学校

2010年11月30日 (火)

変わってください!

 学校長や担任と話し合いをしてから、いろいろ考えていた。
 入学当初から、ずっと昇平に合わせた対応をお願いし続けたのに、それが学校に通じなかったのは何故だったんだろう、と。

 結局は、「あの子は障害児だから、我々にはどうしようもない」と学校側が最初から考えていたからなんだろう、と思う。
 昇平はL子さんが騒ぐたびにパニックになって、特に2年生の1学期にはものすごい騒ぎを毎日のように起こしていた。先生方に怪我をさせてしまったこともある。いくら昇平に言い聞かせても改善しないから、先生方が下した結論は、「あの子は障害があるんだから、しょうがない」。
 パニックのきっかけがL子さんの声にあるのは、先生方もわかっていた。だけど、それもまた、彼女の障害特性から来るものだから、いくら言い聞かせてもやっぱり改まらない。だから、ここで出た結論も、「あの子も障害があるんだから、しょうがない」。
 昇平がパニックになって大混乱になると、もう先生方の話は耳に入らなくなる。ところが、私とならば、昇平は話をするし、その過程を経て落ち着いていく。だから、「パニックになって手に負えなくなくなったら、お母さんと話をさせよう」。昇平が、「こんな学校にはもういられない!」と帰ってきてしまっても、「家に帰ってお母さんの顔を見れば落ち着いて、翌日にはまた元気に登校してくるんだから大丈夫」。
 こんなふうに思われていたのでは、何も変わるはずはなかった。

 先生方は理解できなかったんだよね。昇平にとって、L子さんの声がどれほどつらいのかということが。だって、先生方にとっては、それは「まったくうるさいなぁ」と思う程度の声なのだから。昇平がその場から逃走したくなるほど、窓から飛び下りたくなるほど、本当に苦痛に思っているとは、想像ができなかったんだよね。
 そして、昇平がそれを何度訴えても、「L子さんが騒いでしまうのはしょうがないんだよ。我慢してあげてね」「このくらいの声で、こんなに騒いでは駄目なんだよ。まして人に怪我をさせるなんて絶対いけないんだよ」と、昇平の方に指導が来る。それでは、昇平も先生方を信頼しなくなる。「どうせ先生はぼくの気持ちなんてわかってくれないんだから」……これは昇平自身が自分の口で言ったことば。そんな信頼関係にある人から「落ち着きなさい」なんて言われたって、昇平が落ち着けるはずがない。「ぼくの気持ちをわかってくれるのは、お母さんだけだ」と、落ちつきを取り戻すために母を求める。

 私は必死でそんな昇平を支え続ける。あの手この手、本当にあらゆる手段と時間をかけてフォローするから、昇平はなんとかまた学校へ行く。気持ちを前向きに切り替えるから、自分自身を反省して、「もっとがんばります」と先生方にも言う。……無理なんだよ。どんなにがんばったって、生まれ持った障害特性は変わらない。L子さんの声は、どんなに君ががんばったって、耐えられるものじゃないんだ。それなのにがんばろうとするから――パニックを起こすのは自分が悪いせいだ、それを改めなくちゃいけないんだ、と考えるから――難しい勉強が理解できないのも、自分が馬鹿で駄目な人間だからだ、と考えるから――だから、精神状態もおかしくなってくる。精神衰弱のようになって、抗鬱剤を飲まなければ学校へ行けなくなってしまう。それも、パニックを起こすたびに、自己嫌悪と不安からまた症状を悪化させて。


 入学当初からずっと学校へお願いし続けたことだけれど、改めてここに書こう。
 パニックには、必ずそれが起きる理由と原因がある。それをまず見つけて、取り除くこと。取り除けないならば、それが起きにくくなるような「環境改善」をすること。
 昇平のように、生理的な理由からパニックが起きるのであれば、なおさら本人を改善しようとしても不可能。誰だって、訓練で生理的特徴は改められない。暑がりの人は、どんなに訓練しても暑がり。寒さに弱い人は訓練したって寒がり。まして、その感覚的特徴から非常につらい想いをしたことがある人ならば、その原因を異常なまでに恐れるのは当然のこと。言い聞かせたって治らない、変わらない。やるべきことは、「パニックの原因になるつらい出来事が起きない、安心できる環境作り」。それ以外の対応はない。
 社会に出れば、いろいろな環境に出会うのだから、今のうちからそれに慣れておかないと将来困るだろう……と先生方は言われる。それはその通り。でも、馴らすならば段階を踏んでお願いします、と私たちはお願いし続けた。まず安心できる避難所を。そこに避難しながら、「このくらいなら大丈夫かな?」「この程度なら我慢できるかな?」と、自分の意志で少しずつ耐性を付けていけるように指導してください、と。
 昇平が越えなくてはならないのは、とても高いハードル。一度に飛べるようになんてならない。少しずつバーの高さを上げて練習していかなくちゃ、飛び越せない。

 子どもが障害を持っていたって、学校にできることはある。完璧はありえなくても、それを目ざして改善していくことはできる。
 そう思ってきたから、私はどんなにつらい状況でも、「学校へ行こうね」と昇平に言い続けた。学校に気がついてもらいたい、変わっていってもらいたい、と親子で願いながら、今日まで来た。
 私たちには不十分であっても、学校が変わり始めれば、この後の子どもたちはもっと楽に充実した学校生活を過ごせる。例えば、これからゆめがおか学級から中学校に入ってくる、昇平の後輩のT君、Aちゃん、T君、H君、Yちゃん……あの子たちが小学校できちんと積み上げてきたものを、中学校でなし崩しにされることがないように。あの子たちが、もっと大きく成長していけるように。そのために。

 中学校だって、きっと変われる。変わっていける。私は今でもやっぱり、そう信じている。
 昇平が卒業するまで、あと4カ月。
 残りわずかな時間だけれど、私は中学校を見つめ続けようと思う。

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2010年7月14日 (水)

面接練習開始

 今日はスクールカウンセラーのA先生との相談日だったので、中学校へ行ってきました。

 今回のテーマは、なんと言っても「面接練習の開始について」。前回の相談で、昇平が受験に不安を感じていることを話したところ、「早めに準備を始めましょう」ということになって、受験科目である面接の練習をすることになったのです。

 面接の練習と言っても、受験のためだけのものではなく、将来社会に出るときにも役立つような、また、昇平自身が自分を知っていくためのステップになるような、そんな場にしたいのだ、とA先生からまず話がありました。
 昇平の特性についても、A先生はいろいろ配慮して計画してくださっていて、「毎回、昇平くんの姿勢の写真を撮って、本人に確認させてあげたいのですが、よろしいですか?」と聞かれました。視覚認知優勢の昇平に、自分がどう見えているかを客観的に認識させるための練習ですが、同時に、「昇平くんなら、そういう場面の途中で姿勢が崩れるようなことがないでしょうから、自分の良いところを知っていくチャンスにもしたいのです」と説明がありました。おぉ!
 いくら視覚認知がすぐれていても、自分の「悪いところ」を見せられたら、誰だって面白くないし、やる気がなくなってきますものね。「ほら、こんなに良くできているんだよ」と見せられた方が、モチベーションは絶対に上がります。なるほど。

 「昇平くんには好きなキャラクターはありますか?」とも聞かれました。目標になることをがんばれたときには、表にシールを貼っていくようにしたいのだと言われて、即座に「ポケモンです!」と答えました。本人は今ポケモンに夢中だし、ポケモンの「進化形」を使えば、自分が上達しているとわかりやすいと思います、と答えると、先生のほうでもさっそくそれをメモされていました。
 そのうち、ポケモンバージョンのがんばりカードが登場するかもしれません。

 お母さんから面接練習に要望はありますか? と聞かれたので、昇平が自分の想いを上手に言い表せなくて、イライラしたり、自分に絶望したりすることがよくある話をしました。本当はいいたいことがあるのに、自分の中に、それをうまく言い表すことばが足りなかったり、適切なことばが、とっさに出てこなかったりするのです。それでもなんとかうまく話したいと思う余り、最近は話を「完璧に」言おうとこだわるようになり、途中で話に詰まると「俺はどうしてこう話が下手なんだ! 俺はダメだ!」と怒るようになっていました。
 そうではなく、話というのは、もっとフレキシブルでいいのだということを、本人が知ってくれれば、と思っています、という話をしました。A先生も、気持ちや想いを伝えるものには言語性のものと非言語性のものがあって、ことばがうまく出ないときには、非言語性のもので表現していいのだということを教えてあげたいと思います、と言ってくださいました。


 初めての面接練習は、私との面談が終わった後にありました。
 帰宅した昇平に「どうだった?」と聞いたら、「面接では姿勢良く座ればいいんだよ、って言われた」と教えてくれました。その声が自信に満ちていたので、ああ、良いところをほめられて、これからも頑張る気になったのだな、とわかりました。
 他にも、うまく言えなかったときには「間違いました」と言って、言い直せばいい、とも教えてもらったとのこと。さっそくこちらの要望も取り入れてもらえたのだなぁ、と嬉しくなりました。

 昇平の面接練習は、これからも月に1~2度の割合で続く予定です。私には10月頃に中間報告をしてもらえるとのこと。
 イベントのたびに大きく成長するのが昇平です。受験のための練習ですが、この練習を通じて、昇平はまたいちだんと成長していくのだろうな、と予感しています。これからの彼の変化が、とても楽しみになりました。


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2010年6月23日 (水)

5月~6月の報告

 最後に昇平の様子を日記に載せてから、ほぼ1カ月が過ぎようとしています。
 あまりブランクが空くと、何事かあったのではないかと思われるかもしれませんが、実際には逆で、毎日あまりに何事もなく平穏無事に過ぎるものだから、とりたてて日記に書くこともない、という状態です。ですから、本当にご心配なく。
(それでも最近の様子が気になる方は、「ペンスタンド」でも覗いてみてください。その日の短い日記を載せていることがあります。こちらも更新は気まぐれですが)


  ☆彡☆彡☆彡☆彡


 さて、この一ヶ月間の様子をまとめて報告しましょう。

5月27日(木)
 中間テストで大健闘。学年平均には及ばないものの、本人としては記録的な好成績。特に数学は50点を上回り、順位も上がった。自分でその結果に驚き、「ぼくも、頑張ればできるんだ!」という実感を持った様子。


6月前半
 中体連のため、自習の日がたびたびあった。去年までは、担任が部の顧問として大会に行ってしまうので、その間にトラブルが多発して、私は胃が痛くなっていたけれど、今年は、介助の先生と1年次に担任で現副担任の岩沢先生がいてくださるので、担任が留守でもまったく心配ない。3年目にして初めて、心安らかにこの時期を過ごすことができた。


6月上旬
 5月末に奥歯の詰め物が取れてしまい、2回ほど歯医者に通った。診察室には昇平だけが入り、一人で治療を受け、何事もなかったように出てきた。親が先生から呼ばれて説明を聞く、という場面も今回はなし。あまりにあっけなく治療終了したので、こちらが拍子抜けしたほど。
 過去のてくてく日記をみると、歯医者にものすごく苦労した様子が記述されているのだけれど、ずっと同じ歯医者に通い続け、少しずつ皆で経験を積み重ねていって、とうとうここまで来た。最近、その成長ぶり、進歩ぶりに感激することが多くなった。


6月12日(土)
 旦那が一ヵ月ぶりで休みを取れたので、一週間早かったけれど、父の日のお祝いで焼き肉食べ放題へ行った。昼時で店内はかなり混んでいたし、小さな子の泣き声が聞こえたこともあったけれど、本人は平気な顔。後から「落ち着いていて偉かったね」と声をかけたら、「ぼくはもうずいぶん前から平気になっていたんだよ」と答えた。実際、よほど調子や環境が悪いときでない限り、小さな子の声にパニックを起こすことはなくなった。


6月16日(水)
 スクールカウンセラーのA先生との相談日。去年の今頃は涙ながらの面談だったけれど、今年は嬉しい報告ばかりできる。
 昇平が中間テストの直前に少し不安定になったこと、「テストの結果が悪いと高校に入れないのでは」と心配していたことを話すと、「早めに高校受験の準備に取りかかった方が良さそうですね」という話になり、昇平の受験科目である面接の練習を、夏休み前から始めてもらえることになった。面接では受験動機や将来についても聞かれるので、進路や将来の展望を具体的にイメージしていく取り組みもしていただけるという。小学校からずっとお世話になってきたA先生。本当に心強い味方です。


6月20日(日)
 早朝、中学校の親子清掃奉仕へ。学校の前庭の草むしりをした。L子ちゃんはお父さんと来ていたけれど、L子ちゃんと私でおしゃべりをしたり、昇平がL子ちゃんのお父さんにポケモンの話をしに行って、話し相手をしてもらえて満足そうにしたり。もちろん、草も1時間しっかりむしり、最後に昇平は草を入れた重いゴミ袋をL子ちゃんと2人で運び、岩沢先生と協力して草捨て場に空けた。
 どんな行事にも、どんな些細な作業にも、発達のための課題や練習が含まれている。学校というのは、子どもを成長に導くためのプログラムを、年間行事という形で蓄積して実施していく場所なんだ、と改めて痛感した。学校が本来の学校らしくあることが、実は子どもたちのために一番良いことなんじゃないだろうか?


6月22日(火)
 昇平が受験を考えている高校へ、私が見学へ行って説明を聞いてきた。通信制の私立高校だけれど、本人が希望すれば毎日でも登校して勉強することができる。最近はできるだけ登校できる日を増やして、学校生活を経験できる場所にしてほしいという要望が増えてきたので、新卒で入ってくる1年生でひとつのクラスを作っているらしい。校舎は古くて狭い。校庭も体育館もない。でも、面倒見の良さそうな、暖かい雰囲気の学校だった。スクーリングとレポートで組まれたスケジュールも、見通しが立てやすくて昇平に合っている。職員室に勉強に来ていた子と少し話もしたけれど、先生に親近感と信頼感をもっているのが伝わってきた。
 「学校に通って学びたい気持ちがある人は、誰でもうちにおいでなさい」と言ってくれているような学校で、ああ、ちゃんとこの子たちにも行ける高校があったんだ、と本当に嬉しくなった。本命の受験校はここに決定。


現在
 来週、期末テストがあるので、昇平は試験勉強中。今までは私が試験範囲を確認して学習スケジュールを立てる手伝いをしていたけれど、前回の試験の時には範囲確認だけを手伝い、今回は範囲表の中の「○ページから○ページまで」という部分にマーカーをしてあげただけで、あとは全部本人に任せてみた。自分で学習計画を立てて、試験までに範囲が全部勉強できるようにペース配分しながら学習している。学習内容は翌日、担任が必ず確認して判を押してくれる。良い形で自主的に学習する習慣が確立しつつある。


  ☆彡☆彡☆彡☆彡


 そんなこんなで、間もなく7月。1学期もあと一月ほどで終了してしまいます。
 中学3年間は本当にあっという間だし、その間にはいろいろなことがあったけれど、終わりよければすべて良し、で卒業できればいいな、と考えています。


【お願い】
 下記の療育掲示板で、元ことばの教室担任の理尚先生が、発達検査(WISC-III)に対する保護者の気持ちをお聞きになっています。より良い研修会実現のために、皆様のご意見を聞かせていただければ嬉しいです。


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2010年5月26日 (水)

がんばることは誰にでもできる

 3年生になって、昇平は毎日本当によくがんばっています。

 彼の今の一番の目標は「自己コントロール」。1年生から2年生にかけて、自分をコントロールできなくて、パニックになって暴れたり騒いだりしたので、「もうあんなことはしたくない」と本人自身が強く強く思っているようです。
 まだ友だちが起こす騒ぎに巻き込まれて、友だち以上に興奮してしまったり、難しい学習内容に突き当たってかんしゃくを起こす、という場面はあるようですが、ひとつひとつが以前より穏やかになり、「あ、こんなことを言っては(やっては)ダメなんだった」と自分で気がついて、短時間で立ち直るようになっています。
 自分でもそんな自分を「よくやっている」と感じているようで、顔つきにも行動にも自信が現れてきました。いい顔になってきています。

 勉強もとてもがんばっていて、学校の授業はもちろん、帰宅してからも毎日1時間、きっちりと家庭学習を積み重ねています。
 それでも、本来の能力の弱さ、ADHDから来る不注意などのせいで、テストをすると点数は思ったようには取れませんが、確実に学力は伸びてきているのではないかと思います。
 そんな昇平を周囲の大人たちもほめてくれます。点数ではなく、がんばっている昇平の姿をほめてくれるのです。


 それを見ていて、思いました。
 人の持つ能力は一人ずつが違っていて、勉強のできる人できない人、運動の得意な人不得意な人、話の上手な人下手な人――いろいろな人がいるのだけれど。
 でも、がんばることは、誰にでもできるんだよね、と。

 どんなに持って生まれた能力に違いがあっても、困難を抱えていても、自分の能力を使って向上しようとすることは、誰にでもできることです。そして、できなかったことができるようになったときには、誰だって、たくさんほめてもらえます。それは、どの人にも平等な可能性であり、平等な権利です。
 そういうがんばりをほめられる大人や社会でなくちゃいけない、とも思います。結果ではなく、そこへいたる過程を重視しなくちゃいけないんですよね。心の成長のためには。


 大勢の周囲の人たちに認められ、ほめられ、支えられ教えられて、昇平は今日もがんばっています。
 体だけでなく、心も大きく成長してきているのを感じます。
 将来、社会の一員として生きていけるようになるために。
 今日も、昇平はがんばり続けてます。


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2010年5月13日 (木)

張り切る昇平

 時々、ちょっと強い風が吹きますが、よく晴れた明るい朝です。
 お天気に誘われたのか、昇平も元気いっぱいで登校していきました。

 最近、昼休みは交流学級で絵を描いて過ごしているようで、クラスのお友だちから「上手だね」とほめられたり、絵のリクエストをされたりするのがとても嬉しいようです。描いているのは、もっぱらポケモンの絵らしいのですが。
 同級生との関わりが少しでも深まるように、広がるように、とずっと心砕いてくださった担任の配慮が、ようやく実を結んできたのかもしれません。

 「今日もいい日になるといいね」と、昇平の後ろ姿を見送りながらつぶやきました。

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2010年5月11日 (火)

成長を認められて

 時々、担任の長谷田先生がお休みになるので、その時には副担任の岩沢先生が教室に入ってくださいます。
 連絡帳も岩沢先生が記入してくださるのですが、昨日今日とこんな文章が書かれてきました。

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5月10日(月)

担任の先生がいないけど、しっかりやろう、という朝の約束の通り、一日中しっかりと取り組んでいました。

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5月11日(火)

以前ならパニックになるような場面でも、“たいしたことではない”と自分で考えて対処できているように感じます。昇平君自身が大きく成長している証です。

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 この連絡帳は昇平も読んでいて、自分でその日の反省と明日の目標を一行ずつ書きます。
 5月11日の反省と目標はどちらも 「~♪」
 岩沢先生に一年ぶりにお逢いして、成長した自分を認めてもらえて、モチベーションがとても上がっているようです。(笑)


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2010年4月23日 (金)

参観日

 水曜日の午後、中学校の授業参観とPTA総会と学級懇談会がありました。

 授業参観は交流学級での総合の授業で、修学旅行の二日目のフィールドワークについてのグループ発表でした。各班が写真やパンフレットを貼って壁新聞を作成。昇平も、これのために、昼食に食べたものをまとめる宿題を持ち帰ったりしていました。修学旅行から帰ってから、あまり時間がなかったのに、みんなよくがんばってまとめていました。
 今の交流学級の授業を見たのは初めてでしたが、とても明るくて仲の良いクラスだな、という印象を持ちました。クラスメートの発表に、親しみを込めた野次やツッコミをしたり、笑ったり。発表する側も、そんな友だちの反応を予想しているのか、わざと受けるような言動を入れたり。特に男の子たちがそんな感じでしたが、楽しそうで和やかで、とても良い雰囲気でした。中学3年生くらいになると、なかなか発表したがらなかったり、発表にしらけていたりすることが多いものですが、この子たちは逆。発言も多いし、けっこう積極的だし。学年集会でも、この学年はそんな子たちが多い、と聞かされていましたが、なるほどその通りだと感じました。

 昇平も友だちや参観の保護者の前で発表をしました。不注意のひどい昇平なので、自分のグループが前に出たことに気づかずに席に座り続けていたのですが、交流級の担任が、すっと近づいて声をかけてくれて、無事発表に出ていくことができました。とてもさりげない援助だったので、見ていた保護者は、昇平が出遅れていたことに誰も気がつかなかったようです。自然な援助がとても嬉しい一幕でした。
 私が交流級に到着したときには、修学旅行の班長さんが昇平を支援学級まで呼びに行ってくれていて(途中で昇平とすれ違いになったようです)、その後も「昇平くん、来てる?」「来てる来てる」と他の班員と確かめ合ったり。私が昇平の母だとは知らずに、私の目の前でやりとりをしていて、心温まる想いがしました。
 昇平自身の発表は、始めはスムーズだったのですが、途中で詰まってしまって、三十秒くらいの沈黙。それでも、誰も怒らないし、笑うこともありません。最後にまた締めのことばを言って、発表を終えると、ほっとした雰囲気が流れました。
 個性豊かな発言をする子を受け入れて楽しむ雰囲気と、うまく発表できない子を怒らずに待つ雰囲気。その両方には共通したものがあったような気がします。とても良いクラスだとわかって、改めて安心できた授業参観でした。

  ☆彡☆彡☆彡☆彡

 その後は体育館でPTA総会。終了後には、今年度の先生方の紹介。
 今年は校長先生が変わりました。
 担任については、昇平のいる情緒学級の担任は長谷田先生が続投、知的学級の担任は昨年研修主任だったH先生が担任に。昇平が1年生の時に情緒級の担任だった岩沢先生は、一度退職されてから、別の中学校を経て今年またこの学校に再雇用、特別支援学級の副担任になられました。さらに、知的学級の人数が増えて3名になったので、介助員もつきました。なんという恵まれた環境!
 しかも、今回新しく担任になったH先生は、今年から入級した子の部活動の顧問だという話で、本当に、いろいろなところに人的配慮がなされたことを感じました。異動していかれた前校長、赴任してこられた新校長、両方の校長先生のご配慮なのでしょうね。福島県の教育委員会のこの春の教員人事異動も、特別支援教育に力を入れているような感じで、本当に心強い限りです。
 そうそう、私がとても頼りにしているスクールカウンセラーのA先生も続投になりました。来週にはさっそく面談の予約が入っています。今年は昇平もいよいよ受験生。今まで以上に学校との連携を考えていかなくてはならないので、昇平をよく知る先生が担当でいてくださって、本当にありがたいです。

  ☆彡☆彡☆彡☆彡

 学級懇談会でも、今年の昇平たちの目標や予定、修学旅行での様子などを詳しく聞くことができました。
 昇平が受験を考えている学校は、入試に作文や面接があるので、その練習をしていきましょう、という話や、修学旅行の宿泊先から荷物を宅配便で自宅に送る際、途方に暮れていた昇平に途中まで詰めて見せて「後は自分でやるんだよ」と昇平に任せたら、ちゃんとできた話。今年は体育や美術などの実技学科が、特別支援教室の子どもたちだけでできるようになったことなど、いろいろと嬉しい話が盛りだくさんでした。

 そんなふうに、暖かく配慮のされた環境にあるおかげでしょう。昇平は今年はスタートから本当に落ち着いています。たまに怒ったり、小さいパニックを起こしたりすることはありますが、すぐに自分で気がついてクールダウンしようとします。大人になってきたなぁ、とつくづく思います。
 中学校に入学するとき、学校に強くお願いしたのは、昇平が安心して通える学校であってほしい、ということでした。その安心感を土台にして、昇平は成長していけるのだと思ったからです。途中、紆余曲折もありましたが、やっとそれが目に見える形で実現してきたように感じています。

 どうか、今年一年が昇平と先生方の双方にとって充実した年になりますように。
 そして、それが、昇平が卒業した後に入ってくる子どもたちに続いていってくれますように。
 我が子のためだけでなく、特別支援教育を必要としているすべての子どもたちのために。
 義務教育最後の年に、改めてそう願っています。


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2010年4月17日 (土)

修学旅行の反省

 火曜日から修学旅行に出発した昇平は、予定通り京都と大阪を回り、木曜日の夜に帰宅しました。

 昇平にとって、親から離れて旅行をするのは初めての経験です。しかも、修学旅行の常で、スケジュールはびっちり。案の定、とても疲れた顔をして、しかも落ち込んだ様子で貸し切りバスから降りてきました。
 解散した後、家に向かう車の中で旅行の様子を聞いてみると、「いろいろと本当に大変だった」と言います。フィールドワークで行った先でうどんを食べている人を見て、おいしそうだと思って勝手に注文して、班長から叱られた。お土産屋さんで選ぶのに時間がかかりすぎて、バス時間に遅れそうになって班の全員でダッシュで走った。飛行機の中でうるさくして注意された。帰りのバスの中でも騒いで叱られた。……まあ、出るわ出るわ。トラブル続出の修学旅行だったようです。

 ネガティブな内容ばかり話すので、「それじゃ、旅行で楽しかったことは?」と聞いてみると、体験で自分で作った八つ橋がおいしかった、USJ(ユニバーサルスタジオジャパン)のアトラクションがめっちゃ怖くて面白かった、班のみんなにすごく迷惑かけちゃったけれど、二日目の夜は自分でちゃんと布団を敷いたよ――などと話してくれました。楽しかったことを思い出すうちに、顔と声も少しずつ明るくなってきました。

 予想はしていましたが、やはり、班になった子どもたちだけで京都市内を回るフィールドワークが、昇平にとっては非常に大変だったようで、そこで疲れ切って、後半叱られるような行動が増えたような感じでした。三日目のUSJでは、班を離れて引率の先生と回ったので、おかげで楽しめたようです。班の子どもたちも存分にアトラクションを楽しめたでしょうから、双方にとって良かったと思います。

 それでも、昇平は「修学旅行は大失敗だった」としょげているので、こんな話をしました。
 トラブルや叱られるようなことはたくさんあったかもしれないけれど、昇平くんはこんなに長く自分だけで旅行をするというのは生まれて初めてだからね。初めてだもの、失敗があってもしょうがないんだよ。昇平くんにとっては、修学旅行に最後まで参加して、こうしてみんなと一緒に無事帰ってきたってことだけで、ものすごいことだよ。本当にすごいな、よくやったな、とお母さんは思ってるよ。
 すると、昇平もやっと本当に気持ちが立ち直ってきたようでした。「ぼくもがんばったんだね」と、ようやく本当に明るい顔になって、「あぁ、めちゃくちゃ疲れたぁ~」と車の座席にもたれかかりました。


    ☆彡☆彡☆彡☆彡


 さて、失敗は成功の元。
 誰かと一緒に旅行などをするときには自分勝手な行動をしてはいけない、周囲に迷惑をかけるようなことをしてはいけない、と昇平は痛感したようですが、聞かされた話の中に、ひとつだけとても気になることがありました。フィールドワークに訪れた先で、うどんを勝手に注文してしまった、ということです。店ではなく、屋外の椅子に座って注文するところで、食べている観光客を見て自分も食べたくなった、ということのようなのですが、「何故、そんなことをしたのか」という部分が問題でした。

 とはいえ、帰ってきてすぐにそれを聞くと、いかにも叱っているように聞こえるので、少し時間をおいてから聞いてみました。「叱るわけじゃなく、これからのことを考えるのに知りたいから教えてほしいんだ……そこでうどんを注文しちゃったのはどうしてかな? フィールドワーク中は、昼食を食べる場所以外での食事は禁止だったよね。それがわかっていたのに、食べたくなって注文しちゃったの? それとも、フィールドワーク中はそういうことをしちゃいけない、っていうのがわからなかったの?」
「班のみんなに連れ出されて、班長からすごく叱られて、やっちゃいけないんだとわかったんだ」
 と昇平は答えます。ということは――
「やっちゃいけないんだってことを、その時には知らなかったんだね?」
 うん、知らなかった、と昇平。

 なるほど。

 もちろん、フィールドワーク中のルールについては、事前学習で何度も説明があったはずです。しおりにも、そのように書かれています。でも、昇平は、そのルールが把握できずにいて、やってしまってから班長に叱られて、初めてそれがルール違反だったことに気がついたのですね。

 昇平はことばで説明された内容を聞いて理解することが非常に苦手です。特に、集団に向かって話されたことは、聞いているように見えても理解できずにいる場合がほとんどです。
 事前学習でフィールドワークのルールを先生から教えられたときにも、その場には座っていても、話は全然頭に入っていなかったのでしょう。また、どういう行動が周りの迷惑になってしまうのか、その具体的なイメージも湧いていなかったのだろうと思います。
 でも、周囲はまさか昇平が理解していないとは思わなかったし、私も、それくらいのルールは学校で教えられて理解しているだろうと思っていたので、家で改めて確認するようなことはしませんでした。その結果が、「うどん注文事件」だったわけです。

 「じゃあ、今度こういうことをしないためにはどうしたらいいと思う?」と話を続けました。
 昇平が説明や話が理解できない原因のひとつに、話に集中しないということがあります。もちろん、ADHDがあるので、集中するのは非常に大変なのですが、それでも改善の努力は必要です。説明されているときには、できるだけ話をよく聞く、というのが目標のひとつになりました。
 あとは?
「わからないときには、まず班長に聞く」
 そうだね。わからないことが出てきたら、勝手に自己判断しないで、わかる人に聞くようにするといいんだよね。

 本当に、失敗は成功の元。
 そして、経験にまさる学びはありません。
 でも、ことごとく失敗してから学ぶようでは、本人のセルフエスティームは下がる一方で、改善よりやる気をなくすことのほうが先に起きてしまいます。
 失敗がほどほどの適量ですむように、「ちゃんと聞こえているかな?」「聞いているように見えるけれど、ちゃんと理解しているかな?」ということを丁寧に確認してあげるのが大事だな、と改めて考えました。


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(写真は昇平のお土産。私たちやおじいちゃん、おばあちゃんにはお菓子。家を離れている兄ちゃんにはマスコットのストラップを買ってきました。)
 

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2010年4月13日 (火)

修学旅行に出発する(追記あり)

 昇平が、今朝無事に修学旅行に出発しました。家を離れて二泊三日、京都と大阪を回って歩きます。

 昇平は旅行が近づいてきても、驚くほど落ち着いていました。春休み中に一度だけ「大丈夫かなぁ」と心配そうに洩らしましたが、「班のみんなと一緒に行動すれば大丈夫だよ」と話すと、「そうだね」と言って、あとは不安がることもありませんでした。班のメンバー表を見てみると、去年の見学学習で仙台をフィールドワークした子や、小学校の宿泊学習で一緒だった子が大勢いました。昇平の方はお友だちの顔を覚えるのが苦手でも、向こうが昇平をよく知っているので、それが安心感につながっていたのでしょうね。
 担任の長谷田先生も、可能な限りついていて見ていてくださるそうです。(もちろん、子どもたちの自主活動の場面では、離れたところから見守るのでしょうが)昇平が一番不安なのは、「わからなくなってしまったときに、どうすればいいか」ということなので、何かあれば担任に聞けば大丈夫だと考えて、なお安心していたのだと思います。

 荷物を母と一緒に準備をして、大きなバッグは昨日のうちに宅配便で宿泊先まで送り、準備万端整えて早めに寝た昇平。夜中の3時頃に目が覚めて、トイレに行った後、しばらく眠れなかったそうです。わくわくどきどきだったのでしょうね。でも、寝不足の様子もなく起きてきて、手早く身支度をすませ、出発前には自分から手荷物の最後の確認をしていました。
 学校までは車で送りましたが、「それじゃ、京都や大阪の街並みを楽しんでくるからね!」と張り切って降りていきました。その後、体育館で出発式を行ってから、バスで仙台空港まで向かい、飛行機で大阪へ。今日の日中はクラスごとに大阪を回って、夕方、京都の宿舎に入るという日程です。大阪の道頓堀や新世界地区にも行くようなので、きっと彼が楽しみにしている「賑やかな街並み」をたっぷり見られることでしょう。
 明日は班ごとに京都市内をフィールドワークするようです。

 私は駐車場でバスの出発を見送りました。他にも数人のお母さんたちや、学校の先生方が見送ります。
 その中に、1年の時の担任だった岩沢先生の姿もありました。定年で退職された後、再任用で先生を続け、今年またこの学校へ戻ってこられたのです。特別支援学級の担任にはなりませんでしたが、またひとつ心強い材料が増えました。
 岩沢先生にご挨拶をすると、「1年ぶりに昇平くんを見たら、ずいぶん大人になってきていましたね。班でも、他の班員とうまくやっていこうとがんばっている姿が見られましたよ」と教えてくださいました。

 昇平は、体育館からバスへ班の子たちと一緒に走っていきました。見送ることはあらかじめ教えてあったのに、母を捜すこともしませんでした。ニコニコと、とても張り切った笑顔で乗り込んでいきます。
 バスのドアが閉じ、先生方やお母さんたちに手を振りながら出発する子どもたち。でも、席が反対側だったのか、昇平の姿は見つけられません。みんなと一緒に、当たり前のように出発していきました。

 遠ざかるバスを見送りながら、不覚にも涙がこぼれそうになりました。
 人と違った配慮は必要だけど、それでも、こうして二泊三日の修学旅行に送り出せるようになった、という感激と、またひとつ、昇平が親から遠い場所へ行ったのだ、という想いが入り混じります。嬉しいけれど淋しい、淋しいけれど嬉しい。親の気持ちは複雑です。
 楽しい修学旅行になりますように。みんなと協力して行動することのすばらしさを感じてきてくれますように。そして、なにより――無事に帰ってきてくれますように。

 昇平たちが帰ってくるのは、明後日の夜8時過ぎの予定です。

20100413syuugakuryokou
班の友だちとバスへ向かう昇平。(中央手前から2人目)


【追記 20:10】
 夜8時頃、突然私の携帯に宿泊先から電話がかかってきました。
 修学旅行中は緊急時以外連絡は入らないことになっているので、何事かあったかとドキッとしましたが、電話をかけてきたのは昇平自身。担任の長谷田先生が気をきかせて、「おうちに電話したら?」と言ってくださったのだそうです。
 昇平自身は、とても張り切った声をしていて、「ぼくはこの通り元気ですから、心配しないでください!」と。(笑)
 「そうか~、よかったね」と答えたら、「はいっ!」と言って、そのまま電話は切れました。
 初日は順調に過ぎたようです。
 

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2009年11月26日 (木)

三者面談

 昨日は三者面談がありました。内容は、これから学校で頑張って欲しいことと、進路についてです。
 学校生活の様子については、普段から連絡帳を通じて密にやりとりしているので、改めて話し合うことはありませんでしたが、最近表情が明るくなってきたことや、自分でパニックや怒りをコントロールしようとがんばり始めていることは、直接長谷田先生が誉めてくださいました。
 続いて、先生のほうから、昇平にこれから頑張ってもらいたいことについて話がありました。

1.切り替えをもっとスムーズにしてほしい。
2.我慢をもっと覚えてほしい。

 切り替えがうまくいかなくて休み時間のパソコンがやめられず、次の授業に遅れることがある――など、実際に困っていることが起きているわけですから、もっともです。
 ただ、それについて「昇平くんにはできるよね。決して難しいことではないものね」と長谷田先生がおっしゃるのを聞いたときには、思わず苦笑してしまいました。う~ん……それはこの子たちには「とても難しいことの一つ」なんですけどね。

 何かに熱中すると他が見えなくなるのはADHDの特徴です。そして、広汎性発達障害は自閉スペクトラムだから「考えや行動を切り替えることが苦手」というのが特徴です。基本仕様が「切り替えが苦手」にできているわけだから、それを改めるのは決して楽なことではないのです。はっきり言って、決心一つや心がけ一つでなんとかなるようなものではありません。
 「おうちではどうですか?」と聞かれて、「やっぱり切り替えはとても苦手みたいです」と答えたら、それでいいことにしちゃいけませんよ、と言いたげな無言のメッセージが伝わってきました。うぅむ……諦めているわけじゃありませんよ。ただ、とてもとても困難だということを認識していて、改善にとても時間と努力が必要だとわかっているだけのことです。
 我慢をすることだって、ADHDのある子には非常に高い課題です。それがクリアできれば、障害そのものをクリアしたと言ってもいいくらいのことでしょう。

 もちろん、先生は「それを目標にして、頑張って少しでも改善していこうね」と昇平に言ってくださっているわけで、昇平にそれがすぐできるとは思っていないのですが、もうちょっと、本人が達成感を感じられる、低めの目標を設定してもらえると、ありがたいな、と思いました。最終目標はそのまま掲げておいてもらってかまわないから、その手前に、「そのためにまず、ここまで頑張ってみようね」「このことならできそうだから、まずこれをクリアしてみようね」と。
 そうでないと、いつまでたっても最終目標にたどり着けないことに本人が失望して、頑張ることをやめてしまうでしょうから。


  ☆彡☆彡☆彡☆彡


 その後、話題は進路についての内容に移りました。
 昇平は中学2年生。そろそろこの上の進路について考える時期に来ています。

 先日の高校説明会で、昇平は同じ市内の二つの高校の話を聞いて、そのうちの一つを受験したい、と言いだしていました。ただ、そこは県立の普通科。学力的なことは置いておいても、本人がそこでまともに学校生活を過ごせるとは思えない学校でした。自分に合った学校に行きたいと言っていたのに、何故急に? 自転車で通える範囲にある、近い学校だから? でも、もっと近い高校も別にあるのに。
 この機会に昇平にそれを聞いてみたら、最初言い渋っていたのですが、やがて教えてくれました。「もうひとつの学校には、ぼくが苦手な子が行くからなんだ」
 ああ――なるほど。そっちの学校に入ってしまったら、苦手な子とまた一緒になって、トラブルになるかもしれないから、そっちは嫌だ、と考えたのですね。

 長谷田先生が高校便覧を開きながら、また別の高校を勧めてくださいました。そこは単位・通信制の高校で、だいぶ前から、我が家でも、そこが良さそうだと考えていた学校です。ただ、本人が別の高校を受けたい、と言いだしていたこともあって、私たちのほうからはまだ本人に話してはいませんでした。
 全然違う学校を勧められたので、昇平は「えー」という反応でしたが、私が「苦手な子と一緒になりたくないなら、その学校以外のどこの学校でもいいはずだよ。この学校に行ったって、その子はいないわけだよ」と言うと、「あっ、そうか」。……こういう当然すぎるようなところに気がつかずにいるのが、この子たちです。(苦笑)

 そこへ長谷田先生から説明がありました。この高校は普通の高校とは違っていて、自分の勉強したい科目を自分のやりたいように組むことができますよ。中学校のように毎日朝から夕方までびっちり勉強することもないし、自分の調子に合わせて遅く行ったりすることもできます。自分のペースで勉強できる学校なんですよ――。
 その話を聞いたとたん、昇平の目の色が変わりました。がばと立ち上がり「その学校がいい! そういう学校を望んでいたんです! お願いです、どうかその学校にいかせてください!」 多少芝居がかってはいましたが、机に手をついて先生に頭を下げました。

 そう、昇平は以前から言っていたのです。高校は自分がちゃんとやっていける学校がいい。ちゃんと通えて、勉強がわかる、そういう学校に行きたい、と。
 一日6校時までびっちり授業が組まれる普通高校は、昇平には非常に大変です。高校になれば、支援員もまったくつかなくなるので、自分が何をどうすればいいのか、そのことさえわからなくなって、昇平は高校の中で「遭難」しかねません。
 でも、人より少し余計に休みを取れれば。人より長い時間がかかってもいいから、自分に無理のないペースで勉強していくことができれば。そうすれば、昇平だってちゃんと高校に通って学べるのです。

 本人、家族、担任――三者の希望と見解が一致して、昇平の第一志望校は早々に決まりました。福島駅のすぐ近くにある、単位・通信制の高校です。それも平日の日中に通うコースで、その気になれば毎日だって登校することができます。
 3年間で卒業する必要はありません。いえ……むしろ、卒業まで4~5年かかったほうがありがたいと考えています。ゆっくりと大人になっていく昇平です。高校に通い続ける間に、その分だけ中身も成長していくことでしょう。

 受験に学科試験はありませんが、面接と作文があります。これから受験の時期まで、そちらのほうも一生懸命やっていこうね、と長谷田先生から言われました。
「昇平くんは目上の人に対する正しい話し方を身につけていかなくちゃね」
 すると、昇平が言いました。
「それはつまり、礼儀作法を覚えろってことか」
「そうそう。それが社会に出てからは一番大事になるんだよ。はっきり言って、勉強ができることなんかより大切になるんだよ」
 ここぞとばかりに、長谷田先生と私で話をして、「礼儀正しくふるまうことを頑張る」という目標を納得してもらえました。昇平が、今一番覚えていかなくてはならないことです。
 とたんに、昇平は長谷田先生に対して、とても丁寧に、敬語まで使って話し出しました……現金なヤツ。(笑) でも、具体的な目標が決まったので、きっとこれからは礼儀も頑張ることでしょう。


  ☆彡☆彡☆彡☆彡


 三者面談が終わって車に乗り込みながら、昇平が志望校への通い方を聞いてきました。
 お兄ちゃんがやったように駅まで自転車で行って、自分で電車にのって通うんだよ、と話して聞かせながら、一番心配なことを言いました。
「電車には騒がしい人も一緒に乗ることがあるよ。泣いている赤ちゃんが乗ることもあるかしれないよ。そういう時に『我慢』ができなかったら、昇平くんは高校に通えなくなる。だから、最初に長谷田先生がおっしゃったように、我慢することを覚えなくちゃいけないんだよ。切り替えをスムーズにするのも大事だよ。切り替えられなくて遅くなったら、電車に乗れなくなったりするんだからね」
「わかった」
 すべてが高校という進路に結びつける形で収まって、昇平は晴れ晴れとした顔をしていました。希望に充ちた、良い顔です。自分の学校での様子を叱られるのではないか、と牙をむいていた去年の三者面談とは、雲泥の差でした。

 いろいろなことはあるけれど、本人も家族も学校も、それを乗り越えて高みを目ざします。
 諦めない心は、きっと何かを生んでくれるだろう――と、最近そんなことをよく考えます。


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