十七歳
兄ちゃんは高校2年生。誕生日が来れば17歳になる。
朝食の後、台所に残っていた旦那に聞いてみた。
「17歳の時、あなたは何してた?」
「高校2年の時か……? 囲碁やってたな」
ああ、そう言えば高校の時、囲碁が好きな友人や先生と囲碁同好会を作ったって言ってたっけね。
「私はね、高校2年の時、国語の先生の指導で県文学賞に詩集を応募してたよ。もちろん賞は取れなかったけど、最終選考までは残ったんだよ」
考えてみれば、あの頃にはもう、今の自分にとても近い自分になっていた気がするなぁ。そして、ふと気がつく。
「その2年後には、あなたはもう、私と出会っているわけだよね。大学で。考えてみれば、けっこう早いよね」
「そういやそうだな。ただ知っているだけっていうことなら、人生の半分はもう、一緒にいるんだよな」
「長いよねぇ、私たちのつきあいも」
「そうだな」
なんとなく、しみじみと旦那とうなずきあってしまう。
県文学賞に応募した詩集のタイトルは、それこそ「十七歳」だった。
そこに載せた作品に、こんなものがあった。
「ハート」
ぼくらのハートを叩いてみると
クウキョ、クウキョと音がする。
大人でもない、子どもでもない、とても中途半端な時代だった。先が見えなくて、自分自身も見えなくて、とてもあやふやで、だけど、自由で面白い時代だった。
そして、その時間をくぐり抜けたところで、私は一生のつきあいになる人と出会った。……まあ、出会った当時は、まさかその人と結婚することになろうとは、夢にも思っていなかったけれど。(笑)
人生なんて、本当に先は見えない。誰も、何も保証はできない。
だけど、迷いの時代の先には、思いがけない出会いがあるかもしれない。それは恋人や伴侶とは限らなくて、人生の師だったり、大切な友人だったり、忘れられない人だったり。そんな人たちと出会っていく中で、ハートは次第にクウキョな音を忘れていったのかもしれない。少しずつ、からっぽだったハートの中に、何かを注ぎ込んでもらったのかもしれない。
十七歳は、確かに不安定な時代。十七歳の凶行なんて言われてしまうことさえあるほどに、本当に危なっかしい時代かもしれないけれど。
今、その時期のまっただ中にさしかかろうとする兄ちゃんを見るたびに、テレビや新聞でその年代の痛ましい事件を見るたびに、こんなことを考えてしまう。もうちょっとだけ、我慢してみたら? その先に、もしかしたら、何かが待っているのかもしれないから――と。
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