戊辰戦争の進軍ルートをたどる・城下編3(鶴ヶ城)
新政府軍は容保公が降伏するまで、ついに鶴ヶ城へ入ることができませんでしたが、私たちは城内に入ってみましょう。
北出丸を抜けたところで見えてくる天守閣です。
手前にある木は桜なので、春の花の時期にはそれは美しい眺めになります。
城内にある表門。案内板に書いてあるとおり、黒鉄門(くろがねもん)と呼ばれています。
この門は城の一番真ん中にあって敵に襲われにくかったので、戊辰戦争の際には、この門の上の部屋(天守閣から長屋になってつながっている)が容保公の御座所になっていたそうです。
八重が容保公に活躍を認められて褒められ、八重が容保公に進言をしたのもこの場所だとか。
黒鉄門をくぐって、天守閣の正面へ。右手は本丸で、現在は広い芝生になっていますが、戊辰戦争時はそこに怪我人の治療や炊き出しをする屯所が作られていたそうです。
鶴ヶ城は落城した後、土台を残してすべて破壊され、長らく石垣だけの場所になっていましたが、太平洋戦争後に市営競輪場に使用された後、取り壊し直前の写真を元に1965年に再建されました。今の天守閣は鉄筋コンクリート造りで、内部は展示資料館になっています。2011年には、史実に沿って、屋根瓦をすべて赤瓦に吹き替え、リニューアルオープンしました。
正直、瓦が赤くなってもたいしたことないだろう、と思っていたんですが、実際に目にしてみたら印象がかなり違いました。
黒瓦の鶴ヶ城は、どっしりとした力強い城だったのだけれど、赤瓦の鶴ヶ城は軽やかで華やか。女性的な城、と友人は言っていましたが、確かにそんな感じで、「八重の桜」のイメージにもぴったりだったような気がします。
さて、今度は天守閣に背を向けて、東にある二の丸や三の丸へ向かいましょう。
石垣に挟まれたこの狭い場所を帯郭(おびくるわ)と言うようですが、この上にも防衛のための櫓や矢掛(やかけ)があって、東からの敵に備えていたそうです。本当に、守りの堅い城だったのですね。
赤い欄干は内堀の上にかかった廊下橋。石垣を這うツタや、おおい被さるような木々が紅葉を始めていました。昔ながらの内堀の風景が残っていて、それは綺麗な場所です。
二の丸には市営のテニスコートがあります。
タイムマシンで八重たちが今の鶴ヶ城に来たら、「二の丸にこんなものがある!?」と驚くかも。戊辰戦争の当時、二の丸は臨時の台所になり、奥まった場所には戦死者が埋葬されたそうです。
三の丸には、先日見に来た県立博物館が建っていますが、その入り口にこれがありました。
新島八重の銅像です。つい先日、ここに建てられたものなので、モデルは綾瀬はるかさんです。(笑)
三の丸の博物館の東側には、大河ドラマ館があります。来年1月14日までなの期間限定なので、今回も見に行きました。一部、京都編の展示物に入れ替わっていて、こちらも面白かったです。
というところで、私の戊辰戦争のルートをたどる旅は完了です。ずっと雨降りで、写りの良くない写真ばかりですみません。
長々とおつきあいをありがとうございました。
【おまけ】
ドラマ館でスペンサー銃を撃って、今回は命中させてきました!
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コメント
おぉ~~~!命中おめでとうございます^^
命中ナカマ~♪
投稿: ぺちゃん | 2013年10月22日 (火) 00:54
>ぺちゃんさん
うふふ~。
ぺちゃんさんが的中させたと聞いて、私もガンバリマシタ(笑)
投稿: 朝倉玲 | 2013年10月22日 (火) 10:44
あら、みんな「的中!」なのね、
私もいずれの日かに、がんばろうっと!!
投稿: りしょう | 2013年10月23日 (水) 09:41
>理尚先生
6月にはじめて大河ドラマ館を訪ねたときには、
的をかすりもしなくて、
画面に現れた八重たんに「へったくそ~!」と言われてしまいました。(^_^;
2度目の今回は「よぉく狙って」力まずに撃ったら、みごと命中でした♪
投稿: 朝倉玲 | 2013年10月23日 (水) 12:39
始めまして、興味深く読ませていただきました
雨で残念でしたが、戊辰8月23日は台風の接近で城下は雨が降っていたそうです
2013年10月27日が旧暦8月23日城下の人々はお城へ篭城する為入城した日です
日にちこそは違えども、似たような時期に雨の中の訪問
150年前を想像してしまいました
きっと甲賀町口郭門から曲がった道から見たお城の風景は、
まさにこの雨の風景だったんでしょうね
投稿: 弓 | 2013年11月21日 (木) 23:05
>弓さん
はじめまして。コメントをありがとうございます。
そうでしたか。
戊辰戦争で新政府軍が会津に突入した日と、私が傘を差して城下を歩いた日は、一週間程度しか違わなかったのですね。
会津の冬は到来が早く雪の季節も長いので、10月下旬になれば、そろそろ冬の準備も始まります。
新政府軍が冬になる前に片をつけようと進軍を急いだわけが、よくわかりました。
そして、当日も雨だったのですね。
甲賀町の門を突破した敵も、きっと、緩やかなカーブを曲がったとたんに、雨に煙る鶴ヶ城を真っ正面に見たのでしょうね。
大いに意気が上がり、鬨をつくりながら城へ突進していったことでしょう。
貴重な情報をありがとうございます。
会津戊辰戦争の道筋をたどる旅が、いっそう深いものになりました。
投稿: 朝倉玲 | 2013年11月22日 (金) 08:53