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2011年4月 2日 (土)

大震災18日目

3月28日 月曜日 天気:快晴

 朝は気温が低めだったけれど、日中は良い天気になった。

 午前中、家の中の掃除。砂埃がものすごい。震災のときだけでなく、余震でも揺すぶられて、そのたびに壁土が落ちてくるから。

 昇平は、毎日「明日は何をする?」と聞いてくる。小さなことでも明日の予定が入ると、「わかった」と安心した顔をする。明日の見通しを立てることで、安心を得ようとしているんだろうな。
 今日は、予定通り、一緒にゼリー作りをした。ゼリーの元を熱湯で溶いて冷やし固めるだけのものだけれど、こういうデザート類がほとんど手に入らなくなっているので、嬉しいクッキングだった。その後、高校の課題も少し進めていた。

 フリースクールへの募金の呼びかけに、大勢の方が協力してくれている。ネットでその反応を見るたびに、とてもとても嬉しくなる。
 スクールのS先生とも連絡がついて、最新の状況がわかった。ずっとスクール再開のためにバイトをしていて、やっとスクール内の片付けを始めたところなのだと言っていた。スクールの建物も、今の場所はあきらめて、地震にも安心な平屋の物件を探すつもりだと話していた。
 その後、別のお母さんからも電話があって、先生はかなりバイトを頑張っているし、時には徹夜で働いているのだと教えられた。一人でがんばりすぎる先生だからな~。我々保護者もできることで協力しよう、と話し合った。
 彼女の方は、支持している政党の議員さんに、スクールを見に来てもらうことにしたらしい。私は引き続き、募金への協力のお願いを、ネットを通じて呼びかけ、出版会社「花風社」から紹介された、アメリカの障害児・者支援団体PHPに、義援金のお願いのメールを書いた。また、もう一人のお母さんがスクール近くに住んでいるので、彼女に教室の移転先探しに協力してもらえないかと呼びかけることにした。
 スクールを利用している子どもたちが、みんな、スクール再開を本当に心待ちにしている。小さなフリースクールだけれど、子どもたちにとっては本当に大切な、かけがえのない居場所になっている。
 だから、できることをがんばる。一人ずつの力は小さいけれど、できることを探してそれをやっていく。
 どうか、一日も早くスクールが再開できますように。

 夜、国土地理院が公開した被災地の空中写真をネットで見た。
 2年前に旅行した女川町……家がない!! あの時ドライブしたおしかホエールランドは? 捕鯨船や建物はかろうじて残っているようだけれど、その周辺には建物の基礎しか見えない。
 私たちが夏場に何度も遊びに行った松川浦も、一面泥の色で、田んぼは湖だった。あのときイチゴ狩りに行ったハウスや直売店はどこ? 磯遊びをしたあの浜辺は? ネットでその場所の地図を出し、それと写真を見比べながら、旦那とこれまで行った場所を確認して、絶句してしまった。
 テレビで被災地の映像を見ているのとは違う、本当の被災の状況が、空竜写真からはっきり伝わってきて、津波の怖さを改めて感じてしまった。
 同じ被災者でも、私たちはまだ幸せなのだ。なんだか、ひどく申し訳ない気持ちになった。

朝食:ご飯、チキンナゲット、ニラ玉汁、イチゴ

昼食:コッペパンにウィンナーとレタスとチーズをはさんだホットドッグ

夕食:ご飯、塩サバ、砂肝と野菜の炒め物、サヤエンドウおひたし、白菜と油揚げの味噌汁 

 被災地ではパンが店頭から姿を消したのだけれど、地元のパン製造業者の銀嶺食品(ぎんれいしょくひん)が、いち早く生産を始めてパンの出荷を始めた。昼食のコッペパンは、その銀嶺食品のもの。
 銀嶺も工場は被災しているのだけれど、「とにかく被災者のためにパンを作ろう!」と、社長が呼びかけて、生産を始めたのだと聞いている。銀嶺の社長は志ある方として有名なのだけれど、こういう状況でもやっぱり行動されたんだな、と思った。
 被災地では、ライフラインがずたずたになって、ガソリンも足りなくなって、物流が滞ったのだけれど、地元のスーパー、地元の工場、地元と密着した農協や生協といったところが、いち早く営業や活動を始めて復興を支えてくれている。いろいろな店が郊外に進出して、大きなショッピングパークをあちこちに作っていたけれど、こういう状況になると、そこへ買い物に行くことはまったくできない。やっぱり地元の店、地元の企業というのは大切なのだな、とつくづく思っている。

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