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2011年3月31日 (木)

昇平3行日記・25+震災日記・2



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 昇平が通うフリースクールの再開をご支援ください。
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※全然3行で収まっていない3行日記。

(前回更新した日記で曜日を間違えていました。今週の日記は日曜日から日曜日まで。震災後で忙しいときだったので、いろいろ混乱していたようです。)


3月13日(日)
 震災3日目、今日も終日停電・断水。昨日に引き続き、めちゃくちゃになった2階の部屋を片づけた。兄ちゃんはタンスやパソコンなどがひっくり返った西の部屋を、私と昇平は昇平の机がある東の部屋を。兄ちゃんが昇平の薬を全部発見してくれて、ほっとした。震災の前日に病院に行って、4週間分まとめて処方してもらっていたので、当分は間に合う。我ながら、虫の知らせでもしていたのだろうか?

 とても大変な状況なのに、子どもたちは本当によく協力してくれる。電気が使えないので充電もできず、パソコンだけでなく、携帯ゲーム機も使えないのだけれど、それについては本当に文句ひとつ言わない。ただ、時々ひどく不安がって、「卒業すればパラダイスのはずだったのに!」「旅行にもう一生行けないのか!?」「フリースクールもダメなのか!?」「高校も行けなくなってしまうのか!?」と嘆く。そのたびに、「大丈夫だよ。全部一度に元には戻らないけれど、少しずつ、元に戻っていくからね。フリースクールにも高校にもちゃんと行けるよ」と話して聞かせている。

 床に落ちたテレビの下から、昇平が美術の授業で作ったドリームランプが出てきた。つぶれていたけれど、紙と柔らかい針金でできていたので、だいたい元の形に戻すことができた。LEDライトも無事。家族4人で寝ている部屋にセットして、常夜灯の代わりに使うことにした。電気が来ていないので夜は本当に暗いのだけれど、ランプの光が優しく部屋を照らしてくれている。

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3月14日(月)
 早朝に電気が来た! 全員が携帯のバッテリー切れになっていて、乾電池で充電している状態だったので、いっせいに存分に充電した。昇平もDS-iに充電をしていた。

 日中は昨日に引き続き2階の片づけ。今日も子どもたちはとてもよく手伝ってくれた。
 電気が来たので、ポンプで地下水を汲み上げる庭の水道が使えるようになったが、水は重い。そこから家の中へタンクやバケツ、ペットボトルで水を運ぶのも大変な作業なのだが、それも、嫌な顔ひとつせずに手伝ってくれた。ありがとう、子どもたち。

 夜になってから、昇平は久しぶりにポケモンをやっていた。

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3月15日(火)
 建築屋をしている親戚が来て、我が家の被害状況を見ていった。とりあえずは住めるけれど、今まで寝ていた2階では寝ないほうが良いだろう、2階の下の部屋も危険と言われた。全面的に修理すると新築より金がかかるかもしれない、とも言われる。築45年の家なので、これを機会に建て替えも考えに入れていくことになる。
 
 今日から、私は2階の西の部屋の整理。私のノートパソコンは無事だったし、昇平のパソコンもなんとか立ち上がったけれど、エアステーションのACアダプターが破損しているし、電話も通じないので、ネットにつなぐことができない。テレビは昇平が怖がるので極力見ないようにして、情報はもっぱらラジオの地方局の放送を聞き続けている。福島第一原発のたてつづけの事故は非常に心配だけれど、私たちにはどうすることもできない。一刻も早く終息するように祈りながら、片付けを続けた。細かい整理で昇平には手伝えないので、ゴミ袋を運ぶときだけ来てもらった。私のそばにいるとラジオのニュースだけでも不安になったかもしれないので、ちょうど良かった。

 震災後、旦那も早く帰ってくるようになり、夕食後は階下の一部屋に集まって一緒に過ごすようになった。旦那と兄ちゃんは久しぶりに囲碁の勝負、昇平は久しぶりにポケモンをした後、本を見ながら布団でうとうと、私は日記を書いたり、携帯から星空掲示板に近況報告を書き込んだり。大変なときだし狭苦しいけれど、こういうのっていいな、としみじみ思っていたら、部屋に雨漏りが始まって、布団を抱えて大あわてで別室へ避難するはめになった。地震で屋根瓦もずいぶん壊れている。余震も多くて、なかなか落ち着くことができない。
 
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3月16日(水)
 未明に静岡で震度6強の地震。こちらでもかなり揺れて、その後眠れなくなってしまった。雨漏りから避難した部屋は、周りにタンスがいくつもあって怖い。狭苦しいし、雨漏りも心配だけれど、また最初の部屋に戻ることにした。

 2階の片付けは大まかなところは終わって、細かい整理に入っている。昇平はゲームやお絵かきをして過ごし、ゴミ袋を運ぶときに手伝ってくれる。外の水道から水を運ぶのも手伝ってくれる。兄ちゃんは、じいちゃんの手助けをして、屋根に上がったり力仕事をしたりして手伝ってくれている。旦那が職場の片づけにかかりきりなので、家の中の家具などを直すのは、もっぱら兄ちゃんの役目。子どもたちが本当に頼もしく見える。

 夕方になって、ようやく電話が通じた。親戚から立て続けに安否確認の電話が入る。義母の妹さんは仙台の海沿いに住んでいて、今回の津波で家をすっかり流されてしまったらしい。家族全員無事だったのは不幸中の幸いだったが、本当に着の身着のまま、車で脱出したのだという。
 家の片付けは大変だし、まだ水も出ないけれど、こうして自分の家に住んでいられるだけでも、私たちは幸せなんだとつくづく思う。

 今夜はまた、1階の兄ちゃんの部屋に家族4人で寝る。狭いけれど、みんな一緒が安心できるし楽しい。

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3月17日(木)
 ガソリンが手に入らなくて、買い物に出かけることができない。店に商品も少ない。旦那は私の軽乗用車を使って通勤しているが、スーパー勤務で、その日売れ残った商品から少しずつ何か買ってきてくれるので、とても助かっている。

 今日も私は細かい片づけに専念、これを機会に思い切ってモノを捨てて減らしている。思い出よりも安全優先。
 私が昼食を作っている時間がないので、兄ちゃんがアップルクレープを手作りしてくれた。兄ちゃんは自炊しているので料理が上手。とても美味しかった。
 昇平は震災後初めてお絵かきをしていた。ゲームもしている。そんなふうに以前と同じことをすることで、少しずつ落ちつきを取り戻してくれれば、と思っている。震災直後は、逆に、薬を飲まなくても大丈夫なほどしっかりしていたが、震災から1週間になるので、そろそろ疲れや影響も出てくるだろうと思って見ている。

 夜になって水道から水が出たが、すごい濁り水で、間もなくまた停まってしまった。

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3月18日(金)
 関東方面への高速バスが郡山から動き出したので、兄ちゃんはそれに乗って自分のアパートへ戻ることになった。大学は春休み中だけれど、バイトがあるし、向こうの友人も心配しているので。今日は郡山の私の妹の家に泊まり、明日、高速バスで帰っていく。ありがとう、兄ちゃん。大変な経験をしてしまったけれど、いてくれて本当に助かったよ。

 午後3時半過ぎ、庭に出て家を眺めた。
 一週間前の3月11日14時46分。私はその場所から激しく揺れる家を眺めていた。あまりに揺れが長く激しくて、家がつぶれるんじゃないかと本気で思った。中には昇平と義母がいたから、気が気じゃなかったけれど、助けに飛び込むことさえできなかった。
 傷つきながらもちゃんと建っている家を見て、家族全員無事でいられたことを、心から感謝してしまった。これ以上何かを望んだら罰が当たる、とも本気で思った。

 まだ出方は不安定だが、水道が復旧した。水が使えるのは本当にありがたい。
 家中の掃き掃除、拭き掃除をして、ようやく家の中を靴で歩かなくてすむようになった。昇平も、綺麗になった2階の居間でくつろぐようになってきた。

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3月19日(土)
 ノートパソコンをモデムに直接つないで、インターネット復旧。取り急ぎ、生存報告や近況報告をした。エアステーションのACアダプターも早く注文しなくては。
 ところが、昇平のパソコンにモデムをつなごうとしたら、パソコン本体から異音がした下ので、あわてて止めた。デスクトップで重いので、地震で投げ出されたときに故障したのかもしれない。でも、パソコンのデータを震災の少し前に外付けHDDに保存していたおかげか、昇平は予想以上に落ち着いていて、「パソコンはおじさんに修理してもらえるからね」と教えると、「よろしくね」と言っていた。震災は本当に大変な経験だったけれど、その中でさえ、子どもたちは成長して大人になっている。

 昼過ぎ、また寝ている部屋で雨漏り。2日前の雪が北側の屋根に残っていて、暖かさで溶け出したせい。急いで職人さんに来てもらって見てもらい、壊れた屋根に掛けたブルーシートが古かったせいだと判明。ブルーシートも手に入りにくくなっているのだけれど、義母になんとか2枚買ってきてもらえて、ようやく雨漏りの心配もなくなった。

 『福島とーます!』の会員に津波の被害がひどかった相馬在住の人がいて、震災後連絡が取れなくてずっと心配していたのだけれど、この日、留守録を聴いて私の携帯に電話をくれた。家は津波の難を逃れたけれど、原発事故が怖いので、仙台の親戚のところへ避難中だという。でも、無事がわかって本当に安心した。
 震災ではまず、子どもの薬がなくなって困ってしまった会員が多い。病院がやっていない、またはガソリンがなくて病院まで行けないため。また、余震のたびに子どもがものすごく怖がる、という話もたくさんのメンバーから聞いている。うちでも、昇平が余震のたびに怯えている。親戚の家などに避難したメンバーは、子どもを静かにさせなくてはならなくて、それがとても大変だと言っている。ADHDっ子たちだものね……。避難所に避難したメンバーはいなかったが、もしそういう状況になったら、これも非常に困っただろうと思う。
 災害時の障害児・者への対応は、まだまだ課題山積という気がしている。

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3月20日(日)
 私が担当する場所の片付けはほぼ終わり。明日から、震災で砂埃だらけになった食器を全部洗い直ししたり、洗濯をしたりすることにする。

 福島は放射能に汚染されている、という風評被害に、私は精神的にとても疲れてしまっている。福島県はとても広いのに。本当に危険なレベルの場所は、そのごく一部なのに。日本中から福島が村八分にされているようで、ものすごく孤独な感じがする。
 でも、その一方で、「困っていませんか?」「ほしいものはありませんか?」「私にできることはありませんか?」と聞いてくれる友人・知人、そして、見ず知らずの人たちが日本中に大勢いる。その人たちがいるから、私たちは頑張っていけるのだと思う。人とのつながりはありがたいなぁ、と改めて感じている。

 昇平、手伝いたいのに手伝えることがなくて、「ぼくにできることがないなぁ」と言っていた。何か役に立ちたいのは、昇平も同じなのだよね。

 断水中活躍した水のポリタンクを洗って片づけた。8年前のキャンプで使ったものを緊急用にしまっておいたのだけれど、まさか本当に使う日が来るとは思っていなかった。備えあれば憂いなし、は本当だとつくづく思っている。

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☆てくてく日記への感想等はこちらへ→ 「療育掲示板」
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☆昇平のブログ→ 「Dark Silver Zone」
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