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2009年8月16日 (日)

終戦記念日~「記念日」の変遷考察~

  ※別のブログに載せた記事ですが、ここにも収録します。※


 今年もまた終戦記念日が来た。

 そして、このところ、よく聞くようになったのは、終戦に「記念日」をつけるのはおかしいんじゃない? という意見。今年はあちこちのブログで、ずいぶん大勢の人がこれについて書いていた。

 同じ意見は「原爆記念日」についても聞いたことがある。
 何十万人もの人が死に、今も多くの人がその後遺症に苦しむ原爆。それが落とされた日を「記念日」と呼ぶのは変でしょう。
 こちらは終戦記念日より、もっと早くから言われていて、いつの間にか、公式の場でも「原爆記念日」ではなく、「ヒロシマ原爆の日」「長崎原爆の日」と言われるようになった。
 だから、終戦記念日も、まもなく「終戦の日」とか言われるようになるのかもしれない。


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 私は手元にいつも三冊の国語辞典を置いている。
 1冊は「三省堂 新明解国語辞典 第二版」。昭和47年初版。編者には国語学者で有名な金田一京介や金田一春彦が加わっている。
 2冊目は「小学館 現代国語例解辞典」。昭和60年初版。
 3冊目は「ベネッセ 表現読解国語辞典」。2003年初版。つまり、平成15年の発行。

 家にあった国語辞典を集めたら、偶然こんなラインナップになったのだけれど、これがなかなか面白い。時代が下って今に近づくにつれて、辞書に載らなくなることばが出てきたり、同じことばの意味が変わってくるのがわかったりするから。


 この3冊で「記念」ということばを引くと、こんなふうに出ている。

1.三省堂
  ①思い出のために残しておく・こと(物) ②(過ぎ去った日の)記憶を新たにすること

2.小学館
  後世の思い出として残しておくこと。また、そのもの。

3.ベネッセ
  ①後の思い出として残すこと。また、思い出にしたもの。 ②過去の出来事を思い起こして祝うことで、記憶を新たにすること。


 微妙に意味が変わってきているのがわかるだろうか。

 「記念」というのは、本来、ある出来事を思い出にすることや、その出来事を思い出すことを示すことばだった。だから、「原爆」にも「終戦」にも、「記念日」ということばがつけられた。単純に「それを思い出す」だけの日だったから。
 ところが、平成になって編纂されたベネッセの辞書には、「過去の出来事を思い起こして祝うこと」とある。

 祝う!

 祝うのは、めでたい出来事だけ。悲し出来事や苦しい出来事、凄惨な事件は決して祝わない。だから、今の人たちは、「原爆記念日」や「終戦記念日」ということばに抵抗を感じるのだ。
 ことばは生きているから、時代と共に形や意味が少しずつ変わっていく。その中で、「記念日」ということばは、「めでたい出来事を思い出すための日」というニュアンスを持つようになった。それが、このところの「終戦に記念日なんて、おかしいんじゃない?」という論調を生んでいるのだろう。
 時代は移り変わり、ことばは変わっていく。


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 「終戦記念日はおかしい」と言うのは、若い人たちが圧倒的に多い。記念日が「お祝い」というニュアンスを獲得してからの世代だからだ。
 そして、そんなふうに感じてくれることを、私はとても嬉しく思っている。

 私たちは親が戦争経験世代だから、親や祖父母から戦争の体験談を聞くことができた。食べ物がなくてひもじかったこと、空襲が怖くてたまらなかったこと、戦争に行って帰らなかった人々……。原爆の恐怖と苦しさを自分の経験とことばで語ってくれる人も大勢いた。
 でも、今の若い人たちは、その親も戦争を知らずに育ってきている。太平洋戦争の記憶がどんどん風化していく中で、「悲惨だった終戦に記念日なんて、おかしくね?」と言ってくれる、彼らのその正しさが本当に嬉しい。


 終戦に記念日は変だ。
 戦争をいいもの、必要なものだなんて考えるのは、絶対におかしい。


 これからもずっと、大勢がそう言ってくれる日本であるように――。
 私は心からそう願っている。


Tourou2

 慰霊のために川を流れていく灯籠

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コメント

こちらではお久しぶりです。
全く同感でございます。
以前から、「終戦記念日」という言い方に違和感があって
しょうがありませんでした。
近年知ったことですが(恥ずかしながら)、
1982年4月の閣議決定で「戦没者を追悼し平和を祈念する日」と
定められているのだそうで、それまでは「終戦の日」と
呼ばれていたとか。
誰が「記念日」をくっつけたのでしょうか?
でも、いまだこれが普通にまかり通ってますよね。

拙ブログでもこれについて、ダラダラ書いてる記事が
ありますので前半部分をご参考に。

http://elinor-s-forest.at.webry.info/200608/article_16.html

投稿: Elinor | 2009年8月16日 (日) 21:20

>Elinorさん

コメントありがとうございました。
1982年の閣議決定で……というところは、私も認識していませんでした。逆に私は昔から「終戦記念日」と言っていたような気がしたものだから。

ただ、これに関して私も(簡単にですが)ネットで調べてみたら、そのうちにぼんやり思い出してきました。そうそう、そういえば、そんなふうに閣議で取り決めたことがあったね。ニュースでも言っていたし、その年の夏の甲子園から、8月15日には野球を中断して全員で黙祷を捧げるようになって、それがテレビにも映ったっけ……と。


Elinorさんがブログで書かれているように、終戦記念日が、「平和を祈念する日」の「祈念」から派生してきたもの、というのは、おおいにあり得るだろうな、と思います。
ただ、「終戦記念日」ということばも、ずいぶん広く使われていて、新聞の見出しなどになっていることも多かったと思います。
ただ、あの当時(1980年代)には、「終戦を『記念』するのはおかしい」と言い出す人はいなかったような気がします。


話はあちこち飛びますが、私の本家サイトの掲示板である、星空掲示板では、りしょう様がこれについて、「(記念日というのは)良いことも、悪いことも、どちらも記し(きざみつけ)念ずる(おもう・おぼえる)日だったのでしょう。」と書かれています。
これは、まったくその通りだったのだと思います。
それが、今では「過去の出来事を思い起こして祝うことで、記憶を新たにする」ための日に変わってきている。
だから、出始めた当時には普通に受け入れられていた「終戦記念日」ということばが、今では違和感を感じられるようになったのじゃないかな、と思っています。


ちなみに、「記念日」ということばが「お祝いする」の意味を持ち始めたのは、あの俵万智さんの「サラダ記念日」のあたりからじゃないかな、と思っています。
あのあたりでいろいろな記念日ができたし、それは概ね「何かの特別なできごとを祝う」ためのものだったような気がします。
「サラダ記念日」が出版されたのは1987年(昭和62年)のことだそうです。
だとすれば、やっぱり「記念日」が祝う意味を持ち出したのは昭和末期~平成に入ってから。
平成になってもう20年以上過ぎてますから、新しい意味もかなり浸透してきて、終戦記念日ということばを大勢がおかしく感じるようになった、ということかもしれません。


そして、ことばの意味の変遷や解釈はどうであれ、「戦争を祝うのはおかしい」と感じることは、人間として非常に正しい感覚だと、思うわけです。
超長文コメント失礼しました~。(m_m)

投稿: 朝倉玲 | 2009年8月17日 (月) 15:26

終戦の日に長男に
「戦争になったらどうする?」と聞いてみた。
「上から行けと言われたら行く。」と答えられた。
しばらく返答につまった。
『戦争はいやだ。』と(それっぽいニュアンス)答えを期待してたから。
「上って?」
「え?命令だよ。」
「・・・・。ママはやだ。戦争は嫌だ。
戦争は人殺しだ。ママは自分の子供が人殺しになるなんて
絶対嫌だ。」
私の方が子供じみているかもしれない。
と同時に
当時、『戦争は嫌だ。出兵しない。』と言える事は
どんなに困難かわかった気がした。
長男の答えに、深く悲しく考えこんでしまいました。

投稿: さゆた | 2009年8月18日 (火) 05:09

>さゆたさん

てくてく日記の「灯籠流し」のほうに書いたけれど、
終戦の日の前日に、夏祭りの灯籠流しを見ながら
昇平に戦争の話をしました。
わからないかな、と思ったけれど、
自分と同年代の子どもが戦争に行った話や
特攻隊の少年兵の話に、深く共感するところがあったみたいです。

そうやって、折に触れて「語って聞かせる」ことで
わかっていくことや考えが生まれてくるんだろうな、と思いました。
「戦争はいけないこと」と教えられても、
それを自分のものとして納得できなかったら、
ただの決まりことばにしかなりませんものね。

投稿: 朝倉玲 | 2009年8月18日 (火) 07:46

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