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2008年3月17日 (月)

おとーとの愛娘弁当

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 おとーとが4才の愛娘のために作ってあげたお弁当の写真です。
 んまそーだったので、アップしちゃいました。(ちと写真でかかったか? 笑)

 ちなみに、メニューは以下の通り。


  骨付き鳥唐
  きのこと豚肉の醤油炒め
  甘い卵焼き
  生野菜のゴマだれサラダ(市販のゴマだれ+砂糖少々)
  おいなりさん(にんじん、シメジ入り)


 おいなりさんも、ちゃんと油揚げを煮て作ってます。
 相変わらず手まめなクッキングパパだねぇ。(笑)

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2008年3月 1日 (土)

結果がすべての世界~卒業式の祝辞に思う~

 今日は長男の高校の卒業式だった。
 昔ながらの厳粛な雰囲気の式次第の中、
 理事長の祝辞が型破りな感じで面白かった。
 いわく、
「君たちはこれまで努力がなによりも尊い、
 と言われる世界に生きてきたかも知れない。
 でも、これから君たちが出て行こうとする社会は、結果がすべてです。
 どれほど努力をしても、結果が出なくては努力も認められることはありません。
 そういう厳しい世界が現実の社会なのです。」

 だから、結果につながるように、最後まで頑張り通しましょう、
 という話につながるのだけれど。
 さらに、
「どれほど努力してもどうにもならないことがあるのも現実です。」
 なんて話も付け足されたりして。

 これから社会へ第一歩を踏み出そうとしている高校の卒業式だけあって、
 小学校や中学校の卒業式とはひと味違うな、
 もしかしたら、この学校、この理事長独特の持ち味かもしれないな、とも思って
 私などは面白がって聞いていたのだけれど。

 
 そう、この社会は結果がすべて。
 結果が出ないことは誰からも認められない。
 目に見える結果、目に見てわかる数字が出なければ、
 その努力は認められることがない。
 結果のでない努力は、確かに、やらなかったことと同じ。
 それが現実。

 うんうん、と頷きながら聞いたけれど。


 ――だけど、

 と心の中で笑ってつぶやいている、もう一人の私がいた。

 ――それは、主に男の人たちの論理の社会だよね、と。


 子育ては、結果なんか出てこないことが多い。
 事業でもなんでも、よく一年ごとの成果の報告を、と言われるけれど、
 そんなに短い期間で出てくる結果なんて、
 子育ての中ではたかが知れている。

 長い長い時間がかかる子育て。
 そこに「結果」を求めてしまったら、
 子育てしていくことはつらくなる。
 いつまで進んでも見えないゴール。
 ゴールかと思えば、そこが新たなスタートラインなのだと、
 いつまで走っても終わりがない徒競走なのだと、
 何度も何度も思い知らされて、
 そして、いつか疲れ果ててしまう。

 結果だけを求めてしまったら。


 子育てにゴールはない。
 子どもが有名な大学や会社にはいることが結果でもない。
 子どもがどこに進むかで、
 その親の出来不出来を評価する人間は確かにいるけれど
 そんなものはナンセンス。(笑)

 子育てっていうのは、そんなものじゃない。 
 そんなもので、子育てを評価することはできない。


 途中経過こそ、結果のでない日々の積み重ねこそ、
 子育ての本当の姿。
 だからこそ、その途中経過を楽しむ。
 我が子が見せる一瞬の優しさ、ほんのわずかな成長、
 そんなものを喜びながら、愛おしみながら
 それを糧に今日を明日へとつなぐ。
 一人の子どもを未来へとつなぐ。


 それは女の理論、女の社会なのかもしれない。

 でもね――
 そういう慈しみの世界の中で、
 男の人たちも育まれてきたのだよね。


 結果がすべての社会。それは確かに現実。
 特に、今まで母親的な優しい世界でだけ生きてきた高校生たちに
「これから厳しい現実が待っているぞ、だから負けるなよ」
 とエールを送ることは意義があると思う。

 だけど、世界のもう半分には、
 結果を持たない社会もある。
 途中経過こそを大切にする世界もある。

 それもまた、現実。

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