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2006年3月30日 (木)

ちょっと真面目な話

自分にそのつもりがなかったのに、失敗したり、周りの人を傷つけてしまった時って、思いがけないくらい落ち込むんだよね。「失敗するかも」「これをやったらまずいかも」と思いながらの時には、ある程度、心の準備もあるから、「あ、やっぱり」「まずかったなぁ」なんて思うくらいでおさまるんだけれど。
で、失敗した時に、「次は気をつけよう」って思って、それで次回改まるなら良いのだけれど、いくら気をつけたつもりでも、やっぱりまた同じ失敗を繰り返してしまう時って、本当に際限なく落ち込みそうになるんだわ。どうして同じことばかりやるんだ、って、自分で自分が情けなくなるから。

ADHDとかの発達障害を持つ子どもたちって、毎日がこの繰り返しなんだろうなぁ、と考えている。
どんなに注意されても、どんなに気をつけても、やっぱりまたやってしまう同じ過ち。どうしようもなくて笑っているけど、ホントは心の中で誰よりも傷ついて悲しくなっているのは、自分自身なんだよね……。
誰からも生きていることを許されていないような気持ちになって、だけど、自分は生きていたいから、誰かに許してもらいたくて。
「生きていていいんだよ。誰に許しを請う必要もないんだよ」と言ってもらっても、やっぱりつきまとうのは、自分自身への存在の不安感。セルフエスティームの低下、と専門用語では言うのだけれど、難しいことばがわかったって、その気持ちが救われるわけじゃない。

ここからその子を救うのは、月並みだけれど、やっぱり「愛情」なんだよね。
失敗したってかまわないよ。うまくできなくたっていいんだよ。そんな君が大好きだから。君は君のままでいいんだよ。
そのことばだけが、その子を救って守っていくから。

自分の人生に自信がある人なんて、ごくわずか。責められそしられ続けて生きるのが、現実の世の中なのかもしれないけれど。
その中にたった一カ所でも、拠り所になる港があれば、その子は人生の荒波を越えていけるのかもしれない……とそんなことを考えている。

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2006年3月26日 (日)

映画「ナルニア国物語」

観てきました! 映画「ナルニア国物語 第一章 ライオンと魔女」。

春休みの最初の日曜日。おそらく混雑するだろうと思ったので、子どもに人気のある新しい映画館ではなく、映画マニアに人気がある小さな映画館のほうへ行ったけれど、それでも開館前から人が並んでいました。女性と子どもが圧倒的に多いのが印象的。そうだよね、これってもともと児童文学。子どものための作品だもの。
私にとって「ナルニア」が特に思い入れ深い作品であることは、以前にもここに書きましたが、大切な作品のイメージが壊れたり崩れたりしていないか、という不安と、あの大好きな物語を映像として目で見ることができる期待とで、私の胸はどきどき。まるで、久しぶりに会う恋人とデートの待ち合わせをしているみたいでした。(笑)

開場。そして、上映開始。
いやぁ……おもしろかったです!!
ファンタジー世界の構築という点では、「ロード・オブ・ザ・リング」のほうがリアリティ、スケールで上回っている気がしましたが、物語のテンポは、むしろ「ナルニア」のほうが良いくらい。原作にはなかった凍った川渡りの場面、4人兄弟の長男ピーターの初陣のシーンといった見所はもちろん、オープニングのロンドン空襲や屋敷の口うるさい家政婦から逃げ回って隠れようとする場面、そりに追われて逃げるシーンなど、随所に息詰まるような場面が現れて、まったく退屈しません。全体として、非常にスリリングで雄大な作品に仕上がっていました。
館内には小学生や、なかには幼稚園生くらいにしか見えない子どもさんも来ていましたが、退屈して騒ぎ出す声は全然聞こえてきませんでした。私の隣に座っていた小学生の男の子は、原作をしっかり読み込んでから観に来たようで、ときどき小声で「あっ、あれがでるぞ」「サンタクロースだ」「いよいよだぞ、いよいよだ……」などとつぶやいていました。映画の世界にすっかり引き込まれているのが感じられて、何ともほほえましかったです。
戦闘シーンも、原作ではあまり書き込んでいないのですが、映画ではもう、これでどうだ! というくらいたっぷり魅せてくれます。いやぁもう、ピーターのかっこいいこと!(笑)
この手の作品を観るといつも感じるんですが、今のSFXは本当にすごいですねー。ライオンのアスランも、オオカミも、動きがとても自然です。他の実在しない生き物たちも、とてもリアル。わーい。フォーンだ、セントールだ、グリフィンだ、フェニックスだ、ユニコーンだー! ・・・とファンタジー系生き物が大好きな私は、心の中で大喜びしていました。
ただ、ビーバーさんとキツネさんだけは、動きがもう一息だったかな。むしろ動きの細かい小さい生き物のほうが、再現は難しいのかなぁ、なんても思いましたが、まあ、これは大した問題ではありません。

作品のテーマという観点から観ると、二男エドマンドと他の3人のきょうだいたちとの、心の葛藤と兄弟愛が前面に押し出されていました。特に長男ピーターとエドマンドが対立し、エドが反発から裏切りに走り、やがてまた一緒になり真に和解していく。その心の道のりが、とても鮮やかに描き出されていたと思います。「おまえはいつになったら言うことを聞くようになるんだ?」とピーターが映画の最初と最後で2回言うのですが、そこに込められた彼の想いの違いを感じて、うーん、なるほど、と唸ったのでした。うまいわ~。
ちなみに、こんなセリフは原作にはまったくありません。(笑)
「ナルニア」には、一作目だけでも、テーマがいくつかあって、その中には宗教(キリスト教)をベースにした大きなテーマもあるのですが、今回のディズニーの「ナルニア」は、宗教色はぐっと薄れていました。物語のストーリーとして使われているだけ、という感じです。そして、その代わりに映画を貫いているのが「兄弟愛」。それだけに日本の子どもたちにもわかりやすく、受け入れやすいんだろうなぁ、と思います。

ああ、それにしても「ナルニア」が予想を裏切らない出来で本当に良かった。
今回無事に映画を観に行けたのも、旦那が連れ出してくれて、私が映画を観ている間、昇平をゲーセン等で遊ばせてくれていたからでした。旦那が協力してくれなかったら、せっかく前売り券を買っても、観に行くことができなかったかも……。旦那、感謝! おかげですごく良い時間が過ごせました。
あー。今度はDVDで発売されるのが楽しみだなー。

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2006年3月24日 (金)

中島みゆき「転生」

ご存じの人はご存じだけれど、私と旦那は大の中島みゆきファン。レコードとCDで、彼女のほとんどのアルバムは持っている。レコードはプレーヤーがないから、今はもう聴けなくて残念だけど。
最近のBGMにかけているのは、 「転生」 。去年の11月に出た一番新しいアルバムで、アマゾンの解説には、こうある。

『中島みゆき、通算33枚目のオリジナルアルバム。2004年1月に上演された“夜会VOL.13「24時着 0時発」”の名場面で演奏された名曲を新たにレコーディングした作品ほかを収録。今作も唯一無二の「中島みゆき」にどっぶり浸れる全11曲。』

中島みゆきにどっぷり浸れるかどうかは別として、このアルバム全体を貫いているテーマを感じて、いいな、と私は思っている。「転生」というタイトル通り、『人生の見直し』『やり直し』が歌われているから。
それも、若い人たちへ向けたメッセージじゃない。私たちくらいの、ある程度夢中で自分の人生を進んできた中年層(笑)に、「振り返ってごらん」「なにか忘れてきていないですか?」と問いかけている。そうして見つけたかつての夢を「もう一度やり直してみませんか?」とも言っている気がするのだ。

最近、「この年になって○○するなんて」と、私と同年代の人たちが口にするのを聞くことが多くなってきた。
四十を過ぎたあたりからだろうか。
もう、新しいことは始められないよ。今さら夢とか理想とか、そんなものを青臭く語る年でもないし。――そんな悟りにも似た感情が、そこには必ずつきまとっている気がする。
だけど、本当にそうだろうか?
四十を過ぎてしまったら、もう夢は見られないんだろうか? 新しい人生や生き方を求めることはできないんだろうか?
確かに、平均寿命を八十才とすれば、人生の折り返し地点は過ぎたと思う。これからは、今まで生きてきたよりも短い時間しか生きていけないんだろう、とも痛感する。
だけど、だからこそ。
遠い昔に置き忘れてきた夢を、もう一度拾い上げてみてもかまわないという気がしている。
確かにあの頃の若さも力も今はないけれど、それでも、もう一度走り出すくらいの力は、この両足に残っているような気がする。
「諦めるにはまだ早すぎるよ」
ゆったりした曲に乗せて、みゆきさんは、私たちおじさん、おばさんに、そう語りかけているように感じている。

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2006年3月23日 (木)

つらい知らせ

つらい知らせをもらった。
つらいつらい知らせをもらった……。

幸せになってもらいたい人だった。
苦労はしても、今の幸せを生涯失わないでいてほしい人だった。
誰よりも、幸せでいてほしい人だった……。

手紙を読み返して、何度も何度も読み返して。
どこかで掛け違えたに違いないボタンが見えるようで。
読み終えて、深いため息が出た。

幸せでいて欲しかった。
誰よりも、ずっと幸せでいつづけてほしかった。
幸せになる権利がある人だと、ずっと、そう考えていた。

人生は一寸先が闇。
幸せになるのも、幸せが奪われるのも、予想はつかない。
だけど……。

ささやかでいいから幸せでいたかった人から
幸せが奪われていったことは
私自身の身を切られるように痛い。

また新しい幸せは来るだろうか。
どうか、来ますように。
必ず来ますように。

私はただ、それを祈るしかない……。

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2006年3月21日 (火)

それぞれがそれぞれ

おばーちゃんと昇平と買い物に出たら、お祭りをやっていたので立ち寄ってきた。昇平は好きなキャラクターのプラモデルをおばーちゃんに買ってもらえてご満悦。家に帰ると、さっそく「よし、作るぞ」と隣の部屋にこもってしまった。
そして約30分。そっとのぞいてみたら、昇平は作り方の紙とくびっぴきで、プラモデルをほとんど完成させていた。どうしても足の部分だけが上手くはまらなくて、「お母さん、やってよ」。
手伝いながら、そう言えばお兄ちゃんはプラモデルが苦手だったなぁ、と思い出した。まず作り方の説明図を見ても、それがよくわからない。ちょっとでもうまく出来なくなるとかんしゃくを起こす。「せっかくこづかいはたいて買ったのに! こんなもの買うんじゃなかった!」 今の昇平ぐらいのときに、お兄ちゃんがよく言っていたセリフだ。
昇平はと言うと、とにかく論より証拠、理屈より実践。まずは作り始めてみて、ああでもない、こうでもないと考えながら、けっこうちゃんと組み立ててしまう。
昔からそうだったんだよね。お兄ちゃんはまず最初にやり方がしっかり飲み込めていないと手が出せないタイプ。昇平はやってみながら、やり方を理解していくタイプ。うーん、一応お兄ちゃんは健常児で、昇平の方が障害児なんだけどねぇ。ちょっと考えると逆なような気がするんだけれど、そうじゃないんだよね。

今もその名残はあるけれど、昇平はことばの発達が遅れていて、小さい頃には本当にろくにしゃべれなかった。
その彼がどうやって行動していたかというと、まず、やりたいこと、興味があることはじっと観察する。そして、とにかく手を出してみる。大人になんか頼らない。自分でやれそうだと思うことは、誰にも断ることなく、さっさと自分でやってしまう。どうしても思い通りに行かない時だけ、大人にヘルプを求めてくる。
それに反して、お兄ちゃんは慎重派。昨日も書いたように、自分から何か始めるというより、なにをするか明確に決まっていることを確実にやっていきたいタイプ。新しいことにはなかなか手を出さない。失敗しそうなことにも手は出さない。やり方さえ飲み込めば、しかにも上手になるし、器用にこなすことが多いのだけれど。

同じ親から生まれた兄弟なのに、本当に違うな、と思う。
お兄ちゃんはきっと、きっちりした責任ある仕事をこなしていくような職業に就くんだろう。人当たりはよくて、誰とでも仲良くなれる才能の持ち主だから、きっと、それを自分の武器にして社会を乗り切っていくんだろう。
昇平の方は、きっと、もっと独特な道を進んでいくだろう。どの方面に行くかは、まったくの未知数だけれど、きっと、人の行かないような場所に自分一人でさっさと進んでいって、進みながらやり方を覚えていって、案外、ものにしてしまうのかも。
どっちがいいとか悪いとかじゃなく、それぞれがそれぞれで、それが面白いな、と本当に思う。
子育てって、ホントに飽きない。

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2006年3月20日 (月)

大人に向かう道

昨日の夜のこと。
夕食を食べ終わったテーブルに、旦那と私とお兄ちゃんだけが残っていた。
最近のお兄ちゃんは、ニュースになるような社会問題にも興味が出てきている。ライブドアの株価の話から、「株式とはいったい何なのか?」という話になっていった。
旦那は経済学部出身。会社の仕組みはこうなっていて、これこれこういう理由から株式が発行されて・・・と説明をしていく。
お兄ちゃんの質問はさらに続く。「上場企業って?」「株取引って?」「証券会社ってのは、そもそも何をしているところなの?」
旦那の説明が難しくなって、お兄ちゃんがわかりにくくなってきたような時には、私もわきから口出しして補足していた。お兄ちゃんは昇平と同様、視覚的に物事を考える方が得意な子だから、こんな言い方の方がわかったりする。「Aさんという人が会社を始めたいと思いました。でも、資金が足りません。そこで、1枚100円の株式を1万枚作って発行することにしました・・・」
質問はますます細かく深くなっていく。「証券市場ってなに?」「株価は毎日変わっているけど、あれはどうやって決まるものなの?」
とうとう旦那が言った。「知りたいと思うなら、自分で調べてみろよ」
今は、漫画で株や経済の仕組みをわかりやすく教えている本もあるんだし・・・と旦那が続ける。そういう本などを自分で探して、調べてみようとしろ、と言うのだ。
お兄ちゃん、どこか憮然とした様子になって、自分の部屋に引っ込んでしまった。

「あいつはあんまり探求心がないなぁ。疑問に思ったことを調べようとするところから始まるものなんだが」
と旦那がぼやいた。
それは確かに言えるかもしれない。お兄ちゃんは、自分から調べたり、自分から求めたり、ということを積極的にするタイプではない。与えられたこと、決められたことには割と真面目に取り組むけれど、どちらかというと、マニュアルがあって、あらかじめやることがわかっているほうが安心するタイプ。自分から冒険して、何か新しいことにチャレンジしたり、人と違ったことに取り組んだりする人種ではないように見える。まあ、この先、成長する中で、これは変わってくるのかもしれないけれど。
私はふと、昔読んだとある科学者のエッセィを思い出していた。誰が書いたものだったか、すでに記憶にはないけれど、多分、ノーベル賞か何かを受賞した人の文章だったように思う。自分が科学の道に進み出したばかりの、学生時代の思い出がつづられていた。
大学の先輩をつかまえて、この実験でこうしたらどうなりますか? こんなふうにしたら、どうなりますか? と質問攻めにしていたら、最初は丁寧に答えてくれていた先輩が、やがて黙り込み、最後に一言、こう言ったのだという。
「君、自分でやってみたまえ」
それで、その科学者は、自分で実験してみること、自分でやってみることの重要性に気づいた、とエッセィには書かれていた。

その人の性格にもよるけれど、マニュアルがあって、やり方があらかじめわかっている方が安心できる人は、世の中に大勢いる。わからないことがあれば、わかる人に聞いてみるのが、大人の世界でもまずは基本だ。
でも、それでもわからないこと、もっと知りたいことが出てきたなら、やっぱり、「自分から」調べようとしなければ、その先のものは手に入らないんだろうな、と思う。
与えられるのを待つのではなく、与えられたものだけで満足するのではなく。

高校生のお兄ちゃんは、今、大人の入り口に立って、目には見えない「社会」というものを眺め回しているんだろうと思う。道しるべがどこにあるのか、どこへどう進めばいいのかわからない、未知の世界。だからこそ、不安になるし、だからこそいらだつことも多い。私も覚えている。確かに高校時代はそういう時間だったから。
マニュアルがあればどんなに楽だろう、と思うのも無理はないよね。だれか、社会の先輩を見つけて、その言うとおりに進んで行ければ、とても安心だ。その先輩を、親の背中に求めているのかもしれないね。
だけど・・・。
親が道を作って上げられるのはここまで。ここから先は、君自身が作っていかなくちゃならない。
とまどっても、迷い悩んでも、それでも、自分で進んでいくしかない道だから。
突き放されたように感じても、めげずに進むしかない。たとえその場でジタバタしているように感じても、あがいた分だけ、ほんの少しは、きっと前に進んでいるはずだから。

大人に向かう君の道。
君はやがて、どんな場所に立っているんだろう。
それは、父や母がいるのとは、また違った場所で、きっと我々とはまったく別のものを見つめているんだろう。
親はやがて、子どもの背中を見守るようになるんだね。
君を見ながら、そんなことをしみじみと考えている。

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2006年3月19日 (日)

お彼岸とパスタ

昨日からお彼岸です。
我が家では、今日は同居の両親が法事に呼ばれていったので、旦那と二人の子どもたちと墓掃除に行ってきました。雑巾とバケツ持参で、墓石や灯籠や周りの石の柵を綺麗に拭いて、花立てや茶碗を洗って、水を汲み替えて……。
田舎の墓なものですから、割と大きくて掃除も大変なのですが、そこは四人がかりの強み。「はーい、子どもたち二人は砂利の中の草むしりねー」「それがすんだらお兄ちゃん、雑巾で拭いて」「昇平はそっちを綺麗にして」と、子どもたちもこき使って、小一時間で何とか終わりました。最後に花を飾り、お供えものを上げ、線香を手向けてお参り終了。

そんなふうに全員で掃除しながら、そういえば、家族四人でこんなふうに一つのことをしたのって久しぶりだったなぁ、と思いました。掃除と言っても、ものすごく雑なやり方の昇平。それに文句付けたり、からかったりして楽しんでいるお兄ちゃん。(昇平はお兄ちゃんのおもちゃになってました。) せっせと真面目に墓石を拭き上げていた旦那は、普段なかなかお参りに来られない分、一生懸命掃除しているようにも見えました。もしかして、生みの母に自分の家族をたっぷり見せていたのかな?(^_^)

「ねえ、昼ご飯は何ー? 俺、スパゲッティ食いたいなー」
とお兄ちゃんが言い出しました。たちまち、昇平と旦那もそれに同意。うーん。家に材料あったかなぁ。
「帰りにどこかに回って買っていけばいいじゃん」
それもそうね。
ということで、帰り道、コンビニに回って買い物していきました。でも、パスタはあったけれど、お兄ちゃんが食べたがっていたミートソースがない。ふむ、しかたがない。では、母お得意の「スパゲティ・コン・トンノ」にしましょうか。
家に戻って、刻んだ玉ネギとツナ缶を炒めて、ケチャップ、ワイン、ウスターソース、砂糖、塩、こしょう、コンソメ、醤油少々・・・はい、トマト味ツナソースのできあがり。ゆで時間3分というパスタの上に、たっぷりそれをかけて、はい、できましたー。ミートソース缶が手に入らなくても、けっこう似たようなものは作れるのですよ。えへん。(笑)
そうして、600グラムのパスタは、あっという間に四人のお腹に消えました。

家の中にいるのは、私たち家族四人だけ。
実は、これはとても珍しいことです。年に何回もあることじゃない。
そして、こんなふうに四人だけで過ごしていると、昇平が幼かった時、郡山で家族四人で暮らしていた時代を思い出します。
「あの頃は毎日こんなふうだったんだよねー。気楽だったよね」と思わず笑いながら言えば
「俺もホントに気楽だった」と旦那。
「俺は今と別に変わんないな」とお兄ちゃん。
昇平は四人暮らしの時代を覚えていないので、ノーコメント。でも、あの時代に家族四人きりで暮らせたから、超多動児だった昇平も、曲がることもなく成長してこられたんだと、母は密かに思っているんだけれどねー。(笑)

なんと言うこともない、お彼岸の日曜日。どこに遊びに行くわけでもなし、何か特別なことをするでもなし。
でも、こんなふうに、家族だけで過ごす日があるっていうのも、悪くないなぁ・・・なんてしみじみ感じたひとときでした。

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2006年3月17日 (金)

光り物

唐突ですが、私は「光り物」が好きです。
それも、ずばり宝石の類が好き!
でも~、旦那の安月給じゃ宝石なんておいそれと買ってもらえないから、残念でぇ~。それで24回払いのローンを組んでぇ~・・・・・・。

と言うのはもちろん冗談です、はい。(笑)

いや、光り物が好きなのは本当です。宝石も好きです。
ただ、「貴金属」「高級品」としての宝石が好きなわけじゃない。そのきらめきや透明感がたまらなく好きなだけなんです。
だから、宝石に限らず、水晶やペリドットなんて貴石類、ビーズ、ビー玉、ガラス、夜の街の灯りなんかも大好きだし、星も好きです。それで、ホームページの掲示板を「星空掲示板」なんて名前にしたくらいで。要は、キラキラしていればなんでも好きなんですね。カラスみたいだ。
金銀プラチナなんていう金属類のきらめきも好きですが、やっぱり透明感ある光のほうが好き。私の小説には、だから、光に関する描写がとても多いです。自覚はしているけれど、好きなものだから、それを減らそうとかは思わないです。(爆)

じいちゃんも光り物は好きですが、こちらはとにかく金ぴかのものが好き。ステイタスとしての「光り物」「金」が好きなんですね。だから、金メダルも大好き。わかりやすいです。(笑)
二人の子どもたちも、実は光り物が好き。男の子なんですが。私の影響なのか、どちらも私と同じ「透明感のあるもの」が好きで、昇平の場合、そこに「カラフル」も加わると大喜びします。
水晶やホタル石なんてものを喜んだのはお兄ちゃん。鍾乳洞の近くの売店で買った鉱石・貴石の見本は、お兄ちゃんに横取りされました。水晶を磨き上げたペーパーウェイトなんてのをプレゼントされて喜ぶのも、きっとお兄ちゃんでしょう。
昇平の方は、色とりどりの綺麗な石がざくざくあるのが好きみたいです。それをひとつずつ眺めながら「これは○○、これは△△、これは××・・・」と石の名前を言っていきたいみたい。原石も好き。先日は、河原で拾ったという石英の破片を大事に家に持ち帰ってきました。割れた口から、白い石の断面がキラキラとのぞいていて、私も思わずうっとり・・・。彼は、六角柱の形そのままの、水晶の原石をプレゼントされるほうが喜びそうです。

最近は、パワーストーンブームで、貴石が手頃な値段で買いやすくなりました。
作品の中に「力を持つ石」なんてのを書いているくせに、石のパワーというのは、実は全然信じていない私だけど、ちょっとしたところで綺麗な石たちをたくさん見られるようになったのは嬉しいなぁ、と考えています。
結局のところ、私にとって石は「眺めて楽しむもの」なんですね。
婚約指輪のダイヤモンドも、百円ショップで買ったローズストーンも、昇平のごほうび用のカラフルなビーズも、私の中ではほとんど同等。ちょっぴり心が疲れた時に、手にして眺めて「あ~、綺麗だな~」とうっとりする。
それが私の光り物の楽しみ方です。(笑)

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2006年3月13日 (月)

納豆の話

う~ん、なんかここのとこ、あまり食欲がなくて、食べたいものといったら、「納豆」が一番に浮かんできます。
いや、納豆は栄養があるから良い食品だと思うんですけどね。
そういえば、大学時代、関西から来ていた友人が、「福島に来て初めて納豆食べた!」「納豆を食べられるようになった!」って感激していたっけ。今は、関西のスーパーでもけっこう納豆を売るようになったとか?
某納豆会社のCMによれば、ここ福島県は納豆の消費量日本一だそうだから、こちらに比べればまだまだ・・・なんでしょうけれど。(笑)

納豆には薬味が入るとおいしいです。
私は刻みネギ、もみ海苔なんていうスタンダードなところの他に、梅干し、大根の葉をゆでて刻んだもの、千切りキャベツなんてのも好きです。
特に、キャベツは納豆の数倍量混ぜ込んで、納豆サラダみたいにして食べてしまいます。ひと頃はやった納豆キャベツダイエットのようなものです。ダイエットとしては実行しなかったんだけれど、おいしいので、今でもしょっちゅうやっています。
じいちゃんは、薬味はなんといってもカラシ。で、今の主流の小粒納豆は嫌いです。曰く「粒が小さすぎると豆の味がしない!」 それはそれで、グルメなことだなぁ、と思います。
ばあちゃんはひき割り納豆が好き。手術の後遺症で、あまり噛まずにすむ食品の方が食べやすいから。薬味としては、本当は大根おろしとかが大好物だったんだけど、これも今は刺激が強すぎて食べられなくなってます。シンプルに、ひき割り納豆にタレのみ。
お兄ちゃんも納豆大好き。薬味は私の影響で、刻みネギや大根の葉、キャベツなんてところが好きです。粒は、なんといっても小粒納豆が好み。じいちゃんが食べる粒の大きな納豆は、絶対に食べようとしません。ご飯とのなじみが悪いのだそうです。この人もグルメかも。
で、旦那と昇平はというと、納豆が大の苦手。朝食に納豆を出す時、彼らには違うものを準備しなくてはなりません。東北人でも納豆嫌いはいるのです。

とはいえ、残りの家族は皆、納豆が大好きです。それぞれ好みのタイプの納豆が違うので、我が家の冷蔵庫には常に2~3種類の納豆が常備してあります。
やっぱり、我が県が納豆消費量日本一というのは、本当なのかもしれませんねぇ。(笑)

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2006年3月11日 (土)

「時効警察」・9

ついに最終回でした。
旦那とテレビの前に待ちかまえて観ました。

……面白かった!!!

久しぶりで、なんのわだかまりも、文句もなく、この感想が言えました。いや、本当に面白かった。

内容としては、かなり詰め込み気味で、ひとつひとつのシーンは短いし、登場人物多いし、セリフはシェークスピアの戯曲並みに長かったりもしたけれど。相変わらず元ネタのわからないギャグもたくさん出てきたけれど。(でも、「ショッカーが団体職員」っていう部分は、私たちにもよくわかったので、旦那と大受けしてテレビの前で笑いこけてました。)とにかく面白かった。勢いがあったし、推理の中身としても、すごく納得がいくものだったし。
事件の真相は、なかなかでした。コメディなのに、その部分だけ、妙にドシッと来るシビアさがある。でも、それを全体のコメディの中に違和感なく織り込んでいるあたりが、今回の脚本家の力量だなぁ、と感じました。
登場人物はデフォルメきついし、時間が足りないだけに語り尽くせてない部分はたくさんあったし、不思議なところ、意味のわからないところもいっぱいあったけれど、でも、「時効警察」の魅力炸裂の話でした。
あー、楽しかった! 最終回にこの話が観られて良かったです。

で、案の定、三日月さんと霧山くんはくっつかなくて、でも、まだまだこの後の関係を想像させるラストでしたね。
こりゃ~、ぜひ「時効警察2」を作ってもらわなくては、と思いました。
期待してますよー♪ テレビ朝日さん!

p.s.
今回のドラマの中で出てきた15番目のピアノ曲……「最終楽章」だったかな? もんのすごく良い曲だったなぁ。全曲作曲してあったみたいだけれど、ぜひフルでほしいです!

p.s.2
ラスト近くで受付に登場していたの……あれって、ヨン様? 私は韓国ドラマ音痴。(いや、韓国ものだけじゃないか。苦笑)

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2006年3月10日 (金)

ブログ管理機能復旧

昨日の午前10時から、@niftyのブログのメンテナンスが始まったわけですが、その後、メンテナンスが伸び、さらにメンテナンス終了後にも、管理画面に入ろうとするとアクセスしづらい(というか、ほとんど入れない)という状態になり、夜中からまた復旧のためのメンテナンス。今日の夕方になって、なんとかまた管理画面に入れるようになった、という状況です。
ブログを読みに来る方には、コメントとトラックバックができないだけだから、あまり影響はなかったと思うけれど、こちらにしてみれば、アクセス解析が見られないし、なんと言っても新しい記事が投稿できない。まあ、そんなに待たなくても復旧するだろうと思って気長に構えていましたが、人によっては、ものすごくイライラしたり、怒ったりしたユーザーもいらしたみたいですね。私はホームページの方がメインで、ブログはその中の一コンテンツに過ぎないから、あまり焦りもしなかったのですけど。

大手プロバイダの機能を利用していると、ときどき、こういうことが起こります。ユーザーが多いために起こるトラブルなんだろうと思いますが。通常のメンテナンスをした時でも、それが長かったりすると、メンテナンス終了直後にいっせいにユーザーがアクセスして、やっぱり入りにくくなる、ということがよく起こります。昔はこれがホームページで起きていたんですが、さすがに、最近はユーザーがブログにスライドしているので、ホームページの方はあまりトラブルを感じなくなってきましたね。ホームページ関係は「こなれた」「整うだけ整った」というところもあるのでしょうね。

でも、なかなか復旧しないブログ管理機能にイライラしているユーザーさんの書き込みを見ていて、「それだけブログが大切なコミュニケーションツールになっているんだなぁ」とも感じていました。大事だからこそ、怒りたくなる。関係者が一生懸命復旧させているのはわかっているけど、「早く直って!」と言いたくなる。
みんな、それだけ自分のブログが大切なんだなぁ……と、そんなことも感じていたのでした。

特別なソフトも面倒なタグを覚える必要もなく、誰でも気軽にネットに自分のサイトを持てるブログ。気軽なだけに、ユーザーの裾野も広がって、今のこの状況があるのでしょうね。
だからこそ、教科のためにメンテナンスする必要が出てきて、それで今回のようなトラブルも起こるわけなのだけれど。まあ、特にそのシステムが拡大・充実していく時期にはよくあること、っていうことなんでしょう。
とりあえず、今日中に復旧して良かったです。
何故って、今夜は『時効警察』の最終回があるから……。(笑)
最終回のレポートに復旧が間に合ったようで、やれやれ、と思っているところです。

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2006年3月 9日 (木)

【転載】メンテナンス実施のお知らせ

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 詳細情報
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◇日時:2006年03月09日(木)10:00-15:00の5時間

◇ご利用いただけなくなるサービス:

 ○ベーシック・プラス・プロ
   ・管理画面、トラックバック、コメント
   ・ココログの新規登録、解除
   ・ココログ出版
   ・ココログデザイン

 ○フリー
   ・管理画面、トラックバック、コメント(※)
   ・ココログの新規登録、解除(※)
   ・ココログデザイン

 ◇目的:DBサーバーレスポンス改善

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というわけで、本日はメンテナンスの間中
コメントやトラックバックができなくなります。
ご了承下さい~。

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2006年3月 8日 (水)

古いカレンダー

私が向かっている机の上には、古いカレンダーの額が飾ってあります。1997年。もう8年以上も昔のものです。
カレンダーとしては役に立たないのに大事にしているのは、そこに一緒に印刷されているのが、当時2才だった昇平と小学2年生だったお兄ちゃんの写真だから。近所の写真屋さんで昇平の七五三の記念撮影をした時、サービスで作ってもらったカレンダーなのです。
昇平は当時数え年で3才、実質は2才3か月でした。すでに多動はバリバリで、記念撮影をするのにも、写真屋さんが大汗をかいて苦労して、2時間以上も粘って、ようやくベストショットをカメラに収めることができました。
昇平の小さい頃の写真は数少ないです。それも、まともに写っているものとなると、なおさら少ない。カレンダーの写真は、その中の貴重な一枚でした。

カレンダーの中の昇平は、ぷくぷくとおまんじゅうのようなほっぺたをしています。すでに着崩れした晴れ着を着て、両手に持ったボールを差し出しています。これは、写真屋さんが昇平に転がしてくれたボールを、拾って「はい」と差し出しているところ。写真屋さんとしては、そのボールで遊んでいるところを写真に撮りたかったわけなのですが、昇平は拾うやいなや、すぐにそれを写真屋さんのところへ持っていく。カメラの照準が合わなくなって、写真屋さんは苦笑い。何度やっても同じこと。
でも、その中でも奇跡的に、ちゃんと合ったものがあって、笑顔でボールを差し出す昇平と、その後ろで弟を笑顔で見守っているお兄ちゃんが写りました。二人とも、とってもいい笑顔です。

あの頃は、昇平の障害なんて、まだ全然わかっていませんでした。何か普通の子とは違う、と気がついてはいましたが、私はADHDの「A」の字さえ聞いたことがありませんでした。ちょっと(いや、かなり)手のかかる子どものいる、ごく当たり前の家族として、暮らしていた頃の写真です。
だけど、その写真に今の子どもたちの顔を重ねてみると、確実に大人にはなったけれど、笑顔そのものは全然変わっていません。二人とも、あの頃と同じように屈託なく、ごく当たり前の、子どもらしい笑顔を見せています。
さすがに、お兄ちゃんは高校生なので、そうそう笑うこともなくなってしまったけれど、機嫌のいい時や弟が面白いことをした時には、やっぱり写真の面影そっくりの笑顔を見せます。昇平にいたっては、基本は2才の頃とまったく同じ。ただ、最近は「俺だってやる時にはやるぞ」みたいな、大人ぶった笑顔も見せるようになって、おぉ、大人になってきたなぁ、と思わされますが。

ここに来るまでの間には、本当にいろいろなことがありました。その間、昇平のために、お兄ちゃんのために、いろいろなことをしてきたわけですが、それってなんだったのだろう、と考えると、ただひたすら、この子たちのこの笑顔を大事にしたかったからなんだな、と思ったりします。
明日笑顔になるためじゃなく、まして5年後、10年後に笑うためじゃなく、今この瞬間に幸せを感じていてほしかったから、親もがんばってきました。でも、それも肩に力を入れた「がんばる」じゃなくて、「こちらも一緒に楽しんじゃおう」という、お気楽ムードながんばりだったんですけどね。
あれこれいろいろ考える割には、実際の私の行動は、かなり直感的です。野生の勘とでも言うんでしょうか。理論は後からついてくる。後から本を読んで、自分がやってきたことと同じ考え方の療育方法が出てきたりして、「へーっ、これだったのかー」なんて自分で感心するのもしょっちゅうです。
ま、母親なんてのは、えてしてそんなものですよね。ものすごく本能的な生き物だから。(笑) で、案外、その母親の直感は、かなりいい線をいっていることが多いんじゃないかな、なんても思います。

カレンダーの写真は、8年の間にすっかり色あせました。
昇平も、写真に写ったお兄ちゃんより、ずっと年上になってしまいました。
でも、遠いあの日も、今のこの日も、私たちは変わることなく、やっぱり家族で居続けています。
特別なことはなんにもない。昇平に診断がついても、特殊学級に行っていても、そんなことは全然関係ない。
私たちはごく当たり前の、普通の家族で、他の家族が暮らしているように、みんなで一緒に暮らしている。
子どもたちが巣立つその日まで、私たちは家庭を守り続けるだろうし、巣立ってからも、時々心休める場でいられるように、やっぱりここに居続けるのでしょう。
私たちはあの日から、ずっと当たり前に生きている。
それが、私たちの基本だったんだなぁ……と、古いカレンダーを見上げながら考えています。

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2006年3月 7日 (火)

3月7日

すっごく良いお天気ですー! 雲ひとつない快晴! 気持ちの良い空です。
こんな日は気持ちの中まで青空になりますね。どんなことでも、「よし、やるぞー!」って気分になってきます。
さあ、今日もがんばろうっと!

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2006年3月 4日 (土)

「時効警察」・8

――ドラマとしては、38点!!
昨日の「時効警察」の私の評価です。

え、朝倉さんには珍しく評価が辛いって? そうかも。
だぁってぇ~~~・・・ドラマとして、物語として、ちゃんと成立していないんだもの!(苦笑)

ネタはね、いろいろ面白いものがちりばめてありましたよ。
おっとっと、この後はネタばれしてきますから、これからビデオとかで観るのよ、って人は、ご注意下さいね。

・主人公の霧山くんに瓜二つの、変質者の山崎。(オダギリさんの二役)
・記憶が十数分しか持たない喫茶店のマスター。(「博士の愛した○式」のパロディだね)
・セーラー服姿の三日月さん。(視聴者サービスに見えたのは私だけ? かわいかったけど♪)
・同じくセーラー服を着て変質者と勘違いされる霧山くん。
・上の二人の思わせぶりな密会。(どうせああいうオチになるのは見えていたけど)
・なんでも多め多めの食堂+そこの意味不明なメニュー。(元ネタはなんだろうか?)
・イニシャル「R」だと思ったら、実はそれは・・・(これは「オリエント急行」あたりのパロでしょう)
・数学には天才的、でも、国語力は小学校低学年並の女教授

まあ、ほかにもまだまだ、いろいろ出てきましたが。
ひとつひとつは笑えるネタだったりしました。あきれながら笑う、という「時効警察」独特の笑いは、はい、確かに。
でも、でも・・・小ネタがあふれすぎていて、肝心のメインストーリーが、その中に埋没してしまってる~~~!!!

事件、はっきり言って、途中ですっかり見えました。ラストで犯人が泣く場面も、ダメ~、全然同情できない。演技が下手なんじゃなくて、ストーリーに筋が通っていないから。
無理がありすぎるってば。女子高生が同級生をスカーフで絞殺? ロシア語でタグにイニシャルを書くクリーニング屋の店員? 特殊な健忘症のために何十年も、ひっきりなしにノートを取っているマスター?(そもそも、どうやって店を開くことができたんだ? 数十分後には店を持とうとしたことなんか、忘れちゃってるんじゃ?) その他にも、まあ、挙げたらきりがないけれど。
推理ものとしても、ドラマとしても、成立していない。そう言うしかないですね。
小ネタで笑って、それっきり。(笑)

そういえば、うちのお兄ちゃんの担任は数学の先生だけど、先日の三者面談で力説していましたっけ。
「数学でも理科でもなんでも、勉強の基本は国語なんです。他の教科であっても、国語力がなければ、問題を理解したりできないんですからね」
私、それにすごく賛同する。
そもそも、あの犯人の設定に、無理がありました。チャンチャン。

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今月の写真です。

一仕事終わって、ちょっと一息。
今月の写真を変えてみました。
これは石けんでできたバラの花です。ガラスの器に入っていて、なかなか綺麗でしょう?

rose

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2006年3月 3日 (金)

夕方

いやぁ、今日はなんだか本当に、いろいろと仕事を片づけたような気がします。
気になっていたトップページの更新もできたし。あ、このブログの写真をまだ変えていなかったわね。今月は何にしようかな・・・。
実は二日ほど前から気がかりなこともあったのですが、それも昨日には無事に終わり、今日は外の青空のようにホッとすがすがしい気持ちでいます。あーあ、良かった。(って、読んでいる人には何のことかわからないでしょってば。笑)
あれこれやっていた分、執筆(「フルート3」)だけは今日は進まなかったけれど、まあ、それも良いでしょう。昨日新しい章をアップしたばかりだしね。・・・あ、なんか、とても久しぶりに、ここで小説のことを書いたような気がするな。(爆)
ホッとしたのと、やれやれという気持ちと、入り混じるうちにもう夕方です。
さて、洗濯物を取り込んだら、昇平のおむかえにいかなくちゃね。
このブログ恒例になった「時効警察」も、今夜の放映を含めて、あと2回で終了とか。今夜も寝過ごさないで観られますように!

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2006年3月 1日 (水)

有料版ココログバージョンアップのお知らせ

ははぁ。
このところのアクセス解析機能の不具合は、これが原因ですか。やっぱりね。

「3月28日、ココログベーシック/プラス/プロ・バージョンアップのお知らせ」

アクセス解析機能強化のために、全記事にタグの埋め込み? というのが、一番怪しいかな。
ま、バージョンアップの際には何かしら不都合は出てくるものだし、それを恐れていては先には進めない、ってことなんでしょうけどね。コメントやトラックバックへ管理能力が強化されるのは嬉しいな。

まあ、実際に移行されるのはほぼ1ヵ月先と言うことで、それまではやっぱり、ちょこちょこ不具合が出てきたりするのだろうけれど。とりあえず、新しい記事やコメントを投稿すれば、アクセス・カウンターが動き出すのはわかったから、それで何とか乗り切れるといいな。
期待してますよ、ココログさん。(笑)

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やれやれ

またアクセス解析のカウンターが止まってるよ~。
しょうがない、新規記事を投稿して動かしますか。世話が焼けるなぁ。
よっこらしょっと!

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