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2010年11月

2010年11月30日 (火)

変わってください!

 学校長や担任と話し合いをしてから、いろいろ考えていた。
 入学当初から、ずっと昇平に合わせた対応をお願いし続けたのに、それが学校に通じなかったのは何故だったんだろう、と。

 結局は、「あの子は障害児だから、我々にはどうしようもない」と学校側が最初から考えていたからなんだろう、と思う。
 昇平はL子さんが騒ぐたびにパニックになって、特に2年生の1学期にはものすごい騒ぎを毎日のように起こしていた。先生方に怪我をさせてしまったこともある。いくら昇平に言い聞かせても改善しないから、先生方が下した結論は、「あの子は障害があるんだから、しょうがない」。
 パニックのきっかけがL子さんの声にあるのは、先生方もわかっていた。だけど、それもまた、彼女の障害特性から来るものだから、いくら言い聞かせてもやっぱり改まらない。だから、ここで出た結論も、「あの子も障害があるんだから、しょうがない」。
 昇平がパニックになって大混乱になると、もう先生方の話は耳に入らなくなる。ところが、私とならば、昇平は話をするし、その過程を経て落ち着いていく。だから、「パニックになって手に負えなくなくなったら、お母さんと話をさせよう」。昇平が、「こんな学校にはもういられない!」と帰ってきてしまっても、「家に帰ってお母さんの顔を見れば落ち着いて、翌日にはまた元気に登校してくるんだから大丈夫」。
 こんなふうに思われていたのでは、何も変わるはずはなかった。

 先生方は理解できなかったんだよね。昇平にとって、L子さんの声がどれほどつらいのかということが。だって、先生方にとっては、それは「まったくうるさいなぁ」と思う程度の声なのだから。昇平がその場から逃走したくなるほど、窓から飛び下りたくなるほど、本当に苦痛に思っているとは、想像ができなかったんだよね。
 そして、昇平がそれを何度訴えても、「L子さんが騒いでしまうのはしょうがないんだよ。我慢してあげてね」「このくらいの声で、こんなに騒いでは駄目なんだよ。まして人に怪我をさせるなんて絶対いけないんだよ」と、昇平の方に指導が来る。それでは、昇平も先生方を信頼しなくなる。「どうせ先生はぼくの気持ちなんてわかってくれないんだから」……これは昇平自身が自分の口で言ったことば。そんな信頼関係にある人から「落ち着きなさい」なんて言われたって、昇平が落ち着けるはずがない。「ぼくの気持ちをわかってくれるのは、お母さんだけだ」と、落ちつきを取り戻すために母を求める。

 私は必死でそんな昇平を支え続ける。あの手この手、本当にあらゆる手段と時間をかけてフォローするから、昇平はなんとかまた学校へ行く。気持ちを前向きに切り替えるから、自分自身を反省して、「もっとがんばります」と先生方にも言う。……無理なんだよ。どんなにがんばったって、生まれ持った障害特性は変わらない。L子さんの声は、どんなに君ががんばったって、耐えられるものじゃないんだ。それなのにがんばろうとするから――パニックを起こすのは自分が悪いせいだ、それを改めなくちゃいけないんだ、と考えるから――難しい勉強が理解できないのも、自分が馬鹿で駄目な人間だからだ、と考えるから――だから、精神状態もおかしくなってくる。精神衰弱のようになって、抗鬱剤を飲まなければ学校へ行けなくなってしまう。それも、パニックを起こすたびに、自己嫌悪と不安からまた症状を悪化させて。


 入学当初からずっと学校へお願いし続けたことだけれど、改めてここに書こう。
 パニックには、必ずそれが起きる理由と原因がある。それをまず見つけて、取り除くこと。取り除けないならば、それが起きにくくなるような「環境改善」をすること。
 昇平のように、生理的な理由からパニックが起きるのであれば、なおさら本人を改善しようとしても不可能。誰だって、訓練で生理的特徴は改められない。暑がりの人は、どんなに訓練しても暑がり。寒さに弱い人は訓練したって寒がり。まして、その感覚的特徴から非常につらい想いをしたことがある人ならば、その原因を異常なまでに恐れるのは当然のこと。言い聞かせたって治らない、変わらない。やるべきことは、「パニックの原因になるつらい出来事が起きない、安心できる環境作り」。それ以外の対応はない。
 社会に出れば、いろいろな環境に出会うのだから、今のうちからそれに慣れておかないと将来困るだろう……と先生方は言われる。それはその通り。でも、馴らすならば段階を踏んでお願いします、と私たちはお願いし続けた。まず安心できる避難所を。そこに避難しながら、「このくらいなら大丈夫かな?」「この程度なら我慢できるかな?」と、自分の意志で少しずつ耐性を付けていけるように指導してください、と。
 昇平が越えなくてはならないのは、とても高いハードル。一度に飛べるようになんてならない。少しずつバーの高さを上げて練習していかなくちゃ、飛び越せない。

 子どもが障害を持っていたって、学校にできることはある。完璧はありえなくても、それを目ざして改善していくことはできる。
 そう思ってきたから、私はどんなにつらい状況でも、「学校へ行こうね」と昇平に言い続けた。学校に気がついてもらいたい、変わっていってもらいたい、と親子で願いながら、今日まで来た。
 私たちには不十分であっても、学校が変わり始めれば、この後の子どもたちはもっと楽に充実した学校生活を過ごせる。例えば、これからゆめがおか学級から中学校に入ってくる、昇平の後輩のT君、Aちゃん、T君、H君、Yちゃん……あの子たちが小学校できちんと積み上げてきたものを、中学校でなし崩しにされることがないように。あの子たちが、もっと大きく成長していけるように。そのために。

 中学校だって、きっと変われる。変わっていける。私は今でもやっぱり、そう信じている。
 昇平が卒業するまで、あと4カ月。
 残りわずかな時間だけれど、私は中学校を見つめ続けようと思う。

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2010年11月29日 (月)

昇平3行日記・9

※全然3行で収まっていない3行日記。

11月22日(月)
 週始めはいつも不安定になって、なかなか登校できない。今朝もそうだったけれど、程度はずっと軽く、私の車で送っただけで、いつもの時間に行くことができた。やっぱり抗鬱剤の量の関係かもしれない。昇平も、「今日はいやな気分にならない」と言いながら、嬉しそうに登校していった。
 ところが、昼に学校の副担任から急に電話。給食準備中にL子さんがパニックの声を上げ、昇平が「もうこんな学校には我慢できない!」と荷物をまとめて学校を出て行ってしまったのだという。教務主任が追いかけてくれているということだったので、私のほうでも車で探しに行き、家に帰る途中の昇平を見つけて拾った。その頃には昇平もだいぶ冷静になっていて、どうしたいのか聞いたところ、「高校生になるには中学校に行かなくちゃいけない」と言って、学校へ戻ることに決めたので、そのまま学校へ送っていった。その車の中で、「ぼくの中学校生活はL子さんにコントロールされてるみたいだな」と言っていた。まあ……そういうことかもね……。

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11月22日・続き
 昇平は残りの授業はちゃんと受けることができた。
 受診日だったので、迎えの車でそのまま病院へいったが、本人「ちゃんとがんばって学校にいることができた!」ということで嬉しさいっぱいで、先生に伝える近況も、とても前向きモード。毎日あれほどしんどそうなのに、先生のほうでも「だいぶ良くなってきてますね」。これでいいのかしら? 本当に大丈夫なのかしら?
 結局、薬は今まで通り。次の受診も4週間後になりそうだったので、いろいろ話して、2週間後にまた様子を見てもらうことにした。本当に、このまま元気になっていってくれれば、それに越したことはないのだけれどね。

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11月23日(火)
 勤労感謝の日。でも、旦那はいつものように仕事。昇平は寝坊したので、時間の関係で、朝食後のベタナミンと精神安定剤を抜いた。
 その影響もあるのだろうけれど、午前中一緒に勉強を始めたら、昇平がまたとても不安定に。あまりしつこく「人間はみんな他人を馬鹿にしたり、殺したがったりする奴ばかりだ」と言うので、こちらも頭にきて、「うん、その通り! キミが今まで出会ってきた人も、みんなそういう人たちばっかりだったよね!」と言い返したら、びっくりして、「いや、そうじゃないよ。学校のL子さんや長谷田先生はすごく優しいよ」「たった二人だけでしょう? 他の人はみんな意地悪だったでしょう!」「違うよ、介助のK先生も、9組のTくんもYくんも、9組の担任のH先生も副担任の岩沢先生も優しいよ。中学校の先生たちはみんな優しいし、交流級のみんなだっていい人たちだよ……!」
 そう、世界中にはいろいろな人がいるけれど、キミのまわりには、優しいいい人たちがとてもたくさんいる。すぐ喧嘩になって、ひどいことばを投げつける人がいる場所は限られているし、そこが世界のすべてじゃない。優しい人たちを大切にして、人を傷つけるような人たちからは離れていよう。キミがひどいと感じるようなことばを「いやだ」「怖い」と感じる人たちのほうが、ずっとずっと多くいるのだもの。
 そんな話をして、まだ完全に納得はできないだろうけれど、それでも、自分の身近にいい人たちがいることは再確認してもらえたかな、と思う。

 今日は義父の80歳の誕生日。買ってきた寿司とオードブルでお祝いをしたけれど、昇平から「これからも長生きしてくださいね」と言われて、おじいちゃんはとても嬉しそうだった。

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11月24日(水)
 昇平は出際にぐずぐずしていたが、なんとか自転車で登校していった。
 やれやれ、よかった、と思っていたら、12時20分頃、副担任の岩沢先生からまた電話。「一昨日と同じような状況になって、昇平くんが『もうこんな学校には我慢できない』と言って、荷物をまとめて学校を出て行ってしまいました」という話。間もなく、本当に昇平が大荷物を抱えて帰ってきた。そこへ、車で後を追ってくれた岩沢先生も到着して、いきさつを聞かせてもらえた。トラブルの原因は、またL子さんの声。L子さんが4校時目に寝ていて、給食に起こされたときに、寝起きが悪いものだから金切り声を上げ、昇平もパニックになって、止めようとした介助の先生にまで頭突きなどしてしまった、という話だった。
 ちなみに、月曜日に続いて、今日も担任の長谷田先生はお休み。担任のいないところでのトラブルではあるけれど、さすがに私にももうフォローの限界という気分。もういい、学校を休ませよう、という考えが頭を駆けめぐる。L子さんはL子さんで特性から声を上げてしまうわけだから、それに対してどうすることもできなくて、昇平にパニックを起こさせるならば、昇平を学校へ行かせないようにするしかない。岩沢先生には、とりあえず昇平と話し合ってみます、とお答えして、昇平のところへ戻った。
 つらい、もう嫌だ、どうしてぼくばかりこんな想いをしなくちゃいけないんだ、と昇平が泣きながら言う。ぼくはどうしてこんなふうなの、とも言う。ぼくはこの世に生まれてこないほうが良かったんだ、とも言う。
 どうしたらいいの? と問われて、「お母さんにも、どうしたらいいのかわからないよ」と答える。何度も学校にお願いした。足も運んだ。話し合いもした。スクールカウンセラーとも相談した。具体的な提案もしてきた。家庭でできるフォローは、思いつく限りやってきた。何度も何度も何度も何度も……二年半余りの間、ずっと。それでもこの状況が変えられないというのならば、本当に、学校に行かない、という選択肢を選ぶしかない。

 昇平が泣き疲れて眠ってしまったので、その間に、私は病院へ行った義母の迎えと買い物に。戻ったところで昇平が目を覚ましたので、「お昼を食べていなくてお腹すいたでしょう」と昼食を出してやったら、それを食べながら、「なんだか落ち着いてきた」と言い出し、「さっきは本当に学校を辞めようと思ったけれど、そうすると高校に行けなくなるし、ぼくはどうしても高校に行きたいから、やっぱりがんばって学校へ行くことにする」と言った。
 もういいよ。そんなにがんばらなくていいよ。思わずそんなことばが口をつきそうになる。自分自身を叱咤激励して学校へ行って努力をしても、きっとまた同じ状況は起きる。L子さんの声に君はまたパニックを起こすし、その後で、ぼくはダメな奴だといっそう自分を責めてしまう。つらいのは君なのにね。苦しいのは君なのにね。
 感覚の歪み。人が平気で聞き流せる声が聞き流せない。人が普通に聞き取れる声が聞き取れない。努力不足じゃない。君の脳がそうできているだけのこと。目に見えない障害だから、いっそうの配慮をお願いします、と言い続けても、今の学校の現状では対応は無理です、と言われる。それならば、本当に、学校を辞めるしかないよね?
 でも、昇平は、やっぱり学校へ行く、と言う。高校生になりたいから。今の先に、もっと楽しい生活が待っているはずだから、と。こんなことでへこたれちゃいけないんだよね、と。
 もう学校を見限ろうよ、と言いたくなるのをこらえて、私も言った。「それじゃ、明日お母さんとお父さんで学校へもう一度お願いに行ってくるからね。どういうふうにしてもらうと、もっと楽に学校にいられるようになると思う……?」学校で実現できそうな方法を、具体的に昇平と話し合い、夕方また副担任に電話をして、明日、校長先生と主人も交えて相談をしたいと申し入れをした。旦那とも連絡がついて、明日は仕事を抜けて学校へ行ってくれることになった。
 昇平は、夜寝る前にもまた不安定になったので、手を取り、肩をたたいて落ち着かせながら話をして、12時近くにようやく眠ってくれた。
 ……長い長い一日だった。

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11月25日(木)
 昨日の決心通り、昇平は登校していった。持って帰ってきたたくさんの荷物を、「ぼくが自分で責任とらなくちゃいけないから」と自転車に積んで。学校に行ってからは、「昨日は心配をかけてごめんなさい」と先生方に謝ったらしい。
 午後2時過ぎから、予定されていた三者面談へ。進路の相談だけれど、昇平は志望校がもう固まっているので、その受験科目である作文と面接の練習をしようね、という話を担任からされた。こちらからは、志望校に今年度の受験内容や形式を確認して、それに即した作文練習や面接練習をしてほしいことを要望した。

 一度家に戻り、校長先生が出張から戻るのを待って、夕方5時半からまた校長室で相談。向こうは校長先生と担任、こちらは仕事を抜けてきてくれた旦那と私。後から教頭先生も同席。
 最初に校長から、二日続けて昇平が学校から帰ってしまったことは学校側の落ち度だった、と謝られ、きっかけになる原因はやっぱりL子さんのほうにあるから、それに対して学校側でもなんとか彼女に合った指導と対応を考えなくては、と話し合っている、と聞かされた。……彼女への対応については、今月2日に私が来て話し合ってから、ほとんど進展していない、ということだわね。
 目標を持ち、学校全体での対応を目ざして取り組み始めているところだ、というお話しを聞かせてもらい、昇平とL子さんを、授業内容や指導の内容に合わせて別教室、それも声の聞こえない離れた部屋で指導することも考えている、と言われた、……それも、もう2年も前から、こちらがずっと要望してきたことだけれど。
 それでも、やる、と言っていただけたので、ぜひお願いします、と答えた。特に、L子さんに何か「指導」をしようとすると、彼女は必ず奇声を上げるので、昇平は絶対声の聞こえない部屋にあらかじめ移動させておく必要がある。そうしなければ、昇平がパニックを起こして、L子さんへの指導も成立しなくなるから。

 授業に関してはそれでよいけれど、L子さんがふいに大声を上げたときにどうするかについての対策がなかったので、こちらからは昨日昇平と話し合った要望を伝えた。昇平は、L子さんが大声を出したときに避難できる「避難所」があれば学校へ行ける、と言っています。本人は体育館の用具室がよい、と言っているのですが、そこを避難とクールダウンのための部屋には使用できませんか?……実はこれも、一年半前の学校との話し合いで具体的に出した要望。昇平がパニックになって大暴れしたときに、用具室に入って落ち着くことができたので、今後もそこを使わせてほしいとお願いしたのだけれど、結局そこは不可で、本教室の隣の多目的教室が避難所になったいきさつがある。でも、隣の部屋では、L子さんが大声を上げたり駄々をこねたりしたら、その声が筒抜けになってくるし、実際それで先週の月曜日にはパニックを起こして大騒ぎになっている。もっと遠い、声の聞こえない場所、それも昇平が自分の意志で避難できる場所が必要なのだ。
 今回も、用具室は、と先生方に渋い顔をされた。いたずらをされるので普段は施錠をしていて、開放していないのだそうだ。昇平が入り込んだときは、たまたま体育館を使う時間で鍵が開いていたらしい。どこか別に適当な部屋はないか、という話し合いになり、結局、保健室の向かいの相談室を常時開放してもらえることになった。昇平が声から逃げたいとき、クールダウンしたいとき、自由に行って入れる部屋。保健室が目の前だから、何かあったら養護の先生にも目配りしてもらえる。そうしましょう、という話になった。
 ……本当に、多くは望まない。ただ、昇平が安心できる場所、落ち着ける場所がどうしてもほしい。それがなければ、昇平は学校へ通い続けることができない。ずっとずっと、再三再四、再五再六、再七再八……お願いを続けてきたけれど、今回昇平が二日連続で学校を飛び出し、旦那も乗り出して、ようやく本当に効果のありそうな対策が出てきた。
 卒業まで、本当にあと4カ月。学校が「やる」と言ったことが、ちゃんと実施されていくことを、ただひたすら願っている。

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11月26日(金)
 昇平は学校の避難所の話を聞いて安心したのか、昨夜は久しぶりでよく眠ったし、今朝の目覚めも良かった。ただ、それでも寝る前や起き抜けには嫌なことが頭に浮かんできて不安定になる。その都度、背中や肩をたたいて安心させてあげると、「学校に行ってる間に嫌なことが浮かんだら、お母さんはいないし、どうしたらいいんだろう?」と言い出し、少し考えてから、「そうなったら、心の中で『なんだよ』って言おう」と言っていた。嫌な記憶に言い返してフラッシュバックから立ち直ろう、ということかな? 落ち着いた後は、しっかり朝食を食べ、元気に登校していった。
 ただ、私のほうは、学校側に昇平のつらさが充分伝わっていなかったことや、昇平がパニックを起こして学校を飛び出しても、どうせ私に会えばまた学校へ来るのだから、と思われていたことが、昨日の話し合いの中でわかって、かなりショックだった。精神的に追い詰められていく昇平を、私は必死でフォローしてきたし、昇平も驚異的な努力でまた学校へ行く決心をしていたのにね。
 先生方のプレッシャーになっても、と思って、中学校にはこの日記のことを知らせずにきたのだけれど、昇平の状態や家庭での対応を知ってもらうためには見ていただいたほうが良いだろうと考え、校長先生へ手紙を書いて、てくてく日記としましま島の存在をお知らせした。……わざわざ読みに来てくださるかどうかは、わからないけれども。

 三者面談の期間なので、授業は午前中だけで、昇平は昼過ぎに帰宅。さっそく数学の授業をL子さんと離れた、静かな保健室で行ってもらい、避難所の説明もしてもらったらしい。連絡帳の一行日記欄に「先生、ありがとう!」と書かれていた。
 ただ、昨日相談のなかで避難所にしようと話し合った保健室前の相談室は、別の学年の生徒が使っていたので、教室と同じ階にある学年資料室が避難所になったようだった。場所は、教室から出て廊下の角を曲がった先。しっかりした扉はあるようだけれど、場所的には教室に近いから、声は聞こえてくるかもしれない。今の昇平はかなり精神的に不安定だから、声の大きさだけでなく、苦手なトーンの声(つまり怒っている調子の声)が聞こえてくること自体が刺激になっているはず。扉を閉め、耳をふさげば、なんとかシャットアウトできるだろうか……。不安はあるけれど、様子見。
 私自身はさすがに疲れてしまって、一日中ぼーっとしていて、午後は3時間も昼寝をしてしまった。

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11月27日(土)
 週末。昇平は私と外出したがったが、おばあちゃんが怪我しているから出かけられないよ、と話すと、すぐ納得してくれた。
 午前中、昇平は数学の二次方程式を自主勉強。反復練習しているので、だいぶ基本が身についてきた。私は家の中の掃除と、病院へ行った義母の送迎。その後、三者面談でもらった練習用紙を使って、私と昇平で面接の練習。「話の途中であくびをしなかったか」などの、面接態度に関するチェックシートを独自に作って、終わってから採点。ちょっとおまけもして、今日は75点だった。
 午後は英語。私と一対一だとずいぶんわかるのに、テストになるとどうしてできなくなるんだろう。先日の期末試験は、問題が非常に難しかったこともあって、惨敗だった。国語と社会の点数は前回を少し上回ったが、数学と英語と理科は大きく下回り、五教科の合計は前回より10点も少なかった。あれだけがんばったのに厳しいなぁ……。とはいえ、あれをやらなければ、どの教科も限りなく零点に近い結果になったのは確かなのだけれど。

 その後、昇平は自転車で町中のコンビニ巡りをしておやつを買ってきたり、一足早いクリスマスプレゼントに買ってもらったDSのゲームをしたり。
 ところが、ゲームがうまくいかないのにいらいらして、夕方、久しぶりで本当にものすごいパニックを起こした。あまりのひどさに、とうとう私のほうも我慢できなくなり、ゲーム機を取り上げて放り投げ、どなりつけ、たたき、泣いてしまった。私のパニックに昇平の方が我に返り、一生懸命私を引き止めていた。私がベランダから飛び下りようとしたので。
 双方冷静になってから、ああ、私は本当に疲れているんだなぁ、とつくづく思った。昇平の方も、平日にストレスフルな生活が続くから、休みの日くらい楽しいことをしたいのに、それも祖母が怪我をしたためにどこにも行けなくて、いっそうストレスがたまっていたんだよね。でも、それで不安定になられると、私はとてもつらい。ひどいパニックを起こされると、正直、私のほうが死んでしまいたくなる。私はもう限界にきていたんだ、と自覚した。

 夜、帰宅した旦那に、「お願いだから休みを取ってください」と頼んだ。旦那はもう2ヶ月以上、一日も休みを取っていない。責任ある立場になって、忙しくて大変なのはよくわかっているし、そんな中でも、学校まで話し合いに行ってくれたりと、協力してくれているのもわかっている。でも、お願いだから、どこかで休みをとって。そして、昇平を遊びに連れていってあげて。私は今、家が空けられなくて、それができないんだから。そうしないと、私はもう限界。いつか今の穴埋めをしようと思っても、その「いつか」は来なくなるかもしれない。私がいなくなってから後悔したって、その時にはもう遅いんだよ……。
 結婚して22年。私が旦那にこういう話をしたのは初めてだった。旦那は非常に反省して、「ごめん」と謝ってくれた。「いい気になっていた」と。いい気になっていたわけじゃないのは知っている。いつも気持ちはちゃんと私たちに向けてくれているのもわかっている。だけど、今は、旦那の協力が必要。旦那の健康も心配。週に1回、それが無理ならば、せめて2週に1回は休みを取ってちょうだいね……。わかった、と旦那は言った。とても落ち込んでいたけれど、でも、言わずに私たちがどうにかなってしまうよりは、こうしてちゃんと言った方がいいはずだよね。

 昇平は、私がいなくなるかも、と思って、またかなり情緒不安定になってしまった。ぶりかえしになるかな……。ごめんね、昇平。ただでさえ不安なのに、いっそう不安にさせてしまって。
 明日には、もっと元気になるから。そうしたら、また、君を支えてあげられるからね。

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11月28日(日)
 案の定、朝起きたときから、昇平は不安定。昨日のことを思い出したり、ネットの書き込みを思い出したりして調子が悪い。先日、通院日に主治医から許可をもらっていたので、抗鬱剤を朝にも服用させた。
 その後、一緒にアニメを観たり、10時からは家庭教師と勉強したり。勉強の前に事情を話しておいたので、先生は上手に昇平の気持ちを落ち着かせ、勉強の合間にはポケモンの話で楽しく盛り上げてくださった。おかげで、勉強が終わる頃にはずいぶん元気になって、時々思い出しては落ち込むけれど、すぐに「昨日お母さんは疲れていたんだね」と言えるくらいに復活した。
 午後もかなり安定。昨日の騒動は自分が悪かったのだと強く思っているけれど、「またがんばればいいんだよね」と前向きに気持ちを切り替え、時折不安は浮かんできても、一生懸命自分をコントロールして、「こんなことでへこたれちゃいけないよね」と言っていた。夜は一緒にWiiパーティして楽しく過ごした。
 旦那は9時半頃帰宅。仕事はとても忙しいけれど、なんとかがんばって次の土曜日には休む、と言ってくれた。

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2010年11月22日 (月)

昇平3行日記・8

※全然3行で収まっていない3行日記。

11月15日(月)
 今朝は割とスムーズに起き出し、出がけにちょっとだけ不安定になったが、気持ちを切り替え、がんばって自転車で登校していった。
 ところが、11時半頃に学校の公衆電話から電話。「ぼくが誤解して騒ぎを起こしてしまったから、お母さん、学校に来て話をしてちょうだい」
 何事かと話をよく聞いてみると、2校時目、昇平とL子さんが隣り合った別教室で国語の授業を受けていたときに、L子さんが作文を書けないと騒ぎだし、その声で昇平が落ち着かなくなって勉強できなくなり、「L子さんが落ち着いたのでもう大丈夫だよ」と言われて確かめに行ったところ、ちょうど別なことでまたL子さんが大声を上げたので、昇平もパニックになり、近くにいた介助の先生のせいだと誤解して椅子を投げてしまった――ということだとわかった。その後、落ち着いてから先生やL子さんに謝ったものの、3校時目の数学も授業にならず、4校時目になったところで「もう帰りたいと言っているのに聞いてもらえない。お母さん、学校に来て話をしてください」と電話をかけてきた、ということ。
 思わず……溜息。どうしてこう、毎度毎度同じパターンのトラブルに陥らせるかな。例え別教室にいても、L子さんがまた騒ぐのではと不安に思っていたら、昇平は落ち着かない。それなら静かな図書室にでも移動して、そこで授業をしてくれたほうが、お互いよっぽど落ち着いていられる。TT制で先生が二人いるのだから、そういう対応だって可能なのに。確かにこの子たちは普通では騒がないようなことに騒いでしまうけれど、そこに配慮してほしいからこそ、特別支援学級に行っているんだけどな。
 午後からは学年全体での高校入試説明会がある。普通の入試とは違う形で高校受験を考えている昇平は、それに出席する意味もわからない。それで、もう帰りたい、となっている様子。正直、説明会に参加しても、昇平にはほとんど何も聞き取れないだろう、と私も思う。受験する高校の資料や願書を目の前に並べて、実際に即した形で説明しなければ、彼には理解できないし、授業もまともにできないでいるのに入試説明会に参加するなんて、と考える昇平の気持ちもよくわかる。
 昇平が電話するそばに担任もいたので、代わってもらって、もう一度説明会の意義を本人にわかるよう説明してほしいこと、同時に、その手の集会ではL子さんが不安を感じて騒ぎやすいので、彼女にも安心して参加できるように配慮をしてほしいこと、期末テストも近いのに授業にならないのは心配なので、昇平が説明会にどうしても出たくないと言ったら、家で私が勉強を見るので早退させてほしいこと――を伝え、話し合いの結果、まず説明会に出る意義をもう一度説明する→出られなければ、担任と一緒に今日できなかった授業の内容を勉強する→それも駄目ならば、早退して母と勉強をする、という対応にすることに決まった。
 今は午後1時15分。さて、昇平は早退してくるだろうか、それとも……?

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11月15日・続き
 結局昇平は高校入試説明会には出席せずに、教室で担任と数学の勉強をして、下校時間になってから帰宅してきた。
 最後まで学校にいられたことや、勉強をがんばれたことで、少し自信を取り戻したようだったが、夜になるとまた大きく落ち込んでしまった。ことばで説得しようとすると混乱してパニックになっていくけれど、頭をなでて「いろいろとつらい気持ちはよくわかるよ」「よくがんばってるよね」と繰り返し言ってあげたら、すうっと落ち着いて、スムーズに眠りについた。
 昇平の、音に対する感覚の歪みの話、それに対して充分な対応が取れない現状の話、そのために自分の居場所がどこにもないと本人が感じているのだということ。答えは見つからないのだけれど、旦那といろいろ話し合った。

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11月16日(火)
 心配したが、朝はとてもスムーズに起きてきて、自転車で登校していった。
 担任も昇平に配慮してくださったようで、安心させるようなことばや、いいところを誉めることばをたくさん言ってもらって、トラブルもなく一日学校で過ごし、授業にもしっかり取り組んで、にこにこと元気に帰宅してきた。
 安心と自信は、本当に力になっていくね。

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11月17日(水)
 昨日は一日元気に過ごしていたが、夜寝る間際から不安定になって、今朝も起きたときから落ち込んでいた。いよいよ明日から期末テストなので、とても不安になってきたらしい。送ってほしい、というので車で学校まで送ったが、着いてもなかなか車から降りようとしなかった。「歩き出すことは自分にしかできないんだよ」と話しかけると、「自分でやるしかないのかぁ」と言って、やっと自分の足で学校へ歩き出した。
 学校では朝のうち、表情の硬くて沈んでいたらしいが、担任が授業のあまった時間にゲームなどを取り入れてくださったら、そこから表情も明るくなり、その後の授業は順調に受けられたらしい。
 4校時目はスクールカウンセラーのA先生との面談。本来は面接練習の時間だったのだが、先週同様、昇平の不安な気持ちを聞いて受け止めることに終始してくださったらしい。気持ちを落ち着かせることのほうが、より大切な対応だから、それで良かったと思う。
 夕方から家庭教師とテスト勉強。相似条件を暗記し、図形問題もがんばって取り組んだらしい。自信がついたのか、夜は元気で、10時半頃スムーズに就寝した。

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11月18日(木)
 いよいよ期末テストの1日目。目覚めは悪くなかったが、案の定、テストへの不安からとても不安定になり、ネットのひどい書き込みのことをしきりに口にし始めた。説得してもパニックになっていくばかりなので、肩を揉んでやりながら、これだけずっとテスト勉強をがんばってきて、ちゃんと身についているのだから大丈夫。応用は飛ばしたからできないだろうけれど、基本問題はしっかり勉強したのだから、きっとできるよ、と話すと、(ネットについてはまったく話さなかったのに)不安定がおさまっていって、動き出せるようになった。
 その後、朝食の席でもまた「ネットはひどい」「人はどうしてすぐ他人を殺したがるんだ」と不安定が始まったけれど、私が「日本を守りに九州へ行った人が故郷を思って歌った和歌は?」とか「三権分立は何権と何権と何権?」などと、すでに暗記済みのテスト範囲の内容を問題に出してやり、それに答えることができると、嘘のようにすっと不安定がおさまっていった。不安定の原因は、ネットではなくテストへの不安。ちゃんと覚えている、答えられる、と確認することで、自信が湧いてきて安心できたのだと思う。
 このためにずっと取り組んできたテスト勉強。目標は、前回よりも1点でも多い点数を取ること。目標を達成して、自信を挽回していけますように。
 結局20分遅れで家を出発。遅刻だけれど、1校時目の実技は昇平たちには試験がないので大丈夫のはず。遅れたいきさつや、それでもがんばって自力で登校していったことを、学校に連絡しておいた。

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11月18日・つづき
 昇平はがんばってテストを受けてきた。1日目は国語、社会、数学。帰ってくるなり「方程式を覚えていれば、もっと点数が取れたのに!」と言った。全然わからなかった、と連絡帳の反省欄には書いてあった。
 私もテストの問題用紙を見たけれど、昇平が覚えたことの上を行く問題や応用問題が多かった。時間が足りなくて家庭学習の手が回らなかった項目も多い。方程式は解の公式を忘れてしまっていた。長期記憶に困難を抱えているから、時間がたつと忘れていくんだよね……。
 これがどういう結果になって出てくるか、答案が返ってくるまではわからないな。少しでも努力の成果が出てくれるといいのだけれど。
 今日は、私と明日の理科のテスト勉強を一生懸命やった。

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11月19日(金)
 期末テスト2日目。昨日テスト勉強した山が大きく外れ、思うようには答えられずに帰ってきた。う~ん、問題が難しいな。特に一分野はすべて先行実施対応の内容だった。いや、それが受験生には当然のレベルなんだろうけれど、いくら勉強しても思うように点数につながらないのは、やっぱりつらいよね。「前回より1点でも多く」が目標だったけれど、それも達成が難しいかも。とはいえ、勉強しなかったら、限りなく零点に近かっただろうから、やっただけのことはあるのだけれど。そのあたりのことを昇平に話したら、「(定期)テストで入試の練習をしてるんだね」と言って、比較的落ち着いて受け止めたように見えた。
 私自身は、午前中、市の社会福祉協議会の交流会に出席。終わってから、一緒に参加した親の会のTさんとランチに行った。向こうも不登校気味だった中学生のお兄ちゃんがいるので、共通の話題で盛り上がった。久々にストレス解消。
 今日はテスト明けということで、家庭学習は休みにして、夜、昇平とコーラや発泡酒で乾杯して打ち上げをした。

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11月20日(土)
 朝、同居の義母が家の中でつまづいて転び、右腕の付け根を骨折してしまった。右腕を三角巾とバンドで固定して、2週間の絶対安静。病院に送迎したり、ばたばたしてしまった。腕以外に怪我をしなかったのは不幸中の幸い。
 午後からはL子さんが遊びに来て、午後中、昇平と遊んでいった。私は今は隣の部屋にいて、彼らの遊びには口を出さないようにしている。二人でいろいろゲームをしていたようで、たまに言い合いは聞こえるけれど、すぐにおさまって、仲よく遊んでいた。
 夜は旦那が早く帰ってきたので、ボジョレーのハーフボトルを開け、昇平にはグレープジュースで、ミニ宴会。昇平は嬉しくてずっとハイテンション。そこに義母の怪我のショックや遊び疲れが重なって、夜10時頃からパニックが始まり、私の対応もまずかったので、久々の大パニックになってしまった。見かねた旦那が昇平の手を取って落ち着かせてくれたが、その後、昇平自身が「話をして落ち着かせてもらおうとすると、必ず『人間はみんな人を殺したがっている』って考えになってしまうから、別のことをやってもらったほうがいいみたいだ」と言ってきた。具体的にどうするのがいいかな? と聞いたら、抱きしめたり頭をなでたりされるのは年齢不相応だから恥ずかしい、などといろいろ考えて、「手を握るか、肩をたたいてもらうのがいい」と言ってきた。これからも迷惑をかけるだろうけれど、自分を見捨てないでほしい、お父さんとお母さんにいてほしい、と繰り返す昇平。「大丈夫、いてあげるよ」と旦那と私で答えた。11時20分頃就寝。

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11月21日(日)
 今朝になって薬袋を確かめたら、昇平は昨夜の薬を飲み忘れていた。抗てんかん薬と抗鬱剤。なるほど、それであのパニックだったのかと納得。急ぎ、忘れた薬を飲ませたら、家庭教師と勉強している間に落ち着いていって、終わってからは、久しぶりに自転車で本屋まで出かけ、新しいポケモンの攻略本を手に入れて、ご機嫌で帰ってきた。
 午後は私と勉強。テストで忘れていた因数分解と二次方程式をやり直した。もうテストは終わってしまったけれど、高校に入ってから必ずまた使うから、今のうちにしっかり覚えておこうね、と話した。
 その後、精米に行くのに、30Kgの米袋を運ぶのを手伝ってもらった。旦那がほとんど家にいないので、家族の中で重い米袋を持てるのは昇平だけ。本当に助かった。夜にまた抗鬱剤を飲んだら、今までにないくらい、しっかり安定して、嫌なこともほとんど思い出さなくなった。薬の量をもう少し増やしてもらう必要があるのかもしれない。月曜日の夕方が受診日だから、そこで主治医と相談してみよう。  

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2010年11月15日 (月)

昇平3行日記・7

※全然3行で収まっていない3行日記。

11月8日(月)
 霧の寒い朝。でも、昇平は「自分で学校に行く」と自転車で登校していった。
 ところが、間もなくの副担任の岩沢先生から、「昇平くんが、クラスのみんなからいじめられるから音楽の授業に出たくない、と言い出して、詳しいことはお母さんから聞いてくれと言っているのですが」と電話がかかってきた。あちゃぁ。昨夜の話し合いで、ネットで「死ね」とか「うざい」とか言っているのは、まだ人間関係の未熟な子どもたちなんだよ、と教えて理解したのはいいけれど、そのために、学校の生徒全員が怖くなってしまったのね。生徒はみんな子どもだから。実際にはクラスでのいじめなんかは起きていないのに。
 とりあえず、授業は本人の意志に任せて無理させないでほしいと伝えて、昇平が帰宅してから、中学校のお友だちは昇平を昔から(人によっては保育園時代から)知っていて、ちゃんと受け入れてくれているから大丈夫なんだよ、と教えた。「ぼくは心配しすぎていたんだね」と昇平も納得。ただ、不安定になると、また心配が頭をもたげるかもしれないとは思う。
 とにかく嫌な場面やフレーズが頻繁にフラッシュバックするようで、かなりつらそう。そんなとき、嫌なことばを書いた相手に「早く大人になるんだよ」と祈ってあげることにしたようで、自分でそれを「瞑想」と名付けていた。口に出して言うときには、英語で「Please be polite.(礼儀正しくしてください)」と言うことにもしたらしい。自分なりの方法を模索中だが、夜は割とスムーズに寝られたようだった。

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11月9日(火)
 主人が1カ月半ぶりで半日の休みが取れた。昇進したのはいいけれど、本当に忙しくなってしまったなぁ。
 二階のファンヒーターが壊れたので買いに行き、ついでにラーメン屋に寄ったら、私の携帯に家の義母から電話。学校の昇平から家に電話があったが、私がいないとわかって切ったのだという。その後、昇平から連絡はなかったが、帰宅が遅いので心配になって学校に電話してみたら、下校直前にまた嫌なことを思いだして動けなくなり、学校を出るのが遅くなったのだとわかった。
 かなり疲れているようなので、勉強は英語の書き取り少しだけにして、あとは自由にさせたが、夜寝る前にまた不安定になって、落ち着いて寝るまでにしばらくかかった。

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11月10日(水)
 朝起きたときからまた落ち込む。ネットの嫌な書き込みを思い出してしまうのだが、話を聞いていると、ひとつ収まってもまた別の内容を思い出すという感じで、次々対象になる内容が入れ替わっている。小学校の頃に不安を強く感じたときに出現した症状に似ている。昔はウルトラマンの怪獣や身の回りのいろいろなものや本を怖がって、徹底的に排除しようとしたっけ。
 目にした書き込みの内容にショックを受けたのは本当だけれど、根本の不安は別のところにあるんだろうと思う。自分自身の存在への不安、世界や人々に対する漠然とした恐怖、学年全体をおおっている受験期特有の雰囲気とプレッシャー。そこに自閉のこだわりも絡むから、考えれば考えるほど、嫌な考えが頭から離れなくなるんだろう。
 安心させてもらえるのが今のところ私しかいないから、日に日に私への依存度が高くなっている。今朝すごく落ち込んだのは、昨日電話をかけても私とつながらなかったからだろう。「お母さんが学校について来て、ぼくの代わりにぼくの気持ちを話してちょうだい」とも言うので、「それは自分の口で言わなくちゃね」と言って、落ち着くのを待ってから学校へ送った。私は守りの場所であるけれど、100%ここに逃げ込んでしまっては外に出られなくなる。学校にも理解して助けてくれる人たちは大勢いるのだから、早くそれに気づいてほしいな、と思う。
 幸運なことに、スクールカウンセラーのA先生の来校日で、面接練習の予約が入っていたので、「A先生に話をよく聞いてもらって、アドバイスしてもらっておいで」と言って送りだした。約1時間の遅刻。

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11月10日(水)・続き
 4校時目にスクールカウンセラーのA先生と面談して、ずいぶん気持ちが落ち着いたらしい。一日学校で過ごし、かなり元気になって帰ってきた。
 夕方、A先生からもお電話をいただいたけれど、とにかく昇平の話をよく聞いてくださったらしい。きっと、昇平の気持ちを丸ごと受け止めてくださったのだろう。来週の水曜日にまた昇平の話を聞いていただくことになった。
 やっぱり、家族以外の人から受け止められることが、昇平には必要だったんだな、と思った。夜にまた、ちょっとしたことで落ち込んで混乱したけれど、今夜は割と短時間に整理がついて、落ち着くことができた。

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11月11日(木)
 今日は朝からすっきり起きてきて、落ち着いて朝食を食べ、自分で自転車で登校していった。
 嫌なことを時々思い出すことは続いていて、昼休みに学校から電話をかけてきたが、内容は「○○についての動画にどんなコメントがついているか、お母さんが確かめて」というものだった。以前見たときとやりとりが変わっているかもしれないけれど、自分で見ては、またショックを受ける可能性があるから見られない。かといって、そのままにしておけば、嫌だった記憶はいつまでも繰り返し浮かんでくる――というわけで、私に確認を依頼してきたというわけ。自分なりに、解決方法を探している。「ちゃんと確かめてあげるから、安心して午後の授業も受けなさいね」と言ったら、「わかりました」と言って電話を切った。
 昇平が帰宅してから、私の目から見た内容を伝えて一緒に話し合い、先にやりとりが荒れていた理由を考えた。本当に、ずいぶん落ち着いてきて、「あの程度のことで死ねとか言うのは、言い過ぎだよね」などと言えるようになっていた。表情も明るくなってきて、久しぶりで、テスト勉強もまともにやっていたので、こちらとしてもホッとした。

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11月12日(金)
 時折、嫌なことは思い出すようだが、だいぶ落ち着いてきた感じがする。嫌な記憶の場面の理解と整理も、徐々に始まっている。
 ただ、私が風邪をひいたようで、朝から頭痛とくしゃみ、鼻水。熱はないのだけれど体がだるくて、一日ぼーっとしていた。
 明日は親の会の芋煮会なので、早めに休んだ。

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11月13日(土)
 NPO法人りょうぜん里山がっこうへ芋煮会へ。体験型施設なので、食育スタッフさんに指導してもらって、子どもたちが材料を洗って刻み、スタッフさんが芋煮汁に仕上げてくれている間に、私たちは「サバイバルライス」作りに挑戦した。
 サバイバルライス(略してサバメシ)とは、大地震などの災害時に火も電気も使えなくなっても、アルミ缶2個と牛乳パックを使ってご飯が炊ける方法。煙は出るし、すぐ火が消えるしで、みんな大騒ぎだったけれど、最終的にはちゃんと食べられるご飯が炊けて、全員感激。芋煮汁もおいしかった。その後、子どもたちは一緒に遊び、大人もたくさんおしゃべりができて、大満足で帰ってきた。
 疲れてしまったのか、昇平は帰り道で不安定になったけれど、しばらく話をしたら落ち着いた。まだ時々落ち込むけれど、立ち直りは以前よりスムーズになってきた。
 そうそう。私の風邪も、芋煮会の間に治ってしまっていた。ひどくならなくて良かった。

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11月14日(日)
 午前中は家庭教師と、午後は私と、数学のテスト勉強。新しい内容に入ると急に嫌な記憶がフラッシュバックしてきて落ち込むけれど、わかり始めるとそれが落ち着く。やっぱり「不安」が要因だね。
 いろいろ話す中で、その出来事を整理していく。彼としては、ネット掲示板などですぐに喧嘩腰のやりとりが始まることや、通常ならどうということのない発言に対してすぐ「死ね」や「うざい」とコメントが返されることがショックだったわけだけれど、今夜はとうとう「なんだか、それをひどいと感じるぼくのほうが普通のような気がするんだけど」と言った。その通りなんだよ! 君のほうが正しい感じ方をしてるんだよ! と力を込めて答えた。他の大勢の人が、君と同じように、そういうのは嫌だと感じているんだよ、とも。
 明日はまた学校が始まるけれど、ネットでおもしろいギャグを見て大笑いしたからか、今夜はスムーズに眠りについた。

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2010年11月 8日 (月)

昇平3行日記・6

※全然3行で収まっていない3行日記。

11月1日(月)
 雨降りで薄暗い朝。なんとか普通に起きて朝の支度をしたが、学校へ送る車の中で落ち込み始め、登校できるようになるまで、学校の駐車場と校門前で20分くらい待った。
 担任を通じて申し込んでいた校長・教務主任・学年主任との相談だけれど、11月10日以降でなければ実現できないと返事が来た。考えてみれば、3学年は今、進路決定で一番大変な時期。こんな時に不登校がらみのことで相談をお願いしても、学校側に受ける余裕はなかったのだわ。今回はもうけっこうです、と相談をキャンセルした。もう少し昇平やL子ちゃんの特性にあった授業を工夫できないか、とお願いしたかったのだけれどね。
 学校では午後から私立高校の高校説明会。昇平も最後まで参加してきた。帰宅後、家庭学習に、昨日一緒にやった二次関数の問題を出してみたところ、一人で完璧に解くことができた。「すごいね、やったねー!」と誉めたら、「ぼく、ここはもうわかっちゃったよ」と昇平。その笑顔が、とても嬉しそうだった。

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11月2日(火)
 連絡帳に「相談はもうけっこうです」と書いたら、朝、担任から電話がかかってきて、今日の夕方ならば時間がとれるので4時から相談でどうでしょうか、と言われた。主人の実母の命日で、夕方は昇平と墓参りをする予定だったけれど、急きょ私だけで墓参りをすませて学校へ行った。
 お願いしていた教務主任や学年主任は、学年会議で出席できなかったが、校長先生と、特別支援教室担任の先生方3人(昇平の担任、知的級の担任、副担任)で相談に応じてくださった。
 こちらから最近の昇平の状態を報告し、パニックを起こさないような先手の対応をお願いしたいことを話し、本人にわかる授業をしてほしいことを、昇平の教科書やノート、私と勉強をしたときのメモやワークブックを実際に見せながらお願いした。
 1時間あまり話し合ったが、パニックへの対応についてはなおいっそう環境整備に心がけていくこと、また昇平の精神状態になお配慮をすることを確認。昇平とL子さんへの学習指導については、担任だけでなく学校全体で特別支援教育に関わる取り組みを始めているという説明を受けた。
 校長先生は今年赴任してきた方で、特別支援教育の経験もあるだけに、子どもたちの状態はよく理解してくれたし、校長が今年の学校経営方針に掲げた内容は、私がその席で先生方にお願いしたのと同じ内容だった。実際には、成果が出てくるまでには時間がかかる取り組みだから、あと4カ月で卒業の昇平やL子ちゃんにどの程度間に合うかは不明なのだが、このあと小学校から中学校の特支学級に入ってくる子どもたちのためにも、ぜひその方針で改善していってほしいとお願いをした。
 現状はすぐには変わらないし、学校側としても人員的な問題などがあって、思い通りに対応できない悩みもあるようだけれど、それでもこちらの話に真摯に耳を傾け、双方の望むものの方向性が一致していることを確認できたのは、とても大きな成果だった。
 つまづいた教科については家庭学習で補っていくので、昇平たちが安心して通える学校であること、「わかった」「できた」の実感のある授業を目ざすことを再度お願いして、5時過ぎに話し合いを終えた。

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11月3日(水)
 文化の日で祝日。昨日期末テストの範囲表が渡ってから、また情緒不安定ぎみになってきたので、さっそく数学と英語を私と一緒に勉強した。理解しにくい場面になると、とたんに不安定になって、嫌なことを思い出してしまうけれど、最終的には今日の内容を理解できて、良い表情で終わった。
 ところが、夜、ネットのニュースサイトで、自殺した小学生に関する記事を目にしたようで、「世の中は人をいじめるようなひどい奴ばかりがいるところだ」とまた不安になって、11時半になっても布団の中で眠れないでいた。本人の話に徹底的につき合って、世の中には人の痛みがわかる人もたくさんいること、特に昇平が行く予定の高校には、いじめなどを経験して傷つき、学校に行けなくなっていた子がたくさん来るし、そういう子どもたちに「うちにおいで」と言ってくれる学校だから大丈夫なのだと説明した。
 昇平の社会に対する不安は、実際には、自分がこの先出ていく社会への不安だから、そんなふうに見通しを立てて説明してもらうと安心できるらしい。1時頃まで話し合ったが、ようやく落ち着くことができて、「これからもまたいろいろ不安になると思うんだけど、そのときにはまたぼくを安心させてくださいね。お母さんに迷惑かけたくはないんだけれど、お願いしますね」と、とても丁寧なことばづかいで言った。うん、大丈夫だよ。そのためにお母さんは君のそばにいるんだから、と答えたら、ようやく本当に安心して眠りについた。

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11月4日(木)
 天気が良かったからか、割と元気に目を覚ました。睡眠不足が心配だったけれど、1校時目の保健体育を見学しただけで、他の授業はちゃんと受けられたらしい。
 私は親の会の「アサーション」学習会へ。アサーションとは他者とうまく折り合いながら自分の意見を伝えるためのテクニック。一昨日の中学校との話し合いは、まさにそのアサーションだった。
 昇平は、夜になって「また嫌なことを思いだした」と不安定になったけれど、「それは脳が疲れたからなんだよ。お母さんも時々なるよ」と教えると安心して、Wii Fitで瞑想をしてから寝室に行った。後でのぞいたら、今夜はよく寝ていた。

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11月5日(金)
 「今日は自分で自転車で学校に行くからね」と言って、自力で登校していった。おお、すごい進歩だ! と思っていたが、10時過ぎに携帯が鳴って、「もう我慢できない。家に帰る」と電話がかかってきた。
 何事があったのかと思い、昇平と担任から代わる代わる話を聞いたら、苦手な数学の単元のまとめの問題をやるというので不安定になり、嫌なことを思いだして、家に帰ると言い出したのだとわかった。次の授業は好きな英語だし(予習してあるので自信がある)、4校時目は午後からの高校説明会の会場準備。午後は公立の高校説明会で昇平には直接関係ないので、「午後の説明会には出なくていいから、給食を食べたら早退しておいで」と言ったら、なんとか承知して電話を切った。連絡帳によると、その後少しずつ落ち着いて、4校時目にはいつもの状態に戻ったらしい。二次関数をまだ始めのほうしか理解していないのに、そのまとめの問題をやると聞いて、不安になってしまったんだよね……。「二次関数はお母さんと勉強するから、次の図形の単元に進んでください、と連絡帳でお願いしてあげるからね」と言ったら、昇平も少しほっとしたようだった。
 昇平が早めに帰宅したので、また悪化してきた口の両脇の炎症を診てもらいに皮膚科へ連れていった。真菌に感染しているので、なかなか完治しない。また抗生剤を処方された。

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11月6日(土)
 週末なので、私と一緒にテスト勉強。特に数学は、新しい内容に進むたびに不安になって落ち込むが、丁寧に教えると理解するので、次第に明るい顔になっていった。
 社会の公民も、社会性の発達が立ち後れている昇平には非常に難しいので、内容を絵に描きながら、ポイントを絞って教えた。裁判所の仕組み。絵で見たから、少しは覚えていられるかな?
 このところの多忙で、私はさすがに疲れた。眠い。

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11月7日(日)
 今日も一緒にテスト勉強。二次関数は変域まで進んだ。だいぶ理解してきた感じがする。
 雲ひとつない快晴。家庭教師との勉強は今日はお休みなので、テスト勉強の後で、マクドナルドとゲームセンターに出かけた。ハンバーガー久しぶり。ゲームセンターはうるさいので、私は駐車場の車の中にいたが、昇平に誘われたので、エアホッケーを2勝負した。
 一日落ち着いて過ごしていたが、夜になってまた不安から精神不安定になり、30分ほど私としゃべった。この世には、他人に対してすぐ「うざい」「消えろ」「死ね」と言うような人が大勢いる。こんな恐ろしい世界には住みたくなかった。みんな、表面はいい顔をしているけれど、心の中ではみんな障害者を馬鹿にして、いなくなればいいんだと思っているんだ。みんなそうなんだ、お母さんたちだってきっとそうなんだろう。そんな話をしてくる。
 それに対してひとつずつ、丁寧に丁寧に説明をして、誤解を解き、世の中を見えるようにしていく。……さすがに、「お母さんだってそうなんだろう」と言われたときには涙が出たけれど。でも、そうやって自分の中の不安や心配や疑問を口に出してくれるようになったから、こちらもそれに対して話をして、混乱を整理してあげられるようになってきた。とうとう、一番の不安の元に解決方法を見つけた昇平。「(混乱の整理を)手伝ってくれてありがとう」と何度も何度も言った。こちらのほうこそ、話してくれてありがとうね。

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2010年11月 1日 (月)

昇平3行日記・5

※全然3行で収まっていない3行日記。

10月25日(月)
 土曜日の学校祭の振り替え休日だったので、昇平と病院へ行って、最近の不安定について相談して、軽い抗鬱剤を処方してもらってきた。夜に小さな錠剤を1錠飲むだけなので、難しくはない。
 日中は落ち着いて過ごしていたが、夜布団に入ってから、嫌なことが浮かんできたようで、11時半に私が寝に行ったら、まだ寝つけずにいた。
 不安定がひどくなっているので、安定剤も頓服させたが、なかなか効かなくて、結局1時近くになって、ようやく眠った。明日からまた学校だから、不安になってしまったんだね……。

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10月26日(火)
 週始めの不安と睡眠不足でなかなか起きられない。声をかけてようやく起こし、本人のペースで支度をさせ、朝食を食べさせて、私の車で学校まで送った。10分くらいの遅刻。
 学校では1~3時間目まで、教室の後ろについたてを立て、マットと毛布を持ち込んだ特設スペースを作って、そこで寝ていたらしい。それでスッキリしたのか、4~5時間目はしっかり授業を受けたが、その後、6時間目と掃除の時間にはまた寝ていたらしい。
 迎えに行ったら、「掃除の時間の後で目が覚めたときに、また嫌なことが頭に浮かんできたんだけど、長い時間金縛りにはならなかったんだよ」と教えてくれた。金縛りというのは、嫌な記憶がフラッシュバックしてフリーズしてしまう状態のこと。以前は解けるまでに10分くらいかかったのが、今回はあまり時間がかからなかったらしい。「お薬の効果が出てきたんだね。良かったね」と話した。

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10月27日(水)
 寒い朝だったが、割と順調に起きてきた。「今日は自転車で学校に行く」と言っていたけれど、次第に不安になってきて、「風邪気味だから送ってちょうだい」と言い出し、出かける直前にはまた少し落ち込んでいた。ただ、以前より落ち込んで動けない時間は短くなってきている。
 2カ月前から予約していた、スクールカウンセラーとの相談日。高校受験のための面接練習は、本人の考えやものの見方をまとめる意味でも、非常に効果が出ているが、最近の昇平の状態にはとても心配していただいた。ちょうど4校時目に面接練習も入っていたので、その時に昇平の話も聞いてくださることになった。
 相談から帰宅して間もなく、学校の昇平から電話。今日は実力テストだったのだが、その途中でL子さんが大声を上げたことで昇平もパニックになり、「もう我慢できない」「家に帰りたい」と言ってきた。4時間目に面接練習があること、この後のテストはL子さんと別の部屋で受けさせてもらうよう担任に言ってあげることを伝えると、なんとか納得して、「最後まで頑張ってみる」と電話を切った。実際、面接練習をし、テストも最後まで受けることができ、疲れたけれどやり切った、という顔で帰ってきた。
 夜、校長先生たちと一度お話ししたいことを、連絡帳を通じてお願いした。

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10月28日(木)
 咳が少しずつひどくなってきているが、今日は学年の球技大会で授業がないので、落ち込むこともなく登校していった。学校でも、試合に少し出て(ボールはまったく受けられなかったようだが)、あとは交流クラスの応援をしていたらしい。
 こうなると、昇平の登校しぶりの原因も特定しやすい。やはり、「勉強がわからなくなってきていること」。そのことで、自分はダメな人間だと思い知らされるから、学校に行きたくないんだよね。どうやって、それを乗り越えて自信を見つけるか。……誰もが経験する大人への通り道かもしれないけれど、発達障害を持つ子の道は、定型発達の子どもたちよりも困難が多いと感じる。
 校長、教務主任、学年主任の先生方との面談は、日程調整中。

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10月29日(金)
 夜寝る間もマスクをさせたら、咳がぐっと少なくなって、一安心。
 今日も学校では穏やかに過ごしたらしい。車で送迎したけれど、今朝は行きしぶることはまったくなかった。
 嫌なことを思いだして落ち込む場面はまだあるけれど、落ち込んでいる時間がとても短くなった。抗鬱剤もうまく効いているようで、これも一安心。

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10月30日(土)
 いよいよ、昇平の登校しぶりのきっかけになった数学の二次関数を、私が教え直しすることにした。
 やってみると、一生懸命考えて理解しようとするのに、どうしてもわからないでいることが感じられた。元々、数学にはそれなり自信があったから、その事実がショックで、一気に自信喪失してしまったらしい。
 どこかにつまづきがあると感じたので、あれこれ調べ、X(エックス)の二乗の出し方がよくわかっていないことを発見。これではできるはずがない。数学の教科書を読んでみると、導入部が昇平には非常に理解しにくかったこともわかった。ここできっと混乱したんだろう。明日、もう一度、つまづいたところに戻って教え直すことにした。
 午後はL子ちゃんが遊びに来てくれて、二人で楽しそうにゲームをしていた。

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10月31日(日)
 午前中、家庭教師と数学。先週お願いしていたとおり、二次関数をスキップして、次の円周角の単元の予習に取りかかってもらった。図形は得意なので順調に進んでいたが、終わったときに「ぼくはダメだ」と自信のないことを言ったという。
 午後、私とまた二次関数。つまづいたところを理解した後は、グラフが書ける、二次関数のグラフの特徴もわかる、二次関数の式を選ぶ問題もできる……。「当たってるよ」と言うと、「えっ、本当に?」と驚いていて、その後はとても元気になった。
 つまづきのクリアが問題だったわけだけれど、私にそれができたのは、昇平に信頼してもらえていたからかもしれない。とても落ち込んでいた昇平だけど、私のことばだけは届いたから。ペアレント・トレーニングを学び続けてきたのは無駄じゃなかった、と思った。 
 
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