2007年3月23日 (金)

雪の中の星

疲れ果てて、ただ佇む。
雪の降る空に星が光っている。
雪も星も白く輝きながら入り乱れている。

わからない人々に語りたくはない。
わかってもらえないことに、いっそう疲れ果てるから。
わかってしまう人々にも語りたくはない。
同じ苦しさを思い出させて、聞かせただけで疲れさせてしまうから。

だから、私は黙る。
何も言わずにただ雪と星を見る。

泣けるっていうのはさ、もしかしたら、まだ幸せってことかもしれないね。
泣いたって嘆いたって何も変わらないとわかってしまっている時には
人は泣くことさえしなくなるんだよね。
ただぽかぁんと立ちつくすだけなんだよね。

辛さ悲しさは昨日もあった。
同じ苦しさは今日もある。
そして、明日にだってやっぱりあるんだろう。
それがわかっているから。

泣かない。嘆かない。怒らない。
そんなことをしたって無駄だとわかっているから。

だから、私は笑う。
雪と星の空を見上げながら。
そうして、不安げに私のかたわらに立つ君を抱きしめる。
大丈夫だよ。心配ないよ。
君はとってもいい子だよ。
本当にとってもいい子だよ。
だから、心配しなくていいんだよ。

君に笑ってあげよう。怒る代わりに。
抱きしめてあげよう。嘆く代わりに。
愛を上げよう。ほほえみを上げよう。涙の代わりに、悲しみの代わりに。

雪の中の星。星の中の雪。
遠く近く白く輝くものたちは、ひとつに絡まり合いながら、地上に降りそそいでくる。
冷たく美しく光りながら。

抱きしめてあげよう。凍えないように。
昨日に続く今日、今日に続く明日。
過ぎていく時間をただ当たり前に生きながら。
泣けないならば、笑っていこう。
雪の中に星を探そう。
遠い遠い空の中に星を探していこう。

君はいい子だよ。
君を愛しているよ――。

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2007年3月16日 (金)

親が子に伝えていけること

 親は子に伝えていく。
 その体型も、体質も、性格の基本も、能力も、特性も。
 親とそっくり同じ形で出ることはないかもしれない。
 けれども、子が持つものは、まぎれもなく親から伝えられてきたものだ。

 いいものだけが伝わるわけじゃない。
 良くないものも、困ったものも、いいものと同じように子に伝わっていく。
 なんの分け隔てもなく。

 親からもらい受けたものを資本に、子はこの世界を生きていく。
 欲しかったのにもらえなかったものもあるだろう。
 生きにくいものをもらってしまってもいるだろう。
 子も親も、受け継ぐものを選ぶことはできない。

 人より少し生きにくいものを多く受け継いでしまった我が子。
 本当はもう少し楽な生き方ができるように、
 生んであげられるものなら、あげたかったけれど。
 それは親にできることではなかった。

 だから、せめて、私は
 親として君に、人を信じる心も伝えてあげよう。
 この世には悲しいことや怖いことが渦巻いていて、
 いじわるな人も非情な人も残酷な人も大勢いる。
 もともと生きにくさを抱える君には、なおさらに生きにくい世界ではあるけれど。

 でも、そんな世界にも、
 優しい人たちは必ずいる。
 何の見返りも期待しないで、
 君を助けよう、君の生き方を応援しよう、と考えてくれる人たちが、
 間違いなく、この世界には存在するから。

 そんな人たちと出会ったときに、
 君がその人たちの優しいことばを信じることができるように。
 私は君に、人を信じる心も残していこう。

 それは素敵だね、と誉めてくれることば。
 それはやっちゃいけないよ、と諭してくれることば。
 あの人はこんな気持ちでいるんだよ、と教えてくれることば。
 君はこうするとうまく行くかもしれないよ、とアドバイスしてくれることば。
 そんなものを信じていくことができたら、
 困難を抱えていたって、君は人生を生きていきやすくなる。
 そして、君に向かって、
 「そんな君が大好きだよ」と言ってくれる人は、きっと増える。

 だから、私は親として、
 君の中に、素直さを育てる。
 人のことば、人の気持ちを信じられる心を育てる。
 
 この世界は怖いもの。この世界に住むのは残酷な人たち。
 だけど、その世界に同時に存在する、優しい人たちのことを
 君が信じていけるように。
 その人たちがきっと、君の人生を助けていってくれるから。

 それは、子を産んだ後に、
 親が我が子に伝えていけることだから。

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2007年3月12日 (月)

当事者と家族の身になった支援を!

 この週末は多忙でした。土曜日は所属しているADHDの家族会の総会。日曜日は、子育てに関わる人たちの学習会で親の立場からアドバイザーをするよう仰せつかり、二本松市まで行ってきました。
 発達障害に関係する様々な支援の法制化に伴って、日本中に追い風の吹く中、でも、本当にやる気があって集まる人たちはごく少数です。うちの家族会は福島県の中でもかなり名が通っていて、関係者に名前を出しただけで、「あの団体の!」と言われてしまうほどですが、実際には広い福島県内に会員が散在している状態で、会合や学習会を開いても、十数名が集まるのがやっと、というのが実情。そこに、各種関係者から、「あれをやりませんか」「これをやりませんか」「こういう内容のことをやってくれませんか」。……我々は、普通の主婦の集団です! このご時世だから、夫婦共稼ぎの家庭も多いです! しかも、子どもは障害児だから、簡単に誰かに預けるというわけにもいきません! そういうことを言うならば、それをするのに充分なだけのお金と人手を私たちにください! と言いたい。

 啓蒙のため、子どもたちのため。環境は整っていなくても、まず走り出すのが大事。
 それは本当にそうなのです。
 翌日の学習会に集まった人数は、決して多くはなかったけれど、子どもの育ちを支援しようという方たちの意欲や、障害ある我が子のためになんとかヒントや手だてをえようとする親御さんの気持ちは、とても強く感じました。でも、何かを始めよう、何かに取り組もうとすると、その動き出した人たちに大きすぎる負担がかかるのが実情です。
 たとえば親の会で助成金を申請して、いただいたお金でイベントを開いたり、備品を購入したりしますが、その後の報告書の量の半端じゃないこと! 特にお役所関係の助成金はそうです。
 チョロチョロと目の話せない子どもをかたわらに、やっと親同士の連携をとって、なんとか都合を合わせながら会合や学習会を開いているのが現状なのに、そこに、「それを仕事にしている人の感覚で」大量の書類の提出を求めてくる。書類の内容も、厳密かつ厳格。(ついでに助成金の使い方に関しても。)
 もう少し、活動をしている親の立場に立ったやり方というのは考えられないのかなぁ、と溜息が出てきます。

 追い風が吹くのはありがたいです。我が子が生きやすく、暮らしやすくなるためになら、本当に、あらゆる動きが出てきてほしいと思います。
 でも、親が子どもや家族を抱えて家庭を営んでいる、という現実もまた、忘れないでほしいのですね。
 家庭は基本。家庭が滅茶苦茶の状態で、わが子の支援なんてありえない。泣き叫ぶ我が子をほったらかしにして、公から求められた活動に走り回らなければならないとしたら、こんな本末転倒な話はないですから。
 今回私がアドバイザーで参加させてもらった学習会の際には、主人が休みを取れたので、主人に子どもを頼めたから良かったのですが、そんなふうに都合がつかない人だって、大勢いるのです。
 追い風が吹くのはけっこう。でも、その追い風で、肝心の当事者や家族の乗った「家庭」という名の船を転覆させないように。
 人によっては、子どものためなのに、なかなか集まりや活動に参加してこない親たちに、イライラしている専門家もいるのかもしれません。せっかく補助すると言っているのに、なぜ乗ってこないのだ、と思っている行政関係者もいるのかもしれない。
 でも、現実には、親は家庭と両立しながら、子どもを守り育てることを保証されながらでなければ、そういう活動には参加していくことはできません。家族も顧みず、公の活動に献身的に参加してくれる親もいます。本当にありがたいと思います。だけど、そのしわ寄せはその人の家族に行きます。そこには、まさしく支援されるべき「当事者」も含まれています。
 誰かを犠牲にした上に成り立つ「支援」は、支援ではないのです。

 「子どものために」と親を駆り立てることのない。
 家族や当事者たちの気持ちや立場にたった手助けができる。
 そんな本当の支援が実現していってほしいな、と、つくづく考えていたこの二日間でした。

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2007年2月28日 (水)

「できないことは、できない。」

 最近、我が子を見ていてつくづく感じていることの一つに、「できないことは、できない」んだなぁ、というのがある。
 まあ、特に小学5年生の次男に言えることなのだけれど、高校2年の兄ちゃんだって、やっぱり同じように「どうしてもできない」ことはある。
 次男の場合は、できないことがとても多い。発達障害というものを持っているからなのだけれど、たとえば大勢の中にいると、前で大声を上げる人がいても、話が聞き取れなくなる。周りの状況もよく読めないものだから、自分が何をすればいいのか、何をしろと言われているのか、全然理解することができない。だから、35人学級の通常学級では自力で授業についていけなくて、6人という小集団の特別支援学級(特殊学級)で学んでいる。片手におさまるくらいの人数の中であれば、ちゃんと授業内容も、自分が言われていることもわかるし、安心して生活することができるから。自分がどんな状況にあるのか、何をしなくちゃならないのかわからない、ということは、周囲が思っている以上に、本人を不安にするんだよね。
 一方兄ちゃんはと言うと、別に大集団でも何も困難はない。ずっと通常学級にいたし、友だちも大勢いるし、中学では部活動もがんばってきた。親に似ず、案外運動神経は良いらしい。
 だけど、兄ちゃんは数学が極端に苦手。とにかく苦手。
 私は実は学校の先生の勉強をしてきたから、兄ちゃんの受験の際には、勉強を見てやったりした。その結果思い知らされたのが、「できないものは、できない」という限界。数学に向いていない人間ってのはいるもんだなぁ、と思うしかなかった。結局、兄ちゃんは数学に足を引っ張られて、第一志望の高校に入れなかったし。

 障害があろうがなかろうが、人というのは、やっぱり「できないこと」を抱えているんだろうと思う。
 かくいう私も、「できないこと」は山ほどある。その中でも特に苦手なのは、運動。球技、陸上、その他もろもろ、とにかくスポーツと名がつくものは、すべて駄目。唯一まともにできるのがボーリングなのだけれど、それでもアベレージ百ちょっと行く程度。決して得意というわけじゃない。しかも、ボーリングは学校の体育にはなかったし。(笑)
 だから、私は学生時代、自分自身の身をもって、「できないものは、できない」と思い知ってきた。
 どんなに根性出そうが、どんなに努力しようが、駄目なものは駄目。必死でがんばって、がんばって、山ほど練習して、やっと逆上がりができるようになったのが中学2年生の時。でも、これって普通は小学2年生だってあたりまえにできること。そんなものなんだよねぇ。ちなみに、その後、体育で鉄棒の授業が終わったら、私はまた逆上がりができなくなってしまった。(苦笑)

 だけどなぁ、と思う。
 次男は確かに大人数の中で生活するのは大変な子だけれど、少人数の中でなら生き生き暮らせるし、力も伸ばしていける。絵を描くのが大得意だし、好きが高じて、教えてもいないのにパソコンのグラフィックソフトを使い出したのも彼。兄ちゃんは、使い方をきっちり教わらないと、パソコンなんて使えるようにならなかったのに。
 兄ちゃんは今でも数学は大の苦手。試験のたびに、点数は赤点すれすれらしい。なんとか赤点をまぬがれてくるだけすごいと思うけれど。でも、兄ちゃんは国語が抜群に得意。漢字も大得意で、高1の時に漢検2級に合格している。古文もテストのたびに高得点……。
 私も、運動は苦手だったけれど、その代わり、本を読んだり文章や絵を書いたりするのは大好きで、本当に毎日そんなことばかりやっていた。それでどうなったかというと、今のこんな私がいるわけで。

 人って、やっぱりデコボコなものなんだと思う。
 できないことがあって、できることがあって。全然丸くない存在。
 がんばって、できるようになることなら、がんばればいいと思うけれど、どうしたってできないとわかったら、それはすっぱりあきらめて、別の強い方でがんばる方が結局は得策じゃないかなぁ、なんて考える。
 あたりまえのことなんだけどね。本当に、あたりまえのことなんだけど、次男みたいな子どもにかかわっていると、そのあたりまえを忘れて、「できないことだけど、できるようになれ」と言われている子どもを見ることがよくあるものだから。
 まあ、その子が「できない」のか、「がんばれば、できる」のか、「工夫次第でできるようになる」のか、そのあたりの判断というのはあるから、なんでも、やってみなくちゃわからないとも言えるけれど。
 その結果、「やっぱり無理」と思ったら、別の道を探していく方が、本人も周りも楽なんじゃないかなぁ、なんて。

 本当に、最近よく、そんなことを考えている。
 

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2007年2月 6日 (火)

特別支援教育を特別なものにはしない

 最近、よく考えている。
 我が家には確かに、ADHDという診断名を持つ小学5年生の子どもがいる。ADHDというのは、日本語に直せば「注意欠陥・多動性障害」。発達障害と呼ばれる分類の障害になるのだけれど。
 でまあ、確かに、普通学級での授業では理解するのが難しいので、特別支援学級(障害児学級)なんてのにも通っていて、それが地元の小学校にないものだから、私が毎日車で隣の学区の学校まで送り迎えしてるわけなんだけれど。
 そういう意味では、我が家は特別かもしれない。普通の子育てよりも、手がかかることは多いし。

 だけどなぁ、と最近、本当によく思う。
 日々暮らしていると、「自分たちは特別だ」なんて、めったに思わないんだよねぇ。

 我が家には高校2年になる長男もいる。毎朝電車で福島市内の学校まで通っている。この子は別に診断などない。ちょっと数学は苦手だけれど、代わりに国語が得意。運動もそこそこできて、友だちともいつも仲良く過ごせる。普通の子。本当に普通の子。
 だけど、それじゃ次男より子育てが楽か、と言うと、全然そんなことはない。次男に手がかかるところには手がかからないけれど、そのかわり、全く別のところで手がかかるし、気も遣う。むしろ、単純素直な次男の方が扱いが楽! という場面も、よくある。高校2年生なんて、お年頃ですからね。ちょっとしたことで、すぐにカチンと来たり拗ねたりするから、難しいったら、ホントに! 進路のことだって気になる時期だし。

 障害児だから、心配だと言うことではなく。
 障害児じゃないから、心配じゃない、ということでもない。
 二人の子どもは二人ともそれぞれに別のところで心配で、それぞれ別のところでは親を安心させてくれている。
 そんな子どもたちを見ていると、つくづく思う。障害があろうがなかろうが、この子たちは、ただとにかく「我が子」なんだなぁ、って。


 来年度から全国の公立の小中学校では、特別支援教育への本格的な取り組みが始まる。これは文部科学省からの通達。 特別支援教育というのは、つまり、次男のような、発達障害を抱えた子たちを学校でもしっかり支援していきましょう、ということ。それに向けた学校の取り組みは、その学校によって温度差はあるようだけれど。

 でも、私は考えている。
 特別支援教育ってのは、そんなに「特別な」教育じゃないよなぁ、と。
 障害があろうがなかろうが、子どもはみんな一人ずつ特別。得意不得意もそれぞれ違えば、心の形も違う。強情な子もいれば、傷つきやすい子もいる。障害がある子だけを支援するのが、特別支援教育じゃない。一人ずつが特別の存在の、すべての子たちを大事にしよう、っていうのが、特別支援教育なんだ、と。

 みんな同じ。みんな大事。子どもたちは一人ずつが、本当に特別。
 「特別支援教育は障害児のためのものです。診断がない子の場合は支援対象になりません」
 大真面目でそんなことを言ってくる学校長や担当者も、現実にいる。
 それは違うよ、と私は言いたい。
 発達障害を持つ子の親だからこそ、私は言いたい。
 特別支援教育は、すべての子どもたちのためのものだよ。
 普通だから大丈夫、と考えるんじゃなく、普通と言われる子たちにも苦手や不得意がある子たちは大勢いるから、その子たちに目を向けていこう。一人ずつを、「あなたはあなただから特別だよ」と言ってあげられるような、そんな教育を目ざすこと。それが特別支援教育なんだよ、と。

 障害児がいたって、我が家はごく普通に暮らしている。
 楽しいことには笑い、悲しいことには涙し、子どもが手伝ってくれれば「ありがとう」と言い、悪いことをすれば叱りつける。
 ――「障害児でも叱っていいんですか!?」 大真面目で、現場の先生から質問されたことがある。
 いいんです。障害があろうがなかろうが、それ以前に、その子は当たり前にひとりの子どもなんだから。
 その子が叱られるようなことをしたときには――わかっているのに悪いことをしたとか、ちゃんとできるはずのことを怠けてやらなかったとか――そういうときには、子どもを叱ってあげなくちゃいけない。障害児だから、その子のすべてのわがままが通ってしまうような対応は、それは支援でも何でもない。障害児を専制君主制の王様にしちゃいけない。
 「お母さんは怒ると鬼だ」
 次男は叱られるたび、よくそれを言う。涙目になることもある。
 そりゃ怖いですとも。悪いことをしたら、お母さんは鬼みたいにものすごく怒るからね。これは、あなたも兄ちゃんでも同じだよ。だって、私はあなたたちのお母さんなんだから。

 学校での特別支援教育も、それと同じなんだと思う。
 障害があってもなくても、その子は、他の子たちと同じ一人の生徒。ただ、他の大多数よりも理解しなくちゃいけない部分が特殊で、少しだけ余分に手をかけなくちゃいけない、というだけの子ども。
 教師は教師として、同じ一人の生徒として、その子を見ていって良い。悪いことをしたら、他の子と同じように叱り、自分からいいことをがんばったら(それがたとえ小さなことでも)やっぱり、他の子たちと同じように誉めて……そうして、子どもたちみんなが伸びていくように――それを目ざすのが、特別支援教育なんだと思う。

 特別支援教育の「特別」ということばが、先走りしているように感じられるこの頃。
 先生方には、ことばに惑わされず、教師として当然のことを、自信を持って子どもたちにしていってほしいな、と思っている。障害のある子もない子も、すべての子に目を向ける教育。それが特別支援教育だから。

 すべての子どもたちが、当たり前に大事にされる学校や社会になっていきますように――。

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2006年10月21日 (土)

学習発表会、無事終了

 小学校の学習発表会、無事に終わりました~。
 昇平、とても頑張っていました。群読で、北原白秋の詩「おまつり」を読んだんですが、全体が本当にお祭り仕立てでした。最初に、小太鼓、中太鼓、横笛で本物のお囃子が流れる中(5年生の子どもたちが本当に演奏している!)、 体育館の後ろから、手作り御神輿が2基入場。祭りの大うちわが揺れる中、そろいの赤いハッピ(これも子どもたちの手作り)に豆絞り姿の子どもたちが、それに続いて練り歩いてきて、ステージへ。私は前の方にいたので、昇平の表情もバッチリ見えましたが、しっかりみんなと一緒に詩を言っていました。途中で全員でよさこいを踊り、その後、もう一度「おまつり」を群読。いやぁ、息が合っていて、元気が良くて、見ても聞いても、胸がすーっとするような「おまつり」でした。
 よさこいのような体を動かす事は、昇平は非常に苦手なんですが、ビデオなどを使った練習の成果もあって、まわりと同じようにできていて。(練習の時には鳴子が足りなかったので、鳴子をぱちん、と鳴らす練習はしなかったのに、本番では他の子たちがやっているのを見よう見まねで一緒にやっていた! とドウ子先生もびっくり) 
 昇平の場合は、とにかく「周りの子たちと同じようにできること」自体が、すごいことなので、私もすっかり感心して見ていました。う~ん、本当によく頑張ったねぇ!

 帰宅後してお昼を食べた後、昇平はパソコンで好き放題遊んでいます。いっぱい頑張った後は、いっぱいのんびりしなくちゃね。(笑)
 他の学年の発表も、どれも演出のうまい、とても見応えのあるものばかりで、それも楽しかったです。例年、自分の子どもの発表が終わるとさっさと帰ってしまう保護者がけっこういたのに、今年は最後まで残っている家族が多くて、体育館の中は終わりまで超満員。子どもたちもみんな、ここまで頑張ってよかった! と感じたことでしょう。きっと、みんな今頃、満足感を胸に、それぞれの家でのんびりしているんだろうなぁ。

 ……本当は、この手のネタは「てくてく日記」に載せてきたのだけれど、今、そちらでは「専門家と連携して解決を目ざす」シリーズを連載中で、さっき、今日の分もアップしてしまったので、書く場所がない。ということで、こちらに、はみ出してくてく日記となりました。
 ずっと体育館のゴザの上に座っていて、腰と足は痛くなったけど、んー、満足!

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2006年3月30日 (木)

ちょっと真面目な話

自分にそのつもりがなかったのに、失敗したり、周りの人を傷つけてしまった時って、思いがけないくらい落ち込むんだよね。「失敗するかも」「これをやったらまずいかも」と思いながらの時には、ある程度、心の準備もあるから、「あ、やっぱり」「まずかったなぁ」なんて思うくらいでおさまるんだけれど。
で、失敗した時に、「次は気をつけよう」って思って、それで次回改まるなら良いのだけれど、いくら気をつけたつもりでも、やっぱりまた同じ失敗を繰り返してしまう時って、本当に際限なく落ち込みそうになるんだわ。どうして同じことばかりやるんだ、って、自分で自分が情けなくなるから。

ADHDとかの発達障害を持つ子どもたちって、毎日がこの繰り返しなんだろうなぁ、と考えている。
どんなに注意されても、どんなに気をつけても、やっぱりまたやってしまう同じ過ち。どうしようもなくて笑っているけど、ホントは心の中で誰よりも傷ついて悲しくなっているのは、自分自身なんだよね……。
誰からも生きていることを許されていないような気持ちになって、だけど、自分は生きていたいから、誰かに許してもらいたくて。
「生きていていいんだよ。誰に許しを請う必要もないんだよ」と言ってもらっても、やっぱりつきまとうのは、自分自身への存在の不安感。セルフエスティームの低下、と専門用語では言うのだけれど、難しいことばがわかったって、その気持ちが救われるわけじゃない。

ここからその子を救うのは、月並みだけれど、やっぱり「愛情」なんだよね。
失敗したってかまわないよ。うまくできなくたっていいんだよ。そんな君が大好きだから。君は君のままでいいんだよ。
そのことばだけが、その子を救って守っていくから。

自分の人生に自信がある人なんて、ごくわずか。責められそしられ続けて生きるのが、現実の世の中なのかもしれないけれど。
その中にたった一カ所でも、拠り所になる港があれば、その子は人生の荒波を越えていけるのかもしれない……とそんなことを考えている。

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2006年3月 8日 (水)

古いカレンダー

私が向かっている机の上には、古いカレンダーの額が飾ってあります。1997年。もう8年以上も昔のものです。
カレンダーとしては役に立たないのに大事にしているのは、そこに一緒に印刷されているのが、当時2才だった昇平と小学2年生だったお兄ちゃんの写真だから。近所の写真屋さんで昇平の七五三の記念撮影をした時、サービスで作ってもらったカレンダーなのです。
昇平は当時数え年で3才、実質は2才3か月でした。すでに多動はバリバリで、記念撮影をするのにも、写真屋さんが大汗をかいて苦労して、2時間以上も粘って、ようやくベストショットをカメラに収めることができました。
昇平の小さい頃の写真は数少ないです。それも、まともに写っているものとなると、なおさら少ない。カレンダーの写真は、その中の貴重な一枚でした。

カレンダーの中の昇平は、ぷくぷくとおまんじゅうのようなほっぺたをしています。すでに着崩れした晴れ着を着て、両手に持ったボールを差し出しています。これは、写真屋さんが昇平に転がしてくれたボールを、拾って「はい」と差し出しているところ。写真屋さんとしては、そのボールで遊んでいるところを写真に撮りたかったわけなのですが、昇平は拾うやいなや、すぐにそれを写真屋さんのところへ持っていく。カメラの照準が合わなくなって、写真屋さんは苦笑い。何度やっても同じこと。
でも、その中でも奇跡的に、ちゃんと合ったものがあって、笑顔でボールを差し出す昇平と、その後ろで弟を笑顔で見守っているお兄ちゃんが写りました。二人とも、とってもいい笑顔です。

あの頃は、昇平の障害なんて、まだ全然わかっていませんでした。何か普通の子とは違う、と気がついてはいましたが、私はADHDの「A」の字さえ聞いたことがありませんでした。ちょっと(いや、かなり)手のかかる子どものいる、ごく当たり前の家族として、暮らしていた頃の写真です。
だけど、その写真に今の子どもたちの顔を重ねてみると、確実に大人にはなったけれど、笑顔そのものは全然変わっていません。二人とも、あの頃と同じように屈託なく、ごく当たり前の、子どもらしい笑顔を見せています。
さすがに、お兄ちゃんは高校生なので、そうそう笑うこともなくなってしまったけれど、機嫌のいい時や弟が面白いことをした時には、やっぱり写真の面影そっくりの笑顔を見せます。昇平にいたっては、基本は2才の頃とまったく同じ。ただ、最近は「俺だってやる時にはやるぞ」みたいな、大人ぶった笑顔も見せるようになって、おぉ、大人になってきたなぁ、と思わされますが。

ここに来るまでの間には、本当にいろいろなことがありました。その間、昇平のために、お兄ちゃんのために、いろいろなことをしてきたわけですが、それってなんだったのだろう、と考えると、ただひたすら、この子たちのこの笑顔を大事にしたかったからなんだな、と思ったりします。
明日笑顔になるためじゃなく、まして5年後、10年後に笑うためじゃなく、今この瞬間に幸せを感じていてほしかったから、親もがんばってきました。でも、それも肩に力を入れた「がんばる」じゃなくて、「こちらも一緒に楽しんじゃおう」という、お気楽ムードながんばりだったんですけどね。
あれこれいろいろ考える割には、実際の私の行動は、かなり直感的です。野生の勘とでも言うんでしょうか。理論は後からついてくる。後から本を読んで、自分がやってきたことと同じ考え方の療育方法が出てきたりして、「へーっ、これだったのかー」なんて自分で感心するのもしょっちゅうです。
ま、母親なんてのは、えてしてそんなものですよね。ものすごく本能的な生き物だから。(笑) で、案外、その母親の直感は、かなりいい線をいっていることが多いんじゃないかな、なんても思います。

カレンダーの写真は、8年の間にすっかり色あせました。
昇平も、写真に写ったお兄ちゃんより、ずっと年上になってしまいました。
でも、遠いあの日も、今のこの日も、私たちは変わることなく、やっぱり家族で居続けています。
特別なことはなんにもない。昇平に診断がついても、特殊学級に行っていても、そんなことは全然関係ない。
私たちはごく当たり前の、普通の家族で、他の家族が暮らしているように、みんなで一緒に暮らしている。
子どもたちが巣立つその日まで、私たちは家庭を守り続けるだろうし、巣立ってからも、時々心休める場でいられるように、やっぱりここに居続けるのでしょう。
私たちはあの日から、ずっと当たり前に生きている。
それが、私たちの基本だったんだなぁ……と、古いカレンダーを見上げながら考えています。

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2006年2月13日 (月)

親であること

「親は愚かであって良いのだ」ということばを、今日も聞いた。

それは真実だろうと思う。
親は親として、親の想いで子どもに関わる。
変に賢くあろうとする必要はない。
ただ親の愛情で、子どもに関わっていけば良い。
それが傍目にはどんなに愚かに見えようとも。

けれども、こうも思う。
中には「見えてしまう親」もいる。
見えているものに見えないふりをして
愚かな親のようにふるまう必要もないんじゃないか、と。
見えているならそれでも良し。
ありのままの自分の姿で、親として子と関われば良い。
それが傍目に賢く見えようと、愚かに見えようと。

ありのままであれ。
親であることにも、ありのままであれ。
自分は自分以上の者にはなれない。
親であることも、それと同じ。
自分のままで子どもと向き合い、
自分らしく、親であれ。

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2005年12月15日 (木)

「相手」の尊重

京都府宇治市の学習塾で起こった痛ましい事件の報道を読みながら、聞きながら、つくづく考えていることがある。
「子どもは、決してこちらの思い通りになる存在じゃない」
その事実を、彼に教えてくれる人は誰もいなかったんだろうか? と。


最近、日本各地で起きている凶悪な事件の数々。今までの犯罪通念からは、ちょっと想像もつかなかったようなことが頻発している。
金や生活に困って、自分自身の不幸な境遇の意趣返しに、男女の愛憎のもつれから・・・そういう事件ならば、昔から起こっていたし、事件を詳しく眺めていけば、状況も犯人の心理状態も理解できることが多かった。殺人事件だって、犯人の人生を追ってみると、徐々に犯行がエスカレートした結果だったことがわかったりする。(私は推理小説を書いていた時期に、こういう事件記録を読みあさったので。)
だけど、今、日本で騒がれている事件の数々は、これとはパターンが違う。前兆が非常に弱い。何でもない、真面目で普通に見える人たちが、ある日突然、激烈な犯行に及ぶ。本人の中では少しずつフラストレーションと殺意が高まっているのだけれど、それが周囲には見えない。・・・事件を防げない。

けれども、それらの事件を聞いていて、とても強く感じる共通点がある。殺人だったり、誘拐だったり、犯人も大人だったり少年少女だったりするけれど、それらを超えて、はっきり見えるのが、これ。
「他人の気持ちが思いやれない」
もっと極言すれば、
「相手が自分とは違う想いを持つ、別の人格だと言うことを認められていない」
ということ。
人間として、人と人とのつきあいを学んでいく第一歩目のところで、みんなつまづいている。

熱心に指導をする。指導技術の工夫もする。大多数の子どもたちはそれについてくる。でも、10人の子どもの中に1人か2人くらいは、そのやり方では合わない子が出てくるかもしれない。それは当然のこと。だって、人はひとりずつ中身が違っているんだから。どんなに上手な指導でも、誰にでも合う完璧な指導なんてものは存在しない。○○式といわれるような教育システムだって同じ。子どもによって合う合わない、は必ずある。それは、当たり前のことで、その人の指導力を全否定するものではない。
宇治市の事件に関して言うならば、そういうこと。
最近の事件には「オール・オア・ナッシング」の傾向が強すぎる。

殺人という極端な事件に例を取らなくても、これと同じような事は、私たちの周囲で日常的に起こっていると思う。
もしかしたら、これを読んでくれている人が、今朝、まさしく目撃したり、体験したりしたかもしれない。
「私」以外の人物は、たとえそれが子どもであっても、それぞれに違った人格だから、違ったことを感じ、違ったことを考え、違った価値観を持っている。置かれている環境も違ったりする。それなのに、相手も自分と同じように行動し、考えるものだと一方的に決めつけて、「何でこんなこともできないんだ!?」「どうしてこちらの気持ちがわからないの!?」と怒った人はいなかっただろうか?
その時に、怒った人は、相手が「別のことを思っているかも」と考えていただろうか? 「相手にはこれは実行が難しいことなんじゃないだろうか?」と考えてみただろうか?
そういう、ワンクッションになる考えを、「おもいやり」とか言うのだけれど。


私の二男には発達障害がある。認知に偏りがあるために、見ただけ、聞いただけではなかなか理解できないことが多くて、特に丁寧に話しかけたり、教え方に工夫をしたりする必要がある。それでも、なかなか社会性は発達しなくて、小学4年生の現在、ようやく1年生レベル程度の友だち関係は作れるようになってきたかな・・・? という段階。
相手の気持ちや立場がまだまだ「思いやれて」いないのは、見ていてはっきりわかるから、そのたびに繰り返し教え続ける。
「今、○○くんはどういう気持ちだったと思う?」
「△△ちゃんは、こうしたいと思っていたからこんなことをしたんだよ。君はどうしたら良かったのかな?」
標準年齢よりは遅れているけれど、それでも彼は、相手が自分と違う人間だと言うことを学び、その違う相手と、どうやったら一緒に気持ちよく過ごせるかを、毎日学んでいる。

私は発達障害の親の会にも入っているけれど、そこに集まる親たちも、同じように我が子にいろいろなことを教えている。我が子に困難があるとわかっているからこそ、熱心に教え続ける。子どもは何度もつまづくし、親も何度もどん底まで落ち込むけれど、それでも、みんなあきらめないで我が子と向き合おうとし続ける。
そんな親たちの姿を見ていると、私は時々、無性に不思議な思いにかられる。
「この人たちの子どもこそが健やかに育っていくだろう、という予感がするのは、何故だろう?」
と。
様々な場面で見たり聞いたりする、他の子どもたち。「健常児」と呼ばれる、障害を持たない子どもたちが、大切な何かを教えられないままに、ほったらかしにされているのを感じるのだ。

モノも知識も十分に与えられているかもしれない。だけど、人間が人間として生きるために一番必要な「社会性」を、子どもたちはちゃんと育ててもらっているだろうか?
それは、人と会った時に挨拶をするとか、感謝の気持ちをお礼のことばで伝える、というスキルだけのことではない。
そもそもの根元になる、「相手は自分とは違った存在である」ということを納得し、「でも、その違った相手と気持ちよく一緒に過ごしていきたいから、どうしたらいいか?」ということを、試行錯誤しながら、体で身につけていくこと。
理屈じゃなく。
そういうものを育む場が、今の日本には、あまりにも少なくなっている。

原因は? 核家族化、少子化、コミューン(地域社会)の崩壊、学術偏重主義の教育、共働き、社会性の発達への理解と対応の立ち後れ、福祉の貧困・・・・・・。
いろいろあるんだろう。本当に、いろいろな原因が。
だけど、そんなものにいちいち怒っていたら、今育っている子どもたちには間に合わない。
そのあたりをなんとかしたいと思って改善に取り組むのも良いけれど、それよりもなによりも、今日から、子どもたちと向き合ってほしいと思う。今、自分の目の前にいる、このひとりの子どものために。

まずは、子どもの話をきちんと聞いてほしい。
子どもたちの想いを、大人の一方的な決めつけをしないで、ありのままに聞いてあげてほしい。
そのうえで、大人は子どもを「自分とは別個の人格として」尊重しながら、真っ正面から答えてあげてほしい。
それは子どもの要求を100%そのまま聞いてあげる、ということではない。できることもできないこともあるし、やっていいことも悪いこともある。それら1つ1つに対して、大人も「一つの人格として」答えていってあげてほしいのだ。

子どもは大人との関わりから、社会性の第一歩目を始める。いきなり子ども同士の関係には行けない。まず子どもと大人の関係で社会性の基礎を作ってから、徐々に子ども同士の関わりに移っていく。そして、それが大人になってから、社会の中で生きていくための基礎になる。
「自分」を大切にしてもらった経験がない子どもは、「相手」を大切にできる子どもや大人には育たない。
今、日本各地で起こっている数々の事件は、大人たちが子どもたちから「逃げ回ってきた」つけが回ってきたんだ、と私には思えてならない。

この類の事件は、これからますます増えてくるような予感がする。殺人、育児放棄、虐待、ストーキング、誘拐、異常愛好・・・。
今、ここで立ち止まらなかったら、この国はとんでもないことになる。そんな危機感を感じてならない。
そんな大きな怖いうねりから、自分や子どもたちを守るためにも、「まずは子どもの話に耳を傾けること」。子どもが身近にいない人なら、大人だっていい。相手の話を聞いて、その想いに耳を傾けてみてほしい。
人と人との関わりというのは、それが一番の基礎であり、それが一番大切なことなんだと思うから。

もう、こんな不幸な事件が二度と起こってこないように。
祈りを込めて。

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