戊辰戦争の進軍ルートをたどる・城下編3(鶴ヶ城)
新政府軍は容保公が降伏するまで、ついに鶴ヶ城へ入ることができませんでしたが、私たちは城内に入ってみましょう。
北出丸を抜けたところで見えてくる天守閣です。
手前にある木は桜なので、春の花の時期にはそれは美しい眺めになります。
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新政府軍は容保公が降伏するまで、ついに鶴ヶ城へ入ることができませんでしたが、私たちは城内に入ってみましょう。
北出丸を抜けたところで見えてくる天守閣です。
手前にある木は桜なので、春の花の時期にはそれは美しい眺めになります。
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NHK大河ドラマ「八重の桜」で前半のクライマックスになった、1868年の戊辰戦争で、新政府軍が会津に侵攻したルートを可能な限り車でたどってみようとしたのは、今年の6月のことでした。
そのときの記事はこちらから。→http://ley.cocolog-nifty.com/hitorigoto/2013/06/post-3ce1.html
奥羽街道(現在の国道4号線)を本宮市から会津街道に入り、激戦地になった母成峠を経て猪苗代に抜け、十六橋、戸ノ口原を経て、会津の城下町、つまり会津若松市へ入って鶴ヶ城まで行ったのですが、その時点でドラマではまだ会津突入まで進んでいなかったので、下調べが不十分で、会津への侵入口を間違えました。東の天寧寺(てんねいじ)門があった方角から城へ向かってしまったのですが、実際には城の正門に続く甲賀町口門が激戦地になったのです。
甲賀町口門の跡も残っているとわかって残念無念。時間が押していて鶴ヶ城そのものも見ることができなかったので、昨日10月20日の日曜日、用事で会津若松へ行ったのを機に、ちょっと足を伸ばして、城下に入ってからの新政府軍のルートをたどってみました。
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