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2011年2月

2011年2月28日 (月)

昇平3行日記・22

※全然3行で収まっていない3行日記。


2月21日(月)
 昨夜、昇平はなかなか寝付けなかった。就寝が12時半近かったので朝起きられるか心配したが、落ち込みも不安定もそれほどひどくならなかったので、安心した。自転車で登校。遅刻の時間ではあったけれど、先週一番早かった日より、さらに5分早く出発することができた。
 学校では休憩を取りながら学習をして、穏やかに過ごしていたらしい。

 私は午後3時から3学年のPTA集会。卒業式や卒業記念品の連絡があった。卒業式まであと3週間。本当にもう少しになった。
 集会の途中、昇平から携帯に電話やメールがあった。内容は大したことではなかったけれど、そうやって自分の携帯を使えたことが嬉しかった。土曜日に一人で福島駅に行かせても大丈夫そう。

 帰宅後も落ち着いて過ごしていて、夜は11時頃に就寝した。

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2月22日(火)
 今日は卒業式の練習があるので、「L子さんがまた騒ぐのでは」と心配して、また登校しぶりがひどかった。8時にやっと家を出発。それでも自分で自転車で学校へ行くのだから、よくがんばっている。

 午後1時頃、学校の昇平から「不安になってきちゃった」と電話がかかってきた。話を聞き、薬を飲んで参加して、もしもつらいようなときには、式の練習の途中でそっと抜け出すように、と話して聞かせたら、「わかりました」と電話が切れた。

 次に電話がかかってきたのは、午後2時半頃。副担任の岩沢先生からで、「卒業式の練習中、昇平くんがパニックを起こして、かなり興奮しているので、お母さんが来てもらえますか」と言われ、仰天して学校へ飛んでいった。

 学校へ行くと、昇平は教室で大泣き。顔や手には、先生方が必死で抑えたらしい痕が残っていた。眼鏡も少し歪んでいた。
 本人や先生方から何があったか聞いたところ、今日は昇平だけでなくL子さんも練習に参加。L子さんがひどく不安がっているのを昇平が気にして興奮状態になり、ちょっとしたきっかけで大パニックを起こして、先生方に取り押さえられたのだとわかった。
 L子さんのほうも、興奮した昇平に暴言を吐かれて大泣き、保健室に行っていたので、そちらへ出向いて彼女の話も聞いた。脚に火傷をしていたりして体調的に良くなかったこともあるようだが、なんと言っても受験や卒業、卒業後への不安が非常に強くて、こちらもとても不安定な状態だった。「式の練習が怖くて怖くて」と心情を話し、それでも「昇平くんをパニックにさせてしまってごめんなさい」と謝ってくれた。双方の気持ちがなんとも切なくて、私も涙が出そうになってしまった。

 その後、L子さんは下校。その頃には昇平もだいぶ落ち着いたので、自転車で先に家に帰して、私は眼鏡を修理に出すのに眼鏡屋に寄った。すると、昇平は途中でL子さんに追いついたようで、「そこで謝って仲直りできた」のだと、帰宅してから報告してくれた。

 仲直りできたのは良かったけれど、問題は、卒業式の練習のたびに昇平が不安になり、またパニックを起こすかもしれない、ということ。L子さんのほうも、回数を重ねて練習しなくては恐怖は消えない。その間、どうしてもまた不安定になるだろうし、声を出してしまうこともあるだろう。昇平は先週火曜日の経験があまりに衝撃的だったので、「L子さんは前回より落ち着いてきているから大丈夫なんだよ」と言っても、それが実感できなくて、彼女が少しでも騒げば「まただめだった!」と思うだろうし。
 どうしたらいいか考えて、L子さんと昇平の二人分の「卒業式マスターシート」というのを作ってみた。「体育館に入ることができた」「自分の席に座れた」「式の途中まで椅子に座っていられた」「練習の最後まで椅子に座っていられた」……と式に参加するために身につけることを10項目ぐらい表に書いて、練習のたびに、できたところへ○を、完璧にできたところへは◎をつける。L子さんの前回と今回の様子を、昇平と確認しながらチェックしてみると、前回は○がひとつもなかったのに、今回は4つもついていた。「こんなふうにちゃんとできるようになってきているんだから、大丈夫なんだよ」と昇平に視覚的に説明して聞かせた。
 ちなみに、昇平のマスターシートは、がんばる内容がL子さんとは違うので、前回○3つ、今回は2つという結果になった。
 これを連絡帳を通じて担任にお渡しすることにした。L子さんが嫌がるときには使えないけれど、少しでも「がんばることの具体的な目安」や「成長の目安」になって、二人の恐怖や不安が減っていけば、と思っている。

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2月23日(水)
 昇平は昨夜寝る前から不安定で、今朝も起きたときから不調。8時前にはなんとか家を出たが、学校では1校時目から3校時目までずっと寝ていたらしい。4校時目は交流学級で理科だったが、これも寝ていたのかもしれない。
 昨日の大パニックについては、なんとか少しずつ整理がついてきて、「昨日はたまたま起こしてしまったけれど、最近はパニックを起こしてなかったよね(=全体的にみればパニックは少なくなっていたよね、という再確認)」「L子さんをぼくのパニックから守らなくちゃ(=ぼくはがんばって自分をコントロールしなくては、という決意)」などということを言っていた。
 修理に出した眼鏡は、下校途中で眼鏡屋に回って、自分で受けとってきた。昇平なりの責任の取り方だったのかもしれない。

 私は、夕方4時半から、スクールカウンセラーのA先生との面談があった。合格の報告をしてこれまでのお礼を申し上げると、A先生もとても喜んでくださって、「小学校からずっと見てきた昇平くんが、とうとう高校生ですか!」と感無量の様子でいらした。
 中学校3年間は親も子も本当に大変だったけれど、2年生からはA先生がスクールカウンセラーだったので、本当に大きな支えになっていただいた。「お母さんとお父さんが昇平くんを支え続けた努力の成果ですよ」と何度も誉めていただいたけれど、その私たちの心を支えてくださった大きな柱がA先生だった。いくら感謝しても感謝のことばが尽きないし、お別れするのも名残惜しい思いだった。

 A先生が来年もこの中学校のスクールカウンセラーかどうかは、今はわからないけれど、できればまだまだいていただきたいと思う。そして、この後、小学校から入ってくる昇平の後輩たちの、力強い味方になっていただきたい。
 中学校に望みたいのは、どうかこのカウンセラーをもっと上手に活用してください、ということ。先生方は、スクールカウンセラーの活用の仕方がよくわからないのじゃないだろうか? 不登校や悩みのある子どもや保護者をカウンセラーのところへ送るだけでなく、もっと積極的に「自分たちには何ができますか?」「どういう方法がありますか?」と聞きに行ってほしいと思う。発達障害や特別支援は、担任一人の能力や資質でどうにかできるほど生やさしいものではない。子どもが不登校や深刻な問題を起こすようになる前に、子どもに関わる先生方みんなで「この子にはどう対応するのがいいだろうかと相談する」。それが本当の特別支援教育だと思うし、そのための体制が学校の中に必要なのだと思う。
 これからの、日本中の中学校の課題だ。

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2月24日(木)
 今日はまた4校時目に卒業式の練習があるので、登校しぶりがひどかった。お腹が痛い、とも言っていたが、いろいろ話すうちに少し元気になり、7時45分頃に登校することができた。
 学校では朝からL子さんが練習に参加できるかどうかを心配し、2校時目の終わり頃からまたお腹が痛いと言い出して3校時目から保健室で休養して、結局昇平は練習に参加しなかった。
 帰宅後もずっと腹痛がしていて、夕食はある程度食べたが、パソコンもゲームもまったくしないでファンヒーターの前に横になっていて、夜7時半には布団に入って眠ってしまった。
 この症状は、完全にストレス性の腹痛だろう。卒業式の練習(でL子さんが騒ぐこと)が不安で、自律神経がおかしくなって、とうとう体に出てきたのだと思う。疲れもたまっているようなので、明日は学校を休ませることに決めた。

 ただ、療育掲示板に2年前までお世話になっていた家庭教師のF先生から合格お祝いメッセージが入っていて、それを読んで聞かせたときには、にっこりと嬉しそうな顔をしてうなずいていた。
 家庭教師、スクールカウンセラー、フリースクールの先生、ネットを通じて知り合った本当に大勢の人たち……たくさんの人たちが応援してくださったから、昇平も私たちも、なんとかここまで来ることができた。これが学校と家庭だけの世界だったら、昇平は絶対にもっと酷い状態になっていただろう。本当に本当に、ありがとう。これからも、応援をよろしくお願いします。

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2月25日(金)
 腹痛のため、学校を欠席。
 昇平自身は、たっぷり眠ったし学校も休みということで、腹痛も治まり、朝食にお粥と半熟卵をぺろりとたいらげた。
 午前中はベッドでおとなしくしていたが、元気が出てきて顔色も良くなったので、午後からは起き出し、パソコンやゲームをしていた。この様子なら明日の福島駅への外出もOKと判断。ただ、夕方になったら疲れが出てきたのか、また不安定になってきたので、夜は早めに休ませた。

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2月26日(土)
 朝7時にすっきりした顔で起きてきて、予定通り、ひとりで電車に乗って福島駅へ出かけていった。
 昇平がひとりで公共機関を利用して外出するのは生まれて初めて。ひとりで福島駅まで出かけるのも生まれて初めて。何度も私と電車に乗って練習してきたけれど、自分ひとりでもはたしてちゃんとできるかどうか。昇平もドキドキだったけれど、親の私もやっぱり心配で、無事に福島駅に着いたと携帯から電話をもらったときには、本当にホッとした。
 その後、昇平は歩いて高校まで行ってみてから、また駅に戻ってマクドナルドでお目当てのポケモン「ゾロアーク」をDSにダウンロードし、ゲーセンで遊んでから、再びマクドナルドに行って昼食を食べ、1時過ぎの電車に乗って帰ってきた。駅に降り立った昇平に「やったね!」と声をかけると、得意そうに、にやっと笑い返してきた。

 今回の外出には、新しく買った携帯が大活躍だった。
 昇平は要所要所では電話をかけてきて「今、高校へ歩いているよ」とか「ポテトとハンバーガー美味しいよー」などと報告。また、帰りの電車に乗ったところ、切符に降りる駅名が書いていないことに心配になって、携帯で写メを送ってきた。カメラ機能の良い携帯なので切符の文字がはっきり読めて、正しい切符を買っていたことが判明。一安心、という場面もあった。
 また、昇平の携帯にはGPS機能がついているので、私は何度も所在地を確認して、位置ナビの精度をチェックした。駅ビルの中や移動中、特に電車で移動している最中は誤差が大きかったが、電車が駅に止まっているときには、非常に正確に位置が出ていて、この後、例えば昇平が迷子になったときにサポートする参考になった。

 昇平はさすがにくたびれたようで、夕方から「疲れた」を連発。精神的にも少し不安定になってきたので、薬を飲ませて、早々に休ませた。

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2月27日(日)
 昨日、一人で電車で福島まで行けたのが自信になったのか、一日中とても調子が良かった。
 朝は自分で6時過ぎに起きてテレビを観て、朝食の後にwii-fit。10時からは家庭教師と数学を勉強したが、黙々と取り組んで、予定より10分も早く問題を終わらせてしまった。その後は自転車で床屋へ散髪に。
 午後はアニメ「ポケモン」を見て、私と買い物に行き、ゲームを楽しみ、イラストを描き、夕方になって人恋しくなって、夕飯の支度をする私のそばに貼り付いていたけれど、その間もずっとゲームのことやアニメのことを賑やかに話し続けていた。夕食後は私とオセロやジェンガのゲームをした。

 時折、嫌なことは思い出すのだけれど、そこから気持ちを切り替えるのに「おおっと」(某RPGの有名なセリフ)と言うことにしたようで、夕方以降、しょっちゅうそれを口にしていた。本当にそれで気持ちが切り替わって、薬は飲まずにすんでいた。「おおっと、フラッシュバック」とつぶやいて、にやっと笑っている昇平が、ちょっと頼もしかった。

 ただ、夜寝る直前になると学校を思い出して不安定になり、10時半に布団に入ったものの寝付けなくて、就寝は11時半頃になった。

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2011年2月21日 (月)

昇平3行日記・21

※全然3行で収まっていない3行日記。


2月14日(月)
 今朝はまたかなり不調。薬袋を調べたら、昨夜、抗鬱剤を飲み忘れていたのを発見した。夕方以降調子が悪かったのは、これのせいもあったのかもしれない。それでも自分で学校へ行くというので、あえて車では送らずに見送った。約30分遅れで登校。学校では休みながら授業を受け、落ち着いて過ごすことができたらしい。帰宅後も落ち着いて過ごしていた。
 バレンタインデーなので、ロイズの生チョコレートをプレゼントした。今年のチョコは私からだけだった。(笑)

 夕方6時からは、フリースクールへ行って、春から昇平が利用する件について相談をしてきた。
 2学期の後半や受験間際の本当に不安定だった時期にも、昇平は「冬休みにはフリースクールに行ける!」「高校生になったら平日でも行ける!」と言い続けて、つらい時期を乗りきってきた。それくらい楽しみにしてきた場所なので、卒業したらさっそく次の週から利用できることが決まって、私としてもとても安心した。
 ただ、非常に良心的に運営されているフリースクールなので、経営状況が苦しい話も、正直に聞かせていただいた。これから昇平が何年もお世話になるところなので、無くなってしまっては困る! ということで、フリースクールに関して私にできることを協力させてもらうことにした。まずは、周囲の人たちへ賛助金のお願いかな。

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2月15日(火)
 また雪。今回は10センチほど積もった。昇平を送る前に雪かきをしたら、昇平も少し手伝ってくれた。相変わらず朝は不調だけれど、体を動かしたら少し元気になったようだった。

 ところが、卒業式の練習にプレッシャーを感じていたL子さんがパニックを起こしたので、昇平もそこに巻き込まれ、午後1時過ぎと3時に二度電話をかけてきた。二度目は昇平は式の練習に参加していたのだが、我慢できなくなったので、黙って会場を抜け出してきたらしい。「式の練習や回りの人に迷惑をかけずに抜け出してこられたんだから、偉かったね」と誉めたら、家に帰り着く頃には昇平も何とか落ち着くことができた。

 卒業式までの登校日数はあと17日。どうか良い卒業式になってくれますように。

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2月16日(水)
 昨日パニックに巻き込まれて大騒ぎしたり、式の練習を途中で抜け出したりしてきたので、昇平は非常に不調。朝はなかなか始動できなくて、また30分以上遅れて登校していった。
 学校では図書室と交流学級で、休みながら授業を受けていたらしい。

 それでも、少しずつ回復はしてきて、落ち込みや不安定から復活する時間は短くなってきた。
 今の楽しみは、春休みになったら私の実家の人たちと一泊旅行に行くことと、フリースクールへ毎日行けるようになること。「楽しいことをたくさん考えようね」と話して聞かせている。

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2月17日(木)
 引き続き回復基調。朝の登校しぶりも、昨日より10分くらい短縮された。
 学校ではあんまり勉強していない、と昇平は言う。内容的にもう3年生のまとめに入ったし、県立二期を受験する人たちのラストスパート時期になっているので、合格した昇平は、心身の調子に合わせてゆっくり指導をしていただいているらしい。
 また卒業式の練習があったが、今日は無事に参加することができた。

 帰宅後は、精米に行く私を手伝って、重い米袋を車に載せたり下ろしたりしてくれた。まだ時々不安になるが、だいぶ元気になってきて、絵を描いたりゲームをしたりして過ごしていた。夜は10時半過ぎに就寝。

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2月18日(金)
 雨のち曇り。かなり強い降りだったので、車で学校まで送った。こういう日は遅刻にはならないが、寒くて教室のストーブの前で横になっていたら、そのまま2校時目が終わるまで寝てしまったらしい。夜10時半に寝て朝6時40分に起床しているのだから、睡眠不足で眠くなるような状況ではない。やっぱり精神的に疲れているのだろうと思う。3校時目からは比較的長い時間勉強して、卒業式の練習にも参加できたらしい。

 帰宅後はゲーム、パソコン、お絵かき、おしゃべり、wii-fitのトレーニングと、いつも通りに過ごしていた。ときどき無性に不安になって「おかあさん」と言ってくるが、不安になる時間や状況が、かなりはっきりしているので、薬や声かけでやり過ごせるようになっている。ただ、私への依存度はまだ高くて、部屋に私がいなくなると急に心配になるらしい。完全に元気になるには、もう少しかかるかもしれない。

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2月19日(土)
 今日は親の会で助成金を申請した公益信託の公開審査会。担当のSさんと一緒にプレゼンテーションに臨んだ。1週間あまり前から準備をして、何度も練習してきたけれど、それでもドキドキが止まらなかった。
 助成をお願いしたのは体験型のお泊まり会。子どもにとっては社会性の発達促進と将来の自助グループ結成の基礎作りになるように。親にとっては子育ての悩みを共有して解決を図るためのピアカウンセリングの場にするために。お泊まり会には助成は下りにくいので、結果がどうなるかはわからないが、制限時間を精一杯使って、会が目ざしているものを訴えてきた。
 審査会では他の団体のプレゼンも聞いてきたが、いろいろなものを目ざして活動をがんばっている方たちがいるのだなぁ、ととても感心させられた。それを聞けただけでも、審査会に参加した価値はあった気がする。
 審査会の前後では、Sさんとランチやコーヒー。ここでも会のこと、子どもたちのことをたくさん話すことができて、とても楽しかったし元気が出た。同じ立場の親同士ならではの効果。だからこそ、お泊まり会でピアカウンセリングをして、たくさんのお母さんたちに元気になってもらいたいと思っている。

 私は朝10時に家を出て、夕方5時頃帰宅。その間、昇平はずっと留守番だったが、最初に携帯から私へ電話をかけてきただけで、あとは一日とても落ち着いて過ごしていたらしい。とうとうリスペリドンも一度も飲まずにすんで、「今日は嫌なこともほとんど思い出さなかったし、とてもいい日だった」と言って、機嫌良く寝室へ行った。11時頃に一人で就寝。

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2月20日(日)
 昨日に引き続き、今日も昇平はとても元気だった。カテキョの時間には問題集をさくさくと解いていったそうで、H先生も「卒業も間近だし、気分的に違うのでしょうね」と驚かれていた。
 とにかく表情も言動も明るくて、パソコンの中のファイルを整理して外付けHDDに保存したり(自分でこれをするのは初めて)、自分の描いたイラストを携帯カメラで撮影してブログに投稿したり(これも初めて自分ひとりでやっていた)。自主的にいろいろ行動していた。

 今、マクドナルドで「ゾロアーク」というポケモンをDS配信していて、昇平はこれが欲しいのだけれど、福島駅まで行かないとマックはないし、キャンペーン期間中は私が忙しくて一緒に福島まで行ってあげられない。「自分一人で電車に乗って福島駅に行ってみる?」と聞いてみたら、えっ、という顔をしてから、「そうだな~、それもいいな」と言い、「これまで何度もお母さんと練習してきたから、大丈夫だよ。携帯もあるし」と、がぜん乗り気になった。今度の土曜日に挑戦する予定。それをわくわくと楽しみにできるのだから、本当に元気になってきたのだな、と改めて思った。
 この急激な変化はなんだろう? とも思うけれど、もしかしたら、昨日一日、母がいない状態でも落ち着いて過ごせたことが、本人の自信のきっかけになったのかもしれない。

 ところで、昨日プレゼンをした申請は不採用になった。まあ、助成をいただけなくても実行する計画ではあるけれど、参加費が増えるので、参加者は減る可能性がある。できればお父さんたちにもぜひ参加してもらいたかったのだけれど。さて、どうなるか。
 でも、私がプレゼンで家を一日空けたことが、昇平の自信回復のきっかけになったのなら、その意味でも、審査会に参加して良かったのかもしれない。

 昇平はとうとう今日も日中はリスペリドンを飲まずに過ごした。ただ、興奮していたのか、夜は薬を飲んでもなかなか寝付けなくて、ヒツジを数えて、12時過ぎにやっと眠れたらしい。

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2011年2月14日 (月)

昇平3行日記・20

※全然3行で収まっていない3行日記。


2月7日(月)
 今朝は氷点下にならなかったので、空気がほのかに暖かくて柔らかかった。
 昇平は、また学校だというので、嫌なことを思い出してしまったが、リスペリドンを飲み、がんばって自転車で登校していった。登校時間内には到着できなかったようだが、自分から学校へ行こうとしたところが進歩だ。

 帰宅後は家庭学習に1年の英語の復習をしてから、自分のブログを更新していた。文章を考えては「これでいいかな?」と私に確認してきたり、自作のイラストをアップロードするのに頭をひねったり。広い意味で、なかなか良い勉強になっている気がする。
 午後から台風のように強い風が吹き荒れて、学校の自転車置き場で自転車がたくさん倒れていたので、L子さんに呼びかけて直してきたことを記事にしていた。

☆ブログ「Dark Silver Zone 」(ハンドルネーム:闇銀)
 http://ley.cocolog-nifty.com/da_silver_zone_/

 明日は実力テストがあるが、それが心配だったのか、夜はなかなか寝られなくて、布団に入ってからしばらく泣いていたらしい。リスペリドンを服用して、11時過ぎに就寝。

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2月8日(火)
 今朝は不調で、なかなか動き出せなかった。今日は学校で最後の実力テストがある日。もう高校に合格しているのだから直接関係はないのだけれど、やはり学校へ行きたくないモードになるらしい。テスト開始時間に間に合わなくなるので、私の車で学校へ送った。
 協力学級でテストを受け、3時半過ぎに帰宅。帰ってきてからもまだ不安定気味だったが、次第に元気になっていった。

 昇平のブログを私の掲示板で紹介したら、何人もの常連さんが訪問してコメントを残してくれた。
 コメントはブログ管理人の私が一度確認して、問題なしと判断したら公開するようにしている。通常は問題ないはずなのだけれど、どうしても迷惑書き込みがあったり、ゲーム内容の記事になると検索で見に来た人が配慮の足りないコメントを残す可能性があるので。
 今日のコメントは、もちろんまったく問題がないので、気がつくたびにどんどん公開していった。昇平も喜んで。「これからもがんばります」と返事をしていた。

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2月9日(水)
 朝から雪が降り出したので、今日も車で送った。
 その後、私は会議のために福島市へ。来月には親の会の総会があるので、役員のメンバーと話し合いをしたが、その合間にも、出てくるのは子どもの話。こんなことをする、あんなことがあった、と話し合うことが、皆の子どもたちに共通していて、「この子たちってホントにみんな同じだよねー!」と言って笑い合った。
 昇平が入学する予定の高校に子どもを通わせたお母さんもいるのだが、「あの学校には不登校になった子や、勉強についていけなくなった子や、我々の子どもみたいな発達障害を持つ子が大勢通っているから、先生方も子どもの心に寄り添うのがすごく上手なんだよ」と教えてくれた。やっぱり私が感じていたとおりだった! と、とても嬉しくなった。

 学校での授業は休みながら受けていたらしいけれど、家では英語の復習を順調にクリア。ただ、まだ自信がないようで、1年生の初めの内容にも「どうなの?」「わからない」とすぐに言ってくる。「わかるはずだよ、よく考えてごらん」と言うと、ほとんどは自力で解くことができる。ただ、問題文の意味がわからなかったり、出題の意図が把握できていないことがあるから、そこは解説が必要だったりする。「本当はできるんだよ」「もっと力があるんだよ」ということを、高校入学までに実感させて、もっと自信を持たせてあげたいな。

 私は疲れて、旦那の帰宅を待たずに10時に就寝。昇平はまた眠れなくなって、11時過ぎにやっと寝たらしい。 

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2月10日(木)
 睡眠不足で、案の定、朝からかなり不調。雪も降り出したので車で送ったが、降りて学校へ行くまでにまた時間がかかった。

 帰宅後は機嫌も良く、元気もあったので、家庭学習に英語と数学の復習を指示すると、数学の分量が多すぎると怒りだした。1年生の基礎問題だから必ずできるよ、と言っても騒ぎ続けるので、一時母子バトル。最後には黙って問題を終わらせ、間違いもちゃんと直すことができた。
 好調不調の波はあるものの、昇平は確実に回復に向かっている。勉強をしていて文句は言うが、病的な不安発作に襲われて落ち込んでしまう深刻さも、今はもう見られない。「今までは具合が悪かったから勉強も減らしたり休みにしたりしていたけれど、もう元気になってきたから、少しずつ元に戻しているんだよ。そうしないと、高校生になってから勉強するのに困るからね」と話して聞かせたら、「リハビリってことなんだね」と言って納得していた。
 本人の調子を考えて全面的にいたわるときと、本人の成長のためにほんの少しの負荷をかけてあげるとき。回復期には、この見極めと切り替えが大事だよね、と思った。

 勉強が終わってからはずっと機嫌も良く、ブログを更新したりゲームをしたりして、楽しく過ごしていたが、義父が風邪で具合が悪くなってしまい、心配でたまらなくなって、私と一緒に就寝した。10時半消灯。

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2月11日(金)
 建国記念の日。祝日だけれど、義父はまだ具合が悪くて、義母の運転で当番医の病院で点滴を受けてきた。
 
 次第に元気になっていた昇平だが、やはりストレスには非常に弱くなっていて、おじいちゃんが死んでしまうのではないか、元気にならないのではないか、としきりに心配して不安になっていた。日中、ずっとイライラしていて、午後3時頃にはストレスがピークに。私も今日は親の会のプレゼンの準備で一日PCとにらめっこしていてストレスフル。喧嘩になりそうになったので、気分転換に車で出かけた。
 本当は喫茶店にでも入るつもりだったけれど、お目当ての店が休みで、しかたなく駅へ。待合室で自販機のドリンクと駅の売店のクッキーを飲んだり食べたりし、昇平のポケモンのゲームや話につき合ううちに、お互いけっこうすっきりして、気分良く家に帰れた。

 夕食はキノコたっぷりの煮こみハンバーグ。義父も、普通の夕食はまだ無理だけれど、食欲が出てきたようなので、明日には元気になるだろう。でも、昇平は心配して11時過ぎまで眠れないでいた。

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2月12日(土)
 夜の間に雪が降って、5センチあまりの積雪。
 昇平は昨夜寝るのが遅かったので、10時半過ぎまで寝せておいた。その間に私は家の中の掃除と雪かき。
 義父はほとんど元気になったが、今度は入れ歯を壊してしまって、月曜日までまたお粥の生活になってしまった。かわいそうに。

 夕方、早めに帰ってきた旦那と昇平と3人で携帯ショップへ。先日取り寄せを頼んでいた携帯が届いたので、昇平の分と旦那の分と両方の新規加入手続きと、家族割引の手続き、さらに昇平の携帯の位置検索も申し込んで……と手続きがたくさんで、全部終わるまでに2時間近くかかってしまった。夕飯は弁当屋さんのお弁当。たまにはこういうのもいいかも。昇平はかなり疲れてしまったが、それでもおとなしくショップでゲームをしながら待っていた。
 携帯は、昇平が一人で高校へ通うための必需品。これから使い方に慣れて、4月には自信を持って高校へ登校できるようになってもらいたいと思っている。
 ただ、最初の携帯だったのに、ちょっと高性能のものを選びすぎて、初期設定は昇平の手に負えなかった。代わりに私がやっているけれど、小さなパソコンを相手にしているみたいで、悪戦苦闘してしまった。最初は電話とメールとカメラが少し使えれば、それで充分だったなぁ。(GPS機能は必須だけれど)

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2月13日(日)
 昇平は朝8時起床。アニメを観て、10時からは家庭教師と勉強をして、コンビニに買い物に行って……と落ち着いた一日を過ごしていた。
 明日がバレンタインデーなので、カテキョのH先生からは手作りのケーキをいただいた。さっそく昼のデザートにいただいたけれど、昇平は「おいしい!」と喜んで、さっそく携帯カメラでケーキを撮影してブログに載せていた。

 日中は落ち着いていたが、夕方から急に不安定になってきたので、夕食の料理や後片付けを手伝ってもらい、いろいろ話すうちに元気になった。脳が疲れると調子が悪くなるのだから、早く寝なくては、と10時前には就寝していた。

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2011年2月 7日 (月)

昇平3行日記・19

※全然3行で収まっていない3行日記。


1月31日(月)
 朝起き抜けや夕方、夜寝る前に発作的に嫌なことを思い出してしまうけれど、早めに薬を飲むことですぐおさまったり、軽い落ち込みですむようになってきた。
 今日は担任が休みだったが、数学で2問自分で問題を解き、体育ではバドミントンで体を動かして、しっかり過ごしていたらしい。家でもWii-fitでジョギングなどの軽いトレーニングを自分から再開したし、家庭学習も、まだ時間は短いが、毎日できるようになってきた。パソコンやゲームだけでなく、絵を描いて楽しんだりもしている。
 ゆっくりしたペースだけれど、確実に元気になってきたので、本当に良かった。
 私と一緒に9時半就寝。

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2月1日(火)
 大雪! 朝、昇平を学校へ送る前に、車庫の前の雪かきをしなくてはならなかった。

 昇平は朝は調子が良くないのだけれど、以前のように落ち込んで動けなくなるようなことがなくなったので、今朝も登校時間に間に合うことができた。
 今日は県立高校のI期選抜試験のため、授業は午前中だけ。L子さんが県立II期の受験願書を書く間、昇平は図書室で自習だったらしい。L子さんもプレッシャーには弱いので、願書作成の間に不安定になるかもしれない。そうなれば昇平もパニックを起こすので、最初から教室と図書室に分けておいた、ということ。この配慮ある対応が嬉しい!
 3校時目には英語の先生が図書室にいらして、一緒に試験の間違い直しをしたらしい。英語はいつも昇平の興味を引くようなとても良い授業をしていただいているのだけれど、いかんせん最近の昇平の状態が悪すぎて、試験の点数には結びつかなかった。昇平もがっかりしたようだけれど、それでも以前のような「ぼくはダメだ!」というパニックは起こさなくなった。落ち着けばきっと頭に入るようになるからね。この後も、高校の勉強のためにがんばっていこうね。

 疲れから夕方に不安発作を起こすことがわかってきたので、気分転換に夕食作りを手伝ってもらった。おでん、ほうれん草のバター炒め、大根葉とおかかのふりかけを、私の指導で作った。今まで包丁は使っていても、火を使ったことがなかったので、炒める手つきはまだおっかなびっくり。それでもちゃんとできあがって、自分で「うまい」と言いながら食べていた。料理をしている間は嫌なことはほとんど思い出さなかったので、これからもちょくちょく手伝ってもらおう。
 今夜は自分一人で、10時頃に就寝した。

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2月2日(水)
 昨夜寝るのが少し遅かったせいか、起き抜けの調子が悪そうだった。学校前の駐車場まで送っても、なかなか車から降りられなかった。
 午後1時半頃に学校から電話。「嫌なことを思いだした」と訴えてきたけれど、後ろからL子さんの高い声が聞こえていた。今度は彼女のほうが近づいてくる受験に不安になってきて、それにつられて昇平も不安定になってしまったらしい。ちょうど次は総合の時間だったので、薬を飲んで協力学級へ行くように言ったら、すぐに納得して電話を切った。

 次に電話があったのは午後3時半過ぎ。てっきり迎えの電話だと思ったら、床に置いた眼鏡を介助の先生が間違って踏んで歪めてしまったために、久々に罵詈雑言の大パニックを起こしたのだとわかった。学校も終わる時間だったので迎えに行くと、担任と介助の先生二人がわざわざ事情説明とお詫びに来てくださった。昇平は英語の授業の途中で疲れてストーブの前に横になり、その時に眼鏡を外して床においていたのを、介助の先生が気がつかなかった、ということだったらしい。
 昇平はまだ怒って興奮していたが、「間違いは誰にでもあるんだよ。昇平くんだって、間違って失敗したことにひどく怒られたり悪口言われたりしたら悲しいでしょう」と言うと、「あっ、そうだった。ぼくが間違っていた」とすぐ反省して、介助の先生に謝って仲直りすることができた。
 眼鏡はすぐ修理に出したが、昇平は帰宅後も不安定気味で、「疲れた」と言って9時前に寝てしまった。

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2月3日(木)
 朝はかなり学校へ行きしぶったが、車で送って、どうにか登校することができた。

 私は親の会の支部の学習会へ。心理のK先生の指導でエンカウンター・グループを体験した。親の会のメンバーは皆とてもよい人たちで、仲も良いので、集まって話すだけでいつも元気が出てくる。ここがあるから、私も毎日の子育てをがんばれるのかもしれない。

 学習会の後には昼食会と話し合いがあったが、その途中で昇平から迎えの電話がかかってきた。思いがけなく下校が早かったので、「お母さんはまだ勉強会だから、もう少し待っていてもらえる?」と言うと、「じゃ、自分で歩いて帰るよ」と言って電話が切れた。おかげで私は最後まで話し合いに参加できたし、予約の恵方巻きも受け取りに回ることができた。
 昇平の方は、重い鞄を背負って40分以上歩いて家まで帰ってきた。「疲れたー!」と言っていたが、機嫌は悪くなくて、ちょっと昼寝した後はとても元気に過ごしていた。彼が歩いて学校から帰れたのは、調子を崩してから初めてのこと。「自分にはこのくらいのことはできるんだ」と思って、少し自信を回復したのかもしれない。

 節分なので恵方巻きと蕎麦を食べ、鬼の面をかぶったおじいちゃんに昇平が落花生を投げて、豆まきをした。暦の上では明日から春。良い年が訪れますように。

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2月4日(金)
 落ち込みが軽い一日だった。朝と夜に薬は飲んだが、どちらもひどくなる前に先手を打つ形で、すぐ不安から復活したし、学校でも家でも落ち着いて過ごしていた。「L子さんが不安定で大声を出したけれど、今日は寝たふりをして、知らんぷりすることができたよ」と言っていた。
 学校では、いよいよ卒業式の練習が始まったらしい。残りの登校日はあと24日。いろいろあったけれど、最後まで中学校に通い通すことができそうだ。

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2月5日(土)
 週末。たっぷり寝てたので、朝の落ち込みはほとんど起こらなかった。

 11時頃から二人で福島市内へ。途中、携帯屋に回って、昇平の携帯電話の申込みをしてきた。ひとりで学校へ通うためには携帯は必須なので、その使い方を覚えるために早めに購入を決定。ただ、学割を申し込むのに学生証を持っていかなかったので、今日は購入できなかった。旦那の携帯も同時に乗り換えを申し込むので、後日改めて手続きに来ることにした。今日、携帯を持って帰れなくても、昇平は文句ひとつ言わなかった。

 その後、ゲーセンとマックへ。ゲーセンの機種が入れ替わっていて、昇平がやりたいゲームがなくなっていたが、怒りもせずに私をエア・ホッケーに誘ってきた。ついでにクレーンゲームにも生まれて初めてチャレンジ。もちろん、あっという間に終わってしまって、「思わず唖然とした」(本人談)が、これにも愚痴ひとつ言わなかった。
 マックでは、食べ始めようとしたところへ隣に赤ちゃんを抱いた家族連れが座ったので、すぐに「別の席に行こう」と私に言って、奥の席へと移動していった。実にスムーズでまったく問題なかった。
 さらにその後、私の用事で文具屋に回ったら、昇平は自分で手帳コーナーを眺めて、薄手のスケジュール帳を見つけてきた。「これから、こういうのが欲しくなるよね」と言うので、それも購入した。
 とにかく、いろいろな面で「大人になってきたな」と思わされるような行動が見られた外出だった。高校生になるんだ、という意識が、本人の行動を変えているのだろうな。

 夜には、昇平に頼まれて専用のブログを作った。昇平一人ではまだ管理できないので、私のブログ領域に設置して、一緒に管理しながら覚えてもらうことにした。今はまだ練習段階だけれど、順調に更新できるようになったら、アサクラ・タウンからリンクを貼ってあげることにしよう。

 修理に出していた眼鏡も無料で直ってきた。この件も、これで落着。

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2月6日(日)
 昨日に引き続き落ち着いた一日。
 勉強にはまだ集中できなくて、家庭教師と学習していても心ここにあらずという感じだったらしいが、それでも問題集を1ページ弱進めることができた。少しずつ元気を取り戻してきたから、今度は毎日の学習の習慣を取り戻していかなくてはね。高校で困らないように。
 午後も、本を眺めたりパソコンで絵を描いたりして穏やかに過ごし、とうとう一度もリスペリドンを飲まなかった。夜10時就寝。

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