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2006年2月 2日 (木)

公開するということ

 このブログを始めてから一週間が過ぎた。公言通り、作品を書けるだけ書き続けている毎日だ。
 アクセス記録を眺めていると、どうやらアサクラ・タウンの常連さんで、このブログに気づいている人はまだほとんどいないらしい。ほっとしているような、ちょっと残念なような、微妙な気持ちでいる。

 こうして書いているからには、誰かに読んでもらいたいとは思う。自己満足のために書くのなら、わざわざ公開する必要なんてない。日記専用の個人ブログ(というのも、実は持っている)に書けばいいだけのことなのだから。いや、ここに書いているようなことは、すでにそこには書き続けてきたことだったりする。
 だけど、駄目なのだ。自分だけが読む場所、自分だけしか行けない場所に書いていると、どうしても「本気」が足りない。「覚悟」が足りない。自分だけしか知らないと、いつでも知らん顔して逃げることができてしまうから。
 今日も作品の推敲をしたけれど、今回の作品は、今までの中では一番直しが少なくなっている。一部、舌足らずの部分を見つけて、そこに数行加筆はしたものの、今までと比べればずいぶん減っている。それは、公開前にしっかり読み返してチェックできたということだし、それだけ前より真剣になれた証かもしれないと思っている。書き手は、「読まれている」という実感で本気になっていくものだから……。

 ただ、「療育の朝倉」の顔しか知らない人がここを読むことを考えると、正直なところ、気持ちが二の足を踏む。
 「朝倉さんは小説『も』書くんですか」と感心されるのが実はつらいのは、以前も書いたとおり。「いい歳して何をそんなに入れ込んでいるんだ」を笑われるのもつらい。小説に夢中になっている私を笑っている人がいるのは知っているけれど、私の聞こえないところ、私の感じないところで笑っていてほしいのだ。
 何かを私に言うのなら、私の作品を読んでからにしてほしい。「もの書きの朝倉玲」のやっていることをしっかり見た上で、感想を言ってくれるなら耳を傾けたい。それがほめことばでも批判でも。

 ここにこういうブログがあることに、いつかは常連さんも気がついてくるだろう。その時に胸を張って、「はい、そうなんです。本気で頑張っていたんです」と言えるような、そんな自分になりたいと思う。
 そのためには、明日もまた書き続けよう。ただ、とにかくそうしていこう。 
 

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コメント

人がどう思おうとそんなの関係ないです。気にすることなんてないです。編み物が趣味の人、キルトに凝っている人、素人でもオペラをやっている人、社交ダンスをやってる人などなど、ブログを書いている人にもいろんな方が居て、きっと普段はこういう趣味があることを周りに知らせてなくて、ブログで自分の世界を披露しているんだろうなと思わせるほど熱心な方もいらっしゃいます。自分の世界を持っている人なら、披露したくて当たり前だと思いますよ。

サイトと離れて、このブログの世界で新たなお仲間ができるかもしれませんもの。ブログを通じて、不特定多数の人も読むチャンスがあるわけです。書き続けることは自分の中から溢れ出そうなものを、形として送り出してあげることですから、内に貯めておくよりずっといいです。少なくとも私は読ませて頂いていますよ。お好きに書いてくださいね。

投稿: Elinor | 2006年2月 3日 (金) 23時21分

 ありがとうございます。
 読んでくれている方が多少なりともいることは、アクセス記録を見ればわかるのですが、こうして目に見える形でコメントしていただけると、本当に「書き甲斐」が出てきます。顔を思い浮かべて(って、Elinorさんのお顔は全然存じないわけですが)書けるのは、とても嬉しいです。
 読み手あってこその書き手ですから……。

 私は私自身の中のものと戦わなくちゃならないんだな、と思っています。私を非難しているのは、他でもない私自身なのでしょう。
 これからも、感想を遠慮なくお聞かせくださいね。よろしくお願いします。

投稿: 朝倉玲 | 2006年2月 4日 (土) 05時37分

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