震災遺構 旧中浜小学校
上の写真は宮城県山元町にある震災遺構の旧中浜小学校です。海から200メートルほどの場所に建っています。
9年前の2011年3月11日、東日本大震災の津波は中浜小学校の2階の屋根ぎりぎりまで押し寄せましたが、児童や職員は全員が屋上に避難して無事でした。その後、中浜小学校は町内の別の小学校と統合されましたが、校舎は震災遺構として残されることになりました。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
先週の日曜日、私たち家族はこの旧中浜小学校を訪れました。
目的は、昇平に震災の津波の痕を自分の目で確かめてほしかったから。
震災の時、昇平は中学3年生で、ちょうど卒業式を終えたばかりでした。
当時、彼が精神的に非常に不安定だったこともあって、私たちは震災の映像を見せてきませんでした。
もちろん、彼もあの地震は体験しているし、直後に大津波が来たことや大勢が亡くなったことを知ってはいるのですが、それを実感してはいません。
でも、昇平も24歳になり、最近は精神的にかなり安定してきました。
今ならば、津波の痕を見せても大丈夫かもしれない。私たちはそう考えるようになりました。
でも、震災から9年が過ぎようとしている今、沿岸部でも津波の被害をそのまま残している場所はほとんどなくなってしまいました。
私たちが住む福島県も同様です。原発事故による立ち入り制限地域だけは手つかずで残っていますが、なにしろ立ち入れないので見ることもできません。
そんな中、山元町には被災した小学校が震災遺構として残されていると知って、足を運んだのでした。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
車を停めて近づいてみると、旧中浜小学校は保存工事の最中で、中はもちろん周囲も立ち入り禁止でした。
でも、ガラスがなくなった窓から、めちゃくちゃになった中の様子が見えました。
建物の右端の柱の上の方に、青いプレートが取り付けられていました。上部に白いラインがあって「津波浸水深ここまで」と書かれています。
学校の2階の屋根ぎりぎりの場所ですから見上げるような高さで、もしここにまた津波が来たら、地上に立つ私たちなど、あっという間に呑み込まれてしまうことは、一目瞭然です。
昇平にプレートを示して教えると、さすがにびっくりして「自然の力はものすごいね」と絶句していました。
「その場所」に来たからこそできる体感です。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
校舎の西側に回ってみました。
遠いので写真が見にくいのですが、やはり2階の屋根のすぐ下に青いプレートが取り付けられています。
気が遠くなるような高さです。
大震災の直後、正式な避難場所として指定されていた中学校までは児童の足で歩いて40分もかかるというので、学校の判断で校舎の屋上に避難することを決めたのだそうです。事前に先生方で話し合って、学校独自の避難マニュアルも作っていたとか。的確な判断と事前の準備が児童職員全員無事という結果につながったのに違いありません。
そんなことを考えながら眺めていたら、日曜日というのに工事の人たちが動き回っていて、担当の方がわざわざこちらに来て話しかけてくださいました。
なんでも、旧中浜小学校は震災遺構としての整備工事中で、3月中には校舎の周囲を歩いて見られるようになり、7月には内部も見学できるようになるのだそうです。津波に遭った場所はそのままの状態で保存し、2階には資料室も作るのだとか。だから駐車場が新たに整備されたり、上の方の窓に新しいガラスがはめられたりしていたのですね。
5分ほど話をしたのですが、帰り際に担当の方から「また来てください」と言われて、思わずはっとしました。
震災後の何年かは、この場所を訪れる人も多かったことでしょう。でも、震災からまもなく9年という現在は、日曜日で天気も良いのに、訪れていたのは私たちだけでした。
時間と共に薄れていく記憶と関心。
だからこそ、この場所を震災遺構として整備して、1人でも多くの人に見て感じてもらうことが大事になるのだと思いました。昇平が自分の目で浸水プレートを見て驚いたように。
ちなみに、私たちが住む福島県でも、浪江町の請戸小学校(うけどしょうがっこう)が震災遺構として残されることになったそうです。
整備されたら、旧中浜小学校も請戸小学校も改めて訪れてみたいと思います。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
【おまけ】 「ポケふた」と「やまもと夢いちごの郷」
宮城県の沿岸部には、ポケモンの絵柄のマンホール蓋が「ポケふた」が各地にあります。
この旧中浜小学校に近い坂元駅前にもありました。
宮城県山元町は福島県と隣接しているので、宮城県の復興応援ポケモンの「ラプラス」が、我が福島県の応援ポケモン「ラッキー」とタッチしています。青い方がラプラス、ピンク色のがラッキーです。
珍しいポケふたを見に来るついでに被災地の今の様子を見てくださいね──というコンセプトで設置されているそうです。
坂元駅の前には「やまもと夢いちごの郷」という商業施設があって、特産のイチゴをはじめ新鮮な果物や野菜などが所狭しと並んでいました。
山元町産のいちごをたっぷり50%使ったといういちごジェラート「夢いちご」が大変美味💓
震災を記憶に刻みながら、山元町は力強く前進してました。
◇親サイトはこちら
→「アサクラタウンへ、ようこそ!」
http://asakuratown.sets.ne.jp/
« 道の駅は土産も美味しい | トップページ | 雪と夕食 »
「発達障害」カテゴリの記事
- 「アレグレット」の独立と最近の親の変化(2024.03.19)
- 旦那の北海道一周旅行と息子の夕食当番(2023.10.17)
- 息子がホクロを取る手術を受けました(2022.12.20)
- 発達障害があっても投票に参加する(2022.07.11)
- 発達障害をめぐる親のジェネレーションギャップ(2022.06.06)
「旅行・ドライブ」カテゴリの記事
- 双葉旅館忘年会2023(2023.12.05)
- 旦那の北海道一周旅行と息子の夕食当番(2023.10.17)
- ダリア・ア・ラ・カルト~やまがた川西ダリヤ園(2023.08.29)
- どんでん平ゆり園とヘルプマーク(2023.07.04)
- 石の大空間「大谷資料館」(2023.06.20)
道の駅巡りで宮城県まで行かれた事を先日、読ませていただきましたが
震災跡地の方がメインだったんですね。
仕方のない事なのかもしれませんが、年数の経過と共に人々の意識から薄らぎ
離れた地域に暮らす方々は尚更、毎年の慰霊で思い出す程度になってしまう
のでしょう…。
今回、昇平君の成長に合わせ現地を訪れた事は必要不可欠で
大事な事だと思います。
自分が住んでいる地域で起こった事が、いかに大きな事だったのか。
それらを知る手がかりとして、実際に見ることの大切さ。
あーにゃさんのブログから昇平君のがんばりと成長を感じていましたが
やはり成長している…^^
嬉しいことです。
今、主人は農林水産省のお仕事で、福島県内の立ち入り解除になった地域の
設計関係に携わっています。
まだ計画の段階で、実際にそれらが動き出すのはいつなのか…
部外者の私が知る由もありませんが、国からのお金は相当額、落ちるんですが
モノを作ったとしても、住む方々がいるかと問われると…という。
他に予算を必要としている場所や人々がいるの分かっているはずなのでしょうが
大きな事故を起こしてしまった事への謝罪として、予算が回されていくのかな。
見当違いかもしれませんが、そんな事を考えます。
投稿: プーミンママ | 2020年1月29日 (水) 15時35分
>プーミンママさん
さっそくのコメントをありがとうございます。(m_m)
いえ、宮城県の道の駅巡りはまた別口です。
そちらは1月13日の成人の日に行きました。
ここの更新は週に1回だし、行き先が同じ宮城県なので、同じときに行ったように見えますね。(^^;
宮城県は隣の県なので、けっこう気軽にドライブに行けてしまいます。
今回も、ポケふた探しやら宮城県巡りスタンプラリーやら(どちらも復興支援のための企画)と抱き合わせで行きました。
ただ、行って本当に良かったと思いました。
昇平にとっても、貴重な経験になったと。
どんなに情報が豊かな時代になっても、やっぱり百聞は一見にしかずですね。
被災した建物を目の前にして、浸水のプレートを見上げただけでも、けっこう怖かったようです。
学校の中は見られませんでしたが、今回はこれでちょうど良かったかもしれません。
次はきっと中を見ることにも耐えられると思うので、7月以降に行ってみようと思っています。
旦那様、福島県の復興支援のためにお仕事ありがとうございます。
実際のところ、福島県の避難地区になっていた場所は、他の被災地とまた違った状況になっていて、私もとても一言では言い表すことができません。
何をどうするのが良い結果につながるのか……。
ただ、常磐自動車道を北上あるいは南下しながら、帰還困難区域を車窓から眺めたとき、そこだけまるで時間が止まったように、無人のまま荒れ果てていく風景を見るのは、胸が痛いです。
そこが立ち入り解除になり、居住できるようになり、少しずつ人が住める場所に戻っていくのをみるのは、福島県民としてやっぱり嬉しいのです。
計画されている様々なことが、どうか地域復興につながっていきますように。
投稿: 朝倉玲 | 2020年1月29日 (水) 17時21分
たしか春に避難解除になる地区がありましたよね。
楢葉町、だったかな。
もう9年もたつのですよね。復興オリンピックと掲げてますが
どこまで時間をさいて、今の福島を紹介してくれるのかな・・・
イチゴ美味しそうですね~
春の甘い香りが漂ってきそうです
復興は足元のささやかなシアワセにあると感じます。
沢山とれて売れますように。
投稿: さゆた | 2020年1月31日 (金) 17時15分
>さゆたさん
多忙に紛れてコメントのお返事も遅くなってしまいました。(m_m)
春に避難解除になるのは、え~と、大熊町かな。
浪江、双葉、楢葉、富岡,大熊…のあたりは
線量が下がった地区から順次、避難解除(正確には居住制限の解除)を行っているので
正直、福島県民の私たちにも、
今度はどこが住めるようになるのか、よくわからなかったりします。
福島県は震災の影響がほとんど見られなくなった場所が大半ですが
居住困難区域に指定されている地区は、震災直後のままで変わらず
そこから町の境界線を越えたとたん、普通の町並みと暮らしが広がったりと、
なんとも言えない風景になっています。
オリンピックがそんな福島の現実を伝えきれるかな……。
とはいえ、だいたいの人は元気にやってますよ。
ここ伊達市は、震災の影響はもうほとんど見られず
昨年秋の台風や大雨の影響で起きた洪水からの復興の方が大変だったりします。
全国でもニュースになりましたからねぇ。
いろいろありますが、みんな頑張ってます。
もちろん、福島県だけでなく、宮城県も岩手県も。
そういう地道な努力が、人の暮らしや歴史をつないできたんだな、と
改めて思っている今日この頃です。
投稿: 朝倉玲 | 2020年2月 7日 (金) 10時51分