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2007年10月10日 (水)

完璧な教師なんていない

 どこに書こうかと迷って
 やっぱり、ここかな、と。


 昨日の夜、知人から電話がありました。
 学校の担任の対応や学校の対応に疑問がある、と
 延々40分以上話していました。

 発達障碍を持つお子さんの親です。
 学校への期待も大きかったのです。
 学校側の対応がまだまだ追いつかないのもわかっています。

 でも。

 と、そこで考えてしまうのは、
 やっぱり私がかつて、学校の先生になる勉強をしてきたから。

 私があのまま教師になっていたら
 私は親の期待に応えられるほどの指導をできていただろうか。

 大切な子どもたち。
 親が健やかな成長を願うのは当然のこと。
 学校や教師や担任に、あれをこれを、と望むのは正当なこと。

 だけど。

 教師だって、人間なんだよなぁ。

 私が教師になっていたら?
 果たして、それができていただろうか?

 悩みながら、つまづきながら、
 あれこれ試して進んでいく。
 迷ったり間違ったり、
 子どもたちや親たちに
 「ごめんね、至らない先生でごめんね」
 と謝りながら、
 必死で教師であろうとしたんじゃないだろうか。

 ……それがわかっていたから
 私は教師にはならなかったんだけれど……

 きっといつか、
 自分で自分を追い詰めてしまうだろうとわかっていたから。

 東京では
 新任2か月の教師が自ら命を絶ったという。
 それは私にとって、決して他人事には聞こえない。

 共に歩む行き方ではだめですか?
 教師は最初から完璧でなくてはいけませんか?

 ちょっとでも間違った指導をしたらだめになるほど
 子どもたちは頼りなく、力ない存在ですか?
 反面教師という学び方もまたある、とは考えられませんか?

 子どもたちが追い詰められるような指導はいけない。
 子どもたちの尊厳を無視するような教師もいけない。
 だけど、未熟や経験不足は
 共に経験を増やして歩いていく方向で
 親と教師、手を取り合うことはできませんか?
 最初から完全なんてありえない。
 すべて完璧なんてものは絶対に存在しない。

 教師にだって、育つ時間は必要。
 完璧になれ、と教師を責めることで
 逆に教師をつぶすような親には
 なりたくないな、ならないでほしいな、と


 知人の電話を切った後で考えた。

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