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2007年3月31日 (土)

平原綾香「しあわせ」

 「しあわせ」は平原綾香さんのニューアルバム「そら」に入っている曲です。作詞 松井五郎、作曲 A. Gagnoon、編曲 島 健。 「ボイジャーズ」や「クリスマスリスト」といった華やかな曲や、心癒す数々の曲の中でも、特に静かで小さな作品です。
 でも、私はこのアルバムの中で、たぶん、この曲が一番気に入っています。伝えてくるものが今の私の心情にぴったり来ているから。
 歌詞を載せられないのが残念ですが、人と共に生きるということを謳う歌です。共に生きるって素晴らしい! と讃えるのでもなく、一緒に生きようよ! と呼びかけるのでもなく、ただ静かに語りかけるように、自分の内側にある気持ちをとつとつと語るように、静かに歌います。なかなか伝わらない人への想い。迷いながら、惑いながら、人の前で立ちすくむ気持ちを感じさせながら、それでも、「どこかではなく いつかでもない いまここにいることが 答えと信じて」と。

 人と関わる、ということは、そういうものじゃないかなぁ、と最近とても思います。
 想い通じてほしい相手がそこにいる。それは、恋愛とかそういうことに限らず、いろいろな場面、いろいろな理由で、気持ちをわかってほしい、と思う人。でも、なかなか思うようには伝わっていかない。自分の非力をかみしめながら、もうやめようかと悲しく投げやりになりながらも、「でも」と踏みとどまって、その人を見つめてしまう。
 本当は大好きな人。本当は力になって上げたいと思っている人。そばにいるよ、と言ってあげたいのに、その気持ちがなかなか伝わっていかない人。そういう人を前に、立ちすくんでとまどってしまっている自分。
 だけど、そういうふうにその人を想いながら、たどたどしく関わっていること自体が、本当に、もう「答え」なのかもしれません。

 たぶん、人とかかわっていくことに、「正解」は存在しない。
 友達の間であっても、親子の間であっても、夫婦でも――これが正解、これが一番いい、というやり方は存在しなくて、いつも、相手をわかりきれない苦しみを味わいながらも、「一緒にいる」そのことで続いていく。
 それでいいんじゃないかな、と思います。

 人生を四十年以上も生きてくれば、人生の先に華々しい成功や誰もが納得するような素晴らしい幸せが待つわけじゃないのはわかってしまいます。
 人生はおとぎ話のように、「そして主人公は幸せになりました。めでたしめでたし。」で終わるようなものではなく、なんとなく、ずうっと、死ぬまで続いていくもので。その中には喜びも悲しみも苦しみも、まるで大小の石や宝石のようにちりばめられていて。
 その中を歩きながら、誰かと共にいたい、と願うこと、そのことが幸せの本当の姿なのかも、しれません。


平原綾香「そら」
  試聴もできますが、残念ながら「しあわせ」は聴けないようです。 

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2007年3月27日 (火)

「帰ってきた時効警察」

 このところ、とても真面目な雰囲気の記事が多かったのですが、ここに来て、がらっと雰囲気を変えて、軽く楽しめるドラマのご案内です。
 1年あまり前、深夜の時間帯にやっていた「時効警察」。主役のオダギリジョーが大好きで、旦那と一緒に眠い目をこすりながら毎回観ていたのですが、ついにこの4月から「時効警察・2」ならぬ「帰ってきた時効警察」というというタイトルで、キャスティングもそのままで、また開始されるそうです。
 わーい、やったぁ!!\(^O^)/

 情報音痴でテレビもほとんど観ない私が、何故気がつけたか? 今回も旦那のおかげでした。(笑)
 旦那、今、インフルエンザで寝込んでいます。タミフルのおかげで熱は下がりましたが(錯乱は起こしていないようです)、家族にうつしては大変なので寝室から出られない。昼下がりのテレビを観ていたら、人気ドラマリターンズというコーナーで「時効警察」の第一話が放映されて、さらに4月から続編が放映開始というCMが流れた、というもの。
 旦那と一緒に喜んで観ちゃいました~♪ 第一話は見逃していて、ラストしか観ていなかったんです。料理研究家が元夫を殺してしまい、時効を迎えたのだけれど、主人公の霧山くん(オダギリジョー)が趣味でそれを捜査して真相を暴き、犯人には「誰にも言いませんよカード」を手渡す……。記念すべき第一作目です。
 ラスト15分だけでも面白くて、その後、旦那と一緒に全話観てしまったわけですが、今回改めて第一話を観て、「たしかにこれは良くできている」とうなずきました。
 すごくハイパーです。すっとんでる。わけわかんないシーンも、キャラクターも、意味不明なやりとりも、山ほど出てくる。いかにも深夜にしか放映できそうにないドラマなんですが……でも、めちゃくちゃ面白い!! 今回も大笑いして観てしまいました。
 これって、脚本が凝っている上に、遊び心満点で、しかも役者さんたちがすごく上手だからなんですよねぇ。オダギリさん、久しぶりにお顔を拝見したけど、やっぱり良いですわぁ。「クウガ」の頃からファンだったけど、やっぱり大好き♪ ……あ、えーと、旦那の次にね。(爆)

 「帰ってきた時効警察」に関しては、ホームサイトに情報が載っています。興味のある方はご覧ください。
 放映時間帯はまた深夜。また夜中に起き出して旦那と観るか、さすがに今度はビデオに撮ってみるか。う~ん、悩むなぁ。(笑)

  「時効警察」オフィシャルサイト http://www.tv-asahi.co.jp/jikou/

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2007年3月23日 (金)

雪の中の星

疲れ果てて、ただ佇む。
雪の降る空に星が光っている。
雪も星も白く輝きながら入り乱れている。

わからない人々に語りたくはない。
わかってもらえないことに、いっそう疲れ果てるから。
わかってしまう人々にも語りたくはない。
同じ苦しさを思い出させて、聞かせただけで疲れさせてしまうから。

だから、私は黙る。
何も言わずにただ雪と星を見る。

泣けるっていうのはさ、もしかしたら、まだ幸せってことかもしれないね。
泣いたって嘆いたって何も変わらないとわかってしまっている時には
人は泣くことさえしなくなるんだよね。
ただぽかぁんと立ちつくすだけなんだよね。

辛さ悲しさは昨日もあった。
同じ苦しさは今日もある。
そして、明日にだってやっぱりあるんだろう。
それがわかっているから。

泣かない。嘆かない。怒らない。
そんなことをしたって無駄だとわかっているから。

だから、私は笑う。
雪と星の空を見上げながら。
そうして、不安げに私のかたわらに立つ君を抱きしめる。
大丈夫だよ。心配ないよ。
君はとってもいい子だよ。
本当にとってもいい子だよ。
だから、心配しなくていいんだよ。

君に笑ってあげよう。怒る代わりに。
抱きしめてあげよう。嘆く代わりに。
愛を上げよう。ほほえみを上げよう。涙の代わりに、悲しみの代わりに。

雪の中の星。星の中の雪。
遠く近く白く輝くものたちは、ひとつに絡まり合いながら、地上に降りそそいでくる。
冷たく美しく光りながら。

抱きしめてあげよう。凍えないように。
昨日に続く今日、今日に続く明日。
過ぎていく時間をただ当たり前に生きながら。
泣けないならば、笑っていこう。
雪の中に星を探そう。
遠い遠い空の中に星を探していこう。

君はいい子だよ。
君を愛しているよ――。

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2007年3月16日 (金)

親が子に伝えていけること

 親は子に伝えていく。
 その体型も、体質も、性格の基本も、能力も、特性も。
 親とそっくり同じ形で出ることはないかもしれない。
 けれども、子が持つものは、まぎれもなく親から伝えられてきたものだ。

 いいものだけが伝わるわけじゃない。
 良くないものも、困ったものも、いいものと同じように子に伝わっていく。
 なんの分け隔てもなく。

 親からもらい受けたものを資本に、子はこの世界を生きていく。
 欲しかったのにもらえなかったものもあるだろう。
 生きにくいものをもらってしまってもいるだろう。
 子も親も、受け継ぐものを選ぶことはできない。

 人より少し生きにくいものを多く受け継いでしまった我が子。
 本当はもう少し楽な生き方ができるように、
 生んであげられるものなら、あげたかったけれど。
 それは親にできることではなかった。

 だから、せめて、私は
 親として君に、人を信じる心も伝えてあげよう。
 この世には悲しいことや怖いことが渦巻いていて、
 いじわるな人も非情な人も残酷な人も大勢いる。
 もともと生きにくさを抱える君には、なおさらに生きにくい世界ではあるけれど。

 でも、そんな世界にも、
 優しい人たちは必ずいる。
 何の見返りも期待しないで、
 君を助けよう、君の生き方を応援しよう、と考えてくれる人たちが、
 間違いなく、この世界には存在するから。

 そんな人たちと出会ったときに、
 君がその人たちの優しいことばを信じることができるように。
 私は君に、人を信じる心も残していこう。

 それは素敵だね、と誉めてくれることば。
 それはやっちゃいけないよ、と諭してくれることば。
 あの人はこんな気持ちでいるんだよ、と教えてくれることば。
 君はこうするとうまく行くかもしれないよ、とアドバイスしてくれることば。
 そんなものを信じていくことができたら、
 困難を抱えていたって、君は人生を生きていきやすくなる。
 そして、君に向かって、
 「そんな君が大好きだよ」と言ってくれる人は、きっと増える。

 だから、私は親として、
 君の中に、素直さを育てる。
 人のことば、人の気持ちを信じられる心を育てる。
 
 この世界は怖いもの。この世界に住むのは残酷な人たち。
 だけど、その世界に同時に存在する、優しい人たちのことを
 君が信じていけるように。
 その人たちがきっと、君の人生を助けていってくれるから。

 それは、子を産んだ後に、
 親が我が子に伝えていけることだから。

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2007年3月12日 (月)

当事者と家族の身になった支援を!

 この週末は多忙でした。土曜日は所属しているADHDの家族会の総会。日曜日は、子育てに関わる人たちの学習会で親の立場からアドバイザーをするよう仰せつかり、二本松市まで行ってきました。
 発達障害に関係する様々な支援の法制化に伴って、日本中に追い風の吹く中、でも、本当にやる気があって集まる人たちはごく少数です。うちの家族会は福島県の中でもかなり名が通っていて、関係者に名前を出しただけで、「あの団体の!」と言われてしまうほどですが、実際には広い福島県内に会員が散在している状態で、会合や学習会を開いても、十数名が集まるのがやっと、というのが実情。そこに、各種関係者から、「あれをやりませんか」「これをやりませんか」「こういう内容のことをやってくれませんか」。……我々は、普通の主婦の集団です! このご時世だから、夫婦共稼ぎの家庭も多いです! しかも、子どもは障害児だから、簡単に誰かに預けるというわけにもいきません! そういうことを言うならば、それをするのに充分なだけのお金と人手を私たちにください! と言いたい。

 啓蒙のため、子どもたちのため。環境は整っていなくても、まず走り出すのが大事。
 それは本当にそうなのです。
 翌日の学習会に集まった人数は、決して多くはなかったけれど、子どもの育ちを支援しようという方たちの意欲や、障害ある我が子のためになんとかヒントや手だてをえようとする親御さんの気持ちは、とても強く感じました。でも、何かを始めよう、何かに取り組もうとすると、その動き出した人たちに大きすぎる負担がかかるのが実情です。
 たとえば親の会で助成金を申請して、いただいたお金でイベントを開いたり、備品を購入したりしますが、その後の報告書の量の半端じゃないこと! 特にお役所関係の助成金はそうです。
 チョロチョロと目の話せない子どもをかたわらに、やっと親同士の連携をとって、なんとか都合を合わせながら会合や学習会を開いているのが現状なのに、そこに、「それを仕事にしている人の感覚で」大量の書類の提出を求めてくる。書類の内容も、厳密かつ厳格。(ついでに助成金の使い方に関しても。)
 もう少し、活動をしている親の立場に立ったやり方というのは考えられないのかなぁ、と溜息が出てきます。

 追い風が吹くのはありがたいです。我が子が生きやすく、暮らしやすくなるためになら、本当に、あらゆる動きが出てきてほしいと思います。
 でも、親が子どもや家族を抱えて家庭を営んでいる、という現実もまた、忘れないでほしいのですね。
 家庭は基本。家庭が滅茶苦茶の状態で、わが子の支援なんてありえない。泣き叫ぶ我が子をほったらかしにして、公から求められた活動に走り回らなければならないとしたら、こんな本末転倒な話はないですから。
 今回私がアドバイザーで参加させてもらった学習会の際には、主人が休みを取れたので、主人に子どもを頼めたから良かったのですが、そんなふうに都合がつかない人だって、大勢いるのです。
 追い風が吹くのはけっこう。でも、その追い風で、肝心の当事者や家族の乗った「家庭」という名の船を転覆させないように。
 人によっては、子どものためなのに、なかなか集まりや活動に参加してこない親たちに、イライラしている専門家もいるのかもしれません。せっかく補助すると言っているのに、なぜ乗ってこないのだ、と思っている行政関係者もいるのかもしれない。
 でも、現実には、親は家庭と両立しながら、子どもを守り育てることを保証されながらでなければ、そういう活動には参加していくことはできません。家族も顧みず、公の活動に献身的に参加してくれる親もいます。本当にありがたいと思います。だけど、そのしわ寄せはその人の家族に行きます。そこには、まさしく支援されるべき「当事者」も含まれています。
 誰かを犠牲にした上に成り立つ「支援」は、支援ではないのです。

 「子どものために」と親を駆り立てることのない。
 家族や当事者たちの気持ちや立場にたった手助けができる。
 そんな本当の支援が実現していってほしいな、と、つくづく考えていたこの二日間でした。

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2007年3月 4日 (日)

笑顔の日常

 今の苦労を耐えることで、将来大きな幸せがつかめる、という考え方がある。
 だから、苦しくても負けずにがんばれ、という意味で使われるけれど。
 子育てや毎日の生活のような日常の中では、あんまりその考え方を使いたくないなぁ、と私は思う。
 日常は毎日毎日繰り返されるあたりまえの時間。だからこそ、気持ちよく楽しく過ごしていたいと私は思う。

 笑顔のある生活がいいな。笑いが絶えない子育てがいいな。
 みんなが楽しくて、みんなが気持ちよくて――誰かだけが我慢するのじゃなく、誰かが必死に支えるのじゃなく――みんなでちょっとずつ我慢しながら、それぞれに笑っていられるような。
 そんな家庭がいいな。

 日常は毎日の自分を支えるもの。
 地味でも、そこから得るエネルギーは計り知れない。

 だから、私も家族の犠牲にはならない。自分自身の楽しみや幸せを見つける。
 みんなと一緒に、私も笑顔でいたいから。

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