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2021年11月

2021年11月30日 (火)

「勇者フルートの冒険28」第25章更新

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勇者フルートシリーズ最終巻「勇者フルートの冒険28・闇の竜の戦い」第25章「出現」をアップしました。

http://asakuratosho.sets.ne.jp/tosyo/flute/vol-28/index.html

 

ついに最終決戦開始です。

ここから先がまた長いのですが、とにかく決戦が始まります。

光と闇の戦いがどう展開され、どう決着していくのか。

最後の最後までお付き合いいただけたら嬉しいです──が、すみません、来週もまた1回おやすみです。

今週から来週にかけて、予定がいくつも入っていて、執筆時間が充分取れないのです。

次回更新は12月14日(火)になります。

 

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今回は読者イラストではなく、私の(大昔の)イメージイラストを載せてみます。

物語を考えるためのイメージなので、ものすごくラフですが。

 

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「フルート」の物語は、私が考えていた2つの話を合体させて生まれました。

ひとつは、小学生だった息子の寝物語に即興で考えて語った「勇者フルートの冒険」という話。

もうひとつは、それよりずっと前に考えていた王子とそのお供の者たちの物語。

その主人公の名前がオリバンでした。

上のイラストの左にいるのがそう。

細身でわりとハンサム、金髪碧眼、ひょうひょうとした性格の人物──という設定でした。

「フルート」のオリバンは、それとはだいぶ変わってしまいました。

 

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   ↓

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(オリバン:さゆたさん画)

 

違いすぎ……(笑)

 

この物語、キャラクターは浮かんだしネタも浮かんだんですが、そこに至るまでのストーリーが浮かびませんでした。

一方フルートは、一晩限りの即興物語のつもりで考えたから、物語としてのネタがなくて、その代わり主人公たちのキャラクターははっきりしていたので、ストーリーだけは湧き上がるようにいくらでも浮かんできました。

そこで、2つの物語を合体させてシリーズとしての中骨を作り、あとはキャラクターたちにお任せして好きなように活躍してもらう……という物語の書き方に落ち着きました。

ただ、命を狙われている王子という設定は「フルート」にも引き継がれたし、右にいるアキシム公はエスタ近衛部隊のシオン大隊長に、傭兵のザウソン・ザウールはエスタ傭兵部隊のオーダに引き継がれました。

この2人はちょっぴりイメージが残っているかな?

 

「フルート」では最終決戦が始まりましたが、どんな戦いが展開されるのか、実は私にもまだよくわかりません。

フルートたちにお任せして、彼らが動くように書いていくので。(笑)

決まっているのは結末と、いくつかのシーンと、ラストシーンだけ。

さあ、そこに向かってラストスパートです。

次の更新は2週間後になりますが、時間を見つけてがんばって書いていきますので、この後もどうぞよろしくお願いします。

2021年11月29日 (月)

晩秋の風景

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朝晩だけでなく、日中もかなり寒くなる日が出てきました。

夜明けの時間もだいぶ遅くなってきました。

 

そんな中、銀行に用事があったので、ついでに町なかをそぞろ歩きしてみました。

先週の金曜日のことです。

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木々はほとんど葉を落として裸ん坊でしたが、プランターにパンジーやビオラが植えてあって綺麗でした。

12月になると街路樹には電飾が取り付けられて、ライトアップが始まります。

 

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わずかに残った桜の葉が真っ赤。

桜って赤、黄、緑といろんな色に紅葉するから面白いですよね。

 

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神明神社ではイチョウの葉が道路脇に降り注いでいましたが──

 

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屋根にもこんもりと金色の落ち葉が。

そこだけ屋根が綺麗です。

 

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天気が良かったので散歩も気持ちいい。

でも、翌日にはみぞれ交じりの冷たい雨が降ったし、福島市では初雪も観測されました。

 

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こちらは日曜日の写真。

山々に雪が降って、吾妻小富士が真っ白になっています。

手前に広がっているのは桃畑。

これから寒さにじっと耐えて、来年の春いっせいに桃色の花を開きます。

 

11月も末。

冬は目前です──。

 

2021年11月23日 (火)

「勇者フルートの冒険28」第24章更新

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勇者フルートシリーズ最終巻「勇者フルートの冒険28・闇の竜の戦い」第24章「足止め」をアップしました。

http://asakuratosho.sets.ne.jp/tosyo/flute/vol-28/index.html

 

児童向けだった「勇者フルート」を大人も読める内容にした、改訂版の「勇者フルート」が連載スタートしたのは2004年11月12日のことでした。

丸17年が過ぎて18年目に突入したようです。

その間、本当にいろいろなことがありました。

子育ても大変でしたが、主人の両親と同居の「嫁」だったので、そちらのほうでも不安や心配やしんどいことがいろいろあって、振り返れば18年間のうちの15年間は波瀾万丈だったような気がします。

でも、小説を書いている間は、そんなあれこれを忘れることができました。

書きながら自分のリアルな生活を見直したり、勇気や元気をもらったりもしてきた気がします。

 

そんな「勇者フルート」もこれが最終話です。

1話完結しながら、ひとつの壮大なストーリーを紡いできたのですが、それも最終決戦が目前です。

泣いても笑って、もうすぐ完結。

いや、最終決戦にもそれなりのページ数はかかると思いますが。

それでも、この物語を書き終えれば、「勇者フルート」の物語も幕を閉じるわけです。

 

かつてこの話を読んでくれていた子どもたちは、もう立派な大人になっているだろうと思います。

今は仕事や生活に充実していて、「勇者フルート」は遠い思い出の中に埋もれてしまっているかもしれません。

「長い長い物語だったけど、フルートの話がもうすぐ完結しますよ」とお知らせしたいのですが、私にはその手段がありません。

子どもたちだけではないですね。

大人だった読者も、いろいろある中で、読むのをやめていった方は少なくないようですから。

だからせめて、このブログの中で呼びかけます。

 

「勇者フルート」シリーズはいよいよ最終決戦に突入します。

続きはもう読んでもらえないかもしれないけれど、でも、かつて読んでくださった皆様のためにも(もちろん、今も読み続けてくださっている皆様のためにも)、最後まで頑張って書こうと思います。

最後の最後まで楽しんでいただけたら……幸せです。

 

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今週の 読者イラストは、今はもう大人になってしまった子どもたちから送られてきた作品を一挙掲載します。

 

Saikai_kiri

「再会」きりくん

「フルート5・北の大地の戦い」のラストシーン。

 

Grajizo_muttyan

「グラージゾ」むっちゃん

「フルート1・黒い霧の沼の戦い」でフルートとゼンが初めて倒した怪物です。

 

Flute_farko

「始まりの物語のフルート」ファー子さん

まだ勇者になる前のフルートのなので私服です。

 

 

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「フルート」てけくん

背中に二本の剣を背負い胸には金の石のペンダントを下げています。再現度が高い。

 

Taniai_yua

「谷間の村ムパスコ」yuaくん

「フルート18・火の山の巨人の戦い」で出てきた南大陸の村。本当にこんな構造をしています。

 

Fluteb

「最終決戦」昇平くん

「フルート」シリーズの一番最初の読者である息子が描いた作品。当時彼はまだ小学1年生でした。

 

2021年11月22日 (月)

替えタイヤをリビングに置く

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私たちが住んでいるアパートが、今週から外装の塗装工事に入ることになりました。

最初に高圧洗浄機で外壁の洗浄を行うので、その前にベランダや玄関前のものを片付けておいてください、と言われました。

 

ベランダには植物のプランターや植木鉢がいくつも置いてあるし、玄関前には灯油缶が入ったコンテナや分別回収用のかご、冬場に使う雪はねや、バケツやちりとりといった掃除道具が置いてあります。

プランターは駐車場の隅に置けることになったし、鉢植えは寒くなったので屋内に取り込むことにしました。

灯油缶は駐車場に置くわけにはいかないので、狭くなってしまうけれど、台所の一角に。分別収集のかごはその上に載せることにしました。

雪はねなどの細々したものは、私の軽乗用車の後部座席を倒して荷台へ。

 

それらはなんとか行き先が決まりましたが、一番の難物は、旦那の車の替えタイヤ!

置き場所がないので、いつもベランダの片隅に積んでおいてありました。

さて、これはどうする?

旦那の車の荷台に積んでおくことも考えたのですが、私の車は荷物でいっぱいなので、旦那の車にタイヤを積んでしまうと、車が2台とも使えなくなります。

先日、タイヤ交換したばかりで、重たいタイヤをやっと2階に運び上げたばかりだから、それをまた下ろすのも嫌だし。

ということで、リビングにブルーシートを敷いて、その上に置くことにしました。

 

タイヤは1本ずつ綺麗なビニール袋に入れてあったので、積み上げてカバーを掛けてロープで固定。

そのままだと「なんですか、これは?」的なビジュアルなので、ベランダで使っていたすだれを巻き付けてみました。

ちょうどいいので、上に鉢植えも並べてみます。

それが上の写真なのですが、なんとなくちょっとだけインテリアっぽくなった……かな? 無理?

新品のすのこで巻けばもっと見た目が綺麗になるんですが、1か月足らずの工事のためにわざわざすのこを買うのもなんだし、季節的にも店では売っていないだろうし。

マガジンラックを前に置いて、ささやかな目隠しにしました。

わはは。(^◇^;)

 

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こんな感じで、カバーを掛けたタイヤをすだれで巻いて植物を置いてます。

ちなみに、私の車は年中スタッドレスを履きっぱなし。

だから替えタイヤは旦那の車の分の1組しかありませんでした。

 

工事は祝日開けから始まるとか。

早く終わって、また荷物をベランダや玄関前に出せるといいな~、と工事が始まる前から考えています。(笑)

 

2021年11月16日 (火)

「勇者フルートの冒険28」第23章更新

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勇者フルートシリーズ最終巻「勇者フルートの冒険28・闇の竜の戦い」第23章「巡回」をアップしました。

http://asakuratosho.sets.ne.jp/tosyo/flute/vol-28/index.html

 

小春日和が続いています。

ただ、ここ東北は急に曇って時雨が降ったり、風が冷たかったりする日も増えてきました。

朝晩は暖房なしでは過ごせない寒さです。

晩秋ですね。

パソコンにばかり向かっていると運動不足になるので、時間を見つけて散歩に出ることにしていますが、街路樹の紅葉や落葉に季節の移り変わりを感じながら歩いています。

 

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さて、今週の読者イラストはこちら。

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さゆたさんが描いた幽霊蜘蛛のアーラちゃんです。

幽霊の魔獣使いランジュールが連れ歩いています。

女の子の蜘蛛……というと、最近人気の某ラノベ(&漫画&アニメ)の主人公のようですが、こちらのほうがはるかに先輩です。

だからなんだということでもないのですが、デザイン的にこの絵に似ていたので、漫画で見たときに「おおっ、アーラちゃん!?」と思わず言ってしまいました。(笑)

小説断ち中なので原作ではなく漫画で読みましたが、なかなか面白い作品ですね。

主人公がむちゃくちゃ逞しい!

最近は女の子が強い作品が目立つ気がしますが、今の時代を反映しているのかもしれませんね。

でも、「フルート」は男の子も女の子も、大人も子どもも年寄りも、みんなでがんばってます。

 

2021年11月15日 (月)

旦那様ウルトラマンスタンプラリーをコンプリート!

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11月1日の日記にも書いた「ウルトラマンARスタンプラリー2021 in ふくしま」ですが、昨日の日曜日、旦那様がみごと全コースを制覇しました。

福島県内全域に、全12コース、チェックポイントは全部で34カ所ありました。

上はウルトラマンスタンプラリーのアプリの画面ですが、コンプリートした証拠に「GOLD」の階級が与えられています。

 

旦那様が最後に向かったのは、ウルトラマンの生みの親、円谷英二氏の故郷である須賀川市。

ここは全市を挙げてウルトラマンや特撮を観光の目玉にしています。

特撮の小道具やミニチュアなどを集めた特撮アーカイブセンターも、スタンプラリーのチェックポイントの一つだったそうです。

 

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カメラと怪獣のシルエットが描かれた建物が、特撮アーカイブセンター。

ここは今年3月に私たちも訪れました。→そのときの日記

旦那様がタブレットを向けると、こんなふうにウルトラマンが現れたそうです。

妙に絵になってる……。

 

絵になると言えば、こちらも絵になります。

 

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これはARではありません。

須賀川市のメインストリートのあちこちに配置された怪獣の像です。

これはピグモンですが、実にいろいろな怪獣やウルトラマンの像があります。

一緒に並んで座って写真を撮ることもできます。

絵になりますね~♪

 

帰宅した旦那様、こんなものも購入してきました。

 

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須賀川市内で現在行われている「ウルトラなメニューコンテスト」に参加しているお店のパンとケーキだそうです。(どら焼きは別。でもこういうウルトラマンにちなんだ商品はたくさんある)

パンは向かって左がウルトラマンの顔、右がカネゴンの顔ですが、フィルムが反射して、ちょっと見にくいですね。

ケーキはお皿に載せるとこんな感じです。

 

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左手前がカネゴン。クリームを挟んだクッキーで、ちゃんとチョコレートのお金(10円玉)を食べようとしています。

右手前はピグモン。ピンクのクリームでデコってあるのかと思ったら、ピンク色のホワイトチョコでコーティングしてありました。中身はフロマージュのムース。

奥はウルトラマンタロウ。ふるるんとしたババロアケーキでした。角はホワイトチョコレート。

どれもおいしかったです。

コンテストに参加している他の店のメニューも、怪獣やウルトラマンを模したものばかりで、見ていて思わず、クスッと笑ってしまうような楽しさでした。

☆「ウルトラなメニューコンテスト」公式ページ(主催:須賀川市観光振興協会)

https://www.sukagawa-kankoukyoukai.jp/Info/20211007.html

 

日曜日の福島県は天気に恵まれて絶好のお出かけ日和。

旦那様が送ってきた写真には、イベントで賑わう須賀川市の様子がたくさん写っていました。

新型コロナも感染が下火になって、イベントもいろいろ再開して、人が外へ出かけ始めたんですね。

ただ、どこでもみんなマスクはちゃんとつけていたそうで、「日本人は海外より真面目だな」と旦那様は言っていました。

本当に、感染には充分気をつけながら、イベントを楽しんでほしいです。

 

さて、ウルトラマンARスタンプラリーをコンプリートした旦那様。

先日とうとうガラケーがだめになってスマホに買い替えたので、「今度はドラぷら(NEXCO東日本)の東北6県スマホスタンプラリーに挑戦する!」と張り切っています。

事故がないように気をつけて、感染防止にも注意して、楽しんできてくださいませ(笑)

 

2021年11月 9日 (火)

「勇者フルートの冒険28」第22章更新

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勇者フルートシリーズ最終巻「勇者フルートの冒険28・闇の竜の戦い」第22章「応援」をアップしました。

http://asakuratosho.sets.ne.jp/tosyo/flute/vol-28/index.html

 

たびたびお休みをいただいてしまって、申し訳ありませんでした。

「フルート28」の続きを公開しました。

この後はしばらく毎週火曜日の更新になる予定です。

 

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先々週は週末に南会津へ家族旅行に出かけて、大内宿などを見て回ってきました。

写真や詳細は2つ前の記事に載せましたが、ああいう宿場町跡を歩くと、日本と西洋の違いはありますが、ファンタジーの世界の宿場町もこんな感じだったのかなぁ、と考えたりします。

通りに面して宿や店が軒を並べ、旅人(観光客)が大勢歩きながら店先を覗いたり、食事や軽食を提供する店で腹ごしらえをしたり。

人間が必要とすることって、洋の東西を問わず、時代の違いも超えて、不変なものがあるな、なんて思ったりしました。

そば粉で作った「そばがき団子」がおいしかったです。

 

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さて、今週の読者イラストはさゆたさんの「トウガリ」です。

本名はトゥーガリンといって、ザカラス国から道化間者としてロムド城に送り込まれ、そのままロムド側に寝返ってしまった、という経歴の持ち主。

「フルート8・薔薇色の姫君の戦い」で初登場してから、ちょくちょく登場するようになった名バイプレーヤーです。

私は個性派のキャラクターが好きなので、「フルート」にも風変わりな登場人物は多いのですが、トウガリはその中の代表的なひとりですね。

 

次回は来週11月16日(火)に更新を予定しています。

 

2021年11月 8日 (月)

彼が発達障害になった原因と後悔

 

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(カランコエの二番花。満開になりました。)

 

これまで何度も書いているとおり、我が家の次男坊の昇平には発達障害があります。

障害がわかった3歳の頃から、就労支援事業所に通っている現在までの20年間の道筋は、「発達障害てくてく日記」の本に載せたとおりなのですが、そこに書き切れなかった「彼が障害を負ってしまった理由」とそれに関連することを、今日は書いてみようと思います。

今までにも何度も書こうとしたけれど、うまく書けなくて、公開する前に削除してしまった内容です。

 

1995年8月、昇平は総合病院の産婦人科で産声を上げました。

とても元気な泣き声でしたが、その時点で彼はもう障害を負っていました。

陣痛微弱で入院したのにお産が始まらず、予定日を1週間過ぎてもまだ生まれないので一度家に戻され(そのとき私は郡山市内の実家にいました)、翌日病院へ診察に行った際に破水……したらしいのですが、高位破水だったので、ドクターも看護師も私も気がつかずにそのまま帰宅。

ところが、家で過ごしていてもなんだかおかしい。

水がちょろっと漏れるような感覚がするけれど、いわゆる破水のような大量の水は出ない。

病院に電話してみたけれど「大丈夫ですよ」の答え。

一晩様子を見て、やっぱり気になるから、と病院へ行ってみると、陣痛が始まっていたので、そのまま入院。

日付が変わる直前の深夜に、自然分娩したのでした。

産声は本当に元気で、産室いっぱいに声が響き渡りました。

でも、陣痛が本格的になってきたから助産師が羊膜を切って破水させようとしたら、もう羊膜がなくて焦ったとか、出産の際に排出された羊水が濁っていたとか、高位破水のせいで昇平は新生児肺炎を起こしたのだとか、お産が深刻な状況だったことを後から聞かされました。

 

出産した翌日、初めてお乳をあげました。

初乳はあまり量が出ないので粉ミルクで補うのがその病院のやり方でしたが、昇平はびっくりするような勢いでミルクを飲んで、あっという間に飲みきってしまいました。

同じ頃に生まれた他の赤ちゃんは、まだ飲むのがうまくなくて、とても時間がかかっているのに。

どうしてこんなにこの子は早いんだろう? と思っている間に、彼は新生児肺炎を起こして熱を出し、産婦人科から小児科の病棟に入院してしまいました。

そこでも彼は看護師さんが飲ませてくれるミルクを速くたくさん飲み、空気もいっぱい呑み込んで、せっかく飲んだミルクを大量に吐くようになりました。

それを繰り返すうちに、彼はミルクが大嫌いになってしまい、時間をかけないと飲めない(ということは、吐くことがあまりない)母乳しか受け付けなくなりました。

離乳食もあまり食べなくて、母乳ばかり飲んでいたので、10か月になる頃には母体の私が弱ってしまって何度も倒れる状況になりました。

これではどうしようもない、と強制的に断乳して、やっとまともに離乳食を食べ始めたのが1歳前のことでした。

 

どうしてミルクや離乳食の話をしているかというと、彼が生まれた翌日にはもう、障害がはっきり現れていたことをお知らせしたいからです。

その後の新生児肺炎などのせいで発達障害になったのではありません。

生まれたその時点で彼はもう障害を負っていて、まともにミルクを飲むことができなかったし、極端な偏食もすでに始まっていたのです。

 

時間が前後しますが、昇平は母親の私より1週間ほど遅れて、病院の小児科病棟を退院しました。

そのとき、主人と私で迎えに行ったのですが、産婦人科のドクターから、上に書いたようなお産のときの状況を聞かされ、「将来なにかしらの症状が出る可能性があります」と言われました。

そうなったときにも、病院から保障などは出ない話もされました。

高位破水による障害は、普通の破水と違って専門家でも気がつきにくいので、病院の責任とはされないということでした。(こんな風には言われませんでしたが、内容を要約するとそういうことでした)

でも、私も主人もその話を聞いて、「将来出るかもしれない症状」というのが「一生涯背負うことになる発達障害」のことだとは思わなかったのです。

まだ発達障害ということばが使われていなかった時代です。

私たちには知識がまったくありませんでした。

退院してからも、昇平は気管支がとても弱くて、しょっちゅう喘息のような症状を起こしていました。

気管支炎を起こしては呼吸困難になるので、私は苦しがる彼を一晩中抱いて柱にもたれて寝ていました。

「将来出るかもしれない症状」とは、そういう慢性気管支炎のような、身体に出てくる障害のことなのだと思っていたのです。

 

今ならわかります。

昇平は、高位破水のせいで外界とつながってしまった子宮の中で感染症を起こして、脳にダメージを受けてしまったのです。

遺伝的のような、そもそも生まれ持ってきた要因もあったかもしれません。

けれども、発達障害になった直接の原因は、高位破水に気がつかないまま24時間以上経過してしまったために起きた感染症だったのです。

ただし、世の中の発達障害を持つお子さん全部が、こんなふうに、出産時のトラブルで障害を負っているわけではありません。

こんなふうにはっきりしているケースはむしろ少なくて、普通に生まれ、普通に育ててきたのになんだか育てにくい、他の子と発達の様子が違う……ということで発達障害だと気がつかれるお子さんのほうが、圧倒的に多いです。

 

その後も昇平の子育ては悪戦苦闘でした。

6歳上の長男のときにはこんなに苦労しなかったのに、どうしてこの子はこんなに育てにくいのだろう? と思い続けましたが、それが障害なのだとは夢にも思いませんでした。

離乳食が進まない、夜泣きがひどい、多動で危険、指示が通じない、話し言葉もほとんど出ない、しつけができない、しょっちゅうパニックを起こす……。

そんな彼に診断がついたのが3歳の時。

その時点では多動・衝動性のほうが強かったので「ADHD」と言われましたが、自閉の特徴も強く、その後、成長するにしたがって多動性や衝動性は落ち着いていって、今は「自閉スペクトラム症」が主診断名になっています。

病院や保育園や学校、親の会といろいろなところと連携しながら奮闘した日々は、これまた「発達障害てくてく日記」の本の中に書いたとおりなのですが。

 

不思議なことに、私は病院でドクターからされた「将来出るかもしれない症状」の話を、これっぽっちも思い出さなかったのです。

診断が出てからも思い出しませんでした。

毎日毎日、とにかくできることを見つけて考えて、根気強く働きかけながら育てていく繰り返し。

ある日、本当に突然、はっと記憶がよみがえってきて、「もしかしたら、あの時のあれが原因だったのでは……!?」と気がついたのは、子育ての一番大変な時期を過ぎた後のことでした。

昇平はもう高校生になっていました。

 

もしかすると、私が記憶を封印していたのかもしれない、とも思います。

思い出してもいいはずなのに、あんなに綺麗に忘れていたのは、思い出してしまったら後悔のほうが先に立って、大事な「今日と明日のための子育て」の力が失われてしまう、と無意識のうちにわかっていたのかも。

実際、それを思い出してしまってからは、私はずっと後悔しています。

高位破水が起きるのはどうしようもないことです。

でも、家に帰ってから「なんか変だ」「なんかおかしい」と感じていたのだから、もっと早くそれを伝えていたら、もっと早く入院できて、破水にも気がついてもらえたかもしれません。

病院に電話をして「大丈夫ですよ」と言われて引き下がったけれど、あそこで「いえ、やっぱりおかしいです! 気になります!」と強く言い張ったら、病院側でもしかたなく受け入れてくれたかもしれません。

いや、そもそも陣痛微弱で1週間も前から入院したりしたから、病院側でも「またか」と思ったのだろうから、あんなに早くから入院しなければ良かったのかも……。

ずっと、繰り返し繰り返し、そんなことを思います。

どんなに「それは仕方がなかったこと」「私のせいでも病院のせいでもない」「あそこでがんばっても、きっと結果は変わらなかっただろう」と考えても、やっぱり後悔してしまうのです。

昇平自身は自分の障害を受け入れていて、私たちのことを恨んだりしてはいないのですが、それでも「あの時、ああしていれば、もしかしたら……」と折に触れて私は思います。

たぶん、この後悔は一生涯ついて回るのでしょう。

 

これが、子育ての一番大変だった時期に気がついていたら、どうなっていただろう、とも考えます。

先にも書いた通り、後悔が強くなりすぎて、悲嘆に暮れたり鬱になったりして、子育てをがんばる力が失われたような気がします。

ずっと昇平と一緒に前向きにがんばってきたけれど、こんなに前向きではいられなかっただろうと思います。

だからこそ、私は無意識のうちに記憶を封印していたのかも。

記憶がよみがえったのは、昇平がつらい時期を乗り越え、将来に希望を持ち始めたちょうどその頃でした。

「もうそろそろ思い出してもいいかもしれない」と私自身が封印を解いたのかもしれません。

無意識に。

 

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上の写真は、先週の土曜日に昇平が一人で仙台へ遊びに行って買ってきてくれた商品です。

我が家は主人も私も昇平もポケモンが大好き。

仙台駅前のポケモンセンターで「こういうものを買ってきて」と昇平に頼んだら、「頼まれたものはなかったんだけど、代わりに近くていいものを見つけて買ってきたよ」と選んできてくれたのでした。

電車に乗って仙台まで行くこと、仙台駅前をひとりで行動すること、帰りの電車の時間を時刻表アプリで調べること、時間に間に合うように駅へ行くこと、自分の行きたい店(ゲーセンや本屋)を見つけて遊ぶこと、お昼を食べること……。

はじめは私や主人と行ってやり方を覚えたけれど、今ではすっかり慣れて、しっかり遊んで仙台を満喫して帰ってきました。

 

彼がまだ小さかった頃に、障害の原因を意識していたら、こんなふうに育てることができただろうか? と思います。

親の後悔を子どもは敏感に感じ取ります。

障害を自分自身のせいのように感じて、自分に自信を持てない人間に育ったかもしれません。

怖くて不安で、仙台に一人で行くことなんてできなかったかもしれません。

だとしたら、やっぱりあの時の記憶は、前に進む道がはっきり見えるまで封印しておいて正解だったのでしょう。

過去がどうであっても、子どもは、人間は、今と未来を生きるものです。

未来に生かせる過去の振り返りは大事だけれど、ただ後悔するだけの振り返りはほどほどにして、そこにとらわれずにまた前を向いていけたら、と思います。

 

今日の日記は意味がわかりにくい文章になったかもしれません。

ただ、これを推敲するうちに、また「やっぱり公開するのはやめよう」と思い始めたり、ボタンの押し間違いで消えてしまったり(ということも過去に何度もありました)すると大変なので、このまま公開することにします。

 

願わくば、昇平がこれからも自分の障害と二人三脚で前向きに生きていってくれますように。

 

2021年11月 1日 (月)

ウルトラマンARスタンプラリーと南会津家族旅行

Michiekiina

上の写真はいったいなんでしょう?

アトラクションの怪獣さんとのスリーショット?

 

実はこれはウルトラマンARスタンプラリー2021という、スマホでできるスタンプラリーの写真です。

県内8つのエリアにそれぞれ3カ所チェックポイントがあって、専用アプリをダウンロードしたスマホを持ってチェックポイントに行くと、怪獣や歴代ウルトラマンと一緒の写真が撮れる、というもの。(ARなので実物がそこにいるわけではないです。アプリを通じて写真に一緒に写るだけ)

3カ所で写真撮影すればそのエリアはコンプリート。

コンプした数に応じて賞品にも応募できる、というものです。

9月1日からスタートする予定でしたが、新型コロナの第5波の影響で1か月あまり遅れてのスタートになりました。

 

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この手のスタンプラリーが大大大好きな我が家の旦那様。

ひとり車を走らせて、あちこちで撮影して回っていましたが、さすがに自分だけで楽しんでいては悪いと思ったのか、「会津のスタンプラリーには家族みんなで行こう」と誘ってくれました。

会津には、猪苗代エリアと会津若松市エリアと南会津エリアの3コースがあるので、回りながら観光や買い物もすることにしました。

福島県では「県民割プラス」という名称で、県内のホテルや旅館の宿泊費を半額補助するキャンペーンも始まっています。

それを使って温泉に宿泊もすることにしました。

ひとりあたり2千円の買物クーポンもつく、お得なプランです。

 

土曜日。朝7時に出発して、最初に回ったのが、トップの写真の道の駅猪苗代。

メトロン星人とピース♪

その後、猪苗代駅前の観光案内所も回って猪苗代エリアはコンプリート。

次は会津若松市エリアです。

 

Tsurugajou

鶴ヶ城でもウルトラマンティガたちが戦っていました(笑)

鶴ヶ城の正面から撮影したら、シグファイターがお城の上を飛んでいました。

でも、私はせいぜいレオまでしか知らないから、シグファイターはわからないんですよね。

ティガたちもよくわかりません。(苦笑)

 

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鶴ヶ城では饅頭の天ぷら串と銀シャチ焼きをテイクアウトして食べました。

会津と言えば饅頭の天ぷら。

他所の人が聞くと「えっ!?」と驚いたりしますが、本当に美味しいんです。

我が家の息子も大好物になりました。

銀シャチ焼きは鶴ヶ城限定の白玉入り抹茶餡のを食べました。

これも美味しかったです。

 

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鶴ヶ城は紅葉が始まって本当に綺麗。

観光客もけっこういて、学習旅行なのか、子どもの団体さんも見かけて、ちょっと感激してしまいました。

観光客が戻ってきて、観光地が息を吹き返しつつあるのを感じます。

どうかこのまま感染が落ち着いていてくれますように。

 

会津若松市エリアをコンプリートした後は、南会津エリアへ。

途中、そば処「彦いち」というところで昼食にしました。

ご夫婦が二人でやっている手打ち蕎麦の店です。

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折しも新蕎麦の季節。

会津の蕎麦は美味しいのです。

 

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これは旦那様が注文した盛りそば。(天ぷら盛り合わせ付)

手前のそばちょこは、左がつゆですが、右は大根おろしの絞り汁。

ちょっと味見させてもらったのですが、この大根おろしの汁で食べる蕎麦が絶品でした。

次にまた来る機会があったら、絶対に私も盛りそばにします!

 

次に訪れたのは、「彦いち」からそう遠くないところにある、会津鉄道の駅「芦ノ牧温泉駅」。

ここは猫が駅長をしていることで全国にも有名です。

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初代の猫駅長の「バス」は天寿を全うして、今は2代目の「らぶ」が駅長、そのきょうだい猫の「ピーチ」が施設長、同じくきょうだい猫の「さくら」がアテンダントです。

訪問してもめったに猫駅長たちには出会えないと聞いていたのですが、天気が良くて暖かかったからか、ちょうど私たちが到着したときに、「らぶ駅長がパトロールに出まーす」という声が。

リードを持った職員さんをお供に、らぶ駅長が構内に出てきました。

きゃ~、生らぶ駅長だ~!!!!

いやもう、感動も感動。

私はらぶ駅長のツイッターをフォローしているので、散歩している姿は写真で拝見していたけれど、まさか本物が見られるなんて。

今回の旅行の運を全部使い果たしたんじゃないか、と本気で思いました(笑)

 

らぶさん、駅のホームを行ったり来たりした後、駅の裏手に出て、駐車場の車の辺りを行ったり来たり。

私たちの他にも観光客が大勢集まって、らぶ駅長のギャラリーになってました。

ただ、猫駅長たちは写真撮影は禁止なので、思う存分目に焼き付けてきました。

 

また、駅の中では猫駅長たちのグッズが沢山売られていました。

これもかわいかったです。

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次に訪れたのは、南会津町の大内宿(おおうちじゅく)。

ここは旧日光街道の宿場町後で、今もかやぶき屋根の古い家々が通りに軒を並べています。

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ここも観光客が大勢。

通りをそぞろ歩きながら店を覗いていきます。

 

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ここでは手作りの可愛いちりめんお手玉や飾り物を売っていました。

軒先にぶら下がっている唐辛子やホオズキなども、ぜんぶ手縫いです。

なかなかすごい。

私は別の店で漆塗りの木製スプーンを2本買いました。

 

ここは長ネギ1本を箸代わりにして食べる「高遠ねぎそば」というのが有名なのですが、お昼に蕎麦を食べたばかりだったので、おやつを買って食べました。

 

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これはそばがき団子。

そば粉をこねたそばがきを団子にして油で揚げ、みたらし餡をかけてありました。

美味しい!

 

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これはじゅうねん味噌餅。

じゅうねんというのはエゴマのこと。

こちらも美味しかったです。

これ以外にも「しんごろう餅」という、半つぶしにしたご飯を串にまいて、じゅうねん味噌のタレをつけてあぶった名物があります。

 

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会津は紅葉がちょうど見頃を迎えて、とにかくどこへ行っても綺麗。

古い藁葺き屋根の家屋と青空と紅葉の山。

合いますね~。

 

この日は道の駅しもごうなどにも回って、湯野上温泉の「湯楽の宿ひらのや」というところに宿泊しました。

ここもご夫婦二人で切り盛りしていて、おかみさん手作りの料理がとても美味しかったです。

口癖みたいに「美味しい」ばかりを連発していますが、本当だからしかたありません。

 

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南会津は阿賀川の鮎が名物。

地酒の飲み比べも頼んで、「花泉辛口」と「風が吹く」と「国権」を旦那様とシェアして飲みました。

どれもいい酒だったけれど、私は国権がコクがあって好み。

旦那様は花泉辛口が気に入っていました。

 

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棒たらの煮付けや豆数の子、イカ人参といった郷土料理も並びました。

茶碗蒸しには、あっとびっくり、ミニトマトとマスカルポーネチーズが入ってました。

これが意外なくらい合って、またびっくり。

 

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和牛の陶板焼き。

普段なら頼まないようなコースですが、県民割プラスのおかげで、ちょっと贅沢な旅行です。

ありがたや、ありがたや。

温泉も堪能しました。

 

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翌朝。

霧が山の上をおおっています。

窓を開けたら、さすがに寒い。

最低気温は1度台でした。

 

この日は、南会津エリアのスタンプラリーをするために、田島町へ向かいました。

チェックポイントの田島駅にはこの方がいました。

 

Tajimaeki

あれ? ウルトラの父?

でも、なんかちょっと違うな~。

ひげがないし、服(?)もシンプルだし、若い感じがする。

タロウ……? じゃないよね……??

え~と、ここのウルトラマンは、「ウルトラマンケン」???

 

聞いたことないなぁ、と思ったら、なんとウルトラの父の本名がウルトラマンケンなのだそうで。

初耳!

つまり、まだ父になる前の、若かりし頃のウルトラの父だったんですね。

ウルトラマンシリーズが始まってからすでに50年。

私たちがウルトラマンを観ていた後にも、どんどん歴史は積み重なっていたんですねぇ。

 

このほかにも、まちの駅南会津や道の駅たじまもチェックポイントでした。

写真は写りが今ひとつなので載せません。

だれか一緒に写真に写ってくれる人がいるといいんですけどね。

旦那様も息子もそういう趣味はないので、構図的に今ひとつになってしまいます。

ただ、まちの駅でも道の駅でも、どっさり買物をしました。

スタンプラリーも県民割プラスも、地域の経済活性のための企画ですから、けっこう貢献できたと思います。

 

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これは田島駅の中にあった、地酒の自動販売機。

200円で好みの地酒の試飲ができます。

横には角打のようなテーブルもあって、売店で買ったおつまみを肴にいっぱいやりながら電車を待つ……ということもできるようです。

私たちが行ったのは自販機の営業時間の開始前だったので、道の駅で「国権」を買いました。

次にまた来たときには試飲してみたいな~。

 

以上、とにかく撮って食べて楽しんだウルトラマンARスタンプラリーと家族旅行でした。

泊まりがけの旅行は1年ぶりくらいだったかな。

本当に楽しかったです。

 

県民割プラスは来月も続くようだし、政府もGoToキャンペーンを再開する方向のようです。

感染再拡大することなく、みんなが楽しい旅行をできることを、心から願っています。

 

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