発達障害

2022年1月17日 (月)

オンラインを活用した親の会活動

Line

私は現在2つの親の会に役員として参加しています。

ひとつは『福島とーます!』という発達障害の子を持つ親の自助団体。

もうひとつは『FDFチャレンジの会』という、現在息子が利用している就労支援事業所の保護者会。

親の会(とーます)では広報を、保護者会のほうでは会長を担当させてもらっています。

そして、どちらの会も、一昨年からの新型コロナのために活動を大きく制限されています。

 

親の会も保護者会も、同じような子を持つ親たちが会って話して、つらかったり困ったりする気持ちに寄り添ったり、相談に乗ったり、情報を共有したりすることが活動のメインです。

子どもの理解や支援のために、学習会も開催します。

親の会では親子のお楽しみ会やお泊まり会、調理実習などを長年続けてきたし、事業所の保護者会でも事業所のスタッフと協力して新年会やバザーを開催してきました。

子どもたちが大きくなってからは、親たちと顧問の先生方とで温泉旅館で忘年会もできるようになって、それが年に1度の楽しみでした。

でも、それが新型コロナのせいで、どれもすべてできなくなってしまいました。

 

「これからいったいどうしよう?」

役員は途方に暮れました。

集まりたいし話したい。でも感染は怖い。

感染が収まるまで待っていて子どもの問題に対処できなくなるのが不安だし、せっかくできた親同士のつながりが切れていってしまうのも怖い。

どうしよう、どうしたらいい?

そう考えて出た答えは、職場などで実施されているのと同じ「オンライン」でした。

 

親の会のほうは、幸い以前から会員間の連絡用にLINEを使っていたので、それを拡充していきました。

顔を合わせてのミーティングや学習会も開きたかったので、ZOOMも導入しました。

どちらも、LINEやZOOMに慣れている会員がいたので、その人を核に不慣れな人や未経験者を巻き込む形で広げていきました。

それでもZOOMなどはまだハードルが高いようで、参加できているのは会員の半分くらいですが、参加できた人たちでオンライン忘年会やオンライン暑気払い(飲み会)も開催しました。

 

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ZOOMは経験者がホストになって、LINEやメールを活用しながらひとりずつに導入や接続テストを行いました。

親の会のメンバーは女性がほとんどで、ITに苦手意識がある人も多いので、丁寧で親切な対応が成功の鍵のように感じます。

おかげで親の会のほうはコロナ消滅の危機を逃れた、と個人的にですが、思っています。

LINEやZOOM導入の核になってくれたメンバーには本当に感謝です。

 

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一方、事業所の保護者会のほうは、コロナの感染拡大と同時に休会に入ってしまいました。

それでも事業所で実習をがんばる我が子たちを応援したくて、誕生会やクリスマス会などに保護者会から飲み物(ジュースなど)を提供する、という活動だけは続けてきました。

昨年後半になってワクチン接種も進んで感染者が減ってきたので、「次年度は活動が再開できるのでは」と期待していたのですが、残念ながらオミクロン株による第6波が到来。

新年度もまた集まっての活動が難しくなってしまいました。

 

もうこのままではいけない! このままでは保護者会が消滅する!

そんな危機感から、つい先日、保護者会のほうにも役員三役のグループLINEを立ち上げました。

LINEをしていない役員もいたのですが、お願いして導入してもらいました。

それまではメールでの連絡網しかなかったのですが、グループLINEなら相談も簡単にできます。

令和4年度も引き続き活動は休止することに決まったのですが、半年経ったところで状況を見て、再開できるかどうか役員で検討することになりました。

Ytb

また、4月から福島駅前の再開発工事が始まるので、事業所そのものが別の場所に移転するのですが、保護者が集まって説明を聞くことができないので、それも動画で配信するよう所長にお願いしました。

今はほとんどの保護者がスマホを持っているので、動画なら見られるはずです。

所長にも「その方向でやらせていただきます」と言っていただけました。

 

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どんなにオンラインの技術が発達しても、こういう会においては、対面での集まりに勝るものはありません。

だから、オンラインが本来の活動を超えることはできないのですが、コロナのせいでできないというのであれば、可能なこと、できることを精一杯探してやってみるのは、大事なことじゃないかな、と感じています。

一番大事なのは親同士のつながりを切らないこと。

こういう子育てをしている親は自分だけじゃないんだと思うだけで、勇気も元気も湧いてきますから。

 

まだもうしばらくコロナに邪魔される日々が続きそうですが、諦めずに使える手段を活用して、細く長く活動を続けていきたい、と思っている令和4年です。

 

2021年12月 6日 (月)

料理と自立の力

「今日は何も予定がないから、私がお昼を作りたいな」

と日曜日に昇平が昼食を作ってくれました。

メニューは大好物のペンネ・アラビアータ。

過去に何度も作ったことがありますが、今まではそばで私が様子を見守りながらの調理だったので、今回は完全に自分だけで作ってもらいました。

 

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レシピを見ながら自分で揃えた材料。

置き場所がわからないものを聞くときだけ、私を呼びました。

「ベーコンは厚切りを使って、ハーブを利かせたパスタにしたい」と言っています。

 

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真剣に調理する昇平。(顔出しNGなので一部画像処理しています)

にんにくをみじん切り中。

背が高いので調理台が低くてちょっと大変そうです。

 

この写真を撮った直後、まだ沸騰していないお湯にパスタを入れようとしたので「まだ早いよ! もっとこう、ぐらぐら湧いてからいれるんだよ」と一言だけアドバイス。

「沸騰」の状態を今回初めて認識したようです。

 

その後は完全にひとりだけで調理。

私は別室で自分の作業をしていたら、「できたよ!」と呼ばれました。

あら、早い。

 

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できあがりはこちら。

昨夜の残りのポトフを温めて添えました。

 

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彼のお皿はこっち。もちろん大盛りです。(笑)

ハーブを利かせたい、と言っていた通り、にんにく、バジル、ローズマリー、ローリエといろいろなハーブの香りがミックスして、とても美味しくできあがっていました。

本人も出来映えに大満足。

そして、完全に自分だけで作れたということに、また満足。

「私もやればできるんだね」

「そう、君はもう、その気になればできるようになってるんだよ」

と私は後押し。

 

 

彼は基本的に私への依存心が強いです。

これまでずっと目をかけ手をかけて育ててきたのは母親の私なので、「お母さんの言うことに従っていれば間違いない」と思っているようだし、「なんでもお母さんが手伝ってくれる」と思っている節もあります。

でも、今はそれでよくても、20年後には私は年を取ってしまって、それができなくなっている可能性は高いです。

私はもうこの世にいないかもしれない。

今のままの関係でいたら、そのときに昇平が困ってしまいます。

 

そこで、最近はできるだけいろいろなことを昇平自身にやってもらうようにしています。

今回の料理のように、やってみれば自分だけでできることもたくさんあるのです。

彼に必要なのは、自分でやってみようとする気持ちと、成功体験を通じて得られる自信なのでしょう。

小さなこと、日常のことでいいから、いろいろ自分だけでやってみて、自立の力をつけていってほしいと思っています。

 

 

(おまけの写真)

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農家をしている親戚から届いたリンゴ。

甘くて美味しいです。

毎日夕食後のデザートにいただいています。

ここ伊達市に嫁いでから、果物は買うものではなく、もらって食べるものになりました。(笑)

 

2021年11月 8日 (月)

彼が発達障害になった原因と後悔

 

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(カランコエの二番花。満開になりました。)

 

これまで何度も書いているとおり、我が家の次男坊の昇平には発達障害があります。

障害がわかった3歳の頃から、就労支援事業所に通っている現在までの20年間の道筋は、「発達障害てくてく日記」の本に載せたとおりなのですが、そこに書き切れなかった「彼が障害を負ってしまった理由」とそれに関連することを、今日は書いてみようと思います。

今までにも何度も書こうとしたけれど、うまく書けなくて、公開する前に削除してしまった内容です。

 

1995年8月、昇平は総合病院の産婦人科で産声を上げました。

とても元気な泣き声でしたが、その時点で彼はもう障害を負っていました。

陣痛微弱で入院したのにお産が始まらず、予定日を1週間過ぎてもまだ生まれないので一度家に戻され(そのとき私は郡山市内の実家にいました)、翌日病院へ診察に行った際に破水……したらしいのですが、高位破水だったので、ドクターも看護師も私も気がつかずにそのまま帰宅。

ところが、家で過ごしていてもなんだかおかしい。

水がちょろっと漏れるような感覚がするけれど、いわゆる破水のような大量の水は出ない。

病院に電話してみたけれど「大丈夫ですよ」の答え。

一晩様子を見て、やっぱり気になるから、と病院へ行ってみると、陣痛が始まっていたので、そのまま入院。

日付が変わる直前の深夜に、自然分娩したのでした。

産声は本当に元気で、産室いっぱいに声が響き渡りました。

でも、陣痛が本格的になってきたから助産師が羊膜を切って破水させようとしたら、もう羊膜がなくて焦ったとか、出産の際に排出された羊水が濁っていたとか、高位破水のせいで昇平は新生児肺炎を起こしたのだとか、お産が深刻な状況だったことを後から聞かされました。

 

出産した翌日、初めてお乳をあげました。

初乳はあまり量が出ないので粉ミルクで補うのがその病院のやり方でしたが、昇平はびっくりするような勢いでミルクを飲んで、あっという間に飲みきってしまいました。

同じ頃に生まれた他の赤ちゃんは、まだ飲むのがうまくなくて、とても時間がかかっているのに。

どうしてこんなにこの子は早いんだろう? と思っている間に、彼は新生児肺炎を起こして熱を出し、産婦人科から小児科の病棟に入院してしまいました。

そこでも彼は看護師さんが飲ませてくれるミルクを速くたくさん飲み、空気もいっぱい呑み込んで、せっかく飲んだミルクを大量に吐くようになりました。

それを繰り返すうちに、彼はミルクが大嫌いになってしまい、時間をかけないと飲めない(ということは、吐くことがあまりない)母乳しか受け付けなくなりました。

離乳食もあまり食べなくて、母乳ばかり飲んでいたので、10か月になる頃には母体の私が弱ってしまって何度も倒れる状況になりました。

これではどうしようもない、と強制的に断乳して、やっとまともに離乳食を食べ始めたのが1歳前のことでした。

 

どうしてミルクや離乳食の話をしているかというと、彼が生まれた翌日にはもう、障害がはっきり現れていたことをお知らせしたいからです。

その後の新生児肺炎などのせいで発達障害になったのではありません。

生まれたその時点で彼はもう障害を負っていて、まともにミルクを飲むことができなかったし、極端な偏食もすでに始まっていたのです。

 

時間が前後しますが、昇平は母親の私より1週間ほど遅れて、病院の小児科病棟を退院しました。

そのとき、主人と私で迎えに行ったのですが、産婦人科のドクターから、上に書いたようなお産のときの状況を聞かされ、「将来なにかしらの症状が出る可能性があります」と言われました。

そうなったときにも、病院から保障などは出ない話もされました。

高位破水による障害は、普通の破水と違って専門家でも気がつきにくいので、病院の責任とはされないということでした。(こんな風には言われませんでしたが、内容を要約するとそういうことでした)

でも、私も主人もその話を聞いて、「将来出るかもしれない症状」というのが「一生涯背負うことになる発達障害」のことだとは思わなかったのです。

まだ発達障害ということばが使われていなかった時代です。

私たちには知識がまったくありませんでした。

退院してからも、昇平は気管支がとても弱くて、しょっちゅう喘息のような症状を起こしていました。

気管支炎を起こしては呼吸困難になるので、私は苦しがる彼を一晩中抱いて柱にもたれて寝ていました。

「将来出るかもしれない症状」とは、そういう慢性気管支炎のような、身体に出てくる障害のことなのだと思っていたのです。

 

今ならわかります。

昇平は、高位破水のせいで外界とつながってしまった子宮の中で感染症を起こして、脳にダメージを受けてしまったのです。

遺伝的のような、そもそも生まれ持ってきた要因もあったかもしれません。

けれども、発達障害になった直接の原因は、高位破水に気がつかないまま24時間以上経過してしまったために起きた感染症だったのです。

ただし、世の中の発達障害を持つお子さん全部が、こんなふうに、出産時のトラブルで障害を負っているわけではありません。

こんなふうにはっきりしているケースはむしろ少なくて、普通に生まれ、普通に育ててきたのになんだか育てにくい、他の子と発達の様子が違う……ということで発達障害だと気がつかれるお子さんのほうが、圧倒的に多いです。

 

その後も昇平の子育ては悪戦苦闘でした。

6歳上の長男のときにはこんなに苦労しなかったのに、どうしてこの子はこんなに育てにくいのだろう? と思い続けましたが、それが障害なのだとは夢にも思いませんでした。

離乳食が進まない、夜泣きがひどい、多動で危険、指示が通じない、話し言葉もほとんど出ない、しつけができない、しょっちゅうパニックを起こす……。

そんな彼に診断がついたのが3歳の時。

その時点では多動・衝動性のほうが強かったので「ADHD」と言われましたが、自閉の特徴も強く、その後、成長するにしたがって多動性や衝動性は落ち着いていって、今は「自閉スペクトラム症」が主診断名になっています。

病院や保育園や学校、親の会といろいろなところと連携しながら奮闘した日々は、これまた「発達障害てくてく日記」の本の中に書いたとおりなのですが。

 

不思議なことに、私は病院でドクターからされた「将来出るかもしれない症状」の話を、これっぽっちも思い出さなかったのです。

診断が出てからも思い出しませんでした。

毎日毎日、とにかくできることを見つけて考えて、根気強く働きかけながら育てていく繰り返し。

ある日、本当に突然、はっと記憶がよみがえってきて、「もしかしたら、あの時のあれが原因だったのでは……!?」と気がついたのは、子育ての一番大変な時期を過ぎた後のことでした。

昇平はもう高校生になっていました。

 

もしかすると、私が記憶を封印していたのかもしれない、とも思います。

思い出してもいいはずなのに、あんなに綺麗に忘れていたのは、思い出してしまったら後悔のほうが先に立って、大事な「今日と明日のための子育て」の力が失われてしまう、と無意識のうちにわかっていたのかも。

実際、それを思い出してしまってからは、私はずっと後悔しています。

高位破水が起きるのはどうしようもないことです。

でも、家に帰ってから「なんか変だ」「なんかおかしい」と感じていたのだから、もっと早くそれを伝えていたら、もっと早く入院できて、破水にも気がついてもらえたかもしれません。

病院に電話をして「大丈夫ですよ」と言われて引き下がったけれど、あそこで「いえ、やっぱりおかしいです! 気になります!」と強く言い張ったら、病院側でもしかたなく受け入れてくれたかもしれません。

いや、そもそも陣痛微弱で1週間も前から入院したりしたから、病院側でも「またか」と思ったのだろうから、あんなに早くから入院しなければ良かったのかも……。

ずっと、繰り返し繰り返し、そんなことを思います。

どんなに「それは仕方がなかったこと」「私のせいでも病院のせいでもない」「あそこでがんばっても、きっと結果は変わらなかっただろう」と考えても、やっぱり後悔してしまうのです。

昇平自身は自分の障害を受け入れていて、私たちのことを恨んだりしてはいないのですが、それでも「あの時、ああしていれば、もしかしたら……」と折に触れて私は思います。

たぶん、この後悔は一生涯ついて回るのでしょう。

 

これが、子育ての一番大変だった時期に気がついていたら、どうなっていただろう、とも考えます。

先にも書いた通り、後悔が強くなりすぎて、悲嘆に暮れたり鬱になったりして、子育てをがんばる力が失われたような気がします。

ずっと昇平と一緒に前向きにがんばってきたけれど、こんなに前向きではいられなかっただろうと思います。

だからこそ、私は無意識のうちに記憶を封印していたのかも。

記憶がよみがえったのは、昇平がつらい時期を乗り越え、将来に希望を持ち始めたちょうどその頃でした。

「もうそろそろ思い出してもいいかもしれない」と私自身が封印を解いたのかもしれません。

無意識に。

 

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上の写真は、先週の土曜日に昇平が一人で仙台へ遊びに行って買ってきてくれた商品です。

我が家は主人も私も昇平もポケモンが大好き。

仙台駅前のポケモンセンターで「こういうものを買ってきて」と昇平に頼んだら、「頼まれたものはなかったんだけど、代わりに近くていいものを見つけて買ってきたよ」と選んできてくれたのでした。

電車に乗って仙台まで行くこと、仙台駅前をひとりで行動すること、帰りの電車の時間を時刻表アプリで調べること、時間に間に合うように駅へ行くこと、自分の行きたい店(ゲーセンや本屋)を見つけて遊ぶこと、お昼を食べること……。

はじめは私や主人と行ってやり方を覚えたけれど、今ではすっかり慣れて、しっかり遊んで仙台を満喫して帰ってきました。

 

彼がまだ小さかった頃に、障害の原因を意識していたら、こんなふうに育てることができただろうか? と思います。

親の後悔を子どもは敏感に感じ取ります。

障害を自分自身のせいのように感じて、自分に自信を持てない人間に育ったかもしれません。

怖くて不安で、仙台に一人で行くことなんてできなかったかもしれません。

だとしたら、やっぱりあの時の記憶は、前に進む道がはっきり見えるまで封印しておいて正解だったのでしょう。

過去がどうであっても、子どもは、人間は、今と未来を生きるものです。

未来に生かせる過去の振り返りは大事だけれど、ただ後悔するだけの振り返りはほどほどにして、そこにとらわれずにまた前を向いていけたら、と思います。

 

今日の日記は意味がわかりにくい文章になったかもしれません。

ただ、これを推敲するうちに、また「やっぱり公開するのはやめよう」と思い始めたり、ボタンの押し間違いで消えてしまったり(ということも過去に何度もありました)すると大変なので、このまま公開することにします。

 

願わくば、昇平がこれからも自分の障害と二人三脚で前向きに生きていってくれますように。

 

2021年8月30日 (月)

誕生祝いと小学校跡散策

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8月26日は昇平の26回目の誕生日でした。

上の写真は、彼のリクエストで作った誕生祝いのディナーです。

「ビーフステーキを塩と粗挽きこしょうで味付けして焼いて、こんがり焼いたガーリックをトッピングして、野菜サラダは千切りキャベツとピーマンとスライス玉ねぎで、スープは千切りキャベツと千切り人参と玉ねぎとベーコンで」というオーダー表を、事前に私に渡してきました。

いや、細かいな。

 

でも、すごいと思いませんか?

彼を小さい頃から知っている方は覚えていると思うのですが、昔の彼は本当にものすごい偏食で、彼が食べられるものと言ったら両手の指で収まってしまうくらいでした。

白いご飯、茹でただけのパスタ、うどん(麺だけ)、味噌汁の麩、クリームパン、鶏の唐揚げ、塩か醤油で味付けして焼いた肉、皮をむいた塩キュウリ……終わり。

ええ、本当にこれだけしか食べられなかったんです。

それも、すぐ気が散ってしまって食事に集中できないから、いつも小食で体はとても小さくて。

保育園ではほとんど何も食べられなくて、担任の保育士さんたちと私とで、ああしたらいいだろうか、こうしたら食べられるだろうか、「お母さん、今日はこれを食べられましたよ!」なんて随分やりとりしました。

 

その後も偏食はかなり続きましたが、小学校で始まった給食でも根気強く指導してもらい、家でも彼が食べやすい食材や調理法を探して、食事に出し続けてきたら、いつの間にか食べられるものが少しずつ増えて、気がつけば、ほとんどのものが一通り食べられるようになっていました。

あまり好きではない料理や食材も、今は調理法さえ工夫すれば食べられます。(だから人参は「千切り」が条件)

本当に苦手で食べられないものは、納豆くらいです。

あれほど偏食だった人が、今では誕生日のご馳走に野菜サラダや野菜スープもリクエストしてくる。

これはすごい成長だと思うのです。

 

ちなみに、普段の朝食はこんな感じです。

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(高野豆腐の唐揚げ、パセリとチーズ入りスクランブルエッグ、千切りキャベツとトマトとキュウリ、きんぴらゴボウ、キュウリの浅漬け、白飯、昨夜の鍋の残り)

最近の我が家の食事は野菜がかなり多め、肉ちょっと控えめなのですが、平気で食べてくれるようになりました。

きんぴらゴボウなんて、人参や大根の皮で作るのだけれど、「歯応えが合って美味しい」ともりもり食べてくれます。

変われば変わるものです、本当に。

ちなみに、現在の昇平は慎重177.5㎝、体重67kg。

がっしりした体格の、ガタイのいい青年になりました。

 

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誕生日の2日後の土曜日。

35度を超す暑い日でしたが、これも以前からのリクエストで、彼が通った小学校の「跡」へ行ってきました。

というのも、小学校は10年前の東日本大震災で大きな被害を受けて、別の場所に新築移転したからです。

「あの頃学校に通った道を自分で歩きたい」と言うので、車で行って、元の通学路を歩きました。

 

とはいえ実際には、彼の通学路はかなり短かったのです。

当時、本来の学区に支援学級がなかったので、登校は学校前まで私の車で送り、帰りは学校の下の児童館で過ごしていました。

あの頃はまだ、放課後デイサービスというのは存在しなかったのです。

児童館で他のお子さんとトラブルになって途中で別の学童に移ったり、高学年になってからは「自分で登下校できる練習に」と途中まで歩いて帰ってきて、そこから車で帰宅したりもしました。

かなり特殊な形での登下校でしたが、それでも彼にとっては6年間通い続けた小学校です。

大通りから曲がって、学校の正門に続く坂道を上り始めたら……「あれ、立ち入り禁止だ!?」

土砂崩れの危険があるというので、通学路にはロープが張られていて、その先は草や木が覆い被さって道が埋もれていました。

 

では、別の道から校庭のほうに回ってみよう、ということになって、そちらへ向かいました。

静かな住宅地です。

土曜日と言うこともあるのでしょうが、学校が移転してしまったから、本当に静かです。

家がなくなっている場所も、新しく建て替えている場所もありました。

 

校庭だった場所には無事に入れました。

一面草が生えていて、これも昔の姿とは違いましたが、昔の城跡で、史跡公園として整備する計画があるので、草刈りなどの手入れはしてありました。

 

「あ、幼稚園もなくなってる!」

「幼稚園は新しい小学校の隣に移ったんだよ」

「池はあるね」

「これは史跡だからね。神社も残ってるよ」

「桜の木はあるかな?」

「あるよ、ほら。周りにずっと立ってる」

「あ、これ桜か!」

 

学校の校舎も隣接していた幼稚園も、体育館も鉄棒も雲梯も、何もかもなくなってしまっていましたが、それでも昔の面影が見つけられて、嬉しかったようです。

「小学校はこの場所になくなってしまったけど、でも、自分にとっては今も小学校がここにある気がするんだ」

と言っていました。

うん。君の心の中には、あの頃のままの小学校が今も建っているんだよね。

 

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(昔の小学校跡には史跡の看板がたっていました)

 

「あの頃、自分はずいぶんカッカとすることが多かったなぁ」

なんて昔の反省も飛び出してきました。

「あの頃は自分で自分がコントロールできなかったんだ……。今はもうそんなことなくなったけど」

そうだね、そのとおりだね。

 

成長した君。

でも、それは小さかった頃を一生懸命に生きた君がいたからなんだよね。

そして、そんな君には、お母さんたち家族や、保育園や学校の先生たち、本当に大勢のサポーターがいたんだよね。

本当に、ここまで成長してくれてありがとう。

君がこんなに立派になってくれて、お母さんたちは本当に嬉しいよ。

おじいちゃんやおばあちゃんたちも、天国から見て喜んでくれているね……。

 

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最後に、彼のバースデーケーキの写真を。

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伊達市梁川町のマザーヤマキさんのガトーショコラ。

これも昇平のリクエストでした。

「クリスマスに食べた、あのどっしりしてとろけるような、濃厚なチョコレートケーキが食べたい!」(描写が細かい!)というリクエストもかなえられて、とても満足した誕生日だったようです。

 

2021年6月 7日 (月)

自分の発達障害を理解していく

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先日、息子がこんなことを言い出しました。

「ネットにはよく『わからない』『自分は物事が見えてない』と言う人がいるけどさ、私からすれば、その人たちは私よりずっといろんなことを知っていて、物事もよくわかっているように思えるんだ。それに比べて私は、いろんなことがわかってないし、見えていないことも多いから、だから、その分いっしょうけんめい頑張っているような気がする。頑張らないと見えないから」

 

最近、彼はこんなふうに自分について考えることが増えてきています。

性格判断をしてみたり、他の人の言動と自分を比較して違っているところや同じようなところを考えたり。

「自分は何者なのか?」という自分探しをしている最中なのだと思います。

そういう年頃です。

 

SNSに流れてきたADHDセルフチェックのようなものをやっていたこともあります。

自分で自分を客観視するのは得意ではないので、そういうときにも私に確認してきます。

以下はその時の彼と私のやりとり。

 

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「私は子どもの頃はチョロ助さんだったんだよね?」

「そうだね。でも、今はもう君を見てチョロ助と思う人はいないだろうね。行動は落ち着いてしまったから。ただ、中身はまだちょっとチョロ助かもね」

「中身?」

「だって、君はゲームの時にはものすごく状況判断も行動も速い。普通にスマホ画面の文章を見ていたって、私が読み終わる前に君はもう読んで理解して画面を切り替えてる。行動は落ち着いても、頭の中は高速なんだろうね」

「高速なところ『も』あるんだと思う。いつも早くわかるわけじゃないから……。この不注意で周りがよく見えない、っていうのは私に当てはまってるかな?」

「それも小さかった頃はね。今も周りがよく見えてないんだろうけど、それは見えている範囲が狭いからだよね。興味があることしか見ていないから、周りで何が起きているのかわからないんだ。それはADHDというよりは自閉スペクトラム、自閉症のほうの特徴だね。自閉症は興味の対象が『これ!』と限定されているから、それだけを見つめてとことん進んでいく感じ。それに対して、ADHDのほうは、興味の対象があっちこっちに移っていくから、気が散って周りがよく見えなくなる感じかな。うまく集中できないんだよね」

「そうか~。だとしたら、私は自閉症のほうだ」

「君はADHDと自閉症の両方を持ってるからね。そして、さっきも言った通り、ADHDの特徴のほうは外にはもうほとんど出てないから、自閉のほうが目立つようになってるんだね。ただ、お母さんも今までいろんな発達障害の人を見てきたけど、ADHDだけ、自閉症だけ、って人は誰もいなかったな。みんな両方の特徴を持ってて、その割合が人によって違ってるんだよね」

「ふ~ん」

「それと、君は両方の特徴を持ってるおかげで、得していることがあるよ。ADHDが強い人は部屋の片付けが苦手だけど、君は自分の部屋をすごく綺麗にしてるよね。それは自閉症の人の、きちんとしているのが好きな特徴のおかげだと思うな。それから、自閉症が強いとひとつのことに集中しすぎて、そこから頭が離れなくなっちゃうけど、君はけっこう切り替えが得意だよね。例えばゲームだと、君はひとつのゲームをとことんやりこむんじゃなくて、同時にいくつものゲームを平行してやって進めていくもんね。ゲーム以外でも、何か予定していたことができなくなっても、『ま、いいや』ってすぐ切り替えられるし。それってADHDのほうの特徴なんだと思う。二つの障害の特徴の弱点を、お互いの強みで補い合ってるんだよね」

「そっか~。私は自閉症とADHDのハイブリッドなんだ」

「うまいね、その言い方! ただし、自閉症もADHDも、仕組みは違っていても、周りがよく見えないという特徴は共通してる。これはどっちでも補い合うことができない弱点だから、前に君が言ったように、頑張って見るようにしないと周りが見えてこないんだよね」

「うん、私は頑張らないと周りのことが見られない」

「疲れるとは思うんだ。発達障害でない他の一般の人たちは、周りの様子が自動的に入ってくるのに、君たちは手動でやらないと入ってきてくれないんだから」

「他の人は自動的に周りが見えるの?」

「うん、そういう人がとても多いよ。今そこで何が起きているのか、とか、その人がどんな気持ちでそういうことを言ったりやったりしたのか、とか、自動的に入ってきて、わかっちゃうんだ。でも、君たちはそれが苦手。だから、意識して自分から周りを見なくちゃわからないんだよね。大変だとは思うけど、それを続けていくと、少しずつ経験が溜まっていって、前より楽に見えるようになっていくと思うよ」

「わかった。これからも頑張ってみる」

 

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我が家では彼が小学校高学年になった頃に障害の名前を教え、中学生の頃には、彼に理解できる形で障害の説明をしました。

だからといって、彼が自分の障害を完全に理解できたわけではなく、折に触れて少しずつ説明を重ねてきたわけですが、25歳になった今では、こんな感じのやりとりと理解ができるようになりました。

一番嬉しいのは、自分に障害があっても、それを自分自身の一部として受け止めて、悲観的にも投げやりにもならずに、「だから、弱点を補うのにこうしよう」とか「障害があっても、こういうところの自分はすごいよね」と思うことができるようになったことです。

自分で自分を好きでいられること。

それは、二十数年間をかけて、私たちが彼の中に育んできたものです。

 

今日も彼は事業所へ「出勤」していきました。

月曜日なので内職ですが、真面目に作業をこなしているそうです。

火曜日と木曜日と金曜日は、チームで施設外の工場へ仕分け作業に行きますが、作業にはすっかり慣れたし力もあるので、周囲からあてにされていて、「役に立っている自分」を実感できて、とても嬉しいようです。

「行ってきます!」と元気に家を出て、「ただいま帰りました!」と明るく帰ってくる。

そして、今日どんな作業をしたのか報告してくれる。

そんな日常と彼の成長がとても嬉しいこの頃です。

 

【おまけの写真】

先週行った福島市のあづま総合運動公園のバラ園の、まだ紹介していなかった花の写真です。(冒頭の写真も)

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2021年3月15日 (月)

優しさと思いやり

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昨日3月14日はホワイトデーだったので、バレンタインデーのお返しに昇平がクッキーとメッセージカードをくれました。

「お母さんはお返しに何がいい?」と聞かれたので「シンプルなクッキーがいい」と答えたら、これを選んできてくれたのでした。

美味しかったです。(*^_^*)

 

昇平は最近ずっと安定しています。

時々社会や他人の言動に悩むことはありますが、私と話し合う中で、少しずつ折り合いを付けてきているようです。

就労支援事業所での仕事もがんばっています。

週に3日は支援員と数人の仲間で工場へ行って、ホームセンターの商品の仕分けや、店舗ごとにトラックに乗せるための台車への積み上げ作業をこなし、残りの日は事業所の事務所で内職作業をしています。

仕事の内容にもすっかり慣れたし、集中力も持続力もついたので、安定した勤務状況になっています。

 

とはいえ、まったくなんの支援もなしに一般企業に就労できるかというと、彼の能力ではちょっと無理。

本人が仕事を覚えるまでしっかり教えてもらえて、さらに何か困ったりわからなかったりしたときにすぐ聞くことができる環境。

本人がわかる形で指示を出してもらえたり、混乱しないようにシンプルに提示してもらえたりするような支援。

そういう職場が必要なのですよね。

それがなかなか難しいです……特に地方では。

 

昨夜は旦那様が不在で、私と昇平の二人だけでした。

夕食にパスタ入りのトマト鍋を作ったら、昇平が「お父さんにも残しておいてあげようよ」と言い出しました。

お父さんにも食べさせてあげたいから、と。

 

その後、私が本を読んでいたら、9時半頃に昇平が茶の間に顔を出しました。

「何か用?」と聞いたら

「お母さんが寝てるんじゃないかと思って見に来たんだ……そろそろお風呂に入る時間だと思ったから」という答え。

普段はこんなことはしません。

旦那様がいないので、私が寝ていたら「お風呂に入ったら?」と起こしてあげようと、わざわざのぞきにきてくれたのでした。

 

将来の不安はまだあるけれど、こんなふうに優しくて他人を思いやれる人間に育ってくれたことを、とても嬉しく思っています💓

2021年3月 8日 (月)

昇平シリアルパンケーキを作る

Pancake

日曜日の朝、昇平が急に言い出しました。

「最近SNSでシリアルパンケーキってのが流行ってるんだよ。お母さんは知ってる?」

いや、初耳だわ。なにそれ?

検索してみたら、上の写真ようなものが出てきました。

やっぱり私は初めて見ます。

 

「これ、作ってみたいんだ。作り方を調べてもらえる?」

え、作るの? 作れるものなの? どれどれ……

あった、ありました。「クラ○ル」に作り方が。

ははぁ、パンケーキをとても小さく焼いたものなのね。

ざくざくたくさんある様子がシリアルっぽいから、シリアルパンケーキと呼ばれるんだ。

てっきりそういうシリアルが売ってるのだと思ったのですが、手作りするものだったようです。

 

動画で手順を見たら、作り方は普通のパンケーキと同じ。

ただ、ディスペンサーと呼ばれるボトルにタネを入れて、小さく焼くのがちょっと大変そう。

でも、昇平に見せたら、やっぱり「やってみたい!」と言うので、買物のついでに百円ショップでディスペンサーを買ってきました。

ダ○ソーでは「はちみつボトル」という名前になっていました。

 

その他の材料は家にありましたが、ホットケーキミックスの分量だけが、動画のレシピより多かったので、それに合わせて他の材料の分量を計算してあげました。

そこまでやったところで「はい、あとはどうぞ自分でやってね」

パンケーキは以前にも自分で焼いたことがあるので、できるはず。

ただ、困ったときにいつでも聞いてもらえるように、私は同じ台所で昼食のスープを作ることにしました。

 

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上が材料を揃えてタネを作ったところ。昇平が撮影しました。

 

Img_0388

タネをディスペンサーに入れるのにかなり苦労しましたが、なんとかできて、パンケーキを焼いているところ。

レシピには直径2センチくらいとあるのですが、直径3センチ以上になったり、火加減が強すぎてちょっと焦げたり。

ひっくりかえすときにフライ返しにくっつくので、また一苦労。

しまいには菜箸を使ってひっくり返していました。

 

作り方としてはあまり難しくありませんが、数が多いので、とにかく根気がいる作業です。

「くっついた!」とか「もういいかな?」とか言いながら、全部焼き終わるまで30分以上。

就労支援事業所で働き始めてから、集中力や持続力がすごく伸びたなぁ、と改めて思いました。

 

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最後にパンケーキをフライパンで温めながらバターを絡め、バターをのせて粉砂糖とはちみつをかけて出来上がり。

昇平と私と主人の3人で、シリアルパンケーキとトマトスープとトーストで昼食にしました。

 

シリアルパンケーキはふわふわで美味しかったです。

「たくさんあるから家族みんなでたべられるところがいいね」と昇平も大満足。

ご馳走様でした。(*^_^*)

 

2021年2月 8日 (月)

昇平とチェス

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水曜日だとブログの更新を忘れることが多いので、今週から毎週月曜日に更新することにしました。

コロナのせいで話題がない日も多かったのですが、月曜日にすると「先週あったこと」をネタに書くことができそうです。

 

さて、上の写真は「みんなのチェス」という無料アプリです。

先週、昇平が突然「チェスってなんかかっこいいから、自分もやってみたい」と言いだしたので、アプリサイトを探して私のタブレットにダウンロードしました。

チェスは昔々、私がまだ中学生くらいのときに、実家でチェス盤を購入して、兄弟で少し遊んだことがありました。

駒の動かし方はわかるのですが、特にはまったりもしなかったので、腕前としては私も初心者状態。

昇平のほうは駒の動かし方さえわからない超初心者。かろうじて駒の名称だけ知っている程度。

 

でも、今のアプリはすごいですね。

動かし方もルールも何もわからなくても、アプリのほうで「ここに動かせますよ」「ここに動かすと敵のこの駒を狙えますよ」「敵がここを狙ってきてますよ」などと、盤上の色を変えて親切に教えてくれます。

効き筋にキングを動かすこともできないので、自滅することもありません。

超初心者同士でも勝負することができます。

 

いざ、勝負!

 

……あれ?

昇平、意外と強くない?

 

ルールもよくわかっていないはずなんですが、守りが堅い。

いくら初心者同士ても、こっちは一応経験者だから軽く勝てるだろうと思っていたのに、全然です。

これなら誘いに乗ってくれるかと思って駒を動かすのに、一番確実で安全なところに退却してしまいます。

そのくせ、攻めることも忘れない。

なんだ、これ。めちゃくちゃ攻めにくいぞ。

 

結局、その勝負は昇平が逃げ切っての引き分け(ステイルメイト)。

普段使わない部分の脳をフル回転させた感じで、私はヘトヘトになりました。

 

翌日「今日もまたやろう」ということになりました。

昨日は油断したから今日は厳しく行こう──と昇平の駒を次々と取っていったのだけれど、彼はあきらめない。

こんなに少なくなったのに。

こんなにもう手駒がないのに。

「もうやめようか?」と言っても「いや、勝負が決まる最後までやる」。

え~。

なんという粘り強さ。

 

そうこうするうちに、私の駒もじりじりと減らされて、最終的にはまたステイルメイトの引き分け。

その翌日は、駒がなくなって、お互いどう動かしても相手を倒せないデッド・ポジションという引き分けになりました。

劣勢になっても彼は絶対にあきらめないんですよね。

ああ、このあたりが普段の仕事の根気強さと共通しているんだな~、と感心しました。

 

1日1勝負を続けて4日目。

ようやく私が昇平をチェックメイトに追い込んで勝ちました。

やった~! ついに勝った~!

私と昇平の今の腕前はほぼ互角のようなので、本気で嬉しかったです。

 

さらに翌日。

昇平は相変わらず守りが堅く、こちらが攻めても、取ることで防ぐより退いて守ります。

そのくせ、すぐに攻撃に転じることができる場所を維持するから、うっかりするとすぐにこちらが攻め込まれます。

この日は私の方が常に劣勢で、約1時間後、とうとう昇平が勝ちました。

「あ~、負けたっ!」と私がコタツに突っ伏したら、知らん顔で観戦していた旦那に笑われました。

私が本気でやって昇平に負けたのが面白かったらしいです。

 

でも、チェスはいいかも、と思います。

相手に勝つためには、相手の先の手を考えなくてはなりません。

日常の中で「こうしたら、どうなるか」を考えることが得意でない昇平には、良いトレーニングになるかもしれないです。

 

気がついたら、旦那も自分のiPadに「みんなのチェス」をダウンロードして、コンピューター相手にこっそり対戦していました。

打ち方を覚えたら、旦那も参戦するつもりかもしれません。

旦那は囲碁将棋が得意だから、チェスも覚えたら強いだろうなぁ……。

 

というわけで、我が家では今、ちょっとしたチェスブームが起きています。

今夜も対戦します。

また私が勝つか、それとも昇平が連勝するか、はたまた引き分けになるか。

お互い手加減なしでできるゲームが見つかって、なかなか楽しい毎日です。

 

【おまけの写真】

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2月2日。

今年の節分の食卓はこんな感じでした。

恵方巻きの丸かぶりはやりません。

ハーフサイズが4本入ったのを予約購入したので、切り分けて家族でシェア。

汁代わりに暖かい蕎麦とかき揚げも付けました。

美味しかったです。

 

2020年12月 2日 (水)

キミの体を作っているもの

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「なんじゃ、この画像は?」と思うような写真ですよね。

すみません。

アートの才能がないものですから。f(^^;

 

昇平が自分が食べたものの写真をスマホに保存していて、一覧をみせてくれたので、送ってもらって彼のシルエットに切り抜いてみました。

背景は彼の部屋です。

 

人間は自分自身では栄養素を合成することがほとんどできません。

だから、この体は自分が「食べたもの・飲んだもの」で出来上がっています。

健康を害するほど食べ過ぎたり偏ったものばかり食べたりするのは良くないけれど、食べなければ体を維持することはできないんですよね。

ごく当たり前のことなのですが、その当たり前を忘れたような食生活をする人が増えている、と感じることも多いです。

 

今はまだ私が毎日彼の食事を作り、お弁当も持たせています。

でも、将来自分だけで食べることをしなくちゃならなくなったとき、きちんと体が維持できる食事をしてほしいと思っているので、こんな画像を作ってみました。

「キミの体は食べたものから作られているんだよ。」

そんなことを表してみました。

 

 

 

 

2020年10月 7日 (水)

【発達障害】買物と選択の練習

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この前の日曜日、昇平と一緒にスーパーに買物に行きました。

新型コロナの感染予防が呼びかけられて以来、我が家の買物は週1~2回のまとめ買いです。

しかも、そのうちの1回はたいてい野菜の直売所なので、残りの買物は週1回のスーパーに集中します。

こうなると、けっこうな量と重さになります。

普段は旦那が荷物持ちに同行してくれるのですが、この日、旦那は外出。

しかも、私は風邪が治りきらなくて、体調が今ひとつ。

昇平に頼んで一緒に行ってもらいました。

 

昇平と一緒にスーパーに行ったときには、昇平は自分の飲み物とおやつを選んで、予算オーバーした分は自分のこづかいから出して、あとは店の外のベンチで待っています。

むやみに店内にいると感染リスクが上がるので、そんなふうに取り決めています。

でも、この日は私も体調が。

なので、家を出る前に昇平に頼みました。

「これから君のスマホに買物メモの一部を送るから、それを見て買ってちょうだい。

私は私で買物をして、最後に一緒にレジで精算しましょう。

そうすると買物も短時間で終わると思うから」

 

昇平に送ったメモは、彼でも迷わず選べる商品にしました。

彼が職場で使うトラベル用歯磨きセット、飲み物、ヨーグルト、彼が朝食で使うふりかけ……。

ただ、その中に「みんなで食べられるお菓子(大袋)」というのも入れてみました。

商品が決まっていない買物。

自分だけでなく、一緒に食べる家族の好みなども配慮しながら選ばなくてはいけない買物です。

これまで、こんな買物の頼み方をしたことがなかったので、昇平はとまどいましたが、

「これから自分で考えて決めなくちゃいけないことや、他の人のことを考える場面は増えてくるから、練習と思ってやってみて」

と話すと、承知して挑戦してくれました。

 

いつもなら、あっという間に自分の買物を終えて外に出る彼が、この日は私と同じくらい時間がかかりました。

それだけ、いろいろ探したり考えたりしたようです。

彼が選んだお菓子はなんだったか?

大袋に6個入った、個包装のベルギーワッフルでした。

なるほど、これなら家族全員が好きだし、小袋に入っているから食べたいときに食べられます。

私があまり選ばないお菓子なのもいい感じです。

「どうかな?」

と私に聞いてきたのでOKを出すと、ほっとした顔をしていました。

 

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スーパーでお菓子を選ぶだけの挑戦です。

発達障害があると言っても、その状態はそれぞれ違うので、こんなことは当たり前にできる人も大勢います。

でも、昇平にとっては、これが今の彼の課題。

できる力はあるはずなのだけれど、自分で選択することに自信がない──と私には見えています。

自分で判断して行動したことで、思いがけない失敗をした経験がたくさんあるから、行動に慎重になっているのだろうと思います。

いつも私がそばにいるから、私に聞けば大丈夫、と思ってしまっているところもあるのでしょう。

でも、親である私は彼より先にこの世からいなくなるはずだから、いつまでも「ああするといいよ」「こうしてね」と指示することはできません。

 

できることは自分で判断して行動できるように。

慎重すぎて指示待ちになってしまわないように。

家庭で支援できる場面はもうあまり多くないけれど、買物は貴重なその機会になると思うので、これからも時々彼に一緒に来てもらって、「考えながら判断して選ぶ」買物をしてもらおう、と思っています。

 

 

【おまけの写真】

 

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昨年の冬にいただいたポインセチアを切り戻したら、葉が青々と茂ってまた大きくなりました。

ポインセチアをクリスマスの頃に色づかせるには、夕方5時頃から翌朝7時頃まで真っ暗な中に置く「短日処理」ということをしなくてはいけないそうです。

そこで、大きめの空き箱をもらってきました。

間違って開けてしまわないように、上に張り紙を。

 

Tanjitsu

 

スマホでタイマーも仕掛けてあるので、今のところ、箱をかぶせたり外したりを忘れることはありません。

これを2か月くらい続けると、花芽がついて綺麗なポインセチアになるとか。

ちなみに、赤やピンクの花のように見える部分は、小さな花を取り囲んでいる「苞(ほう)」だそうです。

うまくいくといいな~と思いながらお世話をしています。

 

 

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