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2013年7月29日 (月)

2013年7月今の被災地・5~福島県南相馬市かしま福幸商店街~

南相馬市・かしま福幸商店街

 私たちは、右田浜から原町火力発電所まで南下してから原町へ出て、県道120号線を北へ引き返して、鹿島区に来ました。ここに仮設店舗の商店街があると聞いていたので、ぜひ行ってみたかったのです。

 が、迷いました。住所番地はわかっていたのですが、南相馬市は原町・小高町(おだかまち)・鹿島町の3つが2006年に合併してできた新しい市だったので、古いカーナビではなかなか見つけられなかったのです。私自身、どうもまだ「南相馬市」という地名にはなじみがなくて、さらに混乱を招き……
 なんとか仮設商店街にたどり着いたときには、「やっとついたー!」と歓声を上げてしまいました。
 下調べが不十分でごめんなさい、Kさん。


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 かしま福幸(ふっこう)商店街入口

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 商店街の中の様子。両脇に長屋形式の仮設店舗が並び、間が駐車場になっています。
 原発事故の避難区域にある店が、避難先の南相馬市鹿島区に作った仮設の商店街です。当初11店舗あったようなのですが、私たちが行ったときには8店舗ほどになっていました。空きスペースになった店舗には、「新しい店舗ができたので、そちらへ引っ越しました」という案内が貼られていました。なるほど。


 でも、私が行きたかったお店は、ちゃんとありました。知る人ぞ知る小高区のラーメン店「双葉食堂」です。

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 震災前から昼時には行列のできる店で、仮設商店街で再開してからも、近所や遠方から客足が途絶えることがない、という人気店。私たちは、道に迷って到着が遅れたのが逆に幸いして、スムーズに席に座れましたが、しばらくしたら店内はまた満席になりました。

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 店内には、県外の避難所にいたときの写真などが貼ってあります。千羽鶴は支援者から贈られたものでしょう。
 一時は店をたたむことも考えたそうですが、店のファンの強い要望で、この仮設商店街で営業を再開。小高から避難している人が、この店にラーメンを食べにきては、「懐かしい故郷の味だ」と喜んで帰っていくそうです。


 私と旦那が頼んだモヤシラーメン。
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 Kさんが頼んだ冷やし中華。
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 あっさり系の味わいのあるスープに細い縮れ麺。私好みの味で、とてもおいしくいただきました。完食しましたが、モヤシラーメンは予想以上に辛かったので、次は普通のラーメンにしようと思います。(笑)

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 店の看板。「営業時間・午後3時まで 木曜日・定休日」と書いてある。


 また、この商店街には、もう一軒「さくらはる食堂」という店もあって、こちらは味噌ラーメンがおいしいそうです。相馬で水揚げされたツブ貝や、タコ、ホタテなどを入れたリッチな「蛸焼(たこやき)」というのを販売している、と新聞に紹介されていたのですが、ラーメンでお腹がいっぱいになってしまったので、今回はパスしました。次の機会には、こちらの店にもぜひ回るつもりです。

 また、この商店街の写真屋さんは、津波で被害にあった写真を復元するボランティアを行っているそうです。双葉食堂もそうなのですが、自身が被災者でありながら、他の被災者を応援する活動を行っているのですね。

☆かしま福幸商店街 南相馬市鹿島区西町1-88

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まとめ・避難区域を想う

 被災地に咲く花・1
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 今回、このブログを見た方から「被災地がほとんど変わっていないように見える」と言われました。1年3カ月ぶりに来てくださったKさんも、「あまり変わっていない」と感じたようです。
 けれども、実際には、新地町も相馬市も南相馬市も、道路をたくさんのダンプカーが走り、いたるところで工事車両が動き回っていて、いよいよ復興が始まったのだとわかる状況でした。ただ、家や建物が再建されるのはまだ先の話だし、これまで人家があった沿岸部は、災害危険区域に指定されて家が建てられなくなったので、全然変わっていないように見えたのだと思います。来年また同じ場所を尋ねれば、きっともっと違う景色を見るのでしょう。


 被災地に咲く花・2
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 ただ、福島県には、東京電力福島第一原発を中心とした地域と、そこから北西の方角に伸びた地域に、避難区域があります。空間放射線量によって3種類に区分されていて、1年間の積算線量が50ミリシーベルトを超える区域は帰還困難区域、それ以下の区域はやはり線量によって、居住制限区域と避難指示解除準備区域に分けられています。帰還困難区域は原則として立ち入り禁止(場所によっては月に一度程度、日中に家に戻ることができる)、居住制限区域と避難指示解除準備区域は夜、自宅に泊まることはできないけれど、日中の帰宅はOKとされています。(※盆や正月などの特別な時期は対応が変わる場合があります)

 避難区域の住人は、故郷を離れて仮設住宅などに暮らしています。浪江町(なみえまち)もそんな町のひとつで、2万人あまりの町民全員が町の外に避難しています。ちなみに、この町の中に原発の施設はまったくありませんでした。飯舘村(いいたてむら)と同様、原発とはまるで関係がなかったのに、原発事故の影響を被ってしまったのです。

 私とKさんは、浜通りを見学に行く2日前に、伊達郡桑折町(こおりまち)にある、浪江町民の仮設住宅を訪ね、避難者のIさんご夫婦の話を聞くことができました。
 故郷に残してきてしまった立派な自宅のことなど、色々なお話を聞くことができましたが、住んでいた場所は帰還困難区域になっているので、戻ることは諦めているようでした。
 「仮設住宅はあくまでも仮の住まいだから、いつまた動くことになるんじゃないかと思って落ち着かない。早く復興住宅に入って、安心した暮らしがしたいんだ」ということばに、今、被災地に一番必要なのは、「可能な限り元の生活に近い暮らしを取り戻すこと」なんじゃないか、と思いました。まったく元通りではなくても、以前のようにもっと広い家に住み(仮設住宅は本当に狭かったです)、自分にできることをして、社会の一員として暮らしていくことを望んでいるんじゃないか、と。

 漁業者や商業関係者にとっては、沿岸の護岸工事や土地の再利用工事が「元の暮らしに戻ること」につながるし、商売をしていた方なら、店や営業所を再建してもう一度商売を始めることにが、以前の生活を取り戻すことになります。仮設の商店街は、そのためのはじめの一歩なのでしょう。
 本当に「復興した」と言えるまでには、まだしばらくの時間が必要だとしても、すべての被災者が、私たちも含めて、当たり前の生活を営めるようになることが、何より大事なんじゃないか、と――

 そんなことを思いながら、伊達市へと戻りました。


 被災地に咲く花・3
Hana03


【追記】
 帰り道に飯舘村も通過しました。

Iitate

 去年は人の姿がまるでなかった飯舘村ですが、避難区域の再編成が行われた結果、多くの地域が避難指示解除準備区域になって、今年は多くの工場や営業所が再開していました。日中帰宅している家も少なからずあったし、道路を通る車も去年よりずっと多くて、この村は少しずつ「当たり前の生活」を取り戻そうとしているんだ、と感じました。

(「2013年7月今の被災地」・完)

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