は今でも月に一度は学校の職員室を訪ねて、先生方に挨拶と近況報告をしています。
 卒業した生徒の様子を見ることができて、先生方も嬉しいのではないかな、なんて思います。

 

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2018年11月16日 (金)

情報ナビたいむコラム「てくてく日記」(3)

 昨日11月15日の福島民報新聞に折り込まれた情報紙「情報ナビTime~たいむ~」に、私が書いたコラム「てくてく日記」の3回目が載りました。
 情報紙で直接読めない方のために、記事の写真を載せておきます。(クリックすると拡大します.。スマホで記事の画像が見にくい場合は、パソコンモードでご覧ください)


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 今回のタイトルは「つらい中学時代と大震災」で「経験プラスに変え成長」という見出しがついています。
 ちなみにこの見出しは「たいむ」編集部の担当さんが考えてくださってます。
 以下は今回の記事の補足です。

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 正直、私も昇平も中学校時代のことはあまり思い出したくありません。
 保育園、小学校と理解と熱意のある先生方に恵まれ、園全体、学校全体からサポートを受けて、昇平も他の子もぐんぐん成長していって、喜びと希望にあふれて中学校に進んだのですが。
 当時、小学校と中学校はすぐ近くに建っていたのですが、「それでどうしてこんなに対応が違うの?」と思うほど、受け入れ環境も指導状況も違っていました。
 そして、その中で昇平は次第にパニックの回数が増え、泣いたり暴れたり騒いだりするようになり、そのために「あの子は暴れる危険な生徒」というレッテルを貼られてしまいました。

 今でも、どうしてあんなに状況がこじれてしまったのだろう、と考えることがあります。
 担任の先生方は昇平たちの扱いに困惑しているように見えました。特に昇平は急に体が大きくなり力も強くなってきたので、「暴れると危険だから、とにかく暴れないように抑える」というのが基本対応になってしまって、本人のことばに耳を傾けることがなくなってしまいました。
 本人は怒るしパニックになるけれど、それでも落ち着いてから「何がそんなに嫌だったのか」「何をしてほしくてそういうことをしたのか」「周囲、特に教師に対してどうしてもらいたいと思っているのか」を聞いてみれば、ちゃんと彼なりのことばで話したはずなのですが。

 いえ……本当は昇平だって必死に話していたのですよね。親だって、何度も学校に足を運んで、彼がどうしてそんな行動をとるのか懸命に説明してきました。
 でも、担任側にそれを受け止めるだけの力が足りませんでした。その背景には、教師自身が抱えている課題――介護だとか病気だとか、そういうものが絡んでいたので、言われてもできなかった、ということなのかもしれません。
 でも、昇平も私たちも「特別支援教育というのはこういうもの」という見本のような状況で保育園と小学校を過ごしてきたので、中学校の現状に納得ができなかったのですね。
 では、私たちはあの時どうすれば良かったのだろう? と考えると、やっぱり答えは出てこないのですが。

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 コラムにも書きましたが、中学3年になって、ようやく支援体制が整ってきました。
 本人がパニックになりそうになったら図書館に避難して、クールダウンして良いことになりました。
 補助の先生もついて、担任も支援を受けられるようになりました。
 昇平自身も、自分が暴れてしまうことがつらくて、パニックを抑える努力を始めました。 
 ただ、それが思春期とも相まって、極度の自己否定感につながり、抑鬱状態になってしまったのです。

 病院から出される薬に精神安定剤が追加され、量が増え、「学校へ行きたい」「でも、学校に行きたくない」という気持ちに板挟みになって、校門前に停めた車の中で昇平は30分も40分も逡巡していました。私はそれを運転席で黙って見守り続けます。やがて担任や保健の先生が校門まで迎えに来てくれるので、うながされて、うなだれながらようやく教室へ向かっていく昇平……そんな毎日でした。

 「ぼくはだめな人間だから、社会に出たらきっとぼくは殺されてしまうんだ」と言って、本気で怯えてこともあります。
 否定して誤解を修正してあげたくても、自分の評価が落ちてしまっている昇平には届かなくて、本当に苦しい日々でした。

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 それでも、進学先に通信制の高校を選んで合格し、スクーリング(授業)がない日はフリースクールを利用して集団を経験する、という手はずを整えていきました。
 本人も高校進学を「これまでの自分から脱出するチャンス」と考えて、とても期待していたのですが、これもコラムに書いたとおり、卒業式の日の午後に東日本大震災が起きました。
 「もう世界は終わった! もう何もかもダメになってしまったんだ!」とパニックになって泣きわめく彼を、私は抱きしめて、「大丈夫だよ。終わってないよ。これから始まるんだよ」と言っていましたが、正直なところ、私自身もどうしていいのかわからなくて途方に暮れていたのです。

 でも、とにかく何かしなくては、と思って、とりあえず、震災でめちゃくちゃになった家の中を片付けていきました。
 コラムに書いたとおり、大量のゴミが出たので、それを昇平に運び出してもらいました。断水も続いたので、重い水運びも手伝ってもらいました。
 そんな中で、彼は「自分だって役に立つことができる」「重い物を運ぶことなら、自分は力になれる」と実感したようでした。

 また、遠方の友人たちが私たちを心配して、いろいろな物資と共に、「昇平くんに」と彼が好きなキャラクターの文具やノート、お菓子やゲームソフトなどを送ってくれました。
 建物に被害を受けて、今までの場所で再開できなくなったフリースクールのために、移転費用への寄付を周囲やネットに呼びかけたら、大勢の人たちが義援金を寄せてくださって、綺麗で便利の良い建物に移転・再開することができました。
 新聞にも毎日のように著名人や大手企業の応援広告、名もない大勢の人たちからの応援メッセージが掲載されていました。
 そのたびに、私は昇平に話して聞かせました。「ほらね、こんなに大勢の人たちが私たちを応援してくれているんだよ。社会にいるのは怖い人たちばかりじゃないよ。応援してくれる人、助けてくれる人は必ずいるんだから、そういう人たちを信じて生きていけばいいんだよ――」

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 今回のコラムの記事を、昇平は昨日初めて読みました。
 イラストを依頼するときに、ざっと内容は伝えるのですが、具体的な文章は見せていないのです。
 だから、「たいむ」に載ったときに、自分のイラストを確認しながら本文のほうも読むのです。

 さすがに、今回の内容に彼は明るい顔はしませんでした。
 黙ってじっと読んでいって、読み終えてから、溜息をひとつついて私に言いました。
「あの頃の自分と今の自分は違っているよね。今では社会で働く訓練もしているわけだし、あの頃よりずっと成長したよね」
 それから、ちょっと考えるように間を置いてから、「あの頃の経験があるから、今の自分があると思うんだよ」と。


 中学時代も震災も、どちらもつらい経験でした。しないで済むものなら、あんな経験はしないほうがいいと思っています。
 だけど、昇平はそれをプラスに変えていく転機にしました。前向きな彼です。
 その前向きな気持ちを彼の中に育んでくれたのは、本当に大勢の友人や知人、名前も顔もわからないような方たちからの応援でした。

 今でも心から感謝しています。
 ありがとう。

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2018年11月 9日 (金)

情報ナビたいむコラム「てくてく日記」(2)

 昨日11月8日の福島民報新聞の折り込み情報紙「情報ナビTime~たいむ~」に、私が書いたコラム「てくてく日記」の2回目が掲載されました。
 情報紙で直接読めない方のために、記事の写真を載せておきます。(クリックすると拡大します.。スマホで記事の画像が見にくい場合は、パソコンモードでご覧ください)


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 今回のコラムには「言葉を育む」というサブタイトルがついていますが、当時を思い出してみると、ことば以前からコミュニケーション能力を育てることは始まっていたなぁ、と思います。
 以下は今回の記事の補足です。

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 彼はとにかく発語が遅くて、2歳を過ぎてもほとんど話せませんでした。
 それでも歩いて出かけることは大好きで、毎日外に散歩に行きたがりました。もちろん、2歳児をひとりで散歩させることなんかできないので、私や主人が付き添います。

 ところが、昇平は私たちと手をつなぎたがりません。この年齢のお子さんなら、親と手をつないで歩くのが当然とだと思うのですが、彼は私たちがいることなんかまったく気にせず、自分のペースでとことこ、とことこ、道を歩いて行ってしまいます。
 当時、私たちは閑静な住宅街に住んでいて、車もめったに通らないような場所だったので、危険がない限り昇平には自由に歩かせました。というか、そうするしかなかったのです。手をつなごうとすると、彼は嫌がって手を振り切ったり、しゃがみ込んで動かなくなったりしましたから。

 とことこ歩き続ける昇平と、それを見守りながら後をついていく私や主人。
 そうやって20~30分も歩くと、さすがに満足するのか、あるいは歩き疲れるのか、昇平は立ち止まりました。そして、おもむろにくるりと振り向くと、私たちに向かって両手を広げるのです。「だっこ!」と言うように。
 そこで、私たちは彼を抱き上げ、家に向かって今来た道を戻っていきます。それが私たちの「散歩」でした。

 昇平は振り向くこともなく歩き続けていたけれど、後ろには必ず私か主人のどちらかがついてきていると、信じていました。
 あんまりこちらを気にしないので、「これで私たちがいなかったらどうするつもりだろう?」と思ったし、試しに隠れてみせようか、と悪戯心を起こしそうになったこともありましたが、実行には移しませんでした。
 どんなにこちらを無視しているようでも、振り向いて抱っこをせがむからには、昇平が私たちを保護者として信頼しているのだと思ったからです。
 彼の信頼を絶対に裏切ってはいけない。
 ことばが通じないからこそ、そのことは堅く自分に戒めていました。

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 その後、昇平は3歳になるあたりから少しずつことばが出始め、保育園にも通うようになって、家族以外の人と関わるようになっていきました。
 そのときに担任に言われたのが、コラムに載せたことばだったのですが、その後でこうも言われました。「お母さんたちが昇平くんのと信頼関係を築いて、コミュニケーションの基礎を作ってくださったから、私たち保育士のことも信頼して指導に従ってもらえたんだと思います」と。
 保育園では、着替え、食事、排泄、片付け、集団行動と、本当にいろいろな生活の基礎を指導してもらい、昇平もどんどんそれをおぼえていきました。でも、いくら保育のプロであっても、他者との信頼関係がうまく結べていないお子さんだと、指導がなかなかうまく入ってくれないのだそうです。

 ちなみに、このときに担任の保育士から言われたのとほぼ同じことを、ずっと後の中学生時代に、家庭教師の先生からも言われました。
 昇平は学校の勉強を補うために数学を習っていたのですが、やがて計算がとても速くなって、数学は得意教科になりました。すると、指導の後で先生が私に言ったのです。
「昇平くんはほとんど最初から家庭教師の私を信頼してくれました。だから勉強の指導もうまくいってるんです。ありがとうございます」と。

 コミュニケーションを育むというのは、ことばがうまくなること以前に、もっと基本的なところで、人と人との信頼関係を結ぶことから始まるのだろうと思います。
 そして、子どもが一番最初に信頼関係を結ぶ相手は「親」だし、子どもが最初に出会う社会は「家庭」なんだろうと思うのです。それが生活の基礎を作っていき、学業の土台を作るのだろう、と。

 気持ちを汲み取ることと、こちらの気持ちを伝えること。
 それを、スパルタ式に教え込むのではなく、本人にあったやり方で、家庭の生活を通じてごく自然に行っていくことが大事なんだろう、と昇平を見ていて思います。

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 ちなみに、今現在の昇平ですが、会話にはほとんど困らない状態になっています。
 ときどき言いたいことがうまくことばにできなくて詰まったり、言いかけてはまた言い直すような特徴は残っていますが、基本的にはとてもお喋りで、その日あったことも、自分が考えていることも、好きなアニメやゲームのことも、本当にいろいろ話してくれます。喋りすぎてうるさいことさえあります(苦笑)

 ひとりで福島市まで通えるのはもちろんですが、休日にはひとりで電車で仙台市内まで遊びに出かけることもあります。。
 仙台駅はホームの数も人の数も福島駅の比ではないので、「大丈夫? 帰りの電車はちゃんとわかる?」と心配したら、「ん~、なんとかなると思うし、わからなかったらわかりそうな人を見つけて聞くからいいよ」という返事がかえってきました。
 ……頼もしくなりましたcoldsweats01

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2018年11月 2日 (金)

情報ナビたいむコラム「てくてく日記」(1)

 昨日11月1日に福島民報新聞に折り込まれた情報紙「情報ナビTime~たいむ~」に、私が書いたコラム「てくてく日記」の1回目が掲載されました。
 福島民報さんから許可をいただいたので、コラムの全文の写真もここに掲載します。(クリックすると拡大します.。スマホから記事の画像が見にくい場合は、パソコンモードでご覧ください)

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 「たいむ」の表紙の写真も載せておきます。(昨日一日、人に見せるのに持ち歩いたので、ちょっとしわがついてしまいました)

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 コラムの連載は全6回なのですが、「昇平てくてく日記」というタイトルで息子の成長記録を書き続けて、すでに20年。記録の内容も膨大な量ですから、とてもじゃないけど、800字ちょっとのコラム6回には収まりきれません。
 というわけで、このブログでもう少し書き足してみたいと思います。

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 発達障害ということばも、いまではずいぶん知られるようになりましたが、コラムを読んで「あら、自閉スペクトラム症ってなに? 自閉症とは違うの?」なんて思った方はいらっしゃったかもしれません。
 結論から言うと、同じものです。
 今まで自閉症と言っていた障害の中には、高機能自閉症とかアスペルガーとか広汎性発達障害(PDD)とか、特徴に合わせて細かい分類があったのですが、実際には特徴が重なり合っていて厳密に分類することはできない。だから、自閉スペクトラム症という名前で統一しましょう――と世界的な診断基準で決まったのです。
 自閉症スペクトラムと言う場合もあるし、法律で名称が決まってるわけでもないので、人によっては以前通りの診断名をつかっていることもよくあります。このあたり、ちょっとゴチャゴチャしていますねcoldsweats01


 昇平は幼い頃は本当に多動で、苦労したエピソードは数知れません。
 でも、その頃私は発達障害なんて知らなかったし、あんまりにも大変だったので、どこかに相談しようなんてことも思いませんでした。そんな余裕もなかったんです。
 今なら検診の時に保健師さんがいち早く気づいて、声をかけてくれることでしょう。
 自治体の違いもあるかもしれません。私たちは昇平が3歳になるまで県内の大きな市に住んでいて、主人の仕事の関係で伊達市に引っ越してきたのです。その後からは、昇平もどんどん福祉につながっていきました。大きな自治体だと、きめ細かい対応が難しい場合があるようです。
 だから、今、もしも我が子の発達に不安を感じている方がいたら、ぜひ積極的に保健師さんに相談してほしいと思います。発達相談会などが開催されることもあるので、そういう場所で相談するのもいいと思います。
 発達障害は生まれつきのものではあるけれど、「発達」によって改善していく可能性が高い障害だから、気がついて適切な対応を始めるのは、早いほうがいいのですよね。


 コラムのイラストは息子の昇平が描きました。
 小さい頃から絵を描くのが大好きで、今も暇さえあればノートにイラストを描いています。
 ただ、これまでは自分が描きたいものを好きに描いてきたので、依頼に応じて描くとか、OKがもらえるまでは何度も修正しなくてはいけないといった「仕事」の厳しさを、今回初めて体験しているところです。
 「ぼくはやっぱり絵は趣味にしておくほうがいいみたいだな」と言いながらも、がんばって描いてくれています。

 なお、イラストはまるで頭だけのように見えますが、これは彼のオリジナルゆるキャラの「だんご」を彼や私の似顔絵にしたものです。普段は手足や体のあるイラストも描いています(笑)

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 次回のコラム「てくてく日記」は11月8日(木)発行の情報紙「たいむ」に掲載予定です。翌日にはこのブログに載せますので、直接ご覧になれない方で興味がある方は、こちらをチェックなさってください。


clover過去のブログ「昇平てくてく日記」を読みたい方は、バックナンバーから。


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2018年10月31日 (水)

新聞にてくてく日記が連載されます

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 お久しぶりです。
 掲示板では毎日近況を書いていたのですが、こちらのブログは大変ご無沙汰してしまいました。
 暑い暑い夏をやり過ごして、季節はもう秋。明日からは11月です。
 街路樹の葉も色鮮やかに変わって、風が吹くたびに散っています。

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 さて、表題の件ですが、実はちょっと誇大表記があります。

 福島民報新聞という福島県で一番売れている地方紙があるのですが、その本紙ではなく、福島民報新聞社が毎週木曜日に折り込みで発行している「情報ナビTime~たいむ~」という情報紙に、てくてく日記がコラムとして連載されるのです。
 明日11月1日から6回連載。昇平の幼少期から就労目ざしてがんばっている現在までの23年間を追いかけるので、かなりのダイジェスト版です。

 とはいえ、昇平がどうやって今のようになっていったか、進学や就労にはどんなふうにしてきたか、簡略に理解することはできるんじゃないかな、と思っています。(そのあたりがわかるように、がんばって書いたつもりです)

 コラムに添えられるカットは昇平が描きました。
 自分の好き勝手に描くのではなく、クライアントからの注文に応じて描く、ということを初めて体験しているので、これもよい経験になっています。

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 残念ながら、この情報紙は福島民報新聞を定期購読しているお宅にしか配布されないし、新聞社のホームページにも内容は載らないので、社に許可を得て、このブログ(とツイッター)に記事の写真を掲載させてもらうことにしました。
 明日11月1日の第1回分は、明後日11月2日に載せるつもりなので、興味のある方はチェックしてください。

 以上、お知らせでした。

 

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2018年6月29日 (金)

近況報告

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 またまたご無沙汰しておりました。
 前回の更新が3月7日だったので、3か月以上のブランクを置いての更新です。

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 昇平は今も元気に就労支援事業所に通い続けています。
 暑くても寒くても、雨が降っても風が吹いても、愚痴ひとつ言わず事業所に行き、その日の仕事をしっかりこなして、充実した顔で帰ってきます。

 平日は仕事(実習)。 仕事が半日で終わる日には駅のゲーセンで少し遊んでから電車で帰ってきて、フリースクールで1~2時間過ごしてから帰宅。 土曜日は事業所のイベントまたは休養。日曜日も休養か自分で福島駅前へ遊びに行ってくる……というのが最近のパターンです。
 体調を崩すこともめったにないので、支援事業所に通う目標日数も毎月達成しています。達成すると皆勤賞がいただけるので、それを励みに通所する利用者も多いのですが、昇平は皆勤賞より「きちんと仕事がこなせている自分」を実感できることが嬉しいようです。
 学校に通っていた頃にはつらかった時期もあったけれど、「だからこそ自分は『がんばろう!』と思うようになったんだ」と言っています。前向きです。

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 私は引っ越しなどの疲れが今頃になって出てきたのか、春先にインフルエンザにかかって寝込んだりと、体調を崩すことが続いていました。
 主治医からは「あなたは疲れを自覚しにくいようだから、疲れたと感じ始めたときにはすでにかなり疲れているんですよ」と警告されました。まったくその通りなので、今は少し疲れたと思ったら、無理せず休養するようにしています。

 私が寝込んだ間は、昇平と主人とで家事をしてくれたので、とても助かりました。
 昇平は米をといで炊飯器を仕掛けることをマスターしていたので、主人が仕事帰りにスーパーで総菜を買ってきて、昇平が炊いたご飯で食事にしていました。洗濯物も乾燥機があるので困らなかったし、モノのしまい場所もすべてラベリングしてあったので、「○○はどこ?」と聞かれることもありませんでした。
 今のアパートに引っ越してから、昇平に生活のしかたを教えるために構造化をしてきたのですが、結果として、私自身がそのことに一番助けられてしまいました。
 構造化は障害児・者だけのものではないですね。誰にとっても役立ちます。

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 写真は冬中美しく咲いて楽しませてくれた大小のシクラメン。
 暖かくなって、いよいよ花も終わりだと思っていたら、5月上旬に低温に冬が来たと勘違いしたのか、6月になってまた蕾が上がって花が咲き出してしまいました。このところの暑さに形は乱れてしまいましたが、こうしてまだ咲いています。びっくりです~。


 

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2018年3月 7日 (水)

昇平の部屋の現在の様子

 ご無沙汰しておりました。
 約2か月ぶりのてくてく日記です。

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 写真は今朝の昇平の部屋の様子。
 就労支援事業所へ出勤した後に撮影させてもらいました。
 私はまったく手を加えていません。昇平自身がこの状態を維持しています。
 入り口近くのハンガーには、帰ってきたら着替える服がきちんとスタンバイしてありました。


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 反対側から撮影した写真。
 ベッドの布団も自分で直していきました。
 もうちょっとしわを伸ばせば、もっときちんとした印象になるのだけれど、私はあえて手を出しません。
 だって、ここは彼の部屋ですから。

 ベッドの手前の床に置いてあるのはダンベル。
 今も毎朝かかさずダンベル上げ50回と腹筋をやっているそうです。
 ダンベルのおもりは最大にしてあるので、それぞれ5Kgの重さがあります。
 部屋に掃除機をかけるときにどかそうとすると、重くてずしっときます。
 よくこんなのを何十回も持ち上げられるなぁ、と感心します。

 部屋に掃除機をかけたり、毎朝窓の結露を拭き取ったりするのは、まだ私の仕事だけれど、自分でこれだけの状態をキープできているのだから、上出来だろうと思います。


 彼が小さかった頃、部屋は彼が散らかしたもので足の踏み場もない状態でした。
 彼に片づけやすいしくみを考え、片づけ方を教え、誉めたり、シールを貼る頑張りカードを作ったり。
 そのうちに、彼自身が「自分はモノが少ない方が落ち着くし気持ちよく暮らせる」と気がついて、自分でもそんな生活を心がけるようになりました。視覚的にうるさくないほうがいいのですね。
 引っ越しに当たって、思い切って持ち物を少なくしてきたので、彼にとって快適な状態を維持できているみたいです。

 あきらめないって大事なことだなぁ、と最近よく思っています。

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2018年1月13日 (土)

洗い物をしてもらうための工夫

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 前回までは昇平に昼食を作ってもらうための工夫と、実際に彼が作った昼食のレポートでした。
 でも、料理をして食べ終えたら、絶対にやらなくちゃならなくなるのが「洗い物」です。
 料理するのはいい、美味しく食べるのももちろんいい、でも食べたらそのまんま、台所は汚れ物で一杯――ではまずいです。我が家では、将来彼がひとりになっても、最低限の生活だけは自分で回していけるようになることが目標なので、洗い物までちゃんとセットでできるようにならないと困ります。

 これまでも、朝食の後には自分が食べた食器だけは洗って片づけてもらってきたのですが、今度は、昇平が家にいるときには、食事のたびごとに洗い物の手伝いをしてもらうことにしました。最初から家族全員の食器を洗って片づけてもらうのはハードルが高いので、まずは私が洗ったものを、昇平に拭いてしまってもらうことに。

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 ところで、私は普段、こんな食器かごを使っています。
 最近流行りの、洗った後の水が底面から流しの中に流れ出るタイプのもの。

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 これは洗い物の量に合わせて伸縮することができます。

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 広げたところ。幅14センチが25センチくらいまで広くなります。ちなみにカタログ通販のセシールのオリジナル商品です。


 ところが、洗いかごの横には冷蔵庫があって、その先は壁。そちら側に人が立つことができません。
 洗いかごの位置を洗い物のときだけ右に移動させたりもしましたが、それは私が面倒くさい。
 ついでに、スリムな洗いかごなので、洗い物を積み重ねる格好になって、うまく取らないと洗い物が雪崩を起こす可能性もあります。
 う~ん、昇平にはやりづらそう。どうしようかな……。

 と考えて思いついたのが、流しの右の調理台にタオルを敷いて、そこに洗い物を置く、というやり方。
 いえ、私のオリジナルではないです。これも片付けや収納の本を読んでいると、時々出てくるテクニックです。

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 タオルを敷くだけなら、昇平にだって簡単にできます。拭き終えたら、敷いてあったタオルで周囲を拭いて、後は洗濯カゴへポイできるところもいい。
 最初は普通のフェイスタオルを使っていたのですが、引っ越してから休日に洗い物を手伝うようになった旦那から「小さすぎて載りきらない」とクレームが出たので、スポーツタオルを敷くようにしました。

 洗い物に使うタオルはたたんでカゴにまとめて、カウンターテーブルの下に収納してあります。(一緒に、普通のタオルや昼食のときに下に敷くランチョンマットも入れてあります)

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 食器の収納場所は拭いている場所にすぐそばです。
 ご飯茶碗や汁椀や箸は調理台の下の引き出しの中。

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 それ以外の皿や器はガス台の下。

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 3つ上の写真に写っていますが、グラスはカウンターテーブルの上。写真はありませんが、マグカップはカウンターテーブルの下のかご、普通のカップは茶の間のリビングボードの中が定位置です。

 食器類は必要最小限しか持ってこなかったので、これ以外の食器の収納場所はありません。食器の数は以前の家の十分の一以下ですが、私たち3人で暮らしていくにはこれで充分だったりします。
 私は今流行りのミニマリストではありませんが、昇平がやり方や手順を覚えるために、生活はできるだけシンプルにわかりやすくしようと思っています。

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 食事の後の洗い物は私(休日は旦那)で、拭いて片づけるのは昇平。
 これにしっかり慣れたら、そのうちに昇平に洗い物をやってもらおうと思っています。そのときには、私が拭いてしまう人です。
 それもマスターしたら、調理器具の洗い方を覚えてもらいましょう。
 自分で自分の食事を作ったときに、食器も調理器具も全部洗って元の場所に戻せたら、百点満点のゴールですね。
 そこを目ざして、ステップバイステップですclover

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 ところで、先日昇平が作った昼食について、彼も自分のブログに書いていました。
 瀬文やつむというのが彼のハンドルネームです。
 彼は自分で昼食を作ってどう感じたか。
 よかったら読んでやって下さい。

http://no826.cocolog-nifty.com/blog/2018/01/826-e34f.html

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