2010年5月29日 (土)

iPad発売と書籍について

 iPadが昨日ついに発売になりましたね。
 ものすごい人気で、当面は入手困難のようですが。
 本が好きで、自分でネット小説も書いている私としては、iPadには以前からかなり興味を持っていました。iPadにはさまざまな機能があるわけですが、ここでは電子書籍に話題を絞って話をします。

 これまでの電子書籍はパソコンか携帯のモニターで読むしかなかったし、そうなると文字は(特殊なサイトの作品は別として)日本語でも横書き。本を読むようなわけにはいかなくて、特に長い作品は読むのがしんどい、というのが正直な感想です。
 ところが、iPadならば、本と同じような縦書き表示ができるし、すべてタッチパネルの操作なので、本物の本をめくるような感覚で次のページへ進むことができます。さらに画面の縮小拡大も指先の動きだけで自由自在なので、見ることに不自由があったり、老眼で小さな文字が読みにくくなっている人も、簡単に自分の好みの大きさの文字にして読むことができます。今まで図書館の「大きな文字の本コーナー」に行かなければ、読める本が見つからなかった人も、いつでも好きな本が自由に選べて、自由に読めるようになります。さらに、音声も再生できるので、目の不自由な人が電子書籍を読むのも簡単になりそうです。(自動音声変換だと、おかしな読み方をされる場合もあるのでしょうから、そこはやはり、電子書籍のメーカーで、きちんと商品として開発する必要があるでしょうけれど) インターフェイスとしての可能性はかなり広いと思います。


 昨夜NHKでやっていたBizスポ・ワイドの時論公論でもこのiPadを取り上げていたので、それをみながら、iPadが普及したら書籍関係業界はどうなるのかなぁ、と想像してみました。

 まず、書籍は書店に行って買うのではなく、インターネットで接続された電子書店(アマゾンなどのような)から買って、iPadにダウンロードして読むようになります。
 そうなれば、本が家の中にうず高く積み上げられる、ということもなくなります。我が家でも、本の置き場に困って、最近は本を買い控えているのが現状ですから、これは非常にありがたいことです。私の場合、家の中から本棚が「消える」ということはありえないけれど、iPadが1台あれば、本を置くスペースが大幅に節約できるのは確かです。

 書籍の値段も下がるはずです。紙代インク代印刷代がかからなくなりますからね。
 書店が売れない本を返品する手間も金もかからなくなるし、出版会社も在庫を山ほど抱える必要はなくなります。そうなれば、今までは商品にしにくかった販売部数の少なそうな作品も、恐れず市場に出すことができます。近頃、書店に行っても、当たり障りのない軽い読み物や、今時の流行を追った本や雑誌ばかりが並んでいて、本当に読みたい本が見つからなくて、がっかりして店を出る――ということが続いていたので、これは歓迎したい動きです。NHKでは、今まで限られた場所でしか入手できなかった同人誌も、一般の商品として扱えるようになる、という可能性を取り上げていました。
 本離れが問題視されながら、いっこうに改善の見通しが立たない現状で、iPadは新しい書籍市場拡大のチャンスではないかしら、とも思います。

 ただ、これも必ず話題になってくることですが、従来の書店(本屋さん)にとっては、大きな打撃になるでしょうね……。本屋に行かなくても本が手に入ってしまうわけですから。
 従来の本を販売しつつ、電子書籍の販売もする。電子書籍を売り込む際に「お気に入りの本はやっぱり紙がいい」とかいうコピーフレーズで、愛蔵版購入を勧めるとか。どんなにパソコンが普及しても、やっぱり紙の本はいいですからね。どこでも(たとえ電気がなくても)いつでも気軽に読めるし、データ消滅のようなことも起きない安心感があります。iPhonや携帯で音楽をダウンロードして聴いている人も、本当にお気に入りの曲はCDやMDでも持っていたりするんじゃないかしら。違うかなぁ。 
 まあ、これは書店より出版会社のほうがやりやすいサービスのような気もします。電子書籍と紙の書籍を同時に発売して、それぞれの客層のニーズに応える……。書店は出版会社と提携して、販売部門を担当する……。とっくに、この方向で動き出しているだろうとは思いますが。
 そして、その動きに乗ることができない、町の小さな本屋さんは――やっぱり、消えていってしまうのでしょうね。
 本屋が人々への情報提供の拠点だった時代は過ぎてしまったんだ、と、最近本屋に入るたびに感じています。少なくとも、その全盛期は終わったんだ、と。
 どのみち、小説というのはそもそも文字というものを使ったデータの集合体で、本はそれを読み手に渡すための媒体にすぎなかったのですよね。本屋は書籍の情報を客に伝え、受け渡しをする場所。媒体が紙から電子情報に変われば、その中継点もまた変わらざるをえない……ということなのでしょう。
 個人的には、本屋のあの雰囲気も匂いも、好きな本を探して歩き回ったり、どんな本だろうと手にとって立ち読みしたり、ということも大好きなので、それができなくなってしまうのは本当に淋しいのですが。時代は容赦なく移り変わっていくんだろうなぁ、と思います。


 その他、iPadについて、あれこれ思いめぐらしたことを羅列してみます。
 もっと様々な人が利用しやすい機能やツールの開発が必要。
 例えば……

・視覚障害者が利用するための、iPadにつないで手元で操作できるコントローラー
・画面に映し出される絵が線になって浮き出したり、文字が点字になって浮き出してくる特殊なモニター、またはスクリーン。これも視覚障害者用機能。
・長時間見ていても目が疲れないモニターの開発。
・iPadの価格低下(さすがに今の値段ではまだ高い)

 他にもいろいろ思いつくけれど、今はとりあえずこのくらいにします。
 当面、iPadは手に入りにくい状況のようだけれど、いつか私も買いそうな気がします。電子書籍が読みやすくなるのは、やっぱり嬉しいですから。
 ただ、上のような状況に本当になるかどうかは、これからiPadがどのくらい普及するかによると思います。
 そして、本当にそういう日が来たら、「パソコンは持ってない。iPadで十分だから」という人も大勢でてくるんだろうなぁ、とも思います。

 これからの日本や世界のITと出版業界は、どんなふうに動いていくのでしょうね。
 予想できること、できないこと、さまざまですが、これからもずっと見守り、自分自身に合った形で取り入れていきたいな、と思ってます。

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2006年7月 4日 (火)

「デスノート」・4

 昨夜、詐欺の現場を取材したテレビ番組を観ていた兄ちゃんが、突然腹立たしそうに言い出した。
「まったく、こういう犯人のヤツらこそ、デスノートに名前を書いて全員殺してやりたくなるよな! ぜぇってえ、殺してやりてえ!」
 兄ちゃんは漫画「デスノート」が大好き。つい先日、友人たちとその映画も観てきたばかり。だから、なおさらそういう思考になっているらしい。罪もない人たちを精神的に追い詰めて弱い気持ちにさせ、大金を巻き上げていく詐欺グループの手口に、本気で腹をたてている。その姿を、いかにも高校生らしいまっすぐさだなー、と思いつつ。
「う~ん、でもねぇ……殺しゃいいってものでもないと思うよ」
 と母である私。
「どうして!? 悪いことをしたヤツは報いを受けるべきだと、俺は思うよ! 殺人を犯したヤツは絶対死刑! 『デスノート』反対派のヤツらもいるし、死刑廃止論をいうヤツらも大勢いるけど、俺はそいつらに言いたいね。身内を殺されてみろって! その時にも、死刑はいけないことだとか言えるか? ぜってぇに、ぜえってぇに、そいつも犯人を『殺してやりたい』って憎むはずだぞ!」
 高校生になってから、兄ちゃんは「絶対」ということばに「ぜってぇ」という言い方をする。
 まっすぐだねぇ、兄ちゃん。本当にまっすぐだ。もちろん、兄ちゃんが言う殺人犯の中に、過失で相手を殺してしまったり、自分を守るために相手を殺したりしたケースは含まれていない。純粋に、悪意を持って相手を殺した犯人のことを指している。
 でもね……本当の世の中ってのは、そんなに単純なものでもないんだよ。お母さんは「デスノート」の漫画を読み続けることができなかった。だって、どんなに凶悪犯だったとしても、「だから、殺されて当然」とは、なかなか言い切れないのが現実だと、わかってしまっているから。漫画に描かれているように、犯罪者だから、受刑者だから、悪徳政治家だから、「殺されてかまわない」とは、とても言い切れないのが現実だから。

 言葉を濁す母に、兄ちゃんはじれったくなったらしい。どうしてそんなことを言うんだ、と言うように、母にかみついてくる。
「悪いヤツは悪いんだ! 人を殺したヤツは殺されて当然! 最近、悪いヤツらがますます増えてるじゃないか! 小学生を平気で殺したり。そういうヤツこそ、死刑になるべきだと思うぞ! 誰が許したって、身内を殺された家族が絶対に許さないじゃないか! どうして、そうヤツを殺したいと思っちゃいけないんだ!? 俺はデスノートが現実にあったらいいと、本当に思うぞ!」
 私は思わず溜息をついてしまう。その意見は正しいよね。ある意味、本当に正論だよね。目には目を、歯には歯を。世界の正義の根源をなす思想だけれど。だけど……
「今は、わからなくてもいいよ。ただことばでだけ聞いておきなさい。世の中って言うのは、それほど単純なものじゃないんだよ。悪いやつを殺すことが一番正しい、ってことじゃないんだ。殺すことが解決にならないことも、たくさんあるんだよ。……今はわからなくてもいいから、そういう考え方もあるんだ、ってことだけは、覚えておきなさい」
 すると、兄ちゃんが憮然とした顔になって聞き返してきた。
「たとえば、それってどういうことさ?」
 時計はもう夜の十時半を過ぎている。昇平を寝かしつけなくちゃいけない時間なのだけれど、なんとなく、兄ちゃんとのやりとりをこのまま切り上げてしまいたくはなかった。
「……お母さんが考えていることを、本当に聞いてみたいと思う?」
「思う」
 兄ちゃんがそういったので、それまで向かっていたパソコンから離れて、兄ちゃんに向き直った。

 「たとえばね、最近、兄ちゃんくらいの年の子が、もっと小さい子や他の人を殺したりする事件を時々起こすでしょう?」
「ああ。そいつらこそ殺されるべきだと思うぞ!」
 と兄ちゃん。口調は激しい。同年代の子の事件だからこそ、それはいけないことだ、間違っている、という想いが強いんだろう。
「そういうことをする子たちってね、自分自身が、家族の中で大切にされてきていないことが多いんだよ……。一見ごく普通の家庭に育っていることもあるんだけど、よくよく調べてみると、家庭の中でその子は全然大切にされてきていないんだよ。ほったらかしにされているのね。人間として大切にされてきてない、っていうのかな……。自分を大切にされてきていない子は、他の人間を大切にしようなんて考えないんだよ。相手が自分と同じように考えたり痛がったりする人間だとは思えないの。相手を大切にすることができないんだ……だって、自分自身が、生まれてからずっと、誰かから大切にされてきた経験がないからね」
「……それは、その親が悪いじゃないか!」
「それでも、その子のしたことは、やっぱり罪なんだよね。人を殺すのは、悪いことだもの。ただ、その子は、そういうことをするのが『悪いことだ』とはわからなかったんだ」
「どうしてわかんねえんだよ! 普通わかるじゃないか、それくらい!」
「それを教えるのは誰?」
「そりゃ、親だろう」
「だから、その子は親たちから教えられてこなかったんだってば。自分のしたことが悪いことだと、誰からも教えられてこなかったんだ。そうだとしたら、本当に悪いのは、誰になると思う?」
「……そいつの親」

 ね。これはたとえば一つの例に過ぎないけれど、殺人一つを見たって、その背景を考えると、単純にその犯人を殺せばそれですむ、という問題じゃないことはあるんだよ。
 その子は人の命を大切にすることを教えられてこなかった。それというのも、自分自身を大切にされてきた経験がなかったから。それをね、一から教えなおそうとしている少年院がね、実際に日本にはあるんだよ。人の命の大切さ、相手を大事にすることの大切さを教えて、そして、自分がしたことの罪の大きさに気づかせようとする、そういう取り組みをしているところが、本当にあるんだ。
 もちろん、犯人の全員が全員、それに気がつくというわけじゃないよ。中にはいくら教えても最後まで気がつけない人もいる。そういう犯人は、やっぱり極刑にされるしか道はないのかもしれないね。人によっては、すぐに死刑で殺してしまうのは間違っている、一生外の世界にでられない刑務所に置いて、そこで人生を過ごさせることこそがなによりつらいことになるはずだから、死刑より終身刑のほうがいい、と主張する人もいるよ。その犯人にとって、どうすることが最も適切な「刑」になるのかは、その人によって違うのかもしれないね……。

 兄ちゃんから最初の頃のような激しい憤りは感じられなくなってきた。けれども、やっぱり怒ったような目をしながら、こう言う。
「犯人は自分の罪を悔い改めて、自殺するべきだと思うぞ。俺だったら――もしか、俺が本当に悪いヤツになって殺人を犯して刑務所に入れられたとしたら――刑務所の中で一瞬正気に返って、自分で自殺すると思うぞ」
 きっぱりした口調。
 思わず絶句した母に、兄ちゃんがちらりと目を向ける。
「俺がこういうこと考える人間だってこと、お母さんは知らなかった?」
 ホントにもう……君と来たら! 思わずほほえんでしまった。
「意外だったんじゃないよ。やっぱり、お父さんとお母さんの子どもだったんだなぁ、って思っただけなんだよ」
「……お母さんも、そんなふうに思ってるわけ?」
 今度は兄ちゃんが意外そうな声。
 笑ってしまう。笑顔を返すしかない。
「思ってるよ。たとえ間違いでも人を殺してしまったら、誰が許してくれても、お母さんは自分で自分を絶対に許さないから。だからね、もしも、本当にそういうことが起こってしまったら、お母さんのことを気をつけてちょうだいね。もしもお母さんが自殺しそうになったら――止めてね」
 今度は兄ちゃんが絶句した。
 時計の針は11時に近づいている。もう、昇平を寝かしつけなければ。昇平は、隣の部屋の布団に転がって、いつまでも携帯ゲームを続けている。もう行かなくちゃ。
 考え込んでるような兄ちゃんを残して、私は部屋を出た。


 朝になってから、旦那にその話をした。旦那は仕事が忙しくて、その時間にもまだ帰宅していなかったから。
「難しい問題だな。答えはなかなか出ないな」
 と旦那も考え込むように言った。それはそうだ。旦那自身にだって、まだ答えが見つかっていない問題だもの。
「うん。考えていけばいいと思うんだ。何年も何十年も考えて、そうして答えを見つけていく問題だと思うんだよ」
 殺したい相手の名前を記せば、一定時間後にその相手を自然死させることができるというデスノート。手を血に染めることなく、悪い人間を世の中から抹殺していくことができる。それは「絶対の正義」の姿なのかもしれない。
 だけど――人間に、デスノートは本当に必要なのかな。
 その答えは、君自身がこれから時間をかけて見つけていくものだね。兄ちゃん……。

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2006年4月18日 (火)

「デスノート」・3

 昨夜、帰宅後に一人で夕食を食べていたお兄ちゃんとの会話。

母「デスノート、2巻まで読んだよ」
兄「2巻まで? おもしろいでしょ?」
母「う~ん、おもしろいとは思うけど、お母さん自身としては微妙だな」
兄「あれはおもしろいよ。ああいうこと(死神のノートに他人の名前を書いて、その人物を抹殺すること)をやりたいって考えたことがない奴はいないと思うよ」
母「うん、いないと思う。だからあの漫画は人気出たんだよね。実際、お母さんだって君ぐらいの年にはそう思っていたし、お父さんも若い頃はやっぱりそう思っていた、っていうからね」
兄「お父さんが? どんなふうに思ってたわけ?」
母「学生時代には、人類なんて滅亡すればいい、って、ずっと思っていたってよ。それは結婚したときに聞いたの。でも、子どもが生まれてから考え方が変わったんだって。お母さんもそうだよ」
兄「お母さんも人間は滅亡すればいいって思ってたの?」
母「思ってたよ。(笑) 人間なんて全部死んでしまえばいい、ってね」
兄「どうして?」
母「だって、人間なんてくだらないもん(笑)」
兄「……お母さんはその時、自分も死んでしまっていいって思っていたわけ?」
母「思ってたよ。明日の朝にでも、死んでいればいいって思ってたわね。でもね、お父さんもお母さんも、君たちが生まれてから変わったんだよ。世界なんて、自分たちの代で滅んでしまえばいい、って思っていたんだけど、君たちが生まれたら、せめて、君たちが人生をまっとうするまでは、この世界にちゃんと残っていてほしい、って思うようになったんだよね――」

 遠い遠いあの時代。純粋に人の悪と善を見つめ、人間の生き様や社会を眺めていたあの時代。あの頃に読めば、「デスノート」もおもしろかったかもしれない。
 でも、今は、くだらなくても、醜くても、それでも人には生き続けてほしいと思うし、世界も存続していてほしいと思う。
 我々にそんなふうに思わせていったのは、他でもない、君たち子どもなんだよね……。

 そんなふうにして、人間は、世界は、続いてきたのかもしれないなぁ、とも思うよ。

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2006年4月17日 (月)

「デスノート」・2

 引き続き「デスノート」2巻を読破。ついでに、ぶっとんで10巻をちらちらと。
 ……だめだ。やっぱり読み続けられない。(苦笑)

 おもしろくないわけじゃない。主人公とLとの頭脳戦なんて、読んでるだけでワクワクする。だけどね。
 この世界を楽しんでいられるほど、私はもう純粋じゃなくなっているから。(笑)

 悪人は消えてよし、かぁ。
 さっきも書いたけれど、それって、ある意味、とても素直な物の見方なんだよね。それができること自体が、ある意味、純粋。
 人を思う気持ち、ポジティブな気持ちの対極に、その想いはあって、それもまた人間の本質。だから、この漫画はこんなに人気が出ているんだと思う。今まで誰も敢えて形にしなかったことだから。それはそれで、いいと思う。ポジティブが正しくて、ネガティブが間違いだとは、私は思わないから。
 ただ……気がつかなくちゃね。本当の世の中は、そこまで単純なものじゃない、ってことに。

 私も昔は考えたよ。この世の中の人間なんて、みんなろくでもない。みんな死んでしまっていいような奴らばかりだ。人間なんて罪の塊、存在すること自体が計り知れない罪。だから、滅びればいい。そして、そう考える自分だって、やっぱり同じ人間だから、自分だって生きているべきじゃない。人間なんて大嫌い。人生なんて下らない。みんなみんな、死んでしまえばいい。私自身も、明日の朝に死んでしまっていればいい――。
 ……ふふっ。今のこの朝倉サンからは想像がつかないでしょ?

 「デスノート」を読んでいると、そんな昔の匂いを感じる。あの頃は、本気でそう思って、純粋にそんなことを願っていたっけなぁ。そんなふうに。
 でもね、人間も自分も、世界も人生も、そんな単純なものじゃない、ってのが、いつかわかってくるんだよね。
 いや……わからなくちゃいけないんだよね。人間として生きていきたければ。

 そんな時代を経てきているからかなぁ。人間がこんなに愛おしいのは。どんな人間にも、もしかしたら、一抹の"善"があるんじゃないか、そんなふうに他人を眺めて生きているのは。
 そんな自分を、自分で「お人好しだなぁ」と笑いながらも、でも、この生き方を改めるつもりもないんだ。

 人間は、そんなに単純なものじゃない。
 ほんとに、そう思うよ。

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「デスノート」

 今、大人気の漫画「デスノート」。噂は聞いていたけれど、昨日、お兄ちゃんが「面白いんだよ」と言いながら、コミックスを全巻買ってきてくれた。
 で、1巻を読んだ。
 ……ふーん、なるほど。こういうお話でしたか。

 いや、内容はお兄ちゃんから聞いていたから、だいたいわかってはいたのだけれど。実際に読んでみると。
 なるほどねぇ。
 としか言いようがなかったりして。

 おもしろくないわけじゃないですね。むしろ、非常におもしろい。興味深い、と言ってもいいかな。
 ただ……これって、ずっとこの路線で行くわけ? まだ1巻しか読んでないからわからないんだけど。
 詳しいコメントは、やっぱり全部読んでからだろうなぁ。そうでなければ語れないもんね。
 でも、そうね……お人好しで、なんだかんだ言いながらも人の善い部分を信じたがっている朝倉サンとしては、少々読むのがつらいかもね。(笑)

 悪人をすべて悪だと信じていられるのは、ある意味幸せなことかも……しれないなぁ。
 と思った。

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2005年10月 2日 (日)

ぶったまげ

たった今、旦那がカバーのかかった新書を持ってきて、ニヤニヤしながら「これ、なんだと思う?」と言った。
は? と思いながらカバーを外してみたら・・・・・・

『魔群襲来 ~アルスラーン戦記11~』 田中芳樹


どっひゃぁぁぁぁーーーーーーー!!!!!

うっそぉぉぉ・・・・・・ホントに、ホントに出たのぉぉ・・・!?????


10巻が出てから、いったい何年たったんだ?
まさか、まさか、本当に出るとは・・・すでに思っていなかった。(爆)
奥付を見たら2005年9月25日初版。出たばっかりだ。
うーん、本当だ。本当に、『アルスラーン』の新刊だぁ・・・・・・。

はー。

ぶったまげたけど、こういうショックなら、悪くはないかも。
わーい、わーい、うれしいなっ♪
もう少しで『フルート・2』の第7部が書き上がるから、そしたらじっくり読もうっと。
・・・次が何年後になるかわからないから、それこそ、じっくりと。(爆)

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2005年6月20日 (月)

「からくりサーカス」37巻

今日は忙しかったし、蒸し暑かったしで疲れた。
布団敷いて、上でゴロゴロしていようっと。
そういや、まったく関係ないけれど、昨日おにいちゃんが「からくりサーカス」(藤田和日郎/サンデーコミックス)の最新刊を買ってきてくれた。ホントにクライマックス。でも、まだまだ戦いは続きそうだなー。トリックにつぐトリックで、ストーリーが難解になってしまったのは残念だけど、でも面白い。
今回一番目立っていたのはジョージだわね。いい味出していた。子どもたちの拍手に自分が一番やりたかったことを思い出すシーンには、なんだかすごく共感。ピアニストもマンガ家も小説家も、聴き手や読み手があってこそのものだし、拍手や「また弾いてね(また描いてね/また書いてね)」ということばは、最高の賞賛。相手が小細工の通用しない子どもであれば、なおのこと嬉しいんだよね。
やっと仕事が一段落した。まもなくまた次の作業が始まるのだけれど、それまでの間、「フルート」の番外編に取り組もうっと。やれるときにやっておかなくちゃね。
だけど、今日は疲れてしまったので、明日に備えてエネルギーを回復しなくちゃ・・・。(笑)

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2005年6月10日 (金)

「デルフィニア戦記」

今、仕事の合間や義母の病院の待ち時間に、中央公論社から出ている「デルフィニア戦記」を読んでいる。もう十年近く前に出た本で、当時は友人から借りて読んだのだけれど、最近になって文庫版が出て、それを旦那が「ブック・オ○」で買ってきたものだから、そこからまた読み直しが始まっている。
まあ、いろいろとご都合主義も多いし、少女趣味もあるけれど(何故に、あれほど美形ばかりが登場するか? 笑)、今読んでも面白い。いやまったく、面白い。
黙って立っていれば絶世の美少女リィ、けれども本人は「実は男だった」という。その言葉を証明するように、リィの戦いぶりは勇猛な戦士そのもの、その魂は黄金の狼、おまけに信じられないような怪力や不思議な力を発揮する。彼女(?)が救って復位させた流浪の王ウォルとのでこぼこコンビぶり、またその周辺にいる脇役たちの掛け合い漫才のような会話(本人たちは大まじめで言っているのだけれど)も、おかしくて、読みながらついつい吹き出してしまう。でも、その一方で展開されていく王国同士の駆け引きや国盗り合戦には、なかなかのものがある。作者は女性なのだけれど、意外なくらいシビアな面も見せてくれる。キャラクターとストーリーにギャップがあるようで、妙にマッチしているのがまた良くて。
現在13巻。古本で買ってあるのはここまで。残りあと5巻。うーん。 旦那に早いところ続きを見つけてきてもらわねばー。

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