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2006年5月23日 (火)

つぶやき

 昔から、私は「立派な障害児の母」なんか、やってきたつもりはない。日記を読んだ人からそんなふうに言われたりすると、いつも「え~? そんなことないです~」と答えてきた。謙遜でも何でもなくそう思ってきたし、今もそう思っている。
 そもそも、「障害児の母」なんてものをやってきた覚えがない。私は単なる「母親」で、生まれてきた二男が、たまたま障害を持っていただけのことだから。普通に子育てしてくるように、私はこの子たちを育ててきた。ただ、二男には普通の子育てマニュアルが当てはまらなかったから、勉強したり、あれこれ対応を工夫したりしてきただけのこと。
 でも、普通に子育てしてきたって、それは同じじゃないのかな? 同じ子どもは二人といない。それぞれ違う子どもだから、話しかけ方も、ほめ方も、叱り方も、命じ方も、その子に合わせて工夫しなければ通じない。みんな、自分の子を見つめて、ひとりひとりに合わせて子育てをしている。私の子育ても、その延長上。

 障害があってもなくても、昇平は私たちの子ども。お兄ちゃんも、障害がなくてもあっても、やっぱり私たちの子ども。どっちも私たちには全然特別じゃない。同じ「我が子」だ。
 確かに、昇平の方が手がかかることは多いし、トラブルも多い。心配しなくちゃならないこともあれこれ出てくる。だけど、だからといって、私たちの生活すべてを昇平に捧げてしまいたくはない。昇平は家族にかしづかれて君臨する「王様」じゃない。障害はそのための冠にも免罪符にもならない。どんなことをしたって、やっぱり「我が子」で、それ以上でもそれ以下でもない。

 そして、私は「母親」であると同時に、ひとりの「人間」でもある。 母親でいるために、人間である自分自身を犠牲にしたくはない。
 よく、我が子の成長や才能のために尽くす母が美談に取り上げられるけれど、私は、そんなのはまっぴらごめんと思っている。「この子のためにがんばって、お母さん」と励まされることもあるけれど、私は心の中で肩をすくめている。「がんばらなくちゃなれないような母親にはなりたくないなぁ」と苦笑しながら。
 私は私。「母親」は、そんな私のごく一部分。
 母親の役目は捨てないけれど、自分であることも絶対に捨てたくない。そして、私はとても欲張りだから、そのためにだったら、がんばれてしまう。(笑)

 「最近逃避気味じゃないの?」と先日知人に言われた。トラブル続きの毎日を忘れたくて、自分の世界に没頭しているみたいだね、と。
 でも、ごめんね、違うんだ。私は逃避しているんじゃない。私は、今までよりももっと「自分らしく」生きたいと思うようになっただけなんだ。ほんの少しまだ抱えていた「がんばる母」の荷物を降ろして、子どもと一緒に人生を楽しむ母になろうとしてるだけなんだ。

 もちろん、まだ目はかけている。すぐに手の届くところ、声の届くところにいる。でも、私は昇平から離れた場所を歩き始めた。昇平の歩みを見守りながら。
 そして、それは本当に、お兄ちゃんにも同じこと。まもなく私たちの手元を飛び立っていくお兄ちゃん。その羽ばたきが、何となく力強くなってきているのを、私は毎日見つめている。
 そうして、私は母親でありながら、同時に自分であろうとしている。前よりも強く、前よりも深く、前よりも……素直に。(笑)

 いつか子どもたちは親を置き去りにして、どんどん先へ行ってしまうだろう。親はその旅路についていくことはできない。「この子より一日でも長く生きていたい」とは言いたくない。「親なんかかまわないで、とっとと先へ進みなさい!」とハッパをかけて送り出してやりたい。
 進みなさい、子どもたち。たくさんの人たちが周りにいる。いろいろな人がいるから、中には意地の悪い人も、冷たい人も、嫌な人もいるけれど、それと一緒に、君たちを理解して手助けしてくれる人たちだって必ずいるから。その人たちの手を信じて歩いていきなさい。親である私たちのいる場所から、できるだけ遠くまで歩いて行けたら、それが何よりの親孝行。それが私たちには何より嬉しい。
 君たちが旅立った後も、私は同時に「私」だから。残りの人生、共に最後まで歩くつもりの人もいるから。だから、行きなさい、子どもたち。母のことなんか、気にしないで。
 そして……時々疲れてしまったら、戻ってきて休んで行きなさい。
 また先へと進んでいくために。

 君たちの「母」は、最近そんなことをよく考えているよ……。

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コメント

ずっとずっと前から自分の事しか考えてないような気がする。
私がいなければ子供達はどうなる?って考える事もしなくなっていた。
私が一番楽なことを考えてきた。
息子の教材作りもそのうち私がいなくても仕事の足しになるようにって。
そしたら私がいなくっても大丈夫って。
子供たちに家のことをさせるのも将来子供たちが困る事のないようにっていうんじゃなくって
私が楽になる事を考えて。
私がいなくっても大丈夫。
そう思えるようになって来たかな。最近。
でも、子供たちが私から離れていく事を一番寂しく思っているのは私。
そんな自分を扱うのが難しいです。

投稿: さとか | 2006年5月26日 (金) 19:02

子どもの親離れより
親の子離れのほうが難しいよな~って思います。ホントに。(^^ゞ
羽ばたけと言いながら、同時に引き止めたがっている自分を感じるんですよね。
それをあえて見送る方に持っていきたいから、
なおさら、こんなことを書いて、自分に言い聞かせているのかも。(笑)

でも、自分が楽になる生き方を考えるってのは、いいですよね。
すごく気持ちが軽くなる。
わがままっていう意味じゃなく、こう、肩の力が抜ける、みたいな?
何でもかんでも母親の自分が背負い込まなくてもいいんだなー、って感じてます。

毎日毎日、子どもとべったりで、
子どもの後を追い回して疲れ果てていたあの時代って
やっぱり、本当は一生の中で一番楽しい時期だったのかもしれない。
100%そこにのめり込めたから。
過ぎてみるとわかること。(笑)

投稿: 朝倉玲 | 2006年5月26日 (金) 20:47

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