« 「デスノート」・2 | トップページ | 兄ちゃんの遠足 »

2006年4月18日 (火)

「デスノート」・3

 昨夜、帰宅後に一人で夕食を食べていたお兄ちゃんとの会話。

母「デスノート、2巻まで読んだよ」
兄「2巻まで? おもしろいでしょ?」
母「う~ん、おもしろいとは思うけど、お母さん自身としては微妙だな」
兄「あれはおもしろいよ。ああいうこと(死神のノートに他人の名前を書いて、その人物を抹殺すること)をやりたいって考えたことがない奴はいないと思うよ」
母「うん、いないと思う。だからあの漫画は人気出たんだよね。実際、お母さんだって君ぐらいの年にはそう思っていたし、お父さんも若い頃はやっぱりそう思っていた、っていうからね」
兄「お父さんが? どんなふうに思ってたわけ?」
母「学生時代には、人類なんて滅亡すればいい、って、ずっと思っていたってよ。それは結婚したときに聞いたの。でも、子どもが生まれてから考え方が変わったんだって。お母さんもそうだよ」
兄「お母さんも人間は滅亡すればいいって思ってたの?」
母「思ってたよ。(笑) 人間なんて全部死んでしまえばいい、ってね」
兄「どうして?」
母「だって、人間なんてくだらないもん(笑)」
兄「……お母さんはその時、自分も死んでしまっていいって思っていたわけ?」
母「思ってたよ。明日の朝にでも、死んでいればいいって思ってたわね。でもね、お父さんもお母さんも、君たちが生まれてから変わったんだよ。世界なんて、自分たちの代で滅んでしまえばいい、って思っていたんだけど、君たちが生まれたら、せめて、君たちが人生をまっとうするまでは、この世界にちゃんと残っていてほしい、って思うようになったんだよね――」

 遠い遠いあの時代。純粋に人の悪と善を見つめ、人間の生き様や社会を眺めていたあの時代。あの頃に読めば、「デスノート」もおもしろかったかもしれない。
 でも、今は、くだらなくても、醜くても、それでも人には生き続けてほしいと思うし、世界も存続していてほしいと思う。
 我々にそんなふうに思わせていったのは、他でもない、君たち子どもなんだよね……。

 そんなふうにして、人間は、世界は、続いてきたのかもしれないなぁ、とも思うよ。

|

« 「デスノート」・2 | トップページ | 兄ちゃんの遠足 »

コメント

玲さん、デスノート読んだのですね?(笑)
お兄ちゃんと漫画の話が出来るなんていいなぁ。まだトトとはわたしの好きな漫画の話は出来ないかもしれません。>ほとんど、少女漫画だし。ジャンプの漫画の話はトトとするけれど、まだまだ深くは話せない感じかな。

わたしは、デスノート1部まではけっこうすごい展開だと思っていたのですが、その後読まなくなりました。
一時期ジャンプ連載漫画を(今でもコミックス買っているのもあるけれど)けっこう読んでいましたが、連載の終わり時というのは難しいなぁと思います。
続ければ続けるほど面白くなくなる漫画も多くあると思うし、正直商業少年誌はその傾向が多いかな・・・
ジャンプでは1つのシリーズだけは見届けようと(とんでもない展開になってきていて泣きたいのですが)思っています。さすがに毎週買ってまでは読まないので、コミックス派なんですけどね。

先々週、信夫山にサクラの開花宣言が出た翌日、お葬式で久しぶりに福島に行きました。
アメリカから戻ってはじめて行きましたが、町中の寂れ具合に驚きました。立ち読みしていた本屋さん、こんなに小さな本屋さんだっけ?とか稲荷神社(って町中にあるのだけど)ってもっと大きい神社だと思っていました
なんだか中高校生のころをしみじみ思い出しました。


投稿: りんか | 2006年4月24日 (月) 18:56

お兄ちゃんと漫画の話ができるようになったのは、やっぱり最近ですね。
人生とはなんぞや、人間とは、社会とはなんぞや、みたいな話と同じレベルで語り合ってます。
そう、語り「合い」なんです。いつの間にか、お兄ちゃんが私に肩を並べ始めているのを感じてます。とはいえ、人生経験という点では、まだまだこちらのほうが上手ですけど。(笑)

「ジャンプ」ですか~。
私がコミックスで追いかけてるのは「ワン・ピース」だけですね。
鳥山明の「ドラゴンボールZ」が終わってからは、ジャンプ本誌はほとんど読まなくなっちゃったなー。
全盛期のジャンプは本当にどこを読んでも面白かったんだけど。(苦笑)

りんかさん、福島にいらしていたんだ。
お葬式だったんですね。ご愁傷様でございます……。
福島の駅前は本当にさびれましたね。
私も大学時代にさんざん歩き回ったから、今の風景がなんだかとても淋しいです。駅前が空洞化しているのは、福島市に限らず、全国的な傾向ですけれど……。
どうにかまた駅前を活気づかせる方法はないのかなー、なんて考えてしまいます。

投稿: 朝倉玲 | 2006年4月24日 (月) 20:23

お返事ありがとうございました。

そっか、玲さん大学時代町中まで出てきていたのですものね。
タクシーの運転手さんに「コルニエ○タヤ」がないのですか?とか
「長○屋」は?と聞いて笑われました。
そのほかにも、かなりさびれて変わっていました。
老舗と言われるところも、あのお店が!と思うお店が郊外に移転していたり(と聞きました)、廃業したり、ととても寂しくなりました。
がんばって残っているお店もあって、安心もしたのですけれど・・・(昔の看板のままだったりね)

福島から戻ってきた翌日親友数名にメールで連絡を取り、慰めてもらいました。お葬式も突然で、なおさらショックだったのかもしれません。

お兄ちゃんと語り「合い」が出来るようになると、また別の意味で深い親子づきあいが出来ますね。
先日、トトが本を買いたいというので、本屋さんに行き本を2人で選びました。
講談社の青い鳥文庫に宮部みゆきさんのミステリーが入っていて、「この作家はお父さんもお母さんも大好きで、今一番日本で人気のある作家だから、是非読んでみて」と言って、買ってあげました。
彼は半日で読み終わって(私に似て本を読むのが早いので)、「ストーリーとトリックが本当に面白かった!」と話してくれて嬉しくなりました。

わが家の蔵書の宮部みゆきを彼が読む日も近いかな。
でも、うちにある山ほどの漫画も楽しんで欲しいと思っています。

投稿: りんか | 2006年4月25日 (火) 09:46

>お兄ちゃんと語り「合い」が出来るようになると、また別の意味で深い親子づきあいが出来ますね。

……私は、昇平が生まれてから、お兄ちゃんにあまり手も目もかけてあげられなくなっているなぁ、って、ずっと考えてたんですよ。
かけてあげたいけれど、どうしても、その余裕がない。
昇平が小さかった頃は、今以上に多動だったし、いろいろ大変でしたからね。
ただ、とにかく、お兄ちゃんの話だけは、聞けるときには聞いてあげたい、と思い続けてきたんです。
中学になって部活が始まってからは、なおさら話し合う時間なんてとれなくなって、高校になった今は、会話の時間が5分? 10分? なんて日も……。

でもね、「話を聞く」姿勢であり続けたことだけは、実を結んだのかな、なんて、
最近のお兄ちゃんと私自身の会話を振り返って、感じてるんです。
共通に読んでいる漫画の話題だったり、ニュースの話だったり、それは様々なんだけれど。
お兄ちゃんが自分で感じたことをこっちに話してくれて、こっちも、「親だから」というより「人間として」私はこう思うよ、という話ができる。
確実にお兄ちゃんが子どもの頃とは関係は変わってきているのだけれど、これはこれでいいかなぁ、なんて思っているところです。

親は子に、何を残してあげられるんでしょうね?
それってきっと、一緒に読んだ本だったり、一緒に語り合ったことだったり、ふとした場面での一言だったり、無言のままの後ろ姿だったり。
そんな形には残らないものが、子どもの中には残り続けていくのかもしれないなぁ……なんて考えています。

投稿: 朝倉玲 | 2006年4月25日 (火) 10:32

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 「デスノート」・3:

« 「デスノート」・2 | トップページ | 兄ちゃんの遠足 »