社会

2009年10月14日 (水)

家族の願い

 おかげさまで、ADHDに関する原稿を書き上げて無事発送することができました。原稿にご協力くださった皆様、本当にありがとうございました。


 今回の原稿のテーマは「家族は医療にどんな支援を期待するか」でしたが、それを書きながら「家族にとって発達障害とはなんだろう?」とずっと考えていました。家族から医療関係者に寄せられる期待の声の数々が、なんだかとても明確なことを伝えているような気がしたからです。
 それは――

1.子どもと共に幸せに暮らしたい。

2.子どもの将来に安心したい。

 たったこの二つです。


 ADHD、高機能自閉症、アスペルガー、PDD、LD……診断名はさまざまありますが、実際の家庭生活の中で、それらの名称が意味をなす場面はほとんどありません。
 いつだって、その子はただの家族の一員です。我が家で言えば、昇平は昇平。ADHDとPDDの診断を受けていて、確かにその特徴は随所に見られるけれど、それでもやっぱり、目の前にいるのは「昇平」。素直でかわいくて、甘えん坊でちゃっかり屋で、しょっちゅう混乱したり興奮したり不安になったりするけれど、落ち着けばまた「よし、またがんばるぞ!」と何度でも立ち上がってくるたくましい子。平均よりは幼いけれど、年相応に育ってきたところもたくさんあって、目下思春期突入中。日ごとに扱いが難しくなってきているオトコノコ。――本当に、ただそれだけなのです。その子の個性に「発達障害」という名前がついているだけのことです。

 ただ、その個性の持つ困難の程度が大きいものだから、なんとかして今よりもっと幸せに暮らせるようになりたいとは思います。本人も楽で幸せで、家族も楽で幸せで、みんなが笑顔で毎日を過せること。一緒にいて楽しい家族であること。家族としての願いはそれに尽きるような気がします。極論すれば、そういう生活さえ成り立つならば、障害があろうがなかろうが、そんなのはどうでもいいのです。
 子どもを含めた家族のQOL(クオリティ・オブ・ライフ=生活の質)の向上が、実際には何より大切なような気がします。子どもは家族の中で成長していくし、その成長を支えるのは家族のわけだから、家族が元気でいるのはとても大事なことです。


 子どもの将来の見通しがたたない不安と、それに対する支援の声も、非常に多かったです。
 まだまだ支援プログラムができあがっていなくて、学校も幼稚園、保育園も手探りで特別支援を行っているし、社会的な支援や保障も非常に薄いのが現実です。子どもの将来が予測できないのは、どの子どもでも同じなのですが、発達障害児の場合は、なおさら見通しも立たない、なんの保障もない状態だから、えも言えぬ不安が家族の中に募ってきます。
 この面に関しては、医療より社会福祉が担う役割のほうが大きいので、ぜひ、そちらからの支援がほしいなぁ、と思いました。 


 子どもを含めた家族全員が幸せに暮らしたい。
 子どもが大人になったときに自立した姿を見て安心したい。

 親の願いなんて、何百年も前から同じだし、障害のあるなしにも関係ありません。
 あたりまえでささやかな親の願いが実現する日が来ますように――。
 原稿を執筆しながら、そんなことを考え続けていました。


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2009年7月 5日 (日)

牧場とADHDっ子たち

 今日は親の会の支部主催の親子ピクニックでした。
 私は支部の世話係なので、何かと忙しかったのですが、天候にも恵まれて、楽しい一日になりました。

 ピクニックの行き先は牧場。市営なので、信じられないほど安いです。
 バーベキューもボリュームがあって、お腹いっぱい。
 食後には乳牛の乳搾り体験もしました。初めてだったけれど、みんな、けっこうちゃんとミルクが出ていました。


 牧場の中央には、綺麗な浅い川が流れていて、子どもたちの格好の遊び場になっています。
 川底の石を並べて「ダム」を作る子はよく見かけますが、うちの会の子どもたちは、なんと「滝」作りに挑戦してました。石を高く積んで隙間を川砂で埋め、水を一杯ためて一カ所を低くすれば滝ができるはずだ――と、小学生の男の子、女の子が4人がかりで一生懸命土木工事です。

 その姿に、なんて子どもらしくて楽しそうなんだろう、と思いました。
 「滝なんかできるわけないだろう」なんて、誰も言いません。彼らの姿を親だけでなく、他の大人たちも大勢見ているのだけれど、そんなの全然気にしない。みんな、夢中で石を集め、砂をすくって積み上げ……。
 やりたいからやる。やってみたいからやる。
 ADHDっ子の基本はそこに尽きるんですよね。
 そして、それっていうのは、本当に子どもらしい素直さなんだと思います。


 確かに、やりたい気持ちが強すぎたり、元気が良すぎる場面も見られる子どもたちだけれど。
 彼らが「問題児」になってしまうのは、彼らのせいではなく、彼らを取り巻く「社会」が、彼らを受け入れるだけの余裕を無くしたからなんじゃないだろうか――と、改めて考えてしまいました。


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