« 2011年3月 | トップページ | 2011年5月 »

2011年4月18日 (月)

花見山 in 2011

Hanamiyama201103

 

 昨日行ってまいりました。福島の桃源郷、花見山!

 

 福島県は大震災と津波と原発事故に見舞われ、放射能の風評被害もひどい状況。
 毎年全国から大勢の観光客が訪れる花見山も、旅行会社が軒並み企画を中止し、臨時電車や臨時バスも、市内の交通規制もなくなって、今年は花見客がないのでは、と心配されていたのですが。

 

 「全国からの花見客が来ない? では、花見山に行く絶好のチャンス!!」  と私は密かに燃えておりました。
 だって、毎年あんまりにも観光客が多くて、特に桜の時期には人混みがすごいので、とても出かける気にならなかったんですもの。旦那を焚きつけ、休みを取ってもらって、花見山へレッツゴー! 今年はシャトルバスも出ていないので、花見山のすぐ下の駐車場まで行けます。楽勝~。

 

 と思っていたら甘かった!
 花見山に近づくにつれ、道路が大渋滞。車がずらーっとつながっています。そのほとんどが福島、いわき、会津ナンバー。ちょっとだけ宮城ナンバーが混じっていましたが、9割以上が県内ナンバーでした。わはは、福島県人、みんな考えることは同じだったのね。

 

 結局、駐車場にたどり着くまでに1時間半並びました。
 放射能を気にしているのか、マスクやジャケット着用の人もいたけれど、なにしろ雲ひとつない快晴の空。暖かいを通り越して暑いくらいの陽気で、マスクなんてしていない人も大勢。そうですね、マスクをしていたのは4、5人に1人程度だったでしょうか。みんな、にこにこ顔で、満開の桜や色とりどりの花を楽しんでいました。

 

 以下に、写真を貼り付けておきます。

 

Hanamiyama201108

 

Hanamiyama09

 

 花、花、花、人、人、人……

 

 

Hanamiyama201101

 

Hanamiyama201104

 

Hanamiyama201107_2

 

Hanamiyama201106

 

 頂上から、福島市内を望む。花に囲まれた福島は美しい。

 

 

Hanamiyama201105

 

 途中にあった石碑には、「吾妻風 治まって 蝋梅(ろうばい)の花が咲く」とありました。吾妻とは吾妻山。そこから吹き下ろす冬の風は冷たくて厳しいのです。
 でも、冬は終わって春が来ました。福島の桃源郷、花見山も健在でした。

 

 うつくしま福島。変わらずに美しい古里。

 

 黙って咲く花のように、私たちもまた、季節の移り変わりに合わせて生きていきましょう。
 また平和で豊かな福島を取り戻すために――。

 

 

 桜は今週いっぱい見頃。その後も、ハナモモやレンギョウ、ボケなどが美しく咲き続けます。お近くの方は、ぜひお出かけください。

 

| | コメント (8) | トラックバック (0)

2011年4月12日 (火)

大震災1カ月目

4月11日 月曜日 天気:曇りのち一時雨

 今日で大震災から1カ月が過ぎた。
 いろいろあったけれど、ようやく東北も復興の道を歩み始めて、少しずつ日常が戻ってきている――と言いたかったのに、夕方5時16分頃、福島県浜通りのいわき市で震度6弱、マグニチュード7.0の大きな余震が発生。さらに3時間あまり後には茨城県北部でも震度5弱の余震。どちらの時にもちょうどラジオをかけていて、緊急地震速報に飛び上がって避難をした。時間的には3月11日の本震や4月7日の宮城県沖の余震より短かったけれど、地鳴りに続いて家が鳴り、家が激しく揺れて怖かった。
 今回の地震は南北方向の揺れだったようで、我が家の被害はそれほどではなかったけれど、郡山市の実家は震源地に近かったせいか、元に戻した家具がまた転倒したりしたらしい。いわき市では土砂崩れで家が埋まって、3人が犠牲になっている。せっかく回復したライフラインがまた途絶したところもある。私たちも、地震直後は携帯や携帯メールも通じにくくなった。本当に、「もういい加減にしてくれ!!」と、声を大にして叫びたい。

 昇平も頻発する大きな余震にパニックになりかけたが、そうすると、それを収めるために母も精神的に疲れてパニックになってしまうと知ると、「ぼくはこれから冷静になるよ」と言って、本当にその後は余震にもあわてず騒がず、落ち着いて過ごすようになった。かなり強い余震も来ていたのだけれど。本人が言うには、「巨大地震よりも何よりも、お母さんが怒ることのほうが怖い!」のだそうだ。……あっそう。(苦笑)

朝食:ご飯、サバみりん漬け、納豆、もやし炒め、ネギの味噌汁

昼食:パン、牛乳、ハムとレタス、もやし炒め

夕食:イワシの蒲焼き丼、野菜炒め、ワカメの味噌汁

 夕食準備中に強い余震が来て、その後、ひっきりなしに余震が襲ってくるようになったので、夕飯を作るのがとても大変だった。
 入浴中に強い揺れが来ると怖いので、お風呂も今夜は休み。さすがの義父も、今夜は階下の洋間ではなく、義母が寝ている茶の間で寝ることにしたらしい。

 こんな具合で、1カ月たった今も、生活はなかなか落ち着かない。あれだけの大地震が起きたのだから、「元通り」を望むことのほうが間違っているのかもしれない。このあたりは数値的には低いけれど、それでも放射能の影響はあるし、家も余震のたびに傷みが進んでいくし、交通も、教育も、産業も……。
 だけど、それでも人は生きていく。強い余震におびえてへこむこともあるけれど、やっぱり今日や明日のためにまた立ち上がって、生活を始める。そんな時、明日を見つめて生きる子どもたちの姿は、私たち大人たちを本当に力づけてくれる。この子たちのために暮らしを建て直さなくちゃ、と考えるから。
 親の会の支部例会も、今週、予定通りに開催できることになった。思っていたより多くのメンバーが集まるらしい。本当によかった。
 元通りでなくたっていい。新しい形での幸せな明日のために、できることから少しずつ、一歩ずつ。長い時間をかけて、復興の道を歩いていきたい。

 これからも、多くの方々が息長く被災地の復興を見守り、応援してくださることを願いながら、1カ月目を区切りに、大震災日記の連載を終了したいと思います。
 おつきあい、ありがとうございました。



【お願い】
 昇平が通うフリースクールの再開をご支援ください。
http://homepage3.nifty.com/asakuratown/bokin-onegai.html

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年4月11日 (月)

大震災31日目

4月10日 日曜日 天気:晴れ 暖かい

 5時50分に起床したが、昇平はもう目を覚ましていて、7時前には起きてきた。旦那と3人で朝食。

 昇平は一日に何度も昨日のトラブルのことを口にしていたが、昨夜私と話し合ったことを元に、自分なりに整理をして前に進もうとしていた。
 午前中、家庭教師のH先生と学習をしたが、その時にも昨日の話をして、「親子喧嘩はよくあることだよ」と言ってもらって安心したらしい。H先生との勉強も、今度の水曜日で最後。「あと1回で終わりかー」と、昇平が残念そうに言っていた。

 昼過ぎ、庭の家庭菜園から小松菜とほうれん草を抜いた。
 福島県内各地の放射線測定値はかなり下がってきたし、出荷制限されていた農産物も規制解除になり始めているけれど、相変わらず福島県産の野菜は敬遠されているんだろうな。最近では、福間県や茨城県だけでなく、日本全体の産物が外国から敬遠されるようになっているとも聞く。人間は、自分自身がその立場に立たされて初めて、その痛みを知るのかもしれない。
 ほうれん草も小松菜も、よく洗って夕食に調理。採れたての葉物野菜は、甘味があって柔らかくて美味しかった。

 午後、昇平とWiiで「マリオパーティ」をして遊ぶ。今回もすごろくのほうの優勝者は私だったけれど、ターンごとにあるミニゲームでは、本当に昇平には歯が立たない。ミニゲームのターンになると、昇平が私の先生になってしまう。

 夜、昇平がまた嫌なことを思い出して落ち込みそうになったが、考えを切り替えるためにイラストを描き始め、非常に面白い絵を描いたので、母子で大笑いしてしまった。こんなに声を上げて笑ったのは、昇平も私も震災後初めてだったかも。笑ったら、二人ともだいぶ元気になった。

 明日で震災から1カ月がたつ、7日の巨大余震のせいで、まだまだ安心できなくなってしまったけれど、それでも無理せずいこうと思う。

朝食:ご飯、ウィンナー、スクランブルエッグ、納豆、ネギと豆腐の味噌汁

昼食:手作り食パン、チーズ、ウィンナー、牛乳

夕食:親子丼、野菜サラダ、ほうれん草おひたし、小松菜の味噌汁




【お願い】
 昇平が通うフリースクールの再開をご支援ください。
http://homepage3.nifty.com/asakuratown/bokin-onegai.html

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年4月10日 (日)

大震災30日目

4月9日 土曜日 天気:雨のち曇り

 朝から雨。低気圧のせいか7日深夜の強い余震のショックか、頭痛がするので、今日は片づけや掃除はやらないことにした。

 9時半に昇平を起こして一緒に朝食を食べてから、一昨日、義姉がもってきてくれたパン焼き器で食パン作りに挑戦。強力粉やドライイーストは我が家にあったけれど、スキムミルクが手に入らなかったので(放射能騒ぎで牛乳が店頭から消えたときに、代用品としてスキムミルクが売れ切れてしまったらしい)、コーヒー用の粉末クリームを使ってみた。
 スイッチオンしてから、昇平の英語の勉強をみるために2階へ。時間が来たので、「そろそろいいかな?」と焼き上がりを見に行ったら、なんと、粉のままで焼けている!? よく調べたら、材料を入れた内釜がきちんとセットされていなかった。
 昼食用に急いでホットケーキを作って食べてから、材料をもう一度揃えて再チャレンジ。早焼き機能で、1時間45分後、今度は無事に食パンが焼けた。よし、これで今度パンが店頭から消えても、電気と材料さえあれば、我が家でパンが食べられるわ。

 午後、昇平は2時間ほど昼寝をして、元気になって起きてきたが、夕食に呼びに行ったら、また動画でいやなコメントを目にした、と言って、精神的におかしくなっていた。こちらもついにストレスが限界量を超えてぶち切れ。また親子で大パニックになってしまった。
 1時間くらい泣いたり怒ったり。
 意地悪なこと、相手が傷つくようなひどいことを言ったり書いたりする人は確かにいるけれど、それをはるかに上回る人数の優しい人たちがいるでしょう? 君はたぶん、今、この日本で一番応援してくれる人が多いADHDっ子だよ。会ったことも話したこともないけれど、ネットを通じて心配してくれたり、がんばれと言ってくれたり、偉いね、成長したね、と誉めて喜んでくれたり、プレゼントや手紙やメールを送ってくれたり……。君が通うはずのフリースクールにも、ものすごくたくさんの人たちが協力してくれているでしょう? 君にはものすごい人数の応援団がいるんだよ。見えないけれど、でも、ネットを通じて、ちゃんといるんだってわかるでしょう?
 何千というコメントの中に、ほんの少し混じってくる意地悪な人たちと、確かにそこにいる優しい人たち。人数では優しい人たちの方がずっと多いんだから、その人たちの方を信じてちょうだい!

 ……と、少し落ち着いてから話をして、なんとか二人で落ち着いた。
 でも、私は疲労困憊。ずっとがんばり続けて、ある時、限界点を超える出来事が起きて大爆発――毎度このパターンとわかっているのに、いつまでたっても直らない。我ながら落ち込むなぁ。 


 旦那は今日は休みのはずだったが、一昨日の余震の影響もあって、結局休みは取り消し。昔乗っていたバイクをとうとう手放すので、バイク屋さんが引き取りに来るときだけ店を抜け出して手続きを済ませ、また店へ戻っていった。22:05、どうやら帰宅したらしい。

朝食:ご飯(昇平は刺身茶漬け)、納豆、煮豆、ニラ玉汁

昼食:ホットケーキ、鮭缶、牛乳

おやつ:焼きたて食パン

夕食:ご飯、サバみりん漬け、ワンタンスープ、野菜サラダ、ニラのおひたし


(写真を追加 9:43)
Hondana1

Hondana2

 1階の廊下の突き当たりの本棚。廊下の下にコンクリートの土台が入っていたので本棚は転倒しなかったが、震災で入った壁のひびが、先日の余震でいっそうひどくなった。

Hondana3

 本棚右脇の壁アップ。ちなみに、本棚そのものもかなりやられている。



【お願い】
 昇平が通うフリースクールの再開をご支援ください。
http://homepage3.nifty.com/asakuratown/bokin-onegai.html

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2011年4月 9日 (土)

大震災29日目

4月8日 金曜日 天気:曇り

 大震災からちょうど4週間が過ぎた。もうすぐ一ヵ月がたつ。
 「やっと落ち着いてきたね」「だんだん元に戻ってきたね」と話し合って、少しほっとできるはずのこの時期に、突然また襲ってきた震度6強の余震。私が住んでいる場所も震度5強だった。
 我が家でも、ひびの入っていた壁が落ちたり、ひびが広がったり、2階に載せてあった瓦が落ちて1階の瓦が割れたりした。開きにくくなった戸や、逆に、開かなくなっていた窓が開くようになったりもした。家全体が激しく揺すぶられたということ。
 お義父さんがやっと修理を終えた風呂場のタイルも、またひび割れてしまったし、片づけ終わった倉の2階もまたごちゃごちゃ。ただ、今回は家具が転倒しなかったし、余震に用心して高い場所に物は置かないようにしていたので、地震の大きさの割には、物は落ちなかった。

 壁土が落ちたせいで、部屋は廊下は砂だらけ。旦那に朝食を作って送りだしてから、廊下や座敷を掃き、2階には掃除機をかけ、すっかり元通りにしたところで昇平を起こした。昨夜は大きな余震にパニックを起こした昇平だったけれど、部屋が元通りになっていたので、少し安心してくれた。
 ただ、また不安が非常に強くなってしまって、私からほとんど離れられなくなってしまった。また大きな余震が来るんじゃないか、と何度も口にする。無理はないよね、大人だって同じことを思って怖がっているんだから。
 お義父さんは家の周りの瓦礫を掃いたり、屋根に上がって壊れた瓦を交換していたが、お義母さんはさすがに参ってしまったようで、部屋を少し掃除しただけで、後はあまり動かなかった。自分でも「今日はやる気が出なかった」と言っていた。
 旦那の勤務先は、建物はいっそう傷んだけれど、新たな被害はほとんどなかったらしい。それは良かったけれど、「今日は一日がえらく長かった」と疲れた顔で帰ってきた。

 私たちが住む場所は停電にならなかったし、原発も津波も大丈夫だったけれど、今回の大きな余震は、先の震災で傷んだ建物と被災者の心を打ちのめしていった感じがする。
 私は、家の掃除をしながら、親の会のメンバーに「地震後の子どもの対応へのガイドライン」というものを、一斉メールで送信していった。大人がこれだけ参っているからには、子どもたちはもっとショックを受けて、不安になっているはずだから。
 参考にしたい方もいらっしゃるだろうか? ガイドラインのPDFファイルへのリンクを載せておこう。

「地震後の子どもの対応へのガイドライン」 (東京プレイセラピーセンター作)
 http://www.tokyoplaytherapy.org/resources/forparents0311.pdf

 拭き掃除を終えてから、昇平に頼まれて、英語の勉強を見た。上記のガイドラインにもあったけれど、子どもたちに震災前と同じ日課をさせてあげることで、子どもたちは安心を取り戻していくらしい。昇平も、家庭学習の日課をすることで、心のバランスを取り戻しているようだった。

 その後、午後から、私と昇平で歯医者へ。昇平は延び延びになっていた歯の定期検診、私は右下の歯の詰め物が外れたのを診てもらったのだが、昇平は歯みがき指導とフッ素塗布、私は虫歯があったので、そこを治療してもらった。同じ町内なのに、歯科医院の近辺は地震の被害が少ないようだった。そんなに離れているわけではないのだけれど、被害の程度は地域によって違っている。

朝食:ご飯、納豆、フランクフルトソーセージ、千キャベツ、ワカメと油揚げの味噌汁

昼食:カップ焼きそば、味噌汁、ツナ缶

夕食:ご飯、エビフライ、野菜炒め、麻婆豆腐または冷や奴、野菜サラダ、ニラ玉汁

 家の掃除で忙しかったので、昼食は思いっきり手抜きだった。




【お願い】
 昇平が通うフリースクールの再開をご支援ください。
http://homepage3.nifty.com/asakuratown/bokin-onegai.html

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年4月 8日 (金)

大震災28日目

4月7日 木曜日 天気:晴れ

 午前中、家の中を掃除してから、昇平の病院へ行った。震災前日に4週間分の薬をもらってあったから、本当に助かった。今回も4週間分もらうことができた。先週までは薬があまり入荷しなくて、1週間分か2週間分しか出せなかったけれど、今週に入って、薬の流通も良くなったらしい。

 昇平は、診察中にも「急に怖くなった」と言って、安定剤を頓服した。以前から精神的に不安定だったけれど、この震災で悪化して、薬でなんとかやり過ごしている感じ。でも、これは健常な他の人たちでも同じなのだろうと思う。眠れなくなっている人、悪夢を見る人、わけもなく不安になる人……震災によるPTSDとそれへの取り組みは、これからになるだろう。昇平は、今は、私のそばからまったく離れられない。高校が始まったら、一人で福島市まで通うことになっていたけれど、電車もまだ開通していないし、本人が「大丈夫」と思えるまで、登下校に付きあってあげなくちゃいけないだろうな。

 そんな中、私の友人からポケモンセンター(ポケモングッズの直売店)のお土産が送られてきた。昇平の喜んだこと! あんなに嬉しそうな昇平の顔を見たのは、震災後初めてだった。文具や大人っぽい感じのハンカチなどもあったので、「高校で使うんだ!」とうきうきしていた。

 午後、昇平は昼寝。私は久しぶりで少しまとまった時間パソコンに向かうことができた。やっと本当に日常が戻ってきたかな。

朝食:ごはん、目玉焼き、ニラのおひたし、田舎汁

昼食:ハムかつ、カップ麺またはマフィン、メンマ、牛乳

夕食:ご飯、アブラカレイのムニエル、ポケモンマカロニ、サラダ、ほうれん草のゴマ和え、小松菜味噌汁

 と、ここまで日記を書いて、「おやすみなさい」と部屋の電気を消したが、長い時間昼寝した昇平はなかなか眠くならない。やっと眠りかけたと思ったところへ、11時32分頃、大きな余震がやってきた。震源地はまた宮城県沖。震源地に近い場所では震度6強。私たちが住む福島県伊達市は震度5強だった。
 激しい縦揺れが来た時点で、「これは大きい!」と思って、すぐに寝室のパイプベッドの下へ昇平と避難。旦那はお風呂に入っていて、まだ寝に来ていなかった。揺れがどんどん大きくなって、また東西方向へ家が大きく揺すぶられる。昇平は悲鳴を上げていたが、私自身は部屋の様子を見て、ここにいれば大丈夫と判断していた。前回の大震災に比べて時間が短かったこと、揺れが少し小さかったこと、片付けをして物を徹底的に減らしていたこと、のおかげで、震度が大きかった割には部屋は散らからなかった。
 ただ、前回の地震で傷んだ家屋は、いっそう傷んでしまった。壁土が落ちたり、ひびが広がったり、隙間ができたり、瓦が落ちてきて割れたり。廊下や二階の部屋は、壁土で砂だらけになってしまった。せっかく日中に掃除したのに。でも、停電しなかったのは幸いだった。

 昇平がパニックを起こしてしまったので、家の被害の確認は旦那や義父母に任せて、私は昇平を落ち着かせるのに専念した。「もういやだ! こんな場所では暮らしたくない! 日本脱出したい!」と騒いでいたが、今日届いたポケモンのプレゼントや、それに添えられていた手紙の話をしたり、アニメポケモンの話などをして、赤ちゃんのようにトントンと体をたたいてやったら、そのうちに落ち着いて眠ってくれた。

 その後、私は起きだして2階の部屋をさっと片づけ、テレビでニュースを見た。津波が来なかったこと、福島第一原発が無事だったことには、ほっとした。でも、震度6強の余震というのは、本当に大きい。4週間が過ぎて、やっと日常を取り戻しかけていたけれど、大人も子どもも、改めて地震の恐怖を思い出した感じだった。なんとか子どもたちの心を守らなくちゃ、と思いながら、1時半過ぎに寝た。



【お願い】
 昇平が通うフリースクールの再開をご支援ください。
http://homepage3.nifty.com/asakuratown/bokin-onegai.html

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年4月 7日 (木)

大震災27日目

4月6日 水曜日 天気:快晴

 空に雲ひとつない素晴らしい天気。日中は暖かくなった。
 青空を見上げていると、大地震も津波も原発事故も、全部夢のことだったような気もしてくる。でも、目をまた地上に戻せば、屋根にブルーシートをかけた家々が並んでいるし、足元のコンクリートにもあちこちひび割れている。現実はやっぱりここにある。だから、やれることからやっていくしかない。

 午前中、昇平は家庭教師と学習。調子が良かったようで、とても楽しそうに勉強していた。高校開始まで、あと2回学習する予定。
 午後は自転車でおやつを買いに出かけていった。

 とうとう、ガソリンが近所のガソリンスタンドでも買えるようになった。義父が自分の車を満タンにしてきて、大喜びだった。これでもう燃料も心配ない。

 私も少しずつ日常の生活に戻ろうとしている。
 昇平が高校生になっても、通学に使う予定だった電車がまだ復旧していないので、バスで通学する練習をしなくてはいけないし、フリースクールの再開にも時間がかかるから、本当の意味で日常に戻るには、まだ時間がかかるだろうけれど、それでも、震災前と同じようなことをしていると感じることが増えてきた。

 ただ、昇平は時折むしょうに不安になったり怖くなったりしている。埼玉の大学へ戻った兄ちゃんも、最近よく眠れない、とメールをよこした。震災から27日目。被災のショックがいろいろな形で出てくる時期になっている。
 だからこそ、以前と同じように過ごすこと、安心できる環境を作ること、毎日しっかり食べて寝て体を動かすこと。そういうことが、いっそう大事になるだろうな、と思っている。

朝食:ご飯、納豆、ハム、ほうれん草おひたし、ワカメと油揚げの味噌汁

昼食:パン、フランクフルトソーセージ、レタス、牛乳

夕食:ご飯、豚肉の天ぷら、タマネギとシラスのかき揚げ、くきたちおひたし、もやしと豚肉のソテー、きのこたっぷりの田舎汁



【お願い】
 昇平が通うフリースクールの再開をご支援ください。
http://homepage3.nifty.com/asakuratown/bokin-onegai.html


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年4月 6日 (水)

大震災26日目

4月5日 火曜日 天気:晴れ

 好天が続いている。

 午前中は昇平と英語を勉強。午後から、フリースクールで一緒のSさんのお宅へまた遊びに行った。今日は、同じくフリースクールを利用しているKさんもいらした。(お子さんはお留守番だったけれど)
 今回、我が家からWiiを持っていったのだけれど、最初Hちゃんが、やり方がわからなくてなかなか遊んでくれなかったので、昇平は怒っていた。私がまずゲームをやって見せて、やり方を教えればいいんだとわかってからは、丁寧に説明するようになって、その後はとても仲よく遊んでいた。
 こういう当たり前な関わり方というものは、同じ子ども同士でなければ学んでいくことができない。そして、この子たちには、その過程で「わかっている大人」の手助けが必要になる。フリースクールがそういう場所になっている。やっぱり一日も早くスクールに再開してほしい、と強く思う。

 帰りにSさんの家の近くのスーパーで買い物をしたが、店の入口の天井が落ち、中は2/3ほどのスペースで復旧工事中で、ブルーシートの向こうから賑やかな音が聞こえていた。残り1/3ほどのスペースで食料品や日用品、衣料品を売っていたけれど、この店は建物被害がひどかったので、商品はまだそれほど多くはなかった。
 ただ、ここにきて、操業を開始する店は増えてきた。商品も、完全ではないが、だいぶ並ぶようになってきた。ガソリンスタンドも、営業する店が増えてきて、並ばなくても給油できるようになってきたらしい。
 福島県中通り、特にこの県北地方では、日常がかなり回復してきている。会津地方は、もとから甚大な被害は受けていないから、残る場所は海沿いの浜通り。ここは本当に被害がひどいし、原発の影響もあって、復興が進んでいない。どうか一日も早く原発が落ち着くように。一日も早く浜通りが復興していくように。
 明日は県内の公立小中学校の入学式・始業式が行われる。浜通りから中通りや会津に避難している人たちも、地元の学校に編入・転入して、学習を始めるらしい。本当に、一日も早く、子どもたちが元の生活に戻れますように。

 第一原発の2号機から、高濃度の放射能廃液が海に流出していて停まらない。海はどうなっていくんだろう。風評被害も広がっていくだろう。潮に乗って南下していくから、この問題は、もう福島県だけに留まらない。とても心配な状況だ。(4月6日 8:15付記: 特殊な薬品を水漏れを起こしている場所の周辺へ注入した結果、今朝未明に廃液の流出が停まった、と東電から発表があった。)

朝食:ご飯、ウィンナー、サバ缶、カボチャ煮物、ニラ玉汁

昼食:パン、ハム、レタス、チーズ、牛乳 (義父母はご飯、味噌汁、茶碗蒸し他)

夕食:ご飯、塩銀鮭、鶏肉とジャガイモの煮物、ほうれん草おひたし、くきたちおひたし、野菜サラダ、小松菜味噌汁

 露地栽培の葉物野菜でも、しっかり洗えば大丈夫なんですよ~。いえ、無理に食べろとは言いませんけれどね。




【お願い】
 昇平が通うフリースクールの再開をご支援ください。
http://homepage3.nifty.com/asakuratown/bokin-onegai.html


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年4月 5日 (火)

大震災25日目

 この日記は、震災後1カ月をひとつの区切りに連載していく予定です。すでに、だんだん書くことがなくなってきました。(苦笑)


4月4日 月曜日 天気:晴れ

 天気はよいけれど、少し肌寒い一日で、夜になったら冷え込んできた。

 午前中、久しぶりで昇平の勉強をみた。その後、昇平の腕時計のバンドが切れてしまい、バンドだけ交換できなかったので、自転車でホームセンターまで新しい時計を買いに行った。昇平が中学生の間お世話になった時計だったから、時計が自分で「役目はもう終わった」と思ったのかも?

 午後は、昇平とWiiで「マリオパーティ」をした。今日は私が勝ったけれど、ミニゲームでは昇平にまったく歯が立たない。

 フリースクールへの支援をお願いした、アメリカの障害児・者支援団体PHPのK.W.さんから、国際電話をいただいた。公の支援が何もないスクールの状況を、親身になって聞いていただけた。発達障害を持つ子どもたちが、学校の中で適切に対応されないために不登校になっていく話をすると、「学校に言語療法士や行動療法士が入って、早くから子どもたちを支援していけば、後が全然違うのに!」と、日本の現状に驚いていらした。
 スクールのために募金活動を始めてくださるとのこと。遠い遠い海の向こうで……。ありがたくて、嬉しくて、涙が出そうだった。

 フリースクールみんなのひろばには、たくさんの方が支援の気持ちを寄せてくださっている。再開したら、スクールの子どもたちの笑顔を皆さんにお見せしたいなと思う。

朝食:ご飯、豚肉唐揚げまたは納豆、煮物、サヤエンドウ味噌汁

昼食:パン、チーズ、ほうれん草と卵のスープ、煮物、牛乳

夕食:ご飯、焼き肉またはアジの干物、カボチャ煮物、冷や奴、野菜サラダ、小松菜味噌汁、リンゴ

 夕食の小松菜も家庭菜園で採れたもの。よく洗って使ってます。



【お願い】
 昇平が通うフリースクールの再開をご支援ください。
http://homepage3.nifty.com/asakuratown/bokin-onegai.html


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年4月 4日 (月)

大震災24日目

4月3日 日曜日 天気:晴れ

 天気の良い日が続く。作業や買い物には雨が降らない方がありがたいのだが、空気が乾燥していて、火事が多発している。せっかく震災から助かった家屋なのだから、火事で失いたくはないよね……。

 今日は早朝の入荷があるというので、旦那は5時起床、5時半出勤。
 私は震災日記をアップしてから、8時に昇平を起こし、9時からのアニメ「ポケモン」を一緒に見た。
 10時からは、震災後初めて、家庭教師の先生がいらした。久しぶりでH先生のお顔が見られて、私もほっとした。
 昼食は、先生が差し入れに持ってきてくださった手作りパン。ゴマとクルミが入っていて、香ばしくてとても美味しかった。

 午後にまた震災日記を更新。ようやく日記が現実の時間に追いついた。
 ニコッとタウンでも、もう一度、募金へのご協力を呼びかけた。子どもたちが心待ちにしているフリースクールの再開。なんとか早く始めてあげたいな。

 夕方から、かなり強い余震が続いた。福島県沖で震度4。なんの前触れもなく、激しい縦揺れが襲ってくる。それが大震災を連想させて、昇平も私もすっかり怖くなってしまった。

朝食:ご飯、納豆、ウィンナー、コロッケ、ニラおひたし、ワカメの味噌汁

昼食:ゴマとクルミのパン、コロッケまたはサツマ揚げ、牛乳、イチゴ

夕食:ご飯、アジ干物、干し大根・昆布・芋の茎・麩の煮物(お義母さんが作る)、茹でアスパラガス、野菜サラダ、くきたち味噌汁

 福島県産のくきたちは市場出荷禁止品目。でも、家庭内消費は自己責任だからかまわない。よく洗って味噌汁の具に。新鮮で香りがよくて美味しかった!



【お願い】
 昇平が通うフリースクールの再開をご支援ください。
http://homepage3.nifty.com/asakuratown/bokin-onegai.html


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年4月 3日 (日)

大震災23日目

4月2日 土曜日 天気:晴れ のち薄曇り

 これをブログ用に入力しているのは4月3日。やっと震災日記が現実の時間に追いついた。

 午前中、家の中の掃除。まだ砂埃が多いので、雑巾が真っ黒になってしまう。

 午後からは、フリースクールみんなのひろばの再開のために、スクールへ話し合いに行った。途中で差し入れを買ったりしたので、Sさんとお嬢さんのHちゃんのほうが先に着いていた。
 昇平は久しぶりでS先生やHちゃんに会えて、本当に大喜び。Hちゃんも、春休み中どこにも行けず、誰とも遊べず、家でパソコンやゲームやお絵かきをしてばかりで、すっかり退屈していたらしい。昇平と二人で嬉しそうにポケモンをしていた。

 その間、私とSさんとS先生で、スクールの今後について話し合い。
 階段の基礎は、確かにぼろぼろになっていた。気をつければなんとか登れるが、危険で、これではフリースクールを開始することはできない。しかも、建物の2階自体、柱などが歪んでいて、大きな地震には危険な状態らしい。やはり平屋の別な物件へ引っ越しをしたいのだが、資金が不足しているし、子どもが大勢集まると聞くと貸し渋りされることも多いらしい。それでも、新しいスクールの場所が決まらなければ、なにも始められない。とにかく物件を当たって話をしてみよう、ということになった。

 4月1日までの時点で、募金は14万8千円ほど集まっていた。一人千円、二千円という金額でも、積もり積もってこれだけの金額に。目に見える善意のあつまりだ。「本当にありがたいです!」とS先生も感激していた。
 ただ、スクール移転のための費用として、まず50万円ほど準備する必要があるという。S先生も、毎日毎晩、時に徹夜までしてバイトをして、その資金を稼いでいるのだけれど、まだまだ足りない。さらに、地震でパソコンやテレビが全部落ちて、その大半が壊れてしまったので、それをまた揃えようとしたら、さらに多くの資金が必要になる。
 町が違う私は、物件探しではあまり力になれないので、引き続きネットを通じて募金のお願いをしていくことにした。S先生も、スクールのサイトに募金のお願いのページを作るつもりだという。でも、片付けをしながら、バイトをしながら、スクールに来られない子どもたちの家庭訪問をしながらだから、とても忙しくて大変だろうと思う。私は私にできる形で、精一杯協力していこうと思った。

 話し合いが終わっても、子どもたちはまだ遊び足りない様子だったので、Sさんの家にお邪魔してしまった。
 子どもたちは今度はお絵かき。親の私たちはおしゃべり。久しぶりで気兼ねなく遊んだりしゃべったりして、4時まで楽しく過ごした。
 子どもたちは退屈しているので、火曜日の午後にもまた遊ぶ約束をした。昇平は、Hちゃんから絵のリクエストを聞いて、帰宅してからすぐそれを描いていた。

朝食:ご飯、ウィンナー、スクランブルエッグ、ニラのおひたし、ワカメと油揚げの味噌汁

昼食:おにぎり、サンマの味付け缶、味噌汁、イチゴ

夕食:チャーハン、カレーコロッケ、サバ唐揚げ、野菜サラダ、冷奴、白菜の味噌汁


Hiroba1
スクールの階段の基礎部分。鉄骨が根元で半分折れている。


Hiroba2
根元部分のアップ。激しく揺すぶられてぼろぼろ。これでは危険で子どもに利用させられない。


Hiroba3
スクール内部。これでもかなり片づけた後だけれど、部屋の中はまだ雑然としている。



【お願い】
 昇平が通うフリースクールの再開をご支援ください。
http://homepage3.nifty.com/asakuratown/bokin-onegai.html


  

| | コメント (0) | トラックバック (0)

大震災22日目

4月1日 金曜日 天気:晴れ

 震災から3週間が過ぎた。

 近所に、地震で倉に被害を受けて取り壊した人がいて、その瓦をくれるというので、朝、旦那の車を私が運転して、義母と昇平と一緒にもらいに行ってきた。全部で60枚くらい。前日、お義父さんとお義母さんでもらってきた分と合わせると80枚もあっただろうか。おかげで、母屋の屋根は頂上部の飾り瓦を除いてきれいに直った。この震災で瓦が品薄と聞いていたので、思いがけず早く修理できて助かった。これでもう雨漏りも怖くない。

 ただ、昇平は朝早く起こしたせいもあって、精神的にあまり調子が良くなかった。指のささくれをむいて血がたくさん出た! と騒いでご機嫌ななめだったが、そこへちょうどフリースクールのS先生から電話がかかってきて、先生の声を聞いたら、いっぺんで元気になってしまった。明日、フリースクール再開の話し合いに行くことになり、昇平もそこについていくことに決まると、「みんなのひろばに行ける!」と喜んで、すっかりご機嫌。その後、正午まで一眠りして、午後はまた、屋根のブルーシートを押さえていた土嚢の砂を、庭石の後ろへ空ける作業を手伝ってくれた。
 あの地震で、高さ2メートルあまりもある庭石が前へ30センチくらい動いて、後ろに隙間ができていた。そこへ土を入れていったのだが、こんなに大きな石がこんなに動くなんて、と驚きだったし、もう少し激しく揺れていたら、庭石が倒れた可能性もあった。あの日、私はその庭石のそばに立って、揺すぶられる家を見ていたのだけれど、私もやっぱり危なかったのかもしれない。

 昨日、右下の歯の詰め物が取れてしまったので、歯医者に予約の電話を入れた。ついでに、延び延びになっていた昇平の歯の定期検診も一緒に申し込む。診察は来週の金曜日。

 夕方には、フリースクールのことで別の保護者のSさんから電話をもらい、明日、同じ時間にスクールへ行くことにした。Sさんのところには、昇平と仲良しのHちゃん(女の子)がいて、彼女も来ることになったので、昇平は大喜びだった。

 ところで、午後、瓦をふき終わった軒下を私が掃除していたら、昇平が家の中からすっ飛んできて、「パソコンが急にシャットダウンして、電源を入れても再起動しなくなったから、すぐ来てちょうだい!」と言った。震災で落下した後、奇跡的にまた動くようになったパソコンだったけれど、やっぱりどこかが故障していたらしい。
 「ちょっと待ってて。これが終わったらすぐ見に行くから」と急いで掃除の続きをしていたら、また昇平が駆けてきて、「早く来て! パソコンから煙が出てきた!」
 なに!!? と仰天して、箒もちりとりも放り出して2階に駆け上がったら――
 パソコンはついていて、煙も出ていなかった。
 画面には昇平の手書きの文字で、「うそだよ~ん」と。

 やられた!!!

 すっかり忘れていたけれど、今日は4月1日、エイプリルフールだった。
 見事にだまされてしまったけれど、そんなふうに嘘をつく余裕が昇平に出てきたことが、とても嬉しく感じられた。

朝食:ご飯、目玉焼き、ほうれん草のおひたし、ハムかつ、ワカメと油揚げの味噌汁

昼食:コッペパン、ハム、レタス、キュウリ、牛乳、チーズ

おやつ:りんご

夕食:ご飯、ホッケの干物、ゴボウと豚肉の柳川風煮、煮豆、餃子、ニラのおひたし、大根の味噌汁 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

大震災21日目

3月31日 木曜日 天気:晴れのち曇り

 午前中は、てくてく日記の更新をした。この大震災日記を、昇平に焦点を合わせた形で、1週間分再編成。けっこう時間がかかった。
 その後、昇平と朝食を取ってから、二人で自転車で外出。 銀行とスーパーマーケット3軒を回った。向かい風だったので、帰りは全然自転車が進まなくて疲れた。

 午後はニコッとタウンのブログを更新してから、家の中のことをあれこれ片づけた。

 某政党の議員さんがフリースクールを見に来てくださったとのこと。被害の様子を親身に聞いてくれたものの、公立の小中高校も著しい被害を受けているので、そちらが優先で、民間のフリースクールに直接援助することはできない、と言われたらしい。やっぱりそうなのね……。
 公の支援をあてにすることはできない。草の根活動でも、多くの方たちの善意を頼っての募金活動が、一番即効性のある支援になるのだろう。


 ところで、放射能が心配だから今すぐ福島県から避難しなさい、という論調のメールを、立て続けにいただいた。事故から3週間が過ぎようとして、放射線の測定値もだいぶ下がってきているというのに。
 心配してもらえる気持ちはありがたいのだけれど、私たちがいる場所は、そこまで危険な地域じゃない。科学的な根拠も踏まえて、今もこうして福島にいる。だけど、「子どものためにはほんの少しでも安全な環境を選択するべき」と言われれば、それを全否定することもできない。
 違う、違う。福島県に留まっている私たちが望んでいるものは、それじゃないの。
 いくらそう言っても通じないのだということもわかってしまうから、私はただ、こう言う。

 心配してくれて、ありがとう。
 でも、私たちは、今の状況が悪化しない限り、この場所で生きていきます。
 私たちは、私たちのこの福島県が好きです。今回の災害と事故が起きるまで、あまり有名でもなかった県だけれど、穏やかで人情ある人々が大勢住む、自然豊かでおっとりしたこの県が大好きなのです。
 今、安全な場所にいるはずの私たちまでが、この県を離れてしまったら、福島を復興する人がいなくなってしまいそうな気がします。
 だから、私たちはこの場所で、福島のために生き続けていきます。ここは、私たちの故郷だから。

 メールへ返事を出さなかった皆様。これが、私の答えです。
 もう一度、ご心配を本当にありがとうございました。
 さようなら。またどこかで会う日まで――。


(この日の食事メニューは記録忘れ)
 
 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

大震災20日目

3月30日 水曜日 天気:晴れ

 旦那、公休。朝6時に起きて、開きそうなガソリンスタンドを探しに行き、4号線に並んでいる車の列を見つけて、無事旦那の車を満タンにしてくることができた。
 ところが、オイル交換も頼もうと思ったら、前輪のドライブシャフトから油漏れしているのが見つかって、このままでは危険だというので、急きょそれも修理してもらうことになった。すでに16万キロ走行している車だからね……。約4万円の出費。

 車はスタンドに預けて、その後、旦那と昇平と3人で私の車で買い物へ。オフィス8(大きな文具屋)で、昇平の通学用のトートバッグと筆入れを買い、しまむらでは衣類を買った。昇平の高校には制服も指定の鞄もないので、これが昇平の入学準備。普段着るのはジーンズやTシャツといったラフな服ばかりだけど、入学式用に、スラックスとワイシャツとベストも買った。入学式は4月20日。ブレザーも買おうかどうしようか。そこはまだ悩み中。

 昼食はビックボーイへ。震災で休業中の店も多かったけれど、ここはもう始まっていた。震災限定メニューで、サラダバーも、ドリンクバーさえもなかったけれど、その分、値段は安くなっていた。隣接した書店にも回ったが、天井が一部破損してパイプや鉄骨が見えて、すごい光景になっていた。それでも、福島市では復興の動きが始まっている。ファミレスは若い家族連れでいっぱいだったし、書店にも人が大勢いた。みんな、少しずつ元の生活に戻ろうとしているし、生きること以外のゆとりも求めるようになってきたんだね。

 旦那も、仕事で使う靴を買ったり、散髪をしたり、地震で壊れた照明器具を買いに行ってくれたり、精米に行ってくれたり。車がなくてはできないこと、旦那が公休でなくてはできないことがぜんぶできて、ほっとした。

 夜、福島県放射線健康リスク管理アドバイザーの山下先生(長崎大学教授)が、ラジオ福島に登場。今現在の福島県における放射性物質が、健康にどう影響するかの話をしてくれた。先生の講演はこれまでにも何度も聞いたけれど、ラジオ局での話を聞いて、改めてなるほどと納得した。
 原発の敷地内とその周囲は、やはり大変危険な状態。そこで懸命の作業をしている方たちの被爆線量は本当に心配。だけど、それ以外の場所に住んでいる私たちの健康被害は、今現在、心配するレベルではまったくない。よく引き合いに出されるチェルノブイリ事故も、拡散した放射能のレベルがまったく違っている。ただ、子どもへのリスクが心配な親御さんは、水に気をつけたり避難をしたりすれば良いと思う、という内容だった。放射線や放射性物質についての専門的な話も、できる限りわかりやすい形で説明されていた。
 これから原発や放射能というものをどう捉え、どのようにつき合っていくべきか。福島でもそれ以外の場所でも、日本人は改めて考えていかなくてはならないのだと思う。

 アメリカの障害児・者支援団体のPHPへ、フリースクールへ義援金をお願いしたら、さっそくお返事のメールをいただいた。海の向こうにも援助しようとしてくれる人々がいる、とわかることは、とても嬉しいし、心強い。

朝食:ご飯、目玉焼き、ほうれん草おひたし、白菜の味噌汁

昼食:(外食) ハンバーグ、フライドポテト、ブロッコリー、パンまたはご飯、スープ

夕食:ご飯、塩銀鮭、肉じゃが、白菜ときのこの中華あんかけ、野菜サラダ、大根の味噌汁

| | コメント (0) | トラックバック (0)

大震災19日目

3月29日 火曜日 天気:晴れ 日中暖かい

 朝、ニコッとタウンでフリースクールへ募金をしてくださった方へ、わかる限り、お礼のコメントをして回り、その後、大震災日記の7日目をアップした。募金は、一人ずつの金額は小さくても、賛同して支援してくれる人の輪がどんどん広がっているのを感じる。すごいな、と思う。本当にありがたいな、と思う。
 ラジオでは、サンフランシスコの日系人たちからの応援メッセージというのが流れた。たどたどしい日本語で「ガンバッテ」と言ってくれているのを聞いて、涙が出てきた。
 他県からも応援のボランティアが駆けつけてくれている。福島県から避難した人たちを受け入れてくれる県外の自治体もたくさんある。本当に本当に、ありがたい。
 世界は優しい。その事実を昇平にはっきり伝えられるのも嬉しい。昇平がずっと気にしている「嫌な人たち」なんてのは、テーブルの傷くらい小さい存在。目をあげれば、日本中に世界中に、優しい人たちはたくさんいるんだよ。そして、その人たちがみんな、私たちを助けようと手を差し伸べてくれているんだよ。それを昇平にも見える形、わかる形で教えてあげられるのが、とても嬉しい。

 午前中、アラン編みのセーターを手洗いした。震災後1週間、昼夜ずっと着続けていたセーターだから、砂や埃で汚れていて、洗い水が真っ黒になった。お義母さんの手編みのセーターだから、暖かくて、停電中の寒い日々でも暖かくいることができた。ありがとう、お世話様。

 午後は、昇平とアニメポケモンの「スカイアローブリッジとゴチルゼル」の回を、ネットの動画で観た。ゴチルゼルは昇平の大のお気に入りのポケモンで、ここ福島では3月13日(日)に放映されることになっていたから、何週も前から楽しみに待っていたのだけれど、あの震災で観られなくなり、その後も停電や後片付けでゴチャゴチャして、結局テレビでやったのかやらなかったのか、それさえもわからない状態になってしまったもの。昇平がとても残念勝手いたら、ネットの友人が動画でアップされているのを見つけて教えてくれた。
 過去の楽しかった思い出の中で生きるゴチルゼルに、昔の友人だった女性が「あの頃のことは私たちの大切な宝物だけど、どんなに私たちが大事に想っていたって、もうあの場所はどこにもないのよ」と泣きながら言っている場面では、思わずこちらも涙。そうなんだよね。震災前のあの日々はとても大切な思い出だけど、どんなに再建をがんばったって、完全に同じ日々は戻ってこない。それでも、私たちは先へ生きて行かなくちゃいけないんだから。
 とてもよい話だった。Yさん、教えてくれてありがとう!

 その後、私は震災日記の7,8日目をアップし、昇平は自転車で買い物に出かけた。

 被災してから、電気も水も食材も灯油もガソリンも、とても大切に使うようになった気がする。
 何かに感謝することも増えたし、当たり前が幸せだ、とも強く感じるようになった。
 震災や事故はつらいことだけれど、大切なものを学ばせてもらったような気もしている。

朝食:ごはん、スクランブルエッグ、ソーセージ、ワカメと油揚げの味噌汁

昼食:焼きおにぎり、野菜サラダ、味噌汁

夕食:ご飯、塩サバ小切れの焼き魚、タマネギとかにカマのかき揚げ、豚肉の天ぷら、野菜サラダ、ほうれん草のおひたし、納豆、大根味噌汁

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年4月 2日 (土)

大震災18日目

3月28日 月曜日 天気:快晴

 朝は気温が低めだったけれど、日中は良い天気になった。

 午前中、家の中の掃除。砂埃がものすごい。震災のときだけでなく、余震でも揺すぶられて、そのたびに壁土が落ちてくるから。

 昇平は、毎日「明日は何をする?」と聞いてくる。小さなことでも明日の予定が入ると、「わかった」と安心した顔をする。明日の見通しを立てることで、安心を得ようとしているんだろうな。
 今日は、予定通り、一緒にゼリー作りをした。ゼリーの元を熱湯で溶いて冷やし固めるだけのものだけれど、こういうデザート類がほとんど手に入らなくなっているので、嬉しいクッキングだった。その後、高校の課題も少し進めていた。

 フリースクールへの募金の呼びかけに、大勢の方が協力してくれている。ネットでその反応を見るたびに、とてもとても嬉しくなる。
 スクールのS先生とも連絡がついて、最新の状況がわかった。ずっとスクール再開のためにバイトをしていて、やっとスクール内の片付けを始めたところなのだと言っていた。スクールの建物も、今の場所はあきらめて、地震にも安心な平屋の物件を探すつもりだと話していた。
 その後、別のお母さんからも電話があって、先生はかなりバイトを頑張っているし、時には徹夜で働いているのだと教えられた。一人でがんばりすぎる先生だからな~。我々保護者もできることで協力しよう、と話し合った。
 彼女の方は、支持している政党の議員さんに、スクールを見に来てもらうことにしたらしい。私は引き続き、募金への協力のお願いを、ネットを通じて呼びかけ、出版会社「花風社」から紹介された、アメリカの障害児・者支援団体PHPに、義援金のお願いのメールを書いた。また、もう一人のお母さんがスクール近くに住んでいるので、彼女に教室の移転先探しに協力してもらえないかと呼びかけることにした。
 スクールを利用している子どもたちが、みんな、スクール再開を本当に心待ちにしている。小さなフリースクールだけれど、子どもたちにとっては本当に大切な、かけがえのない居場所になっている。
 だから、できることをがんばる。一人ずつの力は小さいけれど、できることを探してそれをやっていく。
 どうか、一日も早くスクールが再開できますように。

 夜、国土地理院が公開した被災地の空中写真をネットで見た。
 2年前に旅行した女川町……家がない!! あの時ドライブしたおしかホエールランドは? 捕鯨船や建物はかろうじて残っているようだけれど、その周辺には建物の基礎しか見えない。
 私たちが夏場に何度も遊びに行った松川浦も、一面泥の色で、田んぼは湖だった。あのときイチゴ狩りに行ったハウスや直売店はどこ? 磯遊びをしたあの浜辺は? ネットでその場所の地図を出し、それと写真を見比べながら、旦那とこれまで行った場所を確認して、絶句してしまった。
 テレビで被災地の映像を見ているのとは違う、本当の被災の状況が、空竜写真からはっきり伝わってきて、津波の怖さを改めて感じてしまった。
 同じ被災者でも、私たちはまだ幸せなのだ。なんだか、ひどく申し訳ない気持ちになった。

朝食:ご飯、チキンナゲット、ニラ玉汁、イチゴ

昼食:コッペパンにウィンナーとレタスとチーズをはさんだホットドッグ

夕食:ご飯、塩サバ、砂肝と野菜の炒め物、サヤエンドウおひたし、白菜と油揚げの味噌汁 

 被災地ではパンが店頭から姿を消したのだけれど、地元のパン製造業者の銀嶺食品(ぎんれいしょくひん)が、いち早く生産を始めてパンの出荷を始めた。昼食のコッペパンは、その銀嶺食品のもの。
 銀嶺も工場は被災しているのだけれど、「とにかく被災者のためにパンを作ろう!」と、社長が呼びかけて、生産を始めたのだと聞いている。銀嶺の社長は志ある方として有名なのだけれど、こういう状況でもやっぱり行動されたんだな、と思った。
 被災地では、ライフラインがずたずたになって、ガソリンも足りなくなって、物流が滞ったのだけれど、地元のスーパー、地元の工場、地元と密着した農協や生協といったところが、いち早く営業や活動を始めて復興を支えてくれている。いろいろな店が郊外に進出して、大きなショッピングパークをあちこちに作っていたけれど、こういう状況になると、そこへ買い物に行くことはまったくできない。やっぱり地元の店、地元の企業というのは大切なのだな、とつくづく思っている。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年4月 1日 (金)

大震災17日目

3月27日 日曜日 天気:夜の間にうっすら雪 その後晴れ 寒い

 昨夜、昇平がフリースクール「みんなのひろば」のS先生へ出したメールに、返事が来ていた。スクールの中は少しずつ片付いてきたけれど、2階のスクールへ至る階段がまだ壊れたままだという。「必ずスクールを再開するから、もう少し待っていてね」と書かれていたけれど、修理するためのお金がスクールにも大家さんにもなくて、再開の見通しが立っていないのだとわかった。
 昇平は毎日何度も「早くみんなのひろばに行きたい」「S先生や友だちと会いたい」と言い続けている。私も、他の保護者のお母さんたちとメールや電話で話したけれど、やっぱり子どもたちが「ひろばに行きたい」と言っているという。この状況で、ストレスがたまっている子も多いようだった。

 一刻も早くフリースクールを再開する必要があるのだけれど、そのためにはどうしたら良いのだろう? 私たち保護者も被災者だから、教室を再開するための資金をぽんと出すことはできない。一晩考えて、みんなの善意に助けてもらおう、と思いついた。
 募金お願いのページを朝から作り始めて、午後に完成させ、私のサイトのトップページや掲示板、ブログ、ツイッター、バーチャルコミュニティのニコッとタウンと、思いつく限りのところで協力を呼びかけたところ、日曜日だというのに、ニコッとタウンの友人たちが「さっそく募金したよ」と連絡をくれた。ネット銀行なら、すぐに募金の振り込みができるのか! と古い人間の私は驚いたのだけれど、本当に本当に嬉しかった。
 みんなの善意が積み重なって、どうか一日も早く「みんなのひろば」が再開しますように!

 午前中、家の中を掃除してから、JAのガソリンスタンドへ整理券をもらいに言った。歩きや自転車の人、なけなしのガソリンで軽トラを運転してきたおじいちゃんたち……。給油所の中は人でいっぱいだった。組合員コードを書いて整理券をもらったけれど、レギュラー20リットルまでで、給油日は4月10日と書いてあった。あと2週間後だから、それまではとても持ちそうにない。どこかで給油できるといいのだけれど。

 昇平は今日も自転車でスーパーまで買い物に行って、牛乳を2本も買ってきてくれた。ありがとう!

 お義母さんは障子張りと、座敷の押し入れの中の掃除と整理。途中で仙台の妹さんが寝具を取りに来た。
 家を、家財道具ごと失ってしまうと言うのはどういうものなのだろう、と改めて思う。残っているのは、本当に自分自身の体だけ。零(ゼロ)からの出発……。それでも、人は生きようとするのだよね。そのひたむきさに、時々涙が出そうになってくる。

 昇平は、本当に何度も「みんなのひろばに行きたい」と言っている。被災後2週間が過ぎて、ショックや不安が外に出始めたのかもしれない。一番心がくつろぐ場所へ戻りたい、と切に願っているのだ。
 大丈夫、行けるからね。きっとまた行けるからね。みんなの善意を信じようね。

朝食:ごはん、ハムと白菜ときのこの中華炒め、目玉焼き、ほうれん草味噌汁

昼食:ホットケーキ、朝食の残り、イチゴ、牛乳

夕食:ご飯、キャベツときのこ入りポークチャップ、一口ヒレカツ、冷奴、ほうれん草ゴマ和え、ニラ玉汁

 一口ヒレカツは、お義母さんが買ってきてくれたもの。昇平や旦那にはボリュームある食事が必要だから、とても助かった。
 

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

フリースクールが再開しました



【募金感謝】
 昇平が通うフリースクールが無事再開しました。ご支援ありがとうございました。
http://homepage3.nifty.com/asakuratown/bokin-kansha.html

| | コメント (0) | トラックバック (0)

大震災16日目

3月26日 土曜日 天気:晴れ

 天気は悪くなかったが、寒い一日だった。今も避難所にいる人たちは大丈夫かな……。

 テレビは、NHKを除いて、ほぼ定時番組に戻った。震災直後から24時間生放送で震災特集番組を放送していたラジオ福島にも、少しずつCMや全国放送が入ってきた。2週間が過ぎて、福島も徐々に日常に戻りつつあるのだな、と思った。
 だから、私も意識して日常に戻っていこうと思う。まだまだ非日常的な生活ではあるのだけれど、日常を作っていくことで元に戻れるものも、あるような気がしている。

 兄ちゃんの部屋のファンヒーターを片づけて、部屋を広くした。その後、昇平にも手伝ってもらって、2階から旦那のコミックスの箱をいくつも下ろしてもらって、本棚に収めたり、箱のまま部屋の隅に積んだりした。お義父さんが、余震で家がつぶれると大変だから、重い本は階下へ下ろせ、と騒ぐので。それ以前に、危険だと言われている2階下の洋間で寝ていることのほうが、よほど問題のような気がするのだけれど。まあ、旦那としては、寝る部屋に本があるほうが、布団で読書ができて嬉しいだろう。

 義父、日中は倉の2階で落ちてきた箱屋に持つの片付けをしていた。「捨てるつもりでより分けておいたものを、また元に戻している!」とお義母さんが怒っている。お義父さんは、見た目が綺麗であることにこだわる人だからなぁ。そして、次に使ったり、倉の2階を取り壊したりするときにどうするか、ということは考えていないんだよね。やれやれ。

 お義母さんは座敷の障子の張り直し。地震で縦に横に揺すぶられたので、障子は桟の形にはがれていた。
 また、お義母さんの仙台の妹さんがお客さま。家は津波で流され、家財一切を失ったのだけれど、避難に使った車だけが残り、それに乗ってこちらに来られたのだ。帰るためのガソリンがもうないので、どこかで給油できるまで、お義母さんのもう一人の妹さんの家に滞在するのだという。旦那様のお姑さんの家に同居することにしたらしいけれど、布団などが足りないので、我が家からも使っていない布団などを持っていってもらうことにした。
 仙台の妹さんは、家も財産もあきらめたけれど、飼い猫とパッチワークの道具が流されてしまったのがつらくてしかたない、と話してらした。「そんなものなんて」とお義母さんたちは言っていたけれど、私は、なんとなくその気持ちがわかる気がする。猫は家族の一員だったし、パッチワークは生活の潤いや楽しみの象徴だったんだろう。
 ただ、一時行方がわからなくなっていた息子さんが無事だったことは、本当によかったと思う。

 午後は、昇平とWiiで「マリオパーティ」をやった。久しぶりで昇平とゲームをしたが、けっこう楽しかった。下手くそな私にも、昇平は優しく接してくれていた。

 その後、エアステーションのACアダプターが到着した。佐川急便が我が家まで配達してくれたのだ。「荷物が届いた!」と、ものすごく感激してしまった。
 注文先の中古パソコン屋の担当の方が、配送状況を心配して、わざわざ電話をかけてくださっていたので、着報とお礼のメールを送ったら、「無事に届いてほっとしました」という返事が来た。
 エアステーションは無事に起動。昇平のパソコンを予備のものと交換しようと思い、確認のためにパソコンを起動してみたら、音も動きも正常になっていた。あの異音はなんだったんだろう? 
 無線LANが使えるようになったので、昇平のPSPのアクセスポイントも使えるようになった。ショップで「クラシックダンジョン2」というゲームの体験版をダウンロードして、それをやっている。キャラクターを自分で作成・デザインできるところが気に入っているらしい。

 余震が減ってきたような気がする。二、三度強めのがあったが、震源地は宮城県沖だった。

朝食:ご飯、納豆、サバの味噌煮缶、キャベツとハムのソテー、キャベツ味噌汁

昼食:コッペパンにハンバーグやレタス、手作りピクルスを挟んだハンバーガー +ほうれん草と鶏モモ照り焼きのスパゲティ(昇平だけ)、焼きおにぎり(義父母)

夕食:ご飯、タラ粕漬け焼き、麻婆豆腐、ポトフ、野菜サラダ、もやし味噌汁

 すごく久しぶりで納豆が食べられた。幸せ~。
 昼食は、それ以前に作った料理の残りの使い回しだったけれど、美味しくできた。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

大震災15日目

3月25日 金曜日 天気:曇りのち雨

 震災からちょうど2週間が過ぎた。まったく、怒濤の2週間だった。

 家の中、特に2階は引っ越しの直後のように綺麗だけれど、生活の匂いがあまりない。まだ1階の兄ちゃんの部屋で寝ているから。一昨日の夜あたりから余震が減ってきたけれど、まだ時々強いのが来るので、洋服は着たままで寝ている。いつになったら安心して眠れるようになるかな。とはいえ、睡眠時間は、けっこうしっかり取っているけれどね。

 今日は、そっと、ひとりごとに大震災2日目と3日目の日記をアップした。けっこうサバイバルしてるなー。

 午前中は、昇平と自転車でスーパーまで買い物にも出かけた。かなりお客さんがいて活気があったけれど、商品の棚はもうがらがらだった。豆腐と挽肉が買えたので、夕食は豆腐ハンバーグにした。
 屋外に人の姿は少ないけれど、車は以前より動き出していた。少しずつガソリンが手に入りやすくなってきたらしい。
 外行く人は、ほとんど全員がマスクをしていたが、一日中外をバイクで走り回る郵便屋さんは、マスクなしで配達していた。

 その後、中学校の担任から、教材費の残金が出たので、学校まで取りに来てほしいという電話があった。この震災で、28日の離任式がなくなって、中学校へ登校する日がなくなったため。昇平がまた自転車で中学校へ受け取りに行ってくれたが、疲れたのか、つらかった中学校生活がフラッシュバックしてしまったのか、その後、精神的に調子が悪くなってしまった。

 旦那のスーパーは今日から夕方6時まで営業するようになった。帰りが遅くなるかと思ったら、7時過ぎには帰宅。まだ3時閉店と思っているお客さんが多くて、3時過ぎからは暇だったらしい。

 生協さんが、安否確認がてらお見舞いを持って回ってきてくれた。米1升と、ウーロン茶2リットル入りペットボトルと、カップラーメン1個。家庭巡回をしている全家庭にこうしてお見舞いを配っている、とラジオを通じて聞いていたけれど、本当に我が家にも来てくれた! と感激してしまった。放射能を怖がって物品も運んでもらえなかった相双地区やいわき地区も、そこの生協さんが回ったようで、生協ニュースに感謝のことばが載っていた。
 このお見舞いの品々は、先に被災した阪神地方や中越地方の生協の協力で実現したらしい。先の震災では、福島の生協からそちらへ支援に行ったから。被災して助けてもらった人たちが、「あの時のご恩返しに来た」といち早く助けに来てくれていると聞く。情けは人のためならず、ということわざを、今改めてかみしめている。

朝食:ご飯、ウィンナー、スクランブルエッグ、入り豆腐、ワカメと油揚げの味噌汁

昼食:ご飯、焼き鳥、キャベツ千切り、ワカメ味噌汁

おやつ:ホットケーキミックスで作ったどら焼き

夕食:ご飯、豆腐ハンバーグ、野菜サラダ、ナス炒り、ニラ玉汁

 ボイラーの配管が壊れて水漏れしていたが、思ったより早く部品が届いて、修理してもらえた。
 お義父さんは、歪んで開かなくなっていた障子の中心をジャッキアップし、つっかえ棒をして、障子を動かせるようにしてくれた。手伝わされたお義母さんは大変だったけれど、おかげで、風よけの段ボールを立てなくても暖かく眠れるようになった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2011年3月 | トップページ | 2011年5月 »