裏話・4「異大陸の歌声」
これは第15部「占者と魔王」の中の第59章のタイトルです。
四大魔法使いの中で、ただひとり、通じない異国語を話す異形の赤の魔法使い。彼は南大陸出身で、艶やかな黒い肌、縮れた短い黒い髪、猫のような金の瞳の小男。光の魔法も使えるけれど、本来は出身地である南大陸に伝わる別体系の魔法使いで、占いもできる――という人物です。南大陸がアフリカ大陸をイメージしていることは、皆様もすでにご承知だろうとは思いますが。
魔王が作り出す深い闇をのぞき見てみよう、と赤の魔法使いが独特の占いを展開し、それに占者ユギルがシンクロして闇に隠された大砂漠や、果てはシェンラン山脈の魔王の城までのぞいてしまう、というのが、この第59章でした。占いのために赤の魔法使いが太鼓を鳴らしながら歌うのですが、実はこれにもモデルがありました。中近東~アフリカ北部の民族楽器「タール」の演奏です。
本文中ではあまり詳しく描写できなかったのですが、このタールというのは、ちょうど大型のタンバリンのような、丸い枠の片面に皮を張っただけの片面太鼓です。これを叩いたり、なでたりしてリズムを取りながら歌うのですが、今を去ること約25年前に、私はこのタールの生演奏を間近で聴いたことがあるのです。大学の音楽の授業で。
どういうつてだったのかはよくわかりません。が、音楽の講師があるとき、「世界的に有名な民族音楽家」という黒人の男性奏者を授業に連れてきてくれました。ウードという、リュートに似た弦楽器で世界的な奏者だったらしいのですが、この時には、もっと素朴で原始的な打楽器、タールの演奏をしてくれました。太鼓=叩くもの、というイメージがあったのに、この時、奏者がもっぱら使っていたのは、太鼓の皮の表面を手でなでて音を出す手法でした。不思議にもの悲しい、豊かな音がしました。遠い風の音です。そこに奏者の歌声が重なっていくと、異国語なのでまったく意味はわからないのに、太鼓の音と一緒にうねりになって、目の前に鮮やかな光景を広げてくれました。広い広い大地、吹き渡っていく風、なびく草原――まだ見たこともない異大陸の景色です。
この時の奏者が、ハムザ・エル・ディンという方でした。エジプトの南、スーダンの北部にあるヌビア出身の方で、故郷の村はアスワン・ハイ・ダムが造られるときにダムの底に水没したのだ、と講師から聞かされました。エル・ディン氏の歌は望郷の歌でした。今はもうない美しい故郷を、風の音色で歌っていました。
後で知ったことですが、このタールという楽器にはいくつかの奏法があって、叩き方によって、「火」「土」「風」「水」の四大元素を表現するのだそうです。この時、氏がもっぱら使っていたのは、太鼓を叩くのではなくなでる形の「風」の奏法でした。目の前に風の草原の風景が見えて当然だったようです。
大学の講義室です。音響効果も良くない。そう広くもない。でも、タールの音色と異国の歌声は深く豊かに響きながら、砂漠の中の美しい場所、今はもうない故郷の景色を歌い続けていました。
今回、大砂漠を舞台にした「7」を書き出したとき、この時のエル・ディン氏のタールの演奏が頭の中によみがえってきました。いえ、正直に言いましょう。書いていた時点では、氏の名前も、タールという楽器の名前さえも、もう記憶にはなかったのです。覚えていたのはただ、音色と歌声、そして、目の前に広がった異国の風景だけ。風の音、風の歌。どうしてもそれを再現させたくて、赤の魔法使いに異国の占いをさせました。それが58~59章です。
「7」連載中は、書き進めることに夢中でしたが、連載が終わって一息ついたところで、あの思い出の楽器がなんだったのかをネットで調べてみました。奏者も、名前は全然覚えていなかったのだけれど、「世界的な奏者」というくらいだから、ひょっとしたらヒットするんでは、と期待していました。
打楽器――太鼓――アフリカの太鼓。アスワン・ハイ・ダム――そんなものをキーワードに入力して探すうちに、「タール」という名前に出くわしました。そう、そうだ! たしか「タール」という楽器だった!
不思議なものです。もう四半世紀も昔のことなのに、それに出会ったとき、ちゃんと記憶はよみがえりました。
タールの奏者、で調べていったら、ハムザ・エル・ディンという人物にも巡り会いました。エルディン! そうだわ! そういう名前だった! 「ウードという楽器の名手だけれど、今回はタールという楽器を演奏していただきます」という講師の話さえ思い出しました。まるで冷凍保存されていた記憶が頭の中で解凍されたみたいでした。
太鼓をなでるような奏法が「風」を表現していたのだというのも、そうやって調べるうちにわかったことです。
エル・ディン氏は昨年の五月に亡くなられたそうです。私が生で氏の演奏を聴けたのは、後にも先にも、二十五年前のあの時だけ。一期一会だったのだなぁ、とつくづく思いました。
アマゾンで検索したら、氏のCDがありました。有名なのはやはりウードを演奏したもののようですが、私は、タールが入っている方のをワンクリックで注文しました。もう一度、あの風の歌が聴けるでしょうか。それとも、また別の世界が見えてくるのでしょうか。
昔々、私が出会って感動した異大陸の歌声が、物語を通じて皆様にも少しでも伝わっていればいいな……と思っています。
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コメント
注文していたCD「ダリウス」が今朝届きました。
さっそく聞いているんですが――ものすごく素朴です。本当に、タールとウードと歌声だけ。エル・ディン氏はオーケストラや他楽器と組んだ演奏も数多く残しているんですが(というか、どうやらそっちのほうが有名らしい)、私がずっと覚えていた演奏はこちらでした。
まさしくこれ、これ! うわ~。25年ぶりに再会した歌声でした。嬉しい。
これが赤の魔法使いの歌声です。
と、皆様にお届けできないのが残念。(爆)
投稿: 朝倉玲 | 2007年7月22日 (日) 08時35分