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2022年3月14日 (月)

震災遺構浪江町立請戸小学校

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東日本大震災とその後の福島第一原発事故で甚大な被害を受けた小学校が、昨年10月に震災遺構として一般公開されました。

学校の名前は福島県双葉郡の浪江町立請戸小学校(なみえちょうりつうけどしょうがっこう)。

以前から行ってみたいと思っていたので、昨日の3月13日、家族3人で見学に行ってきました。

上の写真は南側から撮ったものです。

津波は校舎の1階を完全に呑み込み、窓から流れ込みました。

 

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校舎の東側に建てられた管理棟から、見学料を払って入場します。

大人は1人300円でした。(料金の詳細は末尾の公式サイトで)

 

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海辺の学校らしく、青い海と空と太陽とカモメが校舎に描かれていました。

スロープが整備されているので、車椅子の方はこちらから入ることができます。

 

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津波が来る前の請戸地区の写真。

漁港の町だったので、海のすぐ際まで家がぎっしり建っていました。

「遠浅の海なので大きな津波は来ない」と昔から言われていたようです。

 

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津波の直後の請戸地区。

すべて押し流されて家はまったくありません。

一面海のようです。

 

そんな中、請戸小学校では里山の大平山目ざしていち早く避難をして、児童93名と教員11名の全員が奇跡的に助かりました。

その様子が疑似体験できるように、校舎の順路に絵本「請戸小学校物語 大平山をこえて」の場面がパネルで展示されていました。

非常にわかりやすいと感じました。

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けれども、津波の被害は大変なものでした。

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通路や教室の瓦礫は大半が取り除かれて整備されていましたが、建物には惨状が生々しく遺されています。

この日は曇り空で風も冷たかったのですが、息子は「風のせいだけじゃなく精神的に寒さを感じた」と言いました。

「その場所」に立つと、津波の恐ろしさは本当に肌で感じられます。

 

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体育館の床も津波と瓦礫が押し寄せたために陥没していました。

(ガラスで保護されているので、見学者が映り込んでいます)

この体育館では3月23日に6年生の卒業式が行われる予定でした。

 

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アリーナの外階段。

ここには瓦礫が遺してありました。

当初はいたるところがこんな感じか、これ以上だったはずです。

 

再び校舎に戻って2階に上がると、水はそこまで来なかったので、教室は普通に残っていて、パネルやいろいろな資料が展示されていました。

応援メッセージが書き込まれた黒板や、請戸の人たちがボランティアと一緒に再現していった請戸のジオラマなどもありました。

ジオラマには「○○さんの家」「△△の店」「ここで花火を見た」「散歩をした」などと、住民の記憶が書かれた札がたくさん立っていました。

 

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4年生の教室では住民の体験談映像も放映していました。

10時から20分ごとの上映だったようです。

請戸の──浪江町の住民にとって、東日本大震災が津波と原発事故からの避難という二重の災害だったことが、よくわかる内容でした。

動画は撮影禁止なので、上映直前の写真を挙げておきます。

とても胸に響く体験談でした。

 

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教室の窓から南の方角へ目を向けると、山の向こうに煙突のような構造物や巨大なクレーンが遠く見えました。

それが福島第1原子力発電所。

「こんなに近かったんだ!」と主人と驚きました。

本当に目と鼻の先です。

 

でも、震災直後の混乱の中、避難をする住民たちに東電や国や自治体から、事故の情報はまったく流れてこなかったそうです。

重大な原発事故の際に放射性物質の広がりを予測するSPEEDI(スピーディー)というシステムは準備されていました。

でも、それが原発の電源喪失からうまく機能せず、現実的な事故マニュアルもなかったために、結局重大事故の被害回避には役立てられなかったのです。

住民はテレビからの情報で必死に内陸へ避難を繰り返しました──が、結局そのルートは原発からの放射性物質が流れていったルートと重なっていました。

後に住民は「必要のない被爆をさせられた」と国や東電を訴えます。

 

津波などの被害を受けた場所を見に行くたびに思うことですが、やっぱり想像することをやめてはいけないのでしょう。

「万が一、巨大な津波が来たらどうするか?」「万が一原発が事故を起こしたらどうするのか?」「万が一全電源が喪失したら?」

絶対に安心な状況なんてこの世界には絶対にないから、やっぱり事前に考えられることは考えて、備えておかなくてはいけないのですね。

 

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学校の東に立つタワー。

上の方に見える時計は、津波が到達した時刻で止まっています。

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

さて、原発事故の影響で一時は全町避難を強いられた浪江町ですが、その後、線量が低かった海沿いのエリアから、徐々に避難は解除されていきました。

請戸小学校のある場所も、普通の格好で移動できる空間線量です。

でも、海沿いは再び津波が来る可能性がある危険なエリアということになり、家を建てて住むことができない場所になりました。

請戸漁港は再開して、船も漁に出られるようになりましたが、漁師は高台の復興住宅から海へ通っていると聞きます。

今、請戸の沿岸には防風林の松の苗木がたくさん育てられています。

 

どうか、浪江町が、請戸が、これから再び活気を取り戻していけますように。

震災遺構の請戸小学校が、ひとりでも多くの人に見学してもらって、大切なことを伝え続けていけますように。

そう願いながら請戸小学校を後にしました。

 

震災遺構浪江町立請戸小学校(浪江町公式サイト内ページ)

https://www.town.namie.fukushima.jp/soshiki/12/29757.html

 

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