縄文遺跡と津軽ドライブ・1
今年のシルバーウィークの前半の9月17日-19日に、家族3人で北東北の縄文遺跡と青森県の津軽半島を巡るドライブに行ってきました。
台風14号が日本列島に接近・縦断していましたが、本州の北端にはまだ嵐が来ていなかったので、後半から少し雨に降られたものの、スケジュール通りに見て回ることができました。
最初に行ったのは秋田県の縄文時代の遺跡「大湯環状列石」です。
上にストーンサークル(環状列石)と復元された縄文住居のパノラマ写真を載せました。
たまたま無料ガイドに案内してもらえる時間帯に当たっていて、熱心に質問する歴史ファンの方もいらしたので、とても楽しい見学になりました。
この方が大湯ストーンサークル館のガイドさん。
お話がとても面白かったし、先の歴史ファンさんが突っ込んだ質問をしてくれるので、その方とのやりとりがまた興味深くて最高でした。
「調査の結果、ここまでわかりました」ということと「○○と言われていますが、実際にはまだわかっていません!」ということを、きっぱり言い分けるところが、ありのままでとても良かったです。
縄文時代はまだ文字がなかった時代だから、文献等はまったく残っていないので、想像するしかないんですよね。
野中堂環状列石。
最大径は44メートル。
真ん中に立っているのが日時計状組石です。
こちらが万座環状列石。
野中堂環状列石とは道路を挟んだ向かい側にあって、最大径は55メートルと野中堂より大規模。
それぞれのサークルは二重になっていて、中心の石と日時計状組石は一直線にならぶように配置されていて、それが夏至の日没の位置とほぼ一致しているらしいです。(実際には微妙にずれているとか)
万座環状列石の外側サークルのすぐ脇には建物跡があって、建物群が復元されていますが、竪穴式になっていないので、住居ではなく祭祀のための建物だろうと言われています。
サークルはたくさんの組石で形成されていますが、組石はお墓らしいので、ここは祖先の魂の安寧や祖先が自分たちを守ってくれることを願う祈りの場所だったのかもしれません。
実際の住居跡(集落)は、このストーンサークルの周辺地域に点在しているそうです。
縄文時代には時計もカレンダーもありません。
現代でも日本ではお盆に親戚や知人が集まって墓参りや祭りを開催しますが、それと同じように、縄文人も日時計で夏至を見極めて墓参りや祭りに集まったのかも……などと想像しました。
隣接する大湯ストーンサークル館も見学しました。(実際にはガイドさんにこちらを先に案内してもらいました)
遺跡からは打製石器や磨製石器も出土しているのですが、土器や土偶もたくさん見つかっています。
この土版(どばん)は子どもに人の体の構造を教えるためのものだったのでは、と言われているそうです。
NHKの公式キャラクターのどーもくんにちょっと似てるかも。
かわいい!
この後で回った青森市の三内丸山遺跡でも感じたのですが、縄文時代は私たちが学校で習ったものより、ずっと文化的で社会的な集団だったような気がします。
埋葬や先祖を祀る儀式、祭場の構造、次第に洗練されていく縄文土器や土偶など、弥生時代やその後の古墳時代だけでなく、現代の私たちともつながっていることをはっきり感じました。
縄文文化は今、考古学的に見直されてきているそうですが、確かにそうなんだろうと実感した大湯環状列石でした。
明日は青森市の三内丸山遺跡について書きます。
(つづく)
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