地域社会

2010年3月31日 (水)

フリースクール利用日

 春休みも昇平は「おおむね」規則正しく生活しています。時々、朝8時過ぎに起きてきたり、夜11時過ぎまで起きていたりしますが、そのあたりは許容範囲でしょう。長期休暇の過ごし方がすっかり身についているので、こちらとしてもあまり苦労しなくなりました。
 勉強面では、「整理と対策」という学校で一括購入した教材の発展問題を解いています。英語は母と一緒にやっています。今回はこれが重点教科。ファンタジーの読み聞かせもまたやっています。そろそろ自分で読んでもらいたいところですが、どうしても長編は大変らしいです。短い作品なら自力で読むようになってきたのですけれどね。

 今日は大好きなフリースクールの利用日でした。去年の夏から長期休業中に1、2度行かせてもらっています。宿題をやって、ゲームをやって、スクールを利用している他のお子さんと交流して……。今日は近くのコンビニに昼食を買いに行ったそうです。パスタを買って、ちゃんと温めてもらい、別の種類のパスタを買ったお子さんと少しずつ交換して味見をしたとか。こういう何気ない体験が、昇平にとってはとても貴重です。

 以前、昇平に合った関わりの場所というものがあればいいのに、と考えたことがありました。
 人と関わることが不得手で、社会性の発達が遅れている昇平ですが、それでも成長に伴って、少しずつ友だちを求めるようになっていました。ところが、それに見合うだけの交流の場所がなかったのです。運動神経も悪いので、部活動やスポーツクラブには所属できないし、では文化系の部活動で……とパソコン部に入ったけれど、内容的に昇平に合わなくて結局行かなくなり、たまの週末にクラスの子は遊びに来てくれるけれど、せいぜい1人か2人。もうちょっと多くの人と関わらせてあげたい、それも、できれば親がかりでない場所で――と思っていたのですが、どうしてもその場所が見つかりませんでした。

 いろいろな年代の子と関われる場所。自力でうまく関わるのが難しいときに、きちんと目配りして手助けしてくれる大人がいる場所。同年代の子なら当たり前に経験してきているようなことを、遅ればせながら経験することができる場所。
 発達障害を持つ子を取り巻く今の環境は、決して恵まれているとは言えません。必要なものはわかっているのに、それが身近などこにもない、というのが現実です。わかっているだけに、本当に苦しい想いをします。
 それでも、諦めずに求め続けていたら、フリースクールという、正規とは違ったルートのところから、支援の手が差し伸べられてきました。渡りに船とは、まさしくこのことです。

 春休みは短いので、次のフリースクールの利用は夏休みになりますが、昇平は今からとても楽しみにしています。去年の夏休みは台風でキャンプが中止になってしまったので、今年はちゃんとできると良いな、と思います。そんなこともまた、昇平には本当に大事な経験です。
 学校でも家庭でもない場所。子どもが大人になっていくためには、そういう「第三の場所」が大切です。
 大人になっていくために当たり前の経験ができる場所を、これからも大事に利用していきたいな、と思っています。
 

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2009年6月 6日 (土)

地域と共に生きるということ

 昇平の障害がわかったばかりの頃、よく聞いたことばがありました。

「親だけが頑張りすぎないで、地域の中で育てていきましょう」
 
 でも、「地域」の意味がよくわかりませんでした。
 地域って何のことを指すんだろう? 地域の中で育てるって、具体的にどうすること?
 住んでいる場所から動かないようにして、その場所で育てましょう、ということ? 地域=子ども会や町内会? 子育てをご近所さんに手伝ってもらいなさい、ってこと? だけど、近所は日中仕事で留守のお宅が多いし、子どものことを話すにしても、誰にでも話せるってわけでもないし……。

 なんとなく釈然としないものを抱えたまま、とにかく動き出しました。始めてみれば、やることは次々現れました。病院に通い、保健師さんに勧められて子育て広場に参加し、保育園に入れ、発達障害児の親の会に入り、小学校に入学し、中学生になり――。
 とにかく手のかかる、大変な子です。生活するためにクリアしなくちゃならない課題はたくさんありました。着替え、食事、排泄、歯磨き、歯医者、小児科、床屋、買い物……。それらをひとつずつ教えながら、練習させながら、自分でできるようになっていくことを目ざしてきました。病院ならば、きちんと先生の診察や処置を受けられることを目標にしました。
 そのうちに、歯医者でも床屋でも行きつけの店屋でも、昇平の顔を覚えてくれました。ちょっとだけ普通じゃないから、ちょっとだけ目配りと手助けが必要な子どもです。行っただけで、「あ、来たね」という表情をしてもらえるようになりました。迷惑顔ではありません。「あ、この子にはちょっと気をつけてあげなくちゃ」と大人たちが考えてくれている顔です。

 おかげで、昇平は今では少しも騒ぐことなく歯医者で治療を受けることができます。歯医者さんのほうでも昇平の特徴を呑み込んだので、どんなふうに治療をするのか、どのくらいの時間がかかるのか、聞かなくても教えてくれます。以前は「あと○回削ったら終わり」と何度も話して聞かせなくては安心しなかった昇平が、今は回数なんか聞かなくても、信頼して先生に口を開けて削ってもらっています。

 床屋には今では一人で行っています。こちらも、昇平のことはすっかりわかっています。待たせることもなく、素早く髪を刈り、シャンプーをして、顔を剃ってくれます。今日も自分だけで行ってきて、「顔を剃るときにくすぐったくて笑っちゃったら、床屋さんに『動くと危ないから、次はがんばるんだよ』って言われた」と言いながら帰ってきました。

 中学になって自転車に乗るようになってからは、時々自転車を壊します。転んで壊すこともあるし、お古の自転車なので部品が寿命を迎えることもあります。町に外出して壊れたときには、昇平は自分の判断で自転車屋さんに持っていって、直してもらっています。最初に自転車屋の場所を教えて、ここで直してもらうんだよ、と教えたら、次からは自分でやり始めたのです。
 行きつけの眼鏡屋も町中にあります。眼鏡のねじが緩んでレンズが落ちたときには、やはり自分で眼鏡屋に持ち込んで直してもらってきました。
 自転車屋のおじさんも、眼鏡屋のおじさんも、昇平のことは顔を見ただけでわかってくれます。

 生活していくうえで、ちょっとずつ手助けがほしい場面、というものがあります。そんなとき、行きつけのお医者さんや店屋さんが、昇平を覚えていて、さっと手助けしてくれます。小さな町のことです。「○○するんだよ」と教えてくれるおじさん、おばさんも大勢います。
 こうなってみて、初めて私も「地域で育てる」ということばの意味がわかった気がしました。
 地域で育てる、というのは、地域に暮らしている人たちに、昇平という子どものことを知ってもらうと言うこと。それは同時に、親である私のことも覚えてもらうということ。
 最初はどこへでも私が付き添っていたけれど、昇平が大きくなってきて、少しずつ自分のことを自分でやり始めたとき、行きつけの店ならば、思い切って昇平を送り出すことができました。何かあったら、すぐに自宅にいる私のところへ連絡がはいるはずだとわかっていたからです。
 そんなふうに「私たち」の存在を知ってもらって、一緒に生活しているものとして、私たちを支えてもらう……それが、地域で生きる、ということだったんですね。
 そうなれば、こちらが助かるのは当然ですが、先方だってお得意様が一人増えるわけだから、お互いにとってありがたいわけです。

 なにもかも親が抱え込んで、家庭の中だけで何とかしようとすると、こういう協力者はなかなか見つからないだろうな、と思います。
 はらはらすることも多かったし、慣れるまでは先方もこちらも大汗をかいた時期もありましたが(特に歯医者とか)、それを越えた今は、本当に楽になりました。歯医者も、もうすぐ自分一人で診察室に入って治療を受けられそうです。

 地域で育てる、ということは、地域の一員として、堂々と生きていく、ということなのかもしれません。もちろん、手はかかるし迷惑はかかるから、いろいろ気をつかったり、謝ったりすることも多いのですが、それも将来子どもが自立していくための大事なステップなのだろう、と今は思っています。

 私たちはたくさんの人たちに支えられているなぁ、と感じます。
 人間は、本当はみんなそうなのだけれど、こういう子育てをすることで、なおさらそれを感じるのかもしれません。
 感謝の気持ちは忘れないようにしながら、これからも地域の中で生きていきたいな……と思います。


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2009年4月14日 (火)

昇平は故国を持たない外国人

 小さい頃、ことばがよく話せない昇平を見て、「外国人みたいだ」と思ったことがあります。日本語がよく理解できないし、話せない。日本の文化習慣も理解できていない。そんな姿が、ちょうど外国人に似て見えたからです。
 ただ、本当の外国人は故国に戻れば自国語で流暢(りゅうちょう)に話せるようになるし、そこでなら不自由を感じることもなく生活することができます。昇平には、そういう故国はありません。彼の故国はこの日本。故国を持たない外国人のようだ、と感じました。

 中学生になって、昇平はずいぶんことばの能力が伸びました。自分の想いをことばにして伝えることができるようになったし、相手の話もだいぶ理解できるようになってきました。ことばさえ選べば、日常生活では苦労することはなくなっています。彼が小さかった頃には、スケジュールを教えるのに絵を描いて見せたものですが、今はそんな必要もまったくありません。
 ただ、外国人のような特徴は相変わらず見られます。相手が早口で大量のことばで話しかけてくると、聞き取れなくなるし理解できなくなります。自分の中に伝えたい想いや出来事はあるのに、それがことばにならなくて苛立ちます。気持ちが焦ってしまえば、それはなおさら顕著になって、自分でもどうしていいのかわからなくなります。パニックを起こしてしまうんですね。
 生活習慣なども、いろいろ経験して覚えてきたことがたくさんあるから、それに関しては問題なくできるけれど、初めてのことはどうやったらいいか見当がつかなくて、ものすごくとまどいます。他の人たちが賑やかにしゃべって何かを決めたようなのに、何をすることにしたのかわからない、ということもしょっちゅうです。ことばが聞き取りにくいだけでなく、他の人と共通の理解や経験がないので、話の流れや皆の気持ちがわからないからなんですね。
 よく自閉圏の人たちを「宇宙人のようだ」と言うことがありますが、それに近い感覚だろうと思います。ただ宇宙人と言うほどかけ離れた存在でもないようです。それが「広汎性発達障害(PDD)」という診断名をつけてもらった人たちの特徴なのかな、とも思います。


 私は独身時代、英語の講師をしていて、子どもたちを引率してアメリカに3週間のホームステイをしたことがあります。その後、自分ひとりで同じホストファミリーを訪問して、やはり2週間過ごしてきました。
 ことばが通じなくて苦労したのは、子どもたちだけでなく、私自身も同じでした。生活に最低必要な会話はできるけれど、それ以上のことを伝えようとすると、ことばが浮かんでこないのですね。伝えたい内容は自分の中にあるのに、それをどう言ったらいいのか、わからなくて、本当にじれったくて情けない想いをしました。
 生活習慣が違っていることにも苦労しました。同じ場面にいて、同じ会話を聞いていても、それがどういう意味なのか、何をするつもりなのかわからないのです。

 こんなことがありました。夏休みで親戚の人たちが集まってきたので、「外でアイスクリームを食べよう」ということになり、みんなぞろぞろ家の外に出て行きます。私も、てっきり町のアイスクリーム屋さんに行くのだと思って、上着を着てバッグを持って外に出ました。すると、ホストたちから「なんで上着を着るの?」と言われました。みんな普段着のまま、何も持っていません。
 家の前庭の芝生には、モーターがついた木桶のようなものがありました。これがアイスクリームメーカーだ、と教えられました。桶の中の金属の筒にクリームや砂糖といった材料を入れ、桶に氷と塩を入れてモーターで攪拌してアイスクリームを作る――つまり、手作りアイスクリームパーティをしよう、と言っていたわけなのですね。
 アイスクリームと言えば外で食べるものと思っていた私はびっくりして、自分が勘違いしたのだと話すことができませんでした。とても恥ずかしかったことを覚えています。

 町の郵便局から日本へ荷物を送ったこともあります。窓口でなんと言えばいいのか、何が必要で、何にサインをしなくちゃいけなくて、料金はいくらで――何もかも、よく分からないことだらけです。ホストが私に代わって係の人と話してくれて、それでようやく発送できました。なんだかとても情けなくて、自分がとても無力な、ダメな人間のように感じました。「日本に戻れば私だってちゃんと郵便局で荷物を出せるんだから」と考えて、なんとか自尊心を保ちました。

 空港で、駅で、ショッピングセンターで……本当に、わからないことばかりでした。添乗員がついているわけでもないから、見通しの立たない不安と戦いながら、あらかじめ決まったスケジュールのメモを握りしめ、飛行機を乗り継ぎ、予定通りホストたちが迎えに来てくれたことに感謝し、たまに小ずるい店員におつりをごまかされ……。
 毎日、本当に、へとへとになっていました。


 今の昇平の様子を見ていると、ちょうどあの時の私のようだな、と思います。
 わかることばでゆっくり話しかけてもらえれば理解できる。でも、早口だったり、大勢に向かって話されたりすると、何を言っているのかわからない。
 話したいことはある。伝えたいこともたくさんある。でも、ことばになって浮かんでこない。上手な言い方で伝えられない。くやしい!
 本当は自分でもできると思うのに、そのやり方がわからない。やり方を順番に教えてもらえれば、きっとできると思うのに。誰か、やり方を教えて。
 みんな、何を話してるのかな。早口だし、内容もよくわからないな。あれ、みんな急にうなずいて、どこかへ移動し始めた。なになに? 何をすることになったの? 「○○しよう」って誰か言ってた?
 この後、何がどうなっていくんだろう。予定表はない。手がかりになるものもない。その時になればわかるよ、って言われたって全然想像がつかないんだもの、ものすごく不安だよ。不安だと気持ちがイライラしてくる。なおさらいろんなことが気になってきて、ちょっとしたことでパニックが起きてしまうよ――。
 そんな昇平の声が聞こえるような気がします。


 必要なのは、昇平が「何に困っているか」「何を必要としているか」に対する想像と理解です。ちょうど、日本に旅行に来てとまどっている外国人を見つけて、「行きたい場所が見つからないのかな?」「電車の切符の買い方がわからないのかな?」と想像してあげるように。
 場所を教えるには、地図を広げて、今いる場所と行き先を教えてあげればいい。切符なら、券売機に連れていって、そばで教えてあげればいい。そこに、難しい専門知識は必要ないのかもしれません。「思いやり」と「手助け」の気持ちを持てれば、誰にだって昇平の支援はできるわけですから。
 そうして、ちょっとの手助けを受けることで、昇平は安定していくし、成長もしていきます。日本の中の外国人でも、経験を積めば、ことばやその他のハンディキャップも乗り越えて、同じ日本人になって一緒に生活できるようになるでしょう。社会に貢献できる日だってくるでしょう。
 その手助けは、親や家族だけではまかなえません。
 学校で、地域で、広く社会全体で。いろいろな場面で昇平と出会う人たちに少しずつ助けてもらうことで、彼に「故国」を作ってあげたいな、とも思います。 

 
※今回の記事のタイトルは当初「故国を持たない外国人」でしたが、内容が伝わりやすいように、「昇平は故国を……」に変更しました。(2009.4.14 12:55)

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