てくてく日記

2015年6月22日 (月)

てくてく日記・202「高校編最終回」

Lily
白百合

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6/10(水)~6/14(日)

水:フリースクール
木:フリースクール
金:フリースクール送別会
土:休日
日:買い物

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6/15(月)~6/21(日)

月:就労移行支援事業所体験1日目
火:体験2日目
水:体験3日目・高校の職員室に顔出し
木:休日
金:事業所で担当者会議
土:休日
日:休日

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 昇平は就労移行支援サービスを受けながら就職をめざすことになった。
 サービスを受けられるのは最長2年間。事業所の担当者に「就職のための専門学校だと思ってください」と言われて、「まさしくそういう場所が昇平に欲しかったんです!」と嬉しくなった。
 昇平てくてく日記4・高校編は今回で終了。この後は「昇平てくてく日記5・就労編」になる。……さすがに「てくてく日記6」ってのはもうないと思うけれど。
 すでに「就労編」にも記事をアップしてあります。事業所を利用し始めるまでの詳しいエピソードについては、そちらをご覧ください。

http://ley.cocolog-nifty.com/tekuteku5/


 6月12日には、フリースクールの利用も一応最後になるというので(本人は「事業所が半日で終わる日にはフリースクールにも回りたい」と言っている)、フリースクールで送別会を開いてもらった。
 以下は、フリースクールのS先生から届いた、そのときの昇平についてのメール。

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ひろば(=フリースクール)が最後の日は、皆でお別れ会をやって、昇平から挨拶をしてもらいました。
「社会人として頑張ります!」
みんなに元気に話していました。
私が出張に出てしまう前には「これまでありがとうございました!先生にいろいろ教えてもらって助かりました」と、とても嬉しい挨拶をしてくれました。
私も昇平に出会えて、関わらせてもらうことができて、本当に良かったです。

体験の方も無事おわったようで良かったです。

早めに終わった時など、スーツ姿でひろばに来てくれることを楽しみに待っていますね。

これからも、私でできるサポートは精一杯やらせていただきます!ので、遠慮なく、いつでもご連絡ください。

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 ずっと、いつも周囲に良い人たちに恵まれてきた昇平だけど、フリースクールでも本当に良い出会いがあって、良い関わりをしてもらってきたな、と改めて感謝の気持ちでいっぱいになった。
 6月17日には、体験が終わった後で高校の職員室にも挨拶に回って、担任だったK先生から「立派になったね」と言っていただいたらしい。
 たくさんの人たちに見守られ、応援してもらいながら、社会人への道を踏み出そうとしている昇平。
 これからも幸多かれ、と願いながら、てくてく日記4・高校編を終了にします。

(2015.6.22記)

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☆てくてく日記5・就労編
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2015年6月 9日 (火)

てくてく日記・201「就労移行支援」

Aozora2
晴れて青空の日が多かった(撮影:昇平)

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5/25(月)~5/31(日)

月:フリースクール
火:障害者職業センター相談
水:フリースクール休み・チャレンジデー
木:フリースクール
金:フリースクール
土:休日
日:休日

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6/1(月)~6/7(日)

月:フリースクール
火:フリースクール
水:就労支援サービス申し込み
木:フリースクール
金:定期診察、フリースクール
土:休日
日:休日・散髪

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6/8(月)~6/9(火)

月:就労移行支援事業所見学
火:フリースクール・計画作成

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 昇平の就労関係でさまざまな動きがあったので、方向性が定まるまで日記の更新を控えていました。半月ぶりのてくてく日記です。

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 これまで昇平の就労支援のために障害者職業センターを利用することにしていて、5月26日にセンターを訪問して担当カウンセラーのYさん(男性)と相談をしたのだが、障害者職業センターの訓練期間は3ヶ月間、今の昇平にはもっと長い期間の訓練が必要だろう、という結論に至り、就労移行支援の利用を勧められた。

 実を言うと私自身も、昇平がたった3ヶ月の訓練で就活することにとても不安を感じていた。手術で入院していた間、ずっと昇平を見ていたのだけれど、「社会性の成長は大きいけれど、まだまだ社会に出て行くには時期尚早」と私の目にも見えていた。
 もう少し猶予が欲しい。他のお子さんたちだって、高校卒業して就職する人は少なくて、みんな大学や短大、専門学校などの上の学校で学んでから社会に出る。昇平にもそういう「学び」の期間が欲しいけれど、必要なのは一般的な学習ではなく、社会性と社会人として役に立つ能力を伸ばしてくれる場所。それがどこにあるのかわからない。実際にあるのかどうかも、よくわからない。
 だったら、まず動いてみよう。障害者職業センターに相談に行けば、その手の知識もたくさん集まっているはずだから、何か情報が手に入るかもしれない。そんな気持ちからの相談だった。

 ここまで私たちは、障害者の就労のためのシステムをほとんど知らずに来た。
 特別支援学校(養護学校)に行っていれば、そのあたりの情報も学校から保護者に伝えられるけれど、それ以外の場所で学んできた場合、就労継続支援A型事業所とB型事業所の違いさえよくわからなかった。まして、就労移行支援というものがあることも、ここまでまったく知らなかった。
「就労移行支援は一般就職をめざすための訓練サービスです。期間は2年間限定。○○というところで支援事業を行っている事業所を紹介してもらって、見学・体験の上、利用するといいですよ」
 そんなふうにYさんから教えられて、「本当にそういう場所があったんですか!」という気持ちだった。

 ところが、この5月にちょうど、就労移行支援のための制度が完全に変わったばかりだったようで、ちょっとした混乱の末、結局、市の福祉課障がい福祉係を窓口に支援サービスを申し込めば良い、ということがわかった。ちょうど高齢者の介護サービスを受けるようなもので、ケアマネージャーに当たる相談支援専門員という方をお願いして、ケアプランならぬ「サービス等利用計画」というものを立て、その上で就労移行支援を行っている事業所を利用するのだという。
 実は、私はこれにもちょっと感激。以前から高齢者の介護サービスを見ていて、「こういうサービスが発達障害児・者にもあればいいのに」と考えてきたから。就労限定だけれど、ケアマネやケアプラン的なものが存在するとわかって、また心強く感じた。

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 余談を言うと、実際にはこの制度変更に喜ぶ人より不安を感じる人のほうが多いらしい。
 これまで、支援学校を卒業したお子さんは、一般就職しなければA型事業所やB型事業所にストレートに入れたのだけれど、制度変更になったので、必ずまず就労移行支援から始めて、その後、本人の状態や進歩の状況などを見ながら、A型やB型の事業所に移っていくことになったのだという。
 私たちは、「例え最終的にA型やB型の事業所になったとしても、まずは一般就労の訓練を受けてみてから」という気持ちでいるから、新しい制度がぴったりなのだけれど、「今までと違う」「すぐに事業所に入れないんですか?」というクレームは多いようで、関係者の皆さんが申し訳なさそうだったり慎重な説明をしたりするのが、とても印象的だった。ご苦労様です。

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 というわけで、6月3日に市に障がい福祉係の地域担当のYさん(こちらのYさんは若くて綺麗な女性)に家に来ていただいて、支援サービスの申し込み。利用したい事業所やケアマネに当たる相談支援専門員も選んで問い合わせてもらい、OKが出たので、6月8日に事業所の見学に行ってきた。
 説明を聞き、施設も見せてもらって、昇平はとても前向き。彼が一番心配していたのは、自分が社会で働けるかどうか、そのためのやり方をちゃんと教えてもらえるかどうかだったので、実際にそういう場所に行けそうだというので、精神的にもとても安定して積極的になっていた。
 この日記を書いているのは9日だけれど、今日の夕方には相談支援専門員の方が来て、契約を結んで利用計画作成をしてもらうことになっている。
 事業所に行き始めるのは来週の月曜日から。3日間体験を受けて、大丈夫そうなら木曜日から正式に利用を始める。福島駅から歩いて3分という絶好の場所だし、昇平は福島駅前の高校に4年間通ったので、ここに通うのも何も心配がない。

 他にも、就労移行支援についていろいろ報告したいことはあるのだけれど、週に一度の日記ではとても書ききれない。
 昇平は再来月で20歳になるし、20歳を節目にてくてく日記を終わらせようと思っていたのだけれど、「就労」というテーマに関心を持つ人は多いので、もう少しだけてくてく日記を続けるのは意義があるかもしれない。
 この「てくてく日記4・高校編」は次回202回目で終了にして、その次からは「てくてく日記5・就労編」を始めようかな、と考えている。

 正式には、次回のてくてく日記または療育掲示板でお知らせします。


(2015.6.9記)

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2015年5月25日 (月)

てくてく日記・200「障害者職業センター利用準備」

Natsuiro
空はもう夏色 (撮影:昇平)

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5/11(月)~5/17(日)

月:フリースクール
火:医大診察日
水:フリースクール
木:病院定期診察、フリースクール
金:フリースクール
土:休日
日:母:ダウン

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5/18(月)~5/24(日)

月:フリースクール日
火:フリースクール
水:フリースクール、母:家事再開
木:フリースクール、母:事前調査書作成
金:フリースクール
土:休日
日:買い物

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 私が16日の夜から胃腸炎でダウンしていたので、2週分まとめての更新になってしまった。

 12日(火)に医大へ抜糸後1ヶ月の診察に行き、順調に回復していたので「職業センターに通い始めてもいいですよ」と許可が出た。ただ、尾てい骨の横の皮膚を移動する手術をしているし、毛巣洞の再発防止にも努めなくてはいけないので、長時間座りっぱなしの作業と自転車は当面禁止。ただ、職業センターでの作業は、むやみに長い時間座りっぱなしということはないので、大丈夫だろうということになった。
 職業センターの担当カウンセラーさんと連絡を取り合い、昇平の体力の回復も待って5月26日(火)に相談日を設定したが、その直後、私が胃腸炎で3日ほど寝込み、相談の際に使う事前調査書の作成に大忙しになってしまった。
 ただ、事前調査書の記入内容のほうはばっちり。なにしろ、彼が3歳の頃からこうしてずっと日記を書き続けているから、どの時期にどういうことがあったかとか、こういうときにはどうするか、という内容は迷うことなく書ける。調査書をメールで送付したら、「大変詳しく記入されていて助かります」と返事をいただいてしまった。

 この日記を記入しているのは25日。明日が相談日なので、そこで職業センターを利用し始める日が決まるだろうと思う。
 昇平も私も一見落ち着いているように見えるけれど、実は内心ドキドキだったりする。
 どうか良い相談ができますように。


(2015.5.25記)

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2015年5月11日 (月)

てくてく日記・199「自分の障害について学ぶ」

2015hahanohi
母の日のお祝いはケーキ
(息子たちではなく旦那が買ってくれた)

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5/4(月)~5/10(日)

月:みどりの日
火:こどもの日、自分の障害について学ぶ
水:振替休日、障害者職業センターへ行ってみる
木:フリースクール
金:フリースクール
土:休日
日:母の日、買い物へ

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 心理カウンセラー心屋仁之助さんの本を読み聞かせるうちに、昇平が自分について考え始めたことは、前回の日記に書いた通りだけれど、「ぼくはどうしてこんなふうなのかな?」「これはどうしてこんなふうになるんだろう?」と、自分の障害特性についても疑問に思うようになってきたので、説明に良さそうな本を探して『これでわかる 大人の発達障害』(成美堂出版/林寧哲監修)という本を見つけた。大人になるまで発達障害に気づかなかった当事者や家族に向けた本なのでわかりやすいし、今年出たばかりの本なので情報的にも新しい。まず私が一通り読んでから、昇平が「ぼくはどうしてこうなのかな?」と言ったタイミングをつかまえて、「それについての理由やヒントが書かれてる本を見つけたんだけど、読んでほしい?」と切り出してみた。

 昇平はもうすぐ二十歳になるし、折に触れて障害についても教えてきたのだけれど、本人の頭にはしっかり入っていなかった。自分に障害があることはわかっていても、「なんていう名前の障害か覚えてる?」と聞いたら、「わからない」と言ってから「ADHDだっけ?」。
「うん、それともう一つ、PDDっていうものも持っているんだよ。広汎性発達障害とも言うけれど、自閉症の一種で、一番新しい言い方ではASD(自閉スペクトラム症)って言うんだ。君は二つの障害を併せ持っているんだよ」……と、まずは診断名をきちんと教えるところから始めた。
 次に、本に書かれた障害特性について読み聞かせていったけれど、思い当たることはたくさんあるし、けっしてポジティブには書かれていないので、昇平はだんだんうなだれていってしまった。しまいには「ぼくはこんなに酷い障害だったのか。しかも二つも」とぽつりとつぶやいたり。

 ただ、実際には昇平は純粋なADSからするともうちょっと症状がマイルドで、こだわりや社会性の困難は持っていても、臨機応変なところや好奇心の強いところもある。一方、純粋なADHDならば、落ち着きがなくて整理整頓も苦手になるのだけれど、彼は大きくなってからは本当に落ち着きが出たし、自分の荷物や部屋も彼なりのルールできちんと片付けられている。やるべき事も忘れずにきちんとできるので、今は一見してはADHDがあるようには見えない。(実際にはまだ残っているけれど)
「これはね、君が持っているADSとADHDがうまい具合に補い合っているからなんだよ」と話して聞かせた。
 ADSはかたくなで生真面目で自分が決めたルールを変えたくなくて普段と違うことをするのも苦手。だけど、ADHDはものすごく好奇心が強くて行動力もありすぎるくらいあるのが特徴だから、ADSの堅さをADHDが中和している(ように私には見える)。
 一方、ADHDは落ち着きがなくて衝動性が強くて、やりたいこと優先で面倒くさいことは後回しにしたいのが特性。でもADSの真面目さがそんなADHDをコントロールしていて、「やるべきことはやらなくちゃいけないぞ」と言ってくれるし、衝動的に何かをしたいと思いついたとしても、「いや待て待て、まずいかも知れないぞ」と引き留めてくれるから、危ないことも起きない。
 確かに二つの障害が重なっていることが大きなハンデにはなっているのだけれど、二つ重なっているおかげで、互いに補い合って症状が緩和されているのも事実。
 これは、私が昇平を観察しながら、ずっと思ってきたこと。自閉症(ADS)にしてはけっこう臨機応変、ADHDにしてはきちんとしている。二つの障害特性がうまい具合にフォローし合っているんだなぁ、と。

 この説明は昇平に効果があった。うなだれていた頭が上がって、「へぇ! ぼく(の障害)にもいいところがあったんだ!」と顔がぱっと明るくなった。
 昇平にしてみれば、障害は自分の外ではなく内側にあるもので、言ってみれば彼自身そのものであるから、その障害特性にうまい具合に働いているところもあるとわかって、気持ちがぐっと明るくなったようだった。

 『大人の発達障害』の本では、障害特性の説明の次に、受診から診断までの流れや、薬などを使った治療のあれこれが書かれているけれど、昇平はこの部分はとっくの昔にクリアしているので飛ばして、「生きづらさに対処するヒント」という章に進んだ。
 「○×式思考を乗り越えるために」「こだわりにとらわれたときには…」「自分勝手なルールに気づこう」「人の感情を知るには観察から」……
 昇平自身が困っていたり、うまくいかなかったりすることがいろいろ出てくるけれど、それに対するヒントというのが、すでに実戦していたり、心屋さんの本を読みながら「これからここを頑張ると良さそうだね」と話し合ってきたことばかりだったので、ここでも前向きな気持ちになることができた。
 必要なこと、乗り越えていかなくちゃいけないことはたくさんあるけれど、「すでにそれを始めていた」ので、「今のままでOK。この調子で進んでいこう。ゴーゴー!」という気持ちになったのだと思う。

 本には、発達障害を知った上で、自立した社会生活を営むためのヒントも書かれていたけれど、この日はそこまでは進まなかった。一度にたくさん読んでも疲れて消化できなくなるし、仕事に絡むヒントも多いので、障害者職業センターに通い始めてから読んだほうがいろいろ実践できるだろうし。
 ただ、彼の障害特性やヒントについて読み聞かせた後で、昇平が自分からこう言った。
「ということは、仕事も自分の能力や特徴に合ったものを探せばいい、っていうことだね」
 そうそう! そういうこと!
 自分でそこに気がつけるなんて、よくぞここまで成長してくれたね、と本当に嬉しく思った。


 その翌日には、電車と歩きで障害者職業センターまで行ってみたけれど、長距離に音を上げることもなく、しっかり歩き通してくれた。
 職業センターでも自分の特性を知る取り組みはあるはずだけれど、今回学んだことをベースに、自分に合った職業を見つけていってくれるんじゃないかな、と考えている。
 

(2015.5.11記)

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2015年5月 5日 (火)

てくてく日記・198「気づいたことメモ」

Note_2
昇平のノート。クリックすると彼のメモしたことが読めます。

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4/27(月)~5/3(日)

月:フリースクール
火:フリースクール
水:昭和の日・母と福島へ
木:フリースクール
金:フリースクール・歯医者
土:休日
日:両親と温泉施設へ

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 ゴールデンウィーク開始。昇平が「どこかに行きたい」と言うので、体慣らしを兼ねて水曜日には電車で福島駅まで出かけ、エキナカで遊んできた。昇平はゲーセン、私はウィンドウショッピングや書店に行って、時間を決めていつものハンバーガー屋さんで待ち合わせ。昇平は高校の卒業式以来の福島だったので、とても楽しそうにしていた。

 旦那はゴールデンウィークでも連休にはならないので、日曜日には近場の温泉保養施設へ。ここは昇平がまだ4歳くらいのときまで何度か行った場所。15年ぶりとは言え、中の様子をほとんど覚えていなくて「何故だろう?」と考え、あの頃は昇平が多動全開で、見失わないよう、風呂場で転んで事故を起こしたりしないよう、昇平から一時も目が離せなかったからだ、と思い当たった。今では父と二人でのんびり風呂に入り、上がってからは休憩所で漫画を読んで落ち着いて過ごしている。「成長っていうのはすごいものだなぁ」と改めて思ってしまった。


 ところで、入院中から読み聞かせてきた心屋仁之助さんの本がそろそろ終盤に差しかかっている。社会に出て悩んでいる人に対するアドバイスが多いので、昇平にはあまり当てはまらなかったり、すこし違う事例で補う必要があったりしたが、本人が自分自身を考えるいいきっかけになった。
 この週の後半には「人が話すことっていうのは、言ったことばの通りの意味じゃないことがあるの?」と言ってきて、ひとしきりそれについて話し合った。「けっこうあるよ。お母さんの感覚からすると、ことば通りじゃないことも50%くらいあるような気がするな」と話すと、ちょっとびっくりしながら、いつも使っているノートの片隅に「言葉は言った事が全てではない」とメモしていた。

 このノートにはいろんなイラストやゲームのことを書いているけれど、ときどき忘れたくないことや自分で気がついたことも書き留めては忘れないようにしている。こっそりのぞくと「自信過剰にならない。ヤケにもならない」とか「お人好しにならない。腹黒い人にもならない」とか「0と100はない」(100%完璧ということはありえないけれど、まったくダメの0%ってこともないよね、という話をしたときに書き留めたこと)、「涙は立派な感情」(自分が苦手とする「泣くこと」や「涙」を肯定的に捉えようとしていたときのメモ)……などと書かれている。

 昇平は自分が忘れっぽいことを自覚している。難しい言葉で言えば「短期記憶から長期記憶への移行がうまくいかない」状態。そのときには理解したり納得したりしたことも、少し時間がたつと頭から抜けてしまうのだ。だから、忘れたくないことは、こんなふうにこまめにメモを取っている。私が教えたことではなく、自分で考えついて実行していることなので、こんな部分にも成長を感じたりしている。


(2015.5.5記)

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2015年4月27日 (月)

てくてく日記・197「フリースクール再開」

Pizza_3
手作りピザ(左上から時計回りに):
いぶりがっことキノコ、アボカドとオニオンとパプリカ、ベーコンとシメジとオニオンとピーマン、ベーコンとシメジ

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4/20(月)~3/26(日)

月:フリースクール
火:フリースクール
水:フリースクール
木:フリースクール
金:フリースクール
土:休日
日:休日・ピザ作り

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 昇平は2週間の自宅療養を経て、またフリースクールに行き始めた。

 今回の入院を境に昇平に現れた変化のひとつに「以前より周囲をよく見るようになってきた」ことがある。手術や入院といった人生の一大事を経験して、周囲の人たちの話や様子などに自分からしっかり目を向けなければ、と思ったらしい。以前だったら私がそばにいれば、医者とのやりとりは母に任せっきりで、自分はゲームを続けていたりスマホを眺めたりしていたのに、今は自分から症状を伝えようとするし、私が話している間もじっと聞いていて、「そうなんです」「そういうことなんです」と相づちを打ってくる。
 それ以外にも、「以前の自分は何もわかってなかった。すごく子どもだったなぁ」と急に洩らしたり、車に乗っている間もゲームをせずにじっと車窓の風景を眺めていたり。
 先日は、祖母が玄関前で掃除中だったところに帰宅してきて、祖母が作業をしているのを見て、黙って遠回りして家に入っていって、「小さいことだけど大きい変化だったよ!」と祖母をびっくりさせていた。

 入院期間の後半からは、タブレットにダウンロードした電子書籍の『心屋仁之助の今ある「悩み」をズバリ解決します!』(王様文庫)の読み聞かせをしているのだけれど、その内容に対しても、「これはこういうことだよね」「ぼくの場合はこうなんだ」といろいろ考えながら聞いている。
その中には他人との上手なつきあい方についても書かれているので、「そうか、こうすればいいんだな」とソーシャルスキルのトレーニングにもなって、自宅療養の終わりの頃には、実際にそれを友だちに対して試してみたくもなっていた。

 そういうわけで、以前ならフリースクールを少し長く休むと、再び行き出すのに不安になっていたのに、今回は落ち着いた様子でフリースクールを再開したし、他のお友だちとのトラブル(といっても内容は些細なのだけれど、本人としては「またやってしまった!」と落ち込む原因になっていた)もほとんどなくなっている。

 この週は私がスクールまで車で送迎したけれど、このブログを書いている今週は、送迎は駅までにして、スクールまでは電車で行くことにした。これにも慣れたら、駅にも歩いて行ってもらう。傷に響くのでまだ自転車には乗れないけれど、それ以外は少しずつ元に戻ってきている。

【写真の説明】
 日曜日にパン焼き器で生地をこねて、昼食にピザを焼いて食べた。昇平が考案した「いぶりがっこ(秋田名物たくわんの燻製)とキノコのピザ」がなかなか美味しかった。

(2015.4.27記)

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2015年4月20日 (月)

てくてく日記・196「順調に回復」

Tsukushi

道ばたにツクシがにょきにょき

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4/13(月)~3/19(日)

月:自宅療養9日目
火:自宅療養10日目
水:自宅療養11日目
木:自宅療養12日目、病院定期診察
金:自宅療養13日目、歯医者
土:自宅療養14日目
日:自宅療養15日目

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 引き続き自宅療養中。
 大半の時間は部屋でおとなしくしているが、近所のスーパーまで飲み物を買いに行ったり、家の中の掃除や洗い物の手伝いアルバイトをしたりと、少しずつ活動も再開していた。

 木曜日には薬をもらいに病院へ行ったが、昇平が診察室に入って椅子に座ったとたん、主治医から「少し痩せましたか?」のことば。
 実は昨年末の健康診断で「肥満」と出てしまったので、同じく体重が気になっていた旦那や私も一緒になって、今年の1月からウェイトコントロールを始めていた。入院中、連日麺と食パンだけの低残渣食だったこともあって、今年の初めから比べると5Kg以上体重が減っている。

 入院を境に精神的にも安定して、リスペリドンを頓服することもほとんどなくなったので、心身共に健康になってきたように見える昇平。虫歯とばかり思っていた歯も、歯医者に行ったら単なる歯茎の炎症とわかって一安心したり。
 来週からまたフリースクールに通い始め、体が慣れたら、来月末あたりから職業訓練センターにも行き始める予定でいる。そうなるとまたストレスがかかってしまうだろうから、今のうちにできるだけ元気になっていってほしいと思っている。

(2015.4.19記)

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2015年4月14日 (火)

てくてく日記・195「自宅療養中」

Cherry2015
出歩けない昇平のために撮ってきた桜の写真

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4/6(月)~3/12(日)

月:自宅療養2日目
火:自宅療養3日目
水:自宅療養4日目、夜中に歯痛
木:自宅療養5日目
金:医大外来(抜糸)
土:自宅療養7日目
日:自宅療養8日目

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 昇平は4月4日に退院して、ずっと自宅療養を続けている。
 金曜日に退院後はじめての外来診察で抜糸をしてもらい、ようやく椅子に座れるようになった。腰が曲げられるようになったので、入浴時に湯船につかるのもOK。でも、本人は「トイレの便座に座って用が足せるようになったのが一番嬉しい」らしい。不自由な生活が続いたけれど、本当によくがんばったと思う。
 この後もう一週間くらい、就寝時に仰向けにならないことと、傷に負担をかける動きをしないことをドクターから言い渡されたが、そのおかげで毎日堂々と部屋で布団に寝転び、ゲーム三昧の生活ができるので、昇平としてはまんざらでもない様子でいる。

 ただ、水曜日の夜中に急に「奥歯が痛い」と言い出し、翌日見てみたら、以前治療した歯にまた穴が空いているのがわかった。今回の入院やその準備で、歯医者の定期検診が受けられなかったし、入院中の歯磨きも充分にはできなかったので、なんとも仕方がないところ。
 治療の椅子には仰向けで寝るような格好で座ることになるので、丸一週間が過ぎる翌金曜日に歯医者の予約を入れた。
 幸い、常に痛むほどの状態ではないし、手術の後の痛み止めにもらった薬が余っていたので、痛いときにはそれを飲んでやり過ごしている。

 週末には、おやつや飲み物を買いに近所のスーパーまで歩いて出かけていった。
 あと一週間ほど自宅療養をしたら、ぼちぼちまたフリースクールに通うことができるだろう。
 長時間座っていられるようになるには、もう少し時間がかかりそうだから、焦らず無理せず、まず体を回復させるところから始めている。

(2015.4.5記)

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2015年4月 6日 (月)

てくてく日記・194「入院と手術」

Yakei_2
病室の窓から見えていた夜景
家々の優しい光に毎晩なごんでいました

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3/23(月)~3/29(日)

月:医大付属病院に入院、母は泊まり込みで付き添い
火:入院2日目、手術前説明、夕方から絶食
水:入院3日目、11:00~14:00毛巣洞摘出手術
木:入院4日目、夜微熱
金:入院5日目
土:入院6日目、TさんYくんと一緒に見舞いに来てくれる
日:入院7日目

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3/30(月)~4/5(日)

月:入院8日目、主治医から退院の話が出る、夜になって下痢
火:入院9日目、
水:入院10日目、私の介助でシャワー入浴
木:入院11日目
金:入院12日目
土:父の迎えで退院
日:自宅療養

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 以前の日記にも書いた通り、昇平は「毛巣洞(もうそうどう)」という病気の治療のために医大付属病院に入院して、水曜日に手術を受けた。

 まずは、こちらが強く希望した通り個室にしてもらえたし、泊まり込みで私が付き添うことも許可してもらえたので一安心。
 昇平は全身麻酔をすることがとにかく不安でいたのだけれど、手術室に入って麻酔が効くまでは私が一緒にいて良いことになったので、そちらも問題なくクリアできた。昇平が麻酔で眠るまで「大丈夫だよ」と声をかけ続けていたら、後で看護師さんから「お母さん、冷静でしたね」と誉めてもらってしまった。
 麻酔から覚めるときに混乱して暴れる患者さんもいるようで、病院としてはそれも心配していたのだが、目覚める過程は何も問題なかったらしい。手術が終わったと知らせをもらってまた手術室に行ったら、昇平はもう目を覚ましていて、「もう終わったの?」と不思議そうにしていた。

 その後、ドクターから手術の内容の説明を受け、「こういうのは見ても平気ですか?」と確認された上で切り取った組織も見せてもらったけれど、長さ3センチ×幅と厚みが2センチくらいと、やはり見た目よりずっと大きなものだった。
 また同じ症状を起こさないように、皮膚を横から引っ張ってきて傷をふさぐ、Z形成法というやり方の手術だったようで、傷跡はお尻にジグザグに残っている。

 術後に37.8℃くらいの熱は出たけれど、痛みはさほど強くなくて、翌日には点滴も終わって経過は順調。
 ただ、傷が完全にくっつくまでは、傷が開かないように「座る」と「腰を曲げる」にドクターストップがかかっているので、こちらのほうが大変だった。ご飯は立って食べるし、トイレの大も便座に座れないから、中腰の姿勢で用を足さなくてはならないし。2週目にはシャワー入浴もOKになったけれど、かがめないので腰から下を洗ったり着替えたりすることができない。いろんな行動に手助けが必要なので、結局私は入院中一度も家に帰ることなく、ずっと昇平に付き添っていた。
 私としても、ただ付き添いをしていると退屈なので、院内のコンビニで買った食材を使って、カフェ飯風の「付き添い飯」の写真を、ひとりごとブログのほうにアップしていた。

 本来なら木曜日あたりに退院できたのだが、寝た格好で車に乗らなくてはいけないので、旦那が休みを取れる土曜日を待って、旦那の大きな車で退院となった。
 折しも桜の咲き始め。昇平は車の荷台でうつぶせになっていたから「桜はわからなかった」と言ったけれど、私は咲き始めた春の花を愛でながら、「やれやれ、無事に終わった」と安心しながら家に戻った。

 この後は、来週の金曜日に外来で抜糸をすると、その後は座ることができるようになるらしい。それまでは家でもベッドでうつぶせ寝の自宅療養だけれど、ベッドの横にテレビやゲーム機を置いて、まんざらでもない生活でいるらしい。

(2015.4.5記)

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2015年3月24日 (火)

てくてく日記・193「いよいよ入院」

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3/16(月)~3/22(日)

月:フリースクール
火:フリースクール
水:フリースクール
木:病院(医大手術前診察)
金:病院(家庭医療科定期診察)
土:墓参り、春祭り
日:体調不良

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いよいよ手術のための入院が迫ってきた。
本人は記憶にある中では初めての入院なのでドキドキ。もちろん手術も生まれて初めてなので、とても不安。ただ、病気を持ったままなのも非常に嫌なので、がんばって手術を受けようと考えて、比較的落ち着いた状態でいた。
こちらとしても「がんばってるなぁ」と思っていたのだけれど、土曜日の夜中になって急に「お腹が痛い」と言い出し、翌朝には「気持ちが悪い」と言い出して一度トイレで吐いた。その後、腹痛や吐き気は治まったものの、37度2分〜4分の熱が出て、一日中だるそうに寝てばかりいた。
前日にお祭りに行って人ごみの中を歩いてきたので、風邪をもらってきたかとも思ったけれど、タイミングがタイミングがだし、熱も37度台前半から上がらないし、その割に元気がないので、手術が不安な心因性のものかもしれないと思って様子を見ていた。夕方になってから、試しにパニック時に頓服する薬を飲ませてみたら、その後たちまち熱が下がり、食欲も出て、元気な顔つきになってしまった。夜はまた早々に寝てしまったけれど、やはり不安からくる精神的なものだったのだろうな、と思った。

翌月曜日には元気になったので、無事に入院。こちらの希望通り、個室に入ることができたし、母もずっと付き添いなので、現在の昇平はとても落ち着いている。
手術は火曜日。無事に終了しますように。その後の痛みがあまりひどくありませんように。

でも、昨夜は病室の窓から綺麗な夜景が見えた。探せばいいことは何かしら見つかるかも、と思う入院開始です。

(毎日の入院の様子は星空掲示板で報告します)

(2015.3.17記)

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