薬・療育

2010年10月26日 (火)

受診をして

 昨日更新した先週の日記だけでは、心配される方が多いだろうと思うので、月曜日に受診したときの様子もご報告します。

  ☆彡☆彡☆彡☆彡

 月曜日は週末の学校祭の振り替え休日だったので、昇平と一緒に病院へ行って、主治医に相談してきました。
 昇平は、時々ことばが出てこなくて悩む場面はあったものの、最近急に頭に嫌なことが浮かんできて、頭の中がいっぱいになって他のことが考えられなくなること、そうすると勉強もできなくなってしまうこと、つらくて悲しくてしかたないことを、自分の口から報告しました。主治医の質問に答えて、嫌なことというのは「死ね」だとか「殺す」だとかいうやりとりだということや、他のことが考えられなくなるのは10分間くらいだということも、ちゃんと伝えることができました。私がその頻度や、本人が落ち込みやすい場面などについてを補足。
 話を聞いた主治医は、なるほど、というようにうなづいて、「鬱(うつ)というわけではないけれど、嫌な考えで頭がいっぱいになることが、もっと楽になるようにね」と軽い抗鬱剤が処方してくださいました。

 昇平が診察室を出てから話を伺ったけれど、昇平の今の状態は、やはり、本人が成長して周りが見えるようになったことから起きているようです。周囲と自分が比較できるようになったので、「自分はみんなより劣ったダメなヤツなんだ」と自信を失ってしまったし、周囲に目が向くようになったために、「世の中は恐ろしい人や出来事がたくさんある場所だ」と感じて怖くなってしまったんですね、と言われました。
 お薬以外に、家庭や学校でどう対応したらよいかを尋ねたら、「昇平くんは何も悪いことはしていないんだよ」と安心させてあげることや、本人が混乱したり誤解したりしていることを、「そうじゃなくて、こういうことなんだよ」と教えてあげることをしていってください、と。それは全部、私がすでに始めていたことだったので、方向に間違いがなかったことが確認できて、私としては少しほっとしました。

 やはり、「わかる」「できる」「大丈夫」をたくさん感じさせて、本人のセルフエスティームを上げること。
 不安や心配がフラッシュバックしてきたときには、それにしっかり耳を傾け、混乱を丁寧にほどいて、本人が納得できるように説明していくこと。
 鬱の患者に接するのと同様に、頑張れとはっぱをかけるのは厳禁。
 本人が安心して学校へ行けるように、無理はさせずに、でも暖かく応援していくこと。

 これは長い取り組みになると、覚悟が決まりました。
 本人の成長に寄り添って、これからも根気強く、でも、肩に力が入りすぎないように、支援を続けることにします。


 昨夜は、学校が始まるというので昇平がまた不安定になって眠れなくなり、安定剤を頓服させても1時ちかくまで寝付けずにいました。
 今朝は焦らず怒らず本人を起こし、本人のペースで朝ご飯を食べさせ、帰りに一緒にスーパーに回って買い物をすることを約束して、車で学校まで送りました。日中は学校でかなり眠いはずですが、今日を休めば、明日もっと学校に行きにくくなるのが見えているので、そこは先生方にも協力をお願いです。

 大人になる入口で、悩み苦しむのは、昇平だけではありませんが、発達障害をもっていると、その苦しさは倍増されてしまうのかも……とも思いました。
 それでも、これは昇平が自分の力で越えて行かなくてはならない発達課題です。
 我々大人は、それを支え続けることが役目なのですね。
 

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2010年9月 9日 (木)

感覚統合訓練とWii Fit

 また半月ほど間が開きましたが、元気でいます。
 9月になっても猛暑が続いて、暑さが苦手な昇平にはかわいそうな状況でしたが、「学校に行きたくない」と言い出すこともなく、毎日がんばって通っています。先週は学年のボランティア活動があって、昇平は学校周辺の除草作業をしたのですが、保育園時代からのお友だちのJくんとポケモンの話で盛り上がって、楽しく活動ができたそうです。Jくんと昇平は、中学に入ってからはほとんど話す機会もありませんでしたが、ちゃんと覚えていてくれたんだなぁ、昇平も覚えていたんだなぁ、と嬉しく思いました。

 もうひとつ、昇平が夏休みからがんばっていることに、テレビゲームのWii Fit Plus(ウィー・フィット・プラス)があります。毎日の健康管理とトレーニングを、専用のバランスボードに乗って、ゲーム感覚で続けることができるソフトです。一時とてもはやったので、「うちにもあるよ」という方は多いのではないかと思いますが。
 これを買ったそもそもの目的は、私自身の運動不足解消のためでした。散歩にもなかなか出かけられなくなったので、家にいて気軽に運動できるように、と通販で購入したのですが、届いたのを見て、「これは昇平にも合っている!」と確信。勧めてみたら、案の定、私以上にはまりました。
 まず、視覚的にとてもわかりやすくできています。運動ですから、いろいろなポーズや動きをするのですが、鏡に映った自分を見るように、テレビ画面のインストラクターや自分のキャラクターを見て真似することができます。ヨガや筋肉トレーニングのインストラクターは、正面からでも背中の方向からでも、見て真似できる、という親切ぶり。視覚的認知優性の昇平には、ぴったりでした。やることの内容は字幕で出ますが、インストラクターだけは音声でも指示をしてくれます。
 運動の内容は、有酸素運動、バランス感覚を養う運動、ヨガ、筋トレ、ゲーム度の高いトレーニングに別れていて、好きなものを選んでできます。私はヨガをすることが多いのですが、昇平はジョギングのような有酸素運動や筋トレ、リズムカンフーやリズムボクシングなど、いかにも男の子らしいメニューが好みのようです。

 驚いたのは、本来苦手なはずのリズム運動を一生懸命やっていること。
 昇平は全身の協調運動が苦手で、聴覚的認知にも困難があるので、音に合わせるリズム運動はとても難しく、ラジオ体操も小学5年生でやっとまともにできるようになった、というほどだったのですが、リズムカンフーやリズムボクシングは楽しいようで、嫌がることもなく毎日やっています。うまくリズムに合わせて動くことができれば、結果が点数とランキングで出てくるので、それを励みに続けるうちに、いつの間にか高得点が出るようになってきました。
 リズム踏み台や鼓笛パレードという、音楽に合わせて動くメニューもあって、最初のうちは「全然できない!」と怒っていたのですが、これも繰り返しやるうちに、少しずつ上達してきています。
 バランスをとるゲームも多く、これも本来は苦手な項目なのですが、いくら苦手と言っても、彼は中学生男子。五十になろうというこの母よりはずっとバランス感覚が良いわけで、その優越感につられてがんばるうちに、ずいぶん改善されてきました。
 昇平が感覚統合の面で困難を抱えていることは、小さな頃からわかっていたのに、訓練を受けさせてあげる場が近くになく、親である我々も運動が苦手で教えてあげられなくて、ずっと歯がゆい思いをしてきました。そこを楽しく補ってくれるWii Fitに、「ここに、こんな強力な味方がいたのか!」と目からウロコが落ちる思いがしています。

 Wii Fitでは体重管理もできます。朝起きて、トイレに行って制服に着替えたら体重を測定するのが、今の昇平の日課になっています。
 小学生の頃に肥満を指摘され、周りからもさんざん「太っている」と言われて、とても気にしていた昇平でした。運動するんだ、と自転車や散歩をがんばってはいましたが、Wii Fit を使うと、体重と肥満度(BMI)が数字で示されてくるし、前日との体重差も出てくるので、「○百グラム減った!」とか「増えちゃった。昨日食べすぎたかな」とか、運動や食事量と体重の関係も意識できるようになりました。その結果、おやつや食事の内容や量にも気をつけるようになったので、Wii Fitの運動効果と相まって、開始当初から比べると4.5Kgも体重が減り、BMIも21.02と適性になりました。最近は、見た目にも体がしまってきて、それを周囲にも誉めてもらえるので、本人はますますやる気になっているようです。
 ただ、今の若い人たち全体の風潮として、「痩せるほど良い」と思い込む傾向があるので、動くのにはそれなりのカロリーが必要だし、これから大人の体になっていけば、筋肉や骨の量が増えて、体重は増えてくるものなのだ、ということは、しっかり教えています。健康になるために痩せるのに、痩せて健康を損ねてしまっては、本末転倒ですからね。

 健康で体力のある体を持つことは、すべての生活の基本だと思います。花風社から出ている『自閉っ子的 心身安定生活』の本でも、健康作りと体力作りの重要性は述べられているし、まったくその通りだと感じています。
 専門家の指導の下で必要な訓練を受けることができれば最高だろうけれど、それができない環境でも、こんなふうに一般向けに発売されているものを活用してトレーニングができるのだから、あきらめる必要なんかないよね、と思うのです。


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2010年7月29日 (木)

高校へ通うために~昇平の受験勉強~

 夏休みに入って一週間が過ぎました。毎日本当に暑い日が続いていますが、昇平も私も、他の家族も元気でいます。


 今年、昇平は中学3年生。受験生の夏は、夏期講習や受験勉強で忙しい時期なのだけれど、昇平の受験勉強は普通とは少し(いえ、かなり)違います。なにしろ、「高校に入るための勉強」ではなく、「高校に入ってから通い続けることができるための勉強」ですから。

 昇平が目ざしているのは単位制・通信制の私立高校。いわゆる五教科の入学試験はありません。素行に問題がなく、本人に学校で勉強する意欲があれば、それに応えてくれる学校だと聞いています。通信制なので、毎日学校へ通うわけではありませんが、本人の希望と状態に合わせて、学校へ通う日を多くすることができることも特徴です。
 昇平の場合、学校へ行くのが週に一日だけとか、月に数日だけ、という一般的な通信制高校では、学校の日数が足りません。本人は「学校へ通えない」のではなく、「緩やかなスケジュールの下で、自分に合ったペースで学校に通って学ぶこと」を求めているのですから。

 親としても、学校の中や、その登下校の間に経験することが、すべて彼を成長させると考えています。自分で駅まで行くこと、駅から一人で電車に乗ること、目的地で降りること、そこからまた学校まで自力で行くこと……途中でお弁当を買う、電車の待ち時間を店やゲーセンで過ごす、街中や電車の中で出会った人と上手に接する……体育の授業を受けるために、バスに乗って体育館へ行く、という、もうひとつの大きな課題もあります。
 もっと近い場所に、楽に通える学校があればいいのに、という考え方もありますが、私たちは、このくらいの課題があるほうが、本人の自立のためになって良いと考えています。自力で交通機関を利用して移動できるようになれば、そして、その中で出会う知らない人とうまく同席できるようになれば、昇平の「生きるための力」は格段にアップしますから。
 というわけで、この夏休みは、「入学するための勉強」ではなく、「入学してから学校に通うための勉強・練習」がメインになっているのです。


 今日は、電車に乗って福島駅まで行く練習をしました。
 「え、今頃そんなことを?」と驚かないでください。
 このあたりは路線バスも走らない場所で、最寄りの駅まで自転車でも20分以上かかるので、移動はもっぱら自家用車を使います。昇平も、物心ついたころから、ずっと車で移動してきて、公共交通機関を利用したことがほとんどありません。まずここから教えてあげないと、自力で高校に通えないのです。

 家から駅までは自家用車で行きましたが、これは、彼がもう自分だけで自転車で駅まで行けるようになっていたから。中学になって自転車通学をするようになってから、自分で町中のあちこちへ行くようになって、駅のすぐ近くまでも行けるようになりました。「運動になるから」と、片道30分以上かけて歩いていくことさえあります。本当にたくましくなりました。

 まず、メモ帳に駅の見取り図を書いて、電車に乗る手順を図と文字で教えてから、実際に駅の券売機で切符を買ってもらいました。今まで電車になんて、数えるほどしか乗っていない昇平です。少しまごつきながらも、無事に切符を買いました。
 電車に乗ってからは、通学に定期券を使うこと、それを利用すれば、いつでも(学校のない日でも)自由に福島市まで行けることを教えました。昇平は、福島の駅ビルや駅前でしょっちゅう遊んできたので、これには大喜び。併せて、単位制・通信制の高校の勉強の仕組みなども、改めて教えたのですが、「高校ってすごく自由な感じがするね」と喜んでいました。
 そろそろ自立したい年頃になってきた昇平です。「自分の力と判断に任されるようになる」ことに、不安より、嬉しさや期待の気持ちをふくらませたようでした。

 福島駅に着いてからは、昇平自身の希望で、志望校まで歩きました。以前通ったルートを半分くらいは覚えていたので、もう一回歩けば、きっと大丈夫になるでしょう。
 学校の前で引き返して、駅ビルに戻ってからは、昇平はゲーセンへ、私は本屋へ。その後、マクドナルドで昼食を取って、(昇平はお目当ての「サトシのピカチュウ」たるものをDSにダウンロードしていました)、もう一軒別の書店へ回って、また電車に乗って帰路につきました。
 ただそれだけのことでも、昇平には、いろいろなことが新鮮な経験と喜びだったようです。きっと、高校というものと直結したことだったからでしょう。


 これからも、折を見て、福島市まで電車で出る練習をしていく予定です。
 電車を乗り過ごしたり、何か困ったことが起きたりしたときにどうしたらいいか、電車の中や街や店では、どういうマナーを守らなくてはならないか、実際に彼と一緒に行動しながら教えてあげなくてはならないことが、たくさんあります。
 高校入学までにそれを教えて、実際に高校が始まったときには、自信を持って電車通ができるように、そして、高校で勉強することに専念できるように、なっていてほしいと思っています。

 本当に世間様とはかけ離れている受験勉強ですが、生きていく力を身につける場としての高校であってほしいと思うので、我が家ではこれからもずっと、昇平のニーズ最優先でいくつもりです。


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2010年7月 9日 (金)

牧場ピクニック

20100704bokujou
 先週の日曜日、『とーます!』の親子ピクニックに行ってきました。
 行き先は、郡山市で経営している、石筵(いしむしろ)ふれあい牧場。広くて遊ぶところがたくさんある上に、危ない場所もないので、気に入って今年3度目の利用です。今年は8家族総勢17名が参加しました。

 到着してまず、施設の方の指導の下でバター作り体験。生クリームと牛乳を入れた容器をひたすら振ると、10分くらいで美味しいバターができあがります。その場でクラッカーにつけて食べるのですが、自分で作ったバターの味は格別でした。(右の写真、上から2枚目が容器を振る昇平、3枚目ができあがったバター)

 その後は、子どもたち同士で誘い合って「一緒にゲームやろうぜ!」「DSでマリオ大会だ!」と大はしゃぎ。テントの下に集まっていきました。
 子どもたちがあまり夢中なので、親たちも「まずゲームをやらないと落ち着かないみたいだから、お昼ご飯まで好きにやらせておこうか」とのんびり構えて、同じテントの下でおしゃべり大会。プログラム自体、子どもたちの特性に合わせて、緩やかで変更のきく内容にしてあったので、誰も文句も言いません。このおおらかさが、『とーます!』のピクニックの特徴です。(写真、上から4枚目)

 昼食はバーベキュー。その後は、牧場の中で、それぞれに好きな遊びをしました。面白自転車に乗ったり、牧場の動物たちに餌をやりに行ったり、馬に乗ったり……。
 牧場の真ん中には綺麗な小川が流れているので、子どもたちはそこでも遊びました。上流へ行ったり、下流へ行ったり、岩に上ったり、石で流れをせき止めてダムを作ったり。こういう場面を見ていると、この子たちは本当に子どもらしい子どもだなぁ、と改めて思います。好奇心のままに遊ぶ姿、楽しくて楽しくてはしゃぎながら遊ぶ姿は、子ども本来の自然な姿です。
 日本の子どもたちは、いつの間にこういう遊び方を忘れ始めたのでしょうね。この子たちは、羽目を外しすぎる、元気が良すぎる、と言われるけれど、変わってしまったのはこの子たちなのか、それとも「普通」と言われる大多数の子どもたちのほうなのか。休日にも子どもの姿がない近所の公園を思い出しながら、そんなことを考えました。


 ところで、写真の6枚目は水をかけ合って遊ぶ昇平と、友だちのT君です。楽しすぎたのか、T君、ばっしゃばっしゃと昇平に水を浴びせて、昇平は頭のてっぺんから足の先まで全身ずぶ濡れ。さすがにこれは怒るかな~、と思いながら眺めていたら、昇平が川から上がってきて、「お母さん、これ持ってて」と眼鏡を外して差し出しました。
 実は、1カ月ほど前、同じ『とーます!』の勉強会の際に、託児室で昇平とT君は些細なことから大喧嘩になって、ボランティアさんや双方の親も関わって、感動の仲直りをしたいきさつがあります。「今回は絶対喧嘩をしないで、仲よく遊ぶぞ!」と昇平なりに決心していたようです。
 小川に戻った昇平は、前より派手に水をかけ合って、二人とも笑顔のままで水遊び終了。その後、太陽に照らされて、濡れた服も乾きました。「楽しく遊べてよかったね」と昇平に声をかけると、「ぼくが仲よく遊ぶ努力をしたおかげだよ」と答えました。
 仲直りできるすばらしさ。仲よく遊ぶことの楽しさ。その努力をして、本当に楽しい時間を過ごせたときの、達成感と嬉しさ。ピクニックは昇平に、とても良い勉強をさせてくれたようです。


 遊んで遊んで、食べてしゃべって笑って。子どもも大人も大満足して、今年のピクニックも終了しました。
 来年も、親子で楽しい時間が過ごせるといいなぁ、と思います。
 

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2010年5月30日 (日)

「自閉症とセクシャリティに焦点をあてた家族プログラム」受講レポート

 久しぶりで、しましま島の男の子に、大きなコンテンツを追加しました。
 常連のプーミンママさんによる、 「自閉症とセクシャリティに焦点をあてた家族プログラム」受講レポートです。

 http://homepage3.nifty.com/asakuratown/sexuality-prgrm/index.html


 発達障害を持つ子どもたちも、成長に連れて思春期を迎え、自分の「性」と向き合うようになります。その時に、家族はどう対応し、教え支援していくべきか。その課題に自信をもって対応できる家族は少ないのではないかと思います。
 かく言う私もそうでした。昇平が中学生になり、アダルトサイトやコンビニの成人書籍コーナーに関心を示すようになった時に、いったいどう対応し、何をどう教えたらいいのだろう? と非常にとまどいました。答えが見つからなくて、『とーます!』の学習会で顧問の中田洋二郎先生に不安と疑問をぶつけて、「朝倉さんでもこの問題にはこんなにおろおろするんですね」と先生や会の仲間たちに驚かれたり。……でも、本当に、どうしたらいいのかわからなかったのです。
 その時に先生からいただいたアドバイスを頼りに、手探りで昇平の思春期や性の問題と向き合っていますが、「これについて、ちゃんとしたやり方がわかっていれば、親子共々、もっと楽に思春期に向き合い、子どもの成長を純粋に喜んであげられるのに」と感じてきました。
 そこへ、プーミンママさんから、セクシャリティ(広義の性・性教育)について新しく開発されたプログラムを受講してきた、という話を聞き、ぜひに、とお願いして、レポートを寄稿していただきました。

 寄せられたレポートは私が想像していたものよりはるかに力作で、しかも、プログラムを開発した先生から、レポート公開の許可も取り付けてありました。これは……! ということで、私のほうでも久々にかなり力を入れてページ化して、公開の運びとなりました。


 このプログラムを開発されたのは、精神保健福祉士取得の社会人で、発達障害を持つ子どもたちに関わる診療所で働きながら、大学院の博士課程にも在籍されている先生です。
 プログラムは、子どもを理解し、信頼関係をまず結ぶことから始まっていて、そのことにも共感と安心を覚えます。性は生。人として生きることそのもの。それを発達障害を持つ子にどう教えていけばいいか。どう支援していけばいいのか。それを考え学ぶための大きなきっかけになる内容だと感じます。

 今思春期と向き合っているお子さんのご家族に、これから思春期を迎えるお子さんを持つご家族に、そして、そんな子どもたちと家族を支援する専門家の方々に、ぜひ読んでいただきたいレポートです。

「自閉症とセクシャリティに焦点をあてた家族プログラム」 受講レポート
 http://homepage3.nifty.com/asakuratown/sexuality-prgrm/index.html


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2010年3月28日 (日)

「どうしたの?」

子どもに「どうしたの?」と聞ける大人になりたいと思う。
ただ純粋に、「どうしたの?」と。

普段、私がよく言ってしまうのは、似ているようで違うことば。
「どうしたの? 早く○○しなさい」
これはカモフラージュされた命令形。
子どもに理由を聞いているわけじゃない。

ただ純粋に「どうしたの?」と聞くためには、
まず子どもの様子を純粋に観察しなくちゃいけない。
いつもとなんだか様子が違うな。
困ったような顔をしているな。
怒っているな。泣いているな。
つらそうだな。淋しそうだな。
勉強の手が止まってしまっているな。
何度も呼んでいるのに来てくれないな。

「どうしたの?」

例えこっちが理由を予想していても、
それを最初から押しつけたりせずに、
子どもの声とことばでその理由を確かめたい。

そして、評価することなく、まず受け止められるようになりたい。
「そうか、△△なんだね」
子どもが言った理由を、まずそのまま返してあげたい。
『キミの言ったことはわかったよ』
そのメッセージを子どもに伝えるために。
でも、これが案外難しい。

それから初めて、続くことばを言いたい。
「でも、まだよくわからないところがあるんだな。もう少し詳しく教えて」
「それはこういうことなのかな? こうしたいのかな?」
「こんなふうに困っているの? こんなふうに感じているの?」
「それはこうするとうまくいくんじゃないかな」
「あの人はこう考えていたんじゃないかと思うんだけどな」
「私たちだけでは解決は難しいみたい。あの人に相談してみようか」


「どうしたの?」を英語に訳してみると、それはきっと
“ Can I help you? ”
「私にあなたのお手伝いができますか?」という意味。

主人公はキミ自身。
私はキミと一緒に考えたり、キミを手伝ったりする人。
私にはキミを手伝うことができる?
あるなら、話を聞かせて。

「どうしたの?」

それはきっと、
一番最初に大人が言うべきことば。
子どもに大人として信用してもらうために。
子どもと一緒に歩いていくために。
 

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2009年11月22日 (日)

パニックのコントロール

(連絡帳の長谷田先生のコメントから)
○11月20日(金)
 今日も落ち着いた、穏やかな一日でした。授業にも一生懸命取り組みました。
 この頃、表情が明るくなったように感じます。パニックを起こす回数も減ってきているようですし、最近はパニックを起こさないようにコントロールできるようになってきています。これも成長の証しなのかもしれません。
 明日から三連休です。ゆっくり休養し、来週も元気に登校できるよう、よろしくお願いします。

 ※明日、L子さんとKくんが午後1時に遊びにうかがうそうです。


  ☆彡☆彡☆彡☆彡


 半月ぶりの日記更新になってしまいましたが、家庭での昇平の様子も、担任のコメントと同じような状況です。
 とにかくまず明るくなりました。表情が良くなり、言動が前向きになり、かんしゃくやパニックを回避する努力を自分からするし、例え起こしても短時間で落ち着くようになってきました。それに比例するように家族に対する態度も優しくなってきて、自分から気を配ったり、いたわったり。大人になってきたなぁ、と感じされされます。

 この変化の転機はどこだっただろう? と振り返れば、やはり、学校の中に「避難場所」を作ってもらい、家庭で「できる自分」を実感できる取り組みをした、1学期末から夏休みにかけての時期にあるように感じます。(→ 「夏休みの報告」
 パニックを起こしそうだ、と感じたときに自分から「避難場所」の別教室に移動できるようになったので、学校でのトラブルが減りました。「俺は恐ろしい奴だ。自分で自分がどうしても抑えられなくて、ひどいことを言ったりやったりして、友だちや先生を傷つけてしまうんだ!」とパニックから落ち着くたびに泣いていた昇平ですが、避難場所に移動することで、そんな自分をコントロールできるようになってきた、と実感できるようになってきたようです。
 夏休み中も、「やればできる自分」を実感することと、「楽しいイベント」や「そのままの自分でも受け入れてもらえる場所」を数多く経験できるように力を注いだので、夏休みが終わる頃にはかなり自信を取り戻して、夏休み明けにはまた前向きに学校へ通えるようになりました。間もなく2学期も終わろうとしていますが、学校での昇平の様子は、上のコメントのような感じです。本当に良かった、と思います。


  ☆彡☆彡☆彡☆彡


 昨日は、長谷田先生も知らせてくださったように、同じ学級のL子さんと隣の学級のKくんが我が家に遊びに来てくれました。L子さんは昇平の同級生ですが、Kくんは1学年上です。二人が遊びに来るのは、今回が3回目。約束はいつも学校でして、午後いっぱいゲームをして遊んでいます。
 中学生とはいえ、どの子もそれぞれに特徴や社会性の困難を抱える子なので、関わりの「交通整理」は不可欠です。彼らが遊んでいる間、私はずっと同じ部屋か隣の部屋にいて、パソコンで仕事をするふりをしながら目配りして、必要に応じて声をかけたり、仲介したりします。最初はけっこう大変でしたが、回を重ねるごとに遊び方がうまくなってきて、昨日は互いに譲り合ったり、許し合ったり、相談し合ったり……とても楽しそうで、良い感じでした。

 ただ、昇平は、友だちと遊べる嬉しさのあまり、うっかり昼の薬を飲み忘れました。楽しく遊んでいるのに、時々イライラするようになり、それが時間と共に頻繁になっていくので、こっそり本人に確認してわかりました。その時点で午後3時半。午後の薬を飲むには時間的に遅くなっていたし、本人も友だちのいるところで薬を飲みたくはないので、「いい、飲まなくても大丈夫だから」と言って、そのまま遊んでいました。その後も、イライラしてもすぐに抑えて謝る、自分勝手なこともしない、ということを頑張っていましたが、午後4時半、もうすぐ友だちが帰る、という時間になって、とうとう爆発しました。ほんのちょっとしたことでL子ちゃんと言い争いになったので、間に私が入って調停、仲直り。最後には3人で協力してミニゲームをして、みごと対戦相手のコンピューターに勝ってお開きとなりました。
 その後、爆発してしまったことに、しゅんとしている昇平に、「この次、友だちと遊ぶときには、忘れずに薬を飲もうね。あれはイライラを減らしてくれるお薬だから」と話して聞かせ、本人も「ぼくがイライラしていたのはそのせいだったのか」と気がつき、また明るい顔になりました。この次は、きっと飲み忘れたりしないでしょう。


  ☆彡☆彡☆彡☆彡


 パニックもトラブルも、いきなりゼロになってしまう、ということはありません。本人が自分の性格や特徴を自分で把握して、それを自分でコントロールしようとしなくてはならないから、その成長に時間がかかります。長い長い自分との戦いです。
 そのための原動力はどこから来るのかといえば、やはり、「自分を信じる気持ち」なんだろうと思います。ぼくにはできる。きっと自分を良くしていける、と信じる心があるからこそ、失敗しても「こんなことで負けていちゃダメだよね」「人間は何度でもやり直せるんだよね」と言って、再挑戦できるようになります。(左のセリフは、本当に昇平自身がよく口にすることばです) その不屈の積み重ねは、時間と共に、目に見える変化になっていきます。もちろん、良い方向への変化です。
 昇平に関わる私たちにできることは、そんな彼の自信を支えていくことなんだろうと思います。「うん、何度でもやり直せるんだよ」「以前より怒る回数が減ってきているじゃない。失敗してもいいんだよ。仕切り直して、また明日頑張ればいいんだから」「大丈夫、君もきっと変わっていけるよ」……繰り返しそう語り聞かせ、対策を一緒に考えていくことで。

 ゆっくりと、でも確実に前進を続けている昇平。
 その成長を、これからも見守り、支え続けていきたいな、と思います。


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2009年6月23日 (火)

がんばる子どもたち~託児室で~

 先日、親の会の学習会で、お母さんたちが勉強している間の託児ボランティアに入りました。

 小学生の男の子、女の子6人ほどを、もう一人の役員のお母さんと見ていたのですが、遊びのネタにプラバルーン(接着剤のような「風船の素」を短いストローの先につけてふくらませて作る、割れないシャボン玉のようなもの)を持っていったところ、子どもたちが面白い発見をしました。
 ふわふわと飛んでいったプラバルーンがホワイトボードにぶつかって貼り付き、それをはがした拍子に、ホワイトボードに描いてあった絵がバルーンの表面に写ったのです。
「あっ、これ印刷みたいだ!」
 と小学5年生のTくんがすかさず気がついて、そこからバルーンをふくらませてはホワイトボードの絵を写し取る、プリント遊びが始まりました。

 私も子どもたちに絵をリクエストされました。
「ねえ、カタツムリ描いて」
「いいよ」
「ねえ、ドラえもん描いて」
「え……ドラえもんってどう描くんだっけ? しばらく描いてないから忘れちゃったな。え~と、こうだっけ?」
「違うよ。鼻は赤いんだよ」
「鼻の下に縦棒があるの」
 わいわいがやがや。

 風船を長い時間絵に貼り付けて、そっとはがすと、ホワイトボードの絵を完璧に転写できてボードの絵が消える、と気がついたのは4年生のR君。
 みんなADHDの診断を受けている子どもたちだけれど、それだけに着目点が良くて発想が豊かです。本当に素敵なものを持って生まれてきた子どもたちだなぁ、と感心しました。


 やがて男の子たちは狭い託児室での遊びに飽きて、別のオープンスペースの遊び場へ移動。もう一人の役員のお母さんがそちらへついていって、私はたった一人の女の子のYちゃんと託児室に残りました。
「Yちゃんは行かないの?」
「いいの。あたし、うるさいのは好きじゃないから」
 Yちゃんは小学1年生。女の子だけあって男の子たちよりはおとなしいので、元気いっぱいな遊びには、ちょっと混ざりにくいのでしょう。二人で一緒にバルーンで遊び続けました。

 ところが、湿度のせいか、気温のせいか、バルーンがなかなかうまくふくらまなくなりました。せっかくふくらんでも、ストローから外すところで失敗して、つぶれてしまいます。
 思うようにバルーンができなくて怒り出すんじゃないかな、と心配しましたが、Yちゃんは何度も作り直します。つぶれてもつぶれても、またふくらませます。
 その根気強さに感心して、「Yちゃんはすごいがんばり屋さんだね」と言ったら、
「あたし、自転車もがんばって乗れるようになったんだよ」と得意そうに教えてくれました。
 そうして、とうとう大きな丸いバルーンを自力で作り上げたときの、Yちゃんの晴れ晴れした顔。キラキラ光る風船を宙に飛ばして、嬉しそうに遊んでいました。


  ☆彡☆彡☆彡☆彡


 素敵な才能や能力を持って生まれてきても、それを実際の成果につなげるには、やりとげるための根気や努力が必要になります。
 ADHDのある子どもたちは、どうしてもこの部分が苦手で、なかなか実力を発揮できないのですが、親の会の子どもたちを見ていると、意外なくらいがんばり屋さんが多い、と感じます。親のひいき目と言われるかもしれませんが、昇平も、やっぱりとてもがんばり屋だと思います。
 失敗や挫折、親や先生や友だちから叱られることを、人一倍多く経験している子どもたちです。普通だったら、「もういいや!」「どうせこんな自分なんて!」と考えて、がんばることを投げ出しそうなものなのに――。

 その日の学習会はペアレント・トレーニングでした。
 子どもの良いところを見つけて誉め、困難や問題への対応の仕方を学んでいく勉強会です。
 それを受講している親たちが育てているから、自分の持つ困難にも負けずに努力する、がんばり屋の子どもたちになっているんだろうな、と思いました。

 子どもを育てていく上で、考えなくてはならないことはいろいろあります。
 けれども、その中でも一番大切な大人の役目は、子どもの「がんばる気持ち」を支えていくことなんじゃないかな、とつくづく考えています。


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2009年2月27日 (金)

年代別療育と支援の目標(覚え書き)

 「療育」って、なんだろう?

 発達に障碍(しょうがい)を持つ子どもにするもの。

 それって治療? それともトレーニング?
 障碍を克服して「普通の子・普通の大人」になるための。

 ううん、違う。
 障碍のある子が自分の特性と折り合いながら社会の中で生きていくために、
 その子に合わせて子育てや教育をすること。
 普通の子育てより少し工夫が必要だから、
 そのぶん、ちょっと丁寧に育てなくちゃいけないだけのこと――。


  ☆彡☆彡☆彡☆彡


 以下は、私の覚え書きです。おそらくわかりにくいだろうし、少し極端な表現もありますが、まだことばを吟味していない状態なのでご容赦ください。


「年代別療育と支援の目標」

【乳児期】
 できるだけ早く発達の偏りに気がつく。
 生命の危険や健康を損なう可能性もあるので、まずは子どもを死なせないこと。母親が倒れてしまわないこと。そのために、周囲も早く「育てにくさ」に気がつくこと。母親を責めない。


【幼児期】
 引き続き、できるだけ早く発達の偏りに気がつく。その後、発達によって偏りが軽減する可能性はあるが、今現在の状態を見極めて、今に必要な対応をしていく。
 引き続き危険の回避。
 周囲は親を責めない。母親のレスパイトは絶対必要。母親の心身の状態が子どもの対応に直結するから。
 一番基礎的な生活習慣の確立努力。食べること、飲むこと、衣類を身につけること、排泄、入浴等の衛生etc. ただし、習慣の確立には本人の発達段階が非常に関係するので、無理強いは絶対禁物。できそうなところ、やれそうなところから。保育園等でプロの支援を受けるのも良い。
 家庭内での人間関係の基礎作り。こどもの気持ちや言いたいことを受け止める努力、こちらの伝えたいことを当人にわかりやすく知らせる努力。すなわち、コミュニケーションの基礎作り。気持ちを受け止められ、相手の言いたいことがわかることで、子どもは安定するし、母親→他の家族→家庭外の人たち と家庭を基礎にして社会が広がっていくから。そのために、絵やカード、実物等の利用、短いことばづかい、その他、当人がわかりやすくなるなら、なんでもやってみる。方法が具体的に思いつかないときには、専門家や先輩の親たちに相談にのってもらう。
 周囲に理解者・支援者を増やす努力。むやみにカミングアウトする必要はないが、助けてくれる人にまで障碍を隠してしまわない。


【学童期】
 引き続き、発達の偏りに気がつく。親によっては、偏りに気がついても将来の不安等から認めたがらない場合があるので、不安を取り除きつつ、子どもの状態を認められる方向に働きかける。
 基本的な生活習慣の確立努力。学習の基礎作り。特に国語、算数は大切。本人の学習能力の状態に配慮し、能力に落ち込みがある場合は補う方法を考え、力のある部分は認めて伸ばす方向で働きかける。学校との連携。補助教材や学習機関等も、本人に合っているなら利用する。
 「できること」が本人のセルフエスティーム(自尊心)の向上につながるので、成功体験をできるだけたくさん積ませる。いやでも失敗を多く経験する子たちなので、わざわざ失敗体験をさせる必要はなし。失敗したときの本人の気持ちをフォローする。努力やできたところまでを認め、次にまたチャレンジできる意欲を守る。
 社会での人間関係の基礎作り。トラブルは互いに理解して乗り越えるための勉強の機会と捉える。ただし、当人に「周囲と折り合ってうまくやっていこう」という気持ちがなければ、トラブルを軽減するのは難しい。周囲と折り合う(仲良くする)楽しさや必要性が理解できる方向の働きかけをする。
 高学年になるに従って、当人の自立的な行動を促す取り組みを増やす。翌日の時間割を揃える、一人で入浴して体や髪を洗う等、生活していく上で将来も必要になる能力を身につけることを優先する。これもできそうなところから。無理に目標を高くすると、本人は失敗体験をしてしまうし、親も子育てのモチベーションや親としての自信が低下するので注意。


【中学生以上】
 成人したときに、親に依存せずに生きていけるだけの能力を身につけるための支援。親はいつまでも子どもと一緒には生きていけないので。
 周囲に理解者・支援者を増やす努力。当人の社会的な能力向上への支援。当人は、困ったときに助けを求められるスキルを身につける。周囲は当人が社会を理解するための支援を続ける。(EX.「今○○さんが言ったことは、××という意味なんだよ……」と場面を解説してあげる)
 本人の得意不得意を見極め、得意な能力で社会に参加できる方向を探る。社会での進路を考えていく。そのための学校の選択や支援を考える。
 子ども自身の社会を大切にする。友だち関係等、主導権は子どもに任せるが、周囲の大人が常に目配りをする。とはいえ、実際に社会に出ればさまざまな人間関係を持つようになるので、学校での人間関係ばかりにとらわれて苦しくなってしまわないように。100人の「名ばかりの友だち」より、1人の「理解してくれる人・気の合う人」を大切に。
 当人は、自分の特性を知り、自分の変えたい部分を改善する努力をする。自己コントロールの訓練、特性から来る困難を越えるための工夫等。


【卒業後】
 能力にあった就労の支援。就労に関する相談先やジョブコーチ、彼らを理解して雇用してくれる企業がもっともっと増えることを希望。
 この部分は、まだまだこれからなので、思いつくのはこのくらい……。
 

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2008年11月21日 (金)

とことんつき合う

 ADHDという診断名がついていても、その状態像はその子(人)によって様々だ。大事なことを忘れてしまったり、話を聞くうちに混乱してわからなくなったりする不注意型の子。じっとしていられなくて、ウロウロ歩き回ったり、とにかくいつも何か動いていなくてはいられない多動型の子。そして、ちょっとしたことで爆発したり、目についたことに後先考えずに反応してしてしまう衝動型の子。たいていはそれらの特徴が一人の子の中に入り混じっているのが普通で、それも年齢によって強く出る症状が違っていたりする。

 昇平の場合も多分に漏れず、複数の特徴が入り混じっているけれど、最近特に目立つようになってきたのが衝動性から来る爆発。たぶん、思春期という年代も関係しているのだろう。以前はパニックになっても他人に手を出すことはしなかったのに、最近は周囲の人に手が出る足が出る。体が大きくなってきて力も強くなってきたから、あまり激しいと危険を感じることさえある。
 とはいえ、爆発はたいてい学校で起きる。家でも起きないわけではないけれど、すぐに落ち着く。担任や校長に話を聞いてみると、昇平自身が原因で起きることはほとんどなくて、たいていは他の子からちょっかいを出されたとか、いじめられている子を守ろうとしたとか、急に大声を出されて驚いてパニックになったとか(聴覚過敏があるから)、外からの要因で起きているのだという。それだけ学校という場所は刺激が多いということだし、中学生という独特の年代の子どもたちの集団だからということもある。昇平も衝動性が強まっているけれど、他の子たちもこの年代には落ちつきがなくなっている。特に男の子たちはそう。そんな難しい年頃の子たちと毎日向き合っているんだから、中学校の先生方も大変だよね……。


 学校では、そういった周囲の状況も踏まえながら、昇平と周りの子たちに指導を続けてくれている。成果が出るには時間がかかるけれど、それでも根気よく対応を続けてくれている。
 では、家庭でできることは?
 昇平は学校で喧嘩してしまったときやパニックを起こしたときに、帰宅してから報告してくれるようになった。「今日もまた自分に負けてしまった」と。昨日も2回騒いでしまった、と言っていた。一度は相手にしつこく言われて腹を立てて喧嘩に。もう一度は急な大声に驚いてパニック。自分でやってはいけないとわかっているのに、ついやってしまう、騒いでしまう。「自分でもどうしようもないんだ」。
 わかっているのに、後からならちゃんとわかるのに、その場では抑えが効かなくなる。わかっているだけに、つらいよね。
 昨日はちょうど診察日だったから、「自分でそのことを先生に話しなさいね」と言った。相変わらず筋道立てて説明するのは苦手だし、自分の口では言いたくない話ではあったけれど、ちゃんと主治医に報告することができた。主治医は、その様子を踏まえた上で、薬の微調整を行ってくれた。ほんのちょっと、かっとなるエネルギーが抑えられるだけでも、ずいぶん違うはず。だって、自分で「なんとかしよう」という気持ちは持っているから。

 病院に向かう車の中で、昇平が言っていた。
「俺、騒いだときにみんなに『おまえらみんな裏切り者だ』って言ったんだけど、やっぱり裏切れないな」
 ん? なんだか意味が通じない。よくよく聞いてみたら、本人は「おまえらみたいにうるさい奴らとは縁を切ってやる」と言いたかったらしいし、「だけど、やっぱり縁を切ることなんかできないな」と考えたのだとわかった。
 裏切る、というのはそういう意味じゃないよ、と教えてから、「そうだね。人間ってのは一人では生きていけない生き物だから、誰とも縁を切ってしまうなんてことはできないよね」と話した。
 その話は、病院からの帰りの車中でも続いた。人間は一人では何もできないこと、一人ではとても弱い生物だということ。自分だけでは自分の身を守れないこと。必要なものを自分一人ですべてまかなうことができないこと……。

 人間にはライオンみたいな強い爪や牙も、馬やシマウマみたいな逃げるための速い足もないでしょう? だから、他の動物に襲われたら、ひとたまりもないんだよ。
 昇平くんは家に住んで、暖かい服も着てるけど、家がなかったらどうだろうね? 服がなくて裸だったら? とても生きていけないよね。毎日ご飯も食べるけど、それを材料の野菜や魚や肉を手に入れることからやりなさい、って言われたら、とてもできないよね。
 家を造ることも、食料を手に入れることも、病気になって病院で治してもらうことも、その他のありとあらゆることも、たくさんの人たちがみんなで力を合わせてやっていることなんだよ。それは昇平くんだけでなく、他のみんなも同じで、それぞれが自分にできることをやって協力するから、人間はこうして生きていられるんだよ。人間は集団で生きる生き物なの。だから、みんなと仲良くしなさい、って言うの。自分が生きていくために、人間はみんなと仲良くするんだよ。
 昇平にできるだけわかりやすい例をあげながら、そんな説明をしていったら、昇平もそれなりに、なるほど、と思ったらしい。「人間は協力しないと生きられないものなんだね」と言うようになった。

 でも、それだって、わかったから明日から急に怒らないですむようになるか、と言えば決してそんなことはない。わかっていたって、やっぱり怒ってしまうだろう。薬の調整をしてもらったって、パニックになるときにはなる。ただ、そういう小さな積み重ねが、やがて本人の力に変わっていくんじゃないかと思っている。学校が子どもたちへ繰り返す指導だって、今すぐには劇的には変わらなくても、きっと時間と成長が、目に見える成果を生んでくるはず。
 子ども本人を見ながら続ける働きかけが無駄になるなんてことは、絶対にないと思う。


 先日の学習会で、講師の臨床心理士の先生からこんな話を聞いた。
「小学生ならば3,4年生が、中学生ならば2年生が、一番難しくて大切な時期です。お子さんがこの年代の親御さんは、今一度ふんどしの紐を締め直して、腹をくくってお子さんにつき合ってあげてくださいね」
 昇平もあと半年足らずでその中学2年生になる。もうしばらく大変な時期は続くかもしれないけれど、本人が自分を良くしていこうという気持ちを持っているから、それを信じて、とことんつき合っていこうと思う。

 ……母親の私自身の楽しみと息抜きも忘れないようにしながら、ね。(笑)


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