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2007年2月28日 (水)

「できないことは、できない。」

 最近、我が子を見ていてつくづく感じていることの一つに、「できないことは、できない」んだなぁ、というのがある。
 まあ、特に小学5年生の次男に言えることなのだけれど、高校2年の兄ちゃんだって、やっぱり同じように「どうしてもできない」ことはある。
 次男の場合は、できないことがとても多い。発達障害というものを持っているからなのだけれど、たとえば大勢の中にいると、前で大声を上げる人がいても、話が聞き取れなくなる。周りの状況もよく読めないものだから、自分が何をすればいいのか、何をしろと言われているのか、全然理解することができない。だから、35人学級の通常学級では自力で授業についていけなくて、6人という小集団の特別支援学級(特殊学級)で学んでいる。片手におさまるくらいの人数の中であれば、ちゃんと授業内容も、自分が言われていることもわかるし、安心して生活することができるから。自分がどんな状況にあるのか、何をしなくちゃならないのかわからない、ということは、周囲が思っている以上に、本人を不安にするんだよね。
 一方兄ちゃんはと言うと、別に大集団でも何も困難はない。ずっと通常学級にいたし、友だちも大勢いるし、中学では部活動もがんばってきた。親に似ず、案外運動神経は良いらしい。
 だけど、兄ちゃんは数学が極端に苦手。とにかく苦手。
 私は実は学校の先生の勉強をしてきたから、兄ちゃんの受験の際には、勉強を見てやったりした。その結果思い知らされたのが、「できないものは、できない」という限界。数学に向いていない人間ってのはいるもんだなぁ、と思うしかなかった。結局、兄ちゃんは数学に足を引っ張られて、第一志望の高校に入れなかったし。

 障害があろうがなかろうが、人というのは、やっぱり「できないこと」を抱えているんだろうと思う。
 かくいう私も、「できないこと」は山ほどある。その中でも特に苦手なのは、運動。球技、陸上、その他もろもろ、とにかくスポーツと名がつくものは、すべて駄目。唯一まともにできるのがボーリングなのだけれど、それでもアベレージ百ちょっと行く程度。決して得意というわけじゃない。しかも、ボーリングは学校の体育にはなかったし。(笑)
 だから、私は学生時代、自分自身の身をもって、「できないものは、できない」と思い知ってきた。
 どんなに根性出そうが、どんなに努力しようが、駄目なものは駄目。必死でがんばって、がんばって、山ほど練習して、やっと逆上がりができるようになったのが中学2年生の時。でも、これって普通は小学2年生だってあたりまえにできること。そんなものなんだよねぇ。ちなみに、その後、体育で鉄棒の授業が終わったら、私はまた逆上がりができなくなってしまった。(苦笑)

 だけどなぁ、と思う。
 次男は確かに大人数の中で生活するのは大変な子だけれど、少人数の中でなら生き生き暮らせるし、力も伸ばしていける。絵を描くのが大得意だし、好きが高じて、教えてもいないのにパソコンのグラフィックソフトを使い出したのも彼。兄ちゃんは、使い方をきっちり教わらないと、パソコンなんて使えるようにならなかったのに。
 兄ちゃんは今でも数学は大の苦手。試験のたびに、点数は赤点すれすれらしい。なんとか赤点をまぬがれてくるだけすごいと思うけれど。でも、兄ちゃんは国語が抜群に得意。漢字も大得意で、高1の時に漢検2級に合格している。古文もテストのたびに高得点……。
 私も、運動は苦手だったけれど、その代わり、本を読んだり文章や絵を書いたりするのは大好きで、本当に毎日そんなことばかりやっていた。それでどうなったかというと、今のこんな私がいるわけで。

 人って、やっぱりデコボコなものなんだと思う。
 できないことがあって、できることがあって。全然丸くない存在。
 がんばって、できるようになることなら、がんばればいいと思うけれど、どうしたってできないとわかったら、それはすっぱりあきらめて、別の強い方でがんばる方が結局は得策じゃないかなぁ、なんて考える。
 あたりまえのことなんだけどね。本当に、あたりまえのことなんだけど、次男みたいな子どもにかかわっていると、そのあたりまえを忘れて、「できないことだけど、できるようになれ」と言われている子どもを見ることがよくあるものだから。
 まあ、その子が「できない」のか、「がんばれば、できる」のか、「工夫次第でできるようになる」のか、そのあたりの判断というのはあるから、なんでも、やってみなくちゃわからないとも言えるけれど。
 その結果、「やっぱり無理」と思ったら、別の道を探していく方が、本人も周りも楽なんじゃないかなぁ、なんて。

 本当に、最近よく、そんなことを考えている。
 

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2007年2月17日 (土)

「フラガール」が日本アカデミー賞最優秀作品賞

 第30回日本アカデミー賞で映画「フラガール」が最優秀作品賞・監督賞・助演女優賞・脚本賞の四部門を制覇した。
 「フラガール」1965年に廃坑になった炭坑町で、町の再興をかけて一大娯楽施設を作り、炭坑娘たちがフラガールとなって、フラダンスに一生をかけていく……というストーリー。
 と書いてしまうとなんだけれど、これは実は、私が住んでいるこの福島県の、いわき市湯本(ゆもと)にある「常磐ハワイアンセンター」(現「スパリゾート・ハワイアンズ」)設立時の物語。ハワイアンセンターと言えば、我々福島県人には、もうなじみがありすぎるくらいある娯楽施設なのだ。
 子ども会の旅行と言えば、何年かに一度は必ずここを使うし、家族旅行で行ったことも何度もある。温泉町だから、わき出す温泉を利用して巨大な屋内プールを作り、巨大な船のオブジェを置き、そこを舞台に、本格的なフラダンスやタヒチアンダンスを見せてくれる。泳げて、遊べて、見ても楽しく、宿泊もできる……というところ。ちなみに、スパリゾート・ハワイアンズになってから、日本一大きな露天風呂というのも作った。今でもあれは「日本一」の露天風呂なのかな。夜に入りに行くと、湯煙と和風の設備が相まって、なかなかよい雰囲気だったのだけれど。(温泉施設の方は和風に作ってある。)
 とにかく、福島県人にはなじみのあるハワイアンセンター設立の物語が、映画になった、というだけでも話題だったのに、それが日本アカデミー賞でいくつもの賞を受賞した、となると、これはもうびっくり! の一言。
 いや、映画を見に行った親戚などは、口を揃えて「いい作品だった~!」と言っていたのだけれど、どうしても、身内のひいき目があるかな、と思っていたものだから。(笑)

 ハワイアンセンターが作られて間もなく、私は家族や親戚と一緒に実際に遊びに行っている。当時、私たちはいわき市に住んでいたし。まだ小学生にもなっていないころだったから、記憶は断片なのだけれど、幼心に、とにかく大きなプールと、激しいリズムのタヒチアンダンス、観客を客席に引っ張り上げての楽しいフラダンスなどが思い出に残っている。父が親戚に向かって「本場から指導者を呼んでフラダンスの特訓をしたそうだ」と話しているのも、記憶の片隅に残っている。それが今回、本当に映画になったわけだけれど。
 私自身はまだ「フラガール」を見ていないから、そこでどんな苦労や努力があったのか、どんな町や人々の想いがあの施設に込められていたのか、そこはまだよくわからないけれど、今改めて、あれが「一つの町」の始めた事業だったんだ――民間の業者などではなく――という事実を思って、なんとなく感嘆している。フラガールのお姉さんたちが、まったくの素人さんたちだったなんて、全然知らなかったし。

 この映画のおかげで、「スパリゾート・ハワイアンズ」にまたお客さんが増えるだろうか。だとしたら、福島県人として、やっぱり嬉しいな。いまでこそ、その手のテーマパークは全国あちこちに作られているけれど、当時は本当に画期的だったわけだし、今なお、がんばっているところもすばらしい、と思うから。
 最後にあそこに行ったのは4年前――いやもう5年前になるかな。しばらく行ってなかったし、また行きたくなってきたな。
 今度行くときには、絶対に「フラガール」を見てから行くことにしよう。きっと、また違った目で見ることができて、感動もひとしおになるだろう。 


☆「最優秀作品は「フラガール」…日本アカデミー賞」(読売新聞)

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2007年2月 6日 (火)

特別支援教育を特別なものにはしない

 最近、よく考えている。
 我が家には確かに、ADHDという診断名を持つ小学5年生の子どもがいる。ADHDというのは、日本語に直せば「注意欠陥・多動性障害」。発達障害と呼ばれる分類の障害になるのだけれど。
 でまあ、確かに、普通学級での授業では理解するのが難しいので、特別支援学級(障害児学級)なんてのにも通っていて、それが地元の小学校にないものだから、私が毎日車で隣の学区の学校まで送り迎えしてるわけなんだけれど。
 そういう意味では、我が家は特別かもしれない。普通の子育てよりも、手がかかることは多いし。

 だけどなぁ、と最近、本当によく思う。
 日々暮らしていると、「自分たちは特別だ」なんて、めったに思わないんだよねぇ。

 我が家には高校2年になる長男もいる。毎朝電車で福島市内の学校まで通っている。この子は別に診断などない。ちょっと数学は苦手だけれど、代わりに国語が得意。運動もそこそこできて、友だちともいつも仲良く過ごせる。普通の子。本当に普通の子。
 だけど、それじゃ次男より子育てが楽か、と言うと、全然そんなことはない。次男に手がかかるところには手がかからないけれど、そのかわり、全く別のところで手がかかるし、気も遣う。むしろ、単純素直な次男の方が扱いが楽! という場面も、よくある。高校2年生なんて、お年頃ですからね。ちょっとしたことで、すぐにカチンと来たり拗ねたりするから、難しいったら、ホントに! 進路のことだって気になる時期だし。

 障害児だから、心配だと言うことではなく。
 障害児じゃないから、心配じゃない、ということでもない。
 二人の子どもは二人ともそれぞれに別のところで心配で、それぞれ別のところでは親を安心させてくれている。
 そんな子どもたちを見ていると、つくづく思う。障害があろうがなかろうが、この子たちは、ただとにかく「我が子」なんだなぁ、って。


 来年度から全国の公立の小中学校では、特別支援教育への本格的な取り組みが始まる。これは文部科学省からの通達。 特別支援教育というのは、つまり、次男のような、発達障害を抱えた子たちを学校でもしっかり支援していきましょう、ということ。それに向けた学校の取り組みは、その学校によって温度差はあるようだけれど。

 でも、私は考えている。
 特別支援教育ってのは、そんなに「特別な」教育じゃないよなぁ、と。
 障害があろうがなかろうが、子どもはみんな一人ずつ特別。得意不得意もそれぞれ違えば、心の形も違う。強情な子もいれば、傷つきやすい子もいる。障害がある子だけを支援するのが、特別支援教育じゃない。一人ずつが特別の存在の、すべての子たちを大事にしよう、っていうのが、特別支援教育なんだ、と。

 みんな同じ。みんな大事。子どもたちは一人ずつが、本当に特別。
 「特別支援教育は障害児のためのものです。診断がない子の場合は支援対象になりません」
 大真面目でそんなことを言ってくる学校長や担当者も、現実にいる。
 それは違うよ、と私は言いたい。
 発達障害を持つ子の親だからこそ、私は言いたい。
 特別支援教育は、すべての子どもたちのためのものだよ。
 普通だから大丈夫、と考えるんじゃなく、普通と言われる子たちにも苦手や不得意がある子たちは大勢いるから、その子たちに目を向けていこう。一人ずつを、「あなたはあなただから特別だよ」と言ってあげられるような、そんな教育を目ざすこと。それが特別支援教育なんだよ、と。

 障害児がいたって、我が家はごく普通に暮らしている。
 楽しいことには笑い、悲しいことには涙し、子どもが手伝ってくれれば「ありがとう」と言い、悪いことをすれば叱りつける。
 ――「障害児でも叱っていいんですか!?」 大真面目で、現場の先生から質問されたことがある。
 いいんです。障害があろうがなかろうが、それ以前に、その子は当たり前にひとりの子どもなんだから。
 その子が叱られるようなことをしたときには――わかっているのに悪いことをしたとか、ちゃんとできるはずのことを怠けてやらなかったとか――そういうときには、子どもを叱ってあげなくちゃいけない。障害児だから、その子のすべてのわがままが通ってしまうような対応は、それは支援でも何でもない。障害児を専制君主制の王様にしちゃいけない。
 「お母さんは怒ると鬼だ」
 次男は叱られるたび、よくそれを言う。涙目になることもある。
 そりゃ怖いですとも。悪いことをしたら、お母さんは鬼みたいにものすごく怒るからね。これは、あなたも兄ちゃんでも同じだよ。だって、私はあなたたちのお母さんなんだから。

 学校での特別支援教育も、それと同じなんだと思う。
 障害があってもなくても、その子は、他の子たちと同じ一人の生徒。ただ、他の大多数よりも理解しなくちゃいけない部分が特殊で、少しだけ余分に手をかけなくちゃいけない、というだけの子ども。
 教師は教師として、同じ一人の生徒として、その子を見ていって良い。悪いことをしたら、他の子と同じように叱り、自分からいいことをがんばったら(それがたとえ小さなことでも)やっぱり、他の子たちと同じように誉めて……そうして、子どもたちみんなが伸びていくように――それを目ざすのが、特別支援教育なんだと思う。

 特別支援教育の「特別」ということばが、先走りしているように感じられるこの頃。
 先生方には、ことばに惑わされず、教師として当然のことを、自信を持って子どもたちにしていってほしいな、と思っている。障害のある子もない子も、すべての子に目を向ける教育。それが特別支援教育だから。

 すべての子どもたちが、当たり前に大事にされる学校や社会になっていきますように――。

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