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2006年12月31日 (日)

ドングリクッキーを作って食べる

061230_1612 ドングリクッキーというのは、文字通り、ドングリを材料にしたクッキー。これを昇平と一緒に作って食べてみた。

 そもそもの始まりは昇平が借りてきた『発見!体験! 日本の食事・1 ドングリクッキー~縄文時代の食事を体験しよう~』という本。(ポプラ社)
 その少し前に『○○のはじまり』という別のシリーズの本を読んでいて、縄文時代の生活の様子に関心を持っていた昇平が、学校の図書室からこの本を見つけて、冬休み中に読む本として借りてきたのだ。それを夜寝る前の本の読み聞かせタイムに少しずつ読んできたけれど、これがなかなか楽しい。ドングリの種類に合わせてアクを抜き、それを粉にしてクッキーに焼いて食べよう、という体験書なので、大人の私が読んでもワクワクしてきた。
 昇平もとにかくドングリクッキーを作って食べてみたくてしかたない。とうとう「おかあさん、学校までドングリ拾いに行こう!」と言い出した。昇平の学校の昇降口前には、大きなドングリの木が2本生えていて、秋にはたくさんの実を落とすのだ。
 「う~ん、でも今は冬だしね、行ってもドングリはもうあまり落ちてないかもしれないよ」と言ったけれど、それでもどうしてもドングリを拾いたい、と言うので、買い物のついでに車で回ってみた。と……と! もう子どもの姿もない冬休みの学校の敷地に、つやつやと綺麗なドングリがたくさん落ちているではないか!
 実は、その前日、このあたりにちょっとした台風並の強風が吹き荒れた。学校のドングリの木は、どうやら冬にも実を枝につけていたようで、それが風に振り落とされていたのだ。これはすごい~! 最高の状態のドングリだわ! さっそく昇平と拾ったけれど、ビニール袋にかなりの量を集めることができた。

 『ドングリクッキー』の本によると、ドングリはかなりアクの強い木の実で、ドングリの種類によってアクの抜き方も違うという。まずは、拾ってきたドングリがなんという木の実なのかをネットで調べた。
 ドングリの木は、実の大きさ、形だけでなく、袴(はかま)の様子や木の幹の肌、葉の形なども鑑別のポイントになる。木肌などは携帯で写真に収めてきたので、それとドングリ関係のサイトの種類をじっくり見比べた。
 ……うーん。葉の形からすると、ツクバネカシかイチイガシが似ているけれど、その二種類ではアクの抜き方が違う。ツクバネカシはコナラ科だから、かなりアクが強い。一方のイチイガシはアクがほとんどなくて、そのままでも食べられるとある。どっちだろう?
 さらに調べる。あ、イチイガシは関西以南にしか生えてないとある。ツクバネガシは宮城県以南。こっちの可能性が高いな。木肌も似てるし。でも、本当に本当に、そうかな?
 しばらく考えて、確実な鑑別方法を思いついた。実を食べてみればいいんだ! 生の実を、殻をむいて口に入れてみた。かみかみ……渋い!(笑) ということで、めでたく、拾ってきたドングリはツクバネガシとわかった。
 ちなみに、昇平にも生の実を少し食べさせてみたら、たちまち「まずいっ!」と吐き出していた。ははは。これがどんなふうに変わっていくか、ちゃんと覚えておいてね。

 コナラ科のドングリは、先に書いたとおりアクがかなり強い。縄文時代には灰汁(あく)を使ってアクを抜いたらしい。灰汁とは木や藁を燃やした灰のこと。このあたりでも、山菜のアク抜きに使うけれど、我が家は農家ではないので灰はちょっと手に入らない。なので、代わりに重曹を使うことにした。
 本を見て、さっそくアク抜き開始。以下に、その手順に合わせて写真を載せてみる。ちょっと見づらいだろうけれど、スペース節約のため、縦長写真で。

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【ドングリの殻をむく】
1.ドングリを洗って、殻ごと水からゆで、ザルに上げて一晩おく。(写真一番左)
2.古いフライパンでから煎りする。殻がはじけて、むきやすくなる。
3.殻から実をむいて取り出す。渋皮もむく。(写真2番目。手前が実)

【アクを抜く】
1.殻をむいた実を鍋に入れ、水と重曹をくわえて煮る。
  茶色の水が出たら捨てて、また水と重曹を入れて煮る。
  これを2~3回繰り返す。
  アクが泡のようにわき出てくる。(写真3番目)
2.1を今度は水で煮る。
  お湯が茶色になったら捨てて、また水を入れて煮る。
  茶色い色が出なくなるまで、これを繰り返す。
  とにかく、茶色い色はしつこく出てくる。実に12回くらい煮こぼした。(写真4番目)
3.2をざるに入れ、出しっぱなしにした水道水で一晩さらす。
  縄文時代はかごや袋に入れ、川の流れに沈めてさらしたらしい。
4.これでやっとアク抜き完了。
  実の色が白っぽくなった。(写真一番右)


 アク抜きしたドングリの実をそっと食べてみた。小さな実は完全に抜けている。大きめの実も、ほのかに渋みが残っていたけれど、食べられないというほどではない。甘みもなにもない、本当に癖のない味。ただ、香りだけが栗などとは違っていて、確かにドングリですよ、と言っているようだった。
 それにしても、食べられるようにするまでに本当に手間がかかる。同じように手間をかけてアクを抜くものにトチの実があるけれど、あれは粒が大きいし保存もきくから、つい最近まで飢饉の際の救荒食料として蓄えられていてきた。トチの実をつき込んだトチ餅は今でも土産物屋などで売られている。それに引き替え、ドングリは実が小さい上に、手間をかけてアクを抜いてもその見返りになるほどのおいしさもないから、いつの間にか食べられなくなってしまったのだろうな……と思った。

 さて、いよいよドングリクッキー作りに挑戦。
 本当は水気を切ったドングリを完全に乾かしてから粉に挽くらしいけれど、そんな暇もないので、まだ湿っぽい煮豆のようなドングリをハンディミキサーにかけて粉砕した。ウィーン。
 少し時間がかかったけれど、ちゃんとドングリ粉ができあがった。(下の写真一番左と2番目)

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 『ドングリクッキー』の本は、縄文時代の食べ物を再現しているので、ここにそば粉とハチミツ、山芋と卵を入れることになっている。山芋や卵は「つなぎ」。ドングリ粉はかなりボソボソしているのだ。たぶん、縄文時代にはドングリ粉100%でクッキーや団子を作っていたのだと思うけれど、今の我々の口にはとても合わないので、そば粉も混ぜているらしい。
 ところが、スーパーに行ってみたら、そば粉が売っていない。う~ん、年末だから「年越しそば」なら大量に売っているんだけどなぁ。考えて、製菓コーナーから小麦胚芽を買った。口当たりがドングリ粉に似ているのと、わずかに残る渋みをカバーしてくれそうな気がしたから。小麦胚芽は赤っぽい茶色。縄文時代にはなかった砂糖も加えた。だって、ハチミツが家になかったから。ドングリ自体に湿り気があって、混ぜたらけっこうまとまったので、山芋はくわえなかった。(写真3番目)
 丸めて、平たくして、いよいよクッキーを焼く。本では野外で石を焼いてクッキーを焼くことになっているけれど、家庭ではとても無理なので、テフロン加工のフライパンを使った。(写真4番目)
 手順を一応まとめると、以下の通り。

【クッキーを焼く】
1.アク抜きしたドングリをミキサーで粉にする。(写真1番目と2番目)
2.ドングリと同量の小麦胚芽と混ぜ、砂糖、卵1個もくわえてこねる。
  粘りが足りないようなときには、すり下ろした山芋(とろろ)もくわえる。(写真3番目)
3.丸めて平たくし、テフロン加工のフライパンを使って、弱火で焼く。(写真4番目)
4.焼き上がったクッキーを網の上に載せて冷ます。(写真5番目)


 さて、できた。ドングリクッキー!
 台所の中は香ばしい匂いでいっぱい。まだ温かいクッキーを昇平がさっそく口に運んだ。
「ご感想は?」
 にこにこしていた顔が一瞬神妙な表情に変わる。
「……微妙」
 どうやら、想像していたような味ではなかったらしい。
 私も食べてみた。小麦胚芽は味が強いし、ドングリはほとんど味がないから、ドングリを食べているという感じがあまりしない。ただ、小麦胚芽だけで作ったクッキーに比べると、もっちりした歯触りがある。うん、これがドングリの味わいかも。
 とにかく、意外なくらい、まともに食べられる。何も言わなければ、誰も絶対に材料が「ドングリ」だなんて気がつかない。
 ふと見ると、「微妙」と言っていたはずの昇平が、おかわりしながらドングリクッキーを食べていた。ありゃりゃ、ちょっとおいしく作りすぎたかなー。もっと素朴な味を体験してもらうつもりだったのに。(苦笑)

 まあ、とにかく手間はかかる。
 ドングリが食べられることはわかったけれど、また作って食べてみようという気には、ちょっとならない。縄文時代の人たちは、本当に苦労しながら食べ物を手に入れていたんだなー。
 ただ、もしもこれから本格的な飢饉に襲われるようなことが起きて、何でもいいから食料を手に入れなくちゃならない、という事態になったときには、こうしてドングリだって食べることができる、という自信はついた。
 ……そんな日は、まず来ないだろうけどね。(笑)

 ドングリクッキーはまだ十数枚残っている。
 明日の元日には、私の実家へ年始に行く予定なので、これを持っていって、実家のメンバーにも味見させてみよう。さて、彼らはどんな感想を持つだろう。(笑)
 気ぜわしい年末なのに、好奇心に負けて、昇平と挑戦してしまったドングリクッキー作り。私は縄文時代の生活に思いをはせることができて、とても楽しかった。
 昇平はどんなことを感じたかな?
 せわしさの中、ふと立ち止まって、楽しい時間を過ごせたひとときだった。

おまけ
 下の写真は、『ドングリクッキー』の本を眺めながら、実物を食べている昇平。
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2006年12月19日 (火)

年賀状に浮かぶ顔

 年賀状を準備する今の時期になると、決まって思い出す方の顔がいくつかある。ほとんどは恩師の顔。それも、いまはもうこの世を去って、二度と年賀状をいただくことができない先生方の顔……。

 私は自分が直接習ってきた先生方には毎年年賀状を出してきた。中学生になるときからだったように覚えている。小学校を卒業するとき、担任がこんな話をしていたからだ。
「小学校にいる間は、先生、先生と言ってくれる生徒たちも、卒業して中学に行ってしまうと、とたんに年賀状ひとつよこさなくなるものなんだ。特に優等生と言われるような子ほど、そうだったりする」 むしろ、小学校時代、担任の手を焼かせたようなやんちゃな子どもほど、中学や高校になると、「先生、お久しぶりです」と訪ねてきてくれたり、ずっと担任を覚えてくれていたりするから不思議なんだ、と話は続いていたけれど。
 なんとなく、その時に、恩師には毎年必ず年賀状を出そう、と決心したのは何故だったのだろう? 私はいわゆる優等生側の子どもではあったから、優等生でもちゃんと年賀状は出しますよ、という逆説的なプライドに燃えたんだろうか? それもあったかな。だけど……
 なんとなく、その時の担任の話の裏側に、教師の淋しさみたいなものを見たからだったのかもしれない。
 受け持ちの間は、「先生、先生」と慕ってくる子どもたちも、卒業して、それぞれの道に進んでいく間に、どんどん担任のことなど忘れていってしまう。それは当然のことだし、教師側だって、毎年新しい子どもたちに大勢出会うから、やっぱり忘れていく子たちはいるのだけれど。それでも、一生懸命目をかけ、指導して、育ててきた子どもたちから忘れられていくことは、教師にとって淋しいことなんじゃないだろうか。それが宿命だとしても。
 たぶん、あの時、私はそんなものを感じたんだろうと思う。以来、三十年以上、私は、出せる年には毎年必ず、担任と顧問の先生方には年賀状を出し続けてきた。小学6年生の時の担任、中学校3年間の担任、高校3年間の担任と、部活の顧問、副顧問の先生、特にお世話になった国語の先生、大学のクラス顧問の教授と、卒論の指導教官だった教授……。 

 毎年の年賀状には、家族全員の前年の近況を載せるのが、私の年賀状の基本スタイル。それに返ってくる先生方の賀状も、それぞれにスタイルがあって面白い。そして、年月がたつうちに、私の近況には家族の話題が増えていき、一方、先生方からの賀状には、「○○学校に赴任しました」というような内容から、「あと○年で定年です」「定年して今は自宅で悠々自適の生活です」というような内容に変わっていった。
 そして、ある年、突然薄墨色のインクのハガキをいただいたりすることも起きる……。

 中学一年の時の担任は、とても厳しいことで有名だった。私たちは毎日のように叱られていたし、あの頃は、忘れ物などすると平気で体罰もされていた。やんちゃが過ぎた男子生徒などは、毎日のように正座をさせられていたっけ。
 その先生からの年賀状は、現在の教育界について、教育理念のあり方について、裏一面びっしりと文字で埋め尽くされているようなものだった。難しくて、私には半分も意味がわからなかったけれど、それでも、その先生が本当に教育熱心だったことは肌で感じられた。ヨーロッパにも教育研修に行かれたらしい。
 ところが、ある年、その先生から年賀状が届かなかった。その翌年、奥様の名前でハガキをいただいた。前年は主人が病気で入院していたこと、闘病の末、この世を去っていったこと、今はきっと、天国から今の日本の教育界を見て、熱く教育論を語っているだろうこと……が、女性らしい文章でつづられていた。

 大学の卒論の指導教官は、その年の干支の文字を水彩絵の具でハガキに大きく書き、それを背景にして、ペンで新年の挨拶を書いてくださっていた。とても味のある年賀状で、毎年それを見るたびに、教授の顔を思い出していた。
 その訃報はラジオから突然流れてきた。大学からの帰り道、突然曲がってきた車にひかれたのだ。その翌年から、その先生からの年賀状は届かない。最後にいただいた年賀状は、今でもちゃんととってある。「あと一年で退官です。貴女からの賀状を読むと、自分が年をとったのだな、と思います。」ということが書き添えてあった。
 神経質で細やかな先生だった。優しく穏やかな先生だった。年賀状のスタイルや文面と一緒に、そんな先生の顔が浮かんでくる。

 一年に一度だけの年賀状。それで無事を知り、つながっているだけの人たちも大勢いる。
 でも、こんなふうに、賀状と一緒に思い出す顔があるところをみると、年にたった一度でも、やっぱり意味があるんだろうな、と思う。
 出会う人々。別れていく人々。
 出会えたことに感謝して、その消息をわずかに知ることで、出会った人を記憶にとどめ続ける。
 それが――年賀状なのかもしれない。
 
  

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2006年12月17日 (日)

白鳥の飛来地

 今、てくてく日記にライトアップを見に行った記事をアップしたのだけれど、今日は福島市岡部の阿武隈川(あぶくまがわ)まで白鳥に見に行ってきた。毎年、たくさんの白鳥が越冬のために飛来するので、白鳥と親しめる場所として福島市の冬場の名所になっているのだ。
 白鳥たちには餌をやることができる。私たちも、家から安売りで買っておいた食パンの袋を抱えて、車で向かった。駐車場は無料。すぐ近くに、ゴミ焼却場の廃熱を利用した温水プールがあるけれど、その向かい側を川に向かって下りていくと、車が停められる。観光ルートに入っているようで、時々大型観光バスもやってくる。駐車場の入口の売店で小さく切ったパンを「白鳥の餌」と称して100円で売っているけれど、地元の人間は、やっぱり自宅からパンやパンくずを抱えてくる。
 「今日の白鳥の数は450羽」。プレハブ作りの小屋の入口に書いてあった。毎朝、野鳥の会の人が数えるらしい。小屋の中には簡単ながら、鳥や自然に関するパネルや解説も並んでいる。この地で力尽きたという白鳥の大きな剥製もあった。

 白鳥の飛来地、と言いながらも、行ってみると白鳥の数百倍もいるカモに圧倒されることになる。カモ、カモ、カモ……もう目の前、足下、いたるところにカモがいる。いったい何万羽いることやら。さすがに、野鳥の会の方たちでも、これだけのカモを数えようとしたら、ものすごく大変だろうなぁ。
 でも、カモもとても愛らしい。そして、小柄なカモの方が白鳥よりも小回りがきく。川に浮かぶ白鳥に餌を投げてやると、素早くやってきて、ぱくりと餌を食べてしまう。お腹がいっぱいになったようなヤツは、日だまりの中にうずくまってお昼寝。それがまた、人間の本当にすぐそばでまどろんでいる。
 でも、どんなに人になれているように見えても、彼らはやっぱり野生の生き物。触れようと手を伸ばしたり、後を追いかけたりすると、たちまち立ち上がってよちよちと逃げて行ってしまう。餌はほしい、でも、近づくのは怖い、という様子の鳥たちも多い。そう、餌付けされていても、彼らはやっぱり野生。人間のペットとは違うんだよね……。
 白鳥は大きい。餌をくれ、と言うのか、時々翼を広げてアピールすることがあるけれど、びっくりするくらい大きく感じてしまう。同じくらいの大きさがありながら、色が灰色なのは、まだ若い白鳥。見ていると、餌の受け取り方が大人より下手くそで、たいていカモに横取りされている。
 カモは雄鴨と雌鴨で色や模様がはっきり違う。一回り小さな種類の違うカモもいたけれど(今、図鑑で調べたけれど、大量にいたのはマガモ、小柄なのはホシハジロと言うらしい)、ホシハジロはしきりに水にもぐって、川底に沈んだ餌を食べていた。白鳥も、時々長い首を水に差し込んで、水底の餌をとる。でも、マガモたちは水面の餌に群がるだけ。それで足りないヤツらは岸に上がってきて、人間から直接餌を撒いてもらっている。もしかして、マガモは水に潜れないのかな? と思っていたら、それも図鑑に載っていた。マガモは水面で餌をとる。ホシハジロは水にもぐって餌をとる。――やっぱり!(笑)

 昇平は大喜びで鳥たちにパンを投げていた。はしゃいでいるけれど、騒ぎすぎることはない。鳥たちの間を走ったりもしなかったから、ホッとした。鳥たちを驚かせたら大変。旦那にそう言ったら、「昇平は鳥が怖いからだろ」と笑っていた。まあ、そうかもね。でも、野生の生き物に対しては、それくらいの畏敬の念は持っていて良いと思うな。どんなに身近まで来るようになっても。
 川辺には、パンくずのおこぼれに預かろうとカラスたちも集まっている。カラスもなかなか美しい、と私は思っている。濡れたような黒い羽根は本当に綺麗だ。空からおこぼれを狙ってきたトビを追い払っているカラスもいた。時々こういう光景は見かけるのだけれど、カラスvsトビって、たいていカラスが勝つんだよね。時には数羽のカラスでコンビネーションプレイを見せることもあるし。大きさばかりの勝負じゃないんだなぁ、なんて思っていた。

 というわけで、白鳥だけでなく、他の鳥たちも観察して楽しみながら、しばらく川辺にいた。冬場はここは餌をやりにくる観光客や親子連れで毎日賑わう。白鳥の監視員さんたちもいる。
 ここにこれだけの鳥たちが集まるまでには、長い間の努力があったと聞いている。冬にやってくる使者たちを、大切に大切に見守ってきた人たちがいるのだ。その甲斐あって、こんなに人間の近くまで、鳥たちが来るようになった。自然が人間のこんなそばまで来てくれる場所は、そうはない。
 白鳥もカモも他の鳥たちも、厳しい冬を乗りきって、そして、暖かい春が来る頃には、また北へと元気に飛んでいってほしいな、なんて考えた。


白鳥とカモの写真。カモたちは、本当に人間のすぐ近くまで来る。(写真右端)岸辺は群がる鳥たちがまるでゴミのよう。(笑)

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2006年12月 5日 (火)

「宙船(そらふね)」

 「宙船(そらふね)」 作詞作曲・中島みゆき 歌・TOKIO
 日本テレビ系ドラマ「マイ★ボス マイ★ヒーロー」主題歌。オリコン初登場1位獲得曲。11月30日発表第48回日本レコード大賞で作詩賞を受賞。
 でも、例によって私は、巷で大ヒットしている歌だとまったく知らずに、この歌と出会った。

 中島みゆきの最新アルバムが去る11月22日に発売になった。 タイトルは『ララバイSINGER』。
 私と旦那は大の中島みゆきファン。私は発売情報を知らずにいたけれど、旦那が車のラジオで耳にして、CDを買ってきた。その日は日曜日。さっそくプレーヤーに入れて1曲、2曲と聞いていって、3曲目になったとたん、同じ部屋にいた兄ちゃんが言い出した。
「これ、この前カラオケにいったとき、友だちが歌った歌だ」
 さらに昇平までが言う。
「この歌、この前の学校集会で放送で流れたよ」
 え? みゆきさんの歌が? 対象年齢層が違わないかい?
 不思議に思ってネットで検索してみたら、冒頭のような情報がわかった、という、相変わらずなんとも世情に疎い私なのだけれど。(苦笑)

 他の曲も聴いたけれど、この「宙船」が飛び抜けてメッセージ性を強く感じる。歌声も力強い。いかにもみゆきさんらしい曲と歌詞だと思いながら何度も繰り返し聴いていた。

  その船を漕いでいけ
  おまえの手で漕いでいけ
  おまえが消えて喜ぶ者に
  おまえのオールをまかせるな

 この歌詞が歌の中で何度も何度も繰り返される。力を込めて。想いを込めて。
 そのうちに、あ、と気がついた。
 これは、いじめを受けている子どもたちへのメッセージの歌だ――。

 なるほど、作詞賞を受賞するだけのことはある。みゆきさんらしい、力強いエールがひしひしと伝わってくる。
 負けるな、負けるな。いじめてくるような奴らに君の人生を譲り渡すな。
 君は本当は宙(そら)も飛べる船なのだから。
 歌詞はこの通りではない。でも、そう歌っているのがよくわかる。

 大晦日の紅白歌合戦にはTOKIOも出場するらしい。曲はもちろん、この「宙船」だろう。
 どこで誰が歌った歌でもいいと思う。
 TOKIOの歌でも、みゆきさんの歌でも、友だちのカラオケでも、どこかの会場で流れていたBGMでも。
 この歌が届けばいいと思う。ぎりぎりの場所で、理不尽ないじめを受けながらも必死で自分を守ろうとしている子どもたちに。

 負けるな、負けるな。君は宙(そら)も飛べる船。
 君の人生は君のもの。他人の心を傷つけて喜ぶような奴らの思いのままになんて、なってやるな。
 君の人生を、君自身の力と足で生きてやれ――。

 「宙船」の歌を聴きながら、いつの間にか私も心の中でそう歌っていた。


☆中島みゆき「ララバイSINGER」
 (みゆきさんの「宙船」の試聴もできます)
 

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2006年12月 2日 (土)

ソニックのペーパークラフト

061202_1240 写真は昇平が作った、ソニックのステージのペーパークラフトです。
 ソニックというのは、SEGAのゲームの主人公の名前。最近、昇平が凝っているキャラクターです。
 今日は土曜日。さぞ暇をもてあますのだろうと思ったら、ソニックの公式ホームページからこのペーパークラフトのシートをダウンロードして、工作用紙に貼り付け、切り抜いて組み立てて……と熱心に作業をして、とうとう完成させてしまいました。紙とはいえ、ヤシの木とか、立体的でなかなかいい感じ?
 「これをホームページで絶対紹介して!」と言われたので、ブログに載せました。(笑)
 ペーパークラフトを完成させた彼は、今度はクリスマスバージョンのソニックの絵を描いているようです。今日は何かを「創りたい」日なのね。

☆「ソニックチャンネル」ペーパークラフトのページ
  http://sonic.sega.jp/enjoy/papercraft/index.html 

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