3行日記

2011年4月23日 (土)

昇平3行日記・28+震災日記・5

※3行(以上)の記録で振り返る、震災後の4月の昇平の様子。詳細はブログ「そっと、ひとりごと」の大震災日記にて。



【お願い】
 昇平が通うフリースクールの再開をご支援ください。
http://homepage3.nifty.com/asakuratown/bokin-onegai.html

4月11日(月)
 今日で大震災から1カ月が過ぎたが、今日も夕方5時16分頃、いわき市でまた震度6弱の余震が起きた。本震や4月7日の余震よりは短かったものの、我が家でも地鳴りが響いて、家がかなり激しく揺れた。昇平はまたパニックになりかけたが、そうすると先日のように母がまたおかしくなると考え、「ぼくは冷静になる」と言って、本当に冷静になることができた。その後もかなり強い余震が頻発したが、そのたびに落ち着いて避難しては、「ぼく、落ち着いているでしょう?」と言っていた。昇平が言うには、「巨大地震よりも何よりも、お母さんが怒ることのほうが怖い」のだそうだ。まあ、それで冷静になってもらえるようになったのなら、結果オーライだろうか。(苦笑)

---------------

4月12日(火)
 震災の影響で昇平が高校に登校するのに利用するはずだった電車が不通になり、まだ復旧の見通しが立たないというので、バスで福島市まで通う練習をすることにした。我々が住んでいる場所は交通過疎地。電車もバスも都会の人には信じられないほど本数が少ないし、料金も高額なので、大人も子どももほとんど自家用車で移動している。そんな状況だから、昇平はもちろん、私もバスに乗るのは数年ぶり。その間に料金のICカードが導入されていたり、車両そのものが昔と変わっていたりで、昇平よりまず私がバスに慣れるための練習になってしまった。45分あまりかかって、無事に福島駅前に到着。当面バス通になることを考えて、窓口で昇平のICカードを購入した。昇平は精神障害手帳を持っているので、バスの運賃は半額、付き添いも1名まで半額になるので、ありがたい。

 その後、公休で福島市内の病院に定期検診に来ていた旦那と合流し、一緒に昼食を食べたが、精算をしているところへまた強い余震。あわてて店の外に飛び出したが、店の従業員たちも、いつまでも続く余震に真っ青な顔をしていた。ただ、そんな状況の中でも、昇平は今日も落ち着いて行動をしていた。本気で冷静になることにしたらしい。偉い、と思った。
 帰りは旦那の車で帰宅。夜は旦那も含めて3人で「マリオ・パーティ」。久しぶりに親子3人で遊べたので、昇平は大喜びだった。

---------------

4月13日(水)
 福島市で桜が開花。その一方で放射能測定結果が基準値以上になったというので、ここ伊達市を含む福島県東部~北部の露地栽培シイタケが出荷禁止になった。農業、漁業、工業、商業、自治体、教育……今回の原発事故で福島県が被っている被害は、あまりにも甚大だ。震災だけでもすさまじい被害額なのに、そこへ、原発事故という人災。現地にいれば、その被害額が気の遠くなるほど巨額だということは肌でわかる。原子力は「神の火」。人間の手ではとても制御しきれないものだったのだな、と改めて思う。

 今日の午前中は、家庭教師のH先生の最後の指導日だった。つらく大変だった昇平の中学生活を、学習と心の両面で支えてくださった先生だった。いわゆる「先生づら」をしない先生で、子どもの気持ちまで降りてきて、親よりも身近な「年の離れたお姉さん」みたいな感じで接してくださるので、昇平もH先生が大好きだった。これからの指導に発達障害の視点が不可欠と考えていて、勉強後には私の経験談にも熱心に耳を傾けてくださったり、共に発達障害や子どもの育ちについて熱く語り合ったりしたので、私にとっても、とても楽しい時間だった。
 発達障害を持つ子どもたちは、これからますますたくさん「認識」されるようになっていく。その中で、公立の教育組織だけではフォローしきれなくて、塾や家庭教師に指導を頼む家庭も増えていくだろう。H先生のような存在は、これからますます必要とされていくと思う。「何かあったら、またいつでも会いましょう」と約束して、昇平の家庭教師は終了となった。

---------------

4月14日(木)
 震災後初めて、親の会の支部例会があった。いつもの会場が使えないので公民館に場所を変え、とにかく集まれる人だけで良いから集まろう、と言って呼びかけたのだが、12人も集まって大盛況だった。今回から、支部代表職はTさんに譲って、私はアドバイザー役になったが、Tさんは全員に震災や近況を語ってもらって想いを吐き出してもらい、見事に支部をとりまとめていた。副支部長のSさんも、出席できないメンバーの所在と近況をがっちり把握。私は特に何も出番がなくて、とても嬉しい再スタートになった。
 その間、昇平は落ち着いて留守番していた。強めの余震もあったのだが、その時にもちゃんと2階から避難してこられたらしい。

---------------

4月15日(金)
 暖かい一日。桜はどんどん咲いているらしい。
 午前中、またパン焼き器でパンを焼き、昇平と一緒に焼きたてパンで昼食にした。おいしかった。

---------------

4月16日(土)
 午前中は晴れていたが、寒冷前線が通過したときに強風が吹いた。突風のような風だったので、あわてて洗濯物を取り込んだが、いわき市では竜巻も起きたらしい。こういう時期には天災も続くんだろうか?
 昇平は、家の中ばかりで過ごしているので、かなり退屈している。夕方、一緒にスーパーへ買い物に行き、夜は旦那の帰宅が早かったので、一緒にマリオパーティをして遊んだが、運動不足も心配だ。

---------------

4月17日(日)
 昨日の天気が嘘のような快晴の一日。旦那が公休だったので、一緒に花見山まで花見に出かけた
 昇平は家の中でネットやゲームばかりで、すっかり不安定になっていたが、一面に咲き乱れる花を眺め、山道を上り下りして運動をして、帰りには回転寿司に回って外食もしたら、少し元気になったようだった。
 何があっても春はめぐってきて、花は忘れずに咲く。私たちの人生もきっとそう。つらいことの後には、きっと良い時がめぐってくるから、それを信じていこう。――君にも、きっといいことがあるからね、昇平。

---------------

 以上をもって、「昇平てくてく日記3~中学校編~」は終了です。長い間、ご愛読ありがとうございました。

 幸い、昇平が「みんな僕がやっていることを知って応援してくれるから、このまま日記を続けていいよ」と承諾してくれたので、引き続き彼の高校生活の様子も公開できることになりました。
 この続きは、「てくてく日記4~高校編~」に載せていきますので、これからもよろしくお願いいたします。

   2011年4月23日  朝倉玲




【お願い】
 昇平が通うフリースクールの再開をご支援ください。
http://homepage3.nifty.com/asakuratown/bokin-onegai.html

☆てくてく日記への感想等はこちらへ→ 「療育掲示板」
 http://www.sets.ne.jp/cgi-bin/asakura/ryoiku/light.cgi

☆昇平のブログ→ 「Dark Silver Zone」
 http://ley.cocolog-nifty.com/da_silver_zone_/


|

2011年4月11日 (月)

昇平3行日記・27+震災日記・4

※3行(以上)の記録で振り返る、震災後の4月の昇平の様子。詳細はブログ「そっと、ひとりごと」の大震災日記にて。



【お願い】
 昇平が通うフリースクールの再開をご支援ください。
http://homepage3.nifty.com/asakuratown/bokin-onegai.html

4月1日(金)
 震災から3週間が経過。近所の人が取り壊した倉の瓦をくれるというので、義母と昇平と3人で、貴重なガソリンを使ってもらいに行った。早起きさせられたこともあって、昇平は非常に機嫌が悪かったが、そこへフリースクールのS先生から電話がかかってきて、明日、私と一緒にスクールへ行けることになって、いっぺんで元気になってしまった。その後、外を掃除していた私のところへ、「早く来て! ぼくのパソコンから煙が出てきた!」と飛んできたので、大あわてで駆けつけたら、モニターに昇平の文字で「うそだよ~ん」と書かれていた。今日はエイプリルフールだった。

---------------

4月2日(土)
 再開の話し合いのために、隣町のフリースクールへ。同様にここを利用しているSさんもお嬢さんを連れてきたので、昇平と二人、久しぶりの再開を喜んで、仲よくポケモンで遊んでいた。S先生の話によると、やはり今の建物はもうフリースクールとしては使っていけない、とのこと。移転先の物件探しは、同じ町内に住むSさんやKさんが、募金のお願いはネットに知り合いの多い私が、それぞれに協力していくことになった。その後、子どもたちが遊び足りなかったので、Sさんのお宅にお邪魔して、4時まで遊んだりおしゃべりしたりしてきた。本当に、一日も早くフリースクールが始まって、またこんなふうにみんなで会えるようになるといいね。

Hiroba2
 フリースクールの入口へ至る階段の支柱。激しく揺すぶられて根元で半分折れている

Hiroba3
 フリースクールの内部。戸棚などは戻してあったけれど、まだめちゃくちゃだった。

---------------

4月3日(日)
 日曜日なので8時に起こし、9時からアニメ「ポケモン」を見て、10時からは家庭教師のH先生と勉強をした。久しぶりにH先生の元気なお顔が見られて、私もなんだかとても安心した。震災前の日常が少しずつ戻ってきているけれど、この日も夕方に震度4の余震が来て、揺れ方が3月11日の地震にそっくりだったので、私も昇平も怖くなってしまった。なかなか落ち着けないなぁ。

---------------

4月4日(月)
  フリースクールへの支援をお願いした、アメリカの障害児・者支援団体PHPのK.W.さんから、国際電話をいただいた。発達障害を持つ子どもたちが、学校の中で適切に対応されないために不登校になっていく話をすると、「学校に言語療法士や行動療法士が入って、早くから子どもたちを支援していけば、後が全然違うのに!」と、日本の現状に驚いていらした。フリースクール「みんなのひろば」のために募金活動を始めてくださるとのこと。遠い遠い海の向こうで……。ありがたくて、嬉しくて、涙が出そうだった。みんなの応援で、早く子どもたちを笑顔にしてあげたいと思う。

---------------

4月5日(火)
 今日もSさんのお宅へ遊びに行った。お嬢さんのHちゃんがなかなか遊んでくれなくて、昇平が怒る場面もあったが、ゲームの遊び方を丁寧に教えてあげることで、仲よく遊ぶことができるようになった。こういうことは、同じ子ども同士でなければ学べない。同じフリースクールの保護者のKさんも来て、大人の私たちはスクールのこと、自分たちや知人の被災の様子、原発と放射能のことなど、いろいろ情報交換をした。

---------------

4月6日(水)
 今月2回目の家庭教師との勉強日。20日からは高校が始まってしまうので、H先生との勉強もあと2回で終わる。我が家でも新しい生活が始まるのだけれど、登校に利用するつもりだった電車がまだ復旧していない。昇平とバスに乗る練習をしなくては、と思っている。日常は少しずつ戻ってきているが、昇平は時折むしょうに不安になったり、怖くなったりしているし、こちらで被災して埼玉の大学へ戻っていった長男も、最近夜眠れないとメールをよこした。震災から4週間。そろそろ心の傷が表面に出始めているらしい。

---------------

4月7日(木)
 震災後初めての診察日。震災の前日に4週間分薬をもらっていたので、我が家では薬を切らさずにすんだが、親の会の仲間の話を聞くと、やはり子どもの薬にとても困ったという。今週に入って流通状況もよくなってきたので、薬もまた4週間分もらうことができた。ただ、診察途中でも昇平は「急に怖くなってきた」と言って、リスペリドンを頓服。主治医も看護婦も、ああ、やっぱり、という表情でそれを見ていた。この震災には障害のない人たちでもPTSDになっているけれど、発達障害を抱えているために精神的に脆弱なこの子たちは、いっそう強くその影響を被っている。この子たちの心のケアはこれからが本番なのだろう。

 そんな中、私の友人が昇平へポケモングッズをいろいろ送ってくれた。お菓子や、高校でも使えそうなデザインの文具やハンカチなどで、昇平は大喜び。あんなに嬉しそうな昇平の笑顔を見たのは、震災前以来だった。友人に心から感謝した。

 ところが、そろそろ眠りかけていた深夜11時32分に、また宮城県沖を震源とした巨大な余震。宮城県で震度6強、私たちが住んでいるこの場所でも震度5強の揺れに襲われた。すぐに丈夫な物陰に隠れたので怪我は全くなかったが、昇平がパニックを起こしてしまって、落ち着かせるのが大変だった。

---------------

4月8日(金)
 昨夜の巨大余震のために、壁が落ちたりひびが広がったりと、家がいっそう傷んでしまった。人の心も激しいショックを受けて、今日は誰もが疲れ切った顔をしていた。昇平も「また大きな余震が来るかな?」と何度も繰り返して、私のそばからまったく離れられなくなってしまった。やっとガソリンが行き渡るようになり、物流も復旧してきて、それなりに商品も手にはいるようになって、元の生活に戻り始めたと感じられていた矢先だったのに。福島県は大半の地域で電気も水道も大丈夫だったが、一度回復したライフラインがまた停まってしまった宮城県の友人は、やはりものすごい精神的なダメージを受けていた。地震はもういい! もういらない!!

 それでも、私たちは毎日を生きていかなくてはならない。予約が入っていたので、午後には昇平と歯医者へ。
 親の会のメンバーには、震災後の子どもへの対応マニュアルというものを、メールで送信した。

「地震後の子どもの対応へのガイドライン」 (東京プレイセラピーセンター作)
 http://www.tokyoplaytherapy.org/resources/forparents0311.pdf

---------------

4月9日(土)
 雨のち曇り。低気圧のせいか、巨大余震の精神的なショックのせいか、朝からずっと頭痛がしていた。片づけや掃除をする気になれなかったので、先日譲ってもらったパン焼き器で食パンなど焼いてみた。一度目は失敗だったが、再挑戦して、二度目には成功。
 ところが、夕方、昇平がまた動画で嫌なコメントを見てしまった、と言ってパニックになっていたので、こちらもとうとう爆発。泣いたり怒ったり怒鳴ったり……少し冷静になってからは、こんなにたくさんの人たちが応援してくれているんだよ、世界には優しい人のほうが多いんだよ、と話して聞かせたり。1時間くらいかかって、なんとか私も昇平も落ち着いた。ストレスフルな中、水でいっぱいになったコップに最後の水を入れられたように何かが起きると、とたんに切れて爆発してしまうのが私の癖。良くない、改めなくては、と思うのに、どうしても改まらない。そのたびに子どもたちをとても怖がらせてしまう。はぁ、落ち込むなぁ……。

---------------

4月10日(日)
 昨日の出来事はショックだったけれど、昇平は自分なりに整理をして、前へ進む力に変えようとしていた。「お母さんもぼくも疲れていたんだよね」「あれは親子喧嘩だったんだよね。よくあることなんだよね」と、一日に何度も言う。嫌なコメントを思い出しそうになると、「この世界にはいい人も大勢いるんだよね」と言う。それでも夜になると嫌な考えに取り憑かれそうになるけれど、面白いイラストを描いて母子で大笑いしているうちに、嫌なことは忘れて元気になることができた。
 午前中はまた家庭教師のH先生がいらしたが、実際に勉強するより、話を聞いてもらう方に一生懸命だったらしい。H先生にもいろいろ助けていただいたけれど、次回でそれも終了。「あと1回で終わりか~」と昇平が残念そうに言っていた。



【お願い】
 昇平が通うフリースクールの再開をご支援ください。
http://homepage3.nifty.com/asakuratown/bokin-onegai.html

☆てくてく日記への感想等はこちらへ→ 「療育掲示板」
 http://www.sets.ne.jp/cgi-bin/asakura/ryoiku/light.cgi

☆昇平のブログ→ 「Dark Silver Zone」
 http://ley.cocolog-nifty.com/da_silver_zone_/

☆詳しい大震災日記はこちらで→「そっと、ひとりごと」
 http://ley.cocolog-nifty.com/hitorigoto/


|

昇平3行日記・26+震災日記・3

※詳細はブログ「そっと、ひとりごと」の大震災日記に載せているので、今回は本当の3行日記で3月の分を振り返ってみる。(ときどき4~5行くらいになるかも)



【お願い】
 昇平が通うフリースクールの再開をご支援ください。
http://homepage3.nifty.com/asakuratown/bokin-onegai.html

3月21日(月)
 彼岸の中日。家の中の片づけもだいぶ進んだので、昇平と自転車でお墓参りに行ったが、墓石は我が家のも含めてひっくり返って、すさまじい光景だった。ガソリンの不足もあって車の姿はほとんどなく、町の中は異様なほど静かだった。

---------------

3月22日(火)
 ガソリン不足が深刻だが、旦那と交代でガソリンスタンド前に一晩並んで、旦那の車に2千円分入れることができた。昇平の薬は、震災前日にたまたま4週間分もらっていたので、まだ当分間に合う。親の会の仲間たちは病院に行くことができなくて、子どもの薬が切れるのを心配しているが、我が家はラッキーだった。震災後から不安定がひどくなっているので、安定剤と抗てんかん薬は欠かすことができない。

---------------

3月23日(水)
 食料品が手に入りにくくなってきたので、家に買い置きしておいたもので食事を準備している。とにかく食べることが一番大事と考えているので、できるだけバランスのよい食事をしっかり取れるように、毎回頭をひねっている。今日は近所の農家の人から新鮮なニラをたくさんいただいたので、さっそくニラ玉汁とおひたしにした。大好物のニラのおひたしに、昇平は大喜びだった。

---------------

3月24日(木)
 日中、昇平は自転車でスーパーまで買い物に行って、自分のおやつやおじいちゃんの菓子パンを買ってきてくれた。『とーます!』の顧問の中田先生からは、発達障害を持つ子に震災の映像を繰り返し見せることは、後々フラッシュバックやPTSDを起こしやすくなるので配慮してあげるように、という連絡が来たので、会のメンバーへ情報を流した。原発事故の影響も気になるし、福島への風評被害も本当に嫌になる!

---------------

3月25日(金)
 午前中、昇平と自転車でスーパーまで買い物に行き、豆腐と挽肉が手に入ったので豆腐ハンバーグを作った。担任から集金の残金を取りに来てほしいという電話があって、昇平がまた自転車で中学校まで受けとりに行ったが、一日二度も遠出したせいか、つらかった中学校時代を思い出してしまったのか、その後、精神的に非常に不安定になってしまい、リスペリドンを限界量まで頓服することになった。楽しいことを考えさせてあげたいのに、頼みの綱だったフリースクールはまだ休業中。昇平の高校生活は、通信制の高校とフリースクールを組み合わせて利用するつもりだったので、一日も早く始まってほしい、と心から思う。

---------------

3月26日(土)
 今回の震災で、私たちが使っていた2階がかなりの被害を受けたので、夜は1階の長男の部屋で寝ている。今日は部屋を片づけて寝る場所を広くしたが、昇平も重い箱を運んだりするのを手伝ってくれた。その後はWiiで一緒にマリオパーティ。午後になって、震災で壊れたエアステーションのACアダプターが届き、無事にインターネットができるようになった。落下して故障したと思っていた昇平のパソコンも、どうやら大丈夫だったようで、昇平はとても喜んでいた。

---------------

3月27日(日)
 昨夜、昇平がフリースクールの先生へ出したメールの返事で、スクールの再開はまだ見通しが立っていないことが判明した。修理や移転のための費用が足りないのだ。私に何ができるだろうと考え、スクールへの募金を呼びかけるページを作って、知人友人に協力をお願いすることにした。昇平は一日に何度も「スクールに行きたい」と言い続けているし、利用している他のお子さんもみんなそうだと聞いている。被災後2週間が過ぎて、ショックや不安が外に出始める時期だけに、一番心がくつろぐ場所へ戻りたい、とみんな切に願っているのだろう。

---------------

3月28日(月)
 昇平は、毎日「明日は何をする?」と聞いてきて、小さなことでも明日の予定が入ると、「わかった」と安心した顔をする。明日の見通しを立てることで、安心を得ようとしているんだろう。今日はゼリーの素を使って、デザートのグレープゼリーを作ったが、デザート類も手に入りにくくなっているので、なんだか幸せな気分になった。夜、国土地理院が公開した被災地の空中写真で、二年前に旅行した女川が壊滅しているのを確認。旦那も私もことばがなかった。

---------------

3月29日(火)
  ネットでフリースクール再開のための支援を呼びかけたら、とても多くの方が募金をしてくださった。震災でアニメ「ポケモン」を見逃したことを昇平が残念がっていたら、わざわざ調べて、アニメの動画のURLを教えてくれた友人がいた。ラジオでも新聞でも、とてもたくさんの人たちが被災地に向かって「がんばれ!」「負けるな!」と言ってくれている。震災は非常に不幸な出来事だけれど、そんなふうに大勢が私たちを助けようとしてくれていることを、昇平に「目に見える形で」教えてあげられることは、とても嬉しい。

---------------

3月30日(水)
 旦那が公休。朝早くからガソリンスタンドに並んで給油できたので、福島市内まで買い物に出かけ、昇平の高校のための文具や服を買うことができた。これで一安心。ファミレスがやっていたので、昼食に入ったら、震災限定メニューで、ドリンクバーもサラダバーもなかった。それでも久しぶりの外食はとても美味しかった。

---------------

3月31日(木)
 昇平の高校は被害も少なくて、4月20日に予定通り入学式があるけれど、フリースクールの方は再開の見通しが立っていない。募金も集まっているし、スクールの先生もバイトをして再開の資金を稼いでいるけれど、まだまだ。別の保護者のお願いで議員さんがスクールを視察に来てくださったが、県内公立高校が軒並み被害を受けているので、そちらが優先になる(直接スクール再開に支援はできない)という話だったようだ。そんな中、花風社を通じて知ったアメリカ西海岸の障害児・者支援団体PHPに援助をお願いしたら、さっそくメールで返事をいただき、支援をしてもらえることになった。「大きな団体のような多額の援助はできませんが、公の支援をなかなか受けられない小さな団体や組織を応援したいのです」ということばが、身に染みて嬉しかった。




【お願い】
昇平が通うフリースクールの再開をご支援ください。
http://homepage3.nifty.com/asakuratown/bokin-onegai.html

☆てくてく日記への感想等はこちらへ→ 「療育掲示板」
 http://www.sets.ne.jp/cgi-bin/asakura/ryoiku/light.cgi

☆昇平のブログ→ 「Dark Silver Zone」
 http://ley.cocolog-nifty.com/da_silver_zone_/

☆詳しい大震災日記はこちらで→「そっと、ひとりごと」
 http://ley.cocolog-nifty.com/hitorigoto/

|

2011年3月31日 (木)

昇平3行日記・25+震災日記・2



【お願い】
 昇平が通うフリースクールの再開をご支援ください。
http://homepage3.nifty.com/asakuratown/bokin-onegai.html

※全然3行で収まっていない3行日記。

(前回更新した日記で曜日を間違えていました。今週の日記は日曜日から日曜日まで。震災後で忙しいときだったので、いろいろ混乱していたようです。)


3月13日(日)
 震災3日目、今日も終日停電・断水。昨日に引き続き、めちゃくちゃになった2階の部屋を片づけた。兄ちゃんはタンスやパソコンなどがひっくり返った西の部屋を、私と昇平は昇平の机がある東の部屋を。兄ちゃんが昇平の薬を全部発見してくれて、ほっとした。震災の前日に病院に行って、4週間分まとめて処方してもらっていたので、当分は間に合う。我ながら、虫の知らせでもしていたのだろうか?

 とても大変な状況なのに、子どもたちは本当によく協力してくれる。電気が使えないので充電もできず、パソコンだけでなく、携帯ゲーム機も使えないのだけれど、それについては本当に文句ひとつ言わない。ただ、時々ひどく不安がって、「卒業すればパラダイスのはずだったのに!」「旅行にもう一生行けないのか!?」「フリースクールもダメなのか!?」「高校も行けなくなってしまうのか!?」と嘆く。そのたびに、「大丈夫だよ。全部一度に元には戻らないけれど、少しずつ、元に戻っていくからね。フリースクールにも高校にもちゃんと行けるよ」と話して聞かせている。

 床に落ちたテレビの下から、昇平が美術の授業で作ったドリームランプが出てきた。つぶれていたけれど、紙と柔らかい針金でできていたので、だいたい元の形に戻すことができた。LEDライトも無事。家族4人で寝ている部屋にセットして、常夜灯の代わりに使うことにした。電気が来ていないので夜は本当に暗いのだけれど、ランプの光が優しく部屋を照らしてくれている。

---------------

3月14日(月)
 早朝に電気が来た! 全員が携帯のバッテリー切れになっていて、乾電池で充電している状態だったので、いっせいに存分に充電した。昇平もDS-iに充電をしていた。

 日中は昨日に引き続き2階の片づけ。今日も子どもたちはとてもよく手伝ってくれた。
 電気が来たので、ポンプで地下水を汲み上げる庭の水道が使えるようになったが、水は重い。そこから家の中へタンクやバケツ、ペットボトルで水を運ぶのも大変な作業なのだが、それも、嫌な顔ひとつせずに手伝ってくれた。ありがとう、子どもたち。

 夜になってから、昇平は久しぶりにポケモンをやっていた。

---------------

3月15日(火)
 建築屋をしている親戚が来て、我が家の被害状況を見ていった。とりあえずは住めるけれど、今まで寝ていた2階では寝ないほうが良いだろう、2階の下の部屋も危険と言われた。全面的に修理すると新築より金がかかるかもしれない、とも言われる。築45年の家なので、これを機会に建て替えも考えに入れていくことになる。
 
 今日から、私は2階の西の部屋の整理。私のノートパソコンは無事だったし、昇平のパソコンもなんとか立ち上がったけれど、エアステーションのACアダプターが破損しているし、電話も通じないので、ネットにつなぐことができない。テレビは昇平が怖がるので極力見ないようにして、情報はもっぱらラジオの地方局の放送を聞き続けている。福島第一原発のたてつづけの事故は非常に心配だけれど、私たちにはどうすることもできない。一刻も早く終息するように祈りながら、片付けを続けた。細かい整理で昇平には手伝えないので、ゴミ袋を運ぶときだけ来てもらった。私のそばにいるとラジオのニュースだけでも不安になったかもしれないので、ちょうど良かった。

 震災後、旦那も早く帰ってくるようになり、夕食後は階下の一部屋に集まって一緒に過ごすようになった。旦那と兄ちゃんは久しぶりに囲碁の勝負、昇平は久しぶりにポケモンをした後、本を見ながら布団でうとうと、私は日記を書いたり、携帯から星空掲示板に近況報告を書き込んだり。大変なときだし狭苦しいけれど、こういうのっていいな、としみじみ思っていたら、部屋に雨漏りが始まって、布団を抱えて大あわてで別室へ避難するはめになった。地震で屋根瓦もずいぶん壊れている。余震も多くて、なかなか落ち着くことができない。
 
---------------

3月16日(水)
 未明に静岡で震度6強の地震。こちらでもかなり揺れて、その後眠れなくなってしまった。雨漏りから避難した部屋は、周りにタンスがいくつもあって怖い。狭苦しいし、雨漏りも心配だけれど、また最初の部屋に戻ることにした。

 2階の片付けは大まかなところは終わって、細かい整理に入っている。昇平はゲームやお絵かきをして過ごし、ゴミ袋を運ぶときに手伝ってくれる。外の水道から水を運ぶのも手伝ってくれる。兄ちゃんは、じいちゃんの手助けをして、屋根に上がったり力仕事をしたりして手伝ってくれている。旦那が職場の片づけにかかりきりなので、家の中の家具などを直すのは、もっぱら兄ちゃんの役目。子どもたちが本当に頼もしく見える。

 夕方になって、ようやく電話が通じた。親戚から立て続けに安否確認の電話が入る。義母の妹さんは仙台の海沿いに住んでいて、今回の津波で家をすっかり流されてしまったらしい。家族全員無事だったのは不幸中の幸いだったが、本当に着の身着のまま、車で脱出したのだという。
 家の片付けは大変だし、まだ水も出ないけれど、こうして自分の家に住んでいられるだけでも、私たちは幸せなんだとつくづく思う。

 今夜はまた、1階の兄ちゃんの部屋に家族4人で寝る。狭いけれど、みんな一緒が安心できるし楽しい。

---------------

3月17日(木)
 ガソリンが手に入らなくて、買い物に出かけることができない。店に商品も少ない。旦那は私の軽乗用車を使って通勤しているが、スーパー勤務で、その日売れ残った商品から少しずつ何か買ってきてくれるので、とても助かっている。

 今日も私は細かい片づけに専念、これを機会に思い切ってモノを捨てて減らしている。思い出よりも安全優先。
 私が昼食を作っている時間がないので、兄ちゃんがアップルクレープを手作りしてくれた。兄ちゃんは自炊しているので料理が上手。とても美味しかった。
 昇平は震災後初めてお絵かきをしていた。ゲームもしている。そんなふうに以前と同じことをすることで、少しずつ落ちつきを取り戻してくれれば、と思っている。震災直後は、逆に、薬を飲まなくても大丈夫なほどしっかりしていたが、震災から1週間になるので、そろそろ疲れや影響も出てくるだろうと思って見ている。

 夜になって水道から水が出たが、すごい濁り水で、間もなくまた停まってしまった。

---------------

3月18日(金)
 関東方面への高速バスが郡山から動き出したので、兄ちゃんはそれに乗って自分のアパートへ戻ることになった。大学は春休み中だけれど、バイトがあるし、向こうの友人も心配しているので。今日は郡山の私の妹の家に泊まり、明日、高速バスで帰っていく。ありがとう、兄ちゃん。大変な経験をしてしまったけれど、いてくれて本当に助かったよ。

 午後3時半過ぎ、庭に出て家を眺めた。
 一週間前の3月11日14時46分。私はその場所から激しく揺れる家を眺めていた。あまりに揺れが長く激しくて、家がつぶれるんじゃないかと本気で思った。中には昇平と義母がいたから、気が気じゃなかったけれど、助けに飛び込むことさえできなかった。
 傷つきながらもちゃんと建っている家を見て、家族全員無事でいられたことを、心から感謝してしまった。これ以上何かを望んだら罰が当たる、とも本気で思った。

 まだ出方は不安定だが、水道が復旧した。水が使えるのは本当にありがたい。
 家中の掃き掃除、拭き掃除をして、ようやく家の中を靴で歩かなくてすむようになった。昇平も、綺麗になった2階の居間でくつろぐようになってきた。

---------------

3月19日(土)
 ノートパソコンをモデムに直接つないで、インターネット復旧。取り急ぎ、生存報告や近況報告をした。エアステーションのACアダプターも早く注文しなくては。
 ところが、昇平のパソコンにモデムをつなごうとしたら、パソコン本体から異音がした下ので、あわてて止めた。デスクトップで重いので、地震で投げ出されたときに故障したのかもしれない。でも、パソコンのデータを震災の少し前に外付けHDDに保存していたおかげか、昇平は予想以上に落ち着いていて、「パソコンはおじさんに修理してもらえるからね」と教えると、「よろしくね」と言っていた。震災は本当に大変な経験だったけれど、その中でさえ、子どもたちは成長して大人になっている。

 昼過ぎ、また寝ている部屋で雨漏り。2日前の雪が北側の屋根に残っていて、暖かさで溶け出したせい。急いで職人さんに来てもらって見てもらい、壊れた屋根に掛けたブルーシートが古かったせいだと判明。ブルーシートも手に入りにくくなっているのだけれど、義母になんとか2枚買ってきてもらえて、ようやく雨漏りの心配もなくなった。

 『福島とーます!』の会員に津波の被害がひどかった相馬在住の人がいて、震災後連絡が取れなくてずっと心配していたのだけれど、この日、留守録を聴いて私の携帯に電話をくれた。家は津波の難を逃れたけれど、原発事故が怖いので、仙台の親戚のところへ避難中だという。でも、無事がわかって本当に安心した。
 震災ではまず、子どもの薬がなくなって困ってしまった会員が多い。病院がやっていない、またはガソリンがなくて病院まで行けないため。また、余震のたびに子どもがものすごく怖がる、という話もたくさんのメンバーから聞いている。うちでも、昇平が余震のたびに怯えている。親戚の家などに避難したメンバーは、子どもを静かにさせなくてはならなくて、それがとても大変だと言っている。ADHDっ子たちだものね……。避難所に避難したメンバーはいなかったが、もしそういう状況になったら、これも非常に困っただろうと思う。
 災害時の障害児・者への対応は、まだまだ課題山積という気がしている。

---------------

3月20日(日)
 私が担当する場所の片付けはほぼ終わり。明日から、震災で砂埃だらけになった食器を全部洗い直ししたり、洗濯をしたりすることにする。

 福島は放射能に汚染されている、という風評被害に、私は精神的にとても疲れてしまっている。福島県はとても広いのに。本当に危険なレベルの場所は、そのごく一部なのに。日本中から福島が村八分にされているようで、ものすごく孤独な感じがする。
 でも、その一方で、「困っていませんか?」「ほしいものはありませんか?」「私にできることはありませんか?」と聞いてくれる友人・知人、そして、見ず知らずの人たちが日本中に大勢いる。その人たちがいるから、私たちは頑張っていけるのだと思う。人とのつながりはありがたいなぁ、と改めて感じている。

 昇平、手伝いたいのに手伝えることがなくて、「ぼくにできることがないなぁ」と言っていた。何か役に立ちたいのは、昇平も同じなのだよね。

 断水中活躍した水のポリタンクを洗って片づけた。8年前のキャンプで使ったものを緊急用にしまっておいたのだけれど、まさか本当に使う日が来るとは思っていなかった。備えあれば憂いなし、は本当だとつくづく思っている。

---------------

☆てくてく日記への感想等はこちらへ→ 「療育掲示板」
 http://www.sets.ne.jp/cgi-bin/asakura/ryoiku/light.cgi

☆昇平のブログ→ 「Dark Silver Zone」
 http://ley.cocolog-nifty.com/da_silver_zone_/

☆詳しい大震災日記はこちらで→「そっと、ひとりごと」
 http://ley.cocolog-nifty.com/hitorigoto/

|

2011年3月23日 (水)

昇平3行日記・24+震災日記・1

※全然3行で収まっていない3行日記。


3月7日(月)
 いよいよ中学校最後の週になった。週の始まりで、昇平はまた朝からぐずぐず言っていたし、雪も降り出しそうだったので、さっさと自家用車で学校まで送ってしまった。
 その後は、学校でも家でも落ち着いて過ごしていたが、夜になって漠然と不安になったようだったので、リスペリドンを飲ませて、一緒に就寝した。

---------------

3月8日(火)
 今朝になって薬袋を確認したら、安定剤を2日にわたって飲み忘れていたのを発見。昨夜漠然と不安な状態になったのは、これの影響もあったかもしれない。不安発作を起こすのではなく、「なんだかわからないけれど、むしょうに怖い」という感じで、これまでとちょっと様子が違っていたから。

 今日も車で学校へ送る。本人は自転車で行こうとするが、そうすると出発が遅れて、結果的に遅刻になってしまうので、「寒い時期はみんな家の車で送ってもらってるんだよ」と言って、私が送迎。本当にもう数日で中学校も終わるから、せめて最後くらいは遅刻しないで行ってほしいものね。

 今日は県立高校の二期入学選抜試験。多くの3年生が受験なので、3年生は給食なしのお弁当持ち。この後は卒業式までずっと弁当なので、小学校時代からお世話になってきた給食は、昨日が最後だったことになる。この後はもう一生給食を食べられなくなるのだけれど、本人にそんな自覚はない。きっと、後になってなつかしく思い出すんだろうなぁ。私たちがそうだったように。

 旦那が半ドンで、午前中休み。夕方も早めに帰ってきた。
 先日の旦那の誕生日に、昇平が自分のこづかいで「ポケモン・ホワイト」のソフトをプレゼントしたので、旦那が夕食の間、二人でその話をいろいろしていた。夜も父のやるゲームをのぞき込んでは、時々アドバイスしていた。ただ、昔と違うのは、父が自分の思い通りにプレイしなくても文句を言わなくなったことと、「うるさくするとお父さんの邪魔になるから」と静かに見守るようになっていたこと。
 私は疲れて眠くて、早々に寝てしまったけれど、その後も父子でしばらくポケモンをやっていたようだった。

---------------

3月9日(水)
 中学校の授業は今日で最後。「最後の日は授業中も寝ないでがんばる」と言っていたけれど、連絡帳をみたら、自習の時間には寝ていたけれど、授業のある時間には寝ないでがんばっていたらしい。
 「中学校3年間、本当によくがんばったね。えらかったよ」と学校から帰ってきた昇平を誉めた。
 明日は大掃除と卒業式の最後の練習、通知票や卒業アルバムの配布だけで、昼食後に下校になる。
 卒業式の翌日には私の実家の人たちと温泉へ一泊旅行、その次の週からは大好きなフリースクールへ行ける。「卒業したらパラダイスだね」と昇平はとても楽しみにしている。

 私は卒業式に備えて美容院へ行き、髪を切ってカラーをしてきた。卒業式のスーツにもアイロンをかけて、準備はOK。

---------------

3月10日(木)
 明日はいよいよ卒業式。最後の式の練習があって、昇平は立派に参加できたらしいが、ミーティングルームで参加するかと思っていたL子さんが、練習の後半で体育館の後ろのほうにいたというので、昇平が「L子さんは大丈夫なんだろうか」また心配し始めてしまった。無理な参加は絶対にさせないと思うのだけれど、それでも私たちも、大丈夫なんだろうか、と心配してしまう。どうかどうか、卒業式がうまくいきますように。

 薬がなくなるので病院へ行き、昇平の様子が安定してきているので、4週間分まとめて出してもらった。
 週末の一泊旅行のために、夜、大学生の兄ちゃんが帰省してきた。

---------------

3月11日(金)
 卒業式。そして、私たちの運命の日。
 
 卒業式はとても立派に参加していた。体育館の中央に作られたステージに上がって、校長先生から卒業証書を受けとり、指定された場所で待つ私の元へ運んできて手渡す。私はそれを受けとり、「卒業おめでとう」と声をかけ、席へ戻っていく昇平を見送る。立派になったね。本当に立派になったね。胸がいっぱいになって、涙があふれてきた。

 卒業証書授与式は進み、いよいよL子さんのクラスの番。L子さんはクラスの自分の席に座っていた。そして、名前を呼ばれると、ちゃんとステージに進み、落ち着いた様子で校長先生から証書を受けとり、お母さんへ手渡すために下りていった! え、え、え!?
 この時、私も自分の目を疑っていたけれど、昇平も自分の目が信じられずにいたし、同じ3学年の先生方もやっぱり我が目を疑っていたらしい。L子さんが立派に卒業式に参加している! 証書を受けとった! みんなと同じに、立派にできている!!

 練習に直接参加していなくても、ずっとみんなの様子は見ていたんだよね。
 式の最中にも他の同級生のすることを観察して、自分がどうすればいいかを学んでいたんだよね。
 もう嬉しくて嬉しくて、昇平のこと以上に嬉しくて、心の中で叫んでしまった。「長谷田先生、お見事です!」
 L子さんの実力を信じていたのは担任の長谷田先生。私のような他の保護者からも、もちろん、他の先生方からも「無理ですよ」と言われ続けていたのだろうけれど、それでも彼女の力を信じて卒業式に参加させた。その勇気と判断と愛情には、心底感服してしまった。
 教室に戻ってから、L子さんを思いっきり誉めた。昇平も「L子さんはやればできるんだね!」と大喜び。すれ違った先生方も、口々に彼女を誉めてくださっていた。よかったね。本当によかったね。
 教室で先生方に花束を渡し、記念写真を撮り、親子並んで在校生に見送られながら中学校を後にした。

 本当にいろいろあった中学校生活だったし、苦しいこともつらいこともたくさんあったけれど、でも、この中学校で3年間がんばって本当によかった、と思った。
 この経験が昇平の将来に役立っていきますように。昇平たちを教えた経験が、中学校にとっても貴重な事例になり、後に続く子どもたちのために役に立ちますように。


 帰宅して着替え、少し遅い昼食を食べ、やれやれと一息。
 昇平はパソコンを楽しみ始め、私は福島市へ遊びに行く長男を車で駅へ送り、家に戻ってきたそのときに、あの大地震がやってきた。

 詳しい様子は、私の別ブログの「そっと、ひとりごと」のほうで報告しようと思う。とにかく、あまりの揺れに私はすぐ外へ飛び出したけれど、家の中には昇平と義母が残っていた。助けに行きたくても揺れが激しすぎて身動きが取れない。落ちる屋根瓦、ひび割れていく家の壁、外れて落ちる網戸、窓からは昇平がいた二階の部屋がめちゃくちゃになっていく様子が見える。気が気ではないのに、続けざまに起きる大地震。この場所の震度は6強だったから、二階は間違いなく震度7だったと思う。
 やっと地震が収まり、「昇平! 昇平ー!」と呼んだら、一階の茶の間から義母が「昇平くんはここにいるよ!」と教えてくれた。揺れが始まると同時に、いち早く階下に避難して、コタツの中に避難していたのだ。
 揺れが完全におさまってから二階に行ってみたら、タンス、整理棚、パソコン本体、テレビ、ありとあらゆるものがひっくり返って、足の踏み場もなくなっていた。そこにぐずぐずしていたら、昇平はタンスに押しつぶされて大怪我したかもしれない。ひょっとしたら当たり所が悪くて死んでいたかもしれない。よくぞ逃げてくれた! と心から思った。ADHDっ子はチョロ助さん。その素早さに助けられたのかもしれない。

 「卒業したらパラダイス!」と、家族旅行やフリースクールを楽しみにしていた昇平だけれど、それもお預けになってしまった。「パラダイスだと思ったのに、どうしてこうなるんだ!!」「もうパラダイスは来ないのか!?」とパニックになっていたけれど、なんとか落ちつきを取り戻し、家族4人で1階の兄ちゃんの部屋で寝た。
 停電、断水、ガスもまだ使えないし、家の中はめちゃくちゃ。着の身着のままで布団にくるまったけれど、それでもみんな怪我もなく無事でいる。「生きていればなんでもできるんだよ」「パラダイスだってこれから来るからね」と何度も言い聞かせ、生き延びたことに感謝しながら長い夜を過ごした。

---------------

3月12日(土)
 地震2日目。
 相変わらず停電、断水。ガスはボンベが倒れかかっていたが、マイコンメーターの復旧ボタンを押したら、無事に使えるようになった。
 午後、給水があったので、昇平と兄ちゃんをつれて水をもらいに行った。8年前のキャンプで使った水タンクやバケツを持っていったけれど、水は重い。それを兄ちゃんと昇平が、文句も言わずに運んでくれる。「男の子を産んでおいてよかった!」と心から思った。

 大変な状況だけれど、昇平も兄ちゃんもよく手伝ってくれる。
 結局この日は水道も電気も復旧しなかったので、パソコンももちろん使えないし、バッテリーがなくなるのでゲーム機も使えない状態だったけれど、昇平は文句ひとつ言わなかった。パソコンがなければ生きていけないのかと思ったのに。こんなところでも成長を発見してしまった。

---------------

※以上のような状況で、大震災に遭遇、一週間もネットができない環境にありました。家の中の片づけもまだ完全には終わっていませんが、やっと少しずつ日常が戻ってきました。時間を見つけて、震災後の日記を更新していきたいと思います。

---------------

☆てくてく日記への感想等はこちらへ→ 「療育掲示板」
 http://www.sets.ne.jp/cgi-bin/asakura/ryoiku/light.cgi

☆昇平のブログ→ 「Dark Silver Zone」
 http://ley.cocolog-nifty.com/da_silver_zone_/



|

2011年3月 7日 (月)

昇平3行日記・23

※全然3行で収まっていない3行日記。


2月28日(月)
 起き抜けから「嫌なことを思い出した」と言ってリスペリドンを飲んだけれど、雪で学校まで車で送ったので、遅刻はしなかった。
 学校では、担任はお休みだったが、卒業式の練習もなく、意外なくらい元気な顔で帰ってきた。夕食後は私とオセロやジェンガ。ただ、明日は卒業式の練習があるので、それがプレッシャーになって、次第に不安定に。「疲れた」を連発して8時前からファンヒーターの前で横になり、お風呂に入った後、9時半にはもう寝てしまった。

---------------

3月1日(火)
 今日は雨。朝から、卒業式の練習でL子さんが騒ぐのではないか、ととてもナーバスになっていて、ことばでいくら説明しても入っていかないので、メモ帳にイラストを書いて、練習を重ねるとL子さんも次第に慣れて大丈夫になることを説明した。「実際に練習に参加して、L子さんが大丈夫になってきているのを確認してちょうだい」と話すと、「わかった、確認してくる」と意を決して登校していった。
 担任は今日も家庭の都合でお休み。L子さんは登校していたが、結局卒業式の練習には参加できなかったらしい。昇平は練習に参加して、「入退場では手の振りも大きくてとても上手です」と副担任から誉められてきた。しっかり練習できたので、昇平は自信を取り戻した顔をしていたけれど、L子さんのほうはどうなるのかな。本人がどうしてもできないときには、無理に参加する必要はないわけなのだけれど……いろいろ思うと、私も心境複雑。
 
 学校の美術の授業で作った「ドリームランプ」を持ち帰ってきた。和紙で作ったランプシェードで、添付の三色LEDライトを入れると色が変わってとても綺麗。家族みんなから「良くできているね」と誉められていた。
 家では落ち着いて過ごして、10時頃就寝。

---------------

3月2日(水)
 朝からまた不安定。自転車で行く、と言っていたが、結局なかなか動き出せなくて、私が車で学校まで送った。午後には3年生を送る会と謝恩会があり、昇平は担任に感謝の手紙を読んで花を手渡したらしい。楽しい会だったようで、いい顔で下校してきた。

 このところ、毎日夕食後には私とオセロとジェンガをしている。昔は飽きて待っていられなかったこの手のゲームにも、いつの間にかしっかり取り組めるようになった。「パソコンや携帯ゲームじゃない、こういうゲームも楽しいね」と昇平。そうでしょうとも!

---------------

3月3日(木)
 冬に逆戻りしたような、寒い桃の節句。昇平も自転車ではなく、私の車で登校した。

 その後、私は親の会の支部例会で、隣町の保健センターへ。支部代表の役目を若いお母さんたちへバトンタッチして、来年度から私は支部のアドバイザー役になることになった。新しい力が育ってきてくれたことも嬉しいし、なんと言っても、会全体の雰囲気が和やかで、しかも活気があるのが嬉しい。お母さんたちが元気をもらって家庭に戻っていける場所であるように、と思いながら運営してきたけれど、それがちゃんと機能している気がする。新しい力を得て、来年度はいっそう充実した支部活動ができますように。

 と嬉しく思いながら、数人のお母さんたちとランチに出かけたところ、1時過ぎに学校の昇平から電話。午後から卒業式の予行練習があるのだけれど、L子さんがまた練習に出ないと騒いでいるのだと、涙で訴えてきた。練習を重ねればL子さんも卒業式に参加できるんだよ、と昇平には教えてきたけれど、「今週になってL子さんは一度も練習に出ていないんだよ」とも言う。
 とにかく昇平は予行練習に参加するように。それが終わったら、迎えがてらお母さんが先生と話をしてあげるからね、と話して電話を切った。
 急いでランチを終え、若干の用事をすませてから帰宅。それから間もなく昇平から迎えの電話がかかってきたので、また学校へ出かけ、昇平を車の中で待たせて担任と話し合いに行った。

 教室にはL子さんもいたので、まず彼女から話を聞いた。「また騒いじゃって、昇平くんに迷惑かけてしまってごめんなさい。明日の予行練習では必ず騒がないようにしますから。絶対にパニックをコントロールしますから」悲愴な顔で繰り返す彼女が、本当に、涙が出そうなくらい痛々しく見えた。そんなにがんばらなくていいんだよ。自分にできるところをがんばれば、それでいいんだよ。心の中で繰り返してしまう。自分に無理なことをがんばっても、絶対できるようにはならないし、そのことでまたいっそう自信をなくしてしまうのだもの。

 L子さんが下校してから、担任と話し合った。
 卒業式本番まで、練習はあと2回だけ。その回数では絶対参加できるようになりません。別室で卒業式に参加することはできませんか、と尋ねると、体育館に隣接してミーティングルームがあり、そこの窓から体育館の様子が見えるのだという。今日も、パニックが落ち着いてから、L子さんはそこで練習を見ていたのだというし、卒業式当日も、万一参列できないときには、ミーティングルームで参加する段取りになっているのだと聞かされ、万が一ではなく、もうそれを本番当日の形にしてください、とお願いした。
 例え体育館ではなく別室にいたって、同じ話を聞いて同じ時間を過ごすことができれば、それで立派に卒業式に出席したことになる。皆と同じ場所で同じことをすることが卒業式じゃない。3年間この学校に通って学び、卒業の時を迎えたんだ、と実感するためのセレモニーが卒業式。自分に合った形で参加して、卒業を実感できれば、それで良いのだもの。

 話し合いを終え、車に戻って昇平にその話をすると、「L子さんはミーティングルームで練習に参加していたんだ! 全然知らなかったよ。良かった!」と自分のことのように喜んで、その後はとても明るい表情になった。昇平は昇平で、なんとか彼女に卒業式に出てほしいと思って心配していたのだよね。

 卒業式まであとちょうど一週間。
 昇平は体育館で、L子さんはミーティングルームで、それぞれにあったスタイルで卒業式に参列してから、皆に送られて学舎(まなびや)を後にすればいい。それこそが、本当の特別支援なんだと思う。

---------------

3月4日(金)
 今朝もまた雪。学校まで車で送った。起きたときには「怖い」と言って不安が強かったけれど、大好きなポケモンの質問をしたのをきっかけに、とても元気になって、明るく登校していった。午後からは卒業式の練習があったが、回を重ねるにつれて、ずいぶん上手になってきたらしい。L子さんのほうはミーティングルームで練習に参加。昇平はとても安心した顔をしていた。

 私は明日の総会の準備で超多忙。昇平をあまりかまってあげられずにいたせいか、夜寝る時になって、昇平が非常に不安定になってしまったが、一緒に寝ながら来週末の温泉旅行の話をしてやったら、それで気持ちが切り替わって、落ち着いて就寝した。
 まだ不安定の波は来るが、気分の切り替わりも上手になってきて、元気が出てきたように見える。

---------------
 
3月5日(土)
 『とーます!』の学習会と総会のために福島市へ。昇平も一緒についてきて、一日他の子やボランティアのお姉さんたちと遊んでいた。途中、T君と喧嘩になったりもしたが、ちゃんと仲直りできたらしい。

 『とーます!』は今まで「福島AD/HDの会『とーます!』」というのが正式名称だったのだけれど、時代の流れに合わせて「発達障害支援の会『福島とーます!』」という名称に変わることになった。実際、AD/HDだけの純粋な特徴の子どもはほとんどいなくて、昇平のように広汎性発達障害(PDD)が重複していたり、学習障害(LD)などの特徴も持っていたりするケースが大半。すべてひっくるめてを発達障害と呼び、その中にそれぞれの特徴がある、と捉える方が現実的に思える。
 私が支部代表からアドバイザーになったのと同じように、会を立ち上げてずっと代表でいたYさんも、次年度からは運営顧問になる。『とーます!』設立当時からのメンバーは本当に少なくなってしまったけれど、我々の子どもたちが義務教育を終える歳になって、会の中心を次の世代のお母さんたちに譲っていく時期になったんだなぁ、としみじみ思った。

 総会後は運営委員会もあって、会場を出たのが4時半近くになったが、昇平は一人でも文句を言わずにおとなしく待ってくれていた。

---------------

3月6日(日)
 昇平は朝7時半に起床。私とアニメ「ポケモン」を見て、10時からは家庭教師と学習。今、昇平は本当にポケモンに夢中で、勉強しながらもすぐポケモンの話題を始めているらしいが、H先生は上手にそれを流しながら指導してくださっている。本当は友達とそういう話をしたいのに、友だちが周りにいないから、話を聞いてくれる先生相手に夢中で話しているのだよね。卒業すればフリースクールを利用し始めるし、そこで友だちがたくさんできるはずだから、そういう場所で好きな話がたくさんできるようになるといいね。

 夕食前にかなり長い時間昼寝をしたが、夜も11時には就寝。一日中穏やかに過ごしていた。

---------------

☆てくてく日記への感想等はこちらへ→ 「療育掲示板」
 http://www.sets.ne.jp/cgi-bin/asakura/ryoiku/light.cgi

☆昇平のブログ→ 「Dark Silver Zone」
 http://ley.cocolog-nifty.com/da_silver_zone_/

|

2011年2月28日 (月)

昇平3行日記・22

※全然3行で収まっていない3行日記。


2月21日(月)
 昨夜、昇平はなかなか寝付けなかった。就寝が12時半近かったので朝起きられるか心配したが、落ち込みも不安定もそれほどひどくならなかったので、安心した。自転車で登校。遅刻の時間ではあったけれど、先週一番早かった日より、さらに5分早く出発することができた。
 学校では休憩を取りながら学習をして、穏やかに過ごしていたらしい。

 私は午後3時から3学年のPTA集会。卒業式や卒業記念品の連絡があった。卒業式まであと3週間。本当にもう少しになった。
 集会の途中、昇平から携帯に電話やメールがあった。内容は大したことではなかったけれど、そうやって自分の携帯を使えたことが嬉しかった。土曜日に一人で福島駅に行かせても大丈夫そう。

 帰宅後も落ち着いて過ごしていて、夜は11時頃に就寝した。

---------------

2月22日(火)
 今日は卒業式の練習があるので、「L子さんがまた騒ぐのでは」と心配して、また登校しぶりがひどかった。8時にやっと家を出発。それでも自分で自転車で学校へ行くのだから、よくがんばっている。

 午後1時頃、学校の昇平から「不安になってきちゃった」と電話がかかってきた。話を聞き、薬を飲んで参加して、もしもつらいようなときには、式の練習の途中でそっと抜け出すように、と話して聞かせたら、「わかりました」と電話が切れた。

 次に電話がかかってきたのは、午後2時半頃。副担任の岩沢先生からで、「卒業式の練習中、昇平くんがパニックを起こして、かなり興奮しているので、お母さんが来てもらえますか」と言われ、仰天して学校へ飛んでいった。

 学校へ行くと、昇平は教室で大泣き。顔や手には、先生方が必死で抑えたらしい痕が残っていた。眼鏡も少し歪んでいた。
 本人や先生方から何があったか聞いたところ、今日は昇平だけでなくL子さんも練習に参加。L子さんがひどく不安がっているのを昇平が気にして興奮状態になり、ちょっとしたきっかけで大パニックを起こして、先生方に取り押さえられたのだとわかった。
 L子さんのほうも、興奮した昇平に暴言を吐かれて大泣き、保健室に行っていたので、そちらへ出向いて彼女の話も聞いた。脚に火傷をしていたりして体調的に良くなかったこともあるようだが、なんと言っても受験や卒業、卒業後への不安が非常に強くて、こちらもとても不安定な状態だった。「式の練習が怖くて怖くて」と心情を話し、それでも「昇平くんをパニックにさせてしまってごめんなさい」と謝ってくれた。双方の気持ちがなんとも切なくて、私も涙が出そうになってしまった。

 その後、L子さんは下校。その頃には昇平もだいぶ落ち着いたので、自転車で先に家に帰して、私は眼鏡を修理に出すのに眼鏡屋に寄った。すると、昇平は途中でL子さんに追いついたようで、「そこで謝って仲直りできた」のだと、帰宅してから報告してくれた。

 仲直りできたのは良かったけれど、問題は、卒業式の練習のたびに昇平が不安になり、またパニックを起こすかもしれない、ということ。L子さんのほうも、回数を重ねて練習しなくては恐怖は消えない。その間、どうしてもまた不安定になるだろうし、声を出してしまうこともあるだろう。昇平は先週火曜日の経験があまりに衝撃的だったので、「L子さんは前回より落ち着いてきているから大丈夫なんだよ」と言っても、それが実感できなくて、彼女が少しでも騒げば「まただめだった!」と思うだろうし。
 どうしたらいいか考えて、L子さんと昇平の二人分の「卒業式マスターシート」というのを作ってみた。「体育館に入ることができた」「自分の席に座れた」「式の途中まで椅子に座っていられた」「練習の最後まで椅子に座っていられた」……と式に参加するために身につけることを10項目ぐらい表に書いて、練習のたびに、できたところへ○を、完璧にできたところへは◎をつける。L子さんの前回と今回の様子を、昇平と確認しながらチェックしてみると、前回は○がひとつもなかったのに、今回は4つもついていた。「こんなふうにちゃんとできるようになってきているんだから、大丈夫なんだよ」と昇平に視覚的に説明して聞かせた。
 ちなみに、昇平のマスターシートは、がんばる内容がL子さんとは違うので、前回○3つ、今回は2つという結果になった。
 これを連絡帳を通じて担任にお渡しすることにした。L子さんが嫌がるときには使えないけれど、少しでも「がんばることの具体的な目安」や「成長の目安」になって、二人の恐怖や不安が減っていけば、と思っている。

---------------

2月23日(水)
 昇平は昨夜寝る前から不安定で、今朝も起きたときから不調。8時前にはなんとか家を出たが、学校では1校時目から3校時目までずっと寝ていたらしい。4校時目は交流学級で理科だったが、これも寝ていたのかもしれない。
 昨日の大パニックについては、なんとか少しずつ整理がついてきて、「昨日はたまたま起こしてしまったけれど、最近はパニックを起こしてなかったよね(=全体的にみればパニックは少なくなっていたよね、という再確認)」「L子さんをぼくのパニックから守らなくちゃ(=ぼくはがんばって自分をコントロールしなくては、という決意)」などということを言っていた。
 修理に出した眼鏡は、下校途中で眼鏡屋に回って、自分で受けとってきた。昇平なりの責任の取り方だったのかもしれない。

 私は、夕方4時半から、スクールカウンセラーのA先生との面談があった。合格の報告をしてこれまでのお礼を申し上げると、A先生もとても喜んでくださって、「小学校からずっと見てきた昇平くんが、とうとう高校生ですか!」と感無量の様子でいらした。
 中学校3年間は親も子も本当に大変だったけれど、2年生からはA先生がスクールカウンセラーだったので、本当に大きな支えになっていただいた。「お母さんとお父さんが昇平くんを支え続けた努力の成果ですよ」と何度も誉めていただいたけれど、その私たちの心を支えてくださった大きな柱がA先生だった。いくら感謝しても感謝のことばが尽きないし、お別れするのも名残惜しい思いだった。

 A先生が来年もこの中学校のスクールカウンセラーかどうかは、今はわからないけれど、できればまだまだいていただきたいと思う。そして、この後、小学校から入ってくる昇平の後輩たちの、力強い味方になっていただきたい。
 中学校に望みたいのは、どうかこのカウンセラーをもっと上手に活用してください、ということ。先生方は、スクールカウンセラーの活用の仕方がよくわからないのじゃないだろうか? 不登校や悩みのある子どもや保護者をカウンセラーのところへ送るだけでなく、もっと積極的に「自分たちには何ができますか?」「どういう方法がありますか?」と聞きに行ってほしいと思う。発達障害や特別支援は、担任一人の能力や資質でどうにかできるほど生やさしいものではない。子どもが不登校や深刻な問題を起こすようになる前に、子どもに関わる先生方みんなで「この子にはどう対応するのがいいだろうかと相談する」。それが本当の特別支援教育だと思うし、そのための体制が学校の中に必要なのだと思う。
 これからの、日本中の中学校の課題だ。

---------------

2月24日(木)
 今日はまた4校時目に卒業式の練習があるので、登校しぶりがひどかった。お腹が痛い、とも言っていたが、いろいろ話すうちに少し元気になり、7時45分頃に登校することができた。
 学校では朝からL子さんが練習に参加できるかどうかを心配し、2校時目の終わり頃からまたお腹が痛いと言い出して3校時目から保健室で休養して、結局昇平は練習に参加しなかった。
 帰宅後もずっと腹痛がしていて、夕食はある程度食べたが、パソコンもゲームもまったくしないでファンヒーターの前に横になっていて、夜7時半には布団に入って眠ってしまった。
 この症状は、完全にストレス性の腹痛だろう。卒業式の練習(でL子さんが騒ぐこと)が不安で、自律神経がおかしくなって、とうとう体に出てきたのだと思う。疲れもたまっているようなので、明日は学校を休ませることに決めた。

 ただ、療育掲示板に2年前までお世話になっていた家庭教師のF先生から合格お祝いメッセージが入っていて、それを読んで聞かせたときには、にっこりと嬉しそうな顔をしてうなずいていた。
 家庭教師、スクールカウンセラー、フリースクールの先生、ネットを通じて知り合った本当に大勢の人たち……たくさんの人たちが応援してくださったから、昇平も私たちも、なんとかここまで来ることができた。これが学校と家庭だけの世界だったら、昇平は絶対にもっと酷い状態になっていただろう。本当に本当に、ありがとう。これからも、応援をよろしくお願いします。

---------------

2月25日(金)
 腹痛のため、学校を欠席。
 昇平自身は、たっぷり眠ったし学校も休みということで、腹痛も治まり、朝食にお粥と半熟卵をぺろりとたいらげた。
 午前中はベッドでおとなしくしていたが、元気が出てきて顔色も良くなったので、午後からは起き出し、パソコンやゲームをしていた。この様子なら明日の福島駅への外出もOKと判断。ただ、夕方になったら疲れが出てきたのか、また不安定になってきたので、夜は早めに休ませた。

---------------

2月26日(土)
 朝7時にすっきりした顔で起きてきて、予定通り、ひとりで電車に乗って福島駅へ出かけていった。
 昇平がひとりで公共機関を利用して外出するのは生まれて初めて。ひとりで福島駅まで出かけるのも生まれて初めて。何度も私と電車に乗って練習してきたけれど、自分ひとりでもはたしてちゃんとできるかどうか。昇平もドキドキだったけれど、親の私もやっぱり心配で、無事に福島駅に着いたと携帯から電話をもらったときには、本当にホッとした。
 その後、昇平は歩いて高校まで行ってみてから、また駅に戻ってマクドナルドでお目当てのポケモン「ゾロアーク」をDSにダウンロードし、ゲーセンで遊んでから、再びマクドナルドに行って昼食を食べ、1時過ぎの電車に乗って帰ってきた。駅に降り立った昇平に「やったね!」と声をかけると、得意そうに、にやっと笑い返してきた。

 今回の外出には、新しく買った携帯が大活躍だった。
 昇平は要所要所では電話をかけてきて「今、高校へ歩いているよ」とか「ポテトとハンバーガー美味しいよー」などと報告。また、帰りの電車に乗ったところ、切符に降りる駅名が書いていないことに心配になって、携帯で写メを送ってきた。カメラ機能の良い携帯なので切符の文字がはっきり読めて、正しい切符を買っていたことが判明。一安心、という場面もあった。
 また、昇平の携帯にはGPS機能がついているので、私は何度も所在地を確認して、位置ナビの精度をチェックした。駅ビルの中や移動中、特に電車で移動している最中は誤差が大きかったが、電車が駅に止まっているときには、非常に正確に位置が出ていて、この後、例えば昇平が迷子になったときにサポートする参考になった。

 昇平はさすがにくたびれたようで、夕方から「疲れた」を連発。精神的にも少し不安定になってきたので、薬を飲ませて、早々に休ませた。

---------------

2月27日(日)
 昨日、一人で電車で福島まで行けたのが自信になったのか、一日中とても調子が良かった。
 朝は自分で6時過ぎに起きてテレビを観て、朝食の後にwii-fit。10時からは家庭教師と数学を勉強したが、黙々と取り組んで、予定より10分も早く問題を終わらせてしまった。その後は自転車で床屋へ散髪に。
 午後はアニメ「ポケモン」を見て、私と買い物に行き、ゲームを楽しみ、イラストを描き、夕方になって人恋しくなって、夕飯の支度をする私のそばに貼り付いていたけれど、その間もずっとゲームのことやアニメのことを賑やかに話し続けていた。夕食後は私とオセロやジェンガのゲームをした。

 時折、嫌なことは思い出すのだけれど、そこから気持ちを切り替えるのに「おおっと」(某RPGの有名なセリフ)と言うことにしたようで、夕方以降、しょっちゅうそれを口にしていた。本当にそれで気持ちが切り替わって、薬は飲まずにすんでいた。「おおっと、フラッシュバック」とつぶやいて、にやっと笑っている昇平が、ちょっと頼もしかった。

 ただ、夜寝る直前になると学校を思い出して不安定になり、10時半に布団に入ったものの寝付けなくて、就寝は11時半頃になった。

---------------

☆てくてく日記への感想等はこちらへ→ 「療育掲示板」

☆昇平のブログ→ 「Dark Silver Zone」

|

2011年2月21日 (月)

昇平3行日記・21

※全然3行で収まっていない3行日記。


2月14日(月)
 今朝はまたかなり不調。薬袋を調べたら、昨夜、抗鬱剤を飲み忘れていたのを発見した。夕方以降調子が悪かったのは、これのせいもあったのかもしれない。それでも自分で学校へ行くというので、あえて車では送らずに見送った。約30分遅れで登校。学校では休みながら授業を受け、落ち着いて過ごすことができたらしい。帰宅後も落ち着いて過ごしていた。
 バレンタインデーなので、ロイズの生チョコレートをプレゼントした。今年のチョコは私からだけだった。(笑)

 夕方6時からは、フリースクールへ行って、春から昇平が利用する件について相談をしてきた。
 2学期の後半や受験間際の本当に不安定だった時期にも、昇平は「冬休みにはフリースクールに行ける!」「高校生になったら平日でも行ける!」と言い続けて、つらい時期を乗りきってきた。それくらい楽しみにしてきた場所なので、卒業したらさっそく次の週から利用できることが決まって、私としてもとても安心した。
 ただ、非常に良心的に運営されているフリースクールなので、経営状況が苦しい話も、正直に聞かせていただいた。これから昇平が何年もお世話になるところなので、無くなってしまっては困る! ということで、フリースクールに関して私にできることを協力させてもらうことにした。まずは、周囲の人たちへ賛助金のお願いかな。

---------------

2月15日(火)
 また雪。今回は10センチほど積もった。昇平を送る前に雪かきをしたら、昇平も少し手伝ってくれた。相変わらず朝は不調だけれど、体を動かしたら少し元気になったようだった。

 ところが、卒業式の練習にプレッシャーを感じていたL子さんがパニックを起こしたので、昇平もそこに巻き込まれ、午後1時過ぎと3時に二度電話をかけてきた。二度目は昇平は式の練習に参加していたのだが、我慢できなくなったので、黙って会場を抜け出してきたらしい。「式の練習や回りの人に迷惑をかけずに抜け出してこられたんだから、偉かったね」と誉めたら、家に帰り着く頃には昇平も何とか落ち着くことができた。

 卒業式までの登校日数はあと17日。どうか良い卒業式になってくれますように。

---------------

2月16日(水)
 昨日パニックに巻き込まれて大騒ぎしたり、式の練習を途中で抜け出したりしてきたので、昇平は非常に不調。朝はなかなか始動できなくて、また30分以上遅れて登校していった。
 学校では図書室と交流学級で、休みながら授業を受けていたらしい。

 それでも、少しずつ回復はしてきて、落ち込みや不安定から復活する時間は短くなってきた。
 今の楽しみは、春休みになったら私の実家の人たちと一泊旅行に行くことと、フリースクールへ毎日行けるようになること。「楽しいことをたくさん考えようね」と話して聞かせている。

---------------

2月17日(木)
 引き続き回復基調。朝の登校しぶりも、昨日より10分くらい短縮された。
 学校ではあんまり勉強していない、と昇平は言う。内容的にもう3年生のまとめに入ったし、県立二期を受験する人たちのラストスパート時期になっているので、合格した昇平は、心身の調子に合わせてゆっくり指導をしていただいているらしい。
 また卒業式の練習があったが、今日は無事に参加することができた。

 帰宅後は、精米に行く私を手伝って、重い米袋を車に載せたり下ろしたりしてくれた。まだ時々不安になるが、だいぶ元気になってきて、絵を描いたりゲームをしたりして過ごしていた。夜は10時半過ぎに就寝。

---------------

2月18日(金)
 雨のち曇り。かなり強い降りだったので、車で学校まで送った。こういう日は遅刻にはならないが、寒くて教室のストーブの前で横になっていたら、そのまま2校時目が終わるまで寝てしまったらしい。夜10時半に寝て朝6時40分に起床しているのだから、睡眠不足で眠くなるような状況ではない。やっぱり精神的に疲れているのだろうと思う。3校時目からは比較的長い時間勉強して、卒業式の練習にも参加できたらしい。

 帰宅後はゲーム、パソコン、お絵かき、おしゃべり、wii-fitのトレーニングと、いつも通りに過ごしていた。ときどき無性に不安になって「おかあさん」と言ってくるが、不安になる時間や状況が、かなりはっきりしているので、薬や声かけでやり過ごせるようになっている。ただ、私への依存度はまだ高くて、部屋に私がいなくなると急に心配になるらしい。完全に元気になるには、もう少しかかるかもしれない。

---------------

2月19日(土)
 今日は親の会で助成金を申請した公益信託の公開審査会。担当のSさんと一緒にプレゼンテーションに臨んだ。1週間あまり前から準備をして、何度も練習してきたけれど、それでもドキドキが止まらなかった。
 助成をお願いしたのは体験型のお泊まり会。子どもにとっては社会性の発達促進と将来の自助グループ結成の基礎作りになるように。親にとっては子育ての悩みを共有して解決を図るためのピアカウンセリングの場にするために。お泊まり会には助成は下りにくいので、結果がどうなるかはわからないが、制限時間を精一杯使って、会が目ざしているものを訴えてきた。
 審査会では他の団体のプレゼンも聞いてきたが、いろいろなものを目ざして活動をがんばっている方たちがいるのだなぁ、ととても感心させられた。それを聞けただけでも、審査会に参加した価値はあった気がする。
 審査会の前後では、Sさんとランチやコーヒー。ここでも会のこと、子どもたちのことをたくさん話すことができて、とても楽しかったし元気が出た。同じ立場の親同士ならではの効果。だからこそ、お泊まり会でピアカウンセリングをして、たくさんのお母さんたちに元気になってもらいたいと思っている。

 私は朝10時に家を出て、夕方5時頃帰宅。その間、昇平はずっと留守番だったが、最初に携帯から私へ電話をかけてきただけで、あとは一日とても落ち着いて過ごしていたらしい。とうとうリスペリドンも一度も飲まずにすんで、「今日は嫌なこともほとんど思い出さなかったし、とてもいい日だった」と言って、機嫌良く寝室へ行った。11時頃に一人で就寝。

---------------

2月20日(日)
 昨日に引き続き、今日も昇平はとても元気だった。カテキョの時間には問題集をさくさくと解いていったそうで、H先生も「卒業も間近だし、気分的に違うのでしょうね」と驚かれていた。
 とにかく表情も言動も明るくて、パソコンの中のファイルを整理して外付けHDDに保存したり(自分でこれをするのは初めて)、自分の描いたイラストを携帯カメラで撮影してブログに投稿したり(これも初めて自分ひとりでやっていた)。自主的にいろいろ行動していた。

 今、マクドナルドで「ゾロアーク」というポケモンをDS配信していて、昇平はこれが欲しいのだけれど、福島駅まで行かないとマックはないし、キャンペーン期間中は私が忙しくて一緒に福島まで行ってあげられない。「自分一人で電車に乗って福島駅に行ってみる?」と聞いてみたら、えっ、という顔をしてから、「そうだな~、それもいいな」と言い、「これまで何度もお母さんと練習してきたから、大丈夫だよ。携帯もあるし」と、がぜん乗り気になった。今度の土曜日に挑戦する予定。それをわくわくと楽しみにできるのだから、本当に元気になってきたのだな、と改めて思った。
 この急激な変化はなんだろう? とも思うけれど、もしかしたら、昨日一日、母がいない状態でも落ち着いて過ごせたことが、本人の自信のきっかけになったのかもしれない。

 ところで、昨日プレゼンをした申請は不採用になった。まあ、助成をいただけなくても実行する計画ではあるけれど、参加費が増えるので、参加者は減る可能性がある。できればお父さんたちにもぜひ参加してもらいたかったのだけれど。さて、どうなるか。
 でも、私がプレゼンで家を一日空けたことが、昇平の自信回復のきっかけになったのなら、その意味でも、審査会に参加して良かったのかもしれない。

 昇平はとうとう今日も日中はリスペリドンを飲まずに過ごした。ただ、興奮していたのか、夜は薬を飲んでもなかなか寝付けなくて、ヒツジを数えて、12時過ぎにやっと眠れたらしい。

---------------

☆てくてく日記への感想等はこちらへ→ 「療育掲示板」

☆昇平のブログ→ 「Dark Silver Zone」


|

2011年2月14日 (月)

昇平3行日記・20

※全然3行で収まっていない3行日記。


2月7日(月)
 今朝は氷点下にならなかったので、空気がほのかに暖かくて柔らかかった。
 昇平は、また学校だというので、嫌なことを思い出してしまったが、リスペリドンを飲み、がんばって自転車で登校していった。登校時間内には到着できなかったようだが、自分から学校へ行こうとしたところが進歩だ。

 帰宅後は家庭学習に1年の英語の復習をしてから、自分のブログを更新していた。文章を考えては「これでいいかな?」と私に確認してきたり、自作のイラストをアップロードするのに頭をひねったり。広い意味で、なかなか良い勉強になっている気がする。
 午後から台風のように強い風が吹き荒れて、学校の自転車置き場で自転車がたくさん倒れていたので、L子さんに呼びかけて直してきたことを記事にしていた。

☆ブログ「Dark Silver Zone 」(ハンドルネーム:闇銀)
 http://ley.cocolog-nifty.com/da_silver_zone_/

 明日は実力テストがあるが、それが心配だったのか、夜はなかなか寝られなくて、布団に入ってからしばらく泣いていたらしい。リスペリドンを服用して、11時過ぎに就寝。

---------------

2月8日(火)
 今朝は不調で、なかなか動き出せなかった。今日は学校で最後の実力テストがある日。もう高校に合格しているのだから直接関係はないのだけれど、やはり学校へ行きたくないモードになるらしい。テスト開始時間に間に合わなくなるので、私の車で学校へ送った。
 協力学級でテストを受け、3時半過ぎに帰宅。帰ってきてからもまだ不安定気味だったが、次第に元気になっていった。

 昇平のブログを私の掲示板で紹介したら、何人もの常連さんが訪問してコメントを残してくれた。
 コメントはブログ管理人の私が一度確認して、問題なしと判断したら公開するようにしている。通常は問題ないはずなのだけれど、どうしても迷惑書き込みがあったり、ゲーム内容の記事になると検索で見に来た人が配慮の足りないコメントを残す可能性があるので。
 今日のコメントは、もちろんまったく問題がないので、気がつくたびにどんどん公開していった。昇平も喜んで。「これからもがんばります」と返事をしていた。

---------------

2月9日(水)
 朝から雪が降り出したので、今日も車で送った。
 その後、私は会議のために福島市へ。来月には親の会の総会があるので、役員のメンバーと話し合いをしたが、その合間にも、出てくるのは子どもの話。こんなことをする、あんなことがあった、と話し合うことが、皆の子どもたちに共通していて、「この子たちってホントにみんな同じだよねー!」と言って笑い合った。
 昇平が入学する予定の高校に子どもを通わせたお母さんもいるのだが、「あの学校には不登校になった子や、勉強についていけなくなった子や、我々の子どもみたいな発達障害を持つ子が大勢通っているから、先生方も子どもの心に寄り添うのがすごく上手なんだよ」と教えてくれた。やっぱり私が感じていたとおりだった! と、とても嬉しくなった。

 学校での授業は休みながら受けていたらしいけれど、家では英語の復習を順調にクリア。ただ、まだ自信がないようで、1年生の初めの内容にも「どうなの?」「わからない」とすぐに言ってくる。「わかるはずだよ、よく考えてごらん」と言うと、ほとんどは自力で解くことができる。ただ、問題文の意味がわからなかったり、出題の意図が把握できていないことがあるから、そこは解説が必要だったりする。「本当はできるんだよ」「もっと力があるんだよ」ということを、高校入学までに実感させて、もっと自信を持たせてあげたいな。

 私は疲れて、旦那の帰宅を待たずに10時に就寝。昇平はまた眠れなくなって、11時過ぎにやっと寝たらしい。 

---------------

2月10日(木)
 睡眠不足で、案の定、朝からかなり不調。雪も降り出したので車で送ったが、降りて学校へ行くまでにまた時間がかかった。

 帰宅後は機嫌も良く、元気もあったので、家庭学習に英語と数学の復習を指示すると、数学の分量が多すぎると怒りだした。1年生の基礎問題だから必ずできるよ、と言っても騒ぎ続けるので、一時母子バトル。最後には黙って問題を終わらせ、間違いもちゃんと直すことができた。
 好調不調の波はあるものの、昇平は確実に回復に向かっている。勉強をしていて文句は言うが、病的な不安発作に襲われて落ち込んでしまう深刻さも、今はもう見られない。「今までは具合が悪かったから勉強も減らしたり休みにしたりしていたけれど、もう元気になってきたから、少しずつ元に戻しているんだよ。そうしないと、高校生になってから勉強するのに困るからね」と話して聞かせたら、「リハビリってことなんだね」と言って納得していた。
 本人の調子を考えて全面的にいたわるときと、本人の成長のためにほんの少しの負荷をかけてあげるとき。回復期には、この見極めと切り替えが大事だよね、と思った。

 勉強が終わってからはずっと機嫌も良く、ブログを更新したりゲームをしたりして、楽しく過ごしていたが、義父が風邪で具合が悪くなってしまい、心配でたまらなくなって、私と一緒に就寝した。10時半消灯。

---------------

2月11日(金)
 建国記念の日。祝日だけれど、義父はまだ具合が悪くて、義母の運転で当番医の病院で点滴を受けてきた。
 
 次第に元気になっていた昇平だが、やはりストレスには非常に弱くなっていて、おじいちゃんが死んでしまうのではないか、元気にならないのではないか、としきりに心配して不安になっていた。日中、ずっとイライラしていて、午後3時頃にはストレスがピークに。私も今日は親の会のプレゼンの準備で一日PCとにらめっこしていてストレスフル。喧嘩になりそうになったので、気分転換に車で出かけた。
 本当は喫茶店にでも入るつもりだったけれど、お目当ての店が休みで、しかたなく駅へ。待合室で自販機のドリンクと駅の売店のクッキーを飲んだり食べたりし、昇平のポケモンのゲームや話につき合ううちに、お互いけっこうすっきりして、気分良く家に帰れた。

 夕食はキノコたっぷりの煮こみハンバーグ。義父も、普通の夕食はまだ無理だけれど、食欲が出てきたようなので、明日には元気になるだろう。でも、昇平は心配して11時過ぎまで眠れないでいた。

---------------

2月12日(土)
 夜の間に雪が降って、5センチあまりの積雪。
 昇平は昨夜寝るのが遅かったので、10時半過ぎまで寝せておいた。その間に私は家の中の掃除と雪かき。
 義父はほとんど元気になったが、今度は入れ歯を壊してしまって、月曜日までまたお粥の生活になってしまった。かわいそうに。

 夕方、早めに帰ってきた旦那と昇平と3人で携帯ショップへ。先日取り寄せを頼んでいた携帯が届いたので、昇平の分と旦那の分と両方の新規加入手続きと、家族割引の手続き、さらに昇平の携帯の位置検索も申し込んで……と手続きがたくさんで、全部終わるまでに2時間近くかかってしまった。夕飯は弁当屋さんのお弁当。たまにはこういうのもいいかも。昇平はかなり疲れてしまったが、それでもおとなしくショップでゲームをしながら待っていた。
 携帯は、昇平が一人で高校へ通うための必需品。これから使い方に慣れて、4月には自信を持って高校へ登校できるようになってもらいたいと思っている。
 ただ、最初の携帯だったのに、ちょっと高性能のものを選びすぎて、初期設定は昇平の手に負えなかった。代わりに私がやっているけれど、小さなパソコンを相手にしているみたいで、悪戦苦闘してしまった。最初は電話とメールとカメラが少し使えれば、それで充分だったなぁ。(GPS機能は必須だけれど)

---------------

2月13日(日)
 昇平は朝8時起床。アニメを観て、10時からは家庭教師と勉強をして、コンビニに買い物に行って……と落ち着いた一日を過ごしていた。
 明日がバレンタインデーなので、カテキョのH先生からは手作りのケーキをいただいた。さっそく昼のデザートにいただいたけれど、昇平は「おいしい!」と喜んで、さっそく携帯カメラでケーキを撮影してブログに載せていた。

 日中は落ち着いていたが、夕方から急に不安定になってきたので、夕食の料理や後片付けを手伝ってもらい、いろいろ話すうちに元気になった。脳が疲れると調子が悪くなるのだから、早く寝なくては、と10時前には就寝していた。

---------------

☆てくてく日記への感想等はこちらへ→ 「療育掲示板」

|

2011年2月 7日 (月)

昇平3行日記・19

※全然3行で収まっていない3行日記。


1月31日(月)
 朝起き抜けや夕方、夜寝る前に発作的に嫌なことを思い出してしまうけれど、早めに薬を飲むことですぐおさまったり、軽い落ち込みですむようになってきた。
 今日は担任が休みだったが、数学で2問自分で問題を解き、体育ではバドミントンで体を動かして、しっかり過ごしていたらしい。家でもWii-fitでジョギングなどの軽いトレーニングを自分から再開したし、家庭学習も、まだ時間は短いが、毎日できるようになってきた。パソコンやゲームだけでなく、絵を描いて楽しんだりもしている。
 ゆっくりしたペースだけれど、確実に元気になってきたので、本当に良かった。
 私と一緒に9時半就寝。

---------------

2月1日(火)
 大雪! 朝、昇平を学校へ送る前に、車庫の前の雪かきをしなくてはならなかった。

 昇平は朝は調子が良くないのだけれど、以前のように落ち込んで動けなくなるようなことがなくなったので、今朝も登校時間に間に合うことができた。
 今日は県立高校のI期選抜試験のため、授業は午前中だけ。L子さんが県立II期の受験願書を書く間、昇平は図書室で自習だったらしい。L子さんもプレッシャーには弱いので、願書作成の間に不安定になるかもしれない。そうなれば昇平もパニックを起こすので、最初から教室と図書室に分けておいた、ということ。この配慮ある対応が嬉しい!
 3校時目には英語の先生が図書室にいらして、一緒に試験の間違い直しをしたらしい。英語はいつも昇平の興味を引くようなとても良い授業をしていただいているのだけれど、いかんせん最近の昇平の状態が悪すぎて、試験の点数には結びつかなかった。昇平もがっかりしたようだけれど、それでも以前のような「ぼくはダメだ!」というパニックは起こさなくなった。落ち着けばきっと頭に入るようになるからね。この後も、高校の勉強のためにがんばっていこうね。

 疲れから夕方に不安発作を起こすことがわかってきたので、気分転換に夕食作りを手伝ってもらった。おでん、ほうれん草のバター炒め、大根葉とおかかのふりかけを、私の指導で作った。今まで包丁は使っていても、火を使ったことがなかったので、炒める手つきはまだおっかなびっくり。それでもちゃんとできあがって、自分で「うまい」と言いながら食べていた。料理をしている間は嫌なことはほとんど思い出さなかったので、これからもちょくちょく手伝ってもらおう。
 今夜は自分一人で、10時頃に就寝した。

---------------

2月2日(水)
 昨夜寝るのが少し遅かったせいか、起き抜けの調子が悪そうだった。学校前の駐車場まで送っても、なかなか車から降りられなかった。
 午後1時半頃に学校から電話。「嫌なことを思いだした」と訴えてきたけれど、後ろからL子さんの高い声が聞こえていた。今度は彼女のほうが近づいてくる受験に不安になってきて、それにつられて昇平も不安定になってしまったらしい。ちょうど次は総合の時間だったので、薬を飲んで協力学級へ行くように言ったら、すぐに納得して電話を切った。

 次に電話があったのは午後3時半過ぎ。てっきり迎えの電話だと思ったら、床に置いた眼鏡を介助の先生が間違って踏んで歪めてしまったために、久々に罵詈雑言の大パニックを起こしたのだとわかった。学校も終わる時間だったので迎えに行くと、担任と介助の先生二人がわざわざ事情説明とお詫びに来てくださった。昇平は英語の授業の途中で疲れてストーブの前に横になり、その時に眼鏡を外して床においていたのを、介助の先生が気がつかなかった、ということだったらしい。
 昇平はまだ怒って興奮していたが、「間違いは誰にでもあるんだよ。昇平くんだって、間違って失敗したことにひどく怒られたり悪口言われたりしたら悲しいでしょう」と言うと、「あっ、そうだった。ぼくが間違っていた」とすぐ反省して、介助の先生に謝って仲直りすることができた。
 眼鏡はすぐ修理に出したが、昇平は帰宅後も不安定気味で、「疲れた」と言って9時前に寝てしまった。

---------------

2月3日(木)
 朝はかなり学校へ行きしぶったが、車で送って、どうにか登校することができた。

 私は親の会の支部の学習会へ。心理のK先生の指導でエンカウンター・グループを体験した。親の会のメンバーは皆とてもよい人たちで、仲も良いので、集まって話すだけでいつも元気が出てくる。ここがあるから、私も毎日の子育てをがんばれるのかもしれない。

 学習会の後には昼食会と話し合いがあったが、その途中で昇平から迎えの電話がかかってきた。思いがけなく下校が早かったので、「お母さんはまだ勉強会だから、もう少し待っていてもらえる?」と言うと、「じゃ、自分で歩いて帰るよ」と言って電話が切れた。おかげで私は最後まで話し合いに参加できたし、予約の恵方巻きも受け取りに回ることができた。
 昇平の方は、重い鞄を背負って40分以上歩いて家まで帰ってきた。「疲れたー!」と言っていたが、機嫌は悪くなくて、ちょっと昼寝した後はとても元気に過ごしていた。彼が歩いて学校から帰れたのは、調子を崩してから初めてのこと。「自分にはこのくらいのことはできるんだ」と思って、少し自信を回復したのかもしれない。

 節分なので恵方巻きと蕎麦を食べ、鬼の面をかぶったおじいちゃんに昇平が落花生を投げて、豆まきをした。暦の上では明日から春。良い年が訪れますように。

---------------

2月4日(金)
 落ち込みが軽い一日だった。朝と夜に薬は飲んだが、どちらもひどくなる前に先手を打つ形で、すぐ不安から復活したし、学校でも家でも落ち着いて過ごしていた。「L子さんが不安定で大声を出したけれど、今日は寝たふりをして、知らんぷりすることができたよ」と言っていた。
 学校では、いよいよ卒業式の練習が始まったらしい。残りの登校日はあと24日。いろいろあったけれど、最後まで中学校に通い通すことができそうだ。

---------------

2月5日(土)
 週末。たっぷり寝てたので、朝の落ち込みはほとんど起こらなかった。

 11時頃から二人で福島市内へ。途中、携帯屋に回って、昇平の携帯電話の申込みをしてきた。ひとりで学校へ通うためには携帯は必須なので、その使い方を覚えるために早めに購入を決定。ただ、学割を申し込むのに学生証を持っていかなかったので、今日は購入できなかった。旦那の携帯も同時に乗り換えを申し込むので、後日改めて手続きに来ることにした。今日、携帯を持って帰れなくても、昇平は文句ひとつ言わなかった。

 その後、ゲーセンとマックへ。ゲーセンの機種が入れ替わっていて、昇平がやりたいゲームがなくなっていたが、怒りもせずに私をエア・ホッケーに誘ってきた。ついでにクレーンゲームにも生まれて初めてチャレンジ。もちろん、あっという間に終わってしまって、「思わず唖然とした」(本人談)が、これにも愚痴ひとつ言わなかった。
 マックでは、食べ始めようとしたところへ隣に赤ちゃんを抱いた家族連れが座ったので、すぐに「別の席に行こう」と私に言って、奥の席へと移動していった。実にスムーズでまったく問題なかった。
 さらにその後、私の用事で文具屋に回ったら、昇平は自分で手帳コーナーを眺めて、薄手のスケジュール帳を見つけてきた。「これから、こういうのが欲しくなるよね」と言うので、それも購入した。
 とにかく、いろいろな面で「大人になってきたな」と思わされるような行動が見られた外出だった。高校生になるんだ、という意識が、本人の行動を変えているのだろうな。

 夜には、昇平に頼まれて専用のブログを作った。昇平一人ではまだ管理できないので、私のブログ領域に設置して、一緒に管理しながら覚えてもらうことにした。今はまだ練習段階だけれど、順調に更新できるようになったら、アサクラ・タウンからリンクを貼ってあげることにしよう。

 修理に出していた眼鏡も無料で直ってきた。この件も、これで落着。

---------------

2月6日(日)
 昨日に引き続き落ち着いた一日。
 勉強にはまだ集中できなくて、家庭教師と学習していても心ここにあらずという感じだったらしいが、それでも問題集を1ページ弱進めることができた。少しずつ元気を取り戻してきたから、今度は毎日の学習の習慣を取り戻していかなくてはね。高校で困らないように。
 午後も、本を眺めたりパソコンで絵を描いたりして穏やかに過ごし、とうとう一度もリスペリドンを飲まなかった。夜10時就寝。

---------------

☆てくてく日記への感想等はこちらへ→ 「療育掲示板」

|