伊達市歴史文化資料館に企画展を見に行く
3連休の初日の2月11日に、企画展「収蔵資料展」を見に、伊達市保原歴史文化資料館へ行ってきました。
仕事が休みだった旦那も一緒です。
この資料館は保原運動公園の一角にあって、常設展・企画展両方の展示スペースを会わせても100㎡ちょっとという小さな博物館なのですが、とても身近な歴史を扱う企画展を開催してくれるので、興味深いのです。
今回の企画展は、収蔵してある資料の絵図や古い地図から、伊達市役所がある保原町(ほばらまち)の昔の姿を読み解く、という内容でした。
保原町は子どもの頃に2年間ほど住んだことがあったし、今現在も住んでいます。
町の大通りを通ると間口が狭くて奥に細長い土地が多いことに気がつくし、大通りから外れると昔からあったらしい曲がりくねった道がたくさんあります。
「たぶん江戸時代には町の中に街道が通っていて、道に面して旅籠や店が軒を連ねていたんだろうな」と想像していました。
よく散歩をしている旦那も同じ事を言っていたので、古い地図でそれを確かめたくて、二人で企画展に行ったのでした。
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展示の前半は福島県を含む陸奥国(むつのくに=東北地方)の古地図でした。
写真撮影もOKだったので、写真を何枚か載せてみます。
江戸時代に作られた「元禄国絵図」。
現代の地図は北海道や東北を上、九州を下にして描かれていますが、この地図は東北がむかって右、九州がむかって左に描かれています。
日本を東西に分けて考えていたのが、この地図からもわかって興味深かったです。
江戸以西は大きくしっかり描かれているのに、実際には広い陸奥国がものすごく圧縮されて描かれているところにも、当時の東北が幕府にとってあまり重要ではなかったことがわかって、これも興味深いというか、なんというか。(^^;
福島城を中心にした地図(上)と、梁川城を中心にした地図(下)
福島城は今の福島市、城跡は福島県庁になっています。
梁川城は伊達市梁川町にあって、伊達政宗の曾祖父で「塵芥集」を制定したことでも有名な14代目の伊達稙宗(だてたねむね)が、桑折西山城に移るまで、伊達氏の居城になっていた場所です。(伊達氏は仙台の印象が強いですが、実際にはここ福島県伊達市が発祥の地です)
東日本大震災が起きるまで、この場所には小学校がありましたが、震災後に小学校は移転して、ここは歴史公園として整備される計画になっています。
福島も梁川も、どちらも阿武隈川の舟運で栄えた場所ですが、この一帯は養蚕でも栄えた場所で、特に梁川町は良質なカイコの卵を日本全国に出荷していたので、昭和初期までとても賑わっていました。
小さな城下町なのですが、町中の川沿いに料亭が建ち並び、明治から昭和の時代まで芝居小屋もありました。
古地図を見ると、村や城ごとに石高も書かれていて、福島城は「715石3斗8升」、梁川城は「1966石4斗2升6合」と読めます。
読み慣れていないので、間違えていたら申し訳ないのですが、たぶん梁川城のほうが福島城より規模が大きかったんだろうと思います。
今は梁川は過疎の町、福島市は県都として拡大していますが、当時は逆だったのですね。
今の福島市や伊達市付近の地図には村の名前も書かれていますが、地名が大字や小字になって今も残っている場所がたくさんあって、「あ、○○があった」「ここに△△があるぞ」と旦那と盛り上がってしまいました。
バス停などでなじみのある地名もあちこちにありました。
江戸時代やそれ以前からの地名が、今も実際に住所として使われているのって凄いなぁ、とつくづく思います。
地名は歴史そのものなんですね。
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私と旦那があまり夢中で見ていたからか、事務所から資料館のスタッフの方が出てきて、地図の説明をしてくださいました。
保原の町中に野崎寺観音や長谷寺の卯花広智寺観音という場所があるのですが「そこは昔の古墳だったんですよ」とか、「昔の地図から大通りの町割りが復元できて、住んでいた人の名前もわかったんです」とか、興味深い話が続々と。
上の写真は大正から昭和24年頃までの保原町の商店街の地図なのですが、今も残っている店の名前があちこちにあって、これまた興味深い。(丸で囲んである店は現存または看板が残っているところ。私がチェックしました)
コロナの感染拡大がなければ、復元した地図を手に実際に町を歩くツアーも実施したかったのだと聞いて、「コロナが収まったら、ぜひ企画してください」とお願いしました。
解説者付きで、古い地図片手に町を歩いて、「ここは昔○○だった」「ここには△△さんが住んでいた」「この地図にある××はこういうものだった」などと知っていく。
ブラタモリみたいで、とても楽しそうです!
本当に実施してほしいな~。
企画展から帰ってからは、グーグルマップで地図に残っている地名を確かめたり、展示会で紹介されていた本を図書館に借りに行ったり。
楽しみは今もまだ続いています。
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と、歴史に夢中の様子を書きましたが、実を言えば、私は学生時代には歴史が大の苦手でした。
○○時代にはこういうことが起きて、△△がこれをして、××事件や□□戦があって、年号は何年で……ということを学ぶのに、ちっとも興味が湧かなかったのです。
受験科目だったので勉強はしましたが、暗記が中心だったし、それも試験が終われば忘れてしまいました。
そんな私が歴史にちょっと興味を持ったのが、2013年にNHKで放映された大河ドラマ「八重の桜」を観たとき。
高校時代は会津若松に住んでいたので、鶴ヶ城が官軍に敗れて落城したのは知っていたのですが、具体的に官軍がどう攻めてきたのかをドラマで知って、自分の目でそのルートを確かめてみたい、と考えたのでした。
旦那に頼んで、車で官軍の進軍ルートをたどったのが2013年の6月。
そのときの様子はこのブログの前身の「そっと、ひとりごと」にも載せましたが、官軍と同じ道をたどり、戦場になった場所を実際に見ることで、昔がぐっと今に近づいてきたような気がしました。
http://ley.cocolog-nifty.com/hitorigoto/2013/06/post-3ce1.html
今の中に残る昔をたどる。
歴史は単なる昔の出来事の記録ではなく、まして年号を暗記することでもなく、当時の人たちがどう考えどう行動してきたかを想像して感じること。
そして、今を生きている私たちも、やがてその歴史の一部となっていって、未来の人たちから振り返って想像される……かもしれない……こと。
今はどうして今みたいな今になっていったのか。
だとしたら、今は将来どんな未来になっていくのか。
そんなことまで想像できるのが「歴史」なんだとわかったら、歴史ががぜん面白くなったのでした。
今でも私は年号を覚えるのはとても苦手です。
誰が何をしたのか、名前もすぐ忘れてしまうし、出来事もしょっちゅう後先になるから、その都度年表やら資料やら調べないとわからないのですが、それでも「歴史って面白いな」とつくづく思います。
学生の頃にこの興味に目覚めていたら、夏休みの自由研究のテーマには困らなかったでしょうね(笑)
今はそんなものもないから、気の向くまま、興味の向くまま、身近な歴史をたどって楽しんでます。
以上、最後に会津戊辰戦争もちょっと混じりましたが、伊達市保原歴史資料館の企画展のレポートでした。
館のスタッフの方が、次は保原町にあったお城についての展示を企画しているとおっしゃっていたので、それもまた楽しみです。(*^_^*)
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