旦那様の話
昨日6月21日は父の日だったので、我が家の旦那様のことを書いてみようと思います。
私は普段ちょっとしたところに「旦那は」「旦那が」と書きますが、実際に旦那様がどんな人なのかは、あまり書いてこなかった気がします。
特に発達障害関係の文章にはあまり登場しないので、「もしかしたら夫婦仲が冷めているのでは」「子育てに協力的でないお父さんなのでは」と心配されてきたかもしれません。
でも、実際には逆で、夫婦仲は良好ですし、子育てにも協力的なお父さんです。
ただ、彼は長い間とても多忙な職場にいたので、土日も関係なく出勤で、しかも朝早く出かけて夜遅く帰ってくるという日々が続いていました。
決して無関心ではなかったのですが、関わりたくても関われなかったというのが正しいです。
一番多忙だった頃は、息子の運動会の応援に有休を取ったのに、途中で緊急の呼び出しがかかって仕事に行きました。
1年365日のうち、完全に丸一日休んだのは1月1日の元旦だけだった、なんて年もありました。
今だったら完全に労働基準法違反で厳重注意ですね。(^^;
そんな具合だったので、私のブログにも旦那様はあまり登場しなかったし、子育ての様子の中にもそれほどは姿を見せませんでした。
ただ、いざというときにはちゃんと関わってくれて、二男が大変だった時期には一緒に学校に行って校長と話し合ってくれたり、私が具合が悪いときには早く帰って子どもを見てくれたり、助けてくれる場面はたくさんありました。
当時は義父母と同居だったから、旦那様が不在がちでもなんとかなっていたんですね。
そんな彼の転機になったのは、父親が高齢になって認知症になり、父の介護をしていた母が病気で亡くなり、父も後を追うように1年後に亡くなったことでした。
その頃には私たちは今のアパートに引っ越していて、元の家の片付けに毎日通ったのですが、今時あるあるで、家中にものすごい量の物が。
片付けが本当に大変で、旦那様と私で、山のように捨てたりリサイクルショップに持って行ったり寄付したりしました。
特に、義父は認知症になる前から、物を溜め込むタイプの人で、せっかく義母が買ってきてくれた真新しい下着も、嫁いだ娘が父の日にプレゼントしてくれた服も、何でもかんでもしまい込んだまま。
「いたましい(もったいない)、そのうち使うからしまっておけ」が口癖の人でしたが、とうとう一度も身につけないまま亡くなってしまいました。
そんな衣類がタンスから山のように出てきて、それが長年しまいっぱなしだったものだから、黄ばんだりシミができたりして人に差し上げることもできなくて、ただ捨てるしかありませんでした。
片付けから帰ってきた夜に、旦那様がしみじみと言いました。
「物は生きているうちに使わなかったら、何もならないんだよな。死んだって、あの世まで持って行けないんだから」
「自分がやりたいことだって、年を取ったら親父みたいに認知症になったり体が不自由になってきたりして、結局できなくなるんだよな。いつかやろうとか、いつか使おうとか思っていたら、結局やれなくなって終わるんだ」
それから間もなく、旦那様は長年勤めた職場を辞めました。
最後の最後まで、本当にぎりぎり最後まで、徹夜の仕事が何度も入るくらい多忙でした。(もちろん手当はつきましたが)
あのまま、あの職場にいたら、いずれ体を壊してしまったんじゃないかとも思います。
良いタイミングで辞めてくれたと思います。
五十代も半ば過ぎての就活ですから、なかなか次の職場が決まらず、パソコン教室に通ったり、いろいろ苦労したようですが、どうにか今の職場に再就職できました。
今度の職場は土日は必ず休み。時間も朝7時過ぎに家を出て、夜7時には帰宅できます。
朝6時前に出勤して、帰宅が11時なんて時代からみたら、天国のような勤務状況です。
もちろん、その分収入はがっくり落ちたので、そこはやりくりと節約でなんとかカバー……。
贅沢はできませんが、やりたいことができるようになりました。
旦那様がやりたかったこと。
それは、自分で車を運転して全国あちこちドライブして回ること。
「いつか北海道を車で回りたい」と結婚した頃から言い続けていました。
いきなり北海道は無謀ですが、たまたま「道の駅スタンプラリー」にはまって、最初は福島県内の道の駅を巡って歩き、福島県をコンプリートした後は、東北各県や関東、新潟の道の駅にも脚を伸ばしています。
遠い道の駅は、今流行の車中泊をしながら巡ります。
ただ、昨年からコロナ禍になってしまったので、緊急事態宣言中は遠征を自粛していました。
本当は今年あたり念願の北海道に行くつもりだったそうですが、これも今年は残念ながら自粛です。
感染が落ち着いて安心して旅ができるようになったら、北海道にも西日本にも、行きたいのだそうです。
近い場所なら私たちも一緒に回ったりしますが、大半は旦那様がひとりで遠征します。
どこへ行くのもどの道を通るのも思いのままなのが良いのだそうです。
旅先から必ずLINEで写真やレポートを送ってくれるので、私たちも一緒に旅しているような気分になります。
彼の遠征に全部つき合うとこちらが疲れてしまうので、これくらいがちょうど良い距離感です。
旦那様が楽しそうなのを見ると、こちらも楽しい気分になりますし。
今まで他の人の3倍くらい働いてきた人だから、今このくらい楽しんだって全然罰(ばち)は当たらないでしょう。
今は、全国各地にご当地ポケモンのマンホール蓋の「ポケふた」が設置されていて、道の駅やその近郊にあることも多いので、ポケふた巡りも一緒に楽しんでいます。(我が家は家族3人全員がポケモンを大好きです)
あと何年こんなことができるかな、と思ったりもしますが、年を取って運転ができなくなっても、「あの時あそこにいった」「ここでこんなものを見た」なんて思い出があったら、きっと楽しいだろうと思います。
人生は生きているうちに楽しんでおかないとね。
つくづくそう思います。
さて、昨日の父の日。
息子は父からリクエストされた「チョコレート」をプレゼントしました。
コンビニで買ったものですが、ほろ苦い大人の味で、「これはうまい、気に入った」と旦那様は喜んでいました。
そして、夕食はこれも旦那様のリクエストの「牛すじ肉のビーフシチュー」。
前日から牛すじを圧力鍋で煮て下ごしらえして、当日はルーを2箱使って大鍋いっぱいに作りました。
旦那様はシチューを何杯もおかわりして、大満足でした。
コンビニチョコも、牛すじのシチューも、先に書いた車中泊しながらの道の駅巡りも、考えようによっては安上がりな楽しみかもしれません。
でも、本人が満足できることがなにより大事なのだから、これが最高の幸せなんだろう、と思います。
願わくば、これからもできるだけ長く健康で元気でいて、この楽しみを長く続けられますように。
そのためにも、体には気をつけてくださいね。
我が家の大事な旦那様。(*^_^*)
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