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2012年4月25日 (水)

被災地見学その3~福島県相馬市磯部地区~

相馬市・磯部(いそべ)
 相馬港の南の尾浜から一度内陸に向かって相馬市内に入り、相馬市で一番被害がひどかったという磯部地区へ向かいました。
 相馬市内は無事な家がたくさんありました。営業している旅館や飲食店、改築してオープンした店なども並んでいます。津波で壊れたり泥をかぶったりした家は見られますが、少し高台になると津波に遭った痕もなくなります。ほんの少しの高さの差が、津波の被害を分けていました。「大きな地震の後には津波が来るから、少しでも高いところへ逃げろ!」というのは本当のことなんだ、と改めて実感しました。

 ところが、磯部地区に着くと――

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 本当に、何もありません。あるのは高く積み上げられた瓦礫と、その中を伸びる道路だけ。そこを工事用車両が走っています。

 ここも立ち入り禁止かと思ったのですが、海のすぐ近くまで行くことができました。小さな港になっていた場所です。

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 海に面した場所に、白いものが集められていました。

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 漁船でした――。

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 この場所に先客がいました。バイクに乗ってきた初老の男性です。くわえ煙草で海と船を眺めていましたが、私とKさんが遠慮しながら近づいて「こんにちは」と挨拶をすると、「あんたたち、どっから来たの?」と聞いてくれました。そこで私がKさんを示して、「こちらの方はアメリカからなんです」と答えると、おじさんはさすがにびっくり。でも、「福島のためにアメリカで募金活動をしてくださって、被災地の様子を自分の目で見たいというのでお連れしたんです」と説明すると、納得したのか、おもむろにこの場所のことを話して聞かせてくれました。

 「ここにはたくさんの船が並んでいたんだ。60隻あったんだ。あそこから出て、こう進んでいって、外海に出たんだ。その船はみんな(津波に)打ち上げられて、あそこに集められてる。60隻全部だ……」

 おじさんはとつとつと話し続けます。
 船が置いてある場所の前には漁協の磯部支所があったこと、自分の家は国道6号バイパスから1キロほど内陸だったので津波から無事だったこと、6号バイパスが堤防のようになったので津波がそこで停まったこと、でも親戚の家は流されてしまったこと、みんなラーメン屋の2階に避難したのだということ、こちらには磯部の集落がずっと広がっていたのに今はもう何もないこと、あるのは瓦礫の山だけだということ。

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 何もなくなった場所に、うず高い瓦礫の山が見えています。横で動いているのは大型のショベルカーです――。

 木材の瓦礫の山は津波になぎ倒された防風林なのだ、と教えてくれたのも、このおじさんでした。
 とたんに思い出しました。この場所は、松川浦と外海を隔てる形で伸びた大洲と呼ばれた場所で、海岸線にそって何キロも松の防風林があったのです。私はその中を何度もドライブしたことがあったのに、景色があまりに変わりすぎていて思い出せなくなっていました。

 「何もなくなっちまった。本当に何もなくなっちまったんだ」
 とおじさんはくわえ煙草で言い続け、少し間を置いてから、こうも言いました。
「でもなぁ、津波は天災だからどうしようもないんだよな。ただなぁ、この放射能だけは本当に困ったもんだ」
 怒るでも恨むでもない、おじさんの声。ただとにかく本当に困っているんだ、という口調。
 福島県の漁業関係者は、原発事故以来、ずっと操業を自粛しています。
 船や港が使えなくなったからだけではなく、たとえ船を出すことができても、漁をすることができないのです。
 一部の水産物から基準値を上回る放射線量が検出されているから。そして、「福島の魚だ」というだけで、消費者は怖がって買ってくれないだろうから……。
 津波が何もかもをさらっていっただけでなく、漁を再開する見通しさえ立たないのが現状です。

 ふいに、このおじさんは漁師で、打ち上げられた自分の船を見ていたんじゃないか、と思いつきました。海に出たくても出られない。待てばいつか海に出ることができるのか、それさえもわからない。そんな状況の中で、このおじさんも、毎日のようにこうしてバイクで海と船を見に来ていたのかもしれない……。そんな気がしたのです。

 「この場所のことを、よく見ていってください」とおじさんが言いました。
 Kさんは「はい、しっかり見させていただきます」と答えました。「おじさんも、どうぞお元気で」とも。
 おじさんは最後まで煙草をくわえたまま、バイクに乗って去っていきました――。


相馬市・大洲海岸(おおすかいがん)
 その後、防風林が広がっていた大洲海岸まで行きました。
 あれほどうっそうと生えていた松林が、ほとんどなくなっていました。

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 松林の中には気持ちの良い公園があって、そこで大勢の家族連れがキャンプやバーベキューをしたり、目の前の海へ泳ぎに行ったりしていました。海浜自然の家は残っていましたが、先に見た建築事務所のように、中がすっかりなくなって、コンクリートの外側だけになっていました。
 わずかに残った松の木は、海水をかぶって立ち枯れていました――。

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 枯れた松を見上げる旦那


 集落一つが完全になくなってしまった相馬市磯部地区。外海から津波がやってきたら、さえぎるものは何もない場所です。
 どうしたらここを再興できるのか。いつ、どんなふうにしたら、元に戻っていけるのか。
 ただでさえ大変な復興の足を、原発事故が、今も引っぱっています――。

(以下、その4へ続く)

  


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