2017年3月31日 (金)

新聞の読み聞かせをする

20170326hanamiyama
「花見山」の白梅 3月26日撮影


 今日で3月も終わります。
 昇平は毎日安定した生活を続けていて、毎朝元気に事業所へ出勤し、夕方「疲れた~」と言いながらも充実した様子で帰宅していますが、それ以外の大きな変化として「新聞」に関心を持つようになりました。

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 そもそもの始まりは、長い間彼を苦しめてきたネットでの悪口雑言の数々。昇平自身は反論の書き込みをしたりはしないのですが、納得のいかないひどい内容が多いのに、反論するどころかそこに賛同するような書き込みが多いことにもまた納得がいかなくて、ひいては社会全体に対する不信・不安にまでつながっていました。

 もちろん、それは情報を入れるチャンネルが偏っているから起きることなので、私たちとしても「それは一部の人たちだから」「冗談で大袈裟に言っているだけだから」と説明してきたわけですが、それを実際に確認する手段もないので、ずっともやもやしたものを引きずっていたようで、ときどきフラッシュバックのように吹き出しては、昇平を不安定にしてきました。

 そんな際のやりとりの中で、私が「現実の社会においては、そんなのは本当の一部分なんだよ。それを知りたかったら新聞でも読めば」と言ったら、昇平は一瞬考えてから、「うん、それじゃ新聞を読んでみる……お母さん、読んでくれる?」と言うではありませんか。
 新聞は情報量が多いので、いきなり彼に渡しても、文字がびっしり並んだ紙面に圧倒されて理解できないだろう、と思ったので、「いいよ、読んであげるよ」と引き受けました。
 かくて、夕食の片付けが終わって2階にあがったところで「新聞タイム」となりました。

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 我が家で購読しているのは、地方紙の「福島民報新聞」です。
 テレビの全国ニュースもそうなのですが、中央紙になると、どうしても日本中で大きな話題になったニュースを取り上げることが多くなります。そうすると、凶悪事件やびっくりするような大きな事故、事件、政治の不正の問題や海外のテロなど、不安をあおるような内容が増えてしまいます。
 でも、地方紙の場合は、もっと身近な、本当に自分の生活に即したニュースがたくさん載ります。ほのぼのした話題や、ちょっとした集まりや活動の報告もいろいろ載るし、福島県の場合、なんと言っても「震災復興」の記事が非常にたくさん載ります。
 実際に自分が暮らす社会を実感するには、地方紙の方が適切、という判断もありました。

 読みました。
 第一面のトップニュースから始まって、国際情勢、経済欄、家庭欄、地方のニュース、社会欄……。
 書かれていることをそのまま読んでも理解が難しいと思ったので、内容をかいつまみ、わかりにくいと思われることには解説をしたり、経緯を説明したり、ときには質問を投げかけてみたり。

 その日の新聞には韓国で沈没した旅客船セウォル号が引き上げられたというニュースも載っていました。
 セウォル号では船長をはじめとする乗組員が乗客を置き去りにして我先に逃げてしまったこと、修学旅行の高校生が大勢乗っていて、その多くが亡くなったことを説明すると、真剣な顔で耳を傾けて「怖いな」と言いました。
 冬の間閉鎖されていた観光道路の除雪が進んでいるというニュースには、道路脇に6メートルもの雪の壁ができていると聞いて、「すごい! 行ってみたいな!」と目を輝かせました。
 全部読み聞かせるのに30分以上かかりましたが、その間、時々ゲーム画面を眺めながらも、耳はこちらに傾けていて、全部聞き終わると言いました。
「この世界では本当にいろいろなことが起きてるんだね。なんだか安心したな」
「ネットでよく聞くようなことばが全然なかった」とも言いました。 

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 以来、毎晩夕食後に新聞の読み聞かせをするのが習慣になっています。
 本人が「今夜も新聞を読んでもらえる?」と言ってくるのです。
 なので、私のほうも、何年ぶりかで新聞を隅から隅まで読むようになりました。
 為替相場や粉飾決算の話などは、ニュースとしては大きく取り上げられているけれど、昇平にはまだわかりにくいのでパスしますが、それ以外のところは、見出しだけでも読んでやるようにしています。

 昇平としては、やはり、若者や子どもを巻き込んだ事件、事故に対する関心が高くて、那須スキー場での雪崩事故にも「怖いね」と言いました。私も「本当に痛ましいよね」と答えました。
 その一方で、美味しそうな記事や楽しそうなニュースにも関心は高く、昨日は、ナポリタン選手権に出場が決まったという、ナポリタンスパゲティとインドカレーの合い盛りに、「食べてみたい~」と言いました。
 その日の新聞の中でどの記事が一番印象に残ったか最後に聞くのですが、トップニュースではない、身近なニュースに関心を持つことも多くて、こちらとしても面白く感じています。

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 そんなこんなを続けているうちに、昇平はラジオやテレビのニュースにも関心を示すようになってきました。
 これまでは流れていても我関せずと言う感じで無関心でいるか、目にしてしまった映像にショックを受けて不安定になるかだったのですが(だから、昇平が来るとテレビのニュースを消していた時期もありました)、今はじっと耳を傾けて、自分なりの感想を言うようになってきました。
 不安になるような内容のニュースのときにも、「でも、世の中はそういう悪いことだけじゃないと思うんだ」と言うようになってきています。
 新聞に載っている膨大なニュースから、世の中では悲喜こもごも、様々なことが起きているのだということを、少しずつ実感してきているのだと思います。

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 昇平のそんな様子を旦那に話して聞かせたら、「ほう」と感心した後で、「でも、最近は新聞を全然読まない若者が増えてるよな。で、スマホでネットばかり見てるわけなんだが、ネットはどうしても情報量が少なくて、しかも偏ってるから、これまでの昇平のように社会をきちんと理解できないでいるヤツもけっこう増えてるんだと思うぞ」と言いました。
 それは……確かにそうなのかも。

 広汎性発達障害のために、生まれたときから社会を理解することに困難を抱えている昇平。
 でも、その障害で苦しい思いをしてきているからこそ、いま彼は自分からがんばって社会を理解しようと努力しています。
 我が子ながら、偉いなぁ、と思う一方で、彼よりもっと楽に社会が理解できるのにそれをやらない若者が増えているという事実に、なんとも複雑な気持ちになったりもしたのでした。 
 難しいですね。


【写真の解説】
 福島の「花見山」が明日4月1日から観光シーズンをスタートします。
 「福島に桃源郷あり」と言われた花の名所に一足早く行ってきたのですが、白梅が満開で、山全体が梅の花のいい香りに包まれていました。桜の見頃は4月中旬頃のようです。

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2017年3月18日 (土)

近況と就労支援事業所の父母会に思う

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 てくてく日記の更新が2か月ぶりになってしまいました。
 先月も昇平が通う事業所の父母会はあったのですが、私自身がものすごく多忙で(年度末が近づいていたので、やるべきことや仕事が一度に重なりました)、ブログまでとても手が回らなかったのでした。
 今もまだ忙しいのですが、徐々に仕事が片付いてきたので、少しずつ余裕が出てきた気がします。


 さて、本題の昇平の近況ですが――

1.今も仕分け作業の研修をがんばっています。
 事業所の利用者8名と指導員2名でユニットになって、ホームセンターの商品を仕分ける工場へ行き、納品する店ごとに商品を仕分けたり、その商品を入れたコンテナを台車に積み込む作業をしたりしています。
 年が明けて繁忙期が過ぎたので、今は火、木、金の3日間が仕分け作業、水曜日は事業所で半日の研修や内職、土曜日はイベントや研修に参加、というパターンが多くなっています。
 仕分け作業にもずいぶん慣れたようで、ユニットのメンバー同士の仲も良く、みんな前向きに良くがんばっているようです。

 事業所での研修は、イベントの準備をしたり、就職が決まって卒業していく人への色紙作りをしたりすることが多いのですが、昇平は絵が得意なので、イラストを任されたりするようです。上の写真は節分イベントの豆まきの的にするために、昇平が描いた青鬼です。(右の鬼は別の利用者の作品)
 内職は、ボルトとナットを組んで袋に入れる作業などをしたようで、たまたま見学に来た支援学級の中学生たちが、その様子を見て「みんなものすごく集中してやっていて、すごいと思った」と感想を寄せたのだそうです。数も多かったので、その日事業所にいた利用者総動員で、力を合わせてノルマをやりきったのだと聞きました。


2.休日はのんびり。月曜日はフリースクールへ。
 半日のイベントや研修を終えた後、土曜日は外食をして帰宅。ファミレスやハンバーガーショップ、ラーメン屋、回転寿司屋など、その日の気分で行く店を変えています。昼食代としてワンコイン(500円)を渡しているのですが、それでは足りないようで、足が出た分は自分で稼いだお金から支払っています。

 月曜日は仕分け作業のメンバーは休日になっているので、出勤日数が不足しない限りは、昇平も休んでいます。2月はほぼ毎週月曜日が休みだったので、久しぶりで連続してフリースクール「みんなのひろば」に行くことができました。
 「みんなのひろば」は昨年10月に新しい建物に転居。今までの場所から歩いて5分程度しか離れていないのですが、とても綺麗で広々とした建物なので、子どもたちはいっそうのびのびと過ごしているようです。昇平も休日を満喫して、リフレッシュしてまた仕事に行っています。

 3月11日で東日本大震災から丸6年が過ぎましたが、あのとき、「みんなのひろが」が使用していた建物が被害を受けて存続の危機に陥り、ネットで支援を呼びかけたら、本当に大勢の方たちが義援金を寄せてくださいました。今でもあのときの感謝の気持ちは忘れません。私たちが、そして、昇平たちが、「自分たちは多くの人たちから応援されているんだ」と感じた瞬間でした。
 新しい建物に引っ越してから数ヶ月が過ぎてしまいましたが、転居報告のページというのを私のサイト内にまとめたので、よろしかったらご覧下さい。新しい建物の写真が載っています。
   ↓
http://asakuratown.sets.ne.jp/bokin/new-hiroba.html


3.事業所の父母会の総会終了。私は新年度の会長に。
 これに関しては、書いた通りです。
 立ち上がってまだ1年半しかたっていない父母会なので、何もかも手探りの第一期が終わり、いよいよ第二期に突入。私は会計だったし、ネットも得意なので、何かと会長のお仕事を手伝っているうちに、新しい会長を引き受けることになりました。

 私が所属している親の会の『福島とーます!』だったら、メンバーの入れ替わりもあまり激しくないので、同じメンバー同士気心が知れ合っているし、何年も活動していくうちに仕事も覚えて、今では「あ・うん」の呼吸で運営が進んでいきます。(ちなみに、私はこちらでは広報と支部の共同代表を務めています)
 でも、就労支援事業所の場合、利用者は就職が決まればどんどん抜けていきます。ということは、その保護者も抜けていくということ。年度の途中でも抜けるので、学校のPTAより入れ替わりは激しくて不規則です。しかも、学校ならばPTAの歴史は長いので、もうシステムが確立しているし、先生方も強力に保護者役員をサポートしてくれますが、就労支援事業所の、できたばかりの父母会では、そういうわけにはいきません。こちらでアクションを起こさずに受け身のままでいると、あっという間に空中分解してしまうでしょう。

 でも、初代会長さんが本当に一生懸命会の立ち上げに携わってくださったので、利用者の保護者の半数近くが父母会に参加してくれています。学習会や研修、相談会を兼ねたお茶会など、活動もけっこう活発にやってきました。例え就職して卒業したとしても、その後の定着支援というものがあるので、卒業後も事業所とはつながっておいたほうがいいし、保護者同士の情報交換にもとても価値があります。
 せっかくのこの気運をなくしたくない、と本当に思います。
 立ち上げるのはとても大変。人と人とを結び合わせるのも本当に大変。でも、せっかくここまでうまい感じに進んできたのだから、これを次の代の保護者につないでいきたい。
 そのために、今、いろいろと準備をしているところです。
 新しい役員の皆さんと協力しながら、中継ぎ投手のような会長になれたらいいな、と――そんなことを考えているこの頃です。

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2017年1月20日 (金)

就労支援事業所の父母会

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 昨日また昇平が利用している就労支援事業所の家族会があったので、参加してきました。
 午後2時頃からまず役員会が始まり、その後、父母会主催の懇談会、会社(=事業所)主催のご家族と語る会、昇平の指導員との個別面談、という流れになっているので、全部終わるのは夕方6時くらいになります。
 夜の暗い中を運転したくないし、最近は雪道も不安なので、家族会には電車で福島まで行くようにしています。そうすると、行き帰りの電車の中で好きな本が読めますし。

 少しだけ早めに出かけて福島駅前でランチを食べるのも、密かな楽しみです。最近のお気に入は「イヴのもり」という小さなレストラン。雑居ビルの2階にある、隠れ家みたいな店なのですが、口コミで人気になってきたみたいで、今回は昼時のサラリーマンで店内がいっぱいでした。
 写真は週替わりのランチ。ソーセージとベーコンと冬野菜のポトフ、ライス、スープとサラダ、ドリンクというセット。プラス100円で頼んだデザートは、クリームチーズのムースと洋梨のコンポートで、とろけるような美味しさでした……。

 おっと、これは「昇平てくてく日記」でしたね。肝心の昇平のご報告に移らなくては。
 ただ、家族会に参加するのは昇平のためだけれど、こんなふうに、一人でふらっと美味しいランチの店に入ったり、好きな本をゆっくり読んだりする「楽しみ」も、自分自身が元気でいるためには大事なことじゃないかな、と思うのです。
 我が子が元気にがんばれるように、親はいつも励まし続けるけれど、そんな親だって、自分自身が元気になるための息抜きや楽しみは必要ですからね。

 さて、閑話休題。本題に入ります。

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 昇平は引き続きホームセンターの商品仕分けの作業を続けています。
 個別面談で指導員のAさんから様子を伺いましたが、現在は6人の利用者+2人の指導員でひとつのユニット(=持ち場)を担当しているそうです。近いうちにまた2人新しい利用者が入ってくるとか。

 昇平たちは朝は9時までに事業所に集合して、全員でワゴン車で仕分け工場へ移動。10時に作業を開始して、12時から昼休み。ただ、12時45分には昼礼が始まるので、実際の昼休みは35分程度だそうです。
 その後、午後1時からまた作業が始まって、水曜と木曜は午後3時まで、火曜と金曜は午後4時まで。3時に少し休憩はあるようですが、とにかく時間内はずっと立ち通し、働き通しです。
 昇平はそれだけの時間、集中して作業できるようになったし、同じユニットの中で商品が集中して忙しい人がいると、自分からさっと手伝いに行ったりしているそうです。
 積極的なのは他の利用者も同じようで、昇平が忙しくなると手伝ってくれるし、仕事が終わった後の日報にも、みんな「今日はがんばった」「明日もがんばる」「またがんばります」という報告が並ぶそうです。
 ユニット全体が良い雰囲気なのですね。
 その日の朝、到着が遅かったり休んだりしたメンバーがいると、皆で「どうしたんだろうね」と心配しているそうです。

 そんな我が子の元気な姿は、親にとっても嬉しくて、父母会主催の懇談会でも仕分け作業の話題が出てきます。
 とても順調だし、本人も張り切っているから、そこに就職できたらいいなと思う。だけど、工場が福島市の外れのほうにあって遠い。どうやって通わせたらいいかしら? と具体的な心配もあがってきています。
 実は私も昇平について同じことを心配していました。彼の場合、福島駅まで出るのに電車で30分。そこからさらにバスに乗って仕分け工場まで行くことになるけれど、バスの本数は? 悪天候などで公共交通機関が動かないときはどうしたらいいだろう? 親の心配、特に母親の心配は本当に具体的になります。
 私の心配のしすぎかな、とも思っていたのですが、同じ場所で研修している利用者の親の多くが、同じことを心配していると知って、ちょっと気が楽になりました。
 こういう心配や悩みも共有できるのですから、やっぱり父母会は大事ですよね。
 将来、職場に近いところにアパートに寮のようなグループホームを作って、そこからみんなで通えたら面白いかもしれないなぁ、なんてことも思いました。

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 父母会主催の懇談会は、今回は指導員さんにも参加してもらって、保護者からの質問にもいろいろ答えてもらいました。普段我が子と関わってくださっている指導員さんの温かい思いにたくさん触れることができて、とても良い時間でした。
 こういう就労支援事業所での父母会は、利用者がどんどん就労して卒業していくので、入れ替わりが激しくて活動がなかなか難しいのですが、あればやっぱりいろんなメリットが生まれてきます。
 まだ成立して1年半の、よちよち歩きの父母会だけど、大事にして、先に続けていきたいなぁ、と思います。
 ……というようなことを考えていたら、来年度の父母会の会長のなり手がいなくて、私に回ってきてしまいました。3月の総会で承認されたら、ですが。(汗)
 力不足ではあるのだけれど、父母会をやってくる中で仲良くなったり、毎回積極的に顔を出してくれる保護者も何人も出てきているので、みんなで力を合わせながらやっていけたら、と思っています。
 昇平のために、そして後に続く人たちのために――。


(写真)
昨日のランチと我が家の玄関先の花たち

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2017年1月 7日 (土)

祖母の入院と年末年始

 前回のてくてく日記の更新が昨年の12月18日。
 まだ1か月経っていないので、「おや、早いな?」と思われる方もいらっしゃるでしょうか。

 実は、昨年末に同居の姑(昇平の祖母)が手術をすることになり、それに併せて家族全員が相談したり協力したりして、年末年始を無事に乗り切ったのでした。
 もちろん、昇平もいろいろがんばりました。
 今回のブログはその話です。

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 姑の病気が見つかったのが11月後半、その1か月後に入院・手術だったので、本当に家中大慌てで準備をしたのですが、その中で一番大きな問題だったのは、昇平ではなく同居の舅のことでした。
 すでに86歳。最近は認知症の症状も少しずつ進んでいて、家にひとりきりにしておくことはできません。幸い、非常に思いやりがある高齢者施設が見つかり、姑の入院中ショートステイできることになって、そちらはひとまず問題解決となりました。
 それから、昇平に祖母の入院と手術の話を教えたところ、まず「おばあちゃんは大丈夫だよね!?」と心配してから、次に「その間、おじいちゃんはどうなるの?」と祖父の心配。昇平も、最近の祖父は祖母なしではいられないことがよくわかっています。面倒見の良い施設に泊まっていてもらうのだ、という話をしたら、安心していました。

 ただ、もうひとつの問題は、私たちが留守のときに昇平が家に帰ってきたときにどうするか。
 大家族の生活なので、昇平はこれまで、誰もいない家に帰ってきた経験がありません。でも、手術の日には私も旦那も病院にいることになるので、おそらく昇平は留守宅に帰宅することになります。昇平はこれまで、自分で家の鍵を開けて家に入ったことさえないのです。
 これもいい機会、と考えることにして、新たに合い鍵を1本作り、昇平に渡して開け方などを教えました。
 昇平のほうも、「わかった」と言って、鍵を大事にしまいました。

 その後、いろいろあったのですが、結局昇平は2回、自分で鍵を開けて帰宅しました。
 一度目は暗くなってからの帰宅だったので、本人もけっこう不安だったようなのですが、「家の中の灯りをひとつずつつけていったら、そのうちに平気になってきた」そうです。
 ちょうど生協の注文品が配達されていた日だったのですが、それも玄関の外から台所に取り込んでくれました。
 私より先に帰宅した旦那の話によると、お風呂もちゃんと沸かしてあったそうです。
 それなりの準備と説明があった上でのことですが、これだけのことがちゃんとできるようになっていたんだなぁ、と頼もしく思いました。

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 姑の術後は順調で、暮れも押し迫った30日に無事退院することができました。
 同じ日の午前中には舅もショートステイから帰宅。
 そして、30日の夜には、関東で暮らしている長男も年末年始休を取って帰省してきました。
 今回は正月に私の実家へ年始に行かなかったので、家族6人揃って、年末年始を一緒に過ごしました。
 これも非常に珍しい経験でした。

 舅姑たちが帰宅する前日の12月29日には、その日から年末休みに入った昇平の手を借りて、家庭菜園の白菜の収穫もしました。
 白菜の外葉をむしり、根を切り落とし、新聞紙でくるんで倉に貯蔵します。こうすると一冬ずっとおいしく食べることができます。
 例年は舅姑と私でやる作業なのですが、今年は二人とも畑仕事ができる状況ではありません。だからといって、畑に白菜をそのままにしておけば、舅が気をもんで無理するとわかっていたので、 昇平の休みを待って2人で収穫したのでした。
 作業を始めてみてびっくり。昇平がものすごくよく働きます!
 以前だったら、15分も作業をしたら「疲れた」「もうやりたくない」と言い出していたし、仕事にもムラがあって、たいした手助けにならなかったのですが、今回は黙々と作業を続けて、外葉をむしり、私に渡し、私が根を切ると、新聞紙でくるんでいく……結局20個の白菜を30分あまりで全部始末して、山のように出た外葉も、庭の片隅のゴミ捨て場までどんどん運んで、あっという間に片づけてしまいました。絶対に半日かかると思っていた仕事が1時間で終わってしまって、びっくりするやら嬉しいやら。
 事業所で毎日仕事をしていることが、確実に実力になっているんだなぁ、と改めて感じました。

 その後、神棚の掃除なども手伝ってくれて、年末に大活躍の昇平でした。

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 さらに、大みそかの日の夕方。
 神棚から外した古い神様のお札を、近所の寺の送り火で焼いてもらうのですが(何故お寺で神様のお札を焼けるのかはよくわかりませんが、昔からそういう習わしになってます)、私は年越蕎麦の準備で手が離せないので、昇平と長男にお寺までお札を収めに行ってもらいました。
 往復30分ほどかけて、てくてく2人で歩いていったのですが、帰ってきてから昇平が「歩きながら兄さんといろんな話をしたよ! 楽しかった!」と嬉しそうに報告してくれました。
 長男は長男で、「昇平はずいぶん話せるようになったんだな。普通に会話できたよ。よかったよかった」と、弟の成長を喜んでいました。
 兄弟でお寺まで行ってもらって良かったなぁ、と私も思った出来事でした。

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 年が明けた1月1日、初詣のついでに家族4人で引いたおみくじは、旦那と私と長男は「末吉」、昇平は「吉」。
 実際、昨年もいろいろあって、年末にとどめのように姑の入院もあったわけですが、末吉は吉籤の中では一番下なので、「ここから上向いていくってことだよね」と家族で言い合いました。
 昇平は昇平で、「ぼくはこのくらいの幸運でちょうどいいな」と謙虚なことば。
 めでたさも中ぐらいなり、おらが春――で今年一年も過ごせたらいいな、と思った、この正月でした。

 
 本年も、私たちとこの「てくてく日記」をどうぞよろしくお願いいたします。

 

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2016年12月18日 (日)

最近の昇平の様子

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 今朝の空


 昇平が通っている就労支援事業所では、毎月ご家族と語る会を開いているので、私は毎月出席して、事業所の方針や運営状況などを聞き、さらに個別面談も必ず申し込んで、担当の支援員から昇平の様子を聞くようにしているのですが、今月は残念ながらどうしても都合が合わなくて、出席することができませんでした。
 しかたがないので、私が昇平から聞いた話などを元に、昇平の最近の様子を報告します。


1)研修は今月も商品の仕分け作業でした
 先月に引き続き、ホームセンターの商品を店ごとにオリコン(折りたたみ式コンテナ)に入れて流す作業をやっています。作業にもだいぶ慣れてきたようで、曜日によっては仕分けたオリコンが流れてくる先で待ち構えて、貼ってあるシールを見て、行き先ごとの台車に積む作業もしているようです。
 オリコンを台車に積む作業のほうが重労働なのですが、昇平はそれ以前に廃品回収の研修をしているので、「こういう作業には慣れているんだ」と余裕の発言。箱の積み方などにルールがあるようなので、今はそれを覚えるのに一生懸命でいるようです。
 商品の仕分けの日には、流れてくる商品を眺めるのが楽しいようで、「ペット用の餌やおやつが特に面白いんだよ。ササミ入りなんとかとか、○○配合とか……人間も食べてみたくなるんだよ」。う~ん、確かに最近はペットの餌も健康志向だから、人間用にレベルが近づいているかもね。


2)体がいっそう引き締まりました
 約2年前、高校を卒業する頃の昇平は、身長173センチくらいで体重が81.6Kg。肥満度を表すBMIは27.8でした。標準BMIは22ですから、かなり太っていたわけです。
 その後、食べる内容や量に気をつけたり、筋トレなどの運動を取り入れたりして体重が落ちていきましたが、就労支援事業所で研修を始めてから、それがいっそう進み、力仕事をすることも多かったので、今朝の数値で体重69.8Kg、BMIは22.7でした。体重は12Kg近く減ったし、体つきもがっしり筋肉質になって、とてもたくましくなりました。
 だから、重いオリコンを台車に乗せ替える作業もこなせるのでしょうね。
 もちろん、仕事を終えて家に帰ってくると、第一声は必ず「疲れた~!!」なのですが、ご飯を食べてお風呂に入って、好きなゲームをして寝れば、また元気に「いってきます!」と出勤してくれます。
 若さもありますが、昔の体力のなさが嘘のようだなぁ、と思って見ています。


3)勤務時間が長くなってきました
 仕分け作業の研修があるのは火曜日から金曜日までなので、朝6時に起きて7時15分には家を出発、電車に乗って福島まで行き、そこから先は同じ研修先の人たちと施設の車に乗って研修先に向かいます。
 以前は午後3時までの作業だったのですが、彼らの仕事ぶりが認められたようで、「年末で出荷量が増えてきたからもう少し手伝ってほしい」と言われ、火曜日と金曜日は午後4時までの作業になったそうです。時間が延びるときには、事前に指導員から保護者に電話で連絡もありました。


4)土曜日はイベントの日
 土曜日は仕分けの仕事はなくて、事業所で1週間の振り返りをしたり、イベントに参加したりします。
 イベントもパソコンの研修を兼ねて年賀状を作ってみたり、クリスマスカードを作ってみたり、カラオケに行ったり、ミニゲーム大会をしたり。昨日はハローワークにも行ってみたそうです。「パソコンみたいな端末にいろいろ条件を入れて検索するんだけど、意外とないんだよ。全然ヒットしなかったこともけっこうあったんだ」とは、ハローワークから帰ってきた昇平の話。やはり、いくら障害者枠での就労を目ざしても、なかなか自分に合った職場を見つけるのは大変なようです。だから、こういう就労支援施設を利用して就職先を一緒に探してもらうんですけれどね。
 月曜日は原則として休みのはずなのですが、出勤日がその月の日数マイナス8日と定められているので、12月のように年末休みが入るときなどは月曜日にも出勤するようになります。
 月曜日に研修がない日はフリースクールに行くことにしてあって、本人もそれを楽しみにしているのですが、思ったようには行くことができずにいます。でも、それでも文句を言うことなく、仕事を優先して出勤するのだから、昇平は偉いです。(親馬鹿)
 土曜日と月曜日の起床や出勤時間は、仕分け作業の日より1時間遅くなります。


5)夜寝るときのこと
 昇平はもう21歳になりましたが、震災後に精神的に非常に不安定になったこともあって、いまだに夜は母の私と布団を並べて寝ています。
 自分だけの時間や部屋がそろそろ必要になっているのは見えているし、最近はずいぶん安定してきたので、こんなふうに一緒に寝るのももう少しだろうとは思っているのですが。
 先日、「そろそろ別に寝ようか?」と聞いてみたら、「え~」と言ってから、しばらく考えて、「もうしばらく、この形がいいな」と言います。
 というのも、夜、枕を並べて寝たときに、昇平のほうからその日いろいろ考えたことを私に話し、私がそれを聞いて返す、というやりとりがとても多いからです。
 内容は、社会に対する不安や他人に対する恐怖のことが多くて、「ぼくはこういう人たちは○○なんだと思うんだけど」とか「こういう人たちは△△だと思うんだよ」などと、本人なりにその不安や恐怖を乗り越えるために、あれこれ考えついたことを、私に確認してきます。
 でも、それがすべて正しいわけではなく――なので私は「そういうことを言う人って□□な気持ちなんだと思うよ」とか「世の中、そんな言動をする人はほんの一握りなんだよ。だって、君が今日、研修に言って帰ってくる間に出会った人のことを思い出してごらん? そんな過激な発言や行動をする人たちっていた?」などと、返してやります。
 そうすると、昇平は「え~?」と言い、時には涙ぐみ、時には腹を立て、でも、いろいろ話し合ううちに少しずつ事実の整理も進んでくるようでした。つまり、夜、一緒に寝る時間というのは、私が昇平の考えの混乱や偏りを「整理する」時間になっていました。


6)最近気がついてきたらしいこと
 「そろそろ別に寝ようか?」「え~、もう少し」というやりとりをした後、昇平はまたいろいろ考えたようで、こんなことを話してくれました。
 「ぼくは、これまで自分と違う考えの人をなんとか改めさせようとしてきたけれど、今はそんなことはする必要がないと思うようになってきたんだ。だって、人の考えは人それぞれでいろいろなんだから。だから、ぼくは自分が違うと思ったことを言う人のことは、そのままそっとしておいて、黙っていようと思うんだ。そのかわり、ぼくが自分で思うことにも、もうこれ以上あれこれされたくない。振り回されるのはもうごめんだって思うようになったんだ」
 もちろん、昇平はこんなにスムーズに話すことはできません。言いたいことばがなかなか出てこなくて、つまづいたり考えたり、途中で何度も同じ話を繰り返したり。だけど、根気強く耳を傾けていると、上記のようなことを話してくれました。
 昇平の一番の悩みは、ネットで、あるいは目に入るさまざまなメディアで、社会に対する不安をあおったり、人を傷つけるようなことばが平気で大量に書き込まれること。どうしてもそちらからの情報が強く入ってくるので、社会全体への不安や不信感につながってしまうのです。
 もちろん、以前、中学校で周囲とうまくやれなかった人間関係の失敗も、経験として追い打ちをかけています。
 そういうものを目にするたびに、昇平は「どうしてこんなことを言うんだ!?」「こんな奴らはいなくなるべきだ!」と腹を立て、「自分はこういう人たちに殺されるかもしれない」と恐怖にかられ、大丈夫かもしれないと思ったときにまたネガティブな書き込みを目にして落ち込む……ということを繰り返してきました。
 でも、ここに来てようやく、「そういう発言をする人たちも、実際にはそこまで深刻に考えてはいない」ことや、「人にはそれぞれの考えがあるんだから、自分と違う考え方であっても気にしない。スルーする」ことを考え、さらに、「だから、他人の意見に自分自身の気持ちを乱されたくない」と強く考えるようになったようでした。
 ああ、ここまでわかってきたんだなぁ、と思うと感無量でした。
 他人が自分と違う意見を言ったときに、それを我慢できなくて、なんとか自分の考えに合わせさせようとする「大人」も少なくないのが現実なのに。
 「偉いね。その考え方は本当に素晴らしいと思うよ」と言うと、昇平は満足したような様子で、そのままぐっすりと寝入りました。
 こういう考え方がしっかり自分のものになったときに、私と一緒に寝ることも終わりになるのかもしれません。
 きっと、彼自身から、「もうひとりで寝られるよ。もう大丈夫」と言ってくるような気がしています。 


7)天気だけが気になります
 こんな具合に昇平が落ち着いてきたのは、やっぱり事業所での研修が順調にいっているからです。
 「自分でもできる」「自分にだってやれる」ひいては「誰かの役に立っている」という実感と、それによってお給料(工賃)がもらえている、という事実。
 自分は社会の中でちゃんとやっていけるんだ、という実感が育ってきているのでしょう。
 それを途中でだめにしたくはないと思うし、休むことも遅刻することもなく皆勤を続けているので、それも続けさせていきたいと思っています。
 ところが、冬になって天候が急変する日が増えてきて、いきなり強風が吹いたり雪が降ったり、そうそう、大きな地震が来た日もありました。
 そうなると停まるんです、電車が。遅れることもしょっちゅうです。
 電車がだめならバスで、なんて言うこともできない、交通過疎地に住んでいるので、電車が使えないとなると私が車で彼を福島市まで送ることになります。そういう日は道路も混むので、研修の集合時間に間に合うかどうか、心配しながらの送迎になります。
 スマホに天気予報と電車の運行状況を知らせるアプリを入れておいて、天気の悪い日には緊急連絡が入るんじゃないかとハラハラしながら、毎日朝食を作っています。


 長くなりましたが、以上が最近の昇平の様子でした。
  
 

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2016年11月19日 (土)

新しい研修先は仕分け作業

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「夜明け」(2016.11.16撮影)


 更新がすっかり月一度になってしまった「昇平てくてく日記」ですが、昇平も私たちも元気でやっています。

 前回の日記でも書いたとおり、昇平の研修内容が変わりました。今度は県内の大手ホームセンターで販売される商品の仕分け作業です。
 大きな倉庫の中で、ベルトコンベアで流れてくる商品を店ごとの箱(オリコン)に入れ、いっぱいになったら配送用の台車に行くベルトコンベアへ流すという内容のようです。
 発注が多くて扱う商品が多いときにはベルトコンベアに貼り付きですが、そうでないときには流れてきた箱を台車に乗せる作業などもするとか。
 昇平を含めて7人の利用者が、福島駅前の事業所から車で研修先へ行き、2人の指導員の指導の下で5時間(昼休み込み)作業をして、また車で事業所へ戻り、その日の日報を書いて帰宅する――というパターンになっています。
 ちなみに、そこでは常時50人くらいの職員が同じ仕分け作業をしているそうで、時間で交代するシフト制。けっこう大きな会社です。

 昇平は新しい職場に変わっても、そこでの作業のやり方をきちんと教えてもらえれば、変化そのものにはけっこう対応できます。
 それでも、事業所のほうでは昇平に気を遣ってくれたようで、回収作業の最後の日には、作業が終わってからスタッフが「事務所で使いたい材料を買いに行くからつきあって」と言って、昇平を大手ホームスーパーに連れていって、店やそこで売られているものなどを見るように仕向けてくれたようです。ありがたいことです。
 研修先が変わるに当たっても、いきなり翌日からではなく、事業所で少し座学などを挟みながらおもむろに仕分け作業の説明をして、週末の金曜日に体験、月曜日から正式に研修開始という流れでした。新しい場所で新しい作業をやって疲れても、週末にひと休みして、月曜日から本番――ということだったのだと思います。
 なるほど、利用者たちができるだけスムーズに新しい研修先に慣れるように、いろいろ気を配ってくれているんだなぁ、と感心しました。

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 ところで、昇平は就労移行支援という区分で事業所を利用しているのですが、2年間限定のこの期間に昇平くらい数多く研修をしている利用者はまだいないらしいです。(出来てからまだそれほど年月が経っていない事業所だということもありますが)
 昇平は7月から利用を始めて、最初は事務所内でビジネスマナーやパソコンの講義や、事業所で営業していたレストランの飾り付けの製作など、事務所内で出来ることをしていましたが、8月からタウン新聞の折り込みと配布というポスティング作業に取り組み、12月頃からは人参の皮むき作業も同時に始まり、翌年3月末からは事務所の外にある作業所で人参の皮むき作業専門になって、「人参作業のエース」とまで呼んでもらえるほどよく働き、6月末からはガラッと変わって廃品回収の車に同乗する回収助手になり、そして今月11月からはホームセンターの商品仕分けの研修に移ったわけです。

 昇平はどこの研修先でも真面目に一生懸命取り組むので、どの作業の指導員にもとても誉めていただきます。本人も、いろいろなことが出来るようになってきたという実感があるので、着実に自分への自信を深めています。もちろん、出来ないこと、足りないことはたくさんあるのですが、それでもひとつずつの作業を通じて仕事のスキルを上げてきています。欠勤も遅刻もせず、一緒に働く仲間に配慮しながら、時間内に決められたことをきちんとこなしている彼を見るにつけ、その成長ぶりに、家族の私たちが驚かされています。よくぞここまで……。

 いろいろなところで、様々な仕事の経験を積んで、その中で自分に合った職場を見つけて就労していく。
 それが理想のパターンだなぁ、と考えてはきたのですが、実際にそうなっていきそうな昇平を見て、嬉しく思ったり驚いたりしているこの頃です。
 今の研修先に就労する可能性も高いので、私と主人は「そこまでどうやって通うか」(就労してしまえば、今度は自分で職場まで通わなくてはいけないので)を考え始めています。

 とにかく、これからもがんばれ、昇平! みんなで君を応援してるからね。

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2016年10月22日 (土)

一般就労が見え始めた

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 お久しぶりです。「月刊てくてく日記です」(笑)
 相変わらず昇平は順調で、家庭生活ではネタになることがあまりないので、先日事業所のご家族と語る会で聞かせてもらった話を中心に、日記を更新しようと思います。

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 まずは、ちょっと堅い話から。

 国が障害者への支援についてを定めた「障害者支援法」はどんどん変革されていて、雇用支援を行っている事業所に対する内容も様々に変わりつつあるようです。
 昇平のように就労支援を受けている障害者は、その形態からA型、B型、移行支援の3種類に分かれていて、昇平は移行支援と呼ばれるグループに所属しています。これは支援機関が2年間と定められているのですが、その期間中に就労できない場合も、昇平のいる事業所ではB型のメンバーになり、やがて雇用契約を結んで作業をするA型メンバーになり、一般就労に到達する――というのが大きなモデルパターンでした。もちろん、B型でいる期間でも、一般就労できる人は就職していきます。
 ところが、国はこの中のA型の利用者への支援を減額し始めました。背景には、マスコミなどでもさかんに取り上げられている、福祉財政のひっ迫があります。今までのようなオールラウンドの支援はできなくなってきているし、早く障害者に就労して納税者になってほしいという意図もあるのでしょう。A型になると利用者も家族も安心してしまって、一般就労できる力があるにもかかわらず就労を目ざさなくなる、というケースも少なからずあって、それも問題視されているようです。

 以上のような情勢の変化から、事業所としてもA型の雇用支援事業を縮小して、B型や移行への就労支援を今まで以上に積極的に行わなくてはいけなくなった、というのが、事業所の経営側からの説明でした。
 その流れを受けて、事業所が展開していたレストランは今月いっぱいで閉鎖が決まりました。「ちょっぴりへこんだ?」の記事のトップに写真を貼り付けたところです。健康に良いメニューが食べ放題で味は良かったし、先日、保護者会でも食事会を開催して大成功だったので、閉店はとても残念なのですが、国の方針による影響となると、いたしかたないところです。
 昇平たち利用者も、今まで以上に積極的に就労を目ざすことになります。ここで話がようやく昇平につながってくるのですが、昇平にも一般就労が現実のこととして行く手に姿を現し始めました。

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 昇平は去年の7月から正式に事業所を利用し始めたので、今月で1年4か月になります。移行支援の残り期間はあと8か月です。
 これまでの日記にも書いてきたとおり、昇平の勤務態度は非常に真面目で積極的です。担当スタッフとの個別懇談では毎回本当にたくさん褒め言葉を聞かせていただくのですが、それは決してお世辞でもヨイショでもないようです。今回もスタッフのひとりから「昇平さんの働いている姿をご家族の方に見ていただきたいくらいです。本当に立派ですよ。健常の方の働く様子と少しも違いません」と言っていただきました。
 こうなると、移行支援の期間が終了する2年を目処に就労する可能性が、現実のものになってきました。家族としては、「まだまだ幼い。移行が終わったらB型になって、もっともっと時間をかけてスキルを伸ばしてから就労を」などと考えていたのですが、予想より早く社会人になってしまうのかもしれません。嬉しいようなとまどうような、心配だけど思い切ってやらせてみたいような。親としてはそんな複雑な気持ちでいます。

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 今回は時間がかなりあったので、これまで昇平を担当してくださったスタッフ4人から、個別に話を聞かせていただくことができました。
 その内容をトータルすると

・勤務態度が非常に安定していて真面目。欠勤・遅刻はないし、作業内容が終わるまできちんとやりきる。
・取引先への挨拶やことばづかいもしっかりできている。
・回収作業の仕事の内容は完全に覚えて、指示されなくても自分から動いている。
・相方が4人いて、その中の誰になるかその朝まで分からないのだが、心配せずに誰とでも働けるようになった。
・相手に合わせて言ったりやったりすることができるようになった。(これには事業所のスタッフたちも感心しているとか)

 「仕事の内容さえ覚えられれば充分一般就労できるでしょう」というのが、昇平と一番多く組んで作業をしてくださったスタッフのTさんの評価でした。ただ「まだ若いので、もっといろいろな経験をしてスキルを伸ばしてからでも良いかな、とも思いますが」とも。
 事業所には30代、40代、50代の利用者も来ていて、その方たちの場合は一日も早い就労が課題なので、それに比べたら昇平にはまだまだ時間がある、だから、じっくり構えてもいいかもしれない、と迷うところがあるようです。

 回収作業では、「ちょっぴりへこんだ?」で苦手意識を持ってしまったスタッフのMさんと、先週からまた組むようになっていますが、それも「誉められた」「うまくできた」「ちょっと注意されたけど、次に頑張ればいいから明日は気をつける」などと言うようになって、また一緒に仕事ができるようになっています。
 Mさんも「昇平さんは注意されても以前のように落ち込まなくなりました。変わりましたよ」と嬉しそうでした。

 ただ、作業内容はほぼ完璧に覚えたようだし、諸処の事情も絡んできたので、廃品回収の作業は今月いっぱいで終了することになりました。来月からはまた新しい場所で施設外の作業訓練を受けることになります。そこで仕事が完璧にできるようになれば、そして本人が望めば、そのまま就職ということもあるのだそうです。
 「来月になったら昇平さんと話し合って、この先の8か月間で就労を目ざすか、もう少しスキルアップするためにB型になって事業所を利用し続けるか、先の予定について相談をしていきたいと思いますが、よろしいでしょうか?」とスタッフから確認されて、「はい、どうぞよろしくお願いします」と私は答えました。
 さて、昇平はあと8か月での就労を望むでしょうか? それとも、もう少しスキルアップをしてから、と考えるでしょうか。
 その判断も、もう昇平自身に任せて良さそうです。

 昇平はもうすぐ21才2か月。
 本当に大人になりました。

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※写真は、今日実施している事業所イベントの芋煮会で作った「芋煮」。つい先ほど「鍋みたいでとても美味い」とメールで送ってきました。鍋好きの昇平らしい表現です(笑)

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2016年9月15日 (木)

昇平と「発達障害のいま」

Books


 前回の更新からほぼ一カ月が過ぎてしまいました。
 最近は一カ月に一度程度の更新になっているので、いっそタイトルを「月刊てくてく日記」にしてもいいのかも。……というのは冗談ですが。

 このところの昇平は本当に順調で、毎朝駅まで30分近く歩いて電車で福島市まで行き、運転ができる事業所のスタッフやA型のメンバーと組んで廃品回収の業務を行い、夕方また電車と歩きで帰宅して、夜は好きなことをしてのんびり過ごして寝る……という生活を過ごしています。土曜日にも事業所のイベントに積極的に参加していて、家で過ごす時間がとても少なくなっているので、ブログに書くようなネタがほとんど見つからないのです。
 月に一度、事業所が主催する「ご家族と語る会」の際に、スタッフから昇平の様子を聞くことができるので、それをブログを書くことが多くて、結果として一カ月に一度の更新になる――というわけです。

 昨日も事業所の保護者会主催の勉強会と「ご家族と語る会」、スタッフとの個別懇談がありました。
 昇平のがんばっている様子を、今月も聞かせてもらえて、とても安心しました。
 仕事は真面目にきびきびとこなし、昼休みはお弁当の後で携帯やゲームなどで自由に過ごし、また午後の仕事に真面目に取り組む――とオン/オフの切り替えも上手にできるようになったそうです。
 先日はイベントで生まれて初めてカラオケに行って、自分でも2曲歌ったと言っていました。仕事だけでなく、いろいろな経験をすることができて、とてもいい感じです。

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 そんなふうに昇平は順調に進んでいるわけですが、そうではない事例もあるのだということを、新しく読んだ本で知りました。
 7月の記事で紹介した杉山登志郎先生が書かれた「発達障害のいま」(講談社現代新書/2011年初版)です。
 前回読んだ「発達障害の子どもたち」(講談社現代新書/2007年初版)は、発達障害という診断に関する最新の概論という感じの本でしたが、今回の「発達障害のいま」は、実際に先生の診察室にやってきた発達障害がある子どもたちの陰に、家庭の問題や虐待、トラウマが潜んでいることが少なからずあって、そちらに対する対応・治療を行わなければ、結果として子どもの問題も解決していかなかった……ということが、様々な具体例を挙げながら書かれています。
 実際にどうやって治療を成功させていったかということも書かれているので、関心がある方にはぜひ読んでいただきたいと思うのですが、私は、この2冊の本を読んで考えたことを、私の視点でまとめたいと思います。
 それは以下の3つ。


1.発達障害というのは、自閉症とかADHDとかLDとか、いろいろな診断名が付くけれど、実際のところは脳全般の活動の機能障害。

2.障害特性を無視して「矯正」しようとしても決してうまくいかない。無理解な指導や対応は後々深刻なトラウマや社会不適応を生じさせる。

3.親が発達障害の特徴を持っていたり、親自身が子どもの頃に虐待を受けていたりするケースには、子どもだけでなく親への対応も必要。子どもへの対応だけでは改善しにくい。


 1の脳の機能障害の原因は様々です。遺伝的要素があったり、昇平のように出生時のトラブルで酸欠になって脳に障害が残ったり(ただ、遺伝的な傾向も強いので、昇平の場合は「遺伝+酸欠による脳の高次機能障害」だと思われます)。虐待を受け続けることで脳が変化して、発達障害と同じ症状を示していくこともあります。
 脳梗塞で倒れた人が、その後いろいろな機能障害の症状を起こすように、彼らは生まれつき、あるいは出生時のトラブルや子どもの頃の劣悪な環境のせいで、脳にうまく働かなくなる部分を抱えるようになり、その結果、他人とのコミュニケーションがうまくできなくなったり、段取りが立てられなくなったり、片付けができなくなったり、文字がうまく書けなくなったり、うまく話せなくなったり、衝動的な行動が押さえられなくなったり……するのですよね。

 2は発達障害を脳の機能障害と捉えた上で、その凸凹を把握して対応していくのが大事だ、ということ。学校での特別支援教育の拡充は、ここに当てはまりますね。
 障害特性を無視して矯正しようとするというのは、昇平に例えてみるなら、「赤ちゃんの泣き声が苦手だということを克服させるために、赤ちゃんが大泣きしている声の録音を大音量で一日何時間も聞かせて、泣き声に慣れさせる」というやり方のこと。もちろん、そんな酷いことは一度だってやりませんでしたが。そんなことをしたら、昇平はひどいトラウマになって、後々ずっと苦しめられたでしょう。
 でも、実際にそれに近いことが行われて、そのときにはうまくいったように見えても、青年期になってからトラウマが噴出したケースも報告されているようです。

 3は、子どもが健全に発達していくためには安全安心な環境が絶対に必要だ、ということ。安全な環境だからこそ、子どもは安心していろいろ学び、自分の力を試し、成長していくことができる。いつ親から暴力をふるわれるかわからない環境で、びくびくしながら日々を過ごしていたら、学ぶことも試すことも困難になるから。そこが、よく言われる「家族支援」ということになります。
 ちなみに、私が所属している親の会の顧問で、私たちにずっとペアレント・トレーニングを指導してくださっている中田洋二郎先生のテーマは、ずばり「家族支援」です。私たちの会のお母さんたちは、障害ある子どもを抱えているのに、前向きで元気な人がとても多いのですが、それはやっぱりずっと「家族支援」の視点で指導していただいているからだろう、と思ってます。

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 本を読みながら、昇平はいい時代に生まれてきた子どもなんだな、とも思いました。
 私が大学を卒業した30年くらい前からLD(学習障害)は知られ始めましたが、「ADHDという発達障害がある!」とNHKが特集番組で報告したことから、日本の特別支援教育は爆発的広がりを見せ始めました。昇平が診断を受けるほんの1~2年前のことです。
 以来、昇平は日本の発達障害の草分けの時代を、ずっと歩き続けてきました。今の就労支援もやっぱりそうです。おかげで、若干の紆余曲折はあったけれど、昇平はこうして自立目ざして前進しています。ありがたいことだと思います。

 これから続く昇平の後輩たちのために、そして、それ以前の時代に苦労しながら自分の障害と向き合ってきた先輩たちのために、私は就労移行支援事業所保護者会の役員の仕事をがんばりたいな、とも思いました。私にできること、私にできる範囲で。
 昇平を育ててくれた社会への、ささやかな恩返しです。
 

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2016年8月19日 (金)

個別懇談~苦手意識を越えるために~

 昨日は昇平が通う就労支援事業所の「家族と語る会」があったので行ってきました。
 お盆明けなので仕事が忙しい人が多いのか、いつもより参加者はちょっと少なめ。でも、おかげで会の後の個別懇談では、最近の昇平の様子をたっぷり聞かせてもらうことができました。

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 ほぼ1か月前に、廃品回収の研修中に一緒に回っていたスタッフのMさんから指導を受け、それがうまくできなくて、ちょっとへこんだことがありました。
 その直後に7月の家族と語る会があったので、Mさんと話をして、「本人に成長する能力があるからこそ、あえてしっかり指導をしている」というのがわかって、引き続きよろしくお願いします――と頼んできたのですが。
 昇平としては、ちょっと苦手意識が生まれてしまったのか、Mさんから指導されると逆に緊張してうまく対応できなり、果ては混乱してしまって半日だけで回収作業から上がって事務所に戻ったことがありました。
 とはいえ、仕事ができなかったのはそのとき半日だけで、翌日からはまたちゃんと仕事に行ったし、半日で上がってしまったときに昇平が私に電話をかけてきたので、私のほうからも事業所のサービス管理者のKさんに対応をお願いしたので、きちんと昇平に対する配慮がしてもらえて、それ以後はまったく問題なく仕事が続けられています。

 それにしても対応が上手だな、と思ったのは、昇平が苦手意識を持ってしまったMさんを完全に切り離すのではなく、まず昇平と相性がよい利用者さんやスタッフのTさんを昇平の「相方」にし、その後、回収作業をやったことがないスタッフに仕事を教える、という形で昇平とMさんをまた回収作業で一緒にしたこと。
 「一度トラブルが起きてしまった相手とは二度と一緒にしないでほしい」とおっしゃるご家族もいると聞くのですが、わたしは、それはどうかな、と思っています。人と人とが関わっていく中でトラブルはつきものだし、トラブルのたびにその相手から離れていたら、そのうちにほとんど誰とも関われなくなる可能性がでてくる気がするので、「トラブルがあっても、対応やタイミングを見計らってもう一度良い関係に戻るチャンスを与える」のがいいだろうと思うのです。
 もちろん、相手がどうしようもなく嫌な相手であれば、それはすぐ離れたほうがいいのですが、Mさんのように、昇平のことを思ってあえて指導役を引き受けてくださってる方については、昇平が誤解を解いて、もう一度いい関係に戻ってほしい、と願っていたので、昇平がまたMさんと一緒に作業できたのは本当に良かったと思いました。
 昇平のほうも、「今日は○○さんに仕事を教えることができたのも良かったけど、Mさんとまた一緒に仕事ができたのが嬉しかったな」と言っていました。ついでに、○○さんは昇平のMさんに対する気持ちを聞き出してくれたようで、「もうちょっと優しく言ってほしい」というような昇平の要望がMさんに伝わる形になって、それもまた昇平の気持ちを落ち着かせてくれたようでした。

 個別懇談では、スタッフのTさんとMさんが対応してくださったので、率直に親の気持ちをお伝えしました。
 スタッフのほうでも、良かれと思ってしたことが裏目に出れば、きっと精神的にめげたりきつかったりするのだろうと思うのですが、昇平は上手に対応してもらったおかげで仕事への意欲を失わずにいるので、あまり気にしないでもらえたら、と思います。
 あれ以来Mさんと昇平が二人だけで回収作業する機会はまだありませんが、チャンスを見てそれもクリアしてくれたらいいな、と思っています。

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 個別懇談では昇平の成長したところもたくさん聞かせてもらえました。
 廃品回収で古新聞を台車に乗せて運ぶときに、新聞が崩れないように自分で工夫をして載せていたのを目にして、その成長ぶりに涙が出るほど嬉しかった、とおっしゃるTさんの話を聞いて、その事実も嬉しかったけれど、それを泣くほど喜んでくれるスタッフと巡り合えていることに、親として本当に嬉しく思ったのでした。
 些細な成長であっても、それを誉めて一緒に喜んでもらえると、昇平は自信をつけて伸びていきます。昨日できなかったことが今日できて、それを誰かに認めてもらえると、また伸びます。
 お盆に私の実家に帰省したら、実家の祖父や親戚から「昇平くんはすごく成長したね」と言われたのですが、本当にそうなのだろうと思います。仕事をするために、自分の周りを見たり、自分の役割や立場を考えるようになってきたのですから。

 「引き続きこれからもよろしくお願いします」とスタッフさんたちに言って、個別懇談を終えました。

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2016年7月22日 (金)

支援学級を選ぶか、普通学級を選ぶか

 発達障害に関する本を買って読みました。
 発達障害がある子どもたちの治療に携わるドクターとして著名な杉山登志郎先生の「発達障害の子どもたち」(講談社現代新書)です。

 私がこの手の本を積極的に買って読み、昇平の子育ての参考にしてきたのは、彼が中学校に上がるあたりまでのことでした。その後、現実生活のトラブル対処のほうが大変になって、本をじっくり読み込んで勉強する余裕がなくなってしまい、高校に上がってからは自立や就労にテーマがシフトしていったので、本当に久しぶりで、純粋な「発達障害の子ども」に関する本を読んだなぁ、という気がしました。

 著者の杉山先生が、長年にわたって患者の子どもたちに関わり、幼児から小学校、中学校、高校、人によっては専門学校や大学、社会人の年齢になるまで、その発達をずっと観察してきた経験を、総括的にまとめてあるので、とても興味深く読みました。
 本の帯には「発達障害にまつわる誤解と偏見を解く」と書かれていて、「そうそう、そうです! そうなんです!」と深くうなずいてしまう箇所も多々。

 この本自体は、2007年に出版されたものなので、すでに読んでご存知の方も少なくないのだろうと思います。
 でも、まだ読んでいなくて、発達障害がある子どもたちに「何が必要なのか」「どうしてそれが必要なのか」を学びたいと思っている方には、参考になることがたくさんあると思うので、ぜひ読んでいただきたいと思います。
 昇平が保育園や小学校に通っている時期に、もしこの本が出ていたら、きっと私はすり切れるまで繰り返し読んで、子育ての指針にしたことでしょう。

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 さて、この本では、発達障害の「実態に合わせた」理解の啓発、対応のヒントや実際の子どもたちの成長や変化の事例、学校の意義や現状の課題、社会的な課題、子どものニーズから見た家庭や親の意味合い、虐待を受けてきた子どもたちが発達障害とよく似た症状(発達障害症候群)を発症すること……などなど、様々な方面について詳しく、でも、できるだけわかりやすいように語ってくれているのですが、それを全部取り上げて感想を書くのは困難なので、終わりに近い第九章「どのクラスで学ぶか――特別支援教育を考える――」を読んで考えたことをピックアップして書きたいと思います。

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 親の会に長く所属していると、月例会で見学に来た親御さんや新しく会員になったお母さんの相談にのる機会が増えるのですが、その中で時々聞くのが、「うちの子は今度小学校に入学するんですが、特別支援学級(または特別支援学校)のほうがいいんではないかと言われました。家庭の中でずいぶん考えましたが、判断がつかないので、会の他の方たちはどうやって学校を選んだのか、話を聞かせていただきたいと思って来ました」という話。

 この質問をされると、会のメンバーはそれぞれ自分の子どもたちがどの学校・学級を選んだのか、それは何故だったのか、その後どうだったのか、という話を、経験に基づいてします。そして、一通り話した後で、この結論に落ち着きます。
 「一口に発達障害と言ったって、子どもの状態はひとりずつ全然違うから、その子に一番良い学級(学校)はそれぞれ違う。子どもに合わせた学級(学校)を選ばなくちゃいけない」

 杉山先生の本に書かれていることも、結局はこれとまったく同じことなのですが、もっと明確に書かれています。つまり、「学校の選択に当たって最も大事な原則は(中略)授業に参加できるかどうかということである」と。
 そんなの当たり前だ? はい、当たり前だと思います。
 だけど、当たり前のはずなのに、それが当たり前に判断されていない現状もあるのですよね。

 我が子に普通学級に入ってほしい、と思う親はとても多いし、そこに祖父母や親類、地域の人たちに対する外聞などが絡んでくると、さらに感情的な問題は複雑になってきます。本にも書かれていますが、支援学級や支援学校に子どもを上げるのはかわいそうだとか、一度そちらに行ってしまうと普通学級に戻れなくなる、などという偏見や誤解、普通学級で普通の子どもたちから良い刺激を受けることで、我が子も良く発達するに違いない、という普通最上主義に基づく親の期待。そんなこんなで、「できれば支援学級(支援学校)には行かせたくない。だけど……」という迷いが生まれるから、実際に学校を選択してきた先輩たちの事例を聞きたくなるんでしょう。

 でも、ちょっと偉そうにこんなことを書いている私も、実は昇平が小学校に上がる前の年まで、「彼を地域の中で育てたいから、地元の小学校の普通学級に上げるつもりです。ただ、教室の中で落ち着いて授業を受けるのは大変だと思うから、私が学校についていって、一緒に教室にいようと思っています」などと考えていたし、実際にどこかにそう書いたこともあります。
 そのときには本気でそう考えていました。地域の人、つまりはご近所さんに、「うちの子はこんな子です。でも、親子でがんばっているので、どうか理解と協力をお願いします」と言いたい気持ちもありました。
 地元の小学校に特別支援学級がなくて、特別支援教育を求めようとしたら、学区が別の隣の小学校へ行かなくてはならなかったことも、大きな理由でした。長男は地元の小学校に通っていましたし。
 今思えば、隣の小学校でも、同じ自治体、同じ町内だったので、中学校になれば全部の小学校が一緒になったし、昇平の行動範囲が広がるから、どっちの学区だって結局は「地元」で、あそこまで地域にこだわる必要はなかったんだけどな、と思います。あの当時は私もまだまだ若いお母さんでした(笑)

 では、「昇平を普通学級に入れて、私が毎日付き添おう」と思っていたはずなのに、なぜ昇平を隣の学校の特別支援学級に行かせることにしたか?
 それは、地元小学校で行われた就学前検診のときに、入学した後の昇平の姿を垣間見てしまったから。

 小学校に入学する前の年に、子どもたちは自分の学区の小学校で健康診断を受け、知能検査を受けます。その結果を基に、教育委員会ではその子どもが普通学級・特別支援学級・特別支援学校(=養護学校)のどれが適当かを判断して、支援学級や支援学校を勧めるお子さんの家庭には、その旨の通知を出します。
 その検査の間、親たちは別室で、学校関係者から入学準備のための説明を受けていました。親子別室になるのですが、その当時すでに昇平のことは教育委員会にも伝わっていたので、昇平には特別にボランティアの方もついてくださっていました。
 ところが、私が入学準備の説明を聞いていたら、廊下を昇平の声が近づいてきます。「お母さーん、お母さん、どこですかー!?」
 ボランティアさんが昇平に、お母さんは別なお部屋でお話を聞いているんだよ、後で会えるから大丈夫だよ、と説明してくれている声も聞こえました。
 他のお子さんたちは、教室で検査のためのテストを受けている時間です。他にお母さんを探して検査会場を抜け出してくる子どもなんていません。あ、これは……と思いました。

 次に、健康診断の場面で。
 こっそり保護者の部屋を抜け出して昇平の様子を見に行きました。
 体重や身長を測定するために、子どもたちが自分の番号の篭に服を脱いで下着姿になっていきます。
 ところが、昇平だけはうろうろ。やるべきことはわかっていたのですが、自分の篭が見つけられなかったのです。
 他の子たちが自分の篭に服を脱いだので、空いている篭は昇平の篭ひとつしか残っていないのに、それでも昇平には自分の篭がわからない。
 その部屋の担当になっている先生に、自分の篭はどれか聞いている様子が見えました。先生が、「あれだよ」というように篭を指さします。だけど、それでも昇平には自分の篭がわかりません。
 当時、昇平は離れたものを指さされても、それがどれか見分けることができませんでした。認知できる範囲がとても狭くて、指先と示されたものを同時に認識することができなかったのでしょうね。
 その後、彼は指の示す方向を指に沿って歩いていって、「これ?」と対象物を見つけるようになり、それを繰り返すうちに、離れたものを示されても認識できるようになりました。というのは余談ですが。

 とにかく、昇平は指さされた篭を見つけることができませんでした。
 先生が篭に触れて「これだよ」と言ってくれればわかったのですが、私が、はっとしたのは、「そういう丁寧な対応ができない場面が、実際の教育現場では多々ある」ということ。
 授業をしながら、あるいは体育の時間や休み時間、遠足など、いろんな場面で先生は子どもたちに指示を出します。「あれをしてね」「これをしましょう」「あっちにいきます」「ここをこうしましょう」
 他に20人も30人も子どもたちがいる中で、昇平ひとりにいちいち「ここですよ」と事細かに丁寧に教えることは、どう考えても困難です。
 授業中に、あるいはテスト中に、「おかあさーん!」と昇平が教室を抜け出してしまったら? それを連れ戻しに行くのに、担任は他の子たちを残して教室を出ていくようになります。それが頻繁に起きたら? 毎日起きたら?
 普通学級の担任には、とても対処しきれません。
 私がついていけばなんとかなるレベルじゃないし、もし私がいけば、私が先生の代わりに一から十まで昇平に教えなくちゃいけなくなる。
 それじゃ学校に行く意味なんてないのでは――?

 そう考えたとき、自然と私の考えは変わっていました。
 「昇平がもっと楽に学べる場所に行かせよう。私が毎日1校時目から放課後まで付き添っていなくても、ちゃんと対応してもらえて、本人も自分の力で学んでいけるような、そういう学校に行かせよう」
 帰宅してから主人にそう伝えたら、主人も地元の小学校に行かせたいと思っていたので、「おっ」という反応をしましたが、その日の様子を詳しく伝えたら、納得してもらえました。

 今ならば、加配制度と言って、普通学級や支援学級の中でニーズのあるお子さんに、専属で支援員が配置される制度があります。
 当時にその制度が充実していたら、加配をお願いして普通学級を選択したかもしれませんが、あの頃はその選択肢はありませんでした。ただ、入学後、加配の先生に付き添われながら普通学級に通級した様子などを思い出すと、やっぱり普通学級は昇平には無理だっただろうと思います。

 就学時健診の後、私は隣の学区の特別支援学級を見学に行きました。
 そして、森村先生という素晴らしい担任の下で、環境もカリキュラムもきちんと考えられた授業が行われているのを知って、喜んでそちらへ行かせることにしたわけですが、その後の経過については、「てくてく日記」のバックナンバーに譲ります。
 ただ、一言でまとめて言えば、「あのときの判断は正しかった」のです。
 少人数で、昇平に合わせて行われる授業を受けることで、昇平は本当に成長しました。学力もついたし、集中力も、集団に参加する力も、あれもこれも本当に伸びました。
 学校の選択は本当に大切なことだし、本人のニーズに合わせた学校選びはなにより大事だろうと思います。

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 おまけの話をすれば、理想的だった小学校時代とは裏腹に、昇平の中学校時代は、杉山先生の同じ第九章に出てくる、「特別支援教育の混乱」という項に書かれている状態と、まったく同じでした。こちらは支援学級が全然支援できない場になっている事例です。
 昇平の中学時代は本当にこのパターンで、3年生になってやっと個に応じた配慮がなされるようになりましたが、ときすでに遅しで、本人は著しくセルフエスティーム(=自己評価)を落として抑鬱状態になってしまったし、不登校はぎりぎりで免れたものの、社会や家族以外の他人に対する不安を長く引きずるようになって、そこから脱出するのに何年もかかってしまいました。

 結局、そこを本当に脱出したのは、今の就労移行支援事業所に通い始めてからです。
 自分にできないことや足りないことがあることは自覚していて、そのためのトラブルも中学校時代に山ほど経験してきて、「自分は駄目かもしれない」「社会はぼくを受け入れてくれないかもしれない」と不安いっぱいでいたのですが、実際に事業所に通い始めてみたら、スタッフは丁寧に仕事の内容やビジネスマナーを教えてくれるし、できれば誉めてくれるし、仕事もできるようになるし、しかもその対価として工賃というお給料までもらえるようになって、彼の不安はぐんと軽くなりました。「こんな自分でも、がんばればけっこうなんとかなるかもしれない」と思い始めているのが、端から見ていて、はっきりわかります。
 だからこそ、毎日休むこともなく、元気に「それじゃ今日もがんばってきます!」と言って出かけていくのでしょう。

 繰り返しになりますが、学校選びは本当に大切です。
 無理を承知で普通学級に行かせて、途中からやっぱりついていけなくなって支援学級に移ったけれど、そのときにはもう勉強にもその他のことにもすっかり自信をなくしていて、先生からいくら励まされても取り組むことができなかったお子さんも知っています。
 普通学級に入れてみて駄目だったら特別支援学級に――という考え方は、やっぱり駄目みたいです。
 こうして振り返ってみて、改めて痛感しています。
 

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