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2008年6月 7日 (土)

野辺送り

 母方の祖母が亡くなりました。会津若松市に長く住んでいたので、私たちは「若松のおばあちゃん」と呼んでいました。
 満95歳でしたから、天寿をまっとうした、いわゆる大往生というものだと思います。そろそろ危ない、と昨年末頃から聞かされていたので、周りも覚悟はできていました。ただ、先日手術が成功してまた元気になった、と聞かされたばかりだったので、急な報せには驚きました。


 私は中学3年生から高校を卒業するまでの4年間、この祖母と祖父がいた若松の家に下宿していました。父が転勤の多い職場で、引っ越しになってしまうと、高校の転校がとても大変になったからです。今のような単身赴任はまだ一般的ではなかった時代のことです。
 多感な十代半ばの時期を、私はこの祖母と、すでに亡き祖父の元で過ごしました。ある意味、もう一組の私の親のような存在だったと言えます。本当の親とはまた違った立場で、いろいろなことを私に教えてくれました。それは、今でも私の中に生き続けています。


 祖母は花を育てるのがとても好きな人でした。
 若松の家の庭は、根雪に閉ざされる冬場を除いて、一年中綺麗な花であふれていました。
 そんな中、祖母は私にいろいろな花の名前を教えてくれました。サギ草、カタクリ、イカリソウ、ツツジとサツキ、サルスベリ……。
 このブログでは公園の花の写真をよく紹介しますが、祖母の庭で覚えた花の名前がずいぶんあります。花を愛でる心も、その時、祖母から教えられたのだと思います。


 祖父が亡くなってからも、祖母は一人で若松の家を守り続けていました。書道をたしなみ、俳句を作り、家の中に花を生けて、静かに、でも生き生きと暮らしていました。
 その祖母がいよいよ歳をとって、叔父夫婦と同居するために若松を離れるとき、祖母はいつもの場所にドライフラワーを生けたそうです。自分がいなくなって、水を交換する人もいなくなるから、その必要がない花を生けてきたんだ、と後に私に教えてくれました。
 その時のことを歌った句も、私に送ってくれました。


   枯れ物を取り混ぜ家を留守にせり


 結局、祖母は若松から離れた場所でその生涯を終えました。
 大好きな庭へ花の世話に戻ることはできなかったけれど、私の両親や叔父、叔母たち、孫やひ孫たちがよく祖母を訪ねていきました。どれほど老いても、病気になって死に近づいていくということは、やっぱり大変そうだったけれど、それでも幸せな人生だっただろうと思います。

 葬儀は身内だけの家族葬だったので、存分に祖母に別れを告げることができました。みんながそんなふうに集まって和やかに過ごしたので、祖母も喜んでいただろうと思います。
 私は一番年上の孫だし、一番世話になったということで、孫代表として弔辞を読みました。本当に、いろいろなことを祖母から教えてもらったなぁ、と改めて思い出して感謝をしました。
 これからは、祖母は天国で祖父と一緒に私たちを見守ってくれるのでしょう。私たちがこの世を一生懸命生きていくことが、おばあちゃんたちにとっては一番嬉しいことなのだろうと思います。


 若松の家の庭は、手入れをする人がいないので、すっかり荒れてしまったと聞きました。
 枯れてなくなった花もあるでしょう。
 でも、祖母が大事にしていたバラの木は、今でも庭の花壇にあるような気がします。今は6月、ちょうど花の季節です。主人がいなくなっても、今年もまた花を咲かせていると思います。
 そこで、私も一句詠んでみました。


   荒れ庭に薔薇咲き誇る 野辺送り


 天国のおばあちゃんへ贈る句です。

 

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コメント

ご冥福をお祈りします。(-人-)南無

投稿: 沼ぼん | 2008年6月 7日 (土) 12:38

ありがとうございます。
天寿をまっとうして、幸せな人生の祖母だったと思います。

投稿: 朝倉玲 | 2008年6月 7日 (土) 12:40

なんとなく、そうだろうなぁと思ってました。
私の母方の祖父も4月末に亡くなりました。
その時、隣の家の小さな女の子が
おばぁちゃんといっしょに
大輪の白いカサブランカをもってきてくれました。
その白い大きなカサブランカを見て
「おじいちゃんは幸せだったんだろうなぁ・・・。」
と感じいりました。

薔薇の花が雨に濡れている気がします。

投稿: さゆた | 2008年6月 7日 (土) 14:24

今日は午前中から昼寝ばかりしています。
目を覚ますと意外なくらい時間が過ぎていて、自分で驚いてます。(笑)


本当にね、
人間、いろいろなものに価値や幸せを見いだすけれど、
こんなふうに人生の最後に面したときに
何が残るのかなぁ、と思うと、
やっぱり「満足して生きられたかどうか」ってことなんじゃないかな
と感じました。

激動の時代を生き抜いた祖母だから
いろいろ苦労した時もあったようだけれど、
きっと、満足して逝ったのだろうと思います。

それに、
人に迷惑や心配をかけるのを本当に嫌がった人なので、
あまり長く苦しむこともなく逝けて
その分、周囲にあまり苦労をあかけずにすんだことを
きっと今頃喜んでいるんだろうなぁ、とも思います。


告別式の朝までかなり強い雨が降っていたけれど
式が始まる頃に雨が上がり
出棺する頃には晴れ間がのぞいてきました。
おばあちゃんは「晴れ女」だったんです。
最後の最後までそうだから、
なんだかいかにもだな、と可笑しくなりました。

投稿: 朝倉玲 | 2008年6月 7日 (土) 14:56

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