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2022年9月27日 (火)

縄文遺跡と津軽ドライブ・2

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秋田県の大湯環状列石を見学した後は、青森県に入って、青森市の三内丸山遺跡へ。

ここは日本最大の縄文遺跡です。

遺跡そのものは地層を模した壁の向こう側にあって、駐車場からは見えません。

通常は入場料がかかるのですが、この日は「さんまるJOMONの日」というイベントが開催されていたので、特別企画展以外は無料で観覧できました。

知らずに行ったのでラッキーでした♪

 

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壁の内側に広がっていたのは、こんな景色。

天気も上々で、親子連れがたくさんいました。

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こちらは縄文時遊館という資料館に展示してあった三内丸山遺跡のミニチュア。

実際の遺跡は約40ヘクタールと広大です。

ここに巨大な建物があったり、たくさんの竪穴式住居があったり。

建物跡や墓地だけでなく、大量の土器や石器、木製品、骨格製品から木の皮を編んで作ったポシェットまで出土しています。

今から約5,900年から4,200年前にかけての縄文時代前期~中期の村だそうですが、規模からしても内容からしても、相当文化的で社会的で、大湯環状列石に続いて、縄文時代を見直してしまいました。

 

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復元された住居。

大湯環状列石でもガイドさんが言っていたのですが、柱の太さや種類、大きさなどは発掘された遺構からわかっても、その上の屋根がどんな素材でどんなふうに作られていたかは、今もって謎なのだそうです。

そこで三内丸山遺跡では、木の皮で屋根をふいた場合、土で屋根を作った場合、カヤで屋根をふいた場合の3パターンで復元していました。

上の写真の手前左から、木の皮、土、カヤで屋根を作った住居です。

カヤぶき屋根の住居はたくさんありました。

奥に見える大型の建物は高床になっていました。

住居ではなく貯蔵庫だったのかな?

 

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復元住居にはこんなふうに実際に入ることができます。

中には囲炉裏や燻製のための棚などもあって、いかにもその時代を想像しやすく整備されていました。

 

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こちらは時遊館に展示されていた、当時の住居内部の想像再現です。

奥ではお父さんが槍の手入れを、お母さんが土器を使って食事を作っています。

手前でおばあさんが機織りをしていて、孫娘がそれをじっと見ています。

そうやって仕事の仕方を親から子へ、子から孫へ受け継いでいった……ということなんだろうなぁ、と思って眺めました。

生きていく術ですよね。

天井からは燻製(干物?)にした鮭などの魚がぶら下がっています。

 

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三内丸山遺跡と言えばこれ! というほど有名な大型掘立柱建物(ほったてばしらたてもの)です。

もちろん復元で、高さや大きさはほぼこの通りだったようですが、屋根はどんな状態だったかわからないので、屋根はかけてないのだそうです。

本来の遺構はこの建物のすぐ脇の建築物の中に保存してありました。

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等間隔の6つの穴の底には柱の根元の部分が現存。

直径1メートルの穴の中に栗の木の柱が見えました。

4~5千年前の栗の木の柱!

うわぁ~!!

興奮しました。

 

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時遊館で展示物も見ました。(これは出土品ではなく通路の壁のモニュメント)

 

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おぉ~、本物の縄文土器だ!

と感動していたら──

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縄文土器がずら~り。すごい数。

下から上へ時代の順に並んでいます。

時代と共に技術が進歩して、土器が薄く小型になっていったそうです。

土器の中から炭化した栗や胡桃、ドングリなどが発見。

そういえば、今から十数年前の息子が小学生の頃に、拾ってきたドングリで縄文クッキーを焼いてみたなぁ、と思い出しました。

 →「ドングリクッキーを作って食べる:そっと、ひとりごと」

ドングリのあく抜きがものすごく大変だったっけ。

縄文人は本当に手間暇かけて食料を手に入れていたんだな、と考えたことを思い出しました。

 

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石の鏃(やじり)。

右端は黒曜石で、長野県で算出される石だそうです。

青森県の遺跡から長野県の石の鏃。

当時から全国の縄文集落で交易が行われていたということのようです。

やっぱり縄文文化は学術的に見直される時期に来ているんですね。

 

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土偶。

 

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木の皮を編んで作ったポシェット。

水の多い土壌に埋まっていたので、腐らずに残っていたとか。

 

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出土した石のペンダント・トップ。

すごくオシャレなデザインで、現代でも充分通用しそうです。

 

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昨年、北海道・北東北の縄文遺跡群が世界遺産に認定されたときの、認定書のレプリカ。

台に描かれているロゴは、この世界遺産に含まれている各地の遺跡にあって、先の大湯環状列石でも見ました。

赤いマークは火炎型縄文土器の形であり、北海道と北東北の形でもあるそうです。

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火炎型縄文土器──のミニチュア。

時遊館のガチャガチャで引き当てました。

 

三内丸山遺跡でも集落の周囲や中からたくさん墓が見つかったそうです。

大人は道の両脇の墓に埋葬され、子ども別の場所で棺壺と呼ばれる土器に入れて埋葬されたとか。

子どもの棺壺には丸い石が入れられていることもあったそうです。

 

当時は医学も進んでいないし栄養状態も良くなかったわけだから、子どもは生まれても成人するまでに大勢が亡くなっただろうと思います。

もし私がその親の立場だったら、亡くなった子どもに「また私たちのところへ生まれておいで。そして、今度こそ元気に育ってちょうだいね」と願いながら埋葬するでしょう。

大人は集落を守ってくれる神のような存在として祀られたけれど、子どもは再生を願って別の場所に埋葬されたのでは──とそんなことを考えました。

壺に入れられた丸い石も、生まれ変わりを願って入れられたものなのかもしれません。

 

おまけ。

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時遊館のレストランで「縄文発掘地層パフェ」というのが、1日10食限定で販売されていました。

食べてみたかったけど、時間がありませんでした。

これ以外にも縄文時代に食べられていたと思われる食材を使ったメニューなどがあったようです。

次に来るときには食べてみたいな~。

勾玉(まがたま)作りやミニ土偶作り、組紐作りなどの体験もできるようなので、興味のある方はぜひ、というところですね。

 

明日は津軽半島を巡るドライブについて書きます。

(つづく)

 

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