震災の詩 in ふくしま
数日前にツイッターで震災に関する短歌をいくつかつぶやきました。
短歌や俳句は素人なのでお粗末な作品ですが、せっかくなのでここに残すことにしました。
一代で築き上げにし石倉の解体工事を義父が見上げる
去る3月11日に襲った巨大地震で、私が住む福島県伊達市は震度6弱でした。ただ、我が家のあるあたりは地盤が弱かったのか、もっと激しく揺れて、石でできた強固な倉がいたるところで被害を受けました。我が家の石倉も2階部分に倒壊の危険が出てきたので、取り壊しをすることになりました。
瓦無き倉の屋根の端(は)子雀が鳴きつ探すよ「お宿はどこだ」
倉の屋根瓦の隙間は、スズメたちの巣作りに絶好の場所。それがすっかりなくなってしまった倉の周囲を、スズメたちが驚いたように飛び回ってました。中には、やっと飛べるようになったばかりの子スズメの姿も。
潮干狩りはまた出来ますか松川浦 へりおすの碑にも波は届きて
福島県沿岸北部にある松川浦は、潮干狩りの名所として福島県民に愛されてきました。その浜を見下ろせる鵜の尾崎(うのおざき)には、1986年に事故で沈没した海洋調査船へりおすの慰霊碑があって、津波のしぶきはその岬まで届いたそうです。松川浦を襲った津波は高さ15メートル以上だったと言われています。
避難所の体育館で秋刀魚(さんま)焼く やっぱり秋刀魚 女川がんばれ
津波で壊滅的被害を受けた女川の避難所で、特産のサンマを焼いて炊き出しをしている写真を見ました。女川は2年前に私たちも旅行で訪れた場所。「女川では毎年秋にサンマ祭りをするんですよ!」と笑顔で教えてくれた旅館の女将さんは、どうなさったでしょう。どうかご無事で……。
流されし学校廃校で再開す 校庭走れる子が羨ましい
津波で校舎が全壊した小学校が、廃校になった山間の校舎を使って再開した、というニュースを見ました。何もない中での再スタートですが、外をランニングしている子どもたちの姿に、思わず「いいなぁ……」とつぶやいてしまいました。福島県のほとんどの学校では、放射線の影響を心配して、屋外での活動を制限しています。子どもたちは校庭で遊ぶことも体育をすることもできないのです。
復興の槌音響く夏空にクレーンの腕黒々と高し
工事中の我が家だけでなく、街中のいたるところから金槌の音が聞こえてきます。大きなクレーンも動き回っています。復興の象徴です。
原発の職員の子を知っている あの子のためにもどうぞご無事で
福島県人、東電や原発には非常に怒っていますが、原発で働いている職員まで恨む人はごくわずかです。彼らは今日も危険な場所で、事故終息のために必死に働いてくれているのです。
電気ガス水道通信ありがとう この感謝の念忘れたくない
あたりまえのことが、あたりまえではなかった。それがあたりまえにあること自体が、ありがたいことだった。そんなことを思い知らされた震災でした。この気持ちをいつまでも持ち続けたいものです。
震災で吾の価値観変化する 真に大事なものは少ない
自分にとって本当に大切なものはなにか、と震災は私に突きつけてきました。その視点で整理し直してみたら、後に残ったものはほんのわずかでした。
不要品捨てて身軽になろうとする吾に皆言う「断舎利(だんしゃり)ですね」と
こんなふうに本当に大切なものだけを残して生活を整理することが、「断舎利」と呼ばれてブームになっていたようです。ブームに乗ったつもりはなかったんですけれどね。
隣人と手をとりあって生き延びる 人の絆(きずな)は震災よりも強し
人と人とが助け合うことが、こんなにも頼もしいものなのか、こんなにすごい力になるものなのか、と感心し続けた2カ月半でした。人間というのは助け合って生きるように生まれついているようです。
古里はカタカナ表記になったけど吾は呼びたい「うつくしまふくしま」
福島は自然豊かな美しい場所。穏やかで親切な人たちが大勢住んでいる場所。フクシマとカタカナで書かれるようになってから、日本で一番有名な県になってしまったけれど、そこに住む私たちには、やっぱり昔と変わらない「ふくしま」なんです。
ふくしまの桃源郷「花見山」から福島市内を望む
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コメント
石倉の姿変われど
ふくしまの想い継ぐべし末代までも
投稿: 詠み人知らず^^ | 2011年5月24日 (火) 12:59
返歌
顔知らぬ友のぬくもり感じつつ
今日も進まん明日に向かって
投稿: 朝倉玲 | 2011年5月24日 (火) 13:45
汝が心深く刻みしふるさとの
すがたは吾のまなこ焼きつく
投稿: 詠み人知らず2 | 2013年5月 7日 (火) 01:52
返歌
あきらめぬ古里の姿を吾は見ゆ
君にも伝えん うつくしまふくしま
投稿: 朝倉玲 | 2013年5月 7日 (火) 07:46