「ナルニア国物語」に思う
「ひとりごと」ブログにも書いたことだけれど、私は児童文学の「ナルニア国物語」が大好きだ。ファンタジーの中では最も特別な作品のひとつになっている。
とにかくストーリー的に面白かったし、物語を貫いているテーマもすばらしかった。でも、一番私が感動したのは、そのテーマを描く手法だった。「象徴」あるいは「比喩」と言うのだろうか。本当に語りたいものをあからさまには描かずに、物語の登場人物やストーリーになぞらえながら語っていくのだ。読者は、物語を楽しみながら、知らず知らずのうちに作者が語ろうとすることを感じ、共感していくようになる。そして、物語を読み終えたとき、その壮大さに圧倒されてしまうのだ。
1作目の「ライオンと魔女」を読んだとき、私は作品についての予備知識を何ももっていなかった。私はすでに社会人になっていたけれど、ちょうど市立図書館から次々と児童文学を借りていた時期で、その中の一冊として手に取ったのだった。
読み始めてみると、うん、なかなか面白い。衣装タンスの扉の向こうの魔法の国、四人の個性豊かな子どもたち、偉大なるライオンのアスラン、フォーンやもの言う動物といった不思議な住人……うんうん、設定も登場人物も私好みでかなり面白いわ。
物語を楽しみながら夢中で読み進めていたのだけれど、そのうちに、ふと、「おや?」と感じた。アスランが、何か私の良く知っているものを連想させたのだ。きょうだいたちを裏切ってしまう弟エドマンド、アスランを殺そうとする白い魔女、石の祭壇……やっぱり、何かに似ている。何かを象徴している。
それが聖書に書かれているキリストの受難そのものだとわかったとき、私は本当にショックを受けた。
こういう書き方があったのか! こんな表現のしかたがあったのか! と。
「ナルニア国物語」の作者C.S.ルイスはキリスト教の研究家(正確には弁証家らしいが……弁証家って、なに?)だったらしい。最もなじみがある聖書の話を、「ナルニア国という架空の世界に置き換えたらどうなるか?」という仮定法で描いたのが、この作品だった。
その後、私は「ナルニア国」シリーズを全巻読破したけれど、その中で語られているものは紛れもなく聖書の物語そのものだった。そして、最後の巻で子どもたちに訪れる結末。読む人によって、それは賛否両論に別れるところのようだけれど、私には、作者がそこで何を言わんとしたのか、手に取るように良くわかった。そして、本当に、「こんな物語の作り方があるんだ」と、ぐうの音も出ないくらい思い知らされてしまったのだ。
その後、私はいろいろな作品を書いてきたけれど、このとき「ナルニア国」から得たものが、私の創作を根底で方向付けていたような気がする。物語として楽しく読みながら、いつの間にか作者の語りたいものを感じてもらえるような、そんな作品が書きたい、と。
それがちゃんとできているかどうかは、自分ではよくわからない。でも、時々、作品を読んだ人から「読み終わった後、残るものがある」という感想をいただけるところを見ると、いくらかは成功しているのかもしれない。
映画「ナルニア国物語」が来月から封切りになる。
さて、観に行こうかどうしようか。思い出深い大事な作品だけに、なんとも複雑な心境で、迷ってしまっている。
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コメント
思い出深い大切な作品だけに、映像化される嬉しさもあり、保ってきた世界を壊されないかという心配もあり、決断に悩みますよね~。
最初からあまり期待を抱かないようにしていればいいかもしれませんよ。今はCG技術もすごいレベルですし、昔の「ネバー○○ディングスト○リー」よりは映像を見るだけでも楽しめるような気がします。(笑) 予告編を見る限りでは壮大な映像みたいですし楽しそう。
私は昔、中学校の図書館に「ライオンと魔女」があったのは覚えているのに読んでないんです。読んでおけばよかったです。読んだら即効ハマると思うので、それがコワイんですけどね。(^^;
投稿: Elinor | 2006年2月 6日 (月) 19時36分
そうなんです。大切すぎるから、映画化が嬉しくもあり怖くもあり。
期待しすぎないで観るっていうのは難しいけれど、だからといって、観ないでやり過ごすというのも、ちょっと無理そうだし……。(^_^;)
今、手元にマクド○ルドの割引券付きチラシがあるんですが、今度のハッピー○ットのおもちゃが、ナルニアのフィギュアなんです。
いえ、それがほしいというわけではなく、そのチラシに載っている長男ピーターの写真が、フルートのイメージそのままだったものですから。(笑)
う~ん、やっぱり観たいな、でも~……とエンドレスで悩んでいます。(爆)
投稿: 朝倉玲 | 2006年2月 6日 (月) 20時32分