「できないことは、できない。」
最近、我が子を見ていてつくづく感じていることの一つに、「できないことは、できない」んだなぁ、というのがある。
まあ、特に小学5年生の次男に言えることなのだけれど、高校2年の兄ちゃんだって、やっぱり同じように「どうしてもできない」ことはある。
次男の場合は、できないことがとても多い。発達障害というものを持っているからなのだけれど、たとえば大勢の中にいると、前で大声を上げる人がいても、話が聞き取れなくなる。周りの状況もよく読めないものだから、自分が何をすればいいのか、何をしろと言われているのか、全然理解することができない。だから、35人学級の通常学級では自力で授業についていけなくて、6人という小集団の特別支援学級(特殊学級)で学んでいる。片手におさまるくらいの人数の中であれば、ちゃんと授業内容も、自分が言われていることもわかるし、安心して生活することができるから。自分がどんな状況にあるのか、何をしなくちゃならないのかわからない、ということは、周囲が思っている以上に、本人を不安にするんだよね。
一方兄ちゃんはと言うと、別に大集団でも何も困難はない。ずっと通常学級にいたし、友だちも大勢いるし、中学では部活動もがんばってきた。親に似ず、案外運動神経は良いらしい。
だけど、兄ちゃんは数学が極端に苦手。とにかく苦手。
私は実は学校の先生の勉強をしてきたから、兄ちゃんの受験の際には、勉強を見てやったりした。その結果思い知らされたのが、「できないものは、できない」という限界。数学に向いていない人間ってのはいるもんだなぁ、と思うしかなかった。結局、兄ちゃんは数学に足を引っ張られて、第一志望の高校に入れなかったし。
障害があろうがなかろうが、人というのは、やっぱり「できないこと」を抱えているんだろうと思う。
かくいう私も、「できないこと」は山ほどある。その中でも特に苦手なのは、運動。球技、陸上、その他もろもろ、とにかくスポーツと名がつくものは、すべて駄目。唯一まともにできるのがボーリングなのだけれど、それでもアベレージ百ちょっと行く程度。決して得意というわけじゃない。しかも、ボーリングは学校の体育にはなかったし。(笑)
だから、私は学生時代、自分自身の身をもって、「できないものは、できない」と思い知ってきた。
どんなに根性出そうが、どんなに努力しようが、駄目なものは駄目。必死でがんばって、がんばって、山ほど練習して、やっと逆上がりができるようになったのが中学2年生の時。でも、これって普通は小学2年生だってあたりまえにできること。そんなものなんだよねぇ。ちなみに、その後、体育で鉄棒の授業が終わったら、私はまた逆上がりができなくなってしまった。(苦笑)
だけどなぁ、と思う。
次男は確かに大人数の中で生活するのは大変な子だけれど、少人数の中でなら生き生き暮らせるし、力も伸ばしていける。絵を描くのが大得意だし、好きが高じて、教えてもいないのにパソコンのグラフィックソフトを使い出したのも彼。兄ちゃんは、使い方をきっちり教わらないと、パソコンなんて使えるようにならなかったのに。
兄ちゃんは今でも数学は大の苦手。試験のたびに、点数は赤点すれすれらしい。なんとか赤点をまぬがれてくるだけすごいと思うけれど。でも、兄ちゃんは国語が抜群に得意。漢字も大得意で、高1の時に漢検2級に合格している。古文もテストのたびに高得点……。
私も、運動は苦手だったけれど、その代わり、本を読んだり文章や絵を書いたりするのは大好きで、本当に毎日そんなことばかりやっていた。それでどうなったかというと、今のこんな私がいるわけで。
人って、やっぱりデコボコなものなんだと思う。
できないことがあって、できることがあって。全然丸くない存在。
がんばって、できるようになることなら、がんばればいいと思うけれど、どうしたってできないとわかったら、それはすっぱりあきらめて、別の強い方でがんばる方が結局は得策じゃないかなぁ、なんて考える。
あたりまえのことなんだけどね。本当に、あたりまえのことなんだけど、次男みたいな子どもにかかわっていると、そのあたりまえを忘れて、「できないことだけど、できるようになれ」と言われている子どもを見ることがよくあるものだから。
まあ、その子が「できない」のか、「がんばれば、できる」のか、「工夫次第でできるようになる」のか、そのあたりの判断というのはあるから、なんでも、やってみなくちゃわからないとも言えるけれど。
その結果、「やっぱり無理」と思ったら、別の道を探していく方が、本人も周りも楽なんじゃないかなぁ、なんて。
本当に、最近よく、そんなことを考えている。
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