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2024年3月11日 (月)

13年目の3月11日に

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今年も3月11日がやってきました。

あれから13年が過ぎて、東日本大震災の記憶がまったくなかったり、幼すぎて記憶がおぼろだったりする方が増えてきたようです。

でも、今年の元旦に能登半島を大地震が襲ったように、日本列島に住んでいる限り、いつなんどき巨大な地震に襲われるかわかりません。

だから、今一度あのときを思い出して、あらためて備えをしたい──してほしい──と思っています。

 

上の写真は地震の直後に長男が撮った私たちの部屋です。

耐震基準が新しくなる1981年以前に建てられた戸建て住宅に三世代で暮らしていて、私たち夫婦と子どもたちは主に2階の6畳二間で生活していました。

伊達市は震度6弱でしたが、地盤や2階だったことが関係したのか、揺れは本当に激しくて、部屋の入り口の扉は飛んで外れたし、洋服ダンスもパソコンも書類も本もなにもかも、倒れてひっくり返って、部屋は足の踏み場もなくなりました。

 

上の写真は、これでも長男がちょっとだけ片付けてくれた後です。

この後、人が過ごせるくらい部屋が片付くまでに、かなり長い時間がかかりました。

私の携帯は机の上に置き忘れていたので、タンスの向こう側で埋もれてしまって、この状況を撮影することができませんでした。

 

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「君は東日本大震災をどんなふうに覚えている?」と今朝、昇平に聞いてみました。

あの日の午前中、彼は中学校を卒業したのでした。

学校から帰って昼食を食べた後、彼はひとりで2階の部屋にいました。

 

「あの日は2階でパソコンを見ていたら急にものすごく揺れたんだ。

だから急いで(1階の茶の間に)逃げたけど、すごく怖かったし、その後もすごくつらかった。

でも、お母さんたちが頑張ってるのを見て、自分も頑張ろうと思ったんだ。

考えてみたら、あのときから私は人間が変わったのかもしれないな」

 

不登校寸前だった苦しい中学時代がやっと終わって、親子でホッとしていたところにやってきた未曾有の大震災。

「世界はなんて残酷なんだろう」と私も思ったのですが。

 

確かに、あのときから昇平は変わりました。

自分の人生を自分から諦めなくなった──そんな感じ。

今では、自分にできることを責任持ってやり遂げるようになって、就労支援事業所の研修先でもあてにされるようになっています。

確かに、あのときが昇平のターニングポイントだったのでしょう。

 

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上の写真は、震災から20日目に初めて外食をした「ビッグボーイ」の限定ランチメニューです。

これだけしかメニューがなかったし、サラダバーもドリンクバーもなし。

ソースはオニオンとデミグラスと照り焼きのみ。

ハンバーグを頼んだら、ついてきたのは冷凍のブロッコリーとコーンが少しという状態。

 

それでも、久しぶりの外食は本当においしく感じられたし、店内は家族連れでいっぱいでした。

隣接する書店も、天井はまだはがれ落ちているところがあったり、すごい状況だったけれど、やっぱりお客さんでいっぱい。

3週間経っても復興はまだ半ばだったけれど、それでも伊達市や福島市の人々は、楽しみや娯楽を求め始めていました。

建物を直したりインフラを復旧させたりすることも、もちろん大切なのですが。

「被災する前にやっていたことがまたできるようになる」ということも、心の復興のためにはとても重要なのだ、と実感した瞬間でした。

 

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「こう言ったらひんしゅく買うかもしれないけど……震災のときのご飯はおいしかったな」と昇平が付け足すように言いました。

あら、それは嬉しい!

 

能登地震の被災地ほどではないけれど、あのときは我が家でも停電が3日、断水が1週間、その後もガソリン不足や物資不足が続いて、食事の支度も思うようにはできませんでした。

でも、そんなときだからこそ、私は毎日のご飯においしいものを食べてほしくて、家にあった食材とわずかに入ってくる食料で、毎日「ああでもない、こうでもない」とメニューを考えて作っていました。

おいしいものは人を元気にすると信じていたので。

 

上の写真は我が家の非常持ち出し袋の非常食と買い置きしてある食料品のストックです。

毎年3月11日が近づいてきたら、賞味期限をチェックして、期限切れが近いものは食べて、新しいのを買い足すようにしています。

 

これ以外にも防災ボトルを作って、バッグに入れました。

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最初はあれもこれもと詰め込んだけど、重くて持ち歩くのが大変なので、これだけに絞り込みました。

ミニライト、ホイッスル、紙石けん、圧縮タオル、一口羊羹、飴、小銭、チャック袋が入れてあります。

 

どんなに備えても、災害に人間は勝つことができませんが、できる限りの備えをしておけば、被害を少しは減らせるかもしれません。

打ちのめされた心を早く立て直せるかもしれません。

そんなことを思うので、今年も私は3月11日を特別な日として過ごしています。

 

14時46分にはラジオに合わせて黙祷も捧げました──。

 

終わり

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