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2011年4月 1日 (金)

大震災15日目

3月25日 金曜日 天気:曇りのち雨

 震災からちょうど2週間が過ぎた。まったく、怒濤の2週間だった。

 家の中、特に2階は引っ越しの直後のように綺麗だけれど、生活の匂いがあまりない。まだ1階の兄ちゃんの部屋で寝ているから。一昨日の夜あたりから余震が減ってきたけれど、まだ時々強いのが来るので、洋服は着たままで寝ている。いつになったら安心して眠れるようになるかな。とはいえ、睡眠時間は、けっこうしっかり取っているけれどね。

 今日は、そっと、ひとりごとに大震災2日目と3日目の日記をアップした。けっこうサバイバルしてるなー。

 午前中は、昇平と自転車でスーパーまで買い物にも出かけた。かなりお客さんがいて活気があったけれど、商品の棚はもうがらがらだった。豆腐と挽肉が買えたので、夕食は豆腐ハンバーグにした。
 屋外に人の姿は少ないけれど、車は以前より動き出していた。少しずつガソリンが手に入りやすくなってきたらしい。
 外行く人は、ほとんど全員がマスクをしていたが、一日中外をバイクで走り回る郵便屋さんは、マスクなしで配達していた。

 その後、中学校の担任から、教材費の残金が出たので、学校まで取りに来てほしいという電話があった。この震災で、28日の離任式がなくなって、中学校へ登校する日がなくなったため。昇平がまた自転車で中学校へ受け取りに行ってくれたが、疲れたのか、つらかった中学校生活がフラッシュバックしてしまったのか、その後、精神的に調子が悪くなってしまった。

 旦那のスーパーは今日から夕方6時まで営業するようになった。帰りが遅くなるかと思ったら、7時過ぎには帰宅。まだ3時閉店と思っているお客さんが多くて、3時過ぎからは暇だったらしい。

 生協さんが、安否確認がてらお見舞いを持って回ってきてくれた。米1升と、ウーロン茶2リットル入りペットボトルと、カップラーメン1個。家庭巡回をしている全家庭にこうしてお見舞いを配っている、とラジオを通じて聞いていたけれど、本当に我が家にも来てくれた! と感激してしまった。放射能を怖がって物品も運んでもらえなかった相双地区やいわき地区も、そこの生協さんが回ったようで、生協ニュースに感謝のことばが載っていた。
 このお見舞いの品々は、先に被災した阪神地方や中越地方の生協の協力で実現したらしい。先の震災では、福島の生協からそちらへ支援に行ったから。被災して助けてもらった人たちが、「あの時のご恩返しに来た」といち早く助けに来てくれていると聞く。情けは人のためならず、ということわざを、今改めてかみしめている。

朝食:ご飯、ウィンナー、スクランブルエッグ、入り豆腐、ワカメと油揚げの味噌汁

昼食:ご飯、焼き鳥、キャベツ千切り、ワカメ味噌汁

おやつ:ホットケーキミックスで作ったどら焼き

夕食:ご飯、豆腐ハンバーグ、野菜サラダ、ナス炒り、ニラ玉汁

 ボイラーの配管が壊れて水漏れしていたが、思ったより早く部品が届いて、修理してもらえた。
 お義父さんは、歪んで開かなくなっていた障子の中心をジャッキアップし、つっかえ棒をして、障子を動かせるようにしてくれた。手伝わされたお義母さんは大変だったけれど、おかげで、風よけの段ボールを立てなくても暖かく眠れるようになった。

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