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2011年3月

2011年3月31日 (木)

昇平3行日記・25+震災日記・2



【お願い】
 昇平が通うフリースクールの再開をご支援ください。
http://homepage3.nifty.com/asakuratown/bokin-onegai.html

※全然3行で収まっていない3行日記。

(前回更新した日記で曜日を間違えていました。今週の日記は日曜日から日曜日まで。震災後で忙しいときだったので、いろいろ混乱していたようです。)


3月13日(日)
 震災3日目、今日も終日停電・断水。昨日に引き続き、めちゃくちゃになった2階の部屋を片づけた。兄ちゃんはタンスやパソコンなどがひっくり返った西の部屋を、私と昇平は昇平の机がある東の部屋を。兄ちゃんが昇平の薬を全部発見してくれて、ほっとした。震災の前日に病院に行って、4週間分まとめて処方してもらっていたので、当分は間に合う。我ながら、虫の知らせでもしていたのだろうか?

 とても大変な状況なのに、子どもたちは本当によく協力してくれる。電気が使えないので充電もできず、パソコンだけでなく、携帯ゲーム機も使えないのだけれど、それについては本当に文句ひとつ言わない。ただ、時々ひどく不安がって、「卒業すればパラダイスのはずだったのに!」「旅行にもう一生行けないのか!?」「フリースクールもダメなのか!?」「高校も行けなくなってしまうのか!?」と嘆く。そのたびに、「大丈夫だよ。全部一度に元には戻らないけれど、少しずつ、元に戻っていくからね。フリースクールにも高校にもちゃんと行けるよ」と話して聞かせている。

 床に落ちたテレビの下から、昇平が美術の授業で作ったドリームランプが出てきた。つぶれていたけれど、紙と柔らかい針金でできていたので、だいたい元の形に戻すことができた。LEDライトも無事。家族4人で寝ている部屋にセットして、常夜灯の代わりに使うことにした。電気が来ていないので夜は本当に暗いのだけれど、ランプの光が優しく部屋を照らしてくれている。

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3月14日(月)
 早朝に電気が来た! 全員が携帯のバッテリー切れになっていて、乾電池で充電している状態だったので、いっせいに存分に充電した。昇平もDS-iに充電をしていた。

 日中は昨日に引き続き2階の片づけ。今日も子どもたちはとてもよく手伝ってくれた。
 電気が来たので、ポンプで地下水を汲み上げる庭の水道が使えるようになったが、水は重い。そこから家の中へタンクやバケツ、ペットボトルで水を運ぶのも大変な作業なのだが、それも、嫌な顔ひとつせずに手伝ってくれた。ありがとう、子どもたち。

 夜になってから、昇平は久しぶりにポケモンをやっていた。

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3月15日(火)
 建築屋をしている親戚が来て、我が家の被害状況を見ていった。とりあえずは住めるけれど、今まで寝ていた2階では寝ないほうが良いだろう、2階の下の部屋も危険と言われた。全面的に修理すると新築より金がかかるかもしれない、とも言われる。築45年の家なので、これを機会に建て替えも考えに入れていくことになる。
 
 今日から、私は2階の西の部屋の整理。私のノートパソコンは無事だったし、昇平のパソコンもなんとか立ち上がったけれど、エアステーションのACアダプターが破損しているし、電話も通じないので、ネットにつなぐことができない。テレビは昇平が怖がるので極力見ないようにして、情報はもっぱらラジオの地方局の放送を聞き続けている。福島第一原発のたてつづけの事故は非常に心配だけれど、私たちにはどうすることもできない。一刻も早く終息するように祈りながら、片付けを続けた。細かい整理で昇平には手伝えないので、ゴミ袋を運ぶときだけ来てもらった。私のそばにいるとラジオのニュースだけでも不安になったかもしれないので、ちょうど良かった。

 震災後、旦那も早く帰ってくるようになり、夕食後は階下の一部屋に集まって一緒に過ごすようになった。旦那と兄ちゃんは久しぶりに囲碁の勝負、昇平は久しぶりにポケモンをした後、本を見ながら布団でうとうと、私は日記を書いたり、携帯から星空掲示板に近況報告を書き込んだり。大変なときだし狭苦しいけれど、こういうのっていいな、としみじみ思っていたら、部屋に雨漏りが始まって、布団を抱えて大あわてで別室へ避難するはめになった。地震で屋根瓦もずいぶん壊れている。余震も多くて、なかなか落ち着くことができない。
 
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3月16日(水)
 未明に静岡で震度6強の地震。こちらでもかなり揺れて、その後眠れなくなってしまった。雨漏りから避難した部屋は、周りにタンスがいくつもあって怖い。狭苦しいし、雨漏りも心配だけれど、また最初の部屋に戻ることにした。

 2階の片付けは大まかなところは終わって、細かい整理に入っている。昇平はゲームやお絵かきをして過ごし、ゴミ袋を運ぶときに手伝ってくれる。外の水道から水を運ぶのも手伝ってくれる。兄ちゃんは、じいちゃんの手助けをして、屋根に上がったり力仕事をしたりして手伝ってくれている。旦那が職場の片づけにかかりきりなので、家の中の家具などを直すのは、もっぱら兄ちゃんの役目。子どもたちが本当に頼もしく見える。

 夕方になって、ようやく電話が通じた。親戚から立て続けに安否確認の電話が入る。義母の妹さんは仙台の海沿いに住んでいて、今回の津波で家をすっかり流されてしまったらしい。家族全員無事だったのは不幸中の幸いだったが、本当に着の身着のまま、車で脱出したのだという。
 家の片付けは大変だし、まだ水も出ないけれど、こうして自分の家に住んでいられるだけでも、私たちは幸せなんだとつくづく思う。

 今夜はまた、1階の兄ちゃんの部屋に家族4人で寝る。狭いけれど、みんな一緒が安心できるし楽しい。

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3月17日(木)
 ガソリンが手に入らなくて、買い物に出かけることができない。店に商品も少ない。旦那は私の軽乗用車を使って通勤しているが、スーパー勤務で、その日売れ残った商品から少しずつ何か買ってきてくれるので、とても助かっている。

 今日も私は細かい片づけに専念、これを機会に思い切ってモノを捨てて減らしている。思い出よりも安全優先。
 私が昼食を作っている時間がないので、兄ちゃんがアップルクレープを手作りしてくれた。兄ちゃんは自炊しているので料理が上手。とても美味しかった。
 昇平は震災後初めてお絵かきをしていた。ゲームもしている。そんなふうに以前と同じことをすることで、少しずつ落ちつきを取り戻してくれれば、と思っている。震災直後は、逆に、薬を飲まなくても大丈夫なほどしっかりしていたが、震災から1週間になるので、そろそろ疲れや影響も出てくるだろうと思って見ている。

 夜になって水道から水が出たが、すごい濁り水で、間もなくまた停まってしまった。

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3月18日(金)
 関東方面への高速バスが郡山から動き出したので、兄ちゃんはそれに乗って自分のアパートへ戻ることになった。大学は春休み中だけれど、バイトがあるし、向こうの友人も心配しているので。今日は郡山の私の妹の家に泊まり、明日、高速バスで帰っていく。ありがとう、兄ちゃん。大変な経験をしてしまったけれど、いてくれて本当に助かったよ。

 午後3時半過ぎ、庭に出て家を眺めた。
 一週間前の3月11日14時46分。私はその場所から激しく揺れる家を眺めていた。あまりに揺れが長く激しくて、家がつぶれるんじゃないかと本気で思った。中には昇平と義母がいたから、気が気じゃなかったけれど、助けに飛び込むことさえできなかった。
 傷つきながらもちゃんと建っている家を見て、家族全員無事でいられたことを、心から感謝してしまった。これ以上何かを望んだら罰が当たる、とも本気で思った。

 まだ出方は不安定だが、水道が復旧した。水が使えるのは本当にありがたい。
 家中の掃き掃除、拭き掃除をして、ようやく家の中を靴で歩かなくてすむようになった。昇平も、綺麗になった2階の居間でくつろぐようになってきた。

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3月19日(土)
 ノートパソコンをモデムに直接つないで、インターネット復旧。取り急ぎ、生存報告や近況報告をした。エアステーションのACアダプターも早く注文しなくては。
 ところが、昇平のパソコンにモデムをつなごうとしたら、パソコン本体から異音がした下ので、あわてて止めた。デスクトップで重いので、地震で投げ出されたときに故障したのかもしれない。でも、パソコンのデータを震災の少し前に外付けHDDに保存していたおかげか、昇平は予想以上に落ち着いていて、「パソコンはおじさんに修理してもらえるからね」と教えると、「よろしくね」と言っていた。震災は本当に大変な経験だったけれど、その中でさえ、子どもたちは成長して大人になっている。

 昼過ぎ、また寝ている部屋で雨漏り。2日前の雪が北側の屋根に残っていて、暖かさで溶け出したせい。急いで職人さんに来てもらって見てもらい、壊れた屋根に掛けたブルーシートが古かったせいだと判明。ブルーシートも手に入りにくくなっているのだけれど、義母になんとか2枚買ってきてもらえて、ようやく雨漏りの心配もなくなった。

 『福島とーます!』の会員に津波の被害がひどかった相馬在住の人がいて、震災後連絡が取れなくてずっと心配していたのだけれど、この日、留守録を聴いて私の携帯に電話をくれた。家は津波の難を逃れたけれど、原発事故が怖いので、仙台の親戚のところへ避難中だという。でも、無事がわかって本当に安心した。
 震災ではまず、子どもの薬がなくなって困ってしまった会員が多い。病院がやっていない、またはガソリンがなくて病院まで行けないため。また、余震のたびに子どもがものすごく怖がる、という話もたくさんのメンバーから聞いている。うちでも、昇平が余震のたびに怯えている。親戚の家などに避難したメンバーは、子どもを静かにさせなくてはならなくて、それがとても大変だと言っている。ADHDっ子たちだものね……。避難所に避難したメンバーはいなかったが、もしそういう状況になったら、これも非常に困っただろうと思う。
 災害時の障害児・者への対応は、まだまだ課題山積という気がしている。

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3月20日(日)
 私が担当する場所の片付けはほぼ終わり。明日から、震災で砂埃だらけになった食器を全部洗い直ししたり、洗濯をしたりすることにする。

 福島は放射能に汚染されている、という風評被害に、私は精神的にとても疲れてしまっている。福島県はとても広いのに。本当に危険なレベルの場所は、そのごく一部なのに。日本中から福島が村八分にされているようで、ものすごく孤独な感じがする。
 でも、その一方で、「困っていませんか?」「ほしいものはありませんか?」「私にできることはありませんか?」と聞いてくれる友人・知人、そして、見ず知らずの人たちが日本中に大勢いる。その人たちがいるから、私たちは頑張っていけるのだと思う。人とのつながりはありがたいなぁ、と改めて感じている。

 昇平、手伝いたいのに手伝えることがなくて、「ぼくにできることがないなぁ」と言っていた。何か役に立ちたいのは、昇平も同じなのだよね。

 断水中活躍した水のポリタンクを洗って片づけた。8年前のキャンプで使ったものを緊急用にしまっておいたのだけれど、まさか本当に使う日が来るとは思っていなかった。備えあれば憂いなし、は本当だとつくづく思っている。

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☆てくてく日記への感想等はこちらへ→ 「療育掲示板」
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2011年3月27日 (日)

フリースクールへの募金のお願い

 昇平がこの春から利用するはずだったフリースクールが、被災して階段が破損。再開の見通しが立たなくなっています。

 昇平は毎日、「みんなのひろば(フリースクールの名前)に早く行きたいなぁ」 「ちゃんとみんなのひろばに行けるよね」と言い続けています。

 中学時代、彼の心を支え続けてくれたスクールです。 高校になってからは、いっそう重要な場所になっていきます。
 スクールへの募金のお願いのページを作りましたので、ご協力いただけると嬉しいです。(m_m)
   ↓
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2011年3月23日 (水)

昇平3行日記・24+震災日記・1

※全然3行で収まっていない3行日記。


3月7日(月)
 いよいよ中学校最後の週になった。週の始まりで、昇平はまた朝からぐずぐず言っていたし、雪も降り出しそうだったので、さっさと自家用車で学校まで送ってしまった。
 その後は、学校でも家でも落ち着いて過ごしていたが、夜になって漠然と不安になったようだったので、リスペリドンを飲ませて、一緒に就寝した。

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3月8日(火)
 今朝になって薬袋を確認したら、安定剤を2日にわたって飲み忘れていたのを発見。昨夜漠然と不安な状態になったのは、これの影響もあったかもしれない。不安発作を起こすのではなく、「なんだかわからないけれど、むしょうに怖い」という感じで、これまでとちょっと様子が違っていたから。

 今日も車で学校へ送る。本人は自転車で行こうとするが、そうすると出発が遅れて、結果的に遅刻になってしまうので、「寒い時期はみんな家の車で送ってもらってるんだよ」と言って、私が送迎。本当にもう数日で中学校も終わるから、せめて最後くらいは遅刻しないで行ってほしいものね。

 今日は県立高校の二期入学選抜試験。多くの3年生が受験なので、3年生は給食なしのお弁当持ち。この後は卒業式までずっと弁当なので、小学校時代からお世話になってきた給食は、昨日が最後だったことになる。この後はもう一生給食を食べられなくなるのだけれど、本人にそんな自覚はない。きっと、後になってなつかしく思い出すんだろうなぁ。私たちがそうだったように。

 旦那が半ドンで、午前中休み。夕方も早めに帰ってきた。
 先日の旦那の誕生日に、昇平が自分のこづかいで「ポケモン・ホワイト」のソフトをプレゼントしたので、旦那が夕食の間、二人でその話をいろいろしていた。夜も父のやるゲームをのぞき込んでは、時々アドバイスしていた。ただ、昔と違うのは、父が自分の思い通りにプレイしなくても文句を言わなくなったことと、「うるさくするとお父さんの邪魔になるから」と静かに見守るようになっていたこと。
 私は疲れて眠くて、早々に寝てしまったけれど、その後も父子でしばらくポケモンをやっていたようだった。

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3月9日(水)
 中学校の授業は今日で最後。「最後の日は授業中も寝ないでがんばる」と言っていたけれど、連絡帳をみたら、自習の時間には寝ていたけれど、授業のある時間には寝ないでがんばっていたらしい。
 「中学校3年間、本当によくがんばったね。えらかったよ」と学校から帰ってきた昇平を誉めた。
 明日は大掃除と卒業式の最後の練習、通知票や卒業アルバムの配布だけで、昼食後に下校になる。
 卒業式の翌日には私の実家の人たちと温泉へ一泊旅行、その次の週からは大好きなフリースクールへ行ける。「卒業したらパラダイスだね」と昇平はとても楽しみにしている。

 私は卒業式に備えて美容院へ行き、髪を切ってカラーをしてきた。卒業式のスーツにもアイロンをかけて、準備はOK。

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3月10日(木)
 明日はいよいよ卒業式。最後の式の練習があって、昇平は立派に参加できたらしいが、ミーティングルームで参加するかと思っていたL子さんが、練習の後半で体育館の後ろのほうにいたというので、昇平が「L子さんは大丈夫なんだろうか」また心配し始めてしまった。無理な参加は絶対にさせないと思うのだけれど、それでも私たちも、大丈夫なんだろうか、と心配してしまう。どうかどうか、卒業式がうまくいきますように。

 薬がなくなるので病院へ行き、昇平の様子が安定してきているので、4週間分まとめて出してもらった。
 週末の一泊旅行のために、夜、大学生の兄ちゃんが帰省してきた。

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3月11日(金)
 卒業式。そして、私たちの運命の日。
 
 卒業式はとても立派に参加していた。体育館の中央に作られたステージに上がって、校長先生から卒業証書を受けとり、指定された場所で待つ私の元へ運んできて手渡す。私はそれを受けとり、「卒業おめでとう」と声をかけ、席へ戻っていく昇平を見送る。立派になったね。本当に立派になったね。胸がいっぱいになって、涙があふれてきた。

 卒業証書授与式は進み、いよいよL子さんのクラスの番。L子さんはクラスの自分の席に座っていた。そして、名前を呼ばれると、ちゃんとステージに進み、落ち着いた様子で校長先生から証書を受けとり、お母さんへ手渡すために下りていった! え、え、え!?
 この時、私も自分の目を疑っていたけれど、昇平も自分の目が信じられずにいたし、同じ3学年の先生方もやっぱり我が目を疑っていたらしい。L子さんが立派に卒業式に参加している! 証書を受けとった! みんなと同じに、立派にできている!!

 練習に直接参加していなくても、ずっとみんなの様子は見ていたんだよね。
 式の最中にも他の同級生のすることを観察して、自分がどうすればいいかを学んでいたんだよね。
 もう嬉しくて嬉しくて、昇平のこと以上に嬉しくて、心の中で叫んでしまった。「長谷田先生、お見事です!」
 L子さんの実力を信じていたのは担任の長谷田先生。私のような他の保護者からも、もちろん、他の先生方からも「無理ですよ」と言われ続けていたのだろうけれど、それでも彼女の力を信じて卒業式に参加させた。その勇気と判断と愛情には、心底感服してしまった。
 教室に戻ってから、L子さんを思いっきり誉めた。昇平も「L子さんはやればできるんだね!」と大喜び。すれ違った先生方も、口々に彼女を誉めてくださっていた。よかったね。本当によかったね。
 教室で先生方に花束を渡し、記念写真を撮り、親子並んで在校生に見送られながら中学校を後にした。

 本当にいろいろあった中学校生活だったし、苦しいこともつらいこともたくさんあったけれど、でも、この中学校で3年間がんばって本当によかった、と思った。
 この経験が昇平の将来に役立っていきますように。昇平たちを教えた経験が、中学校にとっても貴重な事例になり、後に続く子どもたちのために役に立ちますように。


 帰宅して着替え、少し遅い昼食を食べ、やれやれと一息。
 昇平はパソコンを楽しみ始め、私は福島市へ遊びに行く長男を車で駅へ送り、家に戻ってきたそのときに、あの大地震がやってきた。

 詳しい様子は、私の別ブログの「そっと、ひとりごと」のほうで報告しようと思う。とにかく、あまりの揺れに私はすぐ外へ飛び出したけれど、家の中には昇平と義母が残っていた。助けに行きたくても揺れが激しすぎて身動きが取れない。落ちる屋根瓦、ひび割れていく家の壁、外れて落ちる網戸、窓からは昇平がいた二階の部屋がめちゃくちゃになっていく様子が見える。気が気ではないのに、続けざまに起きる大地震。この場所の震度は6強だったから、二階は間違いなく震度7だったと思う。
 やっと地震が収まり、「昇平! 昇平ー!」と呼んだら、一階の茶の間から義母が「昇平くんはここにいるよ!」と教えてくれた。揺れが始まると同時に、いち早く階下に避難して、コタツの中に避難していたのだ。
 揺れが完全におさまってから二階に行ってみたら、タンス、整理棚、パソコン本体、テレビ、ありとあらゆるものがひっくり返って、足の踏み場もなくなっていた。そこにぐずぐずしていたら、昇平はタンスに押しつぶされて大怪我したかもしれない。ひょっとしたら当たり所が悪くて死んでいたかもしれない。よくぞ逃げてくれた! と心から思った。ADHDっ子はチョロ助さん。その素早さに助けられたのかもしれない。

 「卒業したらパラダイス!」と、家族旅行やフリースクールを楽しみにしていた昇平だけれど、それもお預けになってしまった。「パラダイスだと思ったのに、どうしてこうなるんだ!!」「もうパラダイスは来ないのか!?」とパニックになっていたけれど、なんとか落ちつきを取り戻し、家族4人で1階の兄ちゃんの部屋で寝た。
 停電、断水、ガスもまだ使えないし、家の中はめちゃくちゃ。着の身着のままで布団にくるまったけれど、それでもみんな怪我もなく無事でいる。「生きていればなんでもできるんだよ」「パラダイスだってこれから来るからね」と何度も言い聞かせ、生き延びたことに感謝しながら長い夜を過ごした。

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3月12日(土)
 地震2日目。
 相変わらず停電、断水。ガスはボンベが倒れかかっていたが、マイコンメーターの復旧ボタンを押したら、無事に使えるようになった。
 午後、給水があったので、昇平と兄ちゃんをつれて水をもらいに行った。8年前のキャンプで使った水タンクやバケツを持っていったけれど、水は重い。それを兄ちゃんと昇平が、文句も言わずに運んでくれる。「男の子を産んでおいてよかった!」と心から思った。

 大変な状況だけれど、昇平も兄ちゃんもよく手伝ってくれる。
 結局この日は水道も電気も復旧しなかったので、パソコンももちろん使えないし、バッテリーがなくなるのでゲーム機も使えない状態だったけれど、昇平は文句ひとつ言わなかった。パソコンがなければ生きていけないのかと思ったのに。こんなところでも成長を発見してしまった。

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※以上のような状況で、大震災に遭遇、一週間もネットができない環境にありました。家の中の片づけもまだ完全には終わっていませんが、やっと少しずつ日常が戻ってきました。時間を見つけて、震災後の日記を更新していきたいと思います。

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2011年3月 7日 (月)

昇平3行日記・23

※全然3行で収まっていない3行日記。


2月28日(月)
 起き抜けから「嫌なことを思い出した」と言ってリスペリドンを飲んだけれど、雪で学校まで車で送ったので、遅刻はしなかった。
 学校では、担任はお休みだったが、卒業式の練習もなく、意外なくらい元気な顔で帰ってきた。夕食後は私とオセロやジェンガ。ただ、明日は卒業式の練習があるので、それがプレッシャーになって、次第に不安定に。「疲れた」を連発して8時前からファンヒーターの前で横になり、お風呂に入った後、9時半にはもう寝てしまった。

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3月1日(火)
 今日は雨。朝から、卒業式の練習でL子さんが騒ぐのではないか、ととてもナーバスになっていて、ことばでいくら説明しても入っていかないので、メモ帳にイラストを書いて、練習を重ねるとL子さんも次第に慣れて大丈夫になることを説明した。「実際に練習に参加して、L子さんが大丈夫になってきているのを確認してちょうだい」と話すと、「わかった、確認してくる」と意を決して登校していった。
 担任は今日も家庭の都合でお休み。L子さんは登校していたが、結局卒業式の練習には参加できなかったらしい。昇平は練習に参加して、「入退場では手の振りも大きくてとても上手です」と副担任から誉められてきた。しっかり練習できたので、昇平は自信を取り戻した顔をしていたけれど、L子さんのほうはどうなるのかな。本人がどうしてもできないときには、無理に参加する必要はないわけなのだけれど……いろいろ思うと、私も心境複雑。
 
 学校の美術の授業で作った「ドリームランプ」を持ち帰ってきた。和紙で作ったランプシェードで、添付の三色LEDライトを入れると色が変わってとても綺麗。家族みんなから「良くできているね」と誉められていた。
 家では落ち着いて過ごして、10時頃就寝。

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3月2日(水)
 朝からまた不安定。自転車で行く、と言っていたが、結局なかなか動き出せなくて、私が車で学校まで送った。午後には3年生を送る会と謝恩会があり、昇平は担任に感謝の手紙を読んで花を手渡したらしい。楽しい会だったようで、いい顔で下校してきた。

 このところ、毎日夕食後には私とオセロとジェンガをしている。昔は飽きて待っていられなかったこの手のゲームにも、いつの間にかしっかり取り組めるようになった。「パソコンや携帯ゲームじゃない、こういうゲームも楽しいね」と昇平。そうでしょうとも!

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3月3日(木)
 冬に逆戻りしたような、寒い桃の節句。昇平も自転車ではなく、私の車で登校した。

 その後、私は親の会の支部例会で、隣町の保健センターへ。支部代表の役目を若いお母さんたちへバトンタッチして、来年度から私は支部のアドバイザー役になることになった。新しい力が育ってきてくれたことも嬉しいし、なんと言っても、会全体の雰囲気が和やかで、しかも活気があるのが嬉しい。お母さんたちが元気をもらって家庭に戻っていける場所であるように、と思いながら運営してきたけれど、それがちゃんと機能している気がする。新しい力を得て、来年度はいっそう充実した支部活動ができますように。

 と嬉しく思いながら、数人のお母さんたちとランチに出かけたところ、1時過ぎに学校の昇平から電話。午後から卒業式の予行練習があるのだけれど、L子さんがまた練習に出ないと騒いでいるのだと、涙で訴えてきた。練習を重ねればL子さんも卒業式に参加できるんだよ、と昇平には教えてきたけれど、「今週になってL子さんは一度も練習に出ていないんだよ」とも言う。
 とにかく昇平は予行練習に参加するように。それが終わったら、迎えがてらお母さんが先生と話をしてあげるからね、と話して電話を切った。
 急いでランチを終え、若干の用事をすませてから帰宅。それから間もなく昇平から迎えの電話がかかってきたので、また学校へ出かけ、昇平を車の中で待たせて担任と話し合いに行った。

 教室にはL子さんもいたので、まず彼女から話を聞いた。「また騒いじゃって、昇平くんに迷惑かけてしまってごめんなさい。明日の予行練習では必ず騒がないようにしますから。絶対にパニックをコントロールしますから」悲愴な顔で繰り返す彼女が、本当に、涙が出そうなくらい痛々しく見えた。そんなにがんばらなくていいんだよ。自分にできるところをがんばれば、それでいいんだよ。心の中で繰り返してしまう。自分に無理なことをがんばっても、絶対できるようにはならないし、そのことでまたいっそう自信をなくしてしまうのだもの。

 L子さんが下校してから、担任と話し合った。
 卒業式本番まで、練習はあと2回だけ。その回数では絶対参加できるようになりません。別室で卒業式に参加することはできませんか、と尋ねると、体育館に隣接してミーティングルームがあり、そこの窓から体育館の様子が見えるのだという。今日も、パニックが落ち着いてから、L子さんはそこで練習を見ていたのだというし、卒業式当日も、万一参列できないときには、ミーティングルームで参加する段取りになっているのだと聞かされ、万が一ではなく、もうそれを本番当日の形にしてください、とお願いした。
 例え体育館ではなく別室にいたって、同じ話を聞いて同じ時間を過ごすことができれば、それで立派に卒業式に出席したことになる。皆と同じ場所で同じことをすることが卒業式じゃない。3年間この学校に通って学び、卒業の時を迎えたんだ、と実感するためのセレモニーが卒業式。自分に合った形で参加して、卒業を実感できれば、それで良いのだもの。

 話し合いを終え、車に戻って昇平にその話をすると、「L子さんはミーティングルームで練習に参加していたんだ! 全然知らなかったよ。良かった!」と自分のことのように喜んで、その後はとても明るい表情になった。昇平は昇平で、なんとか彼女に卒業式に出てほしいと思って心配していたのだよね。

 卒業式まであとちょうど一週間。
 昇平は体育館で、L子さんはミーティングルームで、それぞれにあったスタイルで卒業式に参列してから、皆に送られて学舎(まなびや)を後にすればいい。それこそが、本当の特別支援なんだと思う。

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3月4日(金)
 今朝もまた雪。学校まで車で送った。起きたときには「怖い」と言って不安が強かったけれど、大好きなポケモンの質問をしたのをきっかけに、とても元気になって、明るく登校していった。午後からは卒業式の練習があったが、回を重ねるにつれて、ずいぶん上手になってきたらしい。L子さんのほうはミーティングルームで練習に参加。昇平はとても安心した顔をしていた。

 私は明日の総会の準備で超多忙。昇平をあまりかまってあげられずにいたせいか、夜寝る時になって、昇平が非常に不安定になってしまったが、一緒に寝ながら来週末の温泉旅行の話をしてやったら、それで気持ちが切り替わって、落ち着いて就寝した。
 まだ不安定の波は来るが、気分の切り替わりも上手になってきて、元気が出てきたように見える。

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3月5日(土)
 『とーます!』の学習会と総会のために福島市へ。昇平も一緒についてきて、一日他の子やボランティアのお姉さんたちと遊んでいた。途中、T君と喧嘩になったりもしたが、ちゃんと仲直りできたらしい。

 『とーます!』は今まで「福島AD/HDの会『とーます!』」というのが正式名称だったのだけれど、時代の流れに合わせて「発達障害支援の会『福島とーます!』」という名称に変わることになった。実際、AD/HDだけの純粋な特徴の子どもはほとんどいなくて、昇平のように広汎性発達障害(PDD)が重複していたり、学習障害(LD)などの特徴も持っていたりするケースが大半。すべてひっくるめてを発達障害と呼び、その中にそれぞれの特徴がある、と捉える方が現実的に思える。
 私が支部代表からアドバイザーになったのと同じように、会を立ち上げてずっと代表でいたYさんも、次年度からは運営顧問になる。『とーます!』設立当時からのメンバーは本当に少なくなってしまったけれど、我々の子どもたちが義務教育を終える歳になって、会の中心を次の世代のお母さんたちに譲っていく時期になったんだなぁ、としみじみ思った。

 総会後は運営委員会もあって、会場を出たのが4時半近くになったが、昇平は一人でも文句を言わずにおとなしく待ってくれていた。

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3月6日(日)
 昇平は朝7時半に起床。私とアニメ「ポケモン」を見て、10時からは家庭教師と学習。今、昇平は本当にポケモンに夢中で、勉強しながらもすぐポケモンの話題を始めているらしいが、H先生は上手にそれを流しながら指導してくださっている。本当は友達とそういう話をしたいのに、友だちが周りにいないから、話を聞いてくれる先生相手に夢中で話しているのだよね。卒業すればフリースクールを利用し始めるし、そこで友だちがたくさんできるはずだから、そういう場所で好きな話がたくさんできるようになるといいね。

 夕食前にかなり長い時間昼寝をしたが、夜も11時には就寝。一日中穏やかに過ごしていた。

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