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2014年9月

2014年9月29日 (月)

てくてく日記・170「職業センター見学」

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庭のドウダンツツジが色づき始めました

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9/22(月)~9/28(日)

月:フリースクール
火:秋分の日・墓参り
水:フリースクール
木:前期終業の集い(HR)
金:障害者職業センター見学
土:休養日
日:地区運動会を見に行く

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 以前、昇平の担任と話を聞きに行った福島の障害者職業センターへ、今回は昇平と二人で見学に行った。本当は7月末に予約を入れていたのだけれど、私の母の葬儀や私自身の入院が続いて、2ヶ月遅れでようやく行けるようになった。

 担当の臨床心理士のNさんに施設の説明を聞き、昇平は自分がどんなふう働きたいかを話し、実際に職業訓練のプログラムを受けている利用者さんの様子を見せてもらった。
 昇平は「障害者」職業センターという名称を聞いて、利用者の中に奇声や大声を出す人がいたらどうしよう、とものすごく心配していた。これは差別や偏見ではなく、昔から彼が抱えている困難。突然大きな声を出されたり意味のわからないようなことをわめかれたりすると、パニックに陥ってしまうから。この職業センターにはそういう利用者はほとんど来ないようで、実際の作業室でも静かに作業が行われているのを見て、昇平はだいぶ安心したようだった。
 作業室では、商品を伝票に従って必要な数だけ揃える「ピッキング」の作業に興味を示していた。

 昇平にできることは、今はとても限られているし、社会面での発達もまだまだ途上中だから、正直、「ちゃんと仕事に就けるかな」と私も昇平もとても不安なのだけれど、「ここに通うことで、自分に何ができるか、どういうふうにすればできるようになるかを考えて、がんばればできるようになることがあったらプログラムで底上げもして、働きたいという夢を実現できるようにしましょう。私たち職員はそのお手伝いをしますよ」とNさんに言われて、昇平もその気になったようだった。3月に学校を卒業したらここを利用することに決めて、利用登録をしてきた。

 センターの帰り道に、改めて昇平に聞いてみた。
「君はさ、どうして就職したいと思ってるの?」
 すると、昇平は少し考えてから、こう答えた。
「社会や人のために役に立ちたいって気持ちもあるんだけど……一番の理由は、自分の小遣いを稼ぎたいってことだな」
 うん、それならば大丈夫。きっと職業センターに通うことも仕事に就くこともできるね。だって、自分が使えるお金を自分で稼ぐ、というのが、勤労の一番根源的な目的だから。

 卒業まであと半年。
 その間にもっともっと社会性をのばして、いい形で職業センターに移行できるように、と願っている。


(2014.9.29記)

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2014年9月22日 (月)

てくてく日記・169「形見分け」

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形見のしおりをバッジと一緒にバッグにつけた

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9/15(月)~9/21(日)

月:祝日(敬老の日)
火:フリースクール
水:フリースクール
木:フリースクール休み・床屋へ
金:フリースクール休み・病院へ、
土:祖母の形見分けのために郡山へ
日:帰宅

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 今週は祝日と先生の出張が重なったのでフリースクールの日数が少なかった。
 週末には私の母の形見分けのために、昇平と郡山の実家へ。母が使っていた椅子型ポータブルトイレや、母が描いた日本画、衣類、趣味で買いそろえていた世界旅行のビデオテープなどをもらってきた。私はまだ肩が痛くて荷物が持てないので、昇平に一緒に来てもらって、荷物を車に積み込むのを手伝ってもらった。昇平は力はあるので、実家の二階から古くて重いスチール棚を外に運び出す仕事も頼まれて手伝ったりと、たくさん役に立ってくれた。
 でも、「すごく助かったよ、ありがとう」とお礼を言うと、「そんなふうに言ってくれてありがとう」と逆にお礼を言われてしまった。誰かの役に立って「ありがとう」と言われるのは、とても嬉しいことだったらしい。
 その日は実家に泊まり、他の親戚たちと食事をしたり話したりして過ごした。

 その前日の金曜日に薬をもらいに病院へ行ったのだが、祖母が亡くなって葬式に参列したことを話したら、「よい経験をしましたね」と先生に言われた。
 今回も、形見分けのために郡山へ行く話をしたら、「郡山に行っても、もうおばあちゃんはいないんだね。行くといつもいた人がいないってのは、なんだかだね」と言っていた。昇平なりに祖母の死を受け止めて、自分の中で整理をしているんだな、と改めて思わされた。その後、形見分けの場面も見て、また何かを感じただろうと思う。

 形見にもらってきた中に、さをり織りのしおりがあったので、金具を壊してしまった見えない障害バッジと組み合わせて、昇平のバッグにつけてあげた。お母さん、これからも昇平を見守ってね。


(2014.9.22記)

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2014年9月17日 (水)

てくてく日記・168「親の会の子ども活動」

Kappa
入院中から肩を保護するために使っているカッパの抱き枕。かわいいので看護婦さんにも大受けだった。

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9/8(月)~9/14(日)

月:休養日(フリースクールは休み)
火:フリースクール
水:フリースクール
木:フリースクール
金:フリースクール、買物、
土:ペアレントトレーニング学習会+子ども活動
日:漫画スクールのため仙台へ(最終)

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 土曜日に福島市内で親の会のペアレント・トレーニング学習会があった。今年度から、親が学習会に参加している間、子どもたちは「ルバート」という名称で子ども活動をしている。前回は別室で交流会(=好きなことをして一緒に遊ぶ)だったけれど、今回は学生ボランティアさんに同行してもらって、「自分たちだけでバスで福島駅の駅ビルへ行き、お昼を食べたりゲーセンで遊んだりする」というのが活動内容。昇平はともかく、親の車でドア・ツー・ドアの移動ばかりしている子も多いので、バスに乗ること自体が社会体験になる。

 この日の参加者は昇平も含めて4人で、全員が男の子だった。ところが、いざ出発する段になってちょっとしたトラブルが発生。K君がその日発売のゲームソフトを学習会の帰りに買いに行く約束をしていたのだが、それでは売れ切れてしまうかもしれないから今すぐ買いたい――と言い出し、お母さんに「だめだよ、帰りに行く約束だよ」と言われて落ち込んでしまったのだ。
 すると、子どもたちが取った行動は?

 昇平は落ち込んでいる彼の背中をなでてあげて「大丈夫だよ」と声をかけ、Y君は自分のお母さんと「駅前のイトーヨーカドーに行けば売っているかも」と話し合ってさっそく彼に伝えに行き、予定を変更してイトーヨーカドーにも回ってもいいだろうか、という相談の場になると、T君は「俺も欲しいものがあったら今すぐ欲しくなるから、K君の気持ちはすごくよくわかる」と言い、昇平も「自分もその気持ちはよくわかるし、自分はこの中で一番年上だから、どこにだってつきあうことができるよ」と言ったという。
 そこで、K君のお母さんはゲーム代をボランティアの学生さんに預け、バスに乗って駅に着いたら、イトーヨーカドー→ハンバーガーショップでお昼→ゲームセンターで遊ぶ というルートで出かけていった。
 結局、イトーヨーカドーに行ってもそのソフトは売っていなかったらしいけれど、K君も他の子たちも不満はなく、そのまま予定通りに遊んで、またバスに乗って学習会の会場まで帰ってきた。

 私たちは学習会に参加していたので、このやりとりを後からY君とK君のお母さんから聞いたのだが、「すごいね」「バスで出かける前から、すごくいい勉強になっていたんだね」と感心してしまった。
 人の気持ちを思いやることが苦手なはずの子どもたちが、「君の気持ちはわかるよ」と口々に言って、いたわったり譲り合ったりすることができたのだから、本当にすごいことだと思う。
 「まるで兄弟みたい」と言うお母さんもいたけれど、本当にそんな感じかもしれない。兄弟とまでは行かなくても、学校の友だちとはまた違う、自分とどこかよく似た友だち――そんなふうに互いに感じているのかもしれない。

 次回の学習会は親の忘年会と抱き合わせだから子どもの活動はできないけれど、その次の3月の学習会では、できたらまた今回のような「おでかけ」を経験させてあげたいね、と話し合った。もっとも、それ以前に11月には「芋煮会」、1月には「お楽しみ会」と、子どもたちの活動は続くのだけれど。
 親同志の活動と子ども同士の活動。どっちの活動もいい感じで動いているなぁ、と感じている。


 翌日曜日は、仙台の漫画スクールの最終回だった。キャラクターの作り方などを改めて教わり、記念品に立派なスケッチブックをもらい、「これからも描くことを続けてくださいね」と応援されて帰ってきた。
 職業としての漫画家やイラストレーターは昇平には無理だったけれど、通っている間に画力は上がったし、なんといっても自力で仙台まで行けるようになったのだから、成果は充分だったと思っている。
 昇平は「今回○○のラーメンを食べてこなかったから、今度また仙台に行って○○に行く」と今から次の仙台行きを計画している。

(2014.9.16記)

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2014年9月 8日 (月)

てくてく日記・167「入院していました」

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病室のベッド。私の代わりに寝ているのは「河童」の抱き枕

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8/11(月)~8/17(日)

月:フリースクールのキャンプへ(猪苗代湖)
火:キャンプから帰宅
水:母、右肩関節炎で入院(8/31まで)
木:夏祭り・墓参り
金:休養日
土:病院に見舞に来る
日:見舞に来る

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8/18(月)~8/24(日)

月:フリースクール
火:フリースクール・見舞
水:フリースクール
木:前期末試験(現国・地歴)
金:前期末試験(英語・福祉)
土:見舞
日:見舞

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8/25(月)~8/31(日)

月:休養日(フリースクール休み)
火:フリースクール・見舞・19歳誕生日
水:フリースクール・試験合格通知来る
木:フリースクール・見舞
金:フリースクール
土:見舞
日:母退院、父と迎えに来る

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8/31(月)~9/7(日)

月:フリースクール
火:フリースクール
水:フリースクール
木:フリースクール、母:親の会支部例会
金:フリースクール
土:休養日
日:休養日

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 郡山の実家の母の葬儀も終わって帰宅してから10日。私はこれまでの疲れが一気に出たのか、8/11の月曜日あたりから右肩がひどく痛みだし、火曜日に近所の整形外科に行って五十肩の診断を受けたものの、注射をしても薬を飲んでも痛みは治まるどころかますます悪化。なんとか運転してキャンプ帰りの昇平を迎えに行ったが、その後も痛みはどんどん強くなって、13日水曜日には激痛になってしまった。病院はもう盆休みのところが多かったので、総合病院に事情を話して駆け込んだところ、「化膿性肩関節炎と五十肩」という診断を受けて、そのまま入院になってしまった。動かさないでいても痛いけれど、ちょっとでも動かすと激痛に襲われて、右腕がまったく動かせない。抗生剤の点滴を受けて状態が改善してくるまでの3日間は、本当につらかった。

 祖母が亡くなったばかりなので、昇平もさすがに不安だったようで、私が入院した週はかなり不安定だったらしい。それでも私を思いやってか、メールなどはよこさず、がんばって耐えて、週末に父と一緒に見舞いに来た。翌週は期末試験もあったが、それも寝坊することなく起きて、ちゃんと受験できた。
 試験が終わったら、昇平の精神状態も少し落ち着き、さらに翌週みごと全教科合格の通知が来たら、がぜん元気になってきた。その週には私の退院も決まり、31日の日曜日に父と一緒に迎えに来てくれた。私は19日間の入院だった。私が家に戻ってきて、昇平も他の家族もとても安心したらしい。

 私は現在もまだ右肩に痛みがあって、腕もあるとこから上がらなかったり動かなかったりするけれど、病院に通うほどではないので自宅でリハビリするように、と言われている。今はご飯を作ったり、運転して外出したりすることもできるようになった。
 長時間の外出や疲れるようなことはまだできないけれど、ぼちぼち体をならしながら、リハビリを続けながら、回復をめざそうと思っている。
 私の入院中、私が安心して治療に専念できるように協力してくれた昇平と家族に、心から感謝。

(2014.9.7記)

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