今日は私の誕生日です。○歳になりました。(何歳かはHPのプロフィールでも見てください。笑)
この歳になって考えていることが三つあります。
一つは、四十過ぎってもっと大人だと思っていたんだけどなぁ、ということ。
子どもの頃、三十、四十の人たちは、本当に立派な大人に見えていたんですけどね。何でもよく知っていて、良識があって、判断力と落ちついた行動力があって……。
まあ、二十代の頃と比べれば、今の方が経験値が上がっている分、うまく立ち回れるところはありますが、それにしたって、子どもの頃考えていたような「落ちついた大人」じゃないのは確かです。中身は十七、八歳の頃から全然変わっていない気がしますから。
これは、旦那も同じことを言います。たぶん、今この年代にある人たちの共通の感想なんでしょうね。
それだけ日本人の気持ちや考え方が若くなっているのか、それとも、実際の四十過ぎってのは、昔からこんなものだったのか。
「まだまだ青いよなぁ」と自分自身に笑いながら、では、いったいいくつになったら、自分は大人になった、と実感するんだろう、と考えています。
七十、八十にならないと、無理なのかしら。(笑)
考えていることの二つめは、昔も今も、結局自分がやってることは変わらないな、ということ。
今、それこそ、とても一生懸命創作活動をしているのだけれど、それは学生の頃からやっていたことと同じで、考えたら、子どもの頃からやっぱり「書くこと」は大好きで。
ずーっと、四十数年間、同じことを続けてきたんだなぁ、と改めて思います。
これはきっと一生続くんでしょうね。自分に書ける限り、ずっと、何かしらの形で書き続けるんでしょう。
三つめ。
ここまで生きてきて、幸せだったな、ということ。
客観的に、他人の目から見たとき、私が幸せに見えるのかどうかはわからないけれど。
子どもに障がいがあるとか、同居している舅がうるさいとか(笑)、金がないとか、なんたらかんたら、そういうものを基準に「つらいでしょうね」と言ってくる人はいるのだけれど――。まあ、確かに大変は大変なんだけど、それはそれぞれ人によって「大変」の形が違うだけ、という気がするし。
なんと言っても、私は基本的に、「超」主観人間なので、はた目から自分がどう見えようが、自分が幸せだと感じているなら、やっぱり幸せなんだと信じていられるんです。
おめでたい人間とも言います。(笑)
でも、どうせ生きるなら、他人と比較した自分で不幸を感じているより、おめでたい自分で幸せな日々を感じ続けている方が、ずっと楽しく生きられるから、やっぱり自分はこのままでいいな、と思います。
世渡り下手なのは生まれつき。小ずるく生きるのは基本的に無理。「お人好しになんてなってられないから」と言う人もいるけれど、私は「お人好しだっていいじゃなぁい?」なんて考えてしまうから。
まあ、清水の次郎長じゃないけれど、「馬鹿は死ななきゃ治らない」って台詞もあるくらいだから、きっと、このあたりも、一生私はこのままなんでしょうね。いわゆる「幸せなヤツ」。ふふ、ならば一生貫いて見せましょうか、この生き方。
今日は私の誕生日。四十数年前のこの日、私はこの世に生を受けました。
いろいろな人に巡り会ってきました。子どもたちも生まれてきました。それぞれに、課題を抱えながらも懸命に成長しようとしている子どもたちです。その姿を見守れる今の生活が楽しいな、と思います。例え金はなくても、自分らしく生きている今の時間が嬉しいな、とも感じます。
全部、この世に生まれてきたおかげで手にしているものばかりです。
だから、誕生日はやっぱり嬉しい。この世に生まれてこられて、嬉しいから。
この世に私を生んでくれた両親に感謝。この世で出会った人と物と出来事に感謝。
これからも、一年一年、自分らしく生きていけたらいいな、と思います。
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