« 2010年12月 | トップページ | 2011年2月 »

2011年1月

2011年1月31日 (月)

昇平3行日記・18

※全然3行で収まっていない3行日記。


1月24日(月)
 昇平の面接試験の日。朝起きたときから不安がっていたけれど、「心配になりすぎて面接でうまく答えられなくなったらどうしよう、ってお母さんは心配だな」と言うと、「ぼくが何を考えているか、面接が終わってから聞いてね」と言って、その後は心配事を口にしなくなった。

 小雪の降る寒い日。10時20分頃学校へ到着し、前の面接の子が会場の教室から出て行くところを見ながら、待合室に入った。間もなく呼ばれたけれど、昇平は「大丈夫だよ」と言うように、私にうなずいてから一人で会場へ向かっていった。
 面接は先生二人に昇平一人が向き合って、質問に答える形式。後からどんな質問があったか聞いてみたら、家族のこと、学校で得意な教科のこと、苦手な教科のこと、友人のこと、学校で一番印象に残っている出来事のこと……と、ごく一般的な内容の質問をされたらしい。夏休み前からスクールカウンセラーのA先生と面接練習をしてきたし、担任の長谷田先生とも何度も練習してきたので、ほとんど問題なく答えることができた(と昇平は言う)。

 ただ、面接の時間が、私が予想していたよりもずっと長かった。せいぜい15分か長くて20分程度だろうと思っていたら、たっぷり30分近くかかっていて、昇平の集中力が続いているかどうか、すごく心配になってしまった。面接室は待合室の隣なので、昇平の声が聞こえないかと耳を澄ますのだけれど、空調の音が大きくてよくわからない……。(苦笑)
 そのうちに次の面接の子がお母さんと一緒に待合室に入ってきて、昇平も面接室から戻ってきた。「試験の結果は10日くらいでわかるって」と教えてくれてから、明るい顔で「面接は大丈夫だった気がするよ」と言う。どうしてそう思うの? と尋ねると、「先生がすごく優しく聞いてくれたんだ」と答えた。これは説明会の時にも感じていたのだけれど、この学校の先生方は、昇平に対する声のかけ方がすごくうまい。わかりやすく質問してくれるし、昇平の答えもしっかり受け止めてくれるし、昇平に緊張させない楽しい雰囲気も醸し出してくれるから、昇平の方でも気後れすることなく話せたらしい。
 実際、待合室から帰ろうとしたら、試験官の先生の一人がわざわざ廊下に出てきて、「中学校の先生に『試験が無事終わりました』ってちゃんと報告するんだよ」と昇平に声をかけてくださった。この瞬間に、私自身が「なんとしてもこの高校に昇平に通わせたい!」と思ってしまった。昇平に今必要なことを見抜いて教えられる先生のいる高校だ、と。先生は笑顔で昇平を見ていた。昇平を好意的に見てくださっていたのか、それとも幼さにあきれていらしたのか……前者であってほしいと願うのだけれど。

 昇平も言っていたが、曜日の関係で、合否判定の連絡は10日後くらいになるらしい。どうか合格していますように。昇平があの学校に通えるようになりますように。あとはもう祈るしかない。

 マックでお昼を食べ、書店でご褒美に好きな本を1冊買い、2時半頃帰宅。担任の長谷田先生にも、電話で報告することができた。昇平の声が明るかったので、担任も喜んでくださっていた。
 その後も、面接で緊張した疲れや結果に対する心配で、時々不安発作は起こしているが、これは結果がわかるまではしょうがないのかもしれない。発作が起きていないときには、前より明るくなっている。

---------------

1月25日(火)
 受験が終わって、ほっとしたのも束の間、今度は結果が心配で不安定な昇平。以前より不安の回数が増えているし、今までのように、そこから脱出するような思考がなかなかできないでいる。朝は登校時間内に送ったのに、車から降りることができなくて、自分で学校の玄関に入るまでに30分かかった。通りかかった先生が心配して見守ってくださっていたほど。

 学校からは昼休みに電話がかかってきて、1,2校時目は寝てしまい、3校時目は英語をがんばろうとしたけれど難しくてできなくて、4校時目は自習だったのでなんとかできた。給食を食べて、午後の授業に向かうところだ、と言う。どうしてぼくは勉強ががんばれなくなったんだろう、とも言うので、「受験の結果が心配でしょうがなくて不安定になってるんだよ。合格できれば落ち着くからね。今は午後の授業をがんばってらっしゃい」と言うと、「はい」と素直に電話を切った。……落ち着くために母の声を聞きたいだけなんだよね。

 夕方4時頃に下校。ところが、迎えを頼む電話で昇平が泣いている。行ってみると、L子さんとまたトラブルになって、久しぶりに大騒ぎになったのだとわかった。ただ、トラブルの直接の原因はL子さんのほうにあったらしい。彼女も、明日からの試験や受験のことが心配で朝から不安定だったようで、掃除の時間に大声を出してしまって、昇平がパニックを起こして騒ぎになったのだとわかった。この時期は、昇平に限らず、どの子も本当に不安定だ。
 車の中で話し、L子さんの気持ちを昇平に改めて伝えたところ、昇平も反省して、帰宅してからL子さんに電話をかけて仲直りすることができた。

---------------

1月26日(水)
 学年末試験1日目。遅刻ができないので、朝からはっぱをかけて準備をさせた。登校の車の中でも、理科の天体に関する問題を口頭で出題。実際に試験に出てこなくても、そうやって勉強している自分を感じることで、気持ちは落ち着いていくから。ただ、確実に本人が答えられる問題にしなくてはいけないけれど。
 その成果が出たのか、昼過ぎにかかってきたお迎えの電話では、声が明るかった。前回よりは少し手応えがあったのかもしれない。ちょっとホッとした。

 ところが、それから間もなく、今度は担任の長谷田先生から電話。何事かと思ったら、「今、S高校から昇平くんの合格証書が来ました!」。思いがけなく早く、合格の連絡が来たのだ。長谷田先生も少し興奮してらっしゃるようだった。いやぁ……本当に、ほっとしました! 昇平の成績と面接の様子から、きっと大丈夫だろう、とは思っていたけれど、それでもやっぱり心配だった。ああ、よかった。
 お迎えの場所にやってきた昇平は、笑顔だった。車に乗り込んできた彼に「合格おめでとう!」と言うと、「ありがとう」と答えてから、「ついにやりました! ぼくはがんばったよね?」と言ってきた。うん、本当にがんばった。本当に本当に、がんばったよね。おめでとう!
 おじいちゃん、おばあちゃん、お父さん、関東にいる兄ちゃん、郡山の祖父母、ネットで応援してくれていた私の友人、知人、家庭教師の先生……本当にたくさんの人たちが、昇平の合格を祝ってくれた。

 合格証書は校長室で、昇平が校長先生から直々にいただいた。帰宅後は、校長先生から家庭にお祝いの電話もいただいてしまった。昇平に関しては本当にいろいろ気にかけていただいたけれど、こうして努力が実を結ぶことができて、本当に良かったと思う。卒業まであと一ヵ月半。卒業のその日まで、中学校の良い思い出を、ひとつでも多く作ってほしいと願っている。

---------------

1月27日(木)
 合格から一夜明けて、今日は学年末試験の2日目。朝、目覚めた昇平は、やっぱりいつものように嫌なことを思いだしてしまって、リスペリドンを飲んだ。これも、実は予想済み。一番の不安の種だった受験には合格したけれど、だからといって、あれほどの症状が簡単に治まるはずはない。ゆっくりゆっくり、時間をかけながら元気になっていくしかないのだよね。

 ただ、本人の話す内容が確実に前進方向に向き始めている。人の理解、心の理解、人の集団である社会というもの……昇平が向き合うのにとまどっているものは多いけれど、それでも、「○○なんだね」という理解のことばが増えてきた。とても良い兆候に感じられる。あとは、高校生活に向けて自立の力を増やしていくことと、「できる自分」をできるだけたくさん実感することだろう。そのために、そろそろまた、昇平の生活スケジュールを見直してあげなくては。スケジュールがあれば、昇平は自分で自分の生活をこなすことができる。それが、「できる自分」を実感することになるのだから。


---------------

1月28日(金)
 学年末試験も終わったら、昇平はとても元気になってきた。まだ朝と学校と夜寝るときには薬が必要だけれど、嫌なことを思いだしても今までのように長く引きずらなくなったし、不安発作を起こしていないときには、自分から「あれは○○だということなんだよね」と、良い方向で理解・解釈できるようになっている。表情もぐっと明るく柔らかくなってきた。「今日もL子さんがパニックになったんだけど、今日はぼくは平気でいられたよ」とも言っていた。

 夜は8時を過ぎたあたりから「くたびれた」と言い出し、9時半前には布団に入って寝てしまった。全体的な傾向として、通常よりとても疲れやすくなっている。いろいろなプレッシャーや不安に耐えてきて、すっかり疲れてしまったのだろう。ここから先は、エネルギーをチャージして自信を回復していかなくちゃね。

---------------

1月29日(土)
 今日は親の会のお楽しみ会だった。私たちが住む市は社会福祉協議会も保健課もかなり熱心で、私たちの会にもとても力を貸してくださっている。今回は社協が紹介してくれたボランティアさんたちに助けられて、親子でカレーを作り、できあがるまでの時間に別室でゲームをしたり自由遊びをしたり。ボラさんがいると、親は安心してお楽しみ会に集中できるし、新しい関わりも生まれてくる。子どもたちもボラさんたちと一緒に一生懸命調理をしていた。
 会食の後は、各家庭から持ち寄った不要品でビンゴゲーム。ひとしきり盛り上がった後で、また自由遊びをしていると、突然「石や~きいも~」の声と共にトラックでやってきたのは、焼き芋レンジャー「伊達の直人」さん。戦隊ものの赤いスーツで身を包み、私たち全員にアツアツの焼き芋をプ配ってくださった。思いがけないサプライズプレゼントに子どもたちも親も大はしゃぎ。握手をしたり記念撮影をしたり。……実はこの方は、社協のボランティア・コーディネーターさんが引き合わせてくれた焼き芋ボランティアさん。障害児のイベントなどに、こうして焼き芋を届けてくださっているのだという。地域にはこんなにも私たちを力づけてくれる方たちがいるんだ、と実感できて本当に嬉しかった。

 こういう楽しい経験が、親と子の心の中で力になっていくといいなぁ、と本当に思う。回を重ねるごとに子ども同士の関わり方も上手になってきて、喧嘩もなく楽しそうに遊ぶようになったし、親たちも笑顔がとても増えてきた。昇平も最近仲よくなった小学5年生のHちゃんとポケモンの通信などして、楽しそうにしていた。
 これからも、みんなが笑顔でいられますように。もちろん昇平も私も。つくづくそう考える。
 
 夜になって不安定になって薬を飲んだけれど、「嫌なことが浮かんでくるのは、ぼくが今日少し疲れたからだね」と自己解釈することができていた。夜9時過ぎに就寝。

---------------

1月30日(日)
 朝8時起床。実に11時間もぐっすり眠っていた。
 起き抜けの機嫌も悪くなかったので様子を見ていたが、朝食を食べながら「また嫌なことが浮かび始めた」と言いだしたので、薬を飲ませた。
 午前中は家庭教師のH先生と数学。高校には合格したけれど、入学後の勉強がスムーズに行くように、この後も3月いっぱいまで指導をお願いしている。H先生はご自分のブログに昇平が合格したことを書いてくださっていた。普段こうして逐一報告していても、他所の方のブログに昇平のことが書かれていると嬉しい気分になるのは、やっぱり親バカ。(笑)

☆H先生の記事
  ↓
 http://ameblo.jp/katekyo-fukushima/entry-10780356806.html 

 H先生も昇平が穏やかな表情になった、とホッとしてくださっていた。実際、ずいぶん落ち着いてきて、嫌なことを思いだしても以前のように深刻にならなくなってきた。まだ発作のときに薬は飲んでいるけれど、飲めばすぐ落ちつきを取り戻せるので、本人も周囲もずいぶん楽になってきた。

 夜になって、やはりかなり疲れた感じになってきたので、「もう寝よう」と誘って9時半には就寝させた。おかげで私も早寝安眠。

---------------

☆てくてく日記への感想等はこちらへ→ 「療育掲示板」

|

2011年1月24日 (月)

昇平3行日記・17

※全然3行で収まっていない3行日記。


1月17日(月)
 雪の朝。自転車で登校できないので、私の車で送った。朝の不安定を薬で抑え、なんとか気持ちを立て直して学校へ行く、という感じ。それでも、この冬初めてのまともな積雪には喜んで、登校前に私のデジカメで庭の写真など撮っていた。

 11時頃に学校の公衆電話から電話。昇平が「また不安になってきて、自分でリスペリドンを飲んだんだけど、これからどうしたらいいの?」と泣き声で言ってくる。不安で不安でしょうがない状態なのが、声から伝わってきた。様子を聞いてみると、1,2校時目は教室のストーブの前に横になって寝ていた。3校時目は数学だから、教科担当の先生と勉強していたけれど、思うように進まなくなったら不安でしょうがなくなったんだ、と言う。さらに話を聞くと、担任が今日は休みだったこともわかった。「ぼくは誰と願書や作文を書けばいいの?」とも泣きながら訴える。週末、受験を不安がる昇平に、私は「学校で願書と作文をしっかり書ければ大丈夫だよ」と言っていたのだけれど、思いがけず担任が休みだったので、「作文が書けない=受験できないのでは」と不安になり、さらに数学で思うように理解できなくなって「勉強ができない=合格できない」と心配になって、不安発作を起こしたようだった。

 薬は飲んでいるので、「少し静かにしていれば効いてくるよ」と言いながら、電話口で一つずつ不安に対応していった。願書も作文も、担任の先生が学校にいらしてから書くので充分間に合うよ、まだまだ時間はあるんだからね。数学や他の勉強がわからなくても、それも大丈夫。受験に必要な内申書は、2学期の期末試験までの成績だから、もう関係ないんだよ。大丈夫。君の受ける高校は、君の成績と普段の生活態度ならば、必ず受かるところだからね……。こんな話をすると、ようやく昇平も落ちついてきた。ただ、不安は強いけれど、昇平自身も原因が受験だと意識するようになってきたので、対応は少し楽になってきた。
 学校が終わって迎えに行った車の中で、その後どうしたのか聞いてみたら、4校時目は体育だったので、昇平が提案して支援学級の皆で学校前の雪かきをしたらしい。「L子さんは機嫌が悪かったんだけど、雪かきと聞いたら機嫌が直ったんだよ」とも教えてくれた。雪かきがいい気分転換になったのだろう。その後は落ちついて過ごせました、と連絡帳には書かれていた。

 義母は骨折した右肩の固定がようやく外れた。丸2ヶ月、ずっと片腕の生活だったから大変だったけれど、回復できて、本当によかった。あと10日ほどリハビリに通えば、後は生活の中で自然にリハビリすることになるらしい。

---------------

1月18日(火)
 朝起き抜けにまずリスペリドンを頓服。いつものように「子どもたちはどうして……」とネットの書き込みの心配が始まるが、私が洗濯物を干している間に落ちついて、あとは順調に朝の支度ができた。まだ雪道なので車で送り、8時少し前に学校に到着。不安はつきまっているが、がんばって登校していった。

 そして、今日も11時過ぎに学校から電話。担任が今日も休みのこと、1校時目の理科も、その後の時間も寝てしまったこと、4校時目は技術なのでこれから特別教室に移動するところであることを報告してきた。やっぱり不安が強くて、寝ることで不安から逃避している感じがする。でも、それは自分の心を守るための防衛機能なのだろうから、「寝るんじゃないよ」とは言えなかった。「しっかり寝て元気になっただろうから、この後の授業をしっかり受けてね」と言うと、「はい」と言って電話を切った。

 帰宅後も不安定の波は続いていて、「心配になって来ちゃったから」と、夜は10時前に布団に入って寝てしまった。

---------------

1月19日(水)
 今日は担任の長谷田先生が出てこられた。ご家族の具合が悪かったらしい。先生もご家庭を抱えて大変なのだよね。そんな中、受験生が二人もいる特別支援教室の担任をしているのだから、本当に本当に大変だろうと思う。

 今日は昇平は電話をかけてこなかった。やはり午前中は眠くてしかたないようだが、願書の清書や作文の下書きはできたらしい。「今日は電話をかけないで、必死で自分の不安と戦ってたよ」と言いながら下校してきて、、その後は昨日よりは落ち着いて過ごしていた。
 それでも、夜一人で寝ようとすると、不安が湧き起こってくるようで、11時15分頃、眠れないと声をかけてきた。薬を頓服して、私が部屋に寝に行って、ようやく寝付くことができた。昼も夜も、不安と戦っているんだね。

 故障していた私のノートパソコンが、やっと修理から戻ってきた。

---------------

1月20日(木)
 毎日寒くて雪が降る。路面が凍結していて危険なので、私が車で送迎しているが、おかげで大幅遅刻にはならずにすんでいる。

 今日は朝9時過ぎに公衆電話から電話をかけてきた。「昔の自分はひどいことを他人に言う、とんでもないヤツだったと落ち込んでいたんだ」と言う。朝、あまり他の子どもを非難するようなことを言うので、以前は君もそうだったよね、という話をしたせい。「うん、でもね、今は君はそうじゃないよね。それは成長であって、本当に素晴らしいことなんだよ。大人になったよね。だから、自分に自信を持っていいんだよ」と話すと、声が明るくなって、「つらかったけど、1校時目の体育にも出たんだよ」と教えてくれた。
 どうやら薬を服用せずに不安発作の危険を乗りきり、また授業に戻っていった。

 帰宅後に連絡帳をみると、願書と共に提出する作文も完成し、授業も大好きな美術がある日だったので、とても楽しそうに受けていたらしい。家でも今日は落ち着いていて、明るい表情で過ごしていた。ただ、一人で寝るのはまだ不安なようで、私と一緒に10時半過ぎに就寝した。

---------------

1月21日(金)
 案の定だけれど、願書と作文を完成させてから、昇平はやはり落ち着いてきた。嫌な記憶は相変わらず発作的に浮かんでくるけれど、それを自力で整理できるようになってきた。表情もぐっと明るく柔らかい感じになった。本当にプレッシャーだったんだね。
 今朝も雪が積もっていたので、私が車で学校へ送ったが、一日学校から電話もかかってこなかった。

 通院日だけれど、この時期にまた不安定になるのは困るので、昇平は連れていかずに私だけで病院へ行った。報告と、今までと同じ薬の処方。主治医からは「お母さんも大変ですよね」とねぎらっていただいたけれど、昇平の状態に関しては「自閉のこだわりだからしょうがない」と考えてらっしゃるのが伝わってきて、なんとももどかしい気がした。確かにこだわりではあるのだけれど、どう見てもそれが起きているときの様子は「発作」で、病的に感じられるのに。まあ、処方していただいている薬は本人に合っているし、発作もかなり上手に回避できるようになってきたから、結果的にはOKだし、受験が終われば落ち着くだろう、という見解も一致しているから、良いのだけれどね。
 正午に病院から帰宅。疲れて昼食後に1時間以上寝てしまった。

 昇平は帰宅後もまあまあ元気。時々思い出したように急に不安になるけれど、ひどくなる前に「あっ、また発作が起きていた」と言って、自分で薬を飲んでいた。11月に母子で大パニックになったことが本当にショックだったので、またあんなふうにならないように、と必死で自己コントロールしている。時々、「ぼくは、ぼくからお母さんを守っているんだよ」とも言う。「ぼくがパニックになるとお母さんがおかしくなるから」と。人を思いやれる人間に育ってきた気がする。

 ところで、昇平が美術の時間に作った作品が地区の造形展で入選して、今日の全校集会では昇平が代表で表彰披露をしたらしい。日曜日に私たちも展覧会を見てきたけれど、パンジーの花のステンシル画で、とても綺麗に描けていた。会場の目立つところに飾ってあったので、それだけでも嬉しかったのだけれど、さらに嬉しいおまけがついた。
 他のことはともかく、絵を描くことは好きで得意に思っているから、それが何かの形で将来につながっていくと良いなぁ。

 明日の願書提出が心配になったのか、夜はなかなか寝付けなくて、11時過ぎに私と一緒に就寝した。

---------------

1月22日(土)
 昇平が受験する高校は、本人が願書を提出することになっているので、電車に乗って昇平と福島へ行った。願書を出すだけのつもりが、11時からちょうど高校説明会をするというので、それにも急きょ参加してきた。すっかりこの高校に決めていたものだから、説明会の情報等を集めていなかったのだ。偶然だったけれど、実にタイミングが良かった。実際の学校生活のDVDやスライドなどもあり、高校就学支援金の話なども聞けて、とても役に立った。昇平も(長い話には少し飽きていたけれど)実際の学校生活がいくらかイメージできたようで、「やっぱりぼくに合っている学校みたいだ」と何度も言っていた。

 この高校は、通信制の学校だけれど同時に単位制で、登校日数の多いことが特徴。スクーリングは普通高校の授業よりずっと少ないけれど、本人にその気があれば毎日でも登校できて、授業を受けたり、授業のない先生に教えてもらってレポートを仕上げたりすることができる。夏に私が見学に行ったときにも、職員室に何人も生徒の子どもたちが入り込んで、あちこちで先生方に勉強を教えてもらっていたし、進路相談にも乗ってもらっていた。不登校経験者や発達障害を持つ子などの個性的な子どもたちを受け入れて、柔軟に対応している学校なんだ、ということを、説明会で改めて確認できた。。
 見た目や形じゃないんだよね。本当に欲しいのは、子どもたちの特徴を知った上で、その気持ちに応えてもらうことなのだもの。昇平は勉強をする意欲はとてもある。学校へ通い続ける意志も強い。ただ、普通の高校では自分は勉強がわからないし、朝から夕方まできっちり決まった学校のスケジュールに合わせて生活することもとても無理だとわかっている。それに対してを「君のペースに合わせていいよ」と言ってくれる学校が身近にあったことに、本当に感謝したい気持ちになった。

 とはいえ、試験に合格しなければ、昇平はこの高校の生徒にはなれない。試験は面接のみだけれど、月曜日の午前中と決まった。もう明後日の話。予想よりずっと早くて昇平も私も驚いたけれど、金曜日に担任と面接練習をして「とても良くできているから、本番では練習の通りにすれば大丈夫だよ」と誉められたばかりだったので、「(早くても)ぼくは絶対大丈夫だよ」と自信のあることばを繰り返していた。これも良いタイミングだったと思う。
 説明会の後、個人的に学校について質問もしたのだけれど、昇平が高校の先生方に「ありがとうございます」「はい、わかりました」などときちんと受け答えをするので、先生方から「礼儀正しいね」と誉めていただいた。最後に先生から「さようなら」と言われたときに、うなずいただけでことばが出なかったけれど、すぐに反省して、教室を出るときには「それでは失礼します」と言えたので挽回。母は、ちょっとヒヤヒヤだったけれど、この感じならば面接もきっと大丈夫だろうと思う。……きっと、たぶん……(でも、とてもドキドキ)。

 その後、福島駅ビルで昼食を取り、ゲーセンや本屋を巡って3時過ぎに帰宅した。

---------------

1月23日(日)
 朝8時に起床して、「ポケモン」のアニメを観て、10時からは家庭教師と数学の勉強。
 パニックを起こすことはないが、さすがに明日に試験を控えて、また不安が強くなっている。時折「大丈夫かな」と口に出すし、家庭教師のH先生も「勉強はちゃんとやってましたが、心ここにあらずという感じでしたね」とおっしゃっていた。

 「ポケモンBW」の人気をずっと気にしていたわけだが、それがちゃんと人気だとわかって納得してからは、不安はもっぱら「ネットで喧嘩をする子どもたちは、どうしてあんなひどいことを言うんだろうか? あの子たちの将来は大丈夫だろうか?」に変わっている。何度納得しても、またそれが戻ってくる。あるいは、すぐに別の内容の心配に移っていく。心配するために心配をしているような印象。そこで「それは本当の心配が別のところにあるからなんだよ。受験が心配でしょうがないから、次々に嫌なことが浮かんできたり、不安になってきちゃったりするんだよ」とはっきり話すと、本人もなるほどと思ったようで、不安発作が起きてくると薬を飲んで、どうにかやり過ごしていた。
 夕方になって、たった一度だけ「ぼく、高校に合格できるよね?」と言った。「子どもたちは大丈夫かな?」はどこか決まりことば的な空虚な感じがするのに、この「高校に合格できるよね?」には実感がこもっていた。本当に心配なのはそれ。でも、その不安と向き合い続けると心がつぶれてしまいそうだから、無意識のうちに別の不安を引っ張り出して、自分を守ろうとしている。……人の心っていうのは、本当に不思議だよね。

 面接試験は明日の午前10時半から。家族も一緒と聞いていたけれど、今年は本人だけが試験官の先生二人と面談するらしい。それでも「大丈夫だよ」と昇平は言う。心配と自信、期待と不安。強い感情の間で揺れる昇平の心。でも、それは、表出の仕方に違いはあっても、この時期の受験生ならば誰もが経験していることなんだよね。
 がんばれ、昇平。今も本当にがんばっているけれど、もうひとがんばり。明日の面接試験で今までの練習の成果を発揮しておいで。

 夜は私と一緒に11時前に就寝した。

---------------


☆てくてく日記への感想等はこちらへ→ 「療育掲示板」

|

2011年1月17日 (月)

昇平3行日記・16

※全然3行で収まっていない3行日記。


1月10日(月)
 冬休み最終日なので、今日は家庭学習は無しにして、一緒に福島まで出かけた。切符を買って電車に乗ることにもずいぶん慣れて、自分でも「大丈夫かもしれない」と自信をつけていた。
 福島では、いつものようにまず志望する高校まで歩き、その後、駅ビルで買い物してから、イタリアンレストランで昼食。混雑していてデザートが来るのが遅くなったけれど、その間昇平は携帯ゲームをしていて全然焦らなかったので、こちらものんびりした時間が過ごせた。その後はいつものように、昇平はゲーセン、私は本屋さんへ。いい本が2冊も見つかって嬉しかった。マク○ナルドで休憩し、旦那への土産に期間限定販売のハンバーガーを買って帰路についた。

 行き帰りの電車や車の中やハンバーガーショップで、昇平は幾度となくネットのコメントの意味について分析・確認していた。とうとうたどりついた答えが、「ぼくがショックを受けたようなことばの数々は、ネット方言なんだ!」ということ。コメントした人の本当に言いたいことは別にあるのに、それがうまく表現できなかったり、わざと違う言い方をしたりするから、それが誤解やトラブルを招いているんだよね、ということを言ってきた。「そう、そうなんだよ! まったくそのとおりなんだよ!」と思い切り賛同してしまった。
 ネット方言、というのは、実態を非常によく言い表していると思う。イメージ先行かつ短い言葉でやりとりされることが多いネット界では、子どもたちを中心に、独特なことばとやりとりのしかたを生んでいる。それはまさしく「方言」だろうと思う。「方言だから、普通の言い方に翻訳するといいんだよね」という話もした。実際、ショックを受けたやりとりも、「翻訳」すると理解できるし、受け入れやすくなる。この形で整理と理解(受容)が進むといいな、と思った。

 ただ、これも自分の中の不安が高まると、やっぱりうまく思い出せなくなってしまう。夕方にはまた不安発作が起きてきて、「あのやりとりは……」とネガティブな発言が始まり、薬を頓服して落ちついた。これは母の直感なのだけれど、昇平にひどい不安発作を起こさせないことも、治っていくための大事なポイントのような気がしている。

---------------

1月11日(火)
 冬休みが終わって、いよいよ3学期開始。昇平は、昨夜寝るときから「学校へ行きたくないな」と言い出し、薬を飲んで寝たので、案の定、起きてきても早々に不安定になって落ち込んでしまった。不安発作も起こしたが、リスペリドンを服用して間もなく落ちつき、学校へ行くことができた。非常に寒い朝。その中を自転車を漕いで登校していった昇平は、本当に偉いと思う。
 始業式と清掃の後でワーク中心の勉強が2時間あって、帰宅は3時頃。予想よりずっと元気そうな様子で帰ってきたので、ほっとした。担任は今日はお休みだったらしい。志望校の願書提出が今月いっぱいなので、連絡帳で手続きのしかたを尋ね、決定次第知らせてくれるようにお願いした。

 その後、家では元気にすごしていたが、夕方と夜寝るときに、やはりまた不安発作が起きたので、リスペリドンを頓服。学校が始まれば回数が増えるとは思っていた。一日4回までなら大丈夫、と主治医に言われているので、その範囲内ではある。ただ、ひどくならないうちに薬を飲んでいるので、混乱が徐々に整理されてきて、発作程度や不安内容はずいぶん軽くなってきている。理解が進むように、毎日折にふれて話し合いを続けているけれど、これは一種の認知療法なのかもしれない。
 10時過ぎに、私と一緒に就寝。

---------------

1月12日(水)
 今朝も起きたときから不安定。納得したはずの「ポケモンBW」の人気をしきりに気にしていた。薬を飲ませようとするのだけれど、朝一番で測定する体重に影響するから測定後に飲む、と言い張って、さらに不安定になっていくので、薬と水の重さを測定値から引くから大丈夫だよ、と言って飲ませた。
 Wii-fit は体重の測定と管理が簡単だし、運動量の目安もわかりやすくて優れものなのだけれど、朝の測定で100gでも増えていると、ショックを受けて「なんでだ!?」と怒るようになってきたので、当分測定は休むことにした。Wii-fitを始めて半年経ったけれど、2kg以上痩せて標準体重内になっているし、体も引き締まったので、当初の目的は達成している。今後は、食べ過ぎないことと、運動量に気を配っていれば大丈夫だろう。
 その後も不安定は続き、ポケモンの人気を気にし続ける。「ポケモンは大丈夫だよね?」と繰り返して聞いてくることばが、「ぼくは大丈夫だよね?」と言っているようにも聞こえる。本当の不安は無意識の中にある。自分自身への不安。受験への不安。「大丈夫だよ、絶対大丈夫だよ」と繰り返し答えてもらうことで、かろうじて耐えているいるのだろう。それでも「自分で自転車で登校する」と言って、30分遅れで登校していった。

---------------

1月12日(つづき)
 午後1時半頃、どれちょっと昼寝でも……と思ったところへ、昇平から電話がかかってきた。テレホンカードを忘れて10円玉でかけてきたので詳しい話がわからず、「とにかく学校に来て」と言われる。急いで飛んでいくと、昇平は多目的教室で、L子さんは自分の教室で、それぞれの先生方に付き添われていた。昼休みにゲームの話をしていて大喧嘩になり、昇平はかなり興奮し、L子さんも意地になったのだという。「お母さんに何をしてほしくて呼んだの?」と昇平に聞くと、「L子さんの話がぼくでは理解できないから、代わりにお母さんが聞いてちょうだい」と答えたので、L子さんのそばに座って、じっくり話を聞いた。話がしょっちゅう脱線するので15分以上かかったけれど、結局、昇平との間で貸し借りしていた「ポケモン」のモンスターを、「冬休み明けまでの約束だったからもう返して」「まだ敵に勝てないから返せない」というやりとりになって喧嘩が起きたのだとわかった。モンスターを貸したのは昇平、借りていたのはL子さん。しっかり話を聞いた上で、「それは急ぎすぎたせいだから、もう少しモンスターを育てれば、ちゃんとL子さんも自分の力で敵に勝てるようになるよ」と話をしたら、L子さんもようやく納得して昇平と仲直りし、今度の土曜日にうちに遊びに来たときに昇平のモンスターを返すことになった。その後は2人ともとても楽しそうな様子になり、ポケモンの話で意気投合していた。やれやれ。(苦笑)

 まあ、はっきり言って小学校低学年レベルの喧嘩で、「これで中学生か」と言いたくなるような内容のことなのだけれど、当人たちはいたって大真面目。そう、しかたないのだよね。この子たちはどちらも社会性の発達がゆっくりだから、小学生時代にはそういう喧嘩ができなくて、今ようやく、それができるまでに発達してきたのだから。この発達段階を飛ばして、中学生レベルや、大人のレベルの社会性は身につけられない。そう考えれば、「よくぞ、こんな喧嘩ができるまでに育ちました!」と、2人を誉めてあげたい気持ちにさえなる。
 特別支援教室は、そういう、彼らに合った人との関わりを覚えるための場所でもある。喧嘩することは悪くはない。ただ、本人たちの話をしっかり聞いて受け止めて、整理してあげて、解決のための方向性を示してあげることが、関わる大人たちの役目なのだよね。
 とはいえ、そのために私を学校へ呼びつけたことは昇平も反省したようで、「卑怯な手を使ってごめんなさい」と謝ってきた。卑怯と言うほど卑怯ではなかったけれど、「学校での喧嘩は、基本的に学校の中で、先生たちの手を借りて解決するものなんだよ」と言い聞かせた。そうでないと、喧嘩のたびに呼び出されてしまいそうだから。

 L子さんとのトラブルが解決できて、昇平はとても元気に帰宅。その後も調子よく過ごしていたが、夜寝る頃になってまた不安発作を起こした。高校受験の願書の下書きして、また心配になったらしい。納得したはずの疑問や不安がまた復活してきたので、リスペリドンを服用して、11時頃に就寝した。

---------------

1月13日(木)
 昨夜に引き続き、朝起きてからも不安定。でも、起き抜けにリスペリドンを服用したので、どうにか動けた。
 調子が悪いときには車で送ると言ってあったのだけれど、今日は私が親の会の支部例会なので、「できれば自転車で言ってもらえると、お母さんはありがたいのだけれど」と言うと、「じゃあ、自分で行く」と自転車で登校していった。それも、今日は実力テストがあるので、1校時開始時間に間に合うように行くことができた。本当はとてもしんどいのに、母のためにがんばってくれた。優しい昇平だ。

 支部例会は、月末にあるお楽しみ会の打ち合わせと茶話会。しばらく報告がなかったメンバーの話に耳を傾け、悩みを分かち合ったり、がんばったことを皆で誉めたり喜んだり。うちの会は皆仲が良くて雰囲気がいいから、例会に出るたびに元気になって帰って行ける。私自身はお世話係だから、ここで自分の悩みを話せることは少ないけれど、それでも、がんばっている仲間の話を聞くだけで元気が出てくる。大変なのは自分たちだけじゃない。そう思えるから。

 昇平の実力テストの結果は良くなかったらしい。さもありなん。「でも、がんばったんだよ」と言う昇平に、「うん。それに結果は気にしなくていいよ。あれは五教科で受験する人たちが、希望の高校に入れるかどうかをチェックするためのテストで、昇平くんには直接関係ないんだから」と話すと、ほっとしたような顔をしていた。その後は元気になって、夜寝るまで落ちついて過ごし、寝る間際に不安になってきたのでまた薬を飲んで、10時半頃私と一緒に就寝した。

---------------

1月14日(金)
 相変わらず朝には不安定になるけれど、起きてすぐ薬を飲むようにしたので、以前より登校は早くなってきて、今朝は7時50分に家を出た。学校には8時20分頃に着いただろう。
 学校では特にトラブルもなく、落ちついて過ごしていたらしい。ただ、私は家の電話が鳴るたびに、昇平からでは!? と緊張していた。今日は特に電話の多い日だったので、一日に何度も飛び上がってしまった。

 帰宅後は、週末だというので、ずいぶん落ちついていた。学年末テストの範囲が発表になって、「おうちで学習計画を立ててください」と担任から連絡帳に書かれてきたけれど、今回はどうしようかなぁ、という感じ。調子の悪い昇平を、家庭の中でも叱咤激励するのはどうかと思うし、「努力しても点数に結びつかない」という挫折感を味わうことは、もうさせたくない。中学校最後のテストではあるけれど、適当に流すしかないのかもしれない。

 夕方、いつものようにまた不安定になってきたけれど、自分で薬を飲んで、ひどくなる前に落ちつくことができた。その後、夜はゲーム「ポケモンブラック」の最終決戦。戦い方が非常に上手で、見事ラスボスまで倒してゲームクリア。ゲームそのものは引き続き楽しめるようになっているけれど、ストーリーのほうは完結した。私もずっと見せてもらっていたけれど、今回のポケモンはストーリーが非常にいいし音楽もいい。よく考えて作ってあるなぁ、と大人の目から見ても感心させられた。それなのに、どうしてネットではあんなバッシング的な風評が起きたんだろう? 不思議だ。
 昇平は、とても機嫌が良くなり、夜も薬なしで一人で眠ることができた。

---------------

1月15日(土)
 昇平はたっぷり眠って、朝9時半頃起床。落ちついて午前中を過ごし、午後は遊びに来たL子さんと楽しい時間を過ごしていた。L子さんに貸していたモンスターも、無事昇平の手元に戻ってきた。
 今回は、ポケモンの対戦だけでなく、正月に買った「毛糸のカービィ」で二人プレイにも挑戦していた。今まで対戦はしても、「協力して戦う」ということはやったことがなかった二人。最初はなかなか思うようにできなかったけれど、そのうちにけっこう連携も上手になっていった。
 夕方5時近くまで遊んでいたが、帰る頃になって、L子さんが隣室の私のところへ来て「なんだか疲れちゃった」と言ってきた。L子さんが帰ってからは、昇平も私に「今日は疲れたなぁ」と言う。二人とも、「協力して同じことをする」という初めての体験に、すっかりくたびれてしまったらしい。でも、とても良い経験ができたと思うよ、と言うと、昇平は嬉しそうだった。

 夜になって、昇平は非常に不安定。リスペリドンを夕食前と9時頃に服用して、それでも寝る前にまた不安定になった。疲れたためか、L子さんと遊び終わって現実に返り、迫ってくる受験を思いだしてしまったためか。さすがに、三度目の薬は飲まないと言って、がんばって自力で眠った。

---------------

1月16日(日)
 今日は朝から不安定続き。それでも、午前中はアニメを見て、家庭教師と勉強をがんばっていた。本当にひどかったときと比べれば、だいぶ症状が軽くなっている気がする。
 旦那は今日は半ドンで、昼には帰ってきたので、一緒に外食と買い物に行った。そのこと自体は昇平も楽しんでいた。

 ただ、とにかく折にふれ不安になるようで、それも、何ヶ月も前に自分なりに納得して解決したはずのことを、また思いだしてゴチャゴチャと言う。やっぱり、「不安」の感情が根底にあって、それがいろいろな不安の記憶を引っ張り出してくるのだろう。来週は願書と作文を学校で仕上げて、週末には高校へ提出に行く。いよいよ受験が始まるので、とても不安でいるのだと思う。不安な記憶を口にしては、「大丈夫だよね?」「ぼくも大丈夫だよね?」と何度も言う。うん、大丈夫だよ、と言ってあげると、それで少し安心するけれど、外出先でも私から離れようとはしなかった。
 昇平の試験は2月前半の予定。来月中には発表がある。あと少し。本当にあともう少しだ。だから……がんばろうね、昇平。

---------------


☆てくてく日記への感想等はこちらへ→ 「療育掲示板」

|

2011年1月10日 (月)

昇平3行日記・15

※全然3行で収まっていない3行日記。


1月2日(日)
 前回の日記にうっかり日曜日を載せ忘れたので、今回の日記に収録。

 郡山市内の私の実家に帰省中。昨夜は私の妹弟一家も全員集合して、とてもにぎやかだったけれど、旦那は早朝に実家から出勤、他の人たちもそれぞれに自分の家へ戻り、昼過ぎには兄ちゃんも自分のアパートへ帰っていったので、実家は急に静かになってしまった。「なんだか淋しいね」と昇平はしきりに言っていたが、お年玉で「毛糸のカービィ」の中古ソフトを買って、それに夢中になった。
 全体的に落ちついているが、ときどき急に不安になるようで、ネットに書き込まれていた悪口や、それを書いた子どもたちのことをしきりに気にしていた。ポケモンの人気についての不安はだいぶおさまったけれど、不安は姿を変え、形を変えて、ずっと昇平につきまとっている。高校に合格して、安心したら、落ちつくといいなぁ……。

---------------

1月3日(月)
 私は急に入った仕事のために一日実家で仕事。昇平はずっと「毛糸のカービィ」をやっていて、一日半でクリアしてしまった。ほのぼのした感じのアクション系のゲームなので、今の昇平にはちょうどよかったらしい。

 夕方、仕事の後で迎えに来てくれた旦那の車で帰宅。自分の家に帰ってきて、昇平はとても落ちついた感じだったが、夜寝る直前になって、いきなりまた不安定になった。起き抜けにと寝る直前に不安定になるのが、最近のパターン。起き抜けに落ち込むのは、鬱病の人が朝に落ち込むのに似ているかも。夜寝る直前のは、昼間の疲れが出るのか、やることがなくなって不安を思い出すのか、一人で寝るのが怖いのか。こちらは急激に、かなり強く不安定になるので、服薬が必要になる。この日は、リスペリドンを飲ませて、私の方が先に布団に入ったら、間もなく落ちつきを取り戻して寝に来た。10時半就寝。

---------------

1月4日(火)
 特に予定のない日。疲れていたのだろう。昇平は10時過ぎまで寝ていた。午後、私と理科のチャレンジを一単元勉強して、今日の家庭学習はおしまい。毎日勉強がとても少ないので、「大丈夫かなぁ」と昇平が心配する。今は休んで元気になる方が先だからね、と話をした。一日ゲームをしたりパソコンを見たりお絵かきをしたり。落ちついてはいたけれど、元気もなくて、やたらと「疲れた」を連発。夜10時頃にまたかなり不安定になって服薬した。

 ただ、今日になって、嫌な考えが頭に浮かんできてしまったり、それに対して自分が混乱してしまうことに、「病気の発作みたいだ」と言い出した。「そうだよ、一種の発作だよ」と答えると、少し安心した様子。しばらく前から「ぼくの頭はどうしちゃったんだろう」「ぼくは大丈夫なのかな」と心配していたから、ネガティブな思考に繰り返しおちいるのが、自分でも不安でしかたなかったのだろう。
 自分自身の認識。今の状態はとても辛いけれど、その中からも、昇平は自分を学び続けている。

---------------

1月5日(水)
 今日は昇平が楽しみにしていたフリースクールのある日。8時過ぎに起こしたが、今朝は落ち込むことがほとんどなかった。ゲーム関係の機械やソフトを山のように抱えて10時にスクールへ。着いてすぐ、さっさと今日の勉強を終わらせて、後はスクールのお友だちや先生と楽しくゲームをしたり、おしゃべりをしたりしていたらしい。2時半に迎えに行ったら、見違えるように良い表情になっていた。

 ポケモンの人気への不安は、掲示板等でたくさんの方から「面白いよ、うちの子もやっているよ」というメッセージをいただき、イラスト投稿サイトで新作ポケモンのイラストが毎日たくさん投稿されているのを見つけて、やっと安心できるようになったらしい。不安の対象は、ネットでの誹謗中傷と、それを書いていた子どもたちのことに限定されるようになってきた。
 そして、それを「病気の発作」と認識したら、少し楽になってきた様子。「いつも寝る前に発作が起きるみたいだから、発作が起きてきたようだな、と思ったら自分で薬を飲みなさいね」と話しておいたら、夜9時半過ぎにちゃんと自分で飲んだ。おかげで今夜は強い不安発作はなし。11時頃に就寝。夜の不安発作がなかったのは、本当に久しぶりだった。

---------------

1月6日(木)
 今日もフリースクール利用日。フリースクールがある日は、朝起きたときに落ち込まない。元気に出かけていって、またさっさと勉強をすませ、先生や友達とゲームをしたりして、楽しく過ごしてきた。フリースクールから帰ってくる時には、本当に良い表情になっているので、こちらもほっとする。
 その後も落ちついて過ごしていたが、夕食を食べ終わったところで、また不安発作が起き始める。「発作が起きてきたようだから、薬を飲んだ方がいいんじゃないの?」と声をかけると、承知して2階へ上がり、自分でリスペリドンを飲んだ。10分くらいして様子を見に行ったら、すっかり落ちついていた。

---------------

1月7日(金)
 朝9時半に起床。起きたときから不安定で、すぐにリスペリドンを服用した。
 午前中は病院へ。冬休みになっての状態を本人と私から報告したけれど、「その後調子はどうですか?」と聞かれると「良くありません」と昇平。実際、発作が起きるほどではないけれど、全体的に元気がなかった。薬は今まで通り。主治医からは「普通ならば思いだしてもすぐ切り替えられることが、自閉のこだわりから、やり過ごせないのでしょう。少しずついくしかないですね」と言われた。その通りではあるのだけれど、どうも、希望というか、子育ての力が湧いてこない受診だった。

 午後から一緒に理科の勉強。その後、パソコンでアニメの予告編を見た昇平が、予告内容に不安になってパニックを起こし始めた。私もまたぶち切れ。ただ、今回は私も昇平もすぐ落ちつくことができた。昇平の方で、「ぼくの不安定にお母さんを巻き込んでしまった」と言い出し、自分をコントロールしなくてはならない、と改めて思ってくれたから。その後は、薬を飲まなくてもずっと落ちついていた。
 私はとにかく疲労困憊。夕飯の後で1時間以上眠り、旦那が帰宅して夕食を出した後、10時前に就寝した。昇平は10時半過ぎに寝たらしい。

---------------

1月8日(土)
 昨日私がまた切れたことで、昇平は「自分がしっかりしなくては」とつくづく思ったらしい。朝からかなり落ちついていて、昨日のことも「お母さんもぼくも疲れていたんだよね」「昨日のことも、いい勉強になったんだから、決して悪いことじゃないんだよね」と前向きに考えるようになっていた。
 午前中、精米に行くのに、30Kgの米袋を私の代わりに運んで手伝ってくれた。昼直前になって、急に不安発作が起きたようだが、「不安定になってきたから、薬を飲んでいいね?」と自分から言ってリスペリドンを飲み、昼食には落ちついて階下に降りてきた。午後は今日も理科の天体の勉強。月の満ち欠けや日食月食のところだったが、楽しく理解することができた。
 その後も、時折不安発作には襲われていたが、自分自身でやり過ごして、夜まで落ちついて過ごしていた。10時半就寝。ただ、私は昨日に続いてかなり疲れていたので、9時過ぎには寝てしまった。

---------------

1月9日(日)
 アニメ「ポケモン」を見るので、朝8時起床。不安定だったので、Wii-fitで体重測定をした後、リスペリドンを服用した。本格的な不安発作を起こす前に服薬すると、気持ちはすぐ安定するようで、その後は普通に朝食を食べ、私と一緒に楽しくアニメを見た。
 10時から11時までは家庭教師と数学の勉強。相似を終えて、三平方の定理に入った。H先生いわく、「少し疲れているようでしたが、落ちついて一生懸命取り組んでいましたよ。問題もずいぶん進みました」。休憩時間にはアニメの話も先生に聞かせていたようで、計算用紙の隅っこに今日のポケモンの絵が描いてあったり……。楽しく勉強できたようで、本当に良かった。
 ただ、勉強が終わると疲れが出たのか、「また不安になってきたから、もう一度薬を飲むね」と言ってきた。主治医からも、昇平の体格なら一日に4回まで服用して良いと言われていたので、OKを出した。昇平はその後、自転車で買い物へ。帰宅後も、午後も、ずっと安定した状態が続いていた。

 ところが、自分でもう大丈夫と思ってしまったのか、夕方、動画のコメント表示をオンにして、そこに書かれたコメントにまた大ショックを受けてしまった。私のところに飛んできたので、「今の精神状態はコメントに書かれたことに耐えられないのだから、コメント表示はオフにするか、動画は見に行かないように」という約束を再確認したのだけれど、その後、好奇心でもう一度コメントを見てしまって、決定的な打撃。夕食時にはぼろぼろ泣き出して、食事を後回しにして落ちつかせなくてはならなかった。
 確かにコメントの内容は心ない、非常にきついことが書かれていて、昇平でなくても読んで不愉快になるような内容だったけれど、今回のことは、警告や約束を無視して昇平がコメント表示をオンにしたのが原因だから、「それはしかたがないよ。痛い勉強になったね」という話をした。本人も、今度こそ骨身に染みて納得したらしい。またリスペリドンを服用しなくてはならなかったけれど、コメントの内容(書き込みした人が本当に言いたかったこと)をわかりやすく説明するなどしたら、間もなく落ちつくことができた。不安定になれば、今日のこともまたフラッシュバックしてくるのだろうけれど。
 ただ、やはり、自分で不安の種を作っている様子は見える。当人は無意識だけれど、本当の不安から気持ちを逸らすために、別なことに不安になっているような印象がある。やっぱり、高校に合格して、中学卒業するまでは、完全には落ちつかないのかもしれない。
 夜10時20分頃、私と一緒に就寝。もう一度、今日のことを整理して、明日は冬休み最後の日だから、福島に遊びに行こうね、という話をして眠った。

---------------

☆てくてく日記への感想等はこちらへ→ 「療育掲示板」

|

2011年1月 4日 (火)

昇平3行日記・14

※全然3行で収まっていない3行日記。


12月27日(月)
 今日は昇平が待ちに待っていたフリースクールへ行く日。昨夜はかなり不安定だったが、朝になったら「今日は気持ちいいなー」と言って起きてきた。嫌なこともほとんど思い出さなかったので、リスペリドンは服用せず、私の車で10時にフリースクールへ。行ってみたら、今日の利用者は大半が『とーます!』(我が家が所属している福島AD/HD親の会)の子どもたちだった。交流会やフリースクールで何度も顔を合わせている子どもたちなので、一緒にゲームをしたりして、とても楽しく過ごしたらしい。2時半に迎えに行ったら、全員がとても良い顔をしていた。昇平も満足した表情で、「また遊ぼうね」と友だちに言っていた

 その後、私と昇平は病院に回ってインフルエンザの予防接種。なんとか年内に受けられた。
 そして、予想通り夕方から昇平は疲れが出て不安定に。リスペリドン1mlを服用し、私としばらく話して、ようやく落ちついたが、その後も不安は続いていたようで、11時頃にやっと就寝した。
 明日は通院日。不安定の波がかなりはっきり見えるようになったので、いちばん良い薬の使い方を相談しなくては。

---------------

12月28日(火)
 午前中、病院へ。待合室に小さな子や赤ちゃんを連れたお母さんがいたので、昇平は自分から「車で待ってる」とキーを持って戻っていった。
 昇平の状態を聞いて、主治医はあまり良い顔はしない。「こだわりが取れればいいんですけれどね」と言いながら、2週間分の薬を処方してくれた。リスペリドンは、予防に飲むのではなく、不安やパニックがひどくなったときに頓服する方が良いらしい。昇平が、飲んでも眠くならないと納得したので、1mlで出してもらった。

 昼食後、私のノートパソコンの画面がいきなり真っ暗になって、使えなくなってしまった。モニターの故障。昇平はとても心配してパニックになりかけたが、予備の古いパソコンがあることがわかると安心した。そこで気分が切り替わったのか、家庭教師との勉強も明るい表情で取り組んでいた。

 夜は10時過ぎに就寝。

---------------

12月29日(水)
 朝の不安定は、学校が休みに入ってからは軽くなって、短時間でおさまるようになっている。ポケモンの人気に関する不安も、まだ口にはするが、たくさんの人から人気があると教えられて、少しずつ収束に向かっている。
 ただ、今度は今やっているポケモンのゲームのストーリーに対する不安が始まった。そろそろクライマックス、最終決戦が近づいているので、「大丈夫だろうか」としょっちゅう聞いてくる。「大丈夫だよ」と私に言われると、それでちょっと安心するようだが、しばらくするとまた同じことを尋ねてくる。

 つまり、昇平の不安定の原因は、実際にはゲームやネットそのものではない、ということ。それが直接のきっかけにはなっているけれど、本当の原因はもっと深いところにあるので、一つ解決しても、またすぐ別のことで不安定が始まるんだよね。
 それは自分自身への不安。そして、何よりも受験と高校生になることへの不安。
 本当に高校生になれるだろうか? なったらなったで、ちゃんと高校生活が送れるだろうか? ぼくはこんなにダメで、出来そこないで、失敗ばかりするし、勉強もできない馬鹿なヤツなのに。心配だ、心配だ、心配だ……。
 昇平の深層心理をことばにすれば、きっとこういうことなんだろうと思う。
 だから、勉強がわからなくなると、とたんに不安定がひどくなる。高校生になれないんじゃないか、と思うから。ちょっと「こうしたら?」と言われると過剰に落ち込む。「自分はやっぱりだめなヤツだ!」と思ってしまうから。ネットでの喧嘩腰のやりとりを異常におそれるのも、話し下手な自分が社会に出たとき、あんなふうに周り中から叩かれて、のけ者にされるんじゃないか――と考えているから。

 だから、本人に自信を持たせたい、とつくづく思う。口先だけで「大丈夫だよ」と言ったって、本人は納得しない。「大丈夫だという証拠を見せてよ」と考えているから。「ここがこんなふうに良かったよ」「ここが君は素晴らしいよね」一つずつ、具体的に拾い上げてほめていかなくちゃいけない。
 それは、家庭だけでできることではない。だって、本人は家庭の「外」へ出ていくことに、不安を感じているのだから。「外の世界に出ても大丈夫なんだ」と思わせてくれるのは、家庭の外にいる人々だから。

 フリースクールの先生、家庭教師、親の会のお母さんたち、ネットの向こうで日記を読んでいる人たち、困ったときに駆け込む自転車屋さん、眼鏡屋さん……たくさんの「家庭外」の人々が、昇平を理解して支えてくれている。よくがんばっているね、大丈夫だよ、とメッセージをくれる。
 学校も、その輪に加わってくれれば、と本当に思う。
 昇平が本当は何を恐れているのか。昇平が本当は何を求めているのか。
 本人にだって、具体的には把握できていないから、ことばでそれを表現することはできない。無意識で出しているメッセージの意味を紐解き、対応につなげていくのは、我々大人の方の役目。
 それが、子どもの方を向く、ということ。子どもの気持ちに寄り添う、ということ。
 学校も早くそのことに気がついてほしい、と心から思う。

---------------

12月30日(木)
 夜10時半頃、関東の大学へ行っている長男が帰省。旦那が仕事帰りに福島駅まで迎えに回ってくれた。遅い時間だったけれど、旦那、兄ちゃん、昇平の男三人で刺身をつついていた。
 ここまではずっと安定していたのだけれど食べ終わって、さあ寝よう、という段になって、昇平が不安定になった。実際の昇平の様子を見て、兄ちゃんが「昇平はずっとこんなだったの?」と驚いていた。これでも程度は軽くなってきているし、落ちつくまでの時間も短くなってきているんだよ、と答えたら、「大変なのはお母さんだね」と言ってもらった。

---------------

12月31日(金)
 大晦日。私は家の中の掃除に、買い物に、料理にと、一日中ばたばたしていた。
 兄ちゃんは午前中寝倒して、午後から福島駅へ。昇平は一日中、年越しの宴会を楽しみにしていたが、楽しみにしすぎて疲れていた。嬉しいことにも心配なことにも、通常以上に敏感になっていて、それが過負荷になっているように見える。それでも、夜は年越しそばを食べ、私とWiiパーティをしたり、兄ちゃんや旦那と毎年恒例のスペアリブなどで宴会をして楽しんだ。

 漢検協会が毎年発表している今年の漢字。2010年は「暑」だったそうだけれど、我が家では2010年の漢字は何だろう? という話になって、皆で考えてみた。各人の答えは以下の通り。

旦那・・・「忙」 (読んで字の通り)
私・・・「悩」 (家族のことでいろいろ悩まされたから)
長男・・・「落」 (落ち込むことが多かったから)
昇平・・・「暗」 (これも読んで字の通り)
義母・・・「痛」 (2度も骨折したり、歯を痛めたり、痛い年でした)
義父・・・聞きそびれてしまった。見た感じ「老」かな。急に年を取ってきている気がする。

 来年はいい年にしたいね、きっとなるよね、という話をしていたら、昇平が新年の抱負を詩に書いて、それを明日の初日の出を見ながら読み上げるんだ、と言いだした。ずいぶん時間をかけて抱負を書いて、新しい年になった一番最初にそれを声に出すから、と零時を過ぎたところから初日の出まで、一言も口をきかなくなった。伝えたいことは全部身振り手振り筆談。面白いことを思いつくなぁ。零時半頃就寝。

---------------

2011年1月1日(土)
 自分で言っていた通り、朝6時には起きて初日の出を待っていた。曇りで日の出は見られなかったけれど、日の出の時間にベランダで詩を読み上げて、「あー、緊張した。あけましておめでとうございます」と笑顔を見せた。
 ちなみに、昇平が書いた詩は、こんな内容。


 私は貴方に誓います

 昔は心が荒んでいましたが

 今は正しい心の道を歩んでいます

 それは

 自分を捨てず 限りを尽くし

 勇気を持ち 痛みに耐え

 才能を磨き 苦しみに負けず

 事を素早く 不快をかわし

 礼儀正しく 己に勝つ

 その心を極めるため

 新しい日々を送ります

 それがこの私 黒き心の白き輝き


 まあ、ちょっと格好つけすぎという気はするけれど、覚悟のほどは伝わってくる。
 その後、家族全員でおせちを囲み、のんびり過ごし、昼過ぎ、初詣をしてからその足で郡山市の私の実家へ。
 実家では私の妹弟も家族を連れて集まっていたので、それはそれは賑やかだった。昇平も久しぶりで従兄弟に会えて楽しそうだった。
 ただ、疲れも出て、夜にはまた不安定が顔を出し、リスペリドンを服用した。その後はまあまあ落ちついていた。

 2011年は良い年になっていきますように――。

---------------

☆てくてく日記への感想等はこちらへ→ 「療育掲示板」

|

« 2010年12月 | トップページ | 2011年2月 »