松島旅行・3
さて、松島旅行の3回目は、二日目に回った牡鹿半島の話。
宮城県北部沿岸は、リアス式で有名な三陸海岸の南端に当たります。牡鹿半島はその一部。沖合には鹿がたくさんいることで有名な金華山があります。
でも、今回の私たちの目的地は牡鹿半島のコバルトラインと、その南の外れにある鮎川港のおしかホエールランド。鮎川港は捕鯨基地として栄えた場所で、そこにクジラをテーマにした博物館があるのです。
館の入り口脇にあった、ミンククジラのかわいい彫刻。
館内のエントランスホールに立って頭上を見上げると、巨大なクジラのオブジェが浮いています。
これは館の横に設置された第十六利丸。綺麗に塗り直されていますが、本物の捕鯨船です。商業捕鯨全面禁止に伴って、捕鯨会社から牡鹿町に寄贈されたそうです。館内から船に上がって見て回ることができますが、機関長室、機関室、通信室、操舵室などが、当時のまま残されていて、この船で本当にクジラを捕りに行っていたんだ、と実感させられます。昭和63年の新聞もありました。(商業捕鯨全面禁止になった年)
第十六利丸の船首で捕鯨砲を構える昇平。これでクジラを狙って、太いロープがついた銛(もり)を撃ち出したわけですね。
これは絵巻に残っている昔のクジラ漁の様子。船と網でクジラを取り囲んで銛を撃ち込み、人が飛び移ってクジラにとどめを刺しています。吹き出す血が生々しい絵です。
正直、捕鯨の様子を写真や映像で見ると、残酷だな、と感じます。クジラがかわいそうだな、とも思ってしまいます。
でも、その次の瞬間に思い出します。何故、クジラだけがかわいそうなの? と。
昨夜おいしいと食べた魚料理だって、普段なにげなくスーパーで買って調理して食べている鶏肉や豚肉や牛肉だって、やっぱりどこかで誰かが捕まえたり屠殺したりしてくれているんですよね。クジラだけがかわいそうで、鶏や豚なら平気なんてことはない。じゃあ、かわいそうだから肉や魚は全然食べないようにしよう、と言われても、それは不可能なことだし。
人間は他の生き物の命をもらわないと生きていけない存在なんですね。
今、商業捕鯨が再開されても、昔のようにクジラを食べるようになるかどうかはわかりません。私たちでさえ、クジラ肉は大和煮の缶詰で食べたことがある程度。クジラ肉が一生食べられなくても、誰も別に困りません。
でも、昔は、貴重な自然の恵みとしてクジラを捕まえ、それを多くの人と分けあってきました。クジラ一頭を捕まえると、その浜中の人たちが当分楽に暮らせた、というのも聞いたことがあります。だからこそ、真剣勝負で巨大なクジラに挑んでいったわけです。生きるために、彼らはクジラを捕まえてきたんですね。
それはもう、かわいそうだとか、残酷だとか、そういう甘っちょろい感傷を越えた世界だなぁ、とつくづく思いました。
これは女川に戻ってからマリンパルというところで食べた昼食のメニュー。市場定食というもので、ムツの煮付け、キチジの焼き物などと一緒に、調査捕鯨で捕まえたクジラの刺身やさらしクジラの酢味噌和えなどが並んでいます。
生きることの厳しさや強さ、命の尊さを改めてかみしめながら、ありがたくいただきました。
いつだって、生きることは真剣勝負なのですね。
急激に悪化していくこの不況の中、どこも景気が悪くて大変そうに見えたけれど、それでもみんな一生懸命頑張っていました。ホテルの従業員も、観光地の案内係も、お店屋さんも、食堂も。潮の引いた干潟で何かを収穫していた漁業関係者も、湾内に船を出して牡蛎の世話をしていた人たちも。
昔も今も、みんな、本当に頑張って日々を生きているんですね。
だとしたら――私たちも頑張らなくちゃ。
そんなふうに思いました。
昇平の担任や、関わってくれた先生たちが大勢いなくなってしまって、とても不安に感じていたこの春休みでした。
でも、これからだって新しい出会いはあるし、これからわかってくれる人、助けてくれる人たちだって出てくるでしょう。
なんと言ったって、昇平自身がどんどん成長していきます。
みんな頑張っているんだもの。
私も頑張らなくちゃね――。
生きてさえいれば、きっと何かできるはずだもの。
リアス式の複雑な海岸線。
光る海、小さな砂浜と漁港、浮かぶ船。そして、湾の奥に寄り集まるようにして建っている家々。
それは美しい景色です。
でも、今回の旅で見た一番美しいものは、人の生きる姿だったような気がします。
心にいっぱい力と勇気をもらって、家に帰りつきました。
~松島旅行記・完~
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