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2006年11月21日 (火)

rakugaki~ゼン・1~

 北の峰の森を、ゼンは一人、獲物の足跡を追い続けていました。
 銀ギツネは利口です。藪の中、しぶきを上げる沢、岩場や崖を次々に渡り歩いて、巧妙に自分の足跡を隠そうとします。足跡を見失う度に、ゼンは後に戻り、また丹念に足跡たどり直します。どんなに獣が撒こうとしても、猟師の少年は必ずまた正しい行方を見つけ出すのです。互いの姿は見えません。けれども、猟師の少年とキツネは、こうしてもう半日以上も追いつ追われつを続けているのです。
 ゼンの背中には、狙ったものを絶対に外さない魔法の弓矢があります。獲物が姿を見せさえすれば、たちまち仕留める自信がありました。長い追跡劇に、キツネは疲れ始めています。そろそろ、捕獲のチャンスに恵まれる頃合いでした。
 ところが、小さな沢を渡ろうとしたゼンが、ふと、足下に目を止めました。流れのそばのぬかるみに、真新しい獣の足跡が二つ残されています。ひとつは標準的なサイズの銀ギツネの足跡です。もうひとつも確かにキツネの足跡ですが、先のものよりずっと小さくて、まるで生まれたての子犬の足跡のようでした。
 ゼンは意外な顔で身を起こしました。
「子連れだったのか……」
 と誰に言うでもなくつぶやきます。
 子どもを連れた獣では狩ることはできません。それは、ゼンたち北の峰の猟師の取り決めでした。猟師たちは山の獣たちを追い詰めて殺しますが、それでも、乱獲で獣たちが全滅させないように、細かい取り決めをいくつも作って守っているのです。
 ゼンは苦笑いをして、行く手を見ました。沢の先の斜面を登っていく小さな獣の姿が、ちらりと藪の中に見えたような気がします。弓矢を構えるわけにはいきませんでした。

 「やぁれやれ。半日が無駄になっちまったな」
 ゼンは苦笑いのまま、沢のそばの石に腰を下ろしました。枯れ枝をかき集めてたき火を起こします。空には夕暮れが迫っています。もうここで夕飯にして、野宿する場所を探した方が良さそうでした。
 まずは黒茶を入れるのにお湯が沸くのを待つ間、ゼンはまた、沢に残ったキツネの足跡を眺めました。本当に、まさか子連れだったとは思いもしませんでした。ずっと、親狐の足跡しか残っていなかったのです。ということは、子狐をずっと口にくわえていたのです。銀ギツネはメスが一匹で子育てをするので、まず間違いなく母狐でしょう。母狐が子狐を口からぶら下げて、藪をくぐり、岩を飛び渡り、沢を越えていく様子を想像して、ゼンは思わず頭を振りました。
「ったく……母親ってのはすごいよな」 
 本当に、誰ひとり聞く相手はいないのに、そんなふうに思いを声に出します。
 延々と半日も子狐をくわえたまま歩き続けた母狐。後を追ってくる猟師の気配におびえながら、それでも我が子と自分の命を守るために逃げ続けます。この沢まで来て、ついに咽の渇きに勝てなくなったのでしょう。母子で沢の水を飲み、またすぐに先へと逃げたのですが、その時に、二つの足跡を残したのでした。
 ゼンは溜息をついて膝を抱えました。なんだか、急に胸の中が空っぽになったような、不思議な気持ちがします。ゼンは自分の母親を知りません。ゼンが生まれて間もなく病気で死んでしまったので、母親の顔さえ覚えていませんでした。キツネにだって母ちゃんはいるのになぁ……と思わず考えて、自分でそんな自分に苦笑いしてしまいます。今さらそんなことを思ってもしょうがないのに、夕暮れの薄暗さも手伝ってか、今日は何だか妙に淋しさが身にしみます……。

 森の中は静かでした。同じ北の峰にゼンの父親や仲間の猟師たちも猟に入っています。けれども、彼らは狩猟中には、それぞれの持ち場を固く守って、他人の狩り場には絶対に足を踏み入れません。同じ山にいながら、父親や仲間たちの気配を感じることはないのでした。
 ゼンは木の枝でたき火をつつきました。小さなヤカンが湯気を立て始めています。燃える火を見ながら、ゼンは仲間たちの顔を思い浮かべました。フルート、ポチ、メール、ポポロ、ルル……。今はそれぞれの場所に散り散りになっている友人たちです。みんな、今頃どうしているんだろうな、と考えます。
 フルートとポチはシルの町で、フルートの両親と一緒に過ごしているはずです。ポポロとルルは天空の国で、ポポロの両親と一緒にいます。メールは渦王の島で、また人魚たちと口げんかをしているかもしれません。
 ちぇ、とゼンはつぶやきました。なんだか自分だけがたった一人でいるような、そんな気持ちがしてきます。

 すると、メールの声が聞こえてきました。
「なにしょぼくれてんのさ。らしくないよ、ゼン」
 もちろん、それは本当の声ではありません。ゼンが頭の中で想像しているだけなのです。緑の髪に気の強そうな青い瞳の海の王女が、自分のすぐ目の前の石に座って、ゼンをのぞき込んできたような気がします。
 想像の中でゼンは顔をしかめ返しました。
「誰がしょぼくれてるってんだよ。目がおかしくなったんじゃないのか。若いくせにもう老眼かよ」
「老眼ってなにさ! ゼンこそ見えてないのかい? ほら、すごい夕焼けだよ」
 いるはずのない少女に指さされて、ゼンは空を見上げました。一面燃えるような夕焼け雲が広がっています。薄紅の空に押し寄せては流れていく、赤金色の雲の波です。それは、これまで何千回と山で夕暮れを見てきたゼンでさえ、思わず息を飲むほど美しい夕映えでした。空の中を、最後の太陽の光が金の筋になって走っていくのが見えます――。
「北の峰はいいとこだよね。こんなに綺麗な景色を見せてくれるんだもん」
 メールがそう言ったような気がしました。ゼンは思わずまた目の前を見つめ直しました。誰もいません。ゼンはやっぱりひとりきりです。

 ちぇ、とゼンはまたつぶやいて苦笑いしました。これはゼン自身の空想です。でも、実際にメールがこの場所にいたら、きっとその通りのことを言ったのに違いないのです。
 あいつにもこの夕焼けを見せたいなぁ、とゼンは考えました。その時、ゼンの脳裏に浮かんでいたのは、黒衣の小さな少女ではなく、緑の髪に青い瞳の、自然を愛でる姫の姿でした。
 けれども、彼女の住む西の大海は、世界の裏側にあります。どんなにゼンが想いをはせても、声を限りに呼び続けても、決して届くことのない遠い遠い彼方でした――。

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コメント

落書きなのに、何こんなに力入れて書いてるんだ、と言われそう。(苦笑)
はい、本編を進めますですー。(^◇^;)

投稿: 朝倉玲 | 2006年11月21日 (火) 11時13分

わ~い♪
本編もいいけど、こっちもいいですぅ(^0^)。
一瞬「手袋を買いに」の母子ぎつね思いだしました♪
朝倉さんのところは狐ってでます?
家の近辺はときどきキジがでます。
だんなは山で野生のサル見たそうです。(ここから少々山手に行った所ですが・・・。
そんな田舎じゃない?失礼しました(笑)

投稿: さゆた | 2006年11月21日 (火) 13時17分

>本編もいいけど、こっちもいいですぅ(^0^)。

あっは。どうもどうもー。(笑)
どんなに本編で書きたくても、こういう場面はまず出せないですからね。

>朝倉さんのところは狐ってでます?

近くに山がないので狐は出ませんが、
一週間ほど前、兄ちゃんが学校帰りに田んぼの中の道を自転車で通っていて「タヌキを見た!」と言ってました。
数年前まではハクビシンも出没してました。
こっちは本物の田舎ですからね~。
町外れの山まで行けば、それこそ、狐もタヌキもキジも――サルはいないけど――多分、クマもいます。(爆)

投稿: 朝倉玲 | 2006年11月21日 (火) 13時27分

うふふ
いいっすねぇ。


>落書きなのに、何こんなに力入れて書いてるんだ、と言われそう。(苦笑)

いえいえ。滅相も無い!

しかし、
執筆の気分転換がまた執筆ってのが
いかにも玲さんだ。(笑)
大好き!

投稿: むつごろう | 2006年11月21日 (火) 14時04分

たっはっは。 <(〃^▽^〃)ゞ

投稿: 朝倉玲 | 2006年11月21日 (火) 14時12分

落書きっていうのがもったいないくらいですね。
いいですねぇ。ゼンの日常だ~。
金の石とは関係ないところで、
みんな日常生活を送っているんですものね。
そんなみんなの様子が頭の中にあふれかえって、
落書きに力を入れてしまうのもわかるような気がします(笑)

投稿: くらげ | 2006年11月21日 (火) 17時35分

>金の石とは関係ないところで、
>みんな日常生活を送っているんですものね。

うん。
言ってみれば、彼らの冒険の旅は非日常の世界なんですよね。
その何十倍もの日常生活の上に、
彼らの冒険があり、うーん、彼らのポリシーがある。(笑)
だから、日常生活抜きにして、彼らの冒険はありえないんです。

日常だけに、別に大きな事件が起きるわけじゃありません。(たま~にはあるけど)
だけどそれは、彼らにとってはかけがえのない日常生活で。
本当に、ごく平凡なんだけど、私にとってもそれが愛おしくて、
つい落書きに力を入れてしまうことになるんです。(笑)

ま、おちゃらけの落書きをすることもありますが、
これからも、こんな感じの「彼らの日常」を時々書くことにしましょう。
次はフルートとポチの番かな。
ネタはいくらでもあるのよ。(爆)

投稿: 朝倉玲 | 2006年11月21日 (火) 19時33分

キツネのお母さんがんばりましたね。ゼンを相手によく逃げ切ったなあと感心です。
ゼンは半日無駄足になっちゃったけど、キツネに会っていないのに様子を察知するというところがとっても素敵です。大自然と対話しているみたいで雄大な感じがします。
昔、チミケップ湖という所に三本足の母キツネ(キタキツネ)が住んでいました。
三本足で獲物を捕まえられなかったのか、道路脇にたたずみ人間からエサをもらっていました。
そうとはつゆ知らず、ある日お昼のお弁当とおやつを食べに車で一人で湖に向かっていた私は、道端で三本足のキツネに出会いました。
本当は野生の動物にエサをやっちゃいけないけど、三本足でヒョコヒョコ近寄り、ジッと見つめられてしまい、思わず酒まんじゅうを一つ放ってやりました。
そのキツネはまんじゅうをくわえて、またジッと見つめてもう一つ欲しいというような感じだったので、もう一つ放ってやりました。
それで足りたのか、母キツネはまんじゅうをくわえたまま何度も振り返りながら藪の中へ消えていきました。
私は湖に向かってもう少し車を進めました。
すると、左手の崖からザザッとケモノが3匹下りてきました。全身黒っぽいエゾキツネで、「見たぞ。見てたぞー!オレらにもまんじゅうよこせ!」といった感じて近寄ってきます。目が怖い。
しかも彼らはバックで逃げようとした私の車の後ろにも回り、逃がさないようにするんです。クラクション鳴らしても一瞬しかひるまないし。
で、結局まんじゅうをできるだけ遠くに放って、そのスキにバックのまま山道を下りました。
ああ、怖かった。やっぱり野生の動物にえさをやっちゃいけないんだ。と反省。(>_<)
ゼンとキツネのお話を読んで、キツネに囲まれた怖い体験を思い出しました。

投稿: アヒルのしっぽ | 2006年11月23日 (木) 12時46分

う~ん、アヒルのしっぽさんの体験談もすごいわー。

野生の動物との付き合い方って、ものすごく難しいなぁ、って思います。
そう、人間って、ついつい餌をやりたくなっちゃうんですよね。
でも、野生界のシステムを考えると、それって本当はやっちゃいけない。
いけないんだけど……じっと見つめられたら、私もついやっちゃうかも。(^^ゞ

ゼンたち北の峰の猟師たちって、そのあたりの生き物との関わり方が、すごくうまいんだと思います。妙な同情や優しさはないんだけど、敬意というのかな、自然に対してふさわしいふるまい方を身につけてる。
そのあたりは、町住まいのフルートとまた違っていて、書いていて面白いところです。

次の落書きは、第21部を公開したら書くとしようっと。(笑)

投稿: 朝倉玲 | 2006年11月23日 (木) 13時12分

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